「タキオンさん、大丈夫かしら」
タキオンの半年ぶりの復帰は宝塚記念となった。問題なく走ることができるようになってはじめての出走が宝塚というのもなかなかにハードルが高い。それに出走してくるウマ娘たちのなかには準三冠バのエアシャカールがいるときた。
タキオンもエアシャカールも理論を重んじるウマ娘ではあるがそのスタンスは対極に位置している。エアシャカールからしたらタキオンは「とんだロマンチスト」であるらしい。タキオンがロマンチスト? どういう、ことだ……!
「純白を纏う高速の粒子、漆黒に揺らめく幻影。今のトゥインクルシリーズを語るには外せない二人。今、世間を二分した人気を誇るその片割れが復帰したこともあってウマ娘ファンたちの熱気は相当高い」
「どうした急に」
「しかしタキオンさんは完全に復調したとは言えない状態。それでも出走するのは後に続くウマ娘ちゃんのため……あたしは今、猛烈に感動している!!」
デジタルの言う通り、タキオンが出走を決めたのは後に続くウマ娘、つまりダスカちゃんのためだという。いずれ完全に復帰し、ダスカちゃんのトレーニングを引っ張っていけるようになるためと、冬に比べて随分と熱意を持っていた。
正直に言うと、タキオンが誰かのためにと熱意を出せるウマ娘だとは思っていなかったので驚きである。
『アグネスタキオン、無敗の四冠バがついに復帰です。大勢のファンたちが彼女に声援を送っています』
『長期療養もあってか二番人気です。どれほどの走りを見せてくれるのか期待しましょう』
二番人気がアグネスタキオン。三番人気がエアシャカールとなった。エアシャカールは昨年の宝塚記念においては5着、今年はどこまで走れるのか注目されている。
それに彼女の三冠を阻んだのは名門アグネスの一人であったからか、それとも友人が戻ってきたことへの喜びか、過去に見たことのないほどに気合が入っている様子である。パドックで見たとき、心なしか目のクマが薄かったような気もした。
「ええ、それは見間違いではないですよ」
「そうなのか」
「……あの子が言っていました。今日に向けてベストを尽くすため、トレーナーも協力して体調を整えていた、と」
「なるほど、タキオンは厳しい戦いになりそうだなマンハッタンカ……ふぇ?」
「……私を呼びましたね、デジタルさん」
「よよよ呼んではおりませんがァ↑ 名前を呼んでいただきありがとうございますぅぅ!」
ゆらりと、まるで幻影のように姿を現したのはマンハッタンカフェ。普段着も全身漆黒な彼女は夏だというのに長袖シャツであったが、涼しそうな顔をしていたし、なんなら僕も少しヒヤッとした。彼女が近くにいるとたまにこうなるのだ。
周囲の一般客たちも彼女に今の今まで気が付かなかったようで、どよめきが走る。現在男子に最も人気のあるウマ娘であるマンハッタンカフェ(アグネスデジタル調べ)だ、そんな彼女がウマ娘ファンたちに騒がれず、僕らのいる最前列までやってこれるとはどういうことだか。
マンハッタンカフェが男子人気ある理由はシンプルだ。――カッコいい。それに尽きる。全身黒でコーディネートされた勝負服、陰のある雰囲気、やたらと似合うオフショットでのコーヒー片手に物憂げな姿。思春期ならそれはもう好きになってしまうだろう。こうやって黒歴史は量産されていくのである。
ちなみに女子に最も人気のあるウマ娘はタキオンとのこと。なんか怪しい雰囲気とかそういうのを感じて支えてあげたくなるそうだ。やめとけやめとけ。
「今日はどうしたの? 偵察?」
「そういうわけではありませんが……そんなところですかね」
「どっちなのさ」
何とも歯切れの悪いマンハッタンカフェ。口数少ないのはいつものことではあるけれど。
「迷っていることがあるんです」
何に? と問いかけようとしたがやめた。聞くべきでない気がしたのと、もうすぐ出走だ。
「タキオンさん、大丈夫かしら」
「何回言ってるのさ。もう今できるのは心配じゃなくて応援だよ」
「……トレーナーは心配してないのね」
ダスカちゃんはそう言うが心配しているに決まっている、今のは自分に対する言葉でもあった。タキオンは理論派を気取っているが、菊花賞でマンハッタンカフェと競り合ったときから密かに、自分でも気が付かないくらいに勝利に貪欲になった。その結果が有マでの限界を超えた走りだった。
ゲートが開く。出遅れは無し、タキオンは良いスタートを切れた。それはこの場にいる全員が一緒で、さすが宝塚記念に出走できるだけはある。選ばれた優駿だ、まず大きく出遅れるだなんて考えられないしそんなことあったら前代未聞の大事件だ。
復帰戦であろうが関係ない。誰もが一番にアグネスタキオンを警戒し、対策を立て、絶対に勝つという意気込みで走る。ここで負けるなんてことは許されない。明らかにハンデを背負った相手に負けるわけにはいかないのだ。
「えっ?」
横から小さな声がした。ダスカちゃんが何かに驚いている様子だったが、何に対して驚いたのかは何となくわかる。
ゲートインしたときから僕には見えていたし、発狂したようにオタク特有の早口で誰に解説してるのかしらないが、まくし立て続けているデジタルや、カッと目を見開いて微動だにしないマンハッタンカフェなら僕なんかよりももっと明確に見えているはずだ。
そうだ、既に激しく戦いは始まっている。理論派がここに二人もいるのだ、レースの展開を握ろうと彼女らの脳内には無数の数式が流れては消えて行っているのだろう。
『エアシャカール三番手につけています。そのすぐ後ろにアグネスタキオン、序盤のポジション争いでこの位置となりました』
いい位置を取れた。これなら"条件を満たせる"
だがそれでも今のタキオンが勝てる可能性は限りなく低い。もしここで再び限界を超えた速度を出そうとした場合、再起不能となってしまうかもしれない。だがそれはタキオンも分かっているはずだ。だから彼女は新しい走りを試す、そういっていた。
「おおおお! タキオンさん前を塞がれたように見えて狙い通りのポジションをキープ! レース勘が鈍ってるかと思ってましたが全然ですねぇ! さすがですねえ!!」
「あ、エアシャカールさんちょっと険しい顔してるかも」
多分それいつもの顔だよとは言わないでおく。
「タキオンさんの切れ脚ならそのまま最終コーナーから一着になっちゃうかも!? タキオンさーーん! 頑張ってーー!!」
「でもでもシャカールさんだって狙い通りの位置のはず! さすがは準三冠バ! ああ、タキオンさんの煌めく白衣、また見られてこのデジタル。感無量です……」
「どっちを応援してるのさ」
「もちろん! ウマ娘ちゃん全員に決まってます! ああっ! いいですよ!! 2番と7番も競ってます、この顔!! 見ましたトレーナーさん!?」
「いつものことか」
タキオンの表情はこの距離からヒトである僕には見えない。いつものように飄々とした顔だろうか、それとも歯を食いしばり全力で走っているのだろうか。きっと後者だろうと僕は思う。
だって、あれほど美しい数式が砕かれ、崩されながらも形を取り戻して勝利への方程式を描こうとしているのだから。
「……タキオンさん、変わりました」
「え?」
「貴方と出会って、そして今……もう一度変わりました。ダイワスカーレットさんとの出会いは、……よほど特別なものだったようですね」
マンハッタンカフェはいつものように淡々としていたが、それでいてどこか嬉しそうな『音』がした。
「実は……海外に挑戦しようと思っていたんです。凱旋門に」
「バ群がぐっと縮まって……外からきた!! タキオンさんはここから一気に加速を……!? って凱旋門ェェ!?」
「ですが、……タキオンさんとまた走りたい。そして……私たちには相応しい舞台ってものがあります」
「それってもしかして」
ダスカちゃんが思い当たったような声を出す。
マンハッタンカフェはほとんどの出走レースが長距離という生粋のステイヤーだ。そして自分が最も得意としている長距離において二度、タキオンに敗れている。自分の大得意なフィールドで二度も土をつけられているのだ。だからこそ、執念がある。
「……今年の有マ。出走を、待っています」
タキオンが駆ける。だがエアシャカールがさらにその先をいく。
――きっと追いつけない。
それでも諦めずに、誰よりも速く走るために、ウマ娘の限界の先を見るために、それだけのことを考えて、頭を下げることなくきっと歯を食いしばり、ただ前だけを見て。
そして『無我』になった。
「やっぱり、タキオンさんも"一流"、です……!」
「……走りが!」
マンハッタンカフェが驚いたようにタキオンの走りが変化する。一歩、また一歩進むごとに無駄が無くなっていく。自らの体に適した負担の無いフォームに。体力消費を抑えたその走りは速度を維持しつつ、スタミナを微量だが取り戻していった。
これまでのタキオンは"領域"、つまりゾーンに入った状態になるとリミッターが外れたかのように火事場のバ鹿力のようなもので一気に加速していっていた。その姿が高速の粒子とたとえられていた。
しかしタキオンは変化した。復帰戦という大一番、追いすがっている状態だというのに変化を恐れなかった。
『さあエアシャカールが先頭! 後方集団も一気に動きを見せました、アグネスタキオン距離を詰めていくが苦しいか!?』
『後を追うアグネスタキオン! しかしそのままエアシャカールがゴールイン!! 続いてアグネスタキオン!!』
「シャカールおめでとおおおおおお!!!!」
「G1また勝ってくれてうれしいぞ!!!!!」
順位は変わらなかった。そのままゴールし、勝利したのはエアシャカールだった。
一昨年の菊花賞以来、勝利から遠ざかっていたエアシャカールに祝福の声があがる。厳つく、一見とっつきにくそうなエアシャカールだが、その外面とは反対にガチガチに勝利への理論を詰めていく姿をファンたちは知っていたからだ。
肩で息をしながらも勝利を実感し、歯をむき出しにして彼女は嬉しそうに笑った。
「タキオンありがとう!!!」
「今度は勝つ姿を見せてくれよ!!!!」
二着、タキオンにとっては初めての敗北。連勝を期待していたファンも残念そうな声を上げていた。だがそれもすぐになくなり健闘を称える声援へと変わっていった。タキオンは悔しさを滲ませながらもその声にこたえるかのように観客に向けて手を振る。
そして二人だけでなく、ほかの出走バたちそれぞれへの声が上がっていった。
そんな中、ダスカちゃんは声を出すこともなく、ただ悲しそうな表情で前を見続けていた。
「お兄さん……タキオンさん、一番じゃなくなっちゃった」
「うん」
「ねえお兄さん……。一番になるのって本当に難しいのね」
「レースに絶対はないからね」
よほどショックを受けているのだろう。僕への呼び方がお兄さん、になってる。幼いころから一番を目指して努力し続けて一番であり続けた彼女にとって、そうでなくなるということはそれほどのことなのか。自分ではなく、一番尊敬している、知っている中で『一番』に近かった先輩の身に起きたことであっても。
トレセン学園にやってくるのはそれぞれが地元での一番だった子ばかりだ。だから初めての挫折に心が折れて去っていく子は多い。そんな子を僕らトレーナーはたくさん見てきている。子供だから仕方のないことだが、自分が特別じゃないと気が付くのは、苦しい。
そう、一番になりたくて、一番になるための努力をして、結局そうはなれなかった思春期の子供は大なり小なり心に傷を負うものだ。――そう、僕のように。
「一番、なりたいなぁ」
ダスカちゃんの声が、やけに耳に残った。
◇
「ウ゛ウ゛ッ、ありがとう、ありがとう……」
二着だったのは残念だったが、まず無事に走りきれたこととブランク明けでも十分に戦えることが分かってほっとした。まだタキオンは走ることができる、もっと早くなれる可能性を示した。なら今日はこれで充分だろう。
ウイニングライブにて顔をぐしゃぐしゃにしつつペンライトを振るデジタルの横で、同じくペンライトを振りながら僕はそう思った。
チャンミ終わってデジたんを急いで育成しました。
●ダイワスカーレット
一番への思いがもっと強くなった
●アグネスタキオン
固有スキルが加速からスタミナ回復に変化しようとしている
●アグネスデジタル
ウマ娘ちゃん尊い、しゅき……
●トレーナー
そういえばダスカちゃんはなんで一番目指してるんだっけ?