「ああ! やっべぇ麦茶切れてたんだった」
「購買で買えばいいじゃない」
「わかってねえなあスカーレット。こだわりがあるんだよ、こだわりが」
「麦茶のどこにこだわってるのよアンタ……」
あの宝塚記念が終わってからしばらく、とても暑い夏がやってきた。ここトレセン学園では夏休みはあるものの、チームに所属しているウマ娘のほとんどは夏合宿で鍛えに鍛えることとなる。
本来メイクデビューも迎えていない私は参加できないが、チームに所属しているため参加することができる、とても楽しみ。ただタキオンさんはまだ調子を整えるところだし、デジタルさんはまだスランプから抜け出せていない様子。
合宿に向けて色々と買い物をしないと、ということでウオッカと町まで行っていた。コイツもなんだかんだチームに加入できたみたいで、夏合宿。必要そうなものをあーでもないこーでもない言いながら買ってきた。
「アタシはちょっと部室の方に荷物置きに行ってくるから」
「俺も。じゃあまたな」
ウオッカとの付き合いももう三か月ほどだったか、ライバル視している相手が同室ということでちょっと落ち着かないところもあるけれど、いい刺激になってる。ちょっと素行が悪いのが良くないけど。まあでもそれも可愛いもんで、お兄さんが言うには数年もすれば落ち着くタイプ、とのこと。本当かなあ。
合宿に必要な荷物も、ある程度まとめてトレーナー室に置いている。ほかのチームはどうかは知らないけれど、うちは結構綺麗目だ。タキオンさんもデジタルさんも、自分のものを好き勝手にするスペースを持っているから自然と必要なものしか置かれていない。
というかタキオンさんとマンハッタンカフェさんのあの部屋はなんなのだろうか。学校の施設を使えるというのはどういうこと? なぜかタキオンさんは妙にルドルフ会長から目をかけられてるそうだし、あの人は結構謎が深い。そういうところが格好いいのよね。
「この曲……」
トレーナー室に向かう途中、懐かしい音が聞こえた。幼い頃に子守歌代わりに聞いたこともあるヴァイオリンの音。今でもたまにせがんで聞かせてもらっていた音色に、自然と足が速くなる。
お兄さんはプロ級にヴァイオリンが上手い。比喩誇張全くなく、それこそその道でも有名な人から声がかかるくらいには、とはママが言っていた。更にお兄さんのお父さん(スカーレット家に婿入りしている)は1000年に一人の天才、であるらしくその才能を十全に受け継いだとか。それほど音楽の才能あるのに、どうしてお兄さんはトレーナーになったんだろうか。
部室が見えるところまでやってくると、その音色はもっとよく聞こえてきた。
やっぱりお兄さんの音は綺麗だなあ。
「こんにちは」
「……カレン?」
不意にかけられた声に振り向く。そこには私よりも小柄な芦毛の少女がひとり。
彼女は同年代のウマ娘の――いや、少女たちのあこがれの的なウマスタグラマー。それこそ私だって嗜みとしてちょっとはやっているけれど、そのなかでも頂点に近い一人。
その少女、カレンチャンはいつものような『カワイイ』笑みを浮かべてそこにいた。
「スカーレットちゃんもこのヴァイオリンに釣られてきたの?」
「アタシはこれ。この荷物を置きに来たの」
「そーなんだ! カレンはね、お兄ちゃんに会いに来たの」
「へえ、お兄ちゃんに。……お兄ちゃん?」
「でもお兄ちゃん、イジワルだからカレンのトレーナーさんになってくれなかったの……」
カレンが何か言っているが、全然頭に入ってこなかった。お兄ちゃん? 誰が? お兄さんが?
いや、お兄さんはお兄さんだからお兄ちゃんなのは何も間違ってはいないはずだけど、お兄さんがカレンのお兄ちゃん!?
突然の出来事に脳がショートしてテンパっていると、部室の扉が開いた。
「こんにちは、二人とも。部室の前で声がするっておもったら」
「お兄ちゃんこんにちは! もう、演奏やめなくてよかったのに」
「楽器やってる中、入っていきにくいでしょ」
「それもそっか。優しいんだね、お兄ちゃん」
「ちょ、ちょっとちょっと~~~~!!!!」
カレンのカワイイワールドが展開されるその前に割って入った。このままだといかにあのお兄さんと言えども、カレンのカワイイに脳を支配されかねない。それはいけない、とってもよくない!
「というか何!? 二人はどういうカンケイ!? アタシ知らないんですけど!!」
「関係、と言われても一方的に絡まれているというか」
「えー、お兄ちゃんはカレンの『運命の人』だよ?」
スカーレットちゃんには言ってなかったっけ? とカレンは言うが絶っっ対に聞いたことないし!
なんか入学してしばらくたった時から、あの有名ウマスタグラマーのカレンから結構話しかけられてちょっと疑問だったけれど、お兄さん繋がりだったか、全然気が付かなかった。
「いや、僕の運命の相手は君じゃないけど」
「いっつもお兄ちゃんはそう言う。カレン、ショックだなあ」
「事実だし……」
でも二人の様子を見る感じ、お兄さんの言う通り一方的に絡まれていそうな雰囲気だった。ちょっとほっとしたようなそうでもないような。
「外で立ってるのもなんだし、入りなよ」
「ありがとー♪ お兄ちゃん」
とりあえず部室に入って荷物を置く。お兄さんが冷蔵庫からお茶を出してくれた。この季節は本当に暑いから、とても美味しい。ちなみにこれはタキオンさんが色んな茶葉を配合して作った自信作とのこと。お兄さんが感動していた。こんなまともなものを作れるだなんて、とか言ってたけどお兄さんはタキオンさんに失礼過ぎない?
一息ついたところで、お兄さんに気になったことを尋ねる。
「それで? "お兄さん"は今日はどうしたの? ヴァイオリンなんて持ってきちゃって。そこにはベースまであるし」
そう。お兄さんはベースも弾けちゃったりするし、なんなら昔はバンドとか組んでたらしい。
だからといって部室に楽器を持ってきたことなんてなかったし、わざわざずっと楽器可、防音室完備(ウマ娘対応)マンションに住んでるから演奏に不自由していないはず。どうして今日はここに持ってきてるんだろう。
「ちょっと、呼び方」
「なによ、カレンはよくてアタシは駄目なわけ?」
「ここはカレンしかいないんだし、気にしなくていいよ。ね? お兄ちゃん」
「カレンもほら、こう言ってるし」
「……まあ、時間と場所はわきまえてね」
なんかカレンがお兄ちゃん、って呼んでいるのに胸がざわざわする。対抗心、ってわけじゃあないけどなんとなくお兄さん、って呼びたくなった。他の人の目もないし、カレンもカレンで何故かお兄ちゃん、って呼んでるから目をつぶってよね。
「で、お休みの日にわざわざ学園まで来てどうしてヴァイオリン弾いてるのよ。マンションは防音室だってあるし」
「理事長の依頼でちょっとね、レコーディングを」
レコーディング、なるほど。確かに楽器ができる身内がいるなら使うのもアリよね。道理で自分の扱える楽器を二つも持ってきていたわけだ。
けれど理事長直々の依頼ってどんな曲なんだろう。超演奏が上手い、とはいってもURAはずっとプロにそういうのは委託してきたし、本番で使われるってわけではなさそうだけれど。私の疑問はカレンも同じだったようで、お兄さんに聞いていた。
「へぇ! どんな曲なの? カレン、聴きたいなあ」
「まだ駄目、まあそのうち嫌でも聴くことになると思うよ。うん、びっくりするよ。きっと作曲者はワイン2本とか空けながら作ったに違いない」
「それ、曲として成り立つの?」
「成り立ってるのがすごいよね」
あはは、と苦笑いしていた。なんか挑戦的な楽曲なのかな? ウオッカが好きって言ってたシンフォニックメタルってやつとか? アイツ、そんな英語とかわかるわけでもないのにやけに洋楽聞いてるし(たまに歌ってるけどふにゃふにゃ英語で面白かった)
スピーカーで聞いててうるさいからアタシも音楽流して対抗していた。やっぱりお兄さん、バンドでのボーカルも上手い。そういったとこがボイトレに活きてるんだろうなあ。
「あ、ちょっと聞きたいことあるんだけど」
「なに?」
「なんでも答えるよ、お兄ちゃん」
「うまぴょいって、知ってる?」
うま……ぴょい?
「しらない。なにそれ、カレンは知ってる?」
「カレンも聞いたことないなあ」
「若い子でも知らないのか……うまだっちは? すきだっちとか聞いたことない?」
「いや若いって、お兄さんそう違わないでしょ。あとそれも聞いたことないわ」
「うまぴょいとは……一体……伝説って?」
ああ、お兄さんも苦労してるのね。
複雑な表情をしているお兄さんは見ていて面白かった。きっとあのちっちゃい理事長に「依頼! 演奏をよろしくな!」とでも急に言われて演奏したに違いない。理事長はやることなすこと全部急だし。
「ま、まあわからないもの考えても仕方ない。二人は今日の予定は? 僕はしばらくしたら帰るけど」
「カレンは予定ないけど……あ! じゃあお兄ちゃんの演奏聞きたい!」
「アタシも何もないからしばらくここにいるわ。お兄さんのヴァイオリン、聴かせてよ」
「はいはい。ちょっと腕は錆びついてるけど勘弁してね」
そうは言いつつもお兄さんの奏でる音はとても美しかった。繊細でどこか傷ついていても何かを頼りに立ち続けているような不安定さ。完璧じゃないからこそ、心に響く"世界で一番の音"
小さい頃のお兄さんの写真には目に光が灯っていたけれど、いつからか、私が生まれた頃には確実に目に光がない。お兄さんが音楽をやめた理由ももしかしたらそこにあるのかもしれない。
今は私の夢、一番になることを手伝ってくれているけど。いつかはお兄さんの心の支えになれるような、そんなお兄さんの一番になりたいって、強く思った。
3人だけの演奏会、門限が近くなり私達はトレーナー室を出た
「それじゃ二人とも気をつけてね」
「はーい! 今日はありがとねお兄ちゃん。また遊びに来るね!」
「あのね、僕のとこじゃなくて担当トレーナーのとこに行きなよ」
「えー……カレン、お兄ちゃんともっと仲良くなりたいのに」
うるうると上目遣いのカレン。普通の人なら男女問わずノックアウトされるようなカワイイカレンの振る舞いに、お兄さんは全く気にした様子もなかった。
二人の様子を見ていて、どこか既視感のような――
「ダスカちゃん? どうかした?」
「え!? なんでもないわよ」
「なんかぼーっとしてたけど」
「大丈夫! 心配しすぎ、じゃ、また明日ね!」
なんだかわけもわからず、ここから離れたくて駆け出してしまった。何かに気がついたような、謎の焦燥感。少し離れてから立ち止まり、胸に手を当てる。一体これは
「スカーレットちゃん」
「カ、カレン! なんで追いかけて!?」
「もう、カレンはスプリンターなんだから。この距離でスカーレットちゃんに追いつけないわけ、ないよ」
背後からさっき置いてきたばかりのカレンに声をかけられ、ビックリしながら振り向く。そこにはいつもの"カワイイ"姿にどこか陰があった。
「カレン、もっと可愛くなったよ。でもお兄ちゃんは全く意識してくれないの」
「あっ」
「仕方ないよね。スカーレットちゃんが相手ならかなわないもん」
違う。わかってしまった、さっきの既視感のようなものの正体。それに対する焦燥感の理由も。そして今感じる苦しさが何なのか。
「でも! もっとカワイイを極めたらきっと、お兄ちゃんはカレンを選んでくれるから。負けないよスカーレットちゃん!」
さっきの既視感は私とお兄さんとの関係に似ていたから。焦燥感は
◆
ずっと近くにいた。ずっと僕の"音"を褒めてくれていた。
(姉さん)
瞳を開けて、あの子に被るあの人を幻視する。
年の差というのは残酷だった。いくら大人になろうと背伸びしても、あの想いを音楽に乗せたとしても、結局のところ最初から僕は影踏みみたいに追いかけているだけだった。
デジタルはドバイで歴史的勝利を、タキオンは無敗で三冠を。G1に勝てなかった姉さんよりも僕の担当バは軽々と超えていった。
だとしても、僕の頭から彼女は消えない。僕の一番はずっと――
新年なので強引に投稿しにいきました。立て込んでて育成だけで精一杯ですが、今年もよろしくしていただけると幸いです。