いつも怒号が飛び交う道場がこんなに静まり返るのは割と珍しいことだ。それもこれだけの人数がいるにも関わらず声が僅かもあがらないのは、全員が見守っているからだ。
始めに気づいたことは───構えでも面構えでも動きでもなく殺気の『色』が変わったことだった。
俺を殺そうとしている──のではなく、そう、
動脈を切れば死ぬ、心臓を刺せば死ぬ、首の骨を折れば死ぬ……ではなくどうやったら俺の身体能力を著しく低下させられるのか、そんな殺人的というよりは破壊的な殺気が俺を包み始めたのだ。
『備えろ……
アギトさんのそんな声が届く。俺が構えたのはその声を聞いたのと同時だった。
間合いを詰める速さは先程と変わらない……でも、何かが違う…!
接近してくるアギトさんの肩の動き、足運びから次に来る攻撃は下アッパーと予想する。明らかにこれまでとは違う攻撃、倒すのではなく潰す、当てるのではなく貫く、拳からあふれ出る殺気がアギトさんの今の攻撃力を切に教えてくれていた。
よける……!!
迫る拳をいなすべく、合わせて右手を突き出す……が、
その拳がピタッと動きを止める。それがフェイントであることを理解すると同時に、視界の左側に映る
本能的に身をかがめて肘打ちを回避する。
しかしそれだけでは牙の攻撃は終わらない。
そこから始まったのは殴打、殴打、殴打と馬鹿らしくなるほどの拳の雨。
軌道が読めない……!!
俺は為す術なく腕を盾に、身を縮めて受けるしかない。
変則的な攻撃、というより
どんなにフェイントを入れても、リズムはある。どんなに変則的な攻撃でも対処のしようはある。……だがアギトさんの、『滅堂の牙』の攻撃はそんな話のレベルではなかった。
これが無形…!
アギトさんの真骨頂、『無形』。その正体は超変則的攻撃で相手を翻弄するスタイル……ではない。
アギトさんの攻撃が変則的で捉えられないのではない。俺専用に仕上げられたスタイルに俺が対応出来ていないのだ。
加えて明らかにさっきよりも攻撃は鋭くなっている。こんなものガードしているとはいえ何発も食らっていいものではない。
「くっそ……!」
思いっきり後ろに飛び、無理やりアギトさんから距離を取る。……追撃は、なかった。
「貴様はもう、俺に勝てない」
そこにあるのはアギトさんの勝利への自信、そして確信があったからだろう。
「……ふぅ」
正直ここまでとは思ってなかった。現時点で間違いなく俺より強い。呉一族でしごかれ、しかし屈強な男たちを打倒してきた俺でもこのままでは負けてしまう。
そう、
開いていた手の平を握りしめ、ゲンコツを作る。
「まだ、分からないですよ?」
さぁ、2回戦開始だ。
────────────────────
「どうですかな、滅堂の牙は……?」
滅堂は問いかける、かつてのパートナー恵利央に。
それはいったいなにを意図してのことだったのか。滅堂の表情には自分の部下が優勢であるゆえの余裕、はない。しかしその目には未だに何かを確信しているように二人の戦いを見ている。
「よもや滅堂の牙がここまでとは……」
恵利央が口にする。牙への賞賛を……そして
「まったく、
先程までの表情とは違い、余裕の笑みを浮かべていた。
「ほぅ?ずいぶんと余裕そうじゃの恵利央ちゃん♡」
その様子を見た滅堂は向きを変え、興味深そうに恵利央に視点を移す。その顔はまるで子どものようなワクワクを滲ませているように見える。
「雷庵の……あやつのスタイルは、組み技
「…やはり雷庵ちゃんも持ってるようじゃの
「……ふっ」
しかし恵利央は笑う。まるで見当違いなことを言われたことを嘲るように……。口調も自然と本来の話し方に戻っている。
その様子に、さしもの滅堂も表情が固まる。それは決して、雷庵がまだ手の内を完全に見せてないことだけが原因ではなかった。
(まさか恵利央ちゃんが、家族以外にここまで関心を寄せるとはのぉ……)
もっともそれを口にするとまだ怒らせてしまうので心に閉まっておく……どの道からかうネタにはされるのだが。
「……ふむ」
そして滅堂は今一度雷庵の方へ視線を戻し思案する。恵利央の反応の意味を調べるために。
手は、開手ではなくしっかり握りしめられている。それも、あの握り方は『打』に重きを置くナックラーの握り方。握り込む4本の指を上から抑え込むように親指を置く。
注目すべきはその姿勢。まるでこれから特攻するかのように前かがみになり、腰は深く落としている。
(スタイルは大きく変わるのは間違いないかの……)
「無駄だ、既に貴様の戦い方には適応した。如何な策を弄そうと俺を超えることは不可能だ!」
もはや、
勢いのまま放たれた右ストレートはダメージを全く感じさせなかった。
轟速で迫るその剛拳を……雷庵は、
「……ッッ!!」
正確には弾いただけでなく、使った拳をそのままアギトの顔面へ放ったのだ。
「こ、これはジークンドー???」
ふらついたアギトに、瞬時に間合いを詰め、凄まじい手数のラッシュを叩き込む雷庵。不意をつかれたアギトは流石に防戦一方になる。
ジークンドーの本意気、それは『最短で打つ』をセオリーとした超攻撃型の技術。雷庵はその『最短』で相手の攻撃を弾き、そのまま殴打に繋げることで実現していた。攻撃、防御を同時に行うため相手にはこちらの動きが体感よりも早く感じられる。その速度、実に2倍。
「その程度ォ!」
だが、攻撃をさばきながら打つというのは結果として威力を減退させてしまう。アギトは雷庵の攻撃に無理やり合わせ、右フックを繰り出す。
アギトの右フックを、雷庵はアギトの手首を支点に右肘で受け止める。
「なに!!」
驚愕の表情を浮かべるアギト。そこには数瞬の間が出来た。それだけの間があれば雷庵が右肘を打ち込むのに十分だった。
(あれは、ジークンドーではない…!)
驚いたのは滅堂も同じだった。
「ハッ!」
雷庵は掛け声と共に強く踏み込む。その踏み込みは道場を軽く揺らすほどの威力があった。
(あれは震脚……!中国拳法まで!)
踏み込みと同時に渾身の発勁をアギトの腹部へ叩き込む雷庵。体格に差があるとはいえ雷庵の発勁はアギトを軽く吹き飛ばした。
「ふぅ……」
吹き飛んだアギトを見て、一息つく雷庵。やってやったぞとしたり顔をする呉サイドと驚き一色に包まれた滅堂サイドで道場の空気は2分されていた。
「雷庵のあのスタイル、我々は『
滅堂に向かって、淡々と説明を始める恵利央。その表情は先程同様余裕に満ちていた。
「突出すべき点は2点。防御を攻撃の起点とする点と蹴りを使わない点ですな」
「ほぅ、蹴りは使わんと?」
「はい。その分腰を深く落とし、両腕で全身をカバー出来るようにするのです」
なるほど、と滅堂は思考する。アギトの攻撃にすらカウンターを合わせたのは蹴りを自ら封じ両腕での対応のみに集中していたからか…と。
「しかし……それ、今種明かしをしても良いのかの?」
滅堂の言葉に外面よく敬語を使っていた恵利央は、ニヤッと顔を歪めた。
「構わん。
そこにあったのは自信。雷庵にとって、その程度は障害では無いことを確信した笑みだった。
情報の開示をハンデと言いのける恵利央の自信に滅堂は目を見開き、驚いた。
(こやつにそこまで言わせるとは……)
「ま、あやつのスタイルには我々も
「いや、それはお前らが多人数でボコボコにしてこようとするからだろ……」
恵利央の言葉に、雷庵はこめかみに血管を浮かべながら返す。雷庵がこのスタイルを身につけた理由は至極簡単な話、自身を
「ホッホッホッ!雷庵ちゃんも苦労してるの〜」
雷庵の言葉に、大笑いする滅堂。その姿に雷庵は違和感を覚えた。
(なんでこの人はこんなに余裕なんだ……?)
雷庵が滅堂から感じ取ったのは余裕、というより不安を一切感じていない安心感のようなもの。
その答えはすぐに分かった。
「
声が聞こえてきた方を素早く振り返る雷庵。そこには先程自身の渾身の発勁で地に伏したはずのアギトが、何事も無かったかのように立っている姿があった。
「……マジかよ、少しは効いてると思ったんだがな」
「いや、効いてるぞ。この上なくな……」
雷庵の言葉を訂正するアギトだが、当の本人は全くその様子を感じさせなかった。むしろその獰猛な笑みはさらなる荒波を雷庵に予想させる。
「俺の発勁…割と奥まで押し込んだから脱力だけじゃ流しきれてないだろ?」
「あぁ…だから、後ろに飛んだ」
アギトの言葉を聞き、雷庵は納得する。どうやら一筋縄ではいかないことも。
「そりゃ結構。なら、今度こそ終わらせてやる!」
「いいや…終わるのは貴様だァ!」
再び床を蹴り、間合いを詰める二人。既に出会った当初の余所者感は無く、ただ純粋にお互いを相手として認めていた。
(いける!このままいけば勝てる!)
そしてここまでアギトの相手をして、雷庵は自身の力がアギトに通用することを確信していた。
お互いの拳がすれ違う瞬間、雷庵は腕を押し当てアギトの攻撃をズラす。イメージ通りの軌道を通り、拳はアギトの顔へと───
「!?」
そこで雷庵は驚愕の表情を浮かべる。それもそのはず、アギトの攻撃を逸らした瞬間、別の角度から拳が迫ってきたのだ。
(フェイントか!)
最初の拳はブラフ、あえて弾かせ、攻撃をかわしもう片方の拳で攻撃する。確かに雷庵の紫炎の対処法としては正しい。ゆえに…
「ふっ!」
アギトの拳を受け止める。雷庵が自身のスタイルへの対処法を知らないはずがなかった。
「フンッ!」
拳を掴まれ、膠着するのも一瞬。アギトは掴まれた拳を引き込み、膝蹴りを雷庵へ放つ。
(どう攻撃しようとやることは同じ!)
雷庵もほぼ同時にアギトに膝蹴りを仕掛ける。膝を押し当てるような軌道で。
その結果、アギトの膝蹴りは逸れ、雷庵の膝がアギトの腹部に刺さる。手も掴まれてるため、脱力による威力軽減も半減してしまう。
(足使っとるじゃん…)
先程の説明と違う光景に、滅堂はチラッと恵利央を見るが、恵利央は鼻で笑うだけであった。
後ろにぐらつくアギトに追撃せんと、再度拳を握り締める雷庵は気づいた。自身もアギトへ倒れ込むように前のめりになってることに。
理由はすぐに分かった。弾いたアギトの手が自身の脇を掴んでいたのだ。
(しまっ)
アギトは後ろにぐらついたのではない。本命は──
「ハァッ!」
バックスープレックス、投げ技であった。
肉を叩きつける音と木の板が割れる音が同時に響く。
受身を取り損ねた雷庵の肺から一気に空気が抜けていく。だが、雷庵はダメージを感じる間も惜しんで素早くその場を転がる。
雷庵がいた場所をアギトの薙刀のような蹴りが通過する。
(さすがに、あのサッカーボールキックは貰えないな!)
痛む身体に鞭を打ち、無理やり起き上がる雷庵。だが、休む間も与えずにアギトが迫る。
構える雷庵、アギトはローキックを放つ。
迫るローキックを肘打ちで迎え撃つ雷庵。
「くっ…!?」
重心を低くして受けたのに一瞬、ふらつく。
その一瞬の緩みを見逃すアギトではない。
今度は逆からのローキック。姿勢を崩した雷庵はかろうじて両腕を重ね、ガードする。
(まさか…)
アギトの下からのローキックは重心を低くしていた雷庵の上体を上にあげた。
すなわち、アギトにとって的が増える絶好のチャンス。
そこから雷庵を襲ったのは最初とは比べ物にならないほど鋭く、速いラッシュだった。
雷庵も急所は庇っているもののダメージの甚大さは目に見えてあきらかだった。
だが───
「カァ!」
アギトの上から大振りの拳に正拳で合わせ、カウンターを放つ雷庵。嵐のように降り注ぐ殴打に一筋の光を射し込むようにアギトへの反撃の一手だった。
「……」
「!!」
その反撃の拳はアギトになんてことなく掴まれた。初めから分かっていたかのようにアギトは雷庵の拳を受け止めた。
そして雷庵の拳を掴んだ手とは逆の手、その手は雷庵の腹部に
その刹那、雷庵は全身から血の気が引くのを感じた。知っていたからだ。加納アギトか持つ必殺技。その性質、その威力を。
「龍弾」
その言葉を耳にすると同時に雷庵の視界からアギトが消え去った。
────────────────────
「あにき!あにきぃ!」
その勝負は誰の目にも明らかだった。凄まじい勢いで吹っ飛んだ兄。倒れ伏すその姿からは生気を感じられない。
「あにき!あにき!あにきぃ!!!」
それでも声を発するのをやめらない。
私の兄は…………どうしてこうなってしまったのだろうか。
私がもっと強く止めていればよかったのだろうか。
加納アギトと戦う直前の兄の姿に敬愛とたくましさを覚えていた自分に心底腹が立つ。
目の前の兄はピクリとも動かない。もしかして…………
「ぁ……あぁ………………」
想像しうる最悪の結末に視界が歪む。兄が消える、兄のいない世界への恐怖で身体が震え始める。
「あにきぃ…………起きてよ………………」
涙ながらに言葉をつぶやく。もはや自分が何を思っているのかも分からない。ただ兄が助かればいい。ただ兄が生きていればいい。
「あにきぃ…………あにきぃ……………… 」
目から流れる涙が抑えられない。最も許せないのは自分自身なのに。自分なんて泣く資格がないはずなのに。
それでも兄を想って泣くのが止められなかった。
────────────────
だから、彼は
────────────────
敢えて
そんなことを思いながら恵利央は、目の前で『外し』た雷庵を見ていた。
虫も殺せないような優男から発されるとはとても思えない殺気。圧。死。おおよそ人が出すレベルとは思えないオーラがそこにはあった。
そのオーラに当てられてか。加納を除く滅堂の護衛者一同はすぐさま己が主を守るため雷庵の前に立ち塞がった。
「どけ。狙いは俺だ」
その言葉を聞いた護衛者はいつでも滅堂を守れるようにその周辺に飛び退く。
加納にこの舞台を任せたのはそれだけの信頼か。
「まさか、貴様がこれほどのものを持っているとはな」
「……」
加納の声に雷庵は答えない。理性を失っている?いや、それはありえない。
「……聞こえて「なぁ」」
加納の言葉を遮り、雷庵が口にする。
「俺、
その目には狂気など一切ない。あるのは純粋な勝利への自信だった。
「俺に……勝つ気か?」
「アンタには勝つ。それはついでだ。1番は…………」
そう言いながら妹バカは風水の方へ視線を送る。
「あいつの前ではもうかっこ悪い自分でいるのはやめることを心に誓ってるだけだ」
ボフンっと何かが爆発する音がする。戦場に長く身を置いてるゆえにそれが火器によるものでは無い事はすぐに分かった。というより、1名顔を真っ赤にして目を回してるだけなので気にしていない。
「とは言うものの、俺も限界だ。正直この状態を維持してるだけでもギリギリだ。だから───」
「次で決める」
そう言うと雷庵は思いっきり姿勢を低くした。準備運動でアキレス腱を伸ばすかのようなその構えに加納は顔をしかめる。
「こい」
加納ももはや多くは語らなかった。だがその表情には非常に獰猛的で、雷庵の全てを粉砕してやろうという意思すら容易く感じられた。
雷庵の構え的にうつのは
あらゆる武術、技術を吸収し続けてきた雷庵だからこそなせる複合技。
一瞬の静寂、だがその静けさも次の瞬間には破られた。
静寂を崩したのは無論、雷庵だ。
その静寂は、今度こそ間違いなく、爆発音によって破られた。
雷庵いわく『すごい速い』と『すごい衝撃』を重ね合わせたものらしい。
雷庵の技術力を結集したその技の名は───
竜巻のごとく回転しながら吹っ飛んでいく加納。雷庵は技の名を口にする。
二絶(風水命名)
2つの絶技の掛け合わせなので二絶。
知り合いのめちゃくちゃ足が速い一家や、漫画で見たボウリング玉を素手で割る空手家の技を雷庵なりに再現し、合わせた技。当初、名前はスーパーデストロイファストクラッシュと雷庵は名付けていたが流石に変えられた。