その後の私の見せ場――奉納演舞もつつがなく終わり、みんなで沢に降りて綿流しの締めくくりである
穢れ祓いとは、巫女が祭儀用の神聖な
雛見沢を守る神『オヤシロさま』は、すべての罪を赦し、祓う存在として今も村人たちによって畏敬の念をもって信奉されている。祭事を司る古手家の最後の一人でありその巫女たる私は、オヤシロさまに代わって村人たちを守り導く一種の象徴のようなものだった。
と、綿流しが終わった頃になって、圭一の姿が見えないことに気づいた。
「あれ? 圭ちゃんは?」
祭りに最後まで参加していた見物客たちも引け、人影もまばらになった薄暗い沢には私たち四人だけが残っていた。
「途中まで一緒だったんだけど、混雑ではぐれちゃったんじゃないかな……かな」
「圭一は今頃迷子の仔猫さんでみーみーなのです」
「もう、いい歳して世話の焼ける人ですわねぇ」
それぞれで勝手なことを言い合っているうちに、なんだかこのままお喋りを続ける雰囲気になった。
圭一も子供じゃないんだし、まさか先に帰ってしまうこともないだろう。そのうち戻ってくるかもしれないし、下手に動き回るよりはここで待っていた方がいい――そう判断した結果でもあった。
私たちは川原の手頃な岩の上に腰かけ、たわいのない談笑に華を咲かせた。とても楽しかった今日のことを振り返り、それぞれが感想を述べあった。
でも困ったことに、くすくすと笑いさざめきながらも、私はどうしてもレナが膝の上に抱いている大きなクマさんの方に目がいってしまうのだった。
じっと見ていては失礼な気がするし、なんだか哀しくなってくるだけだってわかっているのに、それでも目はいつの間にかクマさんの愛くるしい姿に釘付けになっている。……ああ、どうしてこんなにも未練タラタラなんだろう、自分でも嫌になる。
でも――私は夢想する。
もしも圭一があの時、レナにではなく私にクマさんをくれていたら、って。
それはたぶん
もしかしたらこれはもう決まっていることなのかもしれない。クマさんの行き先は偶然に左右されるものと思っていたが、そうじゃなくて必然に支配された領域だったとしたら――私にはお手上げだ。どうすることもできない。
それでも諦め切れずに想像してしまうのは、私が子供だからだろうか……。
私は実現しなかった未来を悔やみ、そして不満に思う。どうしてクマさんは私の膝の上にいないのだろう、どうして私がもらうはずのクマさんをレナが抱いているのだろう、と。
「――梨花ちゃん?」
その時だった。優しい笑みを浮かべたレナが私の方を見て、小さく首をかしげた。
「このクマさん、抱いてみたいのかな?」
おそらく私がじっと見つめていることに気づいたのだろう。彼女はこころよくクマさんを差し出してきた。
けれど……、
コレハレナノクマサン。
梨花チャンモ触ッテイイヨ。レナハ優シイカラ触ラセテアゲルヨ。
デモ返シテモラウヨ。コレハレナノダカラ梨花チャンニハアゲナイヨ。
どこからか薄気味悪く響いてきたその声を振り払うようにかぶりを振る。
そんなことレナは一言だって口にしてないし、思ってもいないはずだ。きっと私の醜い心が作り出した幻聴にちがいなかった。そうわかっていても、いや……だからこそ、私はクマさんに触ることができなかった。
「……いい。それはレナが圭一からもらったレナクマなのです。だからいらないのです」
ほんとうは触りたい……でも、レナの優しげな言動がすべて、敗者に情けをかける勝者の余裕ぶったものに見えてしまう。
最低だった。そんなことを考えてしまう自分が嫌で、そして哀しかった。きっと今の私はひどい顔をしていると思う。だから圭一に買ってもらった狐のお面で顔を隠した。
すると、こちらの心情を察したのか、レナはぽつりぽつりと話し始めた。
「……本当はレナ、これをもらってすごく嬉しかったけど、少し困ってたの。レナだけがもらっちゃったけど、本当はみんなだってこれをもらう権利があると思うから」
たしかにその通りだ。公正明大に考えるならば、私たちのうちの誰が圭一からクマさんを受け取ろうと構わないはずだ。レナがちゃんとそのことをわかっていたのを知って少し安心した。
そう考えていたのは魅音も同じだったのだろう。
「あはは。そうだよね、おじさんだって沙都子だって梨花ちゃんだって、圭ちゃんからすればみんな恩人だし大切な仲間のはずだもんね。ほんと言うと、じつはわたしもちょっとうらやましかったんだ。ね、触らせて?」
「うん。……ごめんね、魅ぃちゃん」
クマさんを受け取ってうひゃーとか言って抱きしめてた魅音が、びっくりしたようにレナを見返した。
「な、なんでレナが謝るのさ。やだな、べつに悪いことなんてないじゃん」
「そうかもしれないけど……そうじゃないかもしれないし」
「もう、圭一さんも罪作りな人ですわねぇ。この雛見沢きっての美女四人衆の間で板ばさみにされたのでは、クマさんも困ってしまいますわ」
沙都子の言葉に私たちはアハハと笑い合った。
このまま笑い事にして、私たちの間にたちこめている妙な空気を全部消してしまえたらどんなによかったろう。……だけどクマさんは現実にちゃんと存在していて、その大きさもあって異様な存在感を放つそれを、私はこの時ばかりは憎らしく思うのだった。その愛らしい姿を切り裂いて、すべての
「だけどさ、圭ちゃんはレナにあげるってみんなの前で言ったんだから、これはやっぱりレナのだよ。なぁに、わたしたちは他のもので今までの恩を利子つけて返してもらうんだから、気にしなくていいって!」
魅音の言葉は、まるで自分に言い聞かせているようでもあった。彼女だって本心ではクマさんが欲しかったはずだ。だけどこの場の空気に流れる嫌なものの
レナはうんと頷いたものの、どこかしょんぼりした様子のままだった。魅音だけでなく、私や沙都子にも気にするなって言って欲しいのかもしれないと思った。
私は口を開きかけて――でもすぐに閉じた。沙都子も自分からは言い出せないようにそっぽを向いていた。きっと私も沙都子も、魅音ほどにはオトナになれなかったのだ。
短い沈黙の間があり、それからレナがぽつりとこんな言葉を口にした。
「みんな、圭一くんのことが本当に好きなんだね……」
月明かりに照らされたその表情は、何かを吹っ切ったように薄く
「……そりゃ、好きか嫌いかって言われたら、ギリギリ好きってことになりますわ。同じ部活のメンバーですもの。ね、梨花?」
沙都子は強がりが過ぎて、聞いてるこっちが恥ずかしいくらいだった。
私もおずおずと頷くと、レナはくすっと笑い、それから魅音の方に矛先を向けた。
「魅ぃちゃんも圭一くんのことが好きなんだよね。仲間としてだけでなく――ね?」
「……ッ?! ちょ、レナ、な……な、なによいきなり……っ!!」
魅音はこれ以上ないくらいに動揺し、顔が真っ赤なのが夜目にもわかった。
「今の反応でもうバレバレなのです。魅ぃは隠すのがヘタクソなのです」
「…………っ……!!」
何か言い返してくるかと思いきや、魅音はぐっと口を閉ざし紅潮した顔をうつむける。
「おじさんは、う、……その、なんて言うか」
魅音はひどく恥ずかしそうに全身に緊張をみなぎらせながら、ぽつりと――けれどはっきりとした口調で言った。
「け、圭ちゃんのことが――す、好き……っ!! ……かもしれない」
……言った。あの魅音がこんなにもはっきりと。
私は驚きと同時に後悔を感じた。私と沙都子ももっと正直になるべきだったのだ。これじゃあまるで、魅音の方が好きって気持ちが上みたいに思える。すべてレナの思い描いた通りのシナリオになっている気がして悔しかった。だから問うた。
「……レナは? 自分は圭一のことをどう思っているのですか」
するとレナは照れたように微笑した。その恥ずかしそうな仕草は演技には見えなかった。
「レナも圭一くんのことが好きだよ。……だけどそれと同じくらい、今日みたいにみんなで過ごす楽しい時間が大好きなの」
それは拍子抜けするような答えだった。魅音の勇気を振り絞った告白とは全然違って、沙都子が強がってみせたのと同レベルの子供じみた発言。なんだその程度かって、思わず見くびった気持ちになる。
だがレナは困ったような笑顔を浮かべたまま、ぽつりと言葉を続けた。
「だから少し心配だな。レナたちみんなが圭一くんを好きでも、圭一くんは一人しかいないから……」
それを聞いた瞬間、私は。
ドクンッと心臓が脈打つのを、たしかに感じた。
だって、……それは最悪の状況じゃないか。
いや、そんなことはここにいるみんながわかっていた。でもけして口にできなかった。
だって私たち四人全員が求めても、クマさんは一つしかない。圭一もまた一人しかいないのだ。それはつまり――いつか必ず誰かが笑い、誰かが泣くことになるという未来の宣告に等しい。
そんな怖ろしい未来のことを、わかってはいてもこの場では絶対に口に出せるものじゃない。私も沙都子も魅音もそのことだけには触れないように、意識的無意識的に心に鍵をかけていたのに……。
その暗黙のうちの禁を破り、レナが口火を切った理由は明白だった。
ワタシダケハ違ウ。アナタタチトハ違ウ。
ワタシハクマサンヲモラッタ。
アナタタチヨリモ一歩リードシテイルノ。
ウフフアハハウフアハハハハッッッ!!
その声はいったいどこから聴こえてくるのか……
粘つく生ぬるい夜風にのって、寒気のするような嘲笑が辺りに響き渡った気がした。
月明かりの下、私たちはみんな黙りこんでうつむいていた。その気まずい沈黙を破ったのもまた、レナだった。
「……いつまでもみんなで、楽しく笑っていられるといいのにな」
それはひとり言のようで、相手に同意を求めるというよりも、自分自身に問いかけているような奇妙な響きを帯びていた。
「――だ、大丈夫だよ。うちらは最強にして最高の仲間たちじゃん! いつまでだって楽しく元気に遊ぶことが至上命題なんだから!」
魅音のその言葉は、ちょっと風に吹かれれば飛んでいきそうなほど空虚で、そらぞらしい響きでしかなかった。
だけどレナも沙都子も、まるで自己暗示にかかったようにパッと表情を明るくさせてそれに同意を示した。
「そうだよね。うん、変なこと言ってごめんね。わたしたちなら何が起こってもきっと大丈夫。だって仲間なんだからっ」
「オホホ♪ そうですわ、気弱になる必要なんてございませんの。ここはわたくしたち流に、いざとなったら部活で圭一さん争奪戦くらいの気概が欲しいところですわ!」
アハハ、うふふ、オホホ――
けらけら、ケラケラ、けらけらけらケラケラケラっ!
……私は唖然としてそんな彼女たちを見つめていた。
こいつら、正気か……?
今の話の流れで、どうしてそんなふうに納得したような顔ができるの? どうして笑えるの? ねえ、どうしてっ!?
――瞬間、ゾッとして全身が凍りついた。
三人の視線が、まるで示し合わされたように私一人に向いていた。
私は再び狐のお面で顔を隠した。そうすることで、突き刺さるような視線から逃れようとしていた。
彼女たちの目が何よりも
きっと誰も納得なんてしていない。ただ表面上の同意を得ることでこの場を取り繕おうとしているだけだった。実際はみんな腹に一物くわだてているのだから、いざとなったらこんな同意はまったくの無意味。全員がそれを承知の上で、ただこの瞬間の連帯感だけが求められているのだ。
それはなんて卑劣で、狡猾で、いやらしい習性だろう……信じたくなかった。大切な仲間だと思っていた彼女たちに、こんなにも汚らしい一面があったなんて。
でも、それはすべて私の勘だから、もしかしたら違うのかもしれない。わからない……わからなかった。私はただバカのふりをして、バカな笑顔を浮かべて、バカみたいに頷くしかなかった。
「もちろんなのです。ボクたちはずっと仲良しのわいわいニギヤカなのですよ。にぱー☆」
私の弱々しい笑みを嘲笑うように、生ぬるい夜風が暗い水辺を吹き抜けていった。