見なくてもわかる、羽入だ。
今回は眠ることで『力』を蓄えているはずの彼女が、今ここにいる理由まではわからなかったが。
私は振り返らずに言った。
「そうよ。このままじゃ魅音とレナは最後の最後まで圭一のことを心配して、自分たちの想いをきっとわかってもらえると信じて、バカみたいに優しく笑いながら、ほんとうにバカみたいに殴り殺されるのよ。大好きな圭一にね!
……そんなのひど過ぎるじゃない、やりきれないじゃない。だから私が止めるの。それは私にしかできないことだから。ねえ、そうでしょう? それが一番いいことにちがいないでしょう?」
羽入は無言だった。
私は自嘲気味に笑った。何もおかしなことなんてないのに、笑わずにはいられなかった。
その時ポツポツと小粒の雨の雫が上空から降りそそいだ。まるで泣いているように。
「この世界はもうダメ。最初からわかってたけど、全然ダメでくそったれの最低な世界なんだから……。きっとこれをやり遂げた後に私はまた殺されることになるでしょうけど、それでもかまわない。これだけ条件が最悪だと諦めもつきやすいわ」
羽入の姿は、暗い背景にまぎれていつもよりも一層ぼんやりとして見えた。彼女は悲しそうな眼差しのまま弱々しく口を開いた。
「でも、梨花が止めようとしても……。それに、圭一はもう……」
「いつかの詩音の時みたいに逆に返り討ちに合うかもしれないって? そうよね、たとえそうならなくて
「あぅ……?」
困り顔の羽入はまだわからないようで、しきりに小首をかしげた。
「だから。さっき言ったように私が圭一を止めることができたら、最低最悪なこの世界の結末を少しでもやわらげることができるでしょ。逆に失敗して私が圭一に殺されたとしても、私にとってそれで舞台はおしまい。このくだらない失敗作の世界からはおさらばってわけ。その後のことは――知ったことじゃないわ。どうせ私はもう死んだ後なんだし」
「……そんな……!!」
羽入は驚愕した様子で言葉を失った。彼女にとって今の私の言葉はありえない内容だったらしい。
しかしそれには私の方が意外だった。自分ではこれ以上ないくらいよくできた筋書きだと考えていたからだ。
羽入は珍しく勢いこんで口火を切った。
「そんなのはおかしいのです! 梨花の言ってることは、自分や周りの人たちの命を軽々しく弄ぶのと同じなのです! たしかにこの世界は数多ある無数の可能性の一つでしかないけれど、一つ一つはきちんと独立した世界であり、生きている人たちにとっては唯一のかけがえのないものなのですよ!! 梨花が死んだらそれでおしまいなんかじゃない。残された人たちの明日はその後もずっと続いていくのです!」
羽入がこんなに熱く語るのは珍しいことだった。
私は呆然としてその言葉を聞いていた。驚きもさることながら、彼女の言葉の内容にきょとんとしてしまっていたのだ。
こいつは何を言っているんだろう……? そんなわかりきったことを今さらこの魔女に対して真剣に必死に訴えようとするこの角の生えた女はいったいどういうつもりなのだろう?――と。
こちらとの温度差に気づかず、羽入はなおも言葉を続けた。
「梨花は生まれつきボクの姿が見えたり話せたりして、普通の人とは違う境遇にいました。この延々と繰り返す死の運命の中に幽閉されていることはきっと同情にも値するでしょう。
ですが、自身が人の身であることを忘れ、まるで生死を司る神の如き発言をするのは控えてください。いえ、そんな考えは捨ててください。それは梨花自身にとっても、また他の誰にとってもけして良いことではないからです。……わかってくれますか?」
ようやく羽入の
「……わかったわよ。たしかに不用意な発言だったかもしれないし、それは謝るわ」
そして次に、安堵の表情に立ち戻った羽入をキッと睨みつけた。
「だけどね、あんたが何と言おうと私の決意は変わらない。今ここで、私はこの世界を綺麗さっぱり完全に見限る! 二度とこんな不条理は認めない。この先にある悲劇の結末はこの手で変えてみせるわ! さもなくば、私の心はきっとこの哀しみの世界に殺されてしまう。私はこれからも運命と戦い続けなくてはならない身……たとえ何度この身が引き裂かれようとも、この心だけは! 魂だけはっ!! 絶対に護り通さねばならないのよ!!」
こちらの気魄を真正面に受け、羽入は怯えたように身を竦ませた。
彼女は何も言い返さなかった。いや、言い返せないのだ。
私の魂を失いたくないのは羽入も同じ――ならばこそ、こちらの優位はゆるぎなかった。
そう、重要なのは私の心……魂。転生の核となるもの。それを人質にとれば、たとえどんな暗愚な策を取りざたそうとも、彼女に反対などできるはずがないのだ。
「……梨花……」
羽入は哀しげに顔を歪め、その黒水晶の瞳に涙を浮かべた。
「ごめんなさい……」
それは意外であり、ごくつまらない反応でもあった。言い負かされたら泣くなんて、どこのクソガキだってできることだ。だから私の心は痛まなかったし、むしろ落胆したくらいだった。
「ごめんなさい……力になれなくてごめんなさい。無力なわたしをどうか赦してください。ごめんなさい、ごめんなさい……」
やがてその儚げな姿は、夜闇の中にまぎれるように消えてしまった。
いつの間にか本降りになった雨が、一人取り残された私を静かに包みこんでいた。