ひぐらしのなく頃に・絶 /小説Ver   作:soatok

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六月二四日 金曜日(3)

 雨で全身が濡れそぼつ前に屋根のせり出した玄関前に移動し、呼出チャイムのボタンに指を伸ばした。

 家の中にチャイムの音が響き渡り、しばらくの間があってから、ドアの向こうで悲鳴じみた声があがった。

「レナかっ!? し、しつこいぞっ、早く帰れよっ!!」

 どうやら圭一はレナが引き返してきたと思ったらしい。

 私はすっと息を吸いこむと、落ち着いた声色で言った。

「圭一、ボクなのですよ」

 戸惑ったような沈黙の後、恐る恐るといった声が返ってきた。

「……梨花ちゃん? なんで……一人か?」

「ボク一人なのです。嘘だと思うならそこから覗いてたしかめてくださいです」

 チェーンをかけたままのドアが薄く開き、隙間から圭一の怯えた顔が覗く。

 その手に悟史の金属バットが握られているのを見て、ハッと息をのんだ。まさかいきなり殴りかかられることはないだろうが……ここから先の駆け引きは、文字通り命がけであることを嫌でも思い知らされた。

 圭一は私の他に人影や気配がないことを確かめると、安心したように緊張を弛めた。だが警戒を完全に解いたわけではない。私はこれを機にと、あらかじめ用意していた言葉を口にした。

「ボクは圭一に大事なお話があって来たのですよ。中に入れてくださいです」

「だ、だめだ。ここで話せばいいだろっ」

「みー……。それでは『奴ら』に気づかれてしまうですよ?」

 圭一の顔色がサッと蒼褪めた。

 私はたしかな手応えを感じながら言葉を続ける。

「こうしている今も危険なのです。もしこんなところが『奴ら』に見つかったら大変なのです。『奴ら』には鍵なんて意味がないですし、捕まったらボクも圭一もひどいめに()わされるかもしれません……」

 その時にはもう圭一の顔から拒絶の色は消えて、代わりに焦りと恐怖が色濃くにじんでいた。

 ここまですべて私の思惑通りだった。そう、レナはもっとうまくやればよかったのだ。昔から言うでしょ? 押してダメなら引いてみなって。

『奴ら』という架空の敵を圭一は何よりも恐れているのだから、自分もまたそいつらに狙われているという同じ土俵に上がってみせることが一番効果的なのだ。もちろん圭一は簡単には信用しないだろうけど、少しでも手がかりが欲しいと思っているのだから、必ず餌に喰らいつく。

「だ、だけど、梨花ちゃんだって……」

 圭一は私をほんとうに信頼できるのか迷っている様子を見せたが、ここまでくれば後一押しだった。

「ボクは何もしませんですよ。もしボクが『奴ら』の手先だったら、こんなふうに一人で圭一の前に現れないのですよ。にぱー☆」

 私はその場でひらりと一回転して、自分が何ももっていない=無害であることをアピールした。ワンピースのスカートがふわりと浮いて素足にひやりとした夜風を感じたが、別々のポケットの中に忍ばせた二つの『武器』が音をたてることはなかった。

「……誰かにつけられてるとかは?」

「それも大丈夫なのです。誰にも見られないように秘密の抜け道から来たのですよ。でも、早くしないと見つかるかも――」

 私の言葉は途中で跡切れた。素早く鍵を外した圭一が一瞬だけドアを開き、私の体をかっさらうように中に引っぱりこんだからだ。

 ……びっくりした。玄関の上がり(かまち)の前で圭一の胸に抱き寄せられる恰好になって、私は不覚にも顔を赤らめていた。

「よかった。梨花ちゃんは『奴ら』のことを知ってるんだな? じつは今両親がいなくて、一人で不安だったんだ。……とにかく、俺の部屋に移動しよう」

「は、はいです」

 広く薄暗い屋敷の中は静まり返っていた。私はとことこと圭一の後をついていく。圭一の家に入るのはこれが初めてではなかったが、この世界では初のことなので、間取りを知っているような素振りは見せなかった。

 階段を上がり、板張りの廊下の先が彼の部屋だった。(ふすま)を開き、圭一が先に中に入った。

 敷きっぱなしの布団の上には多くの雑誌や漫画の他に、電話機の子機が転がっていた。きっと今しがたまで大石と連絡を取り合っていたのだろう。

「ごめん、散らかしっぱなしだったぜ……。すぐにここらへん片すから、ちょっと待っててくれよ」

「みー。お気づかいなくですよ」

 圭一はこちらに背を向けて床に散らばった物を片付け始めた。私はそんな彼の後姿を見つめながら、気づかれないようにニヤリとほくそ笑んだ。

 圭一はあまりにも無防備だった。何もかもが甘すぎる。私を簡単に信用して家に入れたことも、こうしてぶざまに隙だらけ背中を見せていることも。

 せっかくの護身用の金属バットだって、こうなっては無意味だ。幾度もの修羅場をくぐり抜け、あるいは敵に殺され、あるいは敵を打ち倒してきた私にすれば、こんな甘ちゃん一人をどうにかするなんて赤子の手をひねるようなものだった。ほら、こんなふうに……

「まだ散らかってるけど、てきとうにそのへんに――」

 ようやくこちらを振り向いた圭一の顔に、私はすでにポケットから出して構えていた催涙(さいるい)スプレーを浴びせかけた。

 圭一は何が起こったのか理解できなかったのだろう。ただ、容赦なく襲いくる眼球の痛みに呻きながら、その場にどっと倒れこんだ。

 金属バットを握る手の力が緩み、そこを狙って蹴り上げた。狙い通り手から離れたバットが壁際に転がっていく。これで彼の武器は無効化した。

 私は素早く次の行動を開始する。スカートの中に手を入れ、太ももに巻きつけていた皮紐をほどくと、それで圭一の両手首を固く結び合わせた。――それだけで制圧は完了した。

 あまりの呆気なさにそれまでの緊張がほぐれると共に、私は薄く微笑しながら相手の姿を冷たく見下ろした。畳の上に這いつくばる圭一は、もはや小娘にすら抵抗できない哀れなサンドバック同然だった。

 圭一はまだ完全には開ききっていない目でこちらを睨みつけ、苦痛に顔を歪めながら憎悪の声を吐き出した。

「り、梨花ちゃんっ――だましたなっ!!」

「くすくす……だましてなんていないのですよ。ただボクは――」

 私はもう片方のポケットから黒いケースにおさめられた注射器のセットを一本取り出した。キャップをはずし、注射筒(シリンジ)を軽く押しあげると、針の先端から薄黄色の薬液がぴゅっと飛び出した。

「圭一を救ってあげたいと思ったのですよ。にぱー☆」

 ようやく目が開いたらしい圭一は、私の手に握られた注射器を認めると露骨に怯えた表情を浮かべた。

「り、梨花ちゃん……。何だよその注射器は……?」

「言ったでしょう? あなたを救ってあげるの。怖いならお医者さんゴッコだとでも思えばいいわよ」

 そう――〝C120〟と呼ばれるこの薬液は、『雛見沢症候群』の重度発症者の錯乱を防ぐ効果がある。入江診療所の本当の姿である『入江機関』が歳月をかけて作り出すことに成功した一つの成果だった。沙都子は日に3度この注射が必要なので、うちには注射針共々薬液も常備されており、私が手にしているのもその一つを拝借してきたものだ。

 しかし、この投与によってほんとうに圭一が正常に戻るという保証はない。なぜなら圭一の病は、環境が精神に及ぼす影響によるところがあまりに大きいからだ。病巣は彼の怯える心の隙間にこそあり、いくら薬を投与しても環境を改善しない限り無意味――治癒には至らない。

 ほんとうはただ安心させてあげることが一番必要なのに、それとはかけ離れたこんな処置しかできない自分が歯痒かった。だが、たとえ一からこの病や薬のことを説明したところで、どうせ圭一には信じられない。それが信じる力を失わせる『雛見沢症候群』のもっとも厄介なところでもあった。

「――さ、お薬の時間よ前原圭一くん、お注射しましょうね。クスクス……」

 そんなふうにおどけてみせたのは、自分を偽るためでもあった。ふざけた役を演じることで、この身にのしかかってくる重圧から逃げたかったのだ。

 もしもこれでダメだったら、他に圭一を救う方法は残されていない。だが今のこの状態を考え合わせるに、成功する確率はきっと五分もないだろう……

 まるでこちらの方が追い詰められているような心地がして、注射器を握る手に汗がにじんだ。ぐっと奥歯を噛み締め、私は倒れたままの圭一に近づいた。

「や、やめろっ! やめろぉおおおおォォッ……!!」

 圭一は暴れもがいた。いくら両手を縛りあげているとはいえ、これでは注射した時に針が折れると面倒だ。私は再び催涙スプレーを構える。以前、別の世界で、噴射した中身が自分にかかるというバカな失敗を犯したので、今回はきちんと距離を測ることを忘れなかった。

「あんまり暴れると、もう一回この痛いスプレーをお見舞いするわよ! おとなしくして……お願いだからっ」

 圭一にこんなひどいことをしなければならないのは私だってつらい……だが、強くかぶりを振って情けを振り払う。

 圭一は催涙スプレーの怖ろしさが身に染みていたのか、すぐにおとなしくなった。私は彼の腰の上に(またが)ると、注射器の先端を頚動脈に当てた。ほんとうはどこに注射しても構わないのだが、首が一番薬の回りが早く確実なのだ。

 だが、その時の私はまだ冷徹になりきれていなかった。これは治療とはいえ、お互いにとって命懸けであることには変わりない。それなのに最後の最後で緊張の糸が切れて、油断していたのだ。

「ぁぐッ……!?」

 すぐには何が起こったのか理解できなかった。衝撃と激痛が同時に訪れ、目の前が真っ白になる。――圭一の膝蹴りが、私の脇腹に深く喰いこんでいた。

 激しく咳こみながら畳の上に投げ出され、壁に頭からぶつかった。その隙に立ち上がった圭一は歯で両手の戒めをむりやり噛み千切ると、自由になった両手で襲いかかってきた。

 スプレーは蹴られた際に手から離れて遠くへ転がっていたし、かろうじて持ち続けていた注射器もこうなっては意味がない。私は抵抗する間もなく圭一に押し倒され、形勢は完全に逆転した。

「……ッ!!」

 圭一は私の上に馬乗りになると、両手で首を絞めてきた。喉がすさまじい力で圧迫され、意識が一瞬で飛びそうになった。

 だが、今なら……!!

 小さな希望にすがり、私は全身の力を総動員して注射器を圭一の腕に近づけた。

 ……あと……少し――――!!

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