ひぐらしのなく頃に・絶 /小説Ver   作:soatok

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六月二四日 金曜日(5)

 どれだけの時間をそうして抱き合っていたのだろう。

 一時間かもしれないし、十分も経っていないのかもしれない。時間の感覚さえ希薄な満たされた空間の中で、私たちはただ互いのぬくもりを求め強く重なり合っていた。

「梨花ちゃん……教えてくれないか」

 不意にそんな声が耳に届いた。

 圭一は幾分、落ち着きを取り戻したようだったが、私はあまりの心地良さに微睡(まどろみ)すら感じていたので反応が遅れてしまった。ぼんやりと薄目を開けると、圭一は何かを決意したような強い目をしていた。

「『奴ら』はいったい何者なんだ? どうして俺が命を狙われなくちゃいけないんだ?」

 瞬間、ゾクリとしたものを感じて全身が強張った。この胸を満たしていた歓喜も心地良さも一瞬にして吹き飛んでいた。

 なんて愚かしいことだろう……すっかり失念していたのだ。

 私は圭一に接触するために、最初に大きな『嘘』をついた。そしてその『嘘』は無効になどなっていないのだ。

「……梨花ちゃんも狙われているんだろう?」

 私が答えられないでいたせいで、圭一の声には疑念の響きが混じっているように感じた。

 背筋を冷たい汗が流れ落ちた。

 嘘……嘘だ。私は彼に嘘をついたんだ。

 しかもそれは、回収のあてもない投げっぱなしの稚拙(ちせつ)なものだった。そう言えば圭一をころりと騙せるとは確信していたものの、その後のことなど一切考慮していなかった。己の詰めの甘さを呪ったが、すでに後の祭だ。

 だが、一つだけ言えるのは、あれは絶対に必要な嘘だったということだ。

 あれがなければ、今この瞬間は存在しない。『奇跡』も起こらなかっただろうし、そうなれば圭一の命すら危うかった。何よりも、私自身が先程まで感じていた幸福に充ち満ちた安らぎもまたなかっただろう。

 けれど今さら嘘だったなんて言えるはずがなかった。今もまだ奇跡は続いているとはいえ、圭一の心は完全に回復したわけではないのだ。

 そう、この瞬間の連続はすべて、圭一が私を『信じて』くれたところから始まった。その私が『嘘』をついていたなんて知られたら……

 ぶるりと肩が震えた。その最悪の想像がけして間違っていないことを、私は確信していたのだ。

 圭一はきっと、もう二度と私を信用などしないだろう。こんなにも固く抱き合っている私のことを突き放し、完全に『敵』として認識するかもしれない。そして精神異常を再発させた彼の手で私は今度こそ完膚なきまでに惨殺され、彼の命もまた尽きる――――

 ガチガチと歯が鳴った。玉のような冷汗が額いっぱいに浮かび上がっていた。

「や、『奴ら』は……その……」

 私は怖ろしくて言葉を続けることができない。下手なことを言えば、その瞬間に圭一に拒絶される。見捨てられる。彼が私のもとからいなくなってしまう――

 喪失することへの恐れが、あの大きな愛情を感じた後だったからこそ、強烈な恐怖感となって私を(さいな)んでいた。

「梨花ちゃん、怖がらなくていいんだ。頼りないかもしれないけど俺がついてるからさ」

 圭一はまだ私が『奴ら』に対して恐怖しているのだと勘違いしているが、それも長くはもたないだろう。早く何とかして言いつくろわねばならない。

 怯え、震えながら私は必死になって考えを巡らせる。だが、それは少し冷静になれば、考えるまでもないことだったのだ。

 

 嘘を――続けるしかない。

 

 無責任な選択肢によって適当な未来を選ぶのはゲームの中だけの話で、現実に私が選べる方法なんて、最初から限られているのだから。

 そう、私は圭一を失いたくない。やっと見つけたこの想いを――『奇跡』を、手放すことなど考えられるはずがない。そのためには……彼を『騙し』続けるしかないとしても。

 そして私は口を開く。震える口唇から『嘘』の言葉を紡ぎ出す。

「……『奴ら』はとても怖ろしい計画を企んでいるのです。詳しいことはまだ言えませんが、それが実現するとこの村は大変なことになってしまいます。『奴ら』はそのためにボクと圭一のことが邪魔なのですよ。ボクはその計画のことを知ってしまったからで、圭一は自分でも気づかないうちに計画の深い部分に関わってしまったから……」

 ああ、なんてヘタクソでめちゃくちゃな嘘の上塗りだろう。自分で自分をぶん殴ってやりたいくらいだ。子供だってこんなバカな話を鵜呑(うの)みにするものか……。

 しかし圭一はすべてを信じるだろう。他ならぬ私の言葉だからこそ、彼はけして疑うことなく受け入れてしまう。それが嬉しくもある一方で、ひどく恐ろしくも感じられた。

「梨花ちゃんが今は話せないというなら、それは聞かない。だけど……一つだけ教えてくれないか」

 真剣な眼差しに見つめられ、目を逸らしたくなる衝動を必死に抑えこんだ。面と向かって嘘をつき続けるのがこんなにも難しいとは思わなかった。それ以上に、好きな相手に嘘をつかなくてはならないということ自体が苦痛だったのだ。たとえそれが、相手のためを想ってのものであったとしても……。

 そして長い沈黙の後、圭一の口から発された言葉は――

 

「……魅音とレナは、ほんとうに『奴ら』の仲間なのか?」

 

 私の顔を白い閃光が一瞬だけ照らし出し、窓の向こうで激しい雷鳴が轟いた。

 その時私は返答に窮していた。それは一秒だって考えるまでもない質問だったにも関わらず、だ。返答できない自分自身にこそ私は驚愕し、恐怖していた。

 硬直し動けないでいると、手の先から寒気に似た冷たい感情が少しずつ忍び寄ってくるのを感じた。それは蛇のように巻きつき、絡みつきながらこの体を、心を窒息させるようだった。

 ……もちろん正解はNOだ。彼女たちに後ろ暗いことなど欠片(かけら)もあるものか。レナと魅音はただ心から圭一を心配し、怯える彼の力になってあげようと一生懸命なだけなのだから。

 しかし……ここで違うと答えるのは、あまりに危険だった。

 私は『奴ら』という言葉に今まで何の具体性も与えていない。加えて圭一の中で魅音とレナは、限りなく黒に近い灰色という段階だろう。つまり彼女らの無実を証明してしまうことによって、私の脆弱な『嘘』は崩れ去ってしまうかもしれない。そして同時に、私の『嘘』に真実味を加えるには、彼女らほどの適材は他にいないのだ。

 ――慌ててかぶりを振った。

 私は今……なんという恐ろしいことを一瞬でも考えてしまったのか。

 仲間を裏切り、いわれのない罪をかぶせてまで『嘘』を信じさせるなんて、そんなこと許されるはずがないのに……。

 その時ふと、どこからか声が聴こえてきた。

 

 ほんとうにそう?――と。

 

 ゾッとして全身が震えた。

 その声は紛れもなく私の本心を見抜いていた。

 凍えるように冷たい感情が心の中に渦巻いていた。それは悪夢のように体を包みこみ、氷でできた冷たい牙を私の心臓に深く突き立てた。

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