ひぐらしのなく頃に・絶 /小説Ver   作:soatok

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六月二五日 土曜日

 次の日は土曜日なので半課授業のみだったが、教室の雰囲気はいよいよおかしかった。

 いつもはむやみに騒がしい私たちのグループが、まるでお通夜(つや)のように静かだったからだ。

 圭一は今日も欠席……それは私が彼に指示したことだ。精神の平静を保つためにも、すべてが終わるまではうちから出ない方が安全と考えてのことだった。

 休み時間の控えめな喧騒から離れ、私は元気のないふりをして一人で席に座っていた。それでも登校しているメンバーの中で落ち着きを保っているのは、私だけだった。

 傷だらけの指先にたくさんの絆創膏(ばんそうこう)を張り付けたレナは、誰が何を話しかけてもずっと虚ろな様子だった。そんな彼女を心配そうに気づかうけれど無視され続ける魅音、わけがわからない様子でただオロオロとして何もできないでいる沙都子の姿は、ひどく滑稽(こっけい)だった。

 やがて二人は途方に暮れた様子で私の席に近づいてきた。

「レナさんったらどうなさったのでしょう……」

「絶対に変だよ……。ねえ、梨花ちゃんも何があったのか知らないよね?」

「……みー」

 こちらに救いを求めてこられても困る。そもそもこの状況下において、私にいったい何ができるというのだろう。何もできないからこそ私は、これまでずっと惨劇を回避できずにいたのだから。

 しかしこの世界では少し状況が違う。たとえ何かができたとしても、私は助け舟を出すつもりはなかった。

 なぜなら私は彼女たちの『敵』に回ったのだ。こうして姿を見せること自体、無用心な気がしないでもないが、こちらのアドバンテージは大きい――彼女たちはまだ私の裏切り行為を知らないのだから安全は揺るぎなかった。むしろ大きな秘密を私だけしか知らないということが、たまらない優越にすら感じられた。

 結局、魅音と沙都子は暗い影を引きずりながら各自の席に引きあげていった。それを見送りながら私は、密かに胸に抱いた『計画』について再び思索を巡らせた。

 明日の日曜日は休日、そして月曜日を数える頃には――すべてが終わっている。この手できっと終わらせてやる。

 そこからがほんとうの意味で私の戦いなんだ。その前哨戦《ぜんしょうせん》でしかないこれからの戦いに、容赦や情けなど不要。確実にやり遂げる意志と、結果だけが肝要だった。

 私はレナを、魅音を、沙都子を順に冷たく一瞥(いちべつ)する。

 そう、戦いはもう始まっている。それに気づいてすらいないあんたたちは、ぶざまに朽ち果てるという未来しか掴めない。

 だが私は違う。私は輝かしい未来を掴みとる――圭一と一緒に。

 口元が緩みそうになり、慌てて下を向いて顔を隠した。うつむくと長い黒髪がさらりと落ちて、机と私を結ぶ壁のように周囲を遮断した。

 昨日圭一に何度も触れられた自慢の髪だ。優越感はいよいよ高まり、この場で大声で笑い出したくなった。だがその衝動を抑え、完全に無表情に徹した。

 と――その時。

 ふとどこからか視線を感じて、私はギクリを身を竦ませた。

 ……気のせい?

 いえ……たしかに感じる。

 背筋を冷たいものが流れ落ちた。私は垂れ下がった髪の隙間から、ねばっこく絡みつくような視線を感じる方向にそっと目を向けた。

 離れた席に座り、先ほどまで魅音の執拗な問いかけを無視し続けていたレナ……。

 彼女は今、奇妙なことに頬を机にぺたりとつけて、横向きにねじれた首だけをこちらに向けた姿勢で座っていた。そして何を考えているのかわからない虚ろな――虚無を宿す瞳で。

 

 私のことを凝然(じっ)と見つめていた。

 

 どっと全身に冷や汗が浮かんだ。

 私は慌てて目を伏せ、彼女の方なんて見ていないぞというフリを続けた。

 だがもう遅かった。歯がカチカチと鳴り、体は抑えようもないほどに震えていた。

 なぜならたった一瞬だけ視線が交錯した時、レナは――ニヤリと笑ったのだ!

 ああ……見間違いだ! そんなはずがあるものか……!!

 視線など合っていないし、そもそも私が見ていたことすら彼女が気づくはずがない。だって私は慎重に、髪の隙間からほんの少しだけ、ちらっと見ただけだ。いくら勘がよくってもそれに気づくなんてありえないし、目が合って笑うなんて……そんなのただの思いこみに決まってる!

 けれどいくら否定しようとも、体から怯えが抜けきることはなかった。確かめたくても、もう一度彼女の方を見るなんて恐ろしくてできるはずがない。

 そうだ――考えてみれば、私は昨日、圭一に逢う前にレナに出逢っている。

 レナは私が圭一と接触したことを知っているのだから、当然あの後どうなったのか不思議に思っているだろう。

 だが私は彼女に何も伝えていない。事の顛末(てんまつ)を教えるどころか、一言さえも口をきいていないのだ。

 もしかして……レナの心の中は今、疑心暗鬼でいっぱいなんじゃないの……?

 そうだ、彼女はきっと私の裏切りを疑っている……!

 だけどまだ確信はしていないから、私の挙動をああして見張っているんだ……!!

 心臓が激しく早鐘を打ち、心臓が締めつけられるような恐怖感が押し寄せた。その頃にはもう、幻覚だと思っていたレナの不気味な笑みは、異様なリアリティを帯び始めていた。だって勘のいいレナのことだ。ほんとうはもうすでに確信にまで至っていたとしてもおかしくはない。

 いや、それならばもっと別の、何らかのアクションを起こすだろう。

 まだ大丈夫――少なくとも彼女が自分から魅音や沙都子に近寄らないうちは安全のはずだ。

 どうする……? 自分から話しかけて、適当な作り話でレナを煙に巻くことができるだろうか……?

 ちがう、だめだ、今頃になってからのこのこ近づくなんて、逆に怪しまれるかもしれない。墓穴を掘るような真似はぜったいにしたくなかった。

 もしここでレナどころか彼女たち全員に気づかれるようなことになれば、計画はすべて烏有(うゆう)に帰す。せめて今日、教室を離れるまではそうならないことを祈るしかなかった。

 

 

***

 

 

 だが、私の心配はどうやら杞憂だった。

 半課の授業が終了し、皆が帰途につき始めてもレナに動きはなく、他二人に何事かを耳打ちしたりという素振りもなかった。

 やはり先ほどのことは私の考えすぎだったのだろう。ホッと安堵すると共にあれほど怖がっていた自分が急に馬鹿らしくなった。

 当然のように部活の話題が誰かの口にのぼることはなく、私は幾分寂しそうな様子の沙都子を伴ってさっさと帰ろうとしたのだけれど、教室を出る直前になって魅音に呼びとめられた。

 直前まで魅音はレナに対し懸命に何かを誘いかけていたが、相手にされないので私たちに助けを求めたのだろう。レナに近寄るのは気が進まなかったが、不信がられないためには行かないわけにはいかなかった。

「ね、ねぇ、二人は今日暇? 今レナも誘ったんだけどさ――今日さ、みんなで圭ちゃんちにお見舞いにいかない? ほら……その、また風邪が悪化したのかもしれないし、様子を見にさっ」

 魅音は精一杯な感じの笑顔を浮かべたが、それを聞いた私たちもまた沈黙した。

 魅音は何もわかってない……私は内心の苛々(いらいら)を押し殺しぎゅっと口唇を噛んだ。 

 ――あんたのその優しさや仲間思いの行動が、今の圭一にとっては最悪の毒にしかならないってことがどうしてわからないのっ!?

 そう怒鳴りつけてやりたかったが、この場では耐えた。

 私は無言のまま他二人の反応を待った。レナは相変わらず席にうつむいて座ったままピクリともしない。沙都子もどう反応したらいいのか迷うように足下に視線をさまよわせていたが、やがて口を開くと消え入りそうな声で答えた。

「でも……圭一さんがご迷惑なさるといけませんし」

 沙都子はきっと恐れているのだ。最後に逢った時の圭一に拒絶されたことが忘れられず、この上お見舞いに行って門前払いをくらったら拒絶は確定的な事実として突きつけられるのだから、この反応は当然だろう。なんにせよ、圭一に近寄らないようにしてくれるならこちらとしても助かる。

 私は沙都子の言葉に便乗し、とっさの嘘を理由に断ることにした。

「……ボクも入江(いりえ)に検査のことでお呼ばれしているので、今日は残念ですけど……」

「そっか……」

 私たちもまたノッてこないので、魅音はいよいよ寂しそうに表情を曇らせた。

 これでいい、魅音の考えなしのふざけた提案はお流れになり、圭一も余計な心労にさらされることはないはずだ。

 安心してきびすを返そうとした、その時だった。

 それまでずっと沈黙を保っていたはずのレナがぽつりと――しかしはっきりとした声でつぶやいた。

「どうせ、圭一くんは誰にも逢ってくれないよ」

 全身が一瞬にして鋭い緊張感に包まれた。それほどに異様な気配――威圧感をまとったレナが、深く顔をうつむかせたままひどく冷めきった声で言った。

「――ね、梨花ちゃんもそう思うでしょ?」

 心臓がドクンっと跳ねあがった。

 なぜここで、このタイミングで、私に話を振るのっ……!?

「レナ、どうしてそんなこと――」

「魅ぃちゃんはちょっと黙っててくれるかな」

 レナは乱暴に魅音の言葉をさえぎると、ギロリと表現するのがもっとも近い目で私を見据えた。

「それとも圭一くん、梨花ちゃんには逢ってくれたのかな。……かな?」

 猜疑(さいぎ)に満ちた凶悪な瞳に射抜かれ、体が蛇に睨まれた蛙のように竦みあがる。完全に言葉を失った私をさらに追い詰めるようにレナは強い口調で続けた。

「ねえ、どうしてあの後何があったのか教えてくれないのかな? レナはずっと待ってたんだよ。昨日の夜も電話くらいできたでしょ? それなのに日の学校でもずっと梨花ちゃんはぜんぜん知らんぷり。おかしいよね。どうして何も教えてくれないんだろ……だろ? もしかして、何か言えない理由があるのかな?」

 レナは無表情に、けれど何かがキレた危険な目をしてこちらを見つめていた。あまりの重圧に全身が総毛立ち、体中が小刻みに震えた。

「そ、それは……」

 私はその時、あまりの恐怖に耐え切れず、すべてを告白してさらけ出したい衝動に駆られた。その方がこのままレナの静かな威圧感に窒息させられるよりは遥かにマシな気がしたのだ。そうだ、今ならまだ泣いて謝れば許してくれるかもしれない……。

 ――だが、危ういところでなんとか気を持ち直した。それは本当にギリギリの判断だった。

 落ち着け……今さら後戻りなどきくはずがないでしょう? 甘えを捨てなさいっ!

 大丈夫、レナはまだ確信には至っていないはず。きっと騙し通せる。諦めるな、今が正念場よ……!!

 怯む心を抑えつけ自分を鼓舞すると、私は困惑する少女のフリを続けながらたどたどしく口を開いた。

「今の圭一は、誰にも心を閉ざしています。ボクにも逢ってくれなくて……それがくやしくて、なかなか言いだせなくてごめんなさいなのです……」

 するとレナは不気味に微笑しながら、腰を浮かせて顔をグッと近づけてきた。吐息すら感じられる距離にまで顔を寄せ、恐ろしく無機質な目でこちらの目の奥を探るように覗きこんでくる。

 体中を這い回るようなその視線に怖気がはしったが、我慢して耐え続けた。

 レナのこの態度も何もわかっていないからこそだ。彼女流に精一杯の脅しを効かせただけのものだと思うと、すべてがお笑いぐさだった。耐えきってこの場を切り抜けさえすれば、私の勝ちは動かない――

 この時の私はまだ、竜宮レナという少女のことを心のどこかで見くびっていたのだ。しかし彼女の次の言葉によって、私は戦慄すると共にすべての余裕を剥奪された。

「梨花ちゃんは嘘をついてる気がするな。だって、それならどうして梨花ちゃんはさっきからずっと『笑って』いるのかな……かな?」

「……ッ!?」

 私はもちろん笑ってなどいない。心の中では嘲笑していても、それがけして表に出ないようにしていた。何よりも百年もの間培ってきたこの私の――『古手梨花』の仮面がそう簡単に見抜かれるはずがないのだ。

 それなのに……まさかこの女は、相手の心の中が見えるとでも言うの? そんなバカなッ……!?

 完全に色を無くし、戸惑い焦る私を見て、レナの表情がニンマリとした不気味な笑顔に変わった。

「ほうら。どうしてわかったのって、梨花ちゃんのかぁいいお顔に書いてあるよ」

 ブラフ――はったり……ッ!?

 気づいた時には遅かった。私は充分に態度で肯定してしまった後だった。

 レナは私を睨みつけながら狂ったように笑い声をあげた。

 ケタケタ、ケタケタケタ――!!

 レナの狂ったような笑みが何よりも恐ろしくて、思わず一歩後ずさった。

 もうダメだ……この女を(あざむ)くなんて、私には荷が重すぎたんだ……!!

 ――が、その時だった。

 救いは思わぬところから差し出された。

「レナ、やめなっ!!」

 魅音が珍しく怒った顔でレナを怒鳴りつけたのだ。

 強い意志のみなぎる真剣な眼差しでレナを見つめながら、魅音は続けてこう言った。

「二人に何があったのかは知らない。だけどね、あたしの前で仲間を疑うまねは許さないよっ!!」

 唖然とする私の眼前で、すぅっと生気が抜け落ちたようにレナの顔からすべての表情が消え去った。

 まるで時空が歪んだような不安定な空気と重苦しい沈黙が場を支配した。誰もが口を開けないでいると、レナが不意に席を立った。

「……わたし、先に帰るね」

 それだけを言い残し、レナはふらりと立ち上がると教室を飛び出していった。

 後に残された私たち三人は、言葉もなくただ立ち尽くしていた。重い沈黙の中で、沙都子がついに耐え切れなくなったように声をあげた。

「圭一さんだけでなくレナさんまで……。いったいどうしてしまったんですのっ……!?」

 その大きな瞳から溢れだした涙を拭いもせずに沙都子は叫び続ける。

「どうしてっ? こんなのおかしいですわ……! 返して――楽しかった毎日を返してっ!! わたしに、みんなに、返してよおぉっ……!!」

 魅音が口唇をきゅっと引き結んだまま、何かを堪えるような表情で私と沙都子の頭をぐしゃぐしゃと撫ぜた。それから腰をかがめ、私たち二人の体を包みこむようにぎゅっと抱きしめた。

 魅音だってきっと泣きたいのは同じに違いない。だけど年下の私たちの手前、無理をして哀しみに耐えているんだとわかった。

 この時の彼女の優しさは、敵に回ったはずの私の決心を揺るがすほどに心を打った。

 しかしそれでもなお、私は溢れ出そうなほどの昂揚感によって頭の一部が麻痺するような感覚にとらわれていた。

 勝った……私は勝ったんだ!

 からくもこの場を切り抜けることができたことは、まぎれもない勝利だった。高らかに快哉の声をあげ、大声で笑いだしたかった。しかも期せずして、彼女たちの中に不信と不和を植えつけることができたのはひじょうに大きい。

 私は今、間違いなくツイている。幸運はすべて私に味方し、『奇跡』すらも微笑みかけてくれる。ゆえにこの勝利も必然であり、最初から怯える必要なんてどこにもなかったんだ。

 そう、この調子で私はきっと最後まで勝ち続けてみせる……!

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