ひぐらしのなく頃に・絶 /小説Ver   作:soatok

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六月一三日 月曜日(1)

 朝、着替えと質素な食事を済ませた私は、ランドセルを肩に通すと玄関の前に立って清涼に澄んだ空気を胸いっぱいに吸いこんだ。

 落ちこんでばかりはいられない。早くこの世界のことをよく知る必要があるのだから。

 沙都子と一緒に通い慣れた田舎道を歩きながら、ぼんやりと景色を眺めた。学校へと続くこの道を、幾つの世界の中で何千回たどったことだろう。途中にある古びたポストも、電柱も、木々の織りなすちょっとした景観も、何も変わらない。

 この世界では初めての登校だが、感慨というほどのものはない。

 だが同時に、これほど学校が待ち遠しいと思ったこともまた、なかった。

 この世界のことはまだよくわからないが、何よりもまず確認しておきたいことがあった。そう、転生した私が最初に知るべき重要なポイント――それを早く確かめたくて、週明けのこの日を私は心待ちにしていたのだ。

 この胸に宿る大きな希望。

 それは一つ前の世界で起こった『奇跡』の存在だった。

 そう、あのほんとうならゼッタイにありえない現象が、この世界の彼――前原圭一(まえばらけいいち)にも同じように起こっているのか。いや、彼に限らず仲間の誰でもいい、誰かが『奇跡』を体現しているのかどうかを知りたかった。

 ありえないことが起こったということは、私がそう思いこんでいただけで、実際にはありえることだった――それを早く証明して、希望のコインを上乗せしたかったのだ。

 こんなことを()()に言ったら、サイコロの『七の目』に期待するようなことだと言ってきっと私を(いさ)めるに違いない。期待なんてやめろって、どうせ裏切られ傷つくことになるって。彼女はいつもそればかりを繰り返す。でも、すでに七の存在を知っている私に期待するなと言う方が無理な話だった。

 それに……昭和五八年六月という私を縛りつける運命の牢獄から抜け出すためには、その『七の目』でも足りないのだ。

 だって前回は、そのおかげでこの百年の中で最も惜しいところまでいった気がするのに、最後の最後になって失敗した。わかったのは、六の目が続けて出るような幸運は当然として、その上に七という奇跡の目が加わり、さらには八や九がなければ、脱出はきっと不可能だということだった。

 でもたとえ気が遠くなるような幸運の連鎖が必要だからって、私は絶望なんてしない。

 奇跡は必ず起こる――信じることで、そして戦い続けることで。

 誰かがそう教えてくれたから、私はけして諦めたりしない。

 だからどうか……『七の目』を再び私に見せてください。神さまでも仏さまでもオヤシロさまでも、誰でもいいから……

 

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 しかし教室中が活気に満ち溢れる昼休みの時間になっても、私はまだ確信と安心の両方を得ることができないでいた。

 そもそもそれを確かめるためには、何か大きなきっかけとなるものが必要だった。だがそんなものが今この瞬間に都合よく転がっているはずがない。私はその時点からすでにつまづいていたのだ。

 みんなで机をくっつけ合って、色とりどりのお弁当箱が花ひらく楽しいはずの昼食の時間だというのに、私は沙都子の手作りお弁当を美味しくいただけない。あの子にしてはめずらしいくらいきれいにできたたまご焼きが可哀想だった。こんなのはいけないと思いつつも、気持ちはどんどん暗くなっていく……。私の箸は遅々としてすすまなかった。

 とその時、

「いただきっ! フハハ、油断大敵だぜ梨花ちゃんっ。モグモグ……ん、んまいっ!」

 ちっとも減らない私のお弁当箱からたまご焼きをかっさらっていったのは、圭一だった。

 前原圭一は都会から転校してきて間もないとは思えない適応力で、クラス全体だけでなく一癖も二癖もあるこの部活メンバーに違和感なく溶けこんでいる猛者(もさ)だ。少し図々(ずうずう)しいくらいにさっぱりした性格だが、意外に鋭いところもあって、今もきっと私の元気がないことに気がついてちょっかいをかけてきたに違いない。

「じゃ、おじさんは圭ちゃんの唐揚げをいっただきぃ~」

「うおっ!? 何っ、きさま魅音(みおん)っ! その箸さばき、タダ者ではないなっ!」

 ちんっちんっと箸の攻防戦で火花を散らす二人。

 私たちのリーダー的存在でクラスの最年長でもある園崎魅音(そのざきみおん)は、今日も元気いっぱいの笑顔を浮かべていた。面倒見のよい彼女のことだ、きっと私に対する圭一の何げない気づかいを察して、場を盛り上げることに加担してくれたのだろう。

「魅ぃちゃんも圭一くんも、ふたりともお行儀が悪いよ。年上なんだから、沙都子ちゃんと梨花ちゃんがまねするといけないと思うな」

 優しい笑みを浮かべながら場を(さと)すのはいつも彼女――竜宮(りゅうぐう)レナの役割だ。おっとりと言うかほんわかと言うか、見かけはいかにもグズそうなのに実は一番のしっかり者だったりする。彼女もまた私の心配をしていたのか、目が合うとにっこりと微笑んできた。

「いやですわ、レナさん。お上品さにかけては雛見沢随一のこの北条沙都子さまがそんな野蛮なまねをするものですか。オーホホホっ♪」

 そして私の一番の親友である北条沙都子は、いつものおかしな言葉づかいと共に高らかに笑った。

 彼女もまた元気いっぱいで、往時の頃の暗い影など微塵も感じさせないほどだった。沙都子に元気な笑顔があるというだけで、私はまだよく知りもしないこの世界をいい世界なのだと思うことができるのだった。

 これが私の大切な仲間たち――笑顔に包まれた華やかで楽しい日常が私の最大の宝物だった。そして、一番(まも)りたいものでもある。

 私はなんだか温かいきもちになり、不安も忘れて自然と笑顔を浮かべていた。

「みー。だけど沙都子はナイフとフォークの使い方を知らないエセお嬢様なのです」

「なっ……!? り、梨花っ、よけいなことをっ!」

 さっと蒼ざめた沙都子に隠れて私はチロッと舌を出した。

「ほほぅ、それはそれは……。ならばお上品な沙都子さまに()いてみようかなぁ? 右手にもつのはナイフとフォークどっちだ?」

「う……、それはもちろん……ナ、ナイ――いえ、フォー……」

「え? え? どっちだって?」

 圭一がいやらしく追求するものだから、沙都子の大きな瞳が少しずつ潤み出した。

「……ふ、ふゎああああんっ! 圭一さんのバカぁ!」

 沙都子はついに泣き出してしまった。まあ、ウソ泣きだって私はわかってるけどね。

 そして次の瞬間、

「さ……ささ、沙都子ちゃんが泣いてるぅ♪ か、かぁいいよぅ! お、おおおお、お持ちかえりぃぃぃっ♪」

 スパパパーンッ――――!!

 電光石火に繰り出された必殺の一撃――通称『レナパン』が炸裂し、圭一は椅子ごとひっくり返って床に撃沈した。

 そして『かぁいいモード』に突入したレナが沙都子を小脇に抱えて暴走を始める。こうなった彼女はもう、誰にも止められない……。

「……い、いつものことながら、影すら見えないね……レナパン」

 魅音がゴクリと唾をのみこんだ。

 床に倒れたまま鼻血だくだくの圭一が、なぜか少し幸せそうにつぶやいた。

「は、初めて、見えた……。最後は、ひ、膝……色は――白っ!!」

「……色って何さ?」

「れ、レナ……ぱん、つ……」

 ……バカだ。この助平(スケベイ)男はまったく……。

 とりあえず、私と魅音は苦笑を交えながらトドメの蹴りを入れておくことにした。

「ぎゃぁああああっ」

 ああ、これが私の運命に対するキーカードかと思うとなさけなくなる。圭一の断末魔の声を聴きながら、私は額に手を置き深々と溜息をついた。

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