ひぐらしのなく頃に・絶 /小説Ver   作:soatok

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六月一三日 月曜日(4)

 羽入は夕食が済むと早々にまたどこかに姿を消してしまった。

 私は沙都子と一緒にテレビの歌番組などを見て寝るまでの時間を過ごした。それから二組の布団を並べて敷いて、部屋の電気を消したのは大体いつもと同じ一一時前のことだった。

 タオルケットに潜りこんで目を閉じても、なかなか眠りは訪れなかった。おしりの痛みはずいぶん引いたし、それが理由じゃない。

 私は似合わない物思いにふけっていたのだ。

 より正確に言うならば……圭一のことを考えていた。

 今まで数え切れないほどの世界で同じ時を過ごしてきた仲間――前原圭一。しかし私は今日という日まで、彼に対して『仲間』という言葉以外の特別な意識を向けたことはなかった。

 たしかに圭一は一月ほど前に雛見沢に転校してきたばかりの来訪者であり、そういう意味で他の部活のメンバーとは違う。沙都子の兄――悟史(さとし)が失踪してからは蒼一点の男子部員でもあるし、また前回の世界では常識的に起こりえない『奇跡』を体現した唯一の貴重な人物でもある。性格も顔も特別悪いということはない。一緒にいるととてもおもしろい奴だし、たまに暴走はするけれど、それなりに頼りになるところもあると思う。

 だが、それでも私にとっては世界を構築する一つの『駒』でしかなく、ただその時々により厄介の種となったり運命を切り開く鍵となったりする、危うくも魅力的な役割を果たす存在、というくらいの認識しかなかった。

 でも今日、初めて等身大の古手梨花が接した前原圭一は、どこか違った。

 どう言ったらいいんだろう……とても温かかくて、そして大きかった。

 百年もの長い時間を生き続ける魔女の私が年老いて成長するのは、この肥大した醜い自意識だけだ。それがすごく嫌で、いつ頃からか心だけじゃなく体も大人のつもりになっていた。密かにワインなんて(たしな)むようになったのもきっとそのせいだろう。だけど実際はやっぱり小娘でしかない私は、今日になってやっと自分のほんとうの体で、心で――圭一という存在に触れた気がするのだ。

 あの大きな手に触れられた肩の辺りが熱くなった。私のことを本気で心配してくれた圭一。その温かな気持ちを思うと、体に震えがはしるほど嬉しかった。

 この私が自分の運命や世界のこと以外で物思いにふけるなんて滅多にあることじゃない。それが今夜はこれほどに誰かのことを想い、あろうことか布団の中で身悶えちゃったりなんかして、自分でもおかしかった。

 私のことを想ってくれた彼。そんな彼のことを、私は想う……

「ふふ」

 思わず口から笑みが洩れる。沙都子に聴かれていないか心配に思ったが、たぶん大丈夫だろう。あの子はもう眠っているはずだから。

 だが、その時だった。

「――ねぇ、梨花。圭一さんのこと、どう思います?」

 そんなふうに彼女がいきなり話しかけてきたので、心臓がドキンッと跳ね上がった。しかもピンポイントでこちらの考えていたことを指摘してくるものだから、「すわ、この世界の沙都子は読心術を心得ていますですかっ!?」と叫びそうになる。

 もちろんそんなはずがなくて(落ち着け、私……)、きっと沙都子も今まさに圭一のことを考えていて眠れずにいたという、ただそれだけのことだった。

「……ど、どうって。圭一は圭一なのですよ」

 慌てていた私はそんなつまらない言葉しか返せなかった。暗闇の中で沙都子がくすりと笑った気配がした。

「梨花はいつまでも経ってもお子さまですわねぇ」

「むぅ……。何を言うのです。ボクは立派なオトナのレディなのですよ」

 正真正銘のお子さまである沙都子にお子さま呼ばわりされる筋合はない。私にだって魔女としてのプライドがあるのだ。

「ふふふ。それはごめんなさいませ」

 彼女の余裕ぶった態度が気に入らなくて、私は嫌な感じを拭えなかった。

「……何? 圭一をどう思ってるのかってことと、私がお子さまなのとどう繋がるわけ?」

 こちらの声が変わったせいか、少し戸惑ったような間があった。それから沙都子は答えを寄こす変わりに、同じ質問を返してきた。

「それじゃ、もう一度訊きますわね。梨花は圭一さんのことどう思っていますの?」

 どうやら自分で考えろってことらしい。

 しょうがない……私は再び圭一のことを思い浮かべた。

 おもしろくて、ちょっとオバカで、えっちで、たまに頼りになって、それから……こちらのつまらない思いこみなんかも本気で心配してくれる、とても優しくて温かな人――それが前原圭一だ。

 ここまでわかっていれば後は簡単でしょう?

 私は、そんな彼のことが……

「…………うっ…………」

 心の中である一言を思い描いた瞬間、体全体がふわふわとした妙な心地に包まれていた。なぜだかすごく恥ずかしい。それはとても不思議な感覚で、頬がカァッと紅潮し、耳まで熱かった。

 私は初めての感覚に戸惑うばかりで、結局、結論を口にすることができなかった。

 そんなこちらの様子を知ってか知らずか、沙都子が苦笑を洩らした。

 タイムアップ……

 自分が思っていた以上に、私はお子様だったようだ。

「ねえ、梨花は今まで気づきませんでした? レナさんと魅音さんのお二人は、きっと圭一さんのことがお好きなのですわ」

「ふぇ……?」

 唐突なことを言われて一瞬理解が遅れたが、すぐに理解した。

 それはたしかにそうかもしれない……レナの方はよくわからないけど、数多の世界で散見された事実から類推するに、魅音が圭一に片想いしてることはまず間違いない。ただそれは世界を構築する無数の情報(カケラ)の一つでしかなく、私にとってそれほど重要度が高い事柄ではないと思われたので、あまり印象には残ってなかったのだが。

「それが、何か関係があるのですか?」

「もう、だから梨花はお子さまだと言うのですわ。思い出してごらんなさい、魅音さんのあの、衝撃的スペクタクルを誇る豊満なスタイル! レナさんのおっとりとした、それでいてしっかりとした母性! どちらも年齢にそぐわない成長っぷりだと思いませんこと?」

「……み、みー。たしかにそう言われてみれば……」

「お二人はたしかにわたくしたちからすれば年上の御姉様(おあねえさま)ですわ。けれどそれだけじゃ、あの犯罪的スタイルと完成された情愛の深さは説明がつきませんことよ。そして――わたくしが思いますに、その秘訣は一つしかありませんの!」

 ゴクリ……無意識のうちに私の喉が鳴る。

 そして沙都子は高らかにこう宣言した。

「それは恋ッ――!! 恋する乙女が完全無敵で規格外で常識破りなのは、古今東西に通ずる絶対的真理なのですわっ!!」

 ……沈黙。

 えーと……まじで? なにそれ常識なの?

「そ、そういうものなのですか?」

 戸惑いながらそう問いかけると、

「当然至極でございましてよっ!! オーホホホ♪」

 と沙都子はなぜか勝ち誇ったように高笑いをあげた。

 ……えー、じゃあつまり、私のココがペッタンで、性格もタヌキ呼ばわりしかされないのは、今まで恋していなかったからということ……? なんだかすごいショックなんだけれど……

 こちらの心を読んだように沙都子は高笑いを続けた。

「オホホっ♪ ようやく気づきましたこと? 梨花が心身ともにお子さまを抜け出せていないのは、ひとえにそういうことでございましてよ!」

「うぅ……なんかゼッタイだまされてるような気がするのに、否定できないのです……」

 と、そこで私は重大なことに気づいて声をあげた。

「そ、そういう沙都子こそ、ボクばっかりお子さま扱いする権利があるのですかっ!?」

「ウ・フ・フ・♪ さあて、どうでございましょうかねぇ?」

 その余裕を後押しするかのごとく、沙都子の笑顔から発される圧倒的優越感の波動っ! くっ……このすさまじい重圧感(プレッシャー)は、何っ……!?

 私は思わず唾をのみこみ、ぐぐっと拳を握りしめたところで――思わずハッとした。

 そ、そう言えば思い当たるふしがいくつかあるような……

 たとえば、最近の沙都子は妙に大人の対応をおぼえてきたような気がするのだ。夕食の時、私の大好きなおかずを大目に取り分けてくれたり、お風呂あがりには頼んでもいないのに気を利かせてジュースを冷やしてくれていたり……。そんな気づかいを彼女はいつから覚えたんだろう。

 また、いずれの世界においてもほとんど変わらなかったはずの私たちの身長にも、微妙な差が出てきた気がする。……それにそれに、これは前に一緒にお風呂に入った時に思ったんだ。沙都子には少し――ほんの少しだけど、『あった』ような気が……!

 顔からさーっと血の気が引き、私は羽入のようになさけない狼狽(ろうばい)の声をあげた。

「……あぅあぅあぅ、あぅあぅあぅぅぅ……っ!!」

「オーホホホッ♪ どうしたのかしら、梨花がオットセイになってしまいましてよーっ!」

 間違いない……この余裕、そして心身の成長を考え合わせるに、沙都子は今……恋しているのだ……っ!! うそでしょ……あ、相手は誰よっ!? 許せないっ、私の沙都子のハートを横からかっさらっていった悪党野郎はいったいどこのどいつなのッ!?

 あっ――とその時になって私はようやく理解する。

 ここで話が一番最初に繋がるのだ。

「沙都子も、圭一なのですか……?」

 彼女は答えなかった。長い沈黙の後、それまでとは違う落ち着いた声が返ってきた。

「わたくしね、圭一さんと一緒にいると時々、にーにーのことを思い出しますの」

「……悟史、ですか?」

 それは昨年から失踪している彼女の唯一の肉親の名前だった。

「ふふ、今頃どこで何をしてるやら……」

 電気は消えているので沙都子の顔はよく見えないが、たぶん遠いところを見るような目をしているのだと思った。

「にーにーはわたくしの憧れでございましたわ。とても優しくて素敵な、わたくしだけのヒーローでした。そして、……そんなにーにーを思い出せてくれる圭一さんのことを、わたくしはやっぱり好きなんだと思います」

 ……私がどうしても言えなかったその一言を、彼女はあっさりと口にした。どこか嬉しそうな、恥ずかしそうなその声は、私の知る彼女のものとは思えないほど大人びたもので、これが恋の力なのかって思わず納得してしまった。

「悟史に似ているから、沙都子は圭一のことが好きなのですか?」

「ちょっと梨花? あんなガサツでオバカな圭一さんに似てるなんて言ったら、わたくしのにーにーに対して失礼ですわよ。ぜーんぜんにーにーの方がかっこよくて素敵ですわ。……ただ、どうしてでしょうね。圭一さんの仕草とか笑顔を見ていると、時々すごくにーにーを感じるのですわ」

 べつに悟史だってそれほどカッコイイということもなかったと思うけどな……という本音が出そうになったが呑みこんだ。そもそもタイプが別物だし、圭一だってそんなにマズイわけじゃないし、よく見ればそれなりに……ってなんで私が圭一のフォローしなくちゃいけないのよ。

「ですからわたくしの場合、圭一さんのことが好きとは言っても、それは純粋な恋とかそんなのじゃなくて……魅音さんやレナさんとは少し違う気がしますの」

 沙都子は強がってそんなふうに言ってみせたけれど、私にはなんとなくわかった。きっと沙都子の『好き』も魅音やレナの『好き』も、本質は大差ない。言い方は少し悪いけど、悟史をダシにして好きなのも、他の理由で――たとえば容姿とか性格とか年が近いからなどの理由で好きと思うのも、その間に絶対的な差があるとは思えないからだ。

 ……あれ。

 じゃあ、私は?

 そうだ、私もきっと圭一のことが……。

 うぅ……やばい。胸がドキドキする。

 私は自分の気持ちを整理することにいっぱいで、沙都子がまだ何か続けていることに気づくのが遅れた。

 

「――でも、にーにーのことはもちろん好きですけど……少しだけ『嫌い』でしたの」

 

 それは思いもよらない言葉で、意味を理解するまでに時間がかかった。理解は同時に私に大きな衝撃を与えた。

 だって信じられない……

 沙都子が、悟史のことを嫌いだったなんて。

「どうしてですか、悟史はずっと沙都子を護ってくれていたのですよ!」

 思わず責めるような口調になったのはしかたのないことだった。私は知っている……北条悟史は憐れまれることはあっても、けして批難されるような人間じゃない。相手が沙都子ならなおさらだった。

 しかし彼女は淡々とこう続けた。

「……だからですわ。にーにーはわたしを護るために身を呈して戦ってくれた。けれどにーにーの戦い方は、自己犠牲に基づいた『守る戦い』なのですわ。けして自分から攻めて敵を打ち滅ぼそうとはしなかった。消極的に守って守って自分を攻撃させて、相手が疲れるのをただ待つという、根本の解決とは程遠い戦い方しかできない人だったのですわ」

 私は絶句するしかなかった。たしかにこれは沙都子の知らないことだが、悟史は最後に敵を打ち滅ぼす道を選んだ。それはまぎれもない真実……結果として再起不能に陥った彼が、世間で〝鬼隠(おにかく)し〟と騒がれる謎の失踪を遂げたとしても。

 しかしそう考えるとやはり悟史は、自分と引き換えにして妹を救うという捨て身の『守る戦い』しかできなかったということになるのか……。

 けど、それでも――

「そんな言い方をしては、悟史が報われませんですよ……」

 私にはそれだけしか言えなかった。真実をすべて話したところで、彼女を無駄に混乱させてしまうだけだとわかっていたから。

 暗闇の向こうで、沙都子が少し寂しそうにくすりと笑った気配がした。

「梨花、勘違いしないでくださいましね。私はべつに、にーにーのことが憎いとかそんなのじゃありませんから。これまでのことはとても感謝していますし、早く帰ってきてほしいと心から思っていますわ。ただ――圭一さんと比べてのお話ですわ」

 ドクン、と心臓が一瞬だけ不気味に脈動した。

 そこで、圭一が登場するのか……

「圭一さんはにーにーとは正反対のタイプですわ。だからもしも圭一さんがわたくしのにーにーだったら……きっと、ガサツなあの人らしいとても男らしい戦い方をしていたことでしょうね。それは『if(もしも)』のお話――そんなことは実際なかったし、きっとこれからもない空想のお話なのですわ。でもだからこそ、わたくしはそんなあの方に(まも)られてみたいなって……。ふふ、なんでもありませんわ。今言ったことは忘れてくださいましね。それから、みなさんには絶対に秘密ですわよ?」

 それっきりだった。沙都子は「もう寝ますわ。おやすみなさいませ」と最後に言ったきり、ごろりと寝返りうってこちらに背を向けた。

 ……私は何も言えなかった。ただ驚いていた。

 だって――まだ信じられなかった。私の知る北条沙都子は、けしてこんなことを考え、口にするような子じゃないのだ。

 こんな世界を私は知らない。

 圭一への恋が、彼女を変えてしまったのか。だとすれば恋とは、なんて身勝手で恐ろしいものなのだろう……。

 だが、私が今まで知らなかったというだけで、実際には沙都子はずっとその想いを抱いていたのかもしれない。けしてこの世界の彼女だけが特殊だとは言いきれないのだ。

 私は今頃になって思い知る。私は仲間たちのことを何もわかってなどいなかった。そもそも考えたことすらなかったのだ。こんなにも複雑な想いが彼女たちの中に存在し、自分自身の中にも存在しているかもしれないなんて……。

 古手梨花がこの日初めて、前原圭一に対し淡い恋心を抱いたように。

 私はこの日初めて、一番の親友である北条沙都子に対し、小さな嫌悪を抱いた。

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