ひぐらしのなく頃に・絶 /小説Ver   作:soatok

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六月一九日 日曜日(1)

 そして訪れた綿流しの祭りの夜に、羽入の姿はなかった。

 祭具殿の奥深く、人知れずひっそりと『眠り』についた羽入。

 彼女は今、この世界には『いない』。

 だからここは神のいない世界だった。

 この地の神が最も(たた)えられるべきこの夜に羽入がいないというその事実が、なんだかとてもおかしかった。そして思った――神さまなんてこんなものだって。

 神さまにだって当人の都合があり、いつもそこにいてくれるなんて幻想でしかない。神頼みするその時に神さまがいてくれる保証なんてどこにもなく、罪を犯すその時にだけたまたま見ていて罰することもあるかもしれない。そんななんとも不平等で、皮肉な存在が神さま。

 そもそも『神』なんていう厳格で絶対的な存在をもし認めるならば、人は片時すらも気を抜けないことになる。いつかふとした瞬間に気まぐれな神さまが現れた時、祈り、努力し、勤勉であらなければならない。だけどそんなの人間には不可能でしょう? 二四時間三六五日を気を抜かずに過ごせるとでも? もしそんなことができるとしたら、そいつはたぶん狂ってる。

 人は弱い――弱いゆえに神を求める。だが弱いゆえに――神は人を見捨てる。

 しかしこれでは人と神との関係はまるで成り立たないことになる。

 では神とはなにか? 答えは一つしかない。

 ただそこに『いるだけ』のもの。見ているかもしれないし、見ていないかもしれない――その程度のもの。

 要はその存在を定めることで、日頃の行いを意識的に良い方向に導けるかという、ただその一点にしか意味がないもの。必ずしも神が全能であり、全知である必要もないのだ。

 私のよく知る「あぅあぅ」が口癖のほにゃんとした奴はだから、あれで充分に神様ということだ。

 直接的には何も手を下さない彼女がいつもそばにいてくれたから、私はここまで歩いてくることができた。

 たとえ子供みたいに甘いものに目がなくても。

 ちょっと意地悪するとすぐに泣きそうな顔になって目をウルウルさせても。

 感覚すら共有している私というたった一人の人間を百年かけても救えなくても……

 彼女は私にとっての――そして雛見沢という閉ざされた世界すべての『神』だった。

 ただ、私はじつのところ、羽入のことを神さまだなんて思ったことは一度もなかった。彼女こそがこの雛見沢の守り神――オヤシロさまそのものであり、遥かな昔からこの地に存在し続けていたという事実を受け入れたうえでだ。それは私のもつ『神』のイメージが、前記のようなもっと厳格なものであるからという理由でしかないのだけれど、とにかく羽入は私にとってもっと別な『何か』だった。

 ……ぼんやりとそんなことを考えていたからだろう、羽入のいないお祭りは、いつもあるものがないという一抹の不安と、ある意味とても新鮮な感覚を私に与えた。

 たとえ神の不在であろうとも、衆生(しゅじょう)の民がそんなこと知るはずもない。我が家でもある古手神社の境内は、この世界でも変わらず盛況な賑わいをみせていた。おそらく村人は総出で参加し、また雛見沢に隣接する興宮(おきのみや)だけでなく近隣の市街からも見物客が押し寄せるほどの規模である。境内に溢れ帰る人混みは凄まじく、出店の数もハンパなく多い。毎度のことながらこの喧騒には辟易(へきえき)させられつつも、やはり心は(おど)った。

 境内の入り口となる階段付近に魅音たちの姿を見つけ、私と沙都子は手を振りながらそちらに向かった。集合時間ぴったりだ。お祭は今まさに始まろうとしており、夕暮れと夜の入り混じった不思議な色をした空の下、私たちは満面の笑顔を向かい合わせた。

「梨花ちゃんかぁいい……♪」

 レナが呆けた声をあげ、隣の圭一も私の姿をまじまじと見つめてきた。

「おおっ! 巫女装束がすげえ似合ってるなっ。さすが本職は違うもんだ。うん、バッチシ可愛いぜ梨花ちゃん!」

 あんまりおおげさな物言いだったので、私はなんだか頬が熱くなってしまった。

「どうもありがとうなのです……」

 圭一にこの巫女装束を見せるのは初めてじゃない。これまで何度も綿流しの晩に繰り返されてきた出来事だ。

 だけどこの日の私は、この姿で彼の前に現れることに対し、今までにない気恥ずかしさのようなものを感じていた。圭一がどういう反応を返してくるのかも知っていたくせに、似合ってると言われて――可愛いって言われて、すごく嬉しかった。

「うちの婆っちゃのお手製なんだ。我らが梨花ちゃんはこれを着て、この後の行事で大役を務めるんだよ」

 魅音がまるで我がことのように誇らしげなので、私は苦笑してしまう。演舞で宝具の鍬を振り回すのはひどく骨であるため、なんならほんとうに代わって欲しいくらいだった。

「でもまだ時間があるのです。だからみんなでたくさん遊びましょうです」

「よしきた! 今夜は遊び倒してやるからな、全員覚悟しとけよっ」

 圭一が威勢よく言ったのを皮切りに、私たちは我先にと笑顔で駆けだしたのだった。

 

 

 

 数多の世界で行われ、そのすべてを体験してきた綿流しのお祭だが、そこでみんなと過ごす時間はたとえ同じことの繰り返しがあっても、この時ばかりはなぜかとても楽しく過ごせるのだった。

 そう、この日この夜だけは特別な時。だから私は転生を繰り返すたびに綿流しの夜を心待ちにし、その後に必ず起こる自らの絶対的な死を忌諱(きい)するのだ。

 今回のコースはまずたこ焼きの早食い競争に始まり、金魚すくい、輪投げに型抜きを経て、その後私と沙都子は圭一におねだりして狐のお面を買ってもらい、レナと魅音はバザーでオシャレそうなバッグや靴を買ったりしていた。それは心から楽しい一時だった。

 そして今年のメインイベントは、射的屋さんで富竹《とみたけ》を交えての部活(もちろん罰ゲーム有)だった。

 魅音の采配により今夜限りの名誉村民認定された富竹は、戸惑いながらも私たちと遊んでくれる気になったらしい。……まあ実際はたぶん、看護婦の鷹野(たかの)が約束の時間になってもなかなか現れずに手持ち無沙汰だったのだろう。

「おーほっほっ♪ 子供だからといって我が部活メンバーをあなどることなかれですわ! こちらは百戦錬磨の精鋭揃いでしてよ? 富竹さんはきっと大人の威厳も自信も鼻っ柱も叩き折られて、ショックで写真はうまく撮れずに仕事もうまくいかなくなりオマケになぜか女の人にもモテなくなって生きる望みすら失われてしまうだろうことが今から哀れでしかたありませんわっ!!」

 お祭のテンションでハイになっている沙都子が富竹に向かってビシィッと人差し指を突きつけた。

「アハハ……その、お手柔らかにお願いするよ……うん」

「富竹さん――こいつらのもってる辞書には、手加減や情けや容赦って言葉のとこだけマジックで黒く塗り潰されてるんです。ガチで潰しにきますよ、俺が保証します……」

「……アハ、ハハハ、ハ……」

 富竹の乾いた笑みを除き、場の盛り上がりは最高潮に達しようとしていた。

 そしてもう一人……私を除いて。

 私にとってこれは、すでに別の世界で体験済みのイベントだった。だからそうと決まった時には落胆を禁じ得なかったのだ。魅音が射的屋のおじさんに「レアな景品入ってる!?」と問いかけたのに対し、おじさんが指し示したのは一抱えもある巨大なクマのぬいぐるみというところまで同じだった。

 脳裏に一連の記憶がよみがえる……。

 ああ。この流れは――そうだったわね。たしか魅音は無難に小物を狙い落としてビリを回避する作戦をとるのだけど、クマさんに目がくらんだレナは無謀にも大物狙いに出て大失敗してしまう。富竹がそこで機転を利かせて、まず自分が三発撃ってクマのバランスを崩し、すぐに圭一と交替して怒濤(どとう)の連続コンボで見事クマさんゲットという、富竹捨て身の華もたせ劇が行われるのだ。

 その後、私と沙都子は危うくも小物を一個ずつ落として(たしかつまらないキーホルダーとかキャラメルだったかしら)、祭りの最後には結局ビリになった富竹に対し、みんなでTシャツの上から寄せ書きを贈るなんてあじな罰ゲームをするんだっけ……。

 と――そこまで思い描いたところで、私はハッとしてかぶりを振った。

 ダメだダメだ……こんなふうに冷静に思い返してしまうのは私の悪い癖だ。楽しい時間に水を差すなんて無粋でしかない。考えるのはやめよう。楽しまなきゃ、損だ。

 しかしここで私は、落胆に沈んでいたきもちが吹き飛ぶほどの衝撃を思わぬ形で受けることになった。

 それは見事大物のクマさんを撃ち落とし、場の主役として喝采を浴びていた圭一が、富竹に何事かを耳打ちされたところから始まった。圭一はクマさんを胸の前にもち直すと、私たち――私、沙都子、魅音、レナの四人の方に改まったように向き直った。

 その瞬間、私の心臓が急にバクバクと早い鼓動を打ち始めた。

 きっとこれから起こることは重要な出来事に違いないと予感したのだ。

 ……いや、そういう滑稽(こっけい)な物言いはやめよう。私はこの夜のすべてを知っている。()っているはずなのに、この時の私はそのうえでなお胸の高鳴りを抑えることができなかったのだ。

「これ、おまえにやるよ」

 そう言って圭一がクマさんを手渡したのは――――

「……えっ、えっ……!!」

 彼女は戸惑ったようにおろおろと視線をさまよわせた後、自分に向けて差し出されているクマさんをぽぅっとした目で見つめた。

「……本当に? 圭一くん、わたしにくれるの?」 

 竜宮レナは心から嬉しそうに、でもまだ信じられないように問うた。圭一はそんな彼女に大きく頷いてみせる。

 

 ……あれ。

 

 私は眼前で繰り広げられるその光景を、ただ呆然と見つめていた。

 何が行われているのか理解できない。理解できないことが理解できない。だって私はこの結末を知っていた、()っていたはずなのに……。

 戸惑い立ち尽くすしかない私の心に、荒涼たる虚しさをまとった寒々しい感情がそっと忍び寄ってきた。

 ……なんだろう、この気持ちは。

 ズキリ、ズキリって――痛い。胸が張り裂けそうだ……。

「その、いつもありがとな。色々面倒みてくれて感謝してるんだぜ。……ほら、俺って転校してきた頃はすげー緊張してて、正直とっつきにくかったろ? みんな近寄りがたいって思ってる時に、一番最初に打ち解けようってしてくれたのはレナだったよな。そのおかげでみんなと一緒に毎日がこんなに楽しく過ごせてるんだ。感謝しても足りねえよ」

 圭一は照れ臭そうに、でもせいいっぱい気持ちを真剣に伝えようと言葉を並べた。

「ありがとう、圭一くん……。ぜったいぜったい、大切にするからね。これはレナの一番の宝物だよ、はぅ」

 レナはぽぅとした表情で愛おしそうにクマさんを抱きしめた。

 それはいつものふざけた『かぁいいモード』のレナなんかじゃなくて。

 なんだかすごく満ち足りた少女の(かお)をしていた。

 私はそんな顔ができるレナのことがとてつもなくうらやましかった。

 そうだ……自分で自分の気持ちを偽ったって意味なんてない。だから正直になろう。

 私はこうなることをわかっていて、それでもこうなって欲しくない未来をばかり願っていた。私はクマさんが欲しかったのだ。だから圭一がひょっとして自分にクマさんをくれるかもしれないなんて、甘い期待を捨てきれずにいた。

 だって……私は多くの出来事の結末を知っているけど、必ずその通りになるものもあればそうならないものもある。これは羽入の受け売りだが、「運命は必然で、未来は偶然」だからだ。

 血の滲むような思いをしたところでくつがえせない強固な運命もあれば、たまたま風がその時吹いたか吹かなかったというだけで変わってしまう脆弱(ぜいじゃく)な未来もある。そしてクマさんはどちらかと言うと後者に近いと思っていた。

 だから私は……バカみたいに、つまらない期待をもってしまった。

 そして今また、憎い憎い予定調和の前にきもちを(もてあそ) ばれた。ここまでの流れがあらかじめ知っていた内容と同じ以上、流れの行き着く先もまた同じだって少し考えればわかることなのに……。

 期待が裏切られることなんて珍しいことじゃない。

 だけどこんなにも胸が苦しいのは初めての経験だった。

 どうしてこんなに……泣きそうなほど、胸が痛いんだろう?

 ……ううん、理由はもうわかっている。

 今度こそ認めなくてはならない。

 私が欲しかったのは、クマさんじゃなくて、圭一のきもちだったのだ。

 なぜなら私は彼のことを……

 前原圭一のことを、きっとほんとうに――――

「お二人さーん、イイ雰囲気のところ邪魔しちゃって悪いんだけど、おじさんたちのことも忘れてもらっちゃ困るなぁ。それともこのまま二人きりで人気のない場所に消えたいってゆーなら、イイ場所を教えてあげてもいいけどぉ」

 魅音の茶化すような言葉に、二人はギクッとした様子で慌てたようにお互いから目を逸らした。

「ちょ、お、俺たちはべつにそんな……」

「そ、そうだよ? わたしと圭一くんはべつに、はぅぅ……!!」

「ハハハ、若いっていいねぇ」

 富竹が雰囲気を変えるように笑った後、なぜか遠い目をしてつぶやいた。

「鷹野さん……次こそはきっと振り向かせてみせるよ……!」

「まあ、たしかにレナさんが一番に圭一さんを手なずけたことは認めますけど、その後の調教のほとんどはこの沙都子さまがほどこしてあげた恩も忘れないで欲しいですわね。レナさんもこんな卑しいオス豚の甘言にだまされちゃいけませんですことよ? オーホホホッ♪」

 沙都子がそんなふうに言うと、単純な圭一はすぐにつられるものだから場の空気はすぐに弛緩していつものように戻った。

 ……だが、私は見逃さなかった。魅音と沙都子の瞳にうっすらと宿る(くら)い嫉妬の炎を。

 そして場の雰囲気はもとに戻ったというのに、一人だけ幸せの余韻にひたり続けているレナの嬉しそうな表情を。

 私自身がそのどちらに近いのかは、鏡を見なくてもわかっていた……。

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