Fate/loneliness -little summoners-   作:からすまそういち

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聖杯戦争(偽) 夜

 2 聖杯戦争(偽) 夜

 

 

 アサシン&バーサーカー

 

「――何が可笑しい」

 スパルタクスに町中を散々振り回され、やっと止まったかと思ったその時、俺の耳に入り込んできたのはその言葉だった。

「……っ」

 ふらつく身体を抑えるように地面に手を当てて、俺はやっと着陸が完了した。

 顔を上げ、前を見る。スパルタクスの筋骨隆々な姿のその先に、男がいた。男の後ろには少女がいる。男は少女を更に後ろに下がらせ、その子供は電灯の陰に消えた。

「見つけたぞ圧政者よ。汝を我が愛で抱擁せん」

 スパルタクスはそう言って男に突っ込んでいく。

「⁉」

 とんでもないスピードだ。例えるならば弾丸。

 簡単に言えば姿勢を低くしただけのタックルなのだが、速度が異常だった。

 目で追えるかどうかのスピードで彼は突撃していた。あんなの喰らったら普通の人間なら床に叩きつけられた果実の様に飛び散る。そういうイメージが湧き上がった。

 しかし、

「ぬう……っ⁉」

 その男は片手でその弾丸を受け止めていた。

 そして男は振り払うように彼を投げ飛ばす。

「小槌で衝撃を抑えたとはいえ、中々のパワーです。並のサーヴァントではありませんね。バーサーカーですか?」

「ふん!」

 スパルタクスは立ちあがった。吹き飛ばされたことを全く気にしていない。

 変わらず、彼は笑っていた。

「不気味な男め。私達に何の用だ!」

「圧政。君は圧政者だな? 民を欺き権力を我が物とする――悪性なり」

「――なるほど。私の本質を見抜きましたか」

「圧政は滅ぼさねばならぬ。叛逆せねばならぬ」

「それが故ですか。――いいでしょう。ならば私が相手になりましょう。しかし、これだけは覚えておけ。私達の邪魔をするものは――殺す」

 男の目つきが変わった。

 その一瞬で理解した。

 殺し合いが――始まる。

「おぉぉぉぉぉぉおぉおおおおぉおぉぉお‼」

 筋肉が突撃し、男がそれを躱しやり返し――そういったことが続いた。

(俺は――何をしている? 俺は何でここにいる? 俺にできることは――)

 なかった。

 俺はただ突っ立っているだけ。

 何故スパルタクスが戦うのかわからない。男がそれに応じるわけも。

 何もかもが分からなかった。

 今、目の前で命懸けの戦いが行われているのは分かる。しかし、その場に自分はいない。

 自分はそこにいなかった。まるで一枚の薄きれのスクリーンを介して見ているかのよう。

 迫力だけはあった。見ているだけで湧き上がるものがあった。

 しかし、それが何なのか俺は知らない。

「ま――負けんじゃねえ、スパルタクス」

 この気持ちが何かは分からない。

 でも、

 分からなくとも、燃え上がるものがそこにはあった。

「そんな奴やっちまえ! バーサーカァー‼」

 左手の甲が光る。

 男が飄々と攻撃を受け流す様を見て、スパルタクスが不利であることだけは見ても分かった。

 だから、我慢ができなかった。

 例え出会ってすぐの関係でしかないのだとしても、彼には負けてほしくなかった。

「‼」

 スパルタクスの眼が一瞬こちらに向いた。

 それからすぐに敵に目を向けて、目を離さずにすぐさま俺の隣に戻ってくる。

「――それは命令か?」

 顔はこちらに向けなった。依然として敵を捉えている。しかし、彼の言いたいことが俺には理解できた。

「ああ、命令だ。

 あいつがお前の敵なら、きっとそれは俺の敵だ。

 だから――ぶっとばしてやれ。

 お前はそうしたいんだろ?」

「ふふふ」

 彼は笑っている。見なくとも分かる。

「ではその期待に応えよう。

 その眼に焼き付けたまえ!

 叛逆者(バーサーカー)とは何かと。

 叛逆とはどう在るものなのかを!」

 左手の甲の傷は三つあった。その傷が二つ、弾けるように消えた。

 何が起こっているのか、依然として俺には理解できていない。

 でも、それの意味するものが何なのかははっきりと理解した。

 

 筋肉が膨張する。

 体躯はさらに大きく。

 放つ威圧は大地を震わせ。

 その笑顔で誰もが己の死を悟る。

 狂戦士(バーサーカー)

 その名は、叛逆者(スパルタクス)

 

「うぉぉぉぉぉぉおおおおぉおぉおぉおぉおおおおお‼」

 

 巨躯。その全身を震わせスパルタクスは突進する。

 そして、(てき)に激突した。

「ぐぁ……っ」

 男は衝撃で打ち上がって宙を舞い、頭から地面に激突した。

 避ける暇も、衝撃に耐える構えをする暇さえもなかったのだろう。

 完璧に轢き殺された。

 ――かのように見えた。

「……ッ⁉」

 男は全身から血を流しながらも立ち上がった。

 足取りはフラフラで、今にも倒れそうだ。

 しかし、

「その男が……マスター、ですね……? つまり、そいつを殺せば……いいわけだ」

 その男もまた、不敵に笑ってみせた。

「‼」

 気付いた時にはもう遅かった。

 男は懐から竹串ほどの鋭い針をこちらに投げていた。

 時間がゆっくりになる感覚。

 針の軌道は確かに俺の喉に向かっている。そう分かった。

 しかし、理解できたとしても体がそれについていかない。

(死ぬのか。俺は)

 ただ、そんなことを考えていた。

「ォおぉおぉおぉぉおォォォォォォォオオオオオオオオ‼」

 スパルタクスが駆ける。

 敵の方ではなく、俺の方へ。

 尋常ではないスピードで飛び出したスパルタクスは針に追いつく。そして、それを払い落すことに成功した。

 しかし、もう一つ。

 己の背後に迫る敵には――間に合わなかった。

「危なかった」

 男は言う。

「バーサーカーが君ではなく私を倒すことを優先したならば、私は肉塊と化していたでしょう」

 男は振り下ろした巨大なハンマーを上げた。

 先程までハンマーが落とされていた場所には、何も残っていなかった。

 確かにそこにはスパルタクスがいたはずで、押し潰されたのに。

 最初からそこには何もなかったかのようだった。

「……え?」

 顔を上げる。

 男は涼しい顔で立っていた。

 つい先ほどまで死にかけだった筈なのに、もう全身にその痕はない。

 額に汗は流れず、服もまるで卸し立てかのようにハリがある。

 スパルタクスを押し潰すほどの巨大なハンマーを枯れ木かのように楽々と肩に乗せ、冷めた顔で俺を見ていた。

「なにをしたんだ」

「……言って理解できるかはわかりませんが。バーサーカーは死にました。この『小槌』によって。叩いた際に限界まで縮小を繰り返し、0になった。私の傷も、小槌で時間を大きさとして捉え、巻き戻したにすぎません」

「は?」

 男が何を言ったのか、理解できなかった。ただ知ったことがあるとすれば、バーサーカーが死んだという事実だけ。

「サーヴァントを失ったマスターに用はありません。これ以上私達に関わらないと言うのであれば、命は預けておきましょう」

「……」

「では、待たせている人がいるので。さようなら」

 男はそう言って背を向け、闇に消えた。

 勝負はあっけなく終わった。

 よくわからないうちに争いが始まり、よくわからないままにスパルタクスを失った。

 俺は、ただ茫然と立ち尽くしていた。

 先程まで会話していたスパルタクスが、目の前で忽然と消えた。

 理解が追いつかないままに何かに巻き込まれ、その何かが終わった。

「バー、サー……カぁー……?」

 膝から崩れ落ち、声を擦り切らせながら彼を呼んだのは、男の姿が完全に見えなくなって、暫くしてからのことだった。

 

 

 アーチャー&ライダー

 

「……やべえ」

 バーサーカーの後をつけ、その後の戦闘を近くのビルの屋上から見ていたシャルルと明智の二人は、バーサーカーと戦った男をどうにかしないと絶対に勝てないという確信を得ていた。

「さっきの言葉――確実に俺達に向けて言ったな」

「え? 何か言ったのか?」

「あの野郎、俺達の方を見て言ったんだ。私達に関わるな、ってな。ここから離れるぞ。場所はわれてる。アサシンが来ないとも限らない」

「え、なんでアサシンって分かっ――おい! 何するんだ! 下ろせ!」

 明智はシャルルを抱きかかえ、走り出した。

「逃げるんだよ! 今の俺達じゃ敵わねえ!」

 ビルの屋上からさらに隣の建物へ。

 すぐさまに明智は行動に移していた。

「アーチャー! メモ落とした!」

「メモくらいほっとけ!」

 そうやって十何軒くらい飛んだだろうか。

 結構な距離を飛んだところで明智はシャルルを下ろす。

「アーチャー、いきなり掴むのはやめてくれ。びっくりする」

「へいへい。じゃあ次からは確認を取らせてもらいますね、お嬢様」

「……今のは中々カチンときた。まあ、それは置いといて。なんで片方がアサシンって分かったんだ?」

「ああ、それね。なに、単純に空間把握能力が高いと思っただけさ。俺達はビルの上から見てただろ? しかもバーサーカーをつけて来たんだから、バーサーカーにバレるならまだしも相手が気付くにはさらに一段階思考がいる。頭がいいなら分かんのかもしれねーが、見た限り多分あいつは感覚だな。クラススキルでの補助があるとみた。だがアーチャーではないから飛び切り眼が良いというわけじゃない。なら異物がテリトリーに紛れることに敏感なアサシンが妥当ってところだ」

「へえ、成程ね。でも、アサシンか。あんな大槌を振り回すような奴がアサシンには見えないけどな」

「それがわっかんねえんだよな……。あんなアサシン、あり得んのか?」

「お前が言ったんだろ」

 シャルルはおいおいと明智の肩を叩いた。

「とりあえずホテルに戻るぞ。また作戦会議だ」

「ああ」

「いや、宿屋に帰るにはまだ早いな」

「「⁉」」

 二人は気付かなかった。

 いつの間にか二人の横に、誰かがいた。

「アーチャー、だな。気持ち悪い。これも予定通りになったか。まあよい」

(いつの間にっ……⁉ こいつは!)

 その者は甲冑に身を包んでいた。

 明智は目を見開く。

(おい……こいつ、もしかして――)

 そう。明智はその者の正体を知っている。

 忘れられる筈がない。

 まさしくその姿は、かつて自分と同じ者を殿として見上げた、男の姿だったのだから。

「サル――」

「ほう、儂をそう呼ぶか」

「アーチャー、逃げるぞ!」

「そうはいくか――『白日昇天白鷺城』!」

 武者が宝具を展開した。

 明智達を取り囲むように城が築城されていく。

(いや、これは囲まれているんじゃない。俺達が()()()()()()()()!)

 気付いたところでどうしようもない。逃げ遅れた二人は既にライダーの胎の中だった。

「勝負あったな。この城の中では儂は無敵。お主等がどう足掻こうが、もう勝負は――終わったのだ」

「くっ……」

 明智もシャルルも言い返せなかった。

 本来はこうなる筈ではなかった。

 敵と対峙した時、通常ならば互いの間にある程度の距離がある。

 その距離の差を活かし逃げることはアーチャーにとって造作もない。

 しかし、その距離がないのであったならば。

 0距離で宝具を発動させられて回避できるサーヴァントはそういない。

 そう、本来ならばこうなる前にどうにかする問題だったのだ。

「どう……やった」

 明智の口からやっとのことで絞り出された台詞だった。

「どうもこうもない。そちらから儂のところへ来たのだ。儂はずっとここにいた。お主等がわざわざ網にかかったのだ」

「そんなわけねえ、俺は出鱈目に逃げたんだ。偶然着地点が一致するはずが――」

「そんなわけがあったのだ。儂も驚いてな。まさか、本当に来るとは」

「俺にはそんなハッタリ通じねぇぞ!」

 表面上はライダーにそう噛みつきながらも、明智は思考を巡らせていた。

(ここから逆転するには俺の宝具を展開するしかねえ、でもそんなことをしたらバレちまう。あっちはまだ俺の正体に気付いてないし、できればそれは避けたいところだ。しかし……)

 しかし。

 それが無理なことは分かっていた。

 今は相手の宝具に呑み込まれている状況である。

 覆すには自身の宝具――「本能寺の変」を展開せざるを得ない。

「アーチャー! 宝具だ! 宝具を出せ!」

「分かってるよ! くそっ!」

(宝具を展開すれば間違いないく相手は気付く。そしたらマスターにバレる。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。ここまで来たのに。ここまで来たのに――ッ)

「ほう。その情けない面は」

(――え)

 ライダーは言う。

「お主――キンカンだな? 変わらぬものよ。貴様のその幸の薄い面構えは。いつも何かに追われているかのような怯えは。何時になっても――変わらん」

「キンカン?」

「しゃ、シャルルちゃん、」

「ん、知らぬのか。キンカンというのはな――」

「うるせぇ!」

「……?」

 シャルルの動揺が、見なくとも明智には伝わった。

 そしてそれは――相手にも。

「成程! ()()()()()()か! お前、性懲りもないのう! はっはっは! 馬鹿の一つ覚えとはまさに! まさに! くぅーくっくっく!」

「アーチャー、なんでこいつは笑ってるんだ……?」

「……」

 明智は答えられない。

 顔を伏せたまま、上げることができなかった。

「そこのマスタァ!

 こやつはの、こやつの真名は明智光秀!

 戦国時代、己の首領を裏切り殺した――悪漢よ!」

「明智……光秀」

 終わった。

 そう――思った。

「こやつはお前を騙していたのだ! およそ自分を信長とでも騙ったか? こやつにそこまでの器はない。信長を殺した功績を掴み切れなかった、愚か者よ!」

 口が裂けるほどに高笑いして嘲笑うライダー。

 それを項垂れて聞くことしかできない明智。

 そして、

 

「だから――どうした」

 

 ライダーに直面する、シャルルがいた。

「はぁ? お主、自分の立場が分かっとらんのか? お主がアーチャーと慕うそやつは偽物だ。偽物なんじゃあ! アーチャーなんぞほざきおって! 射手じゃと⁉ くぅーくっくっく! こやつのどこに弓使いの技量があると言うんじゃあ! はーっはっはっは! わ、笑わせるでない! 腹が捩れるぅ!」

「自分の立場なら分かってるさ。ボクはアーチャーのマスターで。アーチャーは、アーチャーだ」

 シャルル・レ・モーガンは明智の肩を叩いた。

「シャルルちゃん……?」

「ちゃん言うな。アーチャー、お前が誰であろうと関係ない。どうせお前がいないとボクは勝てないんだ。だから、利用するなら利用するといい。さあ、アーチャー。絶体絶命だ。ボクは何をすればいい?」

 シャルルは明智にそう言って、不敵に微笑んでみせた。

 明智は驚いた。

 己のマスターは、自分を他の誰でもなく一人のアーチャーとして捉えていた。自分の低すぎる実力を知り、受け止め、アーチャーに託していた。その姿を見て、裏切ってでものし上がることだけを考えていた自分のことがひどく小さな人間のように思えた。

(――ああ、だから俺はきっと)

 その時、明智はヒントを得た。

 自分が本当に欲しかったもの。為し得たかったこと。

「いやー困った。ここにきてこんな小僧に教えてもらうとは。

 そうだなぁ。とりま、このむかつくサル野郎をぶっ飛ばすかぁ⁉」

 明智の体を炎が覆い始めた。それは彼の宝具の前兆だった。

(――まずい。ちと無駄なことに時間をかけすぎたのう)

「やめじゃやめじゃ。興が冷めた。勝負は預けてやろう」

「なっ! 急になんだテメエ! 怖気づいたか⁉」

「マスターに言われとるんじゃ。無駄な令呪は切らせとうない。勝負は次じゃ」

「なんだよオイ。お前――()()()()()()?」

 明智はそう言って指をくいくいと曲げてみせた。

 ライダーはそれに睨んで返す。

「無論、()()()()()。じゃが、それは今ではないらしい」

 ライダーは宝具を解除した。崩壊する城の瓦礫に紛れ、ライダーは消える。

「なんだあいつ……」

 頬に流れる汗を明智は手で拭き取った。

「まあ、一応助かったんだ。よしとしよう」

「そうだな、ぶっちゃけあのまま行ってたら負けてたかもだし、命があるだけ儲けもんかねえ」

 

 

「「……」」

 

 沈黙が流れる。

「あ、改めて自己紹介でもすっか。――とまあ、俺は織田信長ではなく明智光秀だったというわけで……えーっと、その……」

「ボクはシャルル・レ・モーガンだ。よろしく、アーチャー」

 シャルルは右手を差し出した。

「! よろしくな! シャルルちゃん!」

 こどもの様に顔を輝かせ、力強くそれを明智は握り返す。

「だからちゃんづけはやめろっ!」

 ――シャルルは思った。信じてよかったと。

 本当のことを言えば、信じ切ることは出来なかった。しかし、信じることでしか明智に返せるものはない、そう知っていたシャルルは打算的にアーチャーを受け入れていた。

(――でも)

 でも。

 

 信じたかったのは本音だ。

 誰からも見捨てられた男の隣に立って、

 肩を叩いてやることは、自分にしかできないことだったから。

 

 

 

 セイバー

 

 不思議なことってのは、どんな人生にもあるもんだ。

 縁、運命とでもいうのか。目に見えない何か、その繋がりは確かにある。

 しかし、それに直面した時、人はそれを不思議に思う。

 何か理由があるんじゃないかってな。考えちまうもんだ。

 俺もその内の一人だった。

「……は?」

 俺が府内にある神谷道場に通い始めた時だ。

「初めまして。ヘクトール殿、ですね?」

「……ランサー」

 俺に向かって右手を差し出す男を見て、俺は目を見開いた。

「おや、私のクラスが分かるのですね。セイバー」

「こっちには前情報があるんでね。そういうあんたはキャスターの入れ知恵かい?」

「ええ、いざこざを起こさないことを条件に教えてもらいました」

 偶然が3つ。

 まず、俺が神谷道場を選ぶこと。

 次に、その神谷道場がキャスターの根城であったこと。

 そして――今度はこれだ。

 俺が紛い物のセイバーだと気付いたあの日の翌日、俺はマスターの工房には戻らず神谷道場の門を叩いた。

 道場から、失った戦闘スキルを回復するためのヒントを得るのもあったが、俺が何よりも優先したのは情報だった。

 俺が山で戦ったライダー。あいつは俺と違ってライダーとしての機能がちゃんとあった。

 しかし、疑わなければならないこともあった。

 サーヴァントは通常、その英雄が生きた時間の中で「全盛期」の状態のものが召喚される。

 だからライダーの宝具が「墨俣一夜城」であるはずがない。ライダーの全盛期はそんなものではないからだ。

 俺以外にも奪われた者がいる。そう考えるのが自然だ。

 そうなったら使い魔だけの調査では分からないことが多すぎる。実際に手を出して見なければ、闇の中を探らねば、そこにいる魔物の胎を掴むことは出来ない。

 賭けだった。

 一番の安全策はマスターの下へ戻り、だんまりを決め込むことだった。一度完全敗北した以上、パワー勝負はできない。だから様子を見て機会を探ることが一番だった。

 しかし、それでは外の様子が完全には分からない。

 自分達を呑み込む魔物の正体を知らぬままじわじわと食い殺されるのは勘弁だ。そう思っての判断だった。

 万が一外にいる俺が死んでもマスターはそれを見てから逃げることができる。マスターの安全面も考えるとベストな選択に思えた。

 これをマスターに提案した時、返ってきた言葉は「現場の君に任せる」だった。信用はまだ失っていない。もうこれ以上失えない。

 そうして、俺は神谷道場に来た。

 そしたら出遭っちまったのがキャスターだった。

 まさか門を叩いた場所がキャスターの城だったとは――

 俺は戦える状態じゃない。賭けに負けたかと思った。が、そうではなかった。

 俺は通された一室でキャスターと顔を合わせたが、キャスターもまた戦える状態ではなかった。

 とてもじゃないが、あんな状態で聖杯戦争を乗り切れるわけがない。

 結界もまともに張り続けられない、外を偵察する使い魔も最低限切り詰めた魔力でなんとかやっているという感じだった。

 俺は、キャスターが黒幕だとふんでいた。

 しかしキャスターは俺の想像以上に――想像以下だった。

 キャスターが弱い、というわけではない。

 俺と同じく「ハンデ」が課されている。俺以上に重いハンデが。

 暫く言葉を交わした後、俺はキャスターとの同盟を受け入れた。

 雑魚同士で小競り合いしたところで何の意味もない。

「セイバー。私は戦いに来たのではありません」

 ランサーは言った。

「そうだろうよ。そもそもそのつもりならキャスターは中に通さない。ここが余程大事らしいからねえ」

 ランサーの姿を目にした瞬間は驚いたが、考えてみれば大したことはない。

 ()()()()()()()()()()()()。それだけのことだ。

「で、あんたはオジサンに何の用?」

 それでも知らぬふりで問いかける。相手から言葉を引き出すのが交渉の常だ。

「ええ、私と――戦ってほしいのです」

「は?」

 予想と真反対の言葉を訊いて思わず訊き返した。

 何だって? こいつ、戦いに来たのではないって最初に言ってなかったか?

「――成程ね。失礼。あんたはオジサンと決闘がしたいわけだ」

 一瞬困惑したがなんてことはない。しっかりと理解した。

 そしてその上で、

「断る。必要性がない。どうせあんたと俺は殺し合う仲なんだ。戦う順番をそちらに決めてもらうつもりはないね」

 相手の意図を汲んだ上で断った。お前の考えなどお見通しだと言わんばかりに。

「ああ、そういうつもりではないのです」

 ランサーは困ったように眉を下げる。

「へ?」

「ヘクトール殿、自己紹介が遅れて申し訳ありません。

 我が真名はレオニダス。

 ――レオニダス一世」

「……へえ」

「ヘクトール殿、貴方なら分かるはず。私達は――戦うべきだ」

「……」

 相手が嘘を吐いているかはなんとなく分かる。

 これは――本当だ。

 本当だが、やりましょうと首を縦に触れない。

 それは俺にメリットがないからだ。

 メリットがあるとすらならば、

「私と貴方は少し似ている。お互い、一国を任され護り続けた守護者です。同じ一角の槍兵として、戦いたくはありませんか」

 彼と俺の本質は違う。だが、それでも目指した場所は同じだ。

 時代は違えど場所は違えど、同じ物を見て同じ物を守ろうとした。

 それについて、何も思わないわけではない。

 ただ、

「オジサンはそういうタイプの人間じゃねえのよ。プライドをかけた戦いみたいなのさ、性じゃないのよね」

「――嘘ですね」

「ええ?」

「貴方は『こちら側の人間』です。そうでないというのなら、貴方はアキレウスの一騎打ちに乗りはしなかったでしょう」

「……あちゃ、一番痛いとこ突かれたねえ。だがあれはオジサンが殺せると判断したからだ。あれはただの――判断ミスだよ」

「……言い切りますか」

「そうさ、俺は負けたんだよ。負け組だ。欲張って勝機を捨てた男なのさ」

「負けたのは私も同じです」

「あんたのは違うだろ。名誉の戦死だ。守り切ったんだ。俺は違う。俺は守り切れなかった。自分の都合で国を捨てた。惨めな男さ」

「違います」

 ランサーは力強く否定した。

 瞬間、空気がひりつく。

 ランサーは揺るがない眼差しで、俺を見つめていた。

「貴方は立派な兵士だった。貴方が私情を挟みアキレウスに負けたのだとして、誰がそれを責められるでしょう。貴方がいなくて国が滅んだというのなら、それだけ貴方は国にとって大きな存在だったということです。貴方がいる間、貴方はしっかりと国を守護したということではありませんか」

「……」

「国はいつか滅びるもの。大事なのはその時代に生きた人達です。貴方は貴方の使命を果たした。後の世のことは後の世に生きた人間の問題です。貴方が背負うべきことではない。

 私と貴方に違いがあるのなら、それは、ただの噛み合いだったのです。

 私は負けても次に繋がった。それは私の行いが次の世に噛み合った。ただそれだけにすぎません。私と貴方に差などありません。

 ヘクトール殿、貴方は我々の誇りなのです。

 命を懸けて国を護った。

 全ての守護者の――誇りだ」

「……」

 ランサーの迫力に圧倒され、息を呑む。

 俺が圧倒されるなんて何時振りのことだろうか。

「そこまで高く評価されてるとは思わなんだ。有り難いねえ。だが、それとこれとは話が別だ。オジサンは決闘なんざしない。仕事に私情は挟まない。悪いが、諦めてくれ」

「つまり、私情だけの話をするのであれば、貴方は私と戦ってもよいということですね?」

「……。私情だけの話をするならば、だ。俺だってかのスパルタ王との手合わせができるならそれは名誉なことだと思うさ。こんな機会は二度とないだろう。あんたの言いたいことも分かる。けどな。俺はマスターを守らなきゃならねえ。それが今の俺の仕事だ」

「そうですか、意志は固いようですね。

 では、決闘とは関係なく私の話を聞いてもらってもいいですか?」

「……なんだい、言ってみな」

「有難うございます。ええ、実はもう私は――長くは保たないのです」

 ランサーはそう言って、おもむろに語り始めた。

 

 

 ランサー

 

 僕が神谷道場に通うことになって暫く経った。

 最初は怖い人だと思ったヘクトールさんは気さくで明るい人だった。僕と一緒に竹刀を振りながら他愛もない話をする。そんな仲になった。

 他の道場の人達も良い人ばかりで、彼らと過ごす日々は苦しくても辛くても、楽しかったんだと思う。

 でも、ある日のことだった。

「総二郎。私は貴方に話しておかねばならないことがあります」

 ついにその日が――きた。

 聖杯戦争。

 願いを叶える願望器「聖杯」。それを得るために七人のマスターと七騎のサーヴァントが殺し合う。

 僕達はその内の一組、ランサーとそのマスターなのだと。

 一般人である僕が戦いに巻き込まれた時に死なないように僕を鍛えていたのだと。

 彼はつらつらと話していた。

 とても信じられる話じゃない。でも、何故か腑に落ちた。

 彼は偉大な先人、スパルタ王その人だったのだ。

 僕とは比べ物にならない「凄い人」だった。

「総二郎。貴方に言っておきたいことは、私は貴方を騙すつもりはなかったのです。ただ、言うべきタイミングが計れずにいた。申し訳ありません」

「……いいんだよ。今ならなんか、分かる気がする。レオニダス、いや、ランサー。貴方は、僕を守ってくれていたんだ」

 彼の立場に立てば、僕は頼りないマスターに違いない。

 魔術師じゃないし、戦える身体もない。

 それでも僕の前に立って導いてくれた。

「私にはもう時間がありません。マスターの令呪と切り離され、魔力の供給ができずにいます。正直に言います。私は貴方を守り切ることは出来ない。ですから、私がいなくなった後、総二郎一人で聖杯戦争を生き延びねばならないのです」

「そんな……僕には無理だよ。ランサーがいたからここまでやってこれたんだ。ランサーがいなくなったら、」

 どう言えばいいのか分からなかった。受け止めて見送るのが正しいと分かっている。でも、その心の準備がまだできそうにない。

 ランサーは僕の肩を掴んだ。

「大丈夫です。貴方は成長しました。心も身体も。それに僅かですが、総二郎がやっていけるように『仕掛け』を施しました。。それに――これも」

 そう言うと、ランサーは僕の前に丸い鉄板と長槍を差し出した。

「盾と槍です。魔力で鉄板を加工しただけのものですが、多少は保つでしょう」

「ランサーが、これを?」

「ええ、特注です。手先はあまり器用ではないのですが、私の物を見よう見まねで作りました。これを総二郎に託します」

 盾と長槍を受け取る。受け取った瞬間に落としてしまいそうになるほど重かった。それはきっと、単純な質量の問題だけではないんだろう。

「僕にはとても、余りあるものだ」

「貴方のです」

 胸を張ってランサーは言う。

 それだけでもう、僕にとっては十分だった。

 盾と槍を持つ手に力が入る。

「……ランサーはさ、もし聖杯が手に入ったら何を願うの?」

「聖杯、ですか。そうですね、もし私が聖杯を手にしたら。

 ――未来が見たい。

 それはあり得ぬこと。

 もし私達があの戦いで勝ち残り国に帰ることができたのなら、その景色は私の眼にどう映ったのか。

 現実を変えなくてもいい。

 私はあの時死んだ。それでいい。

 でももし、可能性の話。

 もしそういうことがあったのなら――

 私はこの眼で、その世界を見てみたい」

「……いいね、そんな世界」

「ええ、私の願いはそれだけです」

 もしそうなったら、彼は笑うのだろうか。

 それとも――泣くのだろうか。

 もし僕がその隣にいたとしたなら、

 それは、どんなに素晴らしいことか。

「総二郎。日本では「男子は泣くな」と教わるそうですね。威厳を保つのも大切ですが、私はそう思いません。人は感情を乗り越えて強くなるのです。ですから――沢山泣きなさい。その分だけ、貴方は強くなれます」

 ランサーが僕の頭を優しく撫でる。

「……うん、」

 こぼれる涙を手で拭うこともなく、僕は頷いた。

 僕は泣き虫だ。

 彼はそんな僕でも強くなれると言った。

 だから僕は強くなる。

 この涙はそのための――涙だ。

 

 

 セイバー&ランサー

 

 決戦の時が始まる。

 場所は五条大橋。かつて牛若丸と武蔵坊弁慶が出逢ったとされる場所。

 その橋の上で、相対する陣営が二つ。

「遺言は済ませたか? 今生の別れなんだ。しっかりやっといた方が後腐れない」

 セイバーが言った。

「ええ、済ませました。後は私の戦い様で語ります」

 ランサーは物怖じせず、そう答える。

 何故彼らが戦うのか日々谷には理解できない。そもそもヘクトールがセイバーだと先程伝えられたばかりだ。彼らの因縁が理解できる筈がない。

「危険です。少し下がっていてください」

 ランサーに促され、日々谷は後ずさった。

 貰った槍と盾は手に握られている。僕闘に入ることはないが、何があるかわからないのが聖杯戦争。念のため日々谷はその状態で待機することにした。

「残念です。もし私達が聖杯戦争以外で出会ったのなら、肩を並べることができたかもしれないのに」

「そうかもな、だがそんな日は来ない。だから俺達はこうして向き合っているんだろ? そんなことよりも、これで勝ったらちゃんと教えてくれるんだろうな。オジサン、そっちの方が気がかりでならないぜ」

「約束は守ります。そちらも、約束は守ってもらえますね?」

「オジサン、約束は破るもんだと思ってるクチだが、誓いは曲げたことがねえ。安心しな。俺は誓いを立てた。このヘクトールの名にかけて、誓いは果たす」

「ええ、では私も。レオニダス一世、その名にかけて誓いましょう」

 歩み寄っていく二人。

 距離が詰まり、あと三歩すれば互いの間合いに入る、そんなところで。

「「――ッ!」」

 勝負は始まった。

 まず、優勢に見えたのはランサーだった。

 リーチのある長槍、体の半分は隠れるほどかと思われる大盾。それらを適切な距離を保ちながら繰り出す。画は地味だが確実な戦法だった。

(ちっ、基本が完璧だ。分かっていたが、流石。正攻法では無理だな。これが集団で陣形を組んでいたらそりゃ恐ろしいもんだったろうよ)

 セイバーの額に汗が流れる。

 相手の懐に中々入り込めずに体力だけが消耗される。

 セイバーにとって好ましくない状況だった。

(だが、強い奴とは死ぬほどやってきた。ああ、言葉通り死んじまうほどにな!)

 ちらりと見え隠れするかつての強敵の顔。

(へっ、因縁ってやつか。忘れたくても忘れられねえや。ああ、そうだ。あいつより強い奴なんて滅多にいない。――いてたまるか)

 セイバーは剣を投げた。

「ッ⁉」

 ランサーは盾で軌道を塞ぐ。奇襲は効かない。ランサーもまた戦闘においてはプロだ。驚きはしても隙は見せない。

 しかし、大きな盾の所為でランサーの視界が狭まったのは事実だった。

 セイバーは盾に貼りつくように飛びついた。落ちる間際の剣を救い上げてランサーの脇腹に向けて刺す。

「うっ……」

 聖剣デュランダルは確かにランサーの脇腹を突いた。通常なら致命傷で動けなくなる。

 しかし、

「ふん!」

 体を大きく沿って回転するように槍を振るうランサー。

 遠心力を利用したその攻撃は、体勢が崩れているセイバーを強引に地面に叩きつけた。

「ごばっ!」

 セイバーは地面に激突し、転がり飛ぶ。

「……っふー」

 脇腹からどばどばと流れる血を気にせず、ランサーはセイバーを捉えていた。

 ――実はこの勝負、既に先が見えていた。

 ます、戦闘スタイル。

 集団での戦闘に重きを置いたランサーと、戦い方に拘らず、個人でのパワー勝負に慣れているセイバー。

 この一対一の決闘ではわずかにセイバーの方が有利。

 尚且つ、残存の魔力量の問題。

 セイバーはクラスの素質を失うという重いハンデがあるが、マスターからの魔力バイパスは健全で、常に魔力の補給が可能。いくら傷つこうが単純に魔力量でカバーできた。

 それに比べ、食事でしか魔力を摂取出来ないランサーは戦闘中、最早生身の状態。傷一つ受けたら治せない。被弾の全てが致命傷に成り得る。そんな状況だった。

 勝負は始まった時から決していた。

 そんなことは二人とも分かっている。

 それでも――彼らは戦わねばならなかった。

「おらァ!」

「ぐぅ……ふん!」

 セイバーが取りついてはランサーが払い除ける。そんな状況だった。

 そして、それを繰り返すごとにランサーの生傷が増えていく。

「そんな、ランサー……」

 日々谷はその有様に言葉を失っていた。

(こんなの、拷問じゃないか。ランサーがどれだけやってもセイバーは回復してやってくる。これじゃ時間の問題だ)

 日々谷にとって、目を晒してしまいたくなる光景だった。

 しかし、どれだけやってもランサーは倒れない。最初の脇腹の負傷は間違いなく致命傷だった。流血が止まる気配はない。それだというのに、折れない。

(――レオニダス)

 彼は日々谷に見せているのだ。

 自身の戦い様を。生き様を。

 だから、日々谷は目を逸らさなかった。

 涙が溢れても。

 震えが止まらなくても。

 彼は今、

 

 自分のために戦っているのだから――

 

 そして、

 勝敗は決着した。

 ランサーは最後の一撃を喰らっても倒れなかった。槍も盾も、離すことはなかった。

「本当に、惜しく思う。俺とあんたが万全だったらどうなっていたか」

「はは、それでも私は負けていたでしょう。セイバー、貴方は強かっ……」

「おい、まだいくな。約束がまだだろ?」

「あ、ああ、約束の名前は――間宮詩――」

「間宮詩?」

「約束は守りました。セイバー。貴方も――頼みましたよ」

 身体が消失しながらも微笑むランサー。

「ああ、任せな」

 セイバーもまた、微笑んで答えた。

 そして、決闘は終わった。

 セイバーは日々谷の方へ顔を向けた。ランサーの背中を追いかけた少年。その少年の心中をセイバーは知らない。

 日々谷に歩み寄ろうとするセイバー。彼にはまだ果たすべき約束があった。

「おい、坊主。ランサーは死んだ。もういない。これからは、お前が一人で戦っていくんだ」

「……死んでない」

 肩を落とし震えながら、呟く日々谷。

「あん? お前何を言って――」

「『レオニダス』はッ! 死んでない――ッ‼」

 日々谷は槍と盾を前に出して構えた。

「僕がッ! 『レオニダス』だッ‼」

 日々谷は槍と盾を持ってセイバーに突っ込んだ。

「な――ッ⁉」

 セイバーは驚いた。

 英霊同士の本気の殺し合いを見て、足がすくんで動けなくなると思っていた。

 そして、失意の様子を見て声をかけようと踏んでいたのだが、日々谷は彼の予想を超えていた。

(なんだこのガキ……っ! 今の戦いを見てたンだろ、とてもただの人間にできる芸当じゃねえ。一瞬で挽肉にされることなんざ分かり切ってんじゃねえのか。こいつ……っ)

 正気じゃない。そう思いながらも、セイバーの頬は確かに少し緩んでいた。

「面白ぇ、じゃあ見せてもらおうかレオニダスさんよぉ!」

 セイバーが日々谷と対決する。

 いや、対決というよりもセイバーが日々谷をあやしている、といった方が正しい。

 勇猛果敢にセイバーに臨む日々谷だったが、素人の勢い任せの攻撃がプロのセイバーにまともに当たるわけがない。セイバーは適当に攻撃を受け流していた。

 セイバーは限りなく手を抜いて遊んでやろうと思っていた。しかし――

「こんのぉ‼」

「――ッ!」

 日々谷の突きの軌道をずらした時だった。日比谷は勢いよく槍を引き戻し、それがセイバーの頬をかすめる。

「やった!」

 それは偶然に近かった。槍を引き戻す力がセイバーの予想を上回った故に起こった僅かな軌道のずれ。

「……ッ⁉」

 セイバーは剣で日々谷を牽制しながら下がる。

 頬を撫でると、手が赤々と染まっていた。

(この俺が、斬られた? こんなガキに?)

 手を抜いたといってもそれは相手を殺さない程度のもので、セイバーは傷一つつけられるつもりはなかった。むしろ、相手の攻撃を全て受け流して切り伏せる自信があった。

 だが、頬を斬られた。あと数センチずれれば確実に致命傷だった。

「――――――――ッ‼‼」

 その時セイバーがした表情は、普段の彼からはとても想像できないものだった。

(あ、死んだ)

 睨み付けられた日々谷はその瞬間に死を悟った。

 足が動かなくなった。竦むというレベルじゃない。

 まるで時が止まったかのように全身が動かない。ただ思考だけが巡り、セイバーに首を切り落とされるイメージだけが頭の中を支配する。

「――――まったく、どうかしてるぜ。お前に一発やられるなんてな。あっはっは、素人に一撃もらうとはまいったまいった。オジサンも落ちたもんだぜ」

 しかし、セイバーはもういつもの飄々とした様子に戻っていた。

(危ねえ、思わずやっちまうところだった。熱くなるなんて俺らしくもない。一旦冷やすしかないな)

「なあ、これでわかっただろ。こちらに来るということは、()()()()()()だ。蛮勇も悪くはないが、命は大切にしておけよ」

 そう言い残し、セイバーは立ち去った。

「……っはー、っはぁ、はぁ」

 息をすることもできなかった日々谷は、セイバーが去ってやっとそこで膝をつき項垂れる。

(強いなんてもんじゃなかった。死んだ。僕はもう死んでる。――なんで生きてる? なんで首がついてる? そんな次元の違いだ。こんなの、こんなの――勝てるわけがない)

 日々谷は絶望した。目指すにはあまりにも高い壁だった。

 顔を上げ、空を見上げた。夜。雲は見えない。

 この澱んだ気持ちは縋っても空には届かない。

 彼がいる空には、決して。

 

 

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