アスナ「キリト君、お待たせ」
キリト「おっ、アスナは…ウンディーネを選んだのか」
アスナ「うん。魔法に興味があったのと…後は、見た目かな」
本日、実に三カ月ぶりほどに、仮想世界へやって来た…ある意味では、帰還してきた私は、今度は死の枷が備えられたナーヴギアではなく、安心安全を謳っているアミュスフィアというVRインターフェースを利用して、新生ALOへと初ログインしたのだ。
ナーヴギアと比べると、やはり仮想世界の解像度は少々物足りなく感じてしまうが、仮想世界という空間自体が、私の全身に馴染むようなこの感覚は変わらない。
新生ALOと呼ばれるこの世界は、以前はレクトが運営していたVRMMO…<旧ALO>のデータを、完全に引き継がれている。現状、旧ALOのプレイヤーであったベンチャー企業関係者数人が、共同出資して立ち上げた<ユミール>という会社で、この世界は新たに運営されている。
こんな事態になったのは、私にとっては悍ましい程の苦痛と、そして同時に、彼の英雄的行動によって救い出されるという感動を味わうことになった元凶である、通称ALO事件のせいなのだが…ならば何故、二度も犯罪に利用される羽目になったVRゲームというジャンルが衰退することなく、新生ALOなどというVRMMOを立ち上げることに成功したのかというと、それは、<ザ・シード>なるフルダイブ・システムによる、全感覚VR環境を動かすための一連のパッケージを全世界に無料公開されたことで、死に絶えかけていた市場に一気に活力が舞い戻って来たから他ならないのだろう。
キリト「…ふむ、いつものアスナもいいけど…水色の髪のアスナもまたいいな…これはどっちも捨て難いぞ…」
アスナ「それ、そんなに真剣な顔で言うことなの?」
こんなアホみたいな一面も持ち合わせている彼だけど、何となくわたしは、<ザ・シード>なんて物は、彼が何処かから拾って来たんじゃないかなって、そんな気がしている。…まぁ、女の勘ってやつなんだろうけどね。
因みにだが、私がもう一度仮想世界に舞い戻ることを知った時、両親はやはり良い顔をしなかった。しかし、仮想世界の利便性を懸命に説明したことで、なんとか納得してもらえたという訳だ。…両親には伝えていないが、その理由に、「彼と会えるから」という動機も、勿論混ざっている。
そう言えば、二年ぶりに親交を再開した深澄も、思った通りALOプレイヤーであった。あのゲーム好きな性格なら、きっとキリト君やリズ達と仲良くなれるだろうと考えた上で、それとなく「一緒に遊んでみない?」と提案してみたのだが、何やら深澄には、今はまだやるべきことが残っているらしく、「それが済んだら、また明日奈の友達にも会わせて欲しい」との返事が返って来ていた。
アスナ「そう言えば、オフ会にアルファ君とユウキは参加するの?」
キリト「え、えぇと…さっき連絡してみたけど、まだ返事が来てないから…」
アスナ「…そっか…」
ふと、キリト君に聞きたかったことを思い出した私は、それを訊ねてみたのだが、期待通りの返答は得られなくて、少しがっかりしてしまう。
…私が、仮想世界から解き放たれたその日、彼は須郷信之と、現実世界でも文字通りの血を流した死闘を繰り広げた末に、私の元へやって来てくれたあの瞬間、私は本当に満たされていた。でも、面会時間もとっくに過ぎていたこともあって、彼が早々に病室から出て行ってしまったその後、私はすぐにそれを思い出したのだ。
あの日まで、SAOに囚われていた約六千人のプレイヤーを救い出した少年と少女は、その代償として命を散らしてしまったことを。私にとっては大切な友でもあった二人とは、もう二度と会うことは出来ないのだと悟ると、不意に、悲しみの涙が止まらなくなった。がしかしその翌日になって、実はアルファ君もユウキも現実世界に生還していることが、キリト君の口から聞かされたその時は、今度は嬉し涙が溢れ出してきたことを今でも覚えている。
だからこそ、私は元SAOプレイヤーが集う帰還者学校にて、もう一度二人と出会うことが出来ると、そう信じて疑わなかった。それは、母親に反対されようとも、「今更編入できる高校なんて無いんだから」と反論してまで、帰還者学校に入学した理由の一つでもあったのだ。
だが結果から言えば、二人は帰還者学校には姿を現さなかった。中等部高等部、どの学年を探しても、二人の姿は無かった。…SAO帰還者の中には、SAOの記憶など思い出したくないと、帰還者学校には通わない生徒もいるらしい。
…でも、私は二人が、そう思っているとは思わないし、思いたくない。確かに楽しい事ばかりじゃなかった二年間だったけれど、あの世界で共に闘い、笑い、過ごした日々を、二人が忘れたい記憶だなんて思っているとは、信じたくない。だからこそ、私は今日も心の中で祈るのだ。
──ユウキ、アルファ君。わたし、また二人に会いたいな。
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アルファ「…後は、味噌を溶かせばいいんだよな?」
母「そうよ。味見しながら、ね」
アルファ「…」
母さんに言われた通り、俺は自分の思う味噌の量をスプーンで掬い取って、それを既に鰹節で出汁を取ったスープの中で溶かしていく。味はこれで完璧だろうと、味噌汁の調理を終え、ガスコンロの火を消し、換気扇はもうしばらく回しておくことにした。
親父は…今日も仕事で忙しいということなので、休日だというのに、早朝に家を出てしまったらしい。三人分の味噌汁を用意した俺は、それを食卓に並べた。これで昼食のメニューが全て揃ったので、俺も母さんと姉貴と共に席に座って、お昼ご飯を食べ始めた。
アルファ「そういや、なんで味噌って沸騰させたらダメなんだ?先に味噌汁作ってから、具材放り込んでも良くないか?」
姉「確かに、味噌汁を沸騰させるのはNGってよう聞くけど…なんでかは知らんなぁ」
母「風味が落ちたり、味噌に含まれる栄養が少なくなるのと…後は、沸騰したら味が濃くなるから、とかじゃない?」
アルファ「へぇ、なるほどなー」
ふと、白米を口に運びながら、味噌を入れる手順が決まっていることに疑問を覚えた俺は、それを二人に訊ねてみると、なんとなくそれっぽい答えが返って来た。ここ一カ月ぐらい前から、母さんや姉貴から料理を学ぶ機会が多くなっている。
色々理由はあるが、やはり姉貴が二週間ほど前に言っていたように、多忙であれば多忙であるほど、今の俺には良い薬となるのだろう。お昼ご飯を食べ終えた俺は、少し英単語やらなんやらの勉強でもしようかと、自室で勉強机に向かった。
…全く、二年前の俺が今の俺を見たのならば、俺のこの圧倒的成長度に度肝を抜くのだろう。あの頃の俺からすれば、俺が自主的に勉強机に向かうことなど、有り得ないだろうからな。勉強机が活用される時など、テスト前ぐらいだった。
アルファ「…そろそろ、準備するか」
数十分の間勉学に勤しんでいた俺だったが、ふと、部屋に置いてある時計を確認する。約束の時間も近づいて来ていることに気が付き、まずは朝からほったらかしていた寝癖を直そうかと、洗面所に向かった。
洗面所の鏡に映る俺は、まだまだ痩せ気味ではあるが、以前よりは身体に肉が付いてきた気がする。日々のトレーニングの成果なのか、筋肉に至っては、二年前よりもしっかりしているのではないだろうか。
これは余談だが、俺はガリガリに痩せたことで初めて、人間の腹筋が元から割れているという衝撃的な事実に辿り着いた。いつの間にか筋肉愛好家と化してしまった翔太によると、腹筋とは、筋肥大を行うからこそカッコよく見えるのであって、痩せすぎの状態で元から割れている腹筋が浮かび上がってきた奴らが、細マッチョを自称することは有り得ないの一言らしい。細マッチョとは、ゴリマッチョを目指してそれと同じトレーニングをすることによって、その過程で発現する新たなる筋肉美らしく……これ以上翔太の自論を垂れ流すのは辞めておこう。いつまで経ってもキリがない。
俺は洗面所にて寝ぐせ直しを行い、髪型は中学の頃とさほど変わらず、そのままの形を維持している。外用の服を身に纏った俺は、財布やらなんやらをミニバッグに詰め込んで、もう一度鏡で自分の姿を確認してから、玄関に移動した。
アルファ「じゃあ、行ってくる」
母「いってらっしゃい」
何処にでも売っているような靴の紐を結んで、俺は家族に一声かけてから、玄関の外に出た。そのままの流れで自転車に乗りたくなってしまうが、生憎今日は徒歩と電車での移動だ。俺は我が家から集合場所に向けて歩き始めた。
集合場所に指定されていた場所は二年前と変わらず、特別なものは何もない、しかし少し広めの公園である。そこに集っていた五人は…二年前とは背丈やらファッションセンスやらが色々変わっているが、本質的な所は何も変わっていない。
アルファ「まだ集合時間の三分前だろ?俺は遅刻じゃないぞ」
樹「まぁそうだけど、今日の遊びの時間を昼にずらしたのは、歩夢が朝寝坊して遅刻しないようにするためだぜ?」
アルファ「…マジ?」
亮也「流石に嘘だ…多分」
アルファ「おい、この企画考えた奴誰だよ」
莉緒「うちやで!…ま、ちょっとは歩夢のこと考慮してあげたかも」
アルファ「俺だってちゃんと起きれるからな」
本日は、学生から社会人にまで広く渡って愛され続けている黄金週間。ゴールデンウィークが始まって三日目だ。
というわけで、俺もみんなも学校があるわけでもなく、俺もようやく健康を万全の状態にまで回復出来たことから、五人で遊びにでも行こうじゃないかと、こうして予定を合わせたわけである。
この公園を集合地にしているのは、小学生からのことで、何時しかこの公園で遊ぶことは無くなっていったが、それでも今尚俺達にとっては、思い出深い場所として、確かにこの公園は存在していた。
日葵「歩夢…なんだか、凄くオシャレになったね」
翔太「そうだな。歩夢は中学生の頃は、適当な服ばっか来てたからな」
アルファ「うっせぇ。中学生の俺は、制服と練習着だけで十分だったんだよ」
日葵が俺を見つめながらそんなことを呟いてきたもんだから、俺もこの二年間で、オシャレ偏差値がグンと上がったことを、今更ながらに実感する。
改めて自分の今着ている服装を振り返ってみると、白と青の重ね着、緩めのズボン、そしてこの前家族で出掛けた時に買ったネックレスと…まるで君とデートしたその日とそっくりの格好で…このオシャレ力でさえ、君がくれたものなのではないのだろうかと、また君を思い出してしまった。
……いや、感傷に浸ってる場合じゃないよな。今日はみんなと楽しく遊びに行くんだ。こんな気持ち、何処かに置いて行かないと。
日葵「…歩夢?」
アルファ「…ん?どうした?」
日葵「…ううん、何でもないよ」
俺が自分の心の中の気持ちを整理してると、日葵が不意に俺に声を掛けていた。何かあったのだろうかと俺が訊ね返すと、途端に莉緒が、俺に訊ね掛けてきた。
莉緒「歩夢!今日の日葵は、いつもよりも一段と可愛く見えるんちゃう?今日はしっかりオシャレしてるからなぁ~?」
日葵「莉緒!?」
アルファ「…」
…莉緒に言われて初めて気が付いたが、よくよく日葵の姿を見つめてみると確かに、俺が入院中に度々勉強を教えに来てくれた日葵よりも、お洒落に気合いが入っているようにも見える。がしかし、そんなこと言ったら翔太やら莉緒やら亮也もだし…樹は相変わらず何着ても似合ってるな。
とそんな感じで、みんながみんな中学時代よりもオシャレ力をアップさせていて、その差に気が付けなかった。…俺もかなりオシャレに磨き掛かったとは思っていたが、実際はそんなこと無いのかもしれないな。
莉緒「感想は?」
アルファ「…うん、御淑やかな日葵に、よく似合ったファッションだと思う」
日葵「っ!?」
亮也「歩夢にファッションとか分かるようになったのか」
アルファ「…それは、どうだろうな」
取り敢えず、思ったことを口にしておくと、亮也がツッコミを入れてくるではないか。だが残念ながら、俺もそれには何も言い返せない。
…だって、俺がお洒落足るものが何たるかを知ったのが、あの世界なわけで。要するに、武器とか防具とかに付随するアクセサリーであったり、防具自体の装飾や見た目であったり、凡そこの世界では有り得ないようなファッション知識に関しては、それなりには精通しているだろうが、この世界のファッションとなると…怪しいものである。
そんなこんなで俺を含めて六人が集合したので、いつもと変わらない様子で公園を出発し、駅へと向かって行く。春先の気持ちの良い日差しが、ぺちゃくちゃと絶えず他愛も無い会話を続ける俺達を照らし出していた。
俺達が住んでいる町は、同じ長野市だとは言っても田舎の方で、電車に乗り込んで市内でも活気のあるエリアへと向かった。電車を降りて少し歩くと、懐かしの巨大施設が見えてくる。
アルファ「ここに来るのも、久しぶりだな」
樹「そうだな。六人でここに来るのは、オレも久しぶりだぜ」
目の前に聳え立つ長方形の建物は、巨大ダンジョン…ではなく、カラオケ、ボウリング、スポーツ施設等々、様々な遊びを一か所に集約させたアミューズメント施設である。
俺が小学生高学年ぐらいから中学生の間に、友と頻繁に訪れていた場所だ。これが全国どこにでもあるのかは知らないが、まぁ長野県にあるのだから、何処にでもあるだろう。
久しぶりに耳に響き渡る、人工的な大音響に驚きながらも、俺は建物の内部に入って行った。何でも今はゴールデンウィーク特別企画として、いつもよりも安い価格でカラオケとボウリングの両方を楽しむことが出来るらしい。
六人で多数決を採った結果、まさかの全会一致でボウリングから始めることに決まったので、俺達はそれ専用のシューズに履き替えてから、いざボウリング場へと参戦した。
翔太「ガーターか…」
アルファ「いくら筋肉があっても、その使い方が下手じゃあ意味ねぇんじゃね?」
翔太「筋肉の足りない奴には言われたくないんだが?」
アルファ「…まぁ、見てろって!」
翔太が、力み過ぎたスローイングで、見事ガーターに球を転がしたのを皮肉と共に見送ってから、俺は一呼吸挟み、集中力を高める。
簡単に言えば、ボウリングは身体の筋肉を如何にして流暢に連動させるか否かが、重要なポイントとなって来る。ならば、あの世界で過ごした二年間で俺が身に付けた、筋肉の効率的な動かし方を以てすれば、ストライクを連発することなど、圧倒的余裕ッ!!
翔太「普通、だな」
日葵「あんなに意気込んでたのに、結果は芳しくなかったね」
俺の見事な投球から放たれた一撃は、七本ピンを吹き飛ばしただけで、ストライクとは行かなかった。
…まぁ、そりゃそうだろ。あの世界ではこんな投球フォームを使うことは無かったのだから、ストライクを簡単に出せないのは、当然のことである。
続けて投げた二球目も、一本吹き飛ばしただけで、至極普通の結果となった。翔太と日葵に皮肉を返され、俺に続いた日葵は…いとも簡単そうにストライク。
アルファ「日葵って、マジで器用過ぎないか?」
日葵「…私、ボウリング部だから?」
アルファ「慣れない嘘はつくもんじゃねぇよ」
本当に、日葵という奴は勉強からスポーツに至ってまで、基本的に何でもこなせるのだ。翔太が筋力、亮也が頭脳、樹が顔、莉緒がコミュニケーションを得意とするのだとすれば、その全てを兼ね揃えているのが、日葵という訳である。
その要素だけでも、そりゃあモテることは確定しているのだが、どういう訳か今までに一度も彼氏を作ったことは無いらしい。…え?俺は何が特徴なんだって?特に特徴なんてねぇよ。顔が可愛い所が特徴だなんて、思いたくもないからな。
莉緒「それじゃあ、お待ちかねの勝負と行こか!!」
樹「ビリの奴が、一位の奴にジュース奢りで!!」
亮也「おいおい樹、こういうのは言い出しっぺが負けるってお決まりだぞ?」
樹「オレが負けるわけ無いだろ」
アルファ「完全にフラグ立ったな、今ので」
肩慣らしがてらに、ボウリングを一巡した俺達は、次の一巡は、真剣勝負と行こうではないかと、場が盛り上がる。六人共かなり実力は均衡しているので、誰がビリになるかは分からない闘いとなるだろう。勿論俺も、負けてやるつもりなど更々無いので、本気で行かせてもらう。
順番は、莉緒→樹→翔太→俺→日葵→亮也で、運命の一巡目は、樹と日葵がスペアを、残りの四人は団栗の背比べというスタートとなった。闘いはドンドンと白熱していき、そして結果は──
莉緒「うっそー!うちの負け!?」
亮也「僕が一位か。まぁ、当然の結果だな」
アルファ「カッコつけるな。俺と一ポイント差じゃねぇかよ」
亮也「…そこは突っ込まないでくれよ」
ビリが莉緒、優勝が亮也となり、莉緒は亮也に缶ジュース一本奢る嵌めになっていた。順位の詳細を説明しておくと、二位が俺、三位が日葵、四位が樹、五位が翔太で、ビリ争いは五ポイント差で決着が付いてしまっていた。
身体も十分に動かしたことだし、お次はカラオケを楽しもう、ということになって、俺達はボウリング場を後にした。受付で指定されたボックスに入り、皆適当に腰掛ける。
莉緒「…じゃあ次は、カラオケ大会しよー!ビリは勿論奢りで、一番得点が高い人が勝ちってことで!」
亮也「待ってくれ!?若干一名敗北が確定してるんだけど!?」
莉緒「ん?なんのこと?」
アルファ「亮也も、俺が居ない間に歌の練習したんだろ?今回も余裕の一位だよな?」
亮也「…仕方ない。なんとか最下位を回避するしか…」
樹「…ま、無理だろうけどな。流石に」
莉緒のその最低な提案に、誰もが乗ったはずだったのだが…亮也だけは、それに必死に反対していた。何を隠そう亮也は、かなりの音痴だ。それ故、こんな勝負を始められては、必ず彼の敗北が決定してしまうだろうが…まぁ、缶ジュースの奢り分が誰かに還元されると考えれば、それも良いだろう。
順番は先程と変わらず、俺達は歌うま大会を開催した。俺の番が回ってくるまでの三人は、こぶしだのビブラートだの、誰もが上手に歌っていた。そして俺の出番がやってきたわけで、俺も約三分半ほどの軽快なポップを歌ったのだが──
莉緒「…歩夢、もう古いんよ。それ…」
アルファ「別にイイだろ?俺が好きなんだから。俺は逆に、皆が何歌ってるか分からなかったぜ」
中学時代、余り音楽に熱中していなかった俺は、その当時から既に音楽知識は薄く、しかもその傾向は二年間の仮想世界生活を経ても変わっておらず、自分のお気に入りのアーティスト以外の曲は、流行りの曲でも積極的には知ろうとはしなかった。
そのツケがここで回ってきたのか、皆が上手に歌っているのは分かるものの、そのどれもがほぼ初めて聞く曲だったわけだ。俺が歌った曲を作っているアーティストは、当時はかなり流行っていたはずだけど、もう今はそんなに人気じゃないらしい。
点数は88点と悪くはなく、この先、今のところの最低点83点を亮也が越えられることは無いと思うので、もう安心していいだろう。俺は日葵にマイクを渡すと、日葵は十秒ほどの間奏の後に、歌い始めた。
日葵「♬~」
アルファ「……」
日葵が歌い出した曲は、しんみりとした洋楽だった。日葵の持つ柔らかな歌声と流暢な発音が、カラオケボックスを包み込んだ。
……彼女と日葵は、違う。彼女はこれ程流暢な発音では無かったし、声の音色だって違う。…でも、日葵の歌い方は、どうにも君の子守唄を俺に思い出させるんだ。…出来れば、もう一度…もう一度だけでもいいから、俺に子守唄を聞かせて欲しい…だけど…君は──
日葵「歩夢?」
アルファ「……どうしたんだ…?」
日葵「…もしかして、楽しくない…?」
アルファ「え?…勿論楽しいに決まってるだろ?悪いな、ちょっと考え事してた」
いつの間にか日葵は歌い終え、今は亮也がテンポと音のトーンが何処かズレた歌声を響かせていた。日葵が遠慮気味にそう訊ねてきたものだから、俺も慌ててそんなことは無いと、こちらの落ち度を説明しておく。
結局、カラオケ大会は亮也の敗北、樹の勝利に終わり、金額的には樹の独り勝ちで、勝負は終了した。建物の外に出ると、既に日は落ちていた。
時刻的にも丁度良いだろうと、駅までの道中にあるファミレスに入った俺達は、そこで晩御飯を済ませることにする。
莉緒「ちょっと、うちらお手洗い行ってくるから」
アルファ「りょーかい」
それぞれが注文した料理を食べ終え、食後はドリンクバーとデザートを少しずつ食べながら、あれやこれやとみんなでお喋りしていると、莉緒と日葵がトイレに行くと言って席を立ったので、場に残されたのはむさ苦しい男子四人となってしまった。
樹「おい、歩夢」
アルファ「なんだ?」
樹「…今日はもう遅いんだからな。ちゃんと日葵のこと、家まで送ってやれよ?」
アルファ「そりゃ解ってるけど…それなら、亮也もだろ?」
樹が俺の肩を小突きながら、ニヤニヤとそんなことを言って来たが、それは俺だって分かっている。夜間に街灯が少ない住宅地を、女の子一人で歩かせる気など、俺にも無いのだ。
それに、俺は家に帰るまでに日葵の家が通り道にあるから、勿論のことなのだが、ならば亮也もそうだろうと、彼に話を振ったわけだ。
亮也「…悪いな、歩夢。僕は今日、早く家に帰って彼女と連絡を──」
アルファ「お、おまっ!?彼女居るのか!?」
亮也「…まぁな…だから、日葵のことは任せる」
アルファ「亮也の件については後でじっくり聞くことにして…じゃあ、代わりに翔太が行くか?」
翔太「……いや、いい」
アルファ「お前、日葵のこと好きだったじゃねぇかよ。良いチャンスになると思うぜ?」
翔太「……俺は御呼ばれじゃないからな。歩夢が行ってくれ。…それに、だったら莉緒は誰が送るんだって話になるからな」
アルファ「そういや莉緒も女の子だもんな…それもそうか」
樹「今の莉緒に聞かれてたら、げんこつは確実だったぞ?」
アルファ「バレてないからいいんだよ」
とまぁ、亮也に彼女が居るとか言う新情報が手に入って、驚きを隠せなかった俺がいるが、まさか翔太が日葵と二人きりになるチャンスを手放すとは、思いもしなかった。
…翔太の反応的に、もしかしたら俺が眠っている二年間の間に、既に振られてしまったのかもしれない。嫌な事を思い出させてしまっただろうか。亮也の彼女とやらの写真を眺めていると、女子二人も帰ってきたので、それからもうしばらくファミレスに居座ってから、俺達は店を出た。
それからは、駅まで特に寄り道することなく引き返し、タイミングよくやってきた電車に乗り込んで、最寄り駅に到着する。途中まではみんなで一緒に帰路を歩いたものの、遂にそれぞれに家までの分岐点がやって来て、今日はそこで解散となった。
一同「バイバイ~!」
アルファ「日葵、俺が家まで送ってく」
日葵「え?」
アルファ「あ…要らなかったか?」
日葵「う、ううん!!…ただ、歩夢がそんなこと言ってくれるなんて、ちょっとびっくりしちゃっただけだよ」
アルファ「日葵の中の俺の評価って、かなり低くないか?」
日葵「そんなことないよー…なんか歩夢って、ちょっと丸くなったよね。中身も口調も」
アルファ「…そうか?」
日葵「うん、そうだよ。だって昔の歩夢は、もっとトゲトゲしてたよ?」
アルファ「…確かに、そうかもなぁ…」
亮也は家への最短ルートを、翔太が莉緒と一緒に、樹は一人だけ方向が違うので、そちらへと向かって歩いて行くのを見送ってから、やっぱり夜間で一人帰るのは怖かったのか、その場に残っていた日葵に一声かけて、一緒に帰路を歩き始めた。
二人で気安い会話を交わしながら、今思い返してみると、思春期による反抗期真っ只中だった俺の中学時代を思い出し、少し恥ずかしい気持ちになる。
俺も日葵も、図らずとも会話を絶やすことなく、等間隔に薄明るい電柱が並ぶ住宅街を、笑い合いながら歩き続けた。もう後五分も歩けば、日葵の家に到着するだろう。
日葵「……ねぇ、歩夢」
アルファ「…どうかしたか?」
不意に、俺の隣を歩いていた日葵は、艶掛かった黒髪を靡かせながら、俺の前に躍り出た。
どうしたのだろうと俺が声を掛けると、日葵は瞼を閉じて、一度大きく息を吸い込んでから、それを吐き出し、やがて開けた瞳で俺の眼を真っすぐ見つめてきた。
日葵「……私ね、久しぶりに歩夢と遊べて、楽しかった。」
アルファ「俺も、楽しかったぜ」
日葵「…歩夢が目を覚ましてくれて、本当に嬉しかった。毎日学校帰りに歩夢の居る病院に行くのが、凄く嬉しかった。毎日が輝いて見えた。…私、歩夢が居なくなって、初めて気づいたの。大切なものは失ってから気が付くんだってこと。…ううん、きっと、ずっと前から気が付いてた。でも、歩夢がどんな顔をするか怖くて、言えなかった」
日葵「それでも、歩夢は戻ってきてくれた。失わないで済んだ。…また歩夢が居なくなっちゃうぐらいなら…もう、私は逃げない」
日葵「──好きです。私は、貴方のことが好きです。良かったら、私とお付き合いしてください」
アルファ「……」
──本気だ。
日葵の瞳は、揺るぎない信念で染め上げられている。これが冗談であると思えるほど、俺も鈍感ではない。
…よもや、日葵が俺にそんな感情を抱いているとは思いもしなかったが、こんな結果になるとは。あの四人も流石に思いもしなかっただろう。
…さて、現実逃避はそろそろ辞めようか。俺にとって日葵は、嫌いな人ではない。寧ろ、小学、中学、そして今日まで仲良くやって来た程であるから、俺は日葵に好感を抱いているのは、間違いないだろう。しかも日葵は、俺のことを本気で好いてくれている。であれば俺は──
──アルファ
アルファ「…っ…」
ふと脳裏に浮かび上がる、君の姿。それが日葵の手を掴もうとする俺の身体を、無理矢理に止めた。
…でも、君はもう、俺のことは好きじゃないし、あの日君は、俺に別れを告げた。君のせいで心に生まれた大きな空洞は、未だ埋まる術を知らない。
……だったら、今俺が日葵を選べば、日葵がこのポッカリと空いた心の穴を、ちゃんと埋めてくれるのだろう。日葵に愛を向けられて、俺も日葵に愛を向けて、それで、この虚しい心も満たされるのではないだろうか。
……そうだとも。恋愛なんて、上書きセーブ式だ。俺と君との恋なんて、よくあることじゃないか。ただ、その舞台が仮想世界という類稀なものであっただけで、それ以外は、特段何も特別な事じゃないだろう。誰かと恋して、別れて、また誰かに恋して、別の誰かと結ばれる。
…それでいい。それが正しい選択だ。日葵と付き合って、また二人で愛を育めば、いつしか君との恋も、忘れられるのだろう。だからこそ、俺は──
アルファ「……ごめん…日葵とは、付き合えない…」
──掴むべきであった。もう君に温もりを求められない以上、日葵の手を取るべきであった。だのに、俺の心は、日葵を拒絶した。まるで、この胸の虚無感は、君にしか埋められないのだと言わんばかりに。そんなわけが、無いのに。
もう何処に居るかも分からない君に、俺は盲目のままに救いを求める。心の空洞の埋めたくて、愚かにも君の姿を探し続ける。拒絶される痛みを知った上で、日葵を受け入れない。日葵が俺と同じように、心に傷を負うと分かっていたのに、日葵を傷付けた。
日葵は俺の答えに、やはり一瞬だけ傷付いたような表情を浮かべてから、しかしすぐにそれは姿を消した。
日葵「……そっかぁ…」
アルファ「…ごめん…ごめん…日葵…俺は…」
日葵「言わないで。……結局、最後まで歩夢は、私を見てくれなかったね…私を選ぶかどうかじゃなくて…誰かを裏切るか否か、そんな顔をしてたよ…」
アルファ「…ごめん…」
日葵「……本当に、悪いと思ってるなら…一回だけ、手、握って?…それで、許してあげるから…」
…見透かされていた。本当は、日葵ではなく、別の少女を脳裏に浮かべていたことを。それを言わせてしまった。気が付かせてしまった。それは日葵を、更に傷付けるだろう。
心と言葉と行動が乖離し過ぎて、最早心の底からそう思ってるかも分からなくなってきた謝罪の言葉を口にすると、日葵は儚い微笑を浮かべながら、俺の右手を掴んできた。
アルファ「…俺、最低だな…」
日葵「…ホント、最低だよ……絶対いつか、歩夢のこと後悔させてあげるんだからね…」
アルファ「……あぁ、こんな俺なんて、幾らでも後悔させてくれ…」
せめて日葵を傷付けまいと、俺は日葵の左手を握り返すも、やっぱり、日葵じゃ俺の心の穴が埋まらないことを教え込むように、彼女には、俺の求める何かが足りなかった。
必死に泣き出すのを耐えながら、俺の温もりを離さないよう掌の力を強める日葵の顔を横目に見つつも、俺は彼女と共に、終わりが近い残り僅かの帰路を、再び歩き始めた。
次回の投稿日は、一月十五日の土曜日となります。
では、また第112話でお会いしましょう!