~SAO with Yuuki~   作:うずつるぎ

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第114話 独りぼっちの世界

 夕暮れ時を終えた世界は、暗い夜を迎えた。ボクの瞳に映る簡素なウインドウには、この世界と向こうの世界を繋ぐ唯一の架け橋であるログアウトボタンが、そこにあった。

 …一体いつからだろう。初めはあんなにも探し求めていたログアウトボタンが、今はもう二度と現れなくてもいい物…寧ろ、存在しないで欲しいと、この世界こそが、ボクにとっての現実世界であって欲しいのだと、そう思わせられるようになったのは。

 それは紛れもなく、目の前に居る君が、この二年間の間、ボクの隣で寄り添っていてくれたからなのだろう。ボクは疑いなくそう信じられる。

 ……だからこそ、本当に君の為を思うのならば…この甘い夢は、ここで終わりにしなければならない。

 

 アルファ「…なぁ、ユウキ」

 

 ユウキ「…どーしたの?」

 

 ふと、彼がボクに対して、太陽のような眩しい笑みを向けながら、ボクの両手を君の両手で包んでくれた。

 君の綺麗な笑顔をこの瞳に映して、君と比べると小さなボクの両手が、君の大きな手に温かく包み込まれるだけで、ボクの決意は砂の城のように、瞬く間に崩れ去り、このままずっと、彼に甘えていたくなる。

 

 アルファ「…ユウキの本名って、なんなんだ?」

 

 ユウキ「え?」

 

 アルファ「いや、だって、現実世界に帰ったらさ、俺、すぐにユウキに会いに行きたいから。…もっともっと、ユウキのことを知って、ユウキと毎日を生きて、ユウキと笑い合っていきたいんだ…。だからせめて、名前ぐらいはいますぐにでも知りたいな、って…」

 

 ユウキ「……」

 

 何の迷いも無く、純粋な瞳でそう語りかけてくる彼を見て、ボクは堪らず視線を落とした。そしてボクの置かれている現実を思い出し、再び決意を胸に刻み込む。

 …これ以上は、アルファに迷惑を掛けられない。アルファが真実を知れば、優しい彼はきっと、ボクに散々気を遣ってしまうだろう。ボクの為に、多くの時間を無駄にするのだろう。

 …もうこれ以上は、ボクが君の貴重な人生のページを、例え一行であろうとも、汚すわけにはいかない。君に対して、禁断とも言える恋心を曝け出したその時から、最後はこうするのだと、ボクは自分で決めていたのだから。

 …だからボクは、嫌に軋む心の悲鳴に耳を塞いで、彼に答えを返した。

 

 ユウキ「………アルファ…ボク達…ここで終わりにしよう…」

 

 アルファ「……ぇ……?」

 

 ボクがなんとか、声を震わせないように気を付けながらそう言うと、彼は全くボクの言葉の意味を呑み込めないまま、だけど直感的に、ボクが君の前から居なくなることを悟っているのか、ゆっくりとボクに向けて、その右手を伸ばしてくる。

 …掴みたい。彼の手を掴んで、ずっと一緒に居たい。無責任のままに、ずっとボクの傍に居て欲しいと、そう叫びたい。自分の放った言葉と心模様が、余りにかけ離れ過ぎていて、胸が苦しい。痛くて仕方がない。涙が零れ落ちそうになる。

 ……でも…ボクは──

 

 ユウキ「……きっと…きっとそれが、アルファにとって…一番幸せな選択だから…だから──さようなら、アルファ──」

 

 最後まで、君の前では笑顔で居られたのかな?

 

 涙を流さないで、笑っていられたかな?

 

 それだけ言い残したボクは、もう限界が近かった涙腺を堪えるのに必死で、素早く左人差し指で虚空を叩いた。

 次の瞬間には、ボクの身体を鮮やかなブルーが包み込み、遂にボクは、アルファとボクを繋いでくれた世界から、姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「紺野さんの意識が回復しました!!」

 

 「人体に影響は見られません!!」

 

 「メディキュボイドを停止させます!!」

 

 ふと、誰か複数人の声が、聞こえてきた気がした。顔を覆う何かが自動で取り外されたことに気が付き、ボクは徐に瞼を開けようと…しかし、その直前に、消毒液のような長らく嗅いでいなかった匂いを感じ取り、もしや、と一気に目を開く。

 でも、人工照明という、この二年間一切目にしなかったものは、余りにも眩し過ぎて、ボクはすぐに眼を閉じてしまった。そして、ボクはそこで気が付く。

 人工照明…それがあるということは…。今度はゆっくりと、瞼を開いた。正面のガラス窓には、見慣れた看護師さんと、見たことの無い人達が、そしてボクの主治医である倉橋先生…。

 

 倉橋「木綿季くん!聞こえるかい?」

 

 ユウキ「……」

 

 ……あぁ、そっか…。…ボク、現実世界に帰ってきちゃったんだ。あの世界での甘美なる夢は、もう終わっちゃったんだ…。

 …もう、アスナやリズ、シリカにユナ、キリト、ノーチラス……そして何よりも…アルファには、会えないんだ…。

 深い、深い喪失の余韻が、ボクの全身を襲った。もう二度と、アルファの姿をこの目に収めることは出来ない。ならばせめて、最後ぐらいは、もう二度と君を忘れないように、君の姿をこの目に焼き付けておけばよかった。

 心にポッカリと、大きな穴が開いたような感覚に陥り、ガラス窓の外側から発せられる音を、上手く拾えない。

 

 倉橋「木綿季くん!聞こえているなら返事をしてくれ!!」

 

 ユウキ「………うぅ…えぐ…あぁ…ひっぐ…アルファぁ…あるふぁぁ…あるふぁぁ!……うわああああああぁぁぁん!!!」

 

 ガラスの向こうからの呼びかけなど、もうどうでも良かった。

 ただ、もうアルファに会えない。会いたいのに、ずっと一緒に居たいのに、それはボクには許されない。その事実だけがボクの全てを支配し、涙が止めどなく溢れ出した。

 どれだけ泣き叫びながら君の名前を呼んでも、いつもならすぐに、何処からでも、何処にだって駆け付けてくれたボクのヒーローは、もう応えてくれない。ボクの身体を抱き寄せ、大丈夫だと囁き、ボクの心を安心させてくれない。

 ボクはその悲しみを吐き出すように、しばらくの間泣き喚き続けた。

 

 

 

 

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 ボクが現実世界に戻って来てから、約一カ月が経過した。その間には、本当に色んなことがあった。

 まず一番大きなことは、臨床試験として、ボクが被験者になったメディキュボイドのデータが、その内学会で発表されるらしいことだろう。

 二年間に及ぶ連続的なフルダイブをし続けようとも、特に重大な健康被害を受けなかったボクの前例は、メディキュボイドという機械が医療機器として躍進していく中で、大きな意味を持っているのだと、倉橋先生は熱心に語っていた。

 ボクは変わらずバイオクリーンルームに居るけれど、今、この場にメディキュボイドは無い。もう後三週間ほどすれば、再び改修及び改良されたメディキュボイドがボクの元に届き、そしてまたボクは被験者として、臨床試験に臨むことになるらしい。

 でも、二年間に渡ってフルダイブし続けたことから、もうボクには、長期間連続してフルダイブする必要はないのだとか。

 

 倉橋「木綿季くん、こんにちは」

 

 ユウキ「こんにちは、先生」

 

 ふと、ガラス窓の向こうから、倉橋先生がここにやって来たことに気が付く。次いで、ボクに話し掛けてきたことにも気が付き、ボクも挨拶を返した。

 

 倉橋「投げ出さないで頑張ってるんだね」

 

 ユウキ「…う、うん…せめて、お風呂までは自力で歩けるようにならないと…」

 

 倉橋「なんであれ、前向きになることは良い事ですからねえ」

 

 現在ボクは、歩行器具を使った軽いリハビリを行っていた。

 とは言っても、ボクはクリーンルーム内でしか活動出来ないので、往復するまでの距離は短く、それ故にボクは何度も部屋の中を往復しながら、この二年間で失われた筋力を少しでも回復するよう努めていた。今はメディキュボイドがクリーンルーム内に無いので、普段よりはリハビリのためのスペースを確保出来ている。

 

 ユウキ「…ふっ…ふっ…ふっ…」

 

 まさか、歩行という単純な動作が、こんなにも体に負担のかかるものだったとは、想像もしなかった。

 こんなボクが、ほんの一カ月前までは、あの世界で縦横無尽に、フィールドや町を駆け回っていたなんて想像もつかないや。

 どうしてボクが歩行訓練をしているのかと言えば、それは、倉橋先生に告げたように、クリーンルームに隣接する滅菌室に設置された、ポッド式の特殊な入浴装置を利用する為なのだが…あれは浴槽部分が狭すぎて、お風呂というよりは、まるで洗濯されているような気分になる。

 …あの世界での入浴が恋しくなるが、やっぱり現実世界で頭と体を洗えるというのは、気持ちの良いものだ。

 

 …ただ、ボクは本当に、お風呂場まで歩けるようになる為だけに、歩行訓練をしているというのだろうか。お風呂場までは車いすを使えば、それで事足りるのではないだろうか。そんな自問自答が、頭の中に浮かび上がって来る。

 ……もしかせずともボクは、自分の病気が全て完治して、アルファの元へと舞い戻れる夢でも追い掛けているのだろうか。…あぁ、その通りだ。だからこそボクはこうして、辛い歩行訓練を、決して辞めはしないのだ。

 …全く、夢を見るにもほどがあるだろう。そんなことは、到底不可能だというのに。

 

 ユウキ「…ふぅ…今日はお終い…」

 

 倉橋「お疲れ様、木綿季くん。…そう言えば、仮想世界でもお風呂に入れるんでしたよね。現実世界と仮想世界だと、どちらの方が気持ちの良い入浴なんだい?」

 

 ユウキ「ん~…VRワールドのお風呂は、ちょっとお風呂っぽくないから…でも、慣れると気持ちいいし…その質問は、難しいです…」

 

 倉橋「ははっ、そうかい…慣れると、気持ちの良いものなんだね」

 

 倉橋先生は偶にこうして、ボクにSAOでの出来事を訊ねてくることがある。勿論ボクとしても、あの世界での出来事を思い返すこと自体は嫌いでは無いので、こうして倉橋先生の質問に答えていると、ついつい口が滑ってしまうのだ。

 

 ユウキ「…もうすぐ一年前ぐらいの話なんですけど、ボク、人魚の国のお風呂に入ったんですよ」

 

 倉橋「ほう、人魚の国ですか」

 

 ユウキ「はい、そこの銭湯は泳げちゃうぐらいにとっても広くて、ボクはアスナと一緒に女湯に入ってたんだけど…男湯の方から、キリトとアルファが……あれ……?」

 

 倉橋「…木綿季くん…」

 

 ユウキ「…ごめんなさい。やっぱりボク、お調子者だから…」

 

 気が付くと、涙が頬を伝っていた。やっぱりみんなとの幸せな思い出を脳裏で再生すると、自然と涙が溢れてくるんだ。ボクだって、泣きたいときは泣く。

 倉橋先生には、例え一カ月の時が流れようとも、変わらずずっと大好きなアルファのことを、泣きじゃくりながら話す日だってあった。でも、こうして何でもない話をする時はせめて、涙は流したくないのに…感情って不便だなぁ。勝手に涙が、溢れ出してくるんだから。

 ……会いたいなぁ……抱き締めて欲しいなぁ……もう一回だけでいいから、好きって言って欲しいなぁ…でも、もうアルファには会えないんだね…。

 その事実に、やはり涙は図らずも、ボクの両目から零れ落ちてくる。結局、一カ月経とうとも、泣き癖は直らないまま、ボクは暫く涙を流し続けた。

 

 

 

 

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 あれから更に、二カ月の時が流れた。ボクは今、一カ月ほど前に再び設置された、メディキュボイドのメインメモリに構築されている、プライベートVR空間に、独り座り込んでいた。

 何やらこの空間は、メディキュボイドの使用者が、機器を活動拠点とする為に、部屋としての装飾が出来るらしいが…ボクは一切それには手を付けず、暗闇と無機質な床だけが広がる空間で、ニュースサイトやらテレビやらを、複数のウインドウに映していた。

 …アルファやアスナが、ボクの部屋を訪れるというのなら、ボクも張り切って部屋の内装を整えたのだろう。…でも、もう誰もここを訪れることは無いのだから、そんなことをする意味もないのだ。

 

 ユウキ「…帰還者、学校…」

 

 ふと、ネット記事を読み漁っていると、元SAOプレイヤーの中高生を中心にした補助的な教育機関が、今月から学校として機能し始めたという情報を記載している記事を見つける。

 …アルファはきっと、その学校でみんなと楽しくやっているのだろう。…きっと、その学校でみんなと、授業を受けたり、休み時間にお喋りしたり、お昼ご飯を一緒に食べて、放課後は何処かに遊びに行ったりするのだろう。

 …あぁ、ボクもそこに行けたらな。どれだけ楽しい時間が過ごせたんだろうな。ありきたりな生活を、ボクも送りたかったな。

 

 ユウキ「…羨ましい、なぁ…」

 

 願わくば、ボクも普通の人生を送りたかった。ボクが普通の人として生まれ、その上でアルファと出会い、恋に落ちて、幸せになりたかった。

 ……アルファ。ボクが仮想世界で出会った、最愛の人。本当の名前も、年齢も、何処に住んでいるのかも…ボクは、君のことは知らないことだらけだ。

 …それでも、君の好きな色、好きな食べ物、君の魅力、君の隠れた性格…それよりもっと大事なことを、ボクは沢山知っているんだ。なら、それでいい。それで充分だよ。

 

 倉橋「木綿季くん、おはようございます」

 

 ユウキ「おはよう、先生」

 

 倉橋「僕の声が聞こえるということは、まだセリーン・ガーデンには行ってないんだね?」

 

 ユウキ「あ、はい。ちょっとネットニュースを見ていました」

 

 倉橋「へぇ…何を見ていたのかな?」

 

 ユウキ「…先生。ボクはね、乙女にそんなことは、聞くものじゃないと思うんだ~」

 

 倉橋「ははっ、これは失敬失敬…」

 

 ユウキ「それじゃあ、今からセリーン・ガーデンに行ってみます」

 

 倉橋「いってらっしゃい」

 

 ボクの発言に朗らかに笑う先生に、セリーン・ガーデンにログインすることを伝える。ボクはアプリ起動ランチャーを操作し、<セリーン・ガーデン>なる仮想世界へと続くドアをVRルームに呼び出した。

 …思えば、現実世界に帰って来て以来、ボクは今から始めて、VRワールドにログインすることになる。セリーン・ガーデンとはVRホスピス、つまりは末期患者の緩和ケア用のVRワールドとして、2023年の九月に運営が開始されたらしい。

 ボクがそんな仮想世界に向かうことになったのは、倉橋先生に「偶には気分転換に、VRワールドに行ってみてはどうだい?」と提案されたからである。倉橋先生は決して言葉にはしないが、ボクの容態を気に掛けたが故なのだろう。

 これはなんとも不思議な話なのだけれど、ボクがSAOで過ごしている二年間は、最初こそ過度なストレスを感じていたものの、それ以降はかなりボクのストレス状況も安定し、心身ともにかなりの好影響をもたらしていたらしい。

 更には、あの世界での経験が、何かボクの身体を刺激したのか、エイズや日和見感染症の進行が急激に抑えられ、日和見感染症に至っては、ボクの身体に残された数少ない免疫機能が、それに打ち勝ったものもあるとも先生は言っていた。

 ……その理由は恐らく、ボクがあの世界で出会った沢山の人との関わり合い…そして、大好きな人がいつも傍に居てくれたからに違いない。…だからこそ、ボクはそんな驚異的な奇跡に出会えたのだろう。

 ……でも、この世界に帰還し、独りぼっちになって以来、再び症状の進行が始まった。倉橋先生は、そんなボクの容態をもう一度好転させるために、VRワールドに可能性を見たのだと思う。

 

 ユウキ「…おぉ~…」

 

 セリーン・ガーデンに初ログインする際の、簡単な初期設定を終えたボクは、いざ仮想世界に降り立ってみると、思わず感嘆の声を漏らしてしまった。

 ボクが今いる場所は、この世界の中央にある<セレニティ>という名前の首都らしいが、その欧州風の荘厳な街並みは、あの世界で様々な景色を眺めてきたボクでさえ、感動してしまう程だ。

 この世界の売りは、<世界の美しさ>とネット上のホームページに記載されていた。確かに、その細かな景観の様子は、SAOにも負けないどころか、それ以上ではないかと思わされるほどであった。

 それからボクは一時間半ほど、この世界の街並みを暫く観光したり、この世界のゲーム要素である採取等を遊んでみた。だけど──

 

 ユウキ「……楽しく、ないな……」

 

 …いや、決して楽しくないわけではない。だが、何処か決定的なものが足りないのだ。

 …それは、一体なんだろう?SAOの世界のような、派手なバトル要素?それとも、SAOの世界のような、生きる活力を感じる世界の雰囲気?…ううん、どっちも、違うや。

 ……ボクの隣に君が居てくれないから、何をしても、物足りないんだ。もう左手をそっと横に伸ばしても、君の温かい手を掴むことは出来ないし、君にちょっとした発見を共有しようと思って、チラリと隣を見ても、君は居ない。そんな寂しさが、未だ胸に空いたままの空洞に吹き通り、ボクにまた虚しさを覚えさせる。

 

 ユウキ「…もう、帰ろっかな」

 

 それを認識した途端に、隣に君がいない空虚感を思い出してしまったボクは、すぐにログアウトボタンを押した。

 

 

 

─────────────────────

 

 

 

 

 倉橋「こんばんは、木綿季くん」

 

 ユウキ「こんばんは、先生。…この時間に来るなんて、珍しいですね」

 

 現在時刻は、午後十時前。この時間帯に先生がここに来ることは、ボクの言葉の通り珍しい。

 ボクの入院しているここ横浜港北総合病院の消灯時間は、22時ちょうどであるので、この時間にここに来る人は、ボクの万が一に備える為の夜勤の看護師さんである。そんな中先生がここを訪れたということは、何か大切な話でもあるのだろうかと思い、ボクもレンズ越しに身を構えた。

 何故ボクが今、VRルームに居るかというと、それは今回の臨床試験のテーマが、「メディキュボイドを利用しながらの睡眠と覚醒」ということなので、ボクは眠るときに限っては、こうしてメディキュボイドを利用する必要があるというわけだ。

 …まぁ確かに、あの二年間の間では、睡眠は兎も角、覚醒という観点に関しては、調査も出来ていなかっただろうし、納得のいくものである。

 

 倉橋「えぇ、木綿季くんに、少し話しておきたいことがあってね」

 

 ユウキ「…何ですか?」

 

 …やっぱり、そうなんだ。ボクは予感が的中したことに若干驚きつつも、緊張した声で先生に訊ね返すと、先生はあくまで柔和な表情、ソフトな声色で、続ける。

 

 倉橋「…今日の午後十一時から、ALOというゲームの中で<伝説の城>なるものが甦るらしいよ」

 

 ユウキ「っ!」

 

 先生の言葉に、思わずボクは息を吞んだ。

 …どうして先生が、そのことを知っているのだろう。ボクは先生にそれを話した覚えなんて無いんだけど…いや、その話は、ネットやテレビニュースでも大々的に告知されていた。

 元SAOプレイヤーとしての観点に立てば、ある意味ではトラウマを呼び起こしてしまうのではないかという指摘が、VRワールドに少々過敏すぎる世論では為されつつも、あの世界は元々ゲームとして作られたのだから、今度こそは安全なゲームとして、勿論少し構造は変えつつも、提供するのが我々の見解である、という強固な姿勢を、新生ALOの運営体が取り続けていたことは、広く話題になっていた。

 ならば、先生がそれを知っていたとしても、おかしな話ではないのだろう。

 

 倉橋「…もしかすれば、木綿季くんがあの世界で仲良くしていた人たちも、そこを訪れているかもしれない…行ってみては、どうかな?」

 

 ユウキ「……」

 

 倉橋「…それだけだよ。じゃあ、また明日」

 

 ユウキ「……」

 

 倉橋先生は、何も言えなかったボクにそれだけ言い残して、その場を去って行った。

 ……今日は、特別な日だった。本日は五月二十三日…ボクの、十七歳の誕生日なのだ。…君にとってはもう、今日はなんてことの無い一日なのかもしれない。それでも、ボクにとっては、今日という日は君が二年間に渡り、ボクの誕生日を心からお祝いしてくれた、とてもとても大切な日なのだ。

 そんな特別な日に、君と恋に落ちて、愛を育んだあの世界が蘇るなど、これはもう偶然だとは思えなかった。必然だと思った。ボクには辛辣な神様が、気まぐれで与えてくれた誕生日プレゼントなのだと、そう思わずにはいられなかった。

 …君とは、何か約束を交わしたわけではない。もしかしたらもう君は、ボクのことなんか好きじゃなくって、誰かほかの女の子に恋しているのかもしれない。そう思うと、凄く胸が苦しい。

 …でも君なら、あの場所に来てくれる…そんな気がした。普段はたいして予感の当たらないボクだけど、君に関することだけは、良く予感が的中するんだ。君ならば、ボク達が初めて出会ったあの森に、やって来てくれるのだろうと、そんな確信があった。

 

 ……だからこそボクは、最後の最後まで迷いに迷ったんだ。君に会い行く為にALOにログインするか、そうしないか。でも結局ボクは、ALOにログインしなかった。もう時刻は午後十一時半。今から向かったとしても、大遅刻だ。きっと君はもう、そこには居ないだろう。

 …別に、君に諦めがついたわけじゃない。寧ろ、時間が経てば君への気持ちも次第に風化していくだろうと思っていたのに、日に日に君への想いが膨れ上がっていくんだ。今すぐにでも、会いたい。君に会いたい。会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい──。

 君の身体をぎゅっと抱き締めて、君に強く抱き締められて、愛していると囁いてほしくて、激しく唇を奪って欲しくて…それだけじゃなくて、もっともっと深く愛して欲しい。

 ……でも、もしこの気持ちに任せて、無責任に君の元へ向かったのなら…もし本当に、君がそこで待ってて居てくれたのならば、ボクは君に、全てを打ち明けなければならないのだろう。

 ……それだと、本末転倒だよ。君の為を思って、自分の心に嘘をついてまで、君に別れを告げたのに、また君の優しさに甘えてしまったら、それこそ君が幸せになれない。

 …なればこそ、ボクはALOにはログイン出来ないまま、その日は眠りについたのだった。

 

 

 

───────────────────

 

 

 

 

 「──ユウキ」

 

 大好きな人に名前を呼ばれて、意識を急速に覚醒させたボクは、気が付くと、黄金色に輝く夕焼け空が天を覆う世界を、認識した。

 次の瞬間には、背の低い草原で、こちらに穏やかな微笑を向けながら佇んでいる彼を見つけて、ボクは無我夢中でその身体に飛び込んだ。

 

 ユウキ「アルファ!」

 

 アルファ「…どうした?」

 

 …ボクの大好きな、アルファの落ち着く匂い。そんな彼の匂いを上書きするように、ボクは懸命に彼の身体に頭を擦り付けた。彼の身体をぎゅ~っと抱き締め、胸に渦巻く気持ちを遠慮なく彼にぶつける。

 

 ユウキ「もう、何処にも行かないで!ずっとボクの傍に居て!ボクだけを愛して!」

 

 アルファ「…どうしたんだよ。俺は、何処にも行かないに決まってるだろ?」

 

 ユウキ「だったら、ボクのことが好きだって、愛してるって、言葉にしてよ!」

 

 アルファ「俺はユウキが、大好きだ。ずっとずっと、愛している」

 

 ユウキ「…ボクも、ずっとアルファだけを、愛してるよ…」

 

 ボクの心の叫びに、彼は穏やかに笑いながら、ボクの背中をトントンと優しく叩いて、ボクを慰めてくれる。

 …あぁ、幸せだ。彼を愛して、彼に愛されて……ずっと、この時が続けばいい。この時間が続いてほしい。そう思うボクの心とは裏腹に、ボクの創り上げた理想の世界が、ゆっくりと崩壊していく。やがて容赦なく訪れた崩壊の波は、ボクとアルファを簡単に引き裂き、そして──

 

 ユウキ「……」

 

 ──目が覚めた。本当の意味で、意識を覚醒させた。ボクが目覚めた先は、殺風景なVRルーム。そこには勿論彼は居らず、居るのはボクだけだった。そうであるとは分かっていても、君が隣に居てくれているのではないだろうかと、そんな淡い希望は今尚消えない。

 

 ユウキ「……アルファ……」

 

 また、無意識のうちに君の名前を呼んでしまった。一日に何度か、こうしてボクは君の名前を、呟いてしまうのだ。まるでいつしかその声が、君の元へと届き、そして君がボクを、この独りだけの世界から救い出してくれるのではないかと、またそんな儚い夢想を抱いている。

 …正直言ってボクは、あの世界で終わりを迎えても、良かった。寧ろそれが、ボクの望みですらあった。愛する君の為に、奇跡的なタイミングで発現した、月光スキルの最上位スキル<月の残光>によって、自らの命と引き換えに彼の命を繋ぎ、しかし彼もその命を終え、君と共に、最期の瞬間を過ごす。…これ程にまで甘い死であるのならば、ボクはそれで良かったのに。満足していたのに。

 

 …ボクは最近、よく考える。もし、君がボクに見せてくれた弱さを利用して、二人で最前線から中層にまで逃げられていたら、ボクは今でも、君と一緒にあの夢の世界で、幸せな時を過ごせていたのではないだろうかと。

 実際、彼がヒースクリフのシステムマジックを疑っていた時に、ボクは言い淀んだ。勿論ボクも、それに違和感を覚えていたが、もしボクがそれを伝えれば、君は必ず無茶をすると思った。だからこそボクは、あの夜に君なんとか言い包めてしまい、あれはヒースクリフのスキルであったと、そう思い込ませようかと真剣に迷った。

 …それでも、ボクとは違ってまだ折り返し地点も迎えていないであろう君が、いち早く現実世界に戻って、幸せを得られるのならば、この結果で良かったのだろう。

 

 ……大丈夫。ボクはもう、大丈夫だよ。君があの世界で、絶え間なく注いでくれた愛情が、まだボクの心を温めてくれる。……だから、ボクが生を全うするその時まで、まだボクは君の残滓を胸に、生きていけるんだよ…。

 ボクはまるで、自分にそう言い聞かせるように、心の中でその言葉を、繰り返し呟き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 帰還以来のsideユウキを簡潔に?纏めました。
 次話はまた、アルファ視点の続きとなります。

 次回の投稿日は、一月二十日の木曜日となります。

 では、また第115話でお会いしましょう!
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