~SAO with Yuuki~   作:うずつるぎ

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第115話 見え始めた真実

 アルファ「…お願いします、先生。俺は…ユウキにもう一度逢うために、ここまで来ましたから」

 

 倉橋「そうですか。…よくぞそう答えてくださいました」

 

 俺の確かな一言に、倉橋先生は深く頷いてから、そう答えた。

 …でも本当は、知りたくない。先生から語られる君の真実を、知りたくない。だけど同時に、知りたい。もっと君のことを、知りたい。

 …君ならば?もし君が、俺と同じ立場なら?…きっと君であれば、勇気を振り絞った一歩を踏み出すはずだ。だからこそ俺も、今にも逃げ出しそうな心と身体の衝動を抑え込み、真実を事実として受け止めよう。

 目の前の主治医はもう一度、深い嘆息を吐いてから、穏やかに、しかし確かな信念の籠った瞳で、俺を見据えた。

 

 倉橋「<ウインドウ・ピリオド>という言葉を聞いたことはありますか?」

 

 アルファ「…え……確か、ウイルス感染に関することですか?」

 

 倉橋先生から放たれた、余り聞き慣れない言葉に、俺は一瞬硬直した。

 …どうやら、最初から話の本質に至るわけではないらしい。そうとばかり思っていた俺は、かなり精神を、筋肉をも緊張させて、身体を強張らせていたので、少々呆気に取られてしまった。

 …だが、保険の授業でそんなことを習った気もするなと、余り詰まっていない記憶を思い返してみると、珍しく少しだけ思い出せたので、それを言葉にした。

 

 倉橋「その通りです。人間が何らかのウイルスに感染したと疑われる場合、主に血液を検査するわけですよね。検査の方法としては、血液中のウイルスに対する抗体を調べる<抗原抗体検査>、そしてより感度の高い、ウイルス自体のDNA・RNAを増幅して調べる<NAT検査>があるわけですが、そのNAT検査を用いても、感染直後から十日前後はウイルスを検出できないのです。この期間を、<ウインドウ・ピリオド>と呼びます」

 

 倉橋先生から語られた言葉は、所々は俺には理解出来ない単語が混ざっていたが、そんなことは今はどうでもいい。

 …先生が、ウインドウ・ピリオドについて語るその理由。それはすなわち、この話が、君に大きく関係しているということなのだろう。この後先生から何を告げられるのかは、分からない。しかし、自分の心臓の音が、やけに五月蠅い。

 

 倉橋「──その<ウインドウ・ピリオド>の存在ゆえに、必然的に起こってしまうことがあります」

 

 倉橋「それは、献血によって集められる、輸血用血液製剤の汚染です。無論、確率は低い。一度の輸血によって何らかのウイルスに感染してしてしまう確率は、何十万分の一でしかありません。しかし、その数字をゼロにすることは、現代の科学では不可能なのです」

 

 先生の口から小さく吐き出された吐息に、極微かな無力感を俺は感じ取った。

 

 倉橋「木綿季くんは、2008年の五月生まれです。難産で、帝王切開が行われました。その時……カルテでは確認できなかったのですが、何らかのアクシデントにより大量の出血があり、緊急輸血が施されたのです。用いられた血液は、残念ながらウイルスに汚染されてしました」

 

 アルファ「……なっ……」

 

 …そんな不幸が、君に限ってあって良い筈がないだろう!?そんな確率、まさに何億分の、何兆分の一ではないか!?

 そんな俺の心とは裏腹に、漏れた声は、言葉にすらならない微かな衝撃であった。一瞬チラリと視線をよこした医師は、すぐに眼を伏せ、続けた。

 

 倉橋「今となっては、確たることは判らないのですが、おそらく木綿季くんが感染したのは出産時かその直後。お父さんはその一カ月以内でしょう。ウイルス感染が判明したのは九月、お母さんが受けた輸血後の確認血液検査によってです。その時点では……もう、家族全員が……」

 

 アルファ「……せ、先生……ユウキの…ユウキの病気は、何なんですか…?」

 

 彼女自身だけではない。その家族さえもが、ウイルスに感染してしまったのだと、倉橋先生は重々しく語った。

 ドクドクドクと、心臓の動悸が嫌に激しくなっていくのを感じ取れる。呼吸は気が付くと浅くなっており、それでもなんとか絞り出した声で、俺は遂に、「それ」を訊ねる。すると倉橋先生は、短く、重く答えた。

 

 倉橋「<後天性免疫不全症候群>…AIDSです」

 

 アルファ「……!」

 

 目の前の主治医から、それを告げられた時、俺は頭の中が、真っ白になりそうだった。心臓はバクバクと鳴り響き、視界が無性に、チカチカと点滅するんだ。

 …この大病院を見た時から、君の主治医に出会った時から、或いは友からメディキュボイドなる物の存在を知らされたその時から、もしかすれば、そうなのかもしれないと、心の何処かでは考えていた。だが、それが実際に、事実に変化してしまうと、やはり息が詰まってしまう。

 ……思えば君は、あの世界で現実世界のことを話すのは、避けているように見えた。それとなく誤魔化したり、話を変えたりして、決して現実世界での出来事を話そうとはしなかった。…あれは、君なりの線引きだったのかもしれない。今なら、そう説明がつく。

 ………いや、待て。いま倉橋先生は、エイズだと言ったよな…?なら……保健の授業で習ったじゃないか!!

 

 アルファ「…せ、先生!でも、エイズなら!そんなに怖い病気じゃないのでは!?ちゃ、ちゃんと治療を始めたら、エイズの発症を押させられるし…薬をきちんと飲めば、健康な人と同じような生活が送れるって!!」

 

 俺が微かに見えた希望にしがみ付くように、いつしか勉強した保健の授業内容をそのまま、思わず席から立ち上がって、倉橋先生に迫りながら、そう叫んだのだ。

 …そうだ。そうなんだよ!エイズは別に、しっかりと対策すれば、そんなに恐れる必要のある病気じゃないだろう!!だったら、ユウキもこの病院に通院しているだけで!!ただ帰還者学校に通っていないだけで!!偶々お偉いさんとパイプがあって、メディキュボイドの被験者に選ばれただけで!!別に何も──

 

 倉橋「…」フルフル

 

 アルファ「せ、せん、せい…?」

 

 ──決定的であった。倉橋先生が、俺を労わるような目で見つめながら、確かに首を、横に振ったのだ。主治医が俺の意見を否定する…その意味が解らないほど、俺も馬鹿では無かった。いや、いっそ馬鹿でありたかった。

 倉橋先生は、あくまでも穏やかに、俺に言葉を掛けてくる。

 

 倉橋「よく、勉強しているんですね。アルファ君の言う通り、現在ではエイズという病気は、世間で思われているほど恐ろしいものでは無いのです」

 

 倉橋「たとえヒト免疫不全ウイルスに感染しても、早期に治療を始めることが出来れば、十年、二十年という長いスパンでエイズの発症を抑えることも可能です。薬をきちんと飲み、健康管理を徹底することで、感染以前とほとんど変わらない生活を送ることだってできるのです」

 

 倉橋「……しかしその一方で、不運なことに、感染したウイルスは薬の効きづらい<薬剤耐性型>でした」

 

 アルファ「…そ、んな…」

 

 グラリ、グラリと、視界が揺れる。脳が揺れる。頭の中が大きく揺さぶられて、何かに叩き付けられるように重く響いて、まともな思考が出来ない。ただ、医師から放たれた一言が、俺の脳内を木霊し、いともたやすく俺の淡い理想を打ち砕く。

 目の前の風景が、ずっとグラグラと揺れ動き、モノトーン調に点滅して、平衡感覚が失われそうになる。膝から崩れ落ちてしまいそうな気持ちを何とか堪えて、俺はふらりと倒れ込むように、椅子に座り直した。

 

 倉橋「木綿季くんのお母様は、家族全員の感染が判明した後、皆で死を選ぶことも考えたそうです。しかし、お母様は幼少のころからのカトリック信徒でいらした。信仰の力と、もちろんお父様の力もあって最初の危機を乗り越え、病気と闘い続ける道を選ばれたのです」

 

 アルファ「闘い…続ける…」

 

 倉橋先生から発せられた言葉を、俺も反唱しながら、何となく…だが核心的に、それを理解した。どうして君はあんなにも、最前線で闘い続けることを辞めはしなかったのか。

 …そりゃあ、そうだろう。生まれた時からずっと、病気と闘い続けている君が、今更闘いから逃げるという選択肢を、取るわけが無いのだから。生まれて以来ずっと、闘いに身を投じているのだから。

 だからこそ君は、俺なんて足元にも及ばない程、あんなにも心が強かったのだろう。今やっと、君の強さの本質を、少しだけ理解できた気がした。

 

 倉橋「ええ。木綿季くんには、生後すぐに多剤併用療法が開始されました。一番危険な時期を脱してからは、体は小さくても元気に育って、小学校にも入学したのです。──たくさんの薬を定期的に飲み続けるというのは、子供には辛いものです。逆転写酵素阻害剤は、副作用も強いですし。それでも、木綿季くんは、いつかは病気が治ると信じてがんばり続けた。学校もほとんど休まず、成績もずっと学年トップクラスだったそうです。友達もたくさんいて、私も当時の動画を何本も見させてもらいましたが、いつでも輝くような笑顔でしたよ」

 

 僅かな間。そして再び医師が小さくため息を漏らすのを、俺はまた感じ取った。

 

 倉橋「──木綿季くんはがHIVキャリアであることは、学校には伏せられてしました。それが普通なのです。学校や企業の健康診断では、血液のHIV検査を行うことは禁じられてします。しかし…彼女が六年生に上がってすぐの頃です。経路は不明なのですが、木綿季くんがキャリアであるということが、同学年の保護者の一部に伝わってしまったのです。噂はすぐに広まりました。…HIV感染を理由とするいかなる差別も、法によって禁じられていますが、残念ながらこの社会は、善なる理念によってのみ動いているわけではない…。彼女の通学に反対する申し立てや、あるいは電話や手紙による有形無形の嫌がらせが始まり案下。ご両親も随分頑張られたようです。しかし、結果として一家は転居することを余儀なくされ、木綿季くんも転校することになってしまったのです」

 

 ユウキが、そんな悲しい出来事に遭っていたことを知らされたその時、俺は途端に腹の底から、業火のような怒りが込み上げてくる感覚を覚えた。

 …でも、そんなやり場のない怒りをここで発露させたからと言って、如何にかなるわけでもない。俺は喉まで出掛かっていた激情を、ゆっくりと呑み込んだ。

 

 倉橋「木綿季くんは、涙一つ見せることなく、新しい学校にも毎日通い続けたそうです。ですが……残酷なものですね。ちょうどそのころから、免疫力低下の指標となる<CD4>というリンパ球の数値が急激な減少を始めました。それはつまり……エイズの発症、ということです。私は、そのきっかけになったのは、彼女の心を痛め続けた前の学校の保護者や教師たちの言葉だと今も信じています」

 

 …言葉とは、言霊。それを口に出せば、人を楽しませ、喜ばせ、幸せにするだけの力を、充分に持っている。しかしその一方で、簡単に人を傷付け、大いに悲しませ、激しい苦痛を与えるだけの力も、また言葉は持っているのだ。だからこそ当時のユウキは、そんな心のない言葉に、少しずつ心を疲弊させてしまったのだろう。

 …何故だろうか。自分のことじゃないのに、君の経験だというのに、胸が締め付けられるように、俺の心も痛いんだ。それは彼も同じようなものなのか、これまでと変わらず穏やかな声で話を進めつつも、ほんのわずかに響いた鋭い呼吸音が、彼の中に滲む怒りを表しているようだった。

 

 倉橋「──免疫力が低下することによって、通常では容易に撃退できるはずのウイルスや細菌に冒されてしまう。それを<日和見感染>と言います。木綿季くんも、ニューモシスティス肺炎という感染症を発してこの病院に入院することになりました。それが三年と半年前のことです。…とは言っても、既にその三ヶ月前には、木綿季くんはこの病院で長期入院することが決定していましたから、中学校に通うことはありませんでした。それでも、病院では、木綿季くんはいつも元気でしたよ。にこにこと笑顔を絶やさないで、絶対に病気なんかには負けないといつも言っていました。辛い検査にも、泣き言一つ漏らさなかった。ですがね…」

 

 …ユウキは、中学校には通っていない…。ならば、あの博識ぶりや英語能力は、彼女が院内で、いつかは中学生として復帰できるのだと、高校生、大学生になれるのだと、そう信じて絶え間なく努力をし続けてきた証なのだろう。

 それに気が付いた俺は、きゅっと、また胸が切なく締め付けられた。

 

 倉橋「細菌やウイルスは、病院の中、そして何より患者自身の体内、いたるところに存在します。入院しても日和見感染のリスクは存在し続けますし、また多剤併用療法が長引くと、ウイルスが更なる薬剤耐性を獲得してしまう危険も増加します。肺炎に続いて、木綿季くんは食堂カンジタ省に感染しました。──ちょうどその頃に、世間はSAOという世界初のフルダイブ型VRMMOがリリースされることが、話題となっていました。そんな中で、国と一部のメーカーによって研究開発が続けられていた医療用ナーヴギア…つまり、メディキュボイドの試作機一号機が完成して、臨床試験の為にこの病院に搬入されました。しかし、試験と言っても、ナーヴギアの更に数倍の密度に引き上げられた電子パルスが、長期的に脳にどのような影響を与えるのか誰にも推測できなかった。リスクを承知したうえで実験に協力しようという患者さんは少なく…その中に、木綿季くんが居たわけですが…」

 

 …エイズ、ニューモシスティス肺炎、食道カンジタ症…知っている病気から、聞いたことも無いような病気まで、次々と医師の口から語られる、ユウキの置かれた残酷な現実を目の当たりにして、俺は一度それから目を背けるように、別のことを考えようと努め始める。

 …メディキュボイドなる医療用フルダイブ機器が、ナーヴギアの発展形であるとは、俺も知らなかった。ナーヴギアの数倍というパルス発生素子を装備し、全身の体感覚を完璧にキャンセルすることが可能で、更に、アミュスフィアは勿論のこと、ナーヴギアを上回る処理速度のCPUを持つというメディキュボイド──。

 ならば、そんな特別な機器で、SAOプレイヤーとしてあの世界に囚われた君が、一万人の中で一番の反応速度を得られたのは、マシンの強さに由来するものなのだろうか?当然の結果であったのだろうか?

 ……いや、いつも君の傍で闘い続けてきた俺が、そんなことを考えるのは、荒唐無稽であろう。彼女の強さは、決してマシンの強さによるものだけでは無かった。

 彼女は確かに、俺とあの世界を生き抜き、己の力で剣技を鍛え上げ、俺と共に切磋琢磨し、戦闘能力を昇華させていったのだ。あの世界で培った力を、彼女本人の強さであると言わずに、マシンの強さであると考えることなど、以ての外だ。

 

 倉橋「数人の被験者候補から、木綿季くんが選ばれた理由は、彼女のVR適性値が、他の被験者候補の方と比べても、大きく上回っていたからなのです。私が木綿季くんに、メディキュボイドの被験者にならないかと、そう提案した理由は、長期間安定したテストを行うために、メディキュボイドがクリーンルームに設置されることになったからなのです。クリーンルームとは、空気中の塵や埃のほかに、細菌やいい留守なども排除された環境下なのです。ということは、もし被験者としてクリーンルームに入れば、日和見感染のリスクを大幅に低下させることが出来る」

 

 つまりは今ユウキは、安全な場所に居るんですね。そんなことを訊ねたくなるも、同時にそこが絶対的な安全地帯ではない気がして、どうにも言葉に詰まる。言葉を放とうとしても、喘ぐように苦しい呼気が出て行くばかりであった。

 先生は、そんな俺を眺めながら、更に言葉を続ける。

 

 倉橋「今でも、それが木綿季くんにとって良い事だったのかどうか、迷うこともあります。エイズの治療においては、<QOL>──クオリティ・オブ・ライフというものが重視されます。生活の質、という意味ですね。治療中の生活の質をいかに高め、充実したものにするか、という考えです。その観点に立てば、被試験者としてのQOLは決して満たされたものとは言えない。クリーンルームから出ることも、誰かと直接触れ合うことも出来ないのですからね。私の提案に、木綿季くんもとても悩んでいました。しかし、バーチャル・ワールドという未知の世界への憧れと…偶々、僕が伝手で入手した、一本のゲームカセット、<ソード・アート・オンライン>が、木綿季くんの背を押したのでしょうね…。彼女は被験者候補として申し出て、被験者として選ばれ、その日以来クリーンルームに入りました」

 

 倉橋「丁度木綿季くんがクリーンルームに入ったその日が、SAOのリリース開始日でね。木綿季くんは、僕が渡したゲームカセットを、不安と期待を孕んだ眼差しで眺めていました。…何せ、メディキュボイドの被験者としてクリーンルームに入るということはそれすなわち、これから長い間、ずっと小さな部屋に籠り続けることになるのですから。ならば、仮想世界とは言えど、自由に外を動き回れるという事実は、彼女にとってはとても良い刺激を与えてくれたのでしょう。……ですが、アルファ君もご存じの通り、SAOのデスゲーム化に伴い、あの日以来木綿季くんは、仮想世界に幽閉されてしまった。当時使用していたメディキュボイドも、その大部分がナーヴギアを流用して造られたものでしたから、当然彼女にも、死の枷が取り付けられてしました。思えば、当時のメディキュボイドは試作機とは言え、もっとナーヴギア自体の安全性を確認してから、開発に取り掛かるべきだったのでしょう。しかし彼女は、見事二年間生き残り、現実世界へと戻って来てくれたのです」

 

 彼女が、そんな特殊な状況下で、デスゲームに巻き込まれていたことは、勿論今日初めて知った。

 君は何を思い、あの世界で生き抜き、何を思い、あの世界で闘っていたのか……あぁ、そうか。君は、現実世界に帰りたいと願っている人、そして、現実世界でこちらの帰還を望んでいる待ち人の為に、闘い続けるのだと、そう言っていた。自分の為ではなく、他人の為に剣を握り続けていたのだろう。…やっぱり、君は強いな。

 

 倉橋「不幸中の幸い、木綿季くんがSAO事件に巻き込まれたことで、メディキュボイドを利用した、凡そ二年三カ月に渡る連続フルダイブという貴重なデータを収集することに成功し、更には、二年という短期的なスパンで見れば、高密度の電子パルスが脳に与える直接的な影響は見られないという好感触まで得られました。…しかも、木綿季くんが仮想世界に飛び立っている二年間、彼女は病気の進行を、大いに遅らせたのです。それはまさしく、彼女がアルファ君を始めとする数々の人に出会い、仮想世界で沢山の幸せを甘受したからなのだと、僕はそう考えています。勿論、僕もあの世界での全てを彼女から聞いたわけではない。幸せだけでなく、多くの不幸もあったのでしょう。…だからこそ、心の支えを失い、再び病気の進行が始まった木綿季くんの為にも、僕はその一番大きな要因であると考えているアルファ君に、木綿季くんともう一度会っていただきたいと、そう思ったわけです」

 

 君の病気の進行が抑えられている。その発言を耳にするだけで、一気に身体に活力が漲るのを感じ取った。でも同時に、また病気が進行していると聞いて、心が酷く動揺する。だからこそ、俺は先生に聞かねばならなかった。

 ……例え、これまでの先生との会話の中で、薄々その答えを理解していようとも、それでもどうしても訊ねずにはいられなかった。まだ希望があるのだと、そう信じていたかった。

 

 アルファ「先生…ユウキは…ユウキはクリーンルームに入っていれば、大丈夫なんですよね?まだまだ、長生きできるんですよね?」

 

 俺の寄り縋るような問いかけに、彼は僅かに視線を落とし、すぐには答えてくれなかった。しかしやがて俺の眼を見据えると、彼は穏やかな表情で…そして、その中には仄かな諦念を感じさせる眼差しで、答えた。

 

 倉橋「──たとえ無菌室に入っていても、もとより身体に内在する細菌やウイルスを排除することは出来ません。免疫系の機能低下に伴って、それらは確実に勢力を増していきます。木綿季くんは現在、先程挙げた病症に加えて、サイトメガロウイルス感染症による腸炎を発症しており、更には化膿性細菌感染症の発症及び非ホジキンリンパ腫までをも発症し始めた可能性があります…」

 

 ……やめてください。もう、何も言わないでください。

 俺の脳内は、最早処理し切れないほどの情報と苦痛で満ちていた。彼女が抱えている病症の名を聞く度に、ドンドンと「その」可能性が、俺の中で現実味を帯びていく。「それ」だけはあって欲しくないというのに、あってはならないというのに、「その」残酷な推測が、事実として俺の前に現れようとしてくる。

 

 倉橋「──HIV感染から十七年…AIDS発症から約四年。木綿季くんの病状は、着実に末期へと向かっています。彼女も、清明な意識でそれを認識している。木綿季くんが、現実世界に帰還して以来すぐに、自分の住所、本名などのリアルの情報を、メディキュボイドの守秘義務という名目を利用して差し押さえるよう、僕に要求しました。僕はそんな彼女の意思に反した行動を、今採っているわけですが……もう、彼女が何を思ってあなたの前から姿を消そうとしたのかは、お解かりのことと思います」

 

 アルファ「…そんなの……ないだろ……」

 

 君の命の終わりは、着実に近づいている。そのどうしようもない真実が、俺の脳内に響き渡り、辛うじて絞り出した言葉は、その事実をどうにか否定しようとするものであった。

 ……俺はあの世界で、現実世界で生きる君自身を知ろうとはしなかった。聞こうと思えばいつでも訊ねられたはずなのに、俺はそれを怠った。

 …それは、俺が恐れたが故なのだ。そんなわけが無いのに、リアルの世界だろうと仮想世界だろうと、どちらもが俺の…ユウキの生きる現実であるというのに、もし俺が現実世界での話を口にすれば、俺達は、あの世界が単なるゲーム上での薄っぺらい関係性でしかないのだと、君にそう告げられる気がして…そんな有り得ないはずの僅かな不安心が、俺を躊躇させていたのだ。

 ……ふと思い出したのは、俺が初めて、君に恋心を曝け出したあの日。君は涙を流しながら、俺とより親密な関係に至ることを、異常に躊躇っていた。…君は、やがて確実に訪れる別れの時に、俺を巻き込まないよう、それを拒もうとしていたのだろう。

 こうして君の話を誰かから聞くまで、何も気が付かなかった。何も知らなかった。知ろうともしていなかった。俺が知っていたのは、表面上の君ばかりで、君の深い所は、自ら目を背けていたのだ。

 そんな俺はきっと、君を沢山悩ませ、苦しませていた。そんな愚かな自分自身にやっとのことで気が付き、心がどす黒い感情で塗り潰されそうになる。

 だがその直前に、とあることを思い出し、いつの間にか随分と沈んでいた顔を、はっと上げて先生に訊ねる。

 

 アルファ「せ、先生、ユウキって…姉が居たりするんじゃないんですか…?」

 

 訊ねると、医師は一瞬驚いたように眉を上げ、暫し迷ったようだったが、ゆっくりと頷いた。

 

 倉橋「──木綿季くん本人のことでは無いので話さなかったのですが…。ええ、そうです。木綿季くんは双子だったのです。すべての端緒となった帝切が行われたのも、それが原因です」

 

 倉橋「お姉さんは、藍子さんという名前でした。やはりこの病院に入院してしました。あまり似ている双子では無かったですね…。元気で活発な木綿季くんを、いつもにこにこと静かに見守ってしましたよ」

 

 …あぁ、その語り口で話すということは…そう言うことなんですね…。

 また一つ、嫌な事実に気が付いてしまった。いま俺が、どんな表情をしているのかは分からない。だけど涙を流さないよう必死に堪えていることだけは、理解できる。そんな俺を、やはり穏やかに眺めながら、医師は続けた。

 

 倉橋「木綿季くんのご両親は三年前…お姉さんは、二年と半年前に、亡くなりました」

 

 アルファ「………」

 

 もう、何も言えなかった。声を漏らすことも、相槌を打つことも、表情を動かすことさえも出来ずに、俺は淡々とその事実を受け止めることしか出来なかった。…否、受け止め切れたのかさえも怪しかった。

 …七十二層のフィールドダンジョン<夢見の館>にて、君が見ていたあの夢は……まさしく、幸せな夢そのものだったのだろう。制服を身に纏って、双子の姉と一緒に並んで歩いて…。

 …俺は本当に、君をあの夢から醒めさせてしまって、良かったのだろうか?こんなどうしようもない現実が待っているというのならば、最後ぐらいは家族と共に、最高に幸せな夢の中で終わりを迎えた方が、君にとっては幸せだったのではないだろうか?俺は君に、辛い思いをさせただけなのでは無いだろうか?

 また一つ、知らず知らずのうちに君を傷付けてしまった自分に気が付き、同時に彼女が幸せに最期を迎えられる機会を奪ってしまったという、途方もない罪を犯してしまったことを、こんな自分自身を疎ましく思いながらも、認識する。

 

 倉橋「…アルファ君、木綿季くんに、会っていただけますか?」

 

 ふと、目の前に居る医師の声が、俺の頭に響いた。

 ……ここまで勝手に君のことを知っておいて、君に会わないままこの場を去るという選択肢は、もう俺には無かった。

 ……それに俺は、やっぱりどうしても聞かねばならなかった。君が別れ際に放った言葉の意味を、君の口から聞き出さねばならなかった。だからこそ俺は、先生の眼を見据えて、答える。

 

 アルファ「…はい…会わせてください。もう一度ユウキに、会わせてください」

 

 倉橋「解りました。木綿季くんの病室は、中央棟の最上階にあります。行きましょうか」

 

 ラウンジを出て、ユウキの病室を目指していく医師の後ろに、俺も遅れてついていく。

 …ずっと、ずっと頭の中がグラグラと揺れ動いて、耳鳴りが止まないんだ。なんだか上手く重力が感じ取れ無くて、足元もフワフワしているんだ。心と身体の実感が失われ、離れちゃいけない二つのものが乖離していくような、俺はそんな感覚に陥っていた。

 これが現実なのか夢なのか、その区別がつかないような、そんなあやふやな気分だった。…どうせなら、夢であって欲しいと思う。こんな形で君に再会するぐらいならば、いっそ、もう二度と君には会えなくてもいいから、俺は君を失ったという喪失感に苛まれつつも、君が幸せに生きている現実世界があって欲しいとさえ願った。

 俺の心情を察しているのか、倉橋先生は何も喋り掛けてこなかった。中央棟のロビーに三機並んだエレベーターの、一番右のスタッフオンリーと表示があるパネルに、先生が首からぶら下げたカードをかざすと、そのエレベーターの扉がスライドした。白い長方形に乗り込むと、作動音も加速度もほとんど感じないままに、エレベーターが上昇し、やがてチャイムと共にドアが開く。

 

 最上階となる十二階は、部外者の立ち入りを完全に制限しているらしく、エレベーターを出てすぐの所に、ものものしいゲートが設置されていた。それだけで、このエリアが厳重に警備されていることが伺える。先生がゲート脇のセンサーにカードを近づけ、更に掌をパネルにあててバイオメトリクス認証を行うと、金属の遮断バーが降りた。それが閉まらないうちに、先生の後ろをついていく。

 暫く、白いパネルに覆われた通路を歩いていて、俺はそれに気が付いた。ここは窓が一切存在せず、外界の騒音も何一つ聞こえないのだ。聞こえるのは先生と俺の足音と、たまに見かける白衣の看護師の話し声だけだ。確かにこんな空間に居ては、凡そ人間らしい幸せは感じられないのだろう。それを思うと、心が軋む音がする。

 やがて先生が、右側の壁にスライドドアがある場所で立ち止まると、その隣に設置されている金属パネル…<第一特殊計測機器室>という文字を目にする。先生がパネル下部のスリットにカードを通すと、電子音が響き、ぷしゅっという音と共にドアが開いた。

 ドアを潜ると、そこは妙に奥行きのある細長い部屋であった。正面の壁には今通ったようなドアがあり、右側には、いくつかのモニタを備えたコンソールが設置されている。左側の壁は、全面ガラス張りの大きな窓となっているが、ガラスは黒く染まっており、内部の様子は見えない。

 

 倉橋「このガラスの先はエア・コントロールされた無菌室なので入ることは出来ません。了承してください」

 

 先生がそう言いながら黒い窓に近寄り、下部のパネルを操作した。微かな振動音と共に窓の黒が薄れていき、次第にそれは、見慣れた透明色のガラスへと変化した。

 そして俺は、これが悪い夢などではなく、紛れもない現実であることを、ようやく認識する。

 

 アルファ「……」

 

 現実だとは認識したが故に、目の前に広がる光景をまず疑った。俺の目に映るその先は、まるで漫画やアニメの世界に出てくるような、大小さまざまな機械が空間を埋め尽くす部屋であったからだ。

 …背の高いものや低いもの、シンプルな四角形や、複雑な形の機械…それに加えてあれは、歩行訓練用の器具だろうか。よくよく見れば、松葉杖もある。

 そして、やっとのことで気が付く。部屋の中央にある、俺がつい数か月前まで横たわっていたものと同じような、ジェルベッドに。

 …青いジェルに沈むように、見覚えのある小柄な姿が横たわっていた。それに気が付くだけで、やっと君を見つけられたのだと、全身に喜びの鳥肌が立つのを感じ取る。胸元までは白いシーツが掛けられており、その隙間に見える裸の肩は、俺がこっちの世界から戻ってきた時と比べると、まだマシではあるが、それでもかなり痩せていた。

 メディキュボイドからのデータを採る為のコードが、その身に繋がれており、それは周囲の機械へと続いている。愛する君の顔を、直接見ることは叶わなかった。頭部の大部分を呑み込むように、ベッドと一体化した白い直方体が覆い被さっていたからだ。

 それでも、僅かに見える色が薄くなってしまった唇と、そのとがった顎で、そこに居るのが君であることに確信を持てる。

 ……ユウキだ。ユウキだユウキだ!ユウキが居る!ユウキに会えたんだ!!数カ月越しにようやく君の姿をこの目に収められた俺は、その間に溜まっていた君への愛が爆発しそうになるのを抑えながら、聞こえるのかどうかも分からないけれど、君の姿を瞳に焼き付けながら、強烈に君の名前を呼びたくて、自然と君に語り掛けていたんだ。

 

 アルファ「………ユウキ、久しぶりだな……」

 

 メディキュボイドを利用しているということは、君は今、仮想世界に居るのだろう。だから、俺の声は聞こえないかもしれないけれど…それでも俺はユウキに返事を求めるように、小さく呟いていた。

 あの世界で見た時よりも痩せてしまった君の姿は、俺には、今にも消えてしまいそうな儚い美しさを孕んでいるように見えて、とてもとても綺麗だった。その時だ。どこからともなく、大好きな柔らかい声が降り注いだ。

 

 「な………なん……で……」

 

 …ユウキだ。ユウキの声だ!!

 たった一言ではあったが、確かに君の声を耳に受けて、俺の胸は更に高鳴る。どういう訳かは分からないが、君に俺の声が届いるらしい。君には俺がここに居ることが、メディキュボイドを利用しながらでも、認識出来るらしい。

 …何から、話せばいいだろうか。まずは自己紹介?それとも、君に疑問に答えるべき?はたまた、冗談の一つでも言ってみようかな?

 先程までの絶望感は何処へ行ったのか、兎に角ユウキに会えて堪らなく嬉しくなった俺は、晴れ渡るような気分で、君に掛けるべき二言目を、あれやこれやと頭の中で考えていたんだ。

 そんな中、いつもの如く一足早く俺に掛けるべき言葉を見つけたらしい君は、俺に言葉を放ったのだ。

 

 「…なんで…なんでここに来ちゃったのさ!?」

 

 アルファ「……え……?」

 

 君が叫ぶように放った一言は、俺がこれまでに聞いたことの無い程、怒気に満ちたものであった。

 ……なんで…?なんでユウキは、怒っているの?ユウキは、嬉しくないの?俺に会いたくなかったの?

 様々な可能性が頭の中を駆け巡るも、しかし俺は明確にその理由を見つけられないまま、君の言葉を脳内に反響させ、茫然とその場に立ち尽くす。そんな俺に対して、君は更に、怒鳴り散らすように言葉を続けた。

 

 「もう終わりだって、ボク確かにあの時にそう言ったじゃん!!」

 

 「終わりにしたのに、どうしてここに来たの!?」

 

 「もう帰って!!二度と来ないで!!」

 

 やっとの思いで再会した君に、俺は酷く拒絶され、まるで頭を鈍器で殴られたような衝撃が、俺の全身を深く貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 筆者「どうしてこうなった」

 次回の投稿日は、一月二十二日の土曜日となります。

 では、また第116話でお会いしましょう!
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