「じゃあ、今日の授業はここまで」
聞き慣れたチャイム音が、学校中に鳴り響いた。五限目の化学の授業を担当していた先生は、そのチャイムに三十秒ほど遅れてから授業を終了する。
先生方にとってはどうなのかは知れないが、俺達学生からすれば、少ない休み時間の三十秒という物はかなり重要なのだ。起立礼をするや否や、クラス内は一気に騒がしくなり始めた。そんな中俺は対照的に一人黙って、丁寧に鞄の中に荷物を詰めていく。
リズベット「あんた、もう帰る準備してるの?」
アルファ「まぁな」
座席が隣のリズベットに俺は適当な返事をしながら、水筒やらタブレットPC、偶に紙媒体で渡される資料などを綺麗に収納していると、次いで反対隣の彼女が尋ねてきた。
アスナ「でも、まだ筆箱は直しちゃダメじゃない?」
アスナの言う通り、まだ本日は六限目の日本史の授業が残っているので、せめてその準備として、タブレットPCと筆箱ぐらいは机の上に置いておくべきなのだろう。だが、俺は彼女の疑問に対して、全てを詰め終えた鞄をしっかりとチャックしてから、ハッキリと答えた。
アルファ「いや、これでいい」
アスナ「…どうして?」
アルファ「俺は今から帰るからな」
リズベット「…は…?」
アスナの更なる追求に、俺は短く返事をした後に、ヒョイと鞄を背負う。硬直するリズベットのことは放っておいて、俺は彼女たちに背を向け振り返ると、一つ言い残した。
アルファ「そんじゃ、また明日な…いや、ALOでな」
アスナ「…リズ…これはどういうことかな…?」
リズベット「…さぁ?ユウキに会いたくて、遂に頭おかしくなったんじゃないの」
休み時間が残り六分を切ったところで、クラスメートに挨拶をしてから教室を素早く出て行った彼の姿を見つめる二人は、彼の余りに突発的過ぎる想定外の行動に、呆気からんとするより他なかった。
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俺だって最初は、別に早退するつもりなんて無かった。だが、どう考えても早退せざるを得ない状況になってしまったので、こうして今はチャリンコをゆったりとしたスピードで漕ぎながら、駅を目指しているという訳である。
最寄り駅に辿り着いた俺は、そのまま構内へと向かい、いつものとは違うホームへと向かった。すぐにやって来た電車に揺られ、これから約一時間半の電車の長旅に備え、俺が今頃受けているであろう日本史の学習範囲に目を通す。
だがそれだけだと、まだ電車に揺られている最中であったので、続いて今日の数学の学習内容を復習したりしていると、遂に目的の駅にまで辿り着いた。
いつの間にか県を跨いでいたが、まぁ今日の目的地はここだから何も間違ってはいないのだと、普段とは違う駅に降りた時に感じる若干の不安を抑え込む。
駅を出ると一度携帯を覗き込んで、進むべき方向を確認してから、俺は再び歩き始めた。そして数十分後──。
アルファ「…こりゃやらかしたな。完全に…」
何処とも分からぬ住宅街にて、俺は独り途方に暮れていた。地図を見ながら歩いて迷うとは何事かと、そう思われるかもしれないが…いや、実際その通りなのだが…兎に角、俺は道に迷ってしまったのだ。
これは恐らく、土地勘なんて皆無だというのに、こっちの方が早いんじゃね?とか思って地図のルートから外れたのが間違いだったに違いない。と言うかそれ以外に有り得ない。
幸い、まだ携帯の充電あるし、一応目的地もちゃんと分かっているし、なんとかそこまで辿り着くことは出来ようが…少し時間をロスし過ぎるだろう。これは参ったな──。
「ショーネン、道に迷ったのカ?」
その時ふと、背後から誰かの声が響いたのだ。だが…。
……少年?であれば如何に俺が携帯を覗き込みながら右往左往していると言っても、この住宅街を通り抜ける人が、俺以外に一人も居ないとは言っても、俺に呼び掛けているわけでは無いだろう。
…そんなわけが無い。俺は傍から見てもよくわかる、れっきとした青年だからな…。
……いや、残念ながら多分、それは俺のことを指しているのだろう。少年と呼ばれるのには些か憤りを隠せないが…まぁ、声を掛けてくれた人は、かなりの年上なのかもしれない。声は女性っぽかったし…。
…ん?この声、何処かで聞いた気が──
アルファ「…ああ、すいません。ちょっと道をお尋ね……」
と脳裏に様々な思いを駆け巡らせながらも後ろを振り向いた俺は、その声の主の像を目に焼き付け、思わず言葉を詰まらせた。
対する相手方も、よもや俺だとは思わなかったのか、少々驚いている様子である。体格はかなりの小柄で、勿論俺よりも低い。金というか黄色というか、少し色の抜けた髪はくしゃっとショートボブで、黒っぽいセーラー服にカーキ色のパーカー、背中には小さなデイパックが背負われている。
その特徴的な声と語尾、そして体格や髪色からして、目の前にいる人物が誰なのかは、俺も何となく察してはいたが…唯一その認識を左右するのが、その顔であった。何せその顔には、もう左右対称のペイントが三本存在しないのだから。
「…アー坊、カ…?」
アルファ「…おう。久しぶりだな、アルゴ」
あの頃の彼女の態度に似合わない、恐る恐ると言った様子を見せながら俺の名を訊ねてきたアルゴに、俺は微笑みながら返事をする。するとアルゴはすぐにあの頃と変わらない様子に戻って、俺に問い掛けた。
アルゴ「アー坊って、ここら辺に住んでたのカ?」
アルファ「いや、俺は東京に住んでるぜ、今は」
アルゴ「だったらどうしてこんな所に…それにその制服、帰還者学校のダロ?西東京からだと、普通に授業受けてたらここまで来れないはずじゃないカ?」
アルファ「学校は早退してきたんだよ」
アルゴ「そうカ…で、何処に行きたいんだヨ?オレっち、この辺のことなら大体は判るカラ」
アルファ「…あ~…」
アルゴ「なんダ?歯切れ悪いナ」
アルファ「…あの日、「またな」って言っただろ?だからさ、俺はアルゴに会いに来たんだ」
アルゴ「……」
俺のつま先から頭のてっぺんまでを見回したアルゴは、矢継ぎ早に俺を質問攻めしてくる。それに対して俺も、丁寧に一つずつ答えていきながら、少し照れ臭いが、かつてあの城の中で交わした約束を果たすためにここに来たのだと、そう伝えたのだ。
するとアルゴは途端に黙り込み、そしてその末に…彼女にしては珍しく、穏やかな笑顔を一瞬浮かべてから、しかしすぐにそれは彼女が良く見せる皮肉めいた笑顔に移り変わり、俺に答えた。
アルゴ「…そういう気取った台詞は、せめてもうちょっとカッコよくなってから言ってくれよナ。オネーサンは、そんなんじゃ堕ちないヨ?」
アルファ「べ、別にそう言うつもりじゃねーし。変な邪推すんじゃねぇ!」
アルゴ「ニャハハ!アー坊は相変わらずだナ~!」
ニタニタと笑いながらそう宣ったアルゴに、俺もそう言う意図はなかったけれど、確かに傍から見ればそう言う風にも取れる言い草であったことに気が付き、慌てて訂正を入れる。
するとアルゴはそんな俺の様子が面白かったのか、ケラケラと笑い始めた。…一体どうして、俺はこんな弄ばれているのだろうかと浅いため息をついていると、ようやく笑い飽きたらしい彼女がまた訊ねてくる。
アルゴ「それで、アー坊はどうしてオレっちの居場所を…いや、それは愚問だナ」
アルファ「まぁ、コネがあったもんでな…」
アルゴは顎に手を押し当てると自問自答してしまったのだが、まさか彼女が想像する答えが、事実と合致しているわけでは無いだろう。…まぁ、もしもアルゴが、こっちの世界でも情報屋だなんてことをやっていれば話は別だが。
俺がアルゴの居場所を知れたのは単に、俺が夏にあった二度目の事情聴取に応じた借りを利用して、菊岡さんから三人のプレイヤーの本名、住所、電話番号を聞き出したからだ。
その内の一人がアルゴであったという訳で、今日はアルゴに会いに行く為に、はるばる神奈川にまでやって来たのである。わざわざ俺が学校を早退したのも、神奈川まで移動する時間を考慮してのことであった。
アルゴ「因みに、オレっち会いに来た理由はなんダ?」
アルファ「あぁ、そのことなんだが──」
アルゴ「あれカ?オネーサンが恋しくて、ここまで来ちゃったのカ?」
アルファ「…半分正解とだけ言っておいてやるよ」
俺が彼女の質問に答えようとすると、アルゴはまた揶揄うような笑みを浮かべながら俺にそんなことを言ってくる。がしかしそれもあながち間違いでは無かったので、ここは半分だけ正解と言っておくことにした。
するとアルゴはまた一瞬だけ黙り込んでから、だが今度は呆れた様子で言葉を返してくる。
アルゴ「ふ~ん…そんな調子じゃ、ユーちゃんに怒られても文句は言えないヨ?」
アルファ「まぁ、怒られることは無いと思うぜ?俺がアルゴに会いに来た理由は…兎に角、アルゴに頼みたいことがあるからなんだ」
つまりは、俺が今更アルゴに会いに来た理由は、それでしかない。
今の俺には、ユウキ以外のことに目を向けられるほどの余裕はなく、それ故に、いつまで経っても帰還者学校に入学してくる気配のないアルゴのことを気に掛ける暇も無かったのだ。
だからこそ、俺はアルゴのリアル情報をわざわざ入手しようと思っていなかったし、その内ALOにやってきたりするんじゃないだろうかぐらいにしか思っていなかった。
それに、アルゴが帰還者学校に入学して来ないということはそれすなわち、もうSAO関連の事柄には触れたくないという彼女自身の心の現れなのかもしれないと思い、それ故に俺も彼女に連絡することは避けていたのだが…こうなっては、仕方がなかった。実際にアルゴに会ってみた感じ、俺が危惧したような心境でもないようにも見えるし…。
アルゴ「…依頼ってことカ?」
アルファ「そうだな…情報屋<鼠>に初依頼するプレイヤーは、自分の足でアルゴを見つけ出さないとダメだってルールだったろ?だから俺も、それに則ったまでだ」
SAOの頃には、<鼠>という超一流情報屋を初回利用するためには、人伝いの情報ではなく、自分の足でコンタクトを取ることが、鉄則とされていた。
だからこそ、俺も現実世界ではまだ会ったことの無かったアルゴに自らの足で会いに来て、頼み事の意思を強調したのである。俺がニヤリと笑ってそう言うと、アルゴは懐かしそうに頷き、俺を手招きした。
アルゴ「なるほどナ…アー坊、オレっちについてきナ。良い店知ってるカラ」
アルファ「あんまり高いのはやめてくれよ」
あの頃のようにアホみたいにお高いスイーツ店に引っ張られては堪ったもんではないと、事前に情けない断りを入れてから、俺はアルゴの先導に従った。
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アルゴ「──そろそろ、アー坊も名乗ってくれヨ。どうせオレっちの名前は知ってるんダロ?」
ここが地元のアルゴからすれば、一見複雑に見える住宅街もすすいのすいで移動することが出来るようで、その中にあったこじんまりとした古めかしい喫茶店に案内された俺は、そこでお互いに飲み物を注文し、それらが届くのを待っていた。
そんな中でアルゴが、ふとそれを訊ねてきたのだ。今は喫茶店には誰も居ないが、もしこの状況を傍から見れば、俺達はマッチングアプリで知り合った男女のように見えてしまうのではないだろうか…。
アルファ「俺は一井歩夢だ。年は十七で、高校三年生」
アルゴ「なら、今後ともアー坊のままでいいナ。いや、勇者アー坊の方が良いカ?」
アルファ「そんなダサい二つ名は付けないでくれ。ってか、アルゴも同じだけ情報開示しろよな」
その発言からして、如何やらアルゴは、SAOの真の結末を知っている側の人間らしい。
実のところネット界隈では、SAOをクリアしたのは恐らく黒の剣士という説が有力で、俺みたいな無名攻略組プレイヤーの名などほとんど出てこない。
だがその一方で、あの七十五層に居たメンツだけは、俺がヒースクリフに止めを刺したことを知っているわけで、多分その内の誰かがネットで呟いたのだろう。その日から、極少数派ではあるものの、変形機能を保持した両手剣を使うプレイヤーが、黒の剣士が敗北しかけたところを救い出し、代わりに決戦に勝利したという説が囁かれ始めたのである。
…まぁ、俺がユウキ以外に、ヒースクリフのシステムマジック論を相談した唯一の相手がアルゴなのだ。ならば彼女がその答えに辿り着いたとしても、何ら不思議ではない。
アルゴ「しゃーねーナ。オレっちは、帆坂朋。同じく高校三年生ダ。でも、オレっちの方が精神年齢は上だから、相変わらずアー坊のお姉さんだゾ」
アルファ「いや待てどういう理論だそれは。…ってかそもそも、アルゴが高校三年とかおかしいだろ」
アルゴ「それをアー坊が言っちゃおしまいダロ?」
アルファ「…」
なるほど。アルゴは確かに、菊岡さんに教えてもらった通りの名前を名乗ってくれた。仮にも情報屋を経営していた者なのだから、出会う前から本名を知られているのは、かなりの屈辱的な事だったりするのかもしれない…と言う思考は一旦置いておいて、確かに男性よりも女性の方が一般的に精神年齢は高いらしいけども、でも同い年だろうがというツッコミと、その身長から高3は怪しいとの進言を申し上げると、どうやら完全なるブーメランだったので、俺も黙り込むことしか出来なかった。
アルゴ「それに、オレっちもかなり成長したと思うんだけどナ」
アルファ「…」
アルゴの放った二言目にも、俺は思わず黙り込む。勿論、彼女の言う成長とは、身長的な話なのだろう。SAOで見ていた頃よりも、それなりには高くなっていることが一目見ただけでも良く分かる。
がしかし一方で、成長したのは身長だけでなく、その容姿もであった。あの頃のアルゴは、時折見せる自称オネーサンの片鱗以外には、両頬のおひげのペイントも相俟って、少年のような印象を与える女子であったのだ。
だが、いま俺の目の前にいるアルゴこと帆坂さんはどうだ。明らかに女性だろう。しかも大人っぽさまで増している上に、かなりの美人というかキュートというか…。
アルゴ「オイオイ、その調子だと、ホントにユーちゃんに怒られるゾ?」
アルファ「別に他意はない。客観的な判断を下しただけだ」
何故かは分からないが、アルゴは俺の内心を見透かしていたらしい。しかし俺とてユウキ一筋であり、別にアルゴが可愛かろうとなんだろうと目移りするつもりは殊更無いので、そこはしっかりと断言しておいた。
…と言うか、ユウキは兎も角、キリト然りアルゴ然り、俺って他人に心読まれ過ぎじゃないだろうか。そんなに顔に出ているだろうかと、そんなことを考えていると、アルゴが思い出したように俺に話し掛けてくる。
アルゴ「そうカそうカ…あぁ、そう言えば、アー坊から受けたあの依頼を結果、まだ伝えてなかったナ」
アルファ「あの依頼?なんかあったか?」
アルゴ「なんダ?忘れたのカ?」
アルファ「…身に覚えが無いな」
アルゴの言わんとすることを理解できなかった俺は、そのまま思った通りの答えを返すと、いつもであればここで情報料を取って来てもおかしくないであろう彼女は意外にも、すんなりとそれを教えてくれる。
アルゴ「あれダ。友切包丁の件」
アルファ「あぁ!あれか!どうなったんだ?」
アルゴに人差し指を動かしながらそう言われ、俺もやっとのこさそのことを思い出し、と同時に途端にその結果を知りたくなってきた。俺が身を乗り出さんばかりの勢いで訊ね返すと、アルゴは喫茶店のメニュー表を指差しながらニヤリと笑って答える。
アルゴ「そこから先は…情報料として、これを奢ってくれヨ?」
アルファ「…俺、もうコル払ってなかったか?」
アルゴ「いーや、まだだったナ。この件は後払いだったはずダ」
アルファ「…しゃーねーなぁ…」
コルにうるさい情報屋アルゴにそう言われては、こちらも頭が上がらない。飲み物に加えて奢りが発生するのは癪だが、あの結末が気になってしまった以上は仕方がないだろう。ちょうど俺達の飲み物を運んできてくれた店の人に、俺はアルゴの所望するスイーツを注文した。
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ユウキ「そう言えば、アルファはレベル90になったんでしょ?スキルは何にするの?」
アルファ「あ~…どうすっかなぁ…」
現在の最前線は、第七十層。七十層のフィールドには、十層に一回見るか見ないかレベルでレベリング効率の良い狩場が存在しており、それ故に、俺達はワンパーティー一時間の待ち時間を甘んじて受け入れてでも、その狩場に張り付いていたのだ。
ということもあって、俺は想像していた以上に早くレベルが一上がった。要するについ昨日、俺はレベル90の大台に乗ったのだ。スキルスロットに何を入れるのかは、入れたいスキルが多過ぎて、結局のところ決めあぐねているわけだが、狩場が使えるようになるまでの残り十分を持て余していたユウキが、それを訊ねてきたのだ。
ユウキ「前に色々言ってたじゃん、薬剤調合スキルとか、疾走スキルとか…後は料理スキルとか」
アルファ「その中の最後は、ユウキの願望だけどな」
ユウキ「ありゃ、バレちゃったか」
こうして約二年の間ずっとユウキと一緒にいるうちに、ノリツッコミにも慣れてしまった俺が、条件反射的に茶々を入れておく。そこでそう言えばと思い付きで、俺は一つのスキルをスロットに設定した。
何も、スキルスロットは一度設定すると、不可逆的に戻らないわけではない。ただし一度外してしまえば培った熟練度が失われるため、そう安々とスロットに設定すると、なんとなく熟練度が勿体ない気がして、特に使わないスキルでスロットを埋めてしまう気がするので、個人的にそれは避けているだけである。
アルファ「ならユウキは、何のスキル選んだんだ?」
ユウキ「いつもなら秘密~って言うところなんだろうけど、まぁ、今回は良いかな。ボクが取ったのは、暗視スキルだよ」
アルファ「へぇ、事前調査とは違うの選んだのか」
ユウキ「そうだね。やっぱり夜間での戦闘とか、洞窟での戦闘には、暗視スキルがあった方が便利だしね」
以前似たような会話を交わした時には、ユウキは格闘スキルでも取ろうかと言っていたのだが、如何やら今回は見送ることにしたらしい。…良かった。ユウキにボコボコに殴られる未来が来なくて、本当に良かった。
と別の意味で安心しつつも、ユウキが暗視スキルを選んだのはアレのせいだろう。アレとは、約二カ月ほど前に起こったラフコフ壊滅作戦で、俺が危うく死にかけた…と言うか、実際には死んでしまった時に、ユウキが視界の遮られる夜の森林地帯で、ラフコフ幹部との壮絶な戦いを繰り広げたことである。。
その節はユウキに本当に迷惑を掛けたし、同時に本当に感謝の気持ちで一杯になった。今思い返してみても、陳謝と謝恩の気持ちが半々といった所だ。感謝してもし足りないし、謝っても謝り切れない。
ユウキ「アルファ、そろそろ行こっか」
アルファ「…おう」
少し感傷に浸っていた俺は、ユウキの言葉に我に返って、俺達の狩りの時間がやって来たことを認識した。狩りの定点となる場所に移動してから、俺達目掛けてやって来るワニ型モンスターをジッと待ち構える。そんな俺が左手に握る剣は…。
ユウキ「あ、アルファ!?そ、それって…」
アルファ「あぁ、アイツが使ってた魔剣だ」
俺の装備に気が付いたらしいユウキが、その元から大きな目を更に見開かせながら、驚きと共にそれを指差してきた。
…もう直ぐ、モンスターが襲い来るというのに、ユウキはどうしてこんなに気を抜いていられるのだろうか。いや、そう見えるだけで、実際にはちゃんと周りの様子は伺っているのだろう。
ワニ野郎共が俺達の所に来るにまでに、もう少しだけ時間があることを確認してから、俺もそれに素早くこたえる。アイツが使っていた魔剣とはつまり…最凶ギルド<ラフコフ>のリーダーPoHが得物としていた、<友切包丁>なる短剣である。
ユウキ「…まだそれ持ってたんだ…」
アルファ「あぁ、この武器、パワーだけで言ったら太陽の戎具よりも上なんだぜ?捨てるのは勿体ないだろ?」
言葉の通り、如何やらこの短剣は攻撃力が異常に高く…それ故に俺もあの闘いで苦しめられたのだが…刃渡りも普通の短剣と比べて何倍にも大きくて、ショートソードぐらいにはあるのだ。
なので俺が剣として扱うにも充分だと判断したわけである。空いているスキルスロットに取り敢えず短剣スキルをセットし、一体どれほどの火力があるのかを確かめてみようというのが、今回の趣旨であった。
なんだか不安そうに俺と友切包丁を眺めるユウキに、俺は微笑みかけてから、遂にやって来たワニ野郎共を斬り刻みゆく。やはり短剣の扱いには慣れていないからか、想像していたようにバッタバッタとなぎ倒すことは出来ていないが、それでも、太陽の戎具よりもダメージをより多く与えられていることはしっかりと実感できた。
…だが、後半になるにつれて少しずつダメージが減っている気が…いや、気のせいだろう。兎に角、一時間の狩りを友切包丁一本で終えた俺は、お昼ご飯を食べようと、ユウキと共に一度街に引き返したのだが…。
アルファ「……ん?」
ユウキ「どうしたの?」
お昼に選んだ定食屋さんでふと装備の耐久値を確認していた俺は、その異変に気が付き、思わず声を上げてしまった。
アルファ「…いや、友切包丁の攻撃力が下がってる気が…」
ユウキ「…気のせいじゃないの?武器の攻撃力が下がるなんてこと無い…あ、耐久値依存で攻撃力が決まる武器なんじゃない?」
アルファ「あー、なるほど…いや、思い出した。この武器、モンスターを倒すと攻撃力が下がるらしいんだった」
俺の言葉に対して、ユウキが一つの仮説を唱えてくれる。そして俺も、自身はその手の扱い辛い武器を使ったことが無いものの、確かにそう言う特殊な武器も少なからずこの世界には存在していることを思い出す。
彼女の仮説に納得し、後でリズベットのところで耐久値をフル回復させないと…などと思っていたのだが、瞬間的に、奴の言葉を思い出したのだ。確かアイツの話によると、攻撃力を上昇させる方法は…PKだったな。何だこの武器、クソほど使えねーじゃねぇか。
ユウキ「え~、じゃあかなり使い道がないね~」
アルファ「そうだよな~、攻撃力1とか、はじまりの街の武器よりもカスだもんな~」
そこでお昼の定食が届いたので、それを口に運びながら他愛もない会話を交わしていると、ふとユウキが思い付いたように俺に訊ね掛けてくる。
ユウキ「…その武器の下限って、何処なんだろうね。攻撃力ゼロになったりするのかな?」
アルファ「…さぁ?でも、攻撃力ゼロの武器って、切ってもダメージが発生しないんだろ?逆に何の使い道があるんだ?」
ユウキ「…拷問、とか?」
ユウキの問い掛けに対して、特に知識の無かった俺は適当な返事をしながら更に質問返しすると、彼女は暫し思考を巡らせた末に、途端に背中がゾクリと凍えるような恐ろしい答えを返してくれた。
彼女の言う通り、攻撃力がゼロの武器で攻撃したとしてもダメージは発生しないだろうが、あの不愉快なフィードバックを与えられるわけで、それはトンデモナイ凶器に…。
アルファ「怖いこと言うなよ。…まぁでも、確かに気になる話だよな…。よしっ、こんな時は、アイツに頼もう!」
俺がそうユウキに伝えてメッセージを送ると約十分後、彼女は相変わらずのスピード感でここにやって来てくれた。
アルゴ「アー坊、ユーちゃん、今日はどうしたんダ?」
アルファ「実はだな──」
友切包丁なる武器の行く末を調査して欲しいと、俺がアルゴにそう頼むと、彼女も攻撃力ゼロの武器が誕生するかもしれないという稀有な状況に心躍ったのか、二つ返事で俺の依頼を引き受けてくれた…のではなく、ユウキの隣のカウンター席に腰を下ろして、メニュー表を眺めながら、ニヤリと笑い言った。
アルゴ「その代わりに、お昼奢ってくれヨ?」
────────────────────
アルファ「…いま思い出したけど、俺依頼料払ってるよな。詐欺じゃねーかよ」
アルゴ「まぁいーじゃないカ。こんな美人のオネーサンにケーキを奢れるんだヨ?」
アルファ「…オネーサン、ねぇ…」
アルゴ「オッ?美人は否定しないんだナ」
アルファ「…兎に角、依頼料は二重で払ってやったんだから、ちゃんと結果報告してくれよ?」
一瞬頭の中に巡らせた回想によって、やっぱり依頼料は前払いしていたことを思い出した俺が、チョコケーキを美味しそうに楽しんでいるアルゴにキッと視線を送ると、彼女は何食わぬ顔で反駁してくる。
そのスイーツを嬉しそうに食べている姿は、どちらかと言えば年下のようにも見えて、「オネーサン」という発言に俺が疑念を抱いていると…アルゴは更に一枚上手だったようだ。まぁ、俺も嘘は余りつけない性分だからな。
話を逸らすように脱線した話題の修正すると、アルゴは未だにニヤニヤ笑いながら答えた。
アルゴ「あの包丁サ、攻撃力下げるのかなり苦労したんだヨ。最初はテンポよく下がってたのに、途中から何十体倒しても中々攻撃力が下がってくれなかったんダ。…それであれは、大体攻撃力が50にまで落ち込んだ頃だったナ」
アルファ「…」
アルゴ「突然、リゴーン、リゴーンって鐘が鳴り響いて、ゲームがクリアされたんだヨ。誰かさんのお陰でナ」
アルファ「なっ…だったら、包丁の行く末は?分からず仕舞いなのか?」
…いや、この場合だとその誰かさんのせいで、包丁の結末がブラックボックス化しただけじゃねーか!?
どこぞの馬の骨とも知れん奴がゲームを突発的にクリアしてしまったせいで、かなり気になっていた攻撃力ゼロの武器の誕生を未来永劫訪れないものにしてしまったという事実が、俺にかなりの衝撃をもたらす。
少なからずショックを受けている俺を見て、アルゴがまたケラケラと笑ったかと思うと、ウィンクしながら言葉を続ける。
アルゴ「安心しナ、アー坊。包丁は、丁度攻撃力が五十になった時に、生まれ変わったんダ」
アルファ「生まれ変わった?」
アルゴ「そうダ。<友切包丁>って短剣から<友切丸>ってカタナにナ」
アルファ「武器が変化したってことなのか?」
アルゴ「多分そう言うことだろうナ。スペックも滅茶苦茶強かったヨ?それをアー坊に売り付けに行こうと思った傍から、ゲームがクリアされたってことだヨ」
アルファ「そこは無償返還してくれよ…」
よもや武器カテゴリがカタナに変更されるとは思いもしなかったし、そもそも攻撃力がゼロになる前に、別の武器に進化するなどとは本当に想像も出来ない結末である。その友切丸なるカタナも使って見たかったなと若干の惜しさを感じつつも、アルゴの最後の余計な言葉には、しっかりとツッコミを入れておく。
すると彼女は、チョコケーキを半分程食べたところで俺にまた訊ねてくるのだ。
アルゴ「それで、アー坊の頼み事って何なんだヨ」
アルファ「あぁ、そう言えば、そっちがメインだったな。それなんだが──」
アルゴに指摘されて、つい本来の目的を見失っていた俺は、気を取り直してアルゴにそれを話し始めた。
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ユウキ「…アルファ、まだかな…」
ALOの宿屋の一室にて、ボクはベッドの上に寝そべりながら、そんな独り言を零していた。
…今日は平日だから、アルファと一緒に居られる時間が休日よりもウンと少ないのは分かっているし、夏休みみたいにほとんどの時間を一緒に過ごせるわけでもないことぐらいは、ボクにだって理解できている。
だけど本日は、「今日はユウキのとこに行けなさそうだし、ALOにログインできる時間もいつもよりも遅くなると思う。またあとで連絡する」とのメッセージがアルファから届いており、彼が初めて、自発的にボクの病室を訪れてくれなかったのだ。
いつの間にか、アルファが毎日のようにボクの所へ来てくれるのを当たり前のことだと思い込んでいて、今日も勿論アルファに会えるだろうと期待していたボクは、ほんの少しだけ、ガッカリしたのだ。
ユウキ「…別に…寂しく無いもん。さっきもアスナ達と、楽しく狩りしてたもん」
まるで自分に言い聞かせるようにボクはそう唱えたけれど、実際の所、今の言葉は半分ホントで半分ウソだ。アスナ達との借りが楽しかったのは本当だし、アルファが居なくても寂しくないというのは、嘘だ。
だって、本当に寂しく無いのならば、わざわざアルファがログインしてくるであろう宿屋で、後三十分後に来ると言っていた彼を待っていたりなどしないのだから。如何やらボクはいつの間にか、以前よりも甘えん坊になっちゃって、アルファに依存してしまっているのかもしれない。
アルファ「お、ユウキ。宿屋に居たのか」
ユウキ「アルファ!待ってたよ~!」
まだ予定よりはニ十分ほども早かったのだが、彼はこちらの世界へとログインしてきたようで、ボクの姿を見つけるや否や呑気に挨拶をしてくる。
対するボクは、朝ぶりにアルファの姿を目に収められたと嬉しさで胸の中が溢れ返り、すぐに彼に抱き着いた。するとアルファもボクのことを優しくハグしてくれて、ボクの胸の中にはまた別の嬉しさがこみ上げてくる。
アルファ「どうしたんだよ?何かあったのか?」
ユウキ「…ボク、アルファに会えなくて、寂しかったんだ」
アルファ「…悪かったな。…ちょっとついて来て欲しい所があるんだけど、付き合ってくれないか?」
ユウキ「ん?いいよ~」
ボクが抱き締める力をいつもよりも強めていることに気が付いたのか、彼は優しく訊ね掛けてくれた。すると、自分でも驚くほど、ボクは自分の気持ちを素直に曝け出してしまったのだ。
彼は一度申し訳なさそうに微笑んでから、抱擁を解いて、ボクの手を引いて行く。特に断る理由も無かったボクは、彼に先導されるがままに宿屋を後にし、イグシティを移動し始めた。やがて辿り着いたのは、ボクとアルファがこの世界で初めて出会った初ログイン地点だ。
…一体どうしてアルファは、ボクをこんなところに連れてきたのだろうか。そんな疑問が頭の中に浮かんで来て、それをそのまま言葉にしたその時だった。
ユウキ「ねぇ、アルファ。ここに何がある……」
ふと視界の奥に、小柄な女の子を、ボクは見つけた。あの頃と変わらない色の抜けた金髪に、ブロンド色の綺麗な瞳。流石にトレードマークのおひげのペイントと、フードケープまでは引き継げなかったようで、その代わりに尻尾とネコミミが生えているが、それでも彼女がその人だと、ボクはすぐに認識出来た。
アルゴ「久しぶりだナ。ユーちゃん」
ユウキ「あ、アルゴ…!?…また会えて、ボクはホントに嬉しいよ~っ!!」
いつものニシシとした笑い方ではなく、穏やかに微笑むような表情を見せながらボクの名前を呼んでくれた彼女に、ボクは感極まって彼女の小さな身体に抱き着いたのだ。
アルゴ「…長い間連絡しなくて、悪かったナ」
ユウキ「ううん、それは、ボクもだよ…」
ボクの抱擁に対して、背中をトントンと優しく叩きながら、アルゴはしっかり応えてくれた。
…アルファが今日ボクに会いに来られなくて、夜までALOにログインできなかった理由は、きっと、アルゴを探しに行ってたからなんだろうなぁ…。彼の優しさと、長らく感じられなかったアルゴの温もりを噛み締めながら、ボクは暫しの間、再会を懐かしんだ。
────────────────────
ユウキ「そう言えばアルゴって、おひげはネズミをイメージしてたんじゃないの?ネコミミになっちゃって良かったの?」
アルゴ「オレっちもそこはかなり悩んだんだケド…こういうのもアリかなってナ」
アルファ「え?俺はずっと猫髭だと思ってたぞ…」
ユウキがアルゴとの邂逅を懐かしみ、取り敢えず宿屋に移動した俺達は、アルゴが珍しく自分のリアル情報を損得考えずに話したり、ユウキ自身が今置かれている現状を説明したりしてから、こうして今は何でもない話をしている。
俺がアルゴに頼みたいこととは詰まるところ、ユウキに会って欲しいということであったのだ。つい三日前ほどに、ユウキがふと、「そう言えば、アルゴはALOやってないんだね。会いたかったなぁ…」と言っていたもんだから、俺もそう言えば、アルゴらしき人物が帰還者学校に居ないことに気が付き、何とかしてユウキとアルゴを再会させようと目論んだ結果、こうなったという訳である。
その趣旨をアルゴに話すと、彼女は意外にも無償で俺のお願いを聞いてくれたし、ユウキもそれで喜んでくれたようなので、本当に良かった。
その他愛もない話の中で、アルゴのおひげがネズミのモノをモチーフにしていたという全くもって知らなかった情報を咀嚼していると、ユウキがアルゴに一つ訊ねた。
ユウキ「アルゴは今日からALO始めるの?」
アルゴ「う~ん…まぁ、息抜き程度にはナ。そんな本気で遊ぶつもりはないケド…」
アルファ「まぁ、モチベが中々ってことだろ?」
アルゴ「そう言うことだナ」
アルゴの言わんとすることは、俺も痛い程伝わって来る。やはり俺達は、本気で命の掛かったデスゲームという形のVRMMOを経験した以上、普通のゲームには本気の本気で取り組むことが出来ないのだと思う。その証拠として俺は、ALOでもアインクラッド以外の攻略は基本的に行わないのだと思う。
ユウキ「じゃあ取り敢えず、キリトとアスナに会いに行こうよ!二人もアルゴのこと心配してると思うよ!」
アルゴ「アーちゃんとキー坊カ。…アーちゃんには怒られそうだナ…」
アルファ「いや、案外泣き崩れるかもよ?」
アルゴ「それはキー坊の方じゃないカ?」
ユウキの突発的な提案に、乗り気ではあるものの、アスナのことを恐れているようなアルゴに対して、俺が笑い飛ばすと、彼女もまた笑い返してくれる。俺が宿屋に来て欲しいとのメッセージをキリトとアスナに飛ばすと、二人はすぐにこちらに飛んで来て、そしてアルゴの姿を目に収め、また温かい雰囲気がその場を満たしたのだ。
そんなこんなで、俺達はまた、大切な仲間と再会することが出来たのだった。
次回の投稿日は、二月十九日の土曜日となります。
では、また第131話でお会いしましょう!