~SAO with Yuuki~   作:うずつるぎ

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第146話 受け継がれる意思

 ──ピッ、ピッ、ピッ──

 

 時折、蛍光色に輝く緑の一本線が、上下に揺れる。余りに弱々しいその動きは、その結末を恐怖し、心臓をバクバクと激しく鼓動させている俺の心模様とは、全くの真逆のものであった。

 

 ──ピッ、ピッ、ピッ──

 

 どんな状況下にあろうとも、その機械音は必ず無機質且つ一定である。だがそれは、俺に唐突な終わりを想起させるには、充分過ぎるほどである。服の裾を掴み、あらん限りの力で握り締める。そして縋り祈るように見つめる先には……君が居る。

 彼女はジェルベッドに横たわり、よく見る呼吸補助器で、顔の下半分を覆っていた。薄いシーツが被さった君の胸部は、深く小さく、一定のリズムで…しかし徐々にその間隔を遠ざからせながら、上下に浮き沈みしている。

 

 ──ピッ、ピッ…ピッ──

 

 一瞬、心電図モニタに流れる輝線が、僅かに遅れた。

 …嘘だ嘘だ。有り得ない。そんなわけが無い。あっていい筈がない。眼前に広がる事実を全て拒否するように、胸中でその言葉を唱える。がしかし同時に、この状況に何処か諦観を抱いている俺が居た。そんな自分に対して、堪らない程に嫌気が差すも…その間にも時は、淡々と過ぎ去って行く。

 

 ──ピッ…ピッ……ピッ…──

 

 …何故だ?何故なんだ?どうして君がこうならねばならないんだ!?有り得ない!おかしい!間違っている!!何故世界は彼女を見捨てる!?彼女以外にも候補者は居ただろう!?どうして彼女を選んだ!?何故俺ではない!?

 音が遠ざかるにつれて、途端に世界に対する悪感情が、心の底から際限なく溢れ出してきた。だが俺に出来るのは、この現状を見つめることのみである。それがどうしようもない程に、悔しかった。憎かった。忌み嫌った。

 

 ──ピッ……ピッ………ピッ……──

 

 だが俺個人が何を思おうとも、世界は変わらないのかもしれない。呼吸は深く、浅く、ゆっくりと、次第に消え入る。それに合わせて、モニタから流れる音も、徐々に周囲の静寂に溶けていく。

 

 アルファ「………やめろやめろやめろやめろ!!……やめてくれ………やめて、ください…。お願いします、神様…悪魔でも何でもいいから…誰か…ユウキを、助けてください。どんな代価でも払います。俺が代わりに死んでもいい。だから彼女の命を救ってください。お願いです。ユウキだけは生かしてあげてください。ユウキだけは生かしてください。……せめてもう何年かだけでも、猶予を下さい。短すぎます。彼女が幸せに生きるには、十数年は余りに短すぎます。お願いします。何でもします。だから、だからユウキの命を──」

 

 ──救ってください。

 

 そう乞い願い、言葉にするのは実に簡単であった。だがそれを実現する魔法は、ここには無かった。ただそれだけだ。

 世界に向けられていたはずの無限大の憎悪は、いつの間にか、情けない程にまでの懇願へと移り変わっていく。賤しくも首を垂れ、額を大地に擦り付け、地に這いつくばる。世界に縋り付き、この現状を打開する術を求める。……そして──。

 

 ──ピッ……ピッ…ピ────────────────────────────……。

 

 耳を劈くような不協和音が、空間に鳴り響いた。全身から、ふっと力が抜け落ちる。力いっぱい握り締めていた握り拳は、既に原動力を失っていた。

 …もう、機械音は聞こえない。その時になってようやく、俺と君とを隔てていた透明な障壁が、不思議と消え去った。俺は導かれるように、覚束ない足取りで、静かに横たわる君へと近づいて行く。気の遠くなるような数歩を歩み、やがて俺は、今は動かなくなった君の手を──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルファ「──っ、はぁっ、はあっ、はあっ……」

 

 ──そこで俺は、意識を取り戻した。

 

 慣れない匂いの客室で、飛び起きるように目を覚ました俺は、動悸の鳴り止まない状態の中、異常に乱れた呼気を繰り返す。一月初め、季節は真冬に差し掛かる頃だというのに、全身は汗にぐっしょりと濡れていた。

 汗にまみれた身体に部屋の冷気が吹き込み、世界の寒さを実感したところで、俺はようやく呼吸を整え終えた。と同時に、やけにリアルだったあの夢の出来事を思い出す。

 

 アルファ「……」

 

 それは正しく、悪夢と呼ぶべきものであった。…若しくは、いつか訪れる日の予知夢とも、考えられるのかもしれない。だがそんなことは考えない。考えたくないし、考えられない。今の生活からユウキが無くなるなど、あってはならない。俺の心が耐えられない。いやだ。失いたくない。居なくならないで欲しい。

 たかが夢の中のお話。されど俺には、それが大きく影響を及ぼす。途端に芽生え出した不安心を塗り潰すように、俺は隣に眠るユウキを眺める…ことは、残念ながら不可能であった。

 

 本日、一月四日。俺は京都にある母さんの実家に訪れている。なので仕方なく、少し離れたところにある丸テーブルに置いてあった携帯電話を掴んだ。時刻を確認すると…午前五時。朝に弱い俺は、徹夜でもしない限りこんな時刻を目にすることは無い筈なのに……あぁ、君と一緒に眠らないと、俺はこれ程にも簡単に、内なる恐怖に屈してしまうのか。

 こんな時間に連絡を取ってしまえば、ユウキに迷惑だろう…とは思いつつも、俺はトークアプリを開いてしまう。すぐ上にある彼女の名前をタップし、何か連絡を取ろうとした……寸前で、どうにかその爆発一歩手前の気持ちを抑え込み、俺は携帯電話を元の位置に戻した。そのままずしりと壁に身を預け、左手で両目を覆う。

 ……最近の俺は、良くない。以前に増して、君に甘えようとしている。今はまだ何とかその気持ちをコントロール出来ているが、その内きっと、制御不能になる気がする。

 こんなものは恋愛ではない。依存でしかない。そうは解っていても、なれば俺の心に巣食うこの恐怖はどうすればいいのか。この恐怖に打ち勝ち、飼い慣らせるほどの強さが、俺には無かった。君が隣に居てくれてようやく、何とか一人前に足るのだから。

 

 アルファ「…起きるか…」

 

 少々早すぎる起床ではあるが、俺は布団を畳み、ゆっくりと朝を過ごすことにした。…こんな心持ちでは、到底眠れる気はしないし、もし眠れたとしても、それは決して安眠では無いだろう。また悪夢に囚われる気がした。

 洗面所にて顔を洗い、歯を磨く。やはり熟睡出来ていなかったのか、寝癖は一切無かった。湯呑に高級品であろう温かいお茶を注いでから、それで一服。その頃にはもう、表面上にまで浮上していた様々な感情も、一旦は唸りを潜めていた。

 外の散歩でもするかと部屋を出た俺は、他の人に迷惑が掛からないよう、荘厳な和風建築の大廊下をコッソリと歩みながら、玄関口を目指した。廊下も異常に長く複雑で、玄関でさえちょっとした旅館の如くしっかりとしている。エントランスにて自分の靴を取り出し、ようやく外へと繰り出した。

 

 アルファ「…すげぇな…」

 

 現在は午前五半時。季節もあって辺りはまだまだ夜の闇に包まれているとは言え、少しずつ、白い輝きが夜空の切れ端から見えている。玄関を出た場所には、所々に暖色系のライトが光っており、そのお陰で俺はこの広大な景色を拝むことが出来た。

 足元には石畳が丁寧に続いており、敷地内の奥の方へと川が流れ、赤塗りの小さな橋が架かっている。ごつごつとした岩の近くには松やら竹やらが生えていて、池をよく観察してみると、そこには錦鯉たちが悠然と泳いでいた。

 正確に言えば昨日に、俺は一度、この平安時代かと錯覚出来てしまう程の和風大庭園を目にしているわけだが…昨日はここに到着したのが夜間目の前であったせいで、碌にゆっくり眺められていなかったのだ。

 そんな時間帯に俺たち家族が母さんの実家を訪れることになった理由は、勿論、一日、二日は、岐阜にある親父の実家でゆっくりしていたこともあるのだが…単に母さんが、嫌がらせがてらにわざわざ時間を遅くしたのである。

 

 まぁどうして、母さんがそんなことをしたのかというと…これはかなり複雑な話になって来る。何処から話すかかなり迷うが、第一に、俺は御年十八になるまで、母方の実家を…祖父母及び親戚の存在を、全く知らされていなかった。

 これは、生まれてから俺が親父の実家にしか遊びに行ったことが無かった事、母さんも何も言わなかった事もあって、多分生まれる前に他界したとかなんだろうなと、俺は勝手に想像し、故に、母さんの祖父母について訊ねることは無かった。

 実際には幼少期に、「なんで俺には、おばあちゃんとおじいちゃんが一人しかいないの?」と母さんに訊ねたことはあったが、その時の母さんが何処か申し訳なさげな表情を浮かべたことに気が付き、それ以来、聞いちゃダメなんだろうなと思っていたわけだ。

 がしかし現実には、全くそんなことは無かった。母方の祖父母は、それはピンピンしていた。であれば何故、母さんは祖父母の存在を話してくれなかったかというと…実は親父と母さん、駆け落ちしたらしい。

 

 この大庭園及び、何十人もの親戚が一同に集まったとしてもその全員が泊まれるほどドでかい土地。そしてその土地内には母屋と数個の離れがあったりと、母さんの家系は、分家とは言え由緒正しきって奴だった。

 対する親父は、今でこそそれなりに成功しているが、その当時は何の特徴も無い一般人であったわけだ。故に、母さんが親父と結婚したいと両親に申し出た際に、それはもう大喧嘩になったようで、だったら勝手にすると、当時からお嬢様とは言えお転婆であったらしい母さんは、そのまま家を出て行ってしまったのである。

 つまりは、親子関係の実質的絶縁。それが要因となって、俺は母方の家系を認識出来ていなかったという訳だ。俺は昨日に人生初めて、母方の祖父母と顔を合わせたし、その親戚にあたる本家の人ともご対面させてもらった。その他多くの親戚筋の方々とは、今日の朝食にてご挨拶をする予定となっているらしい。

 

 …正直なところ、この年になって「はいこちらが貴方のお爺ちゃんお祖母ちゃんですよ」と言われましても、流石にどう接したらいいのかは、俺にも分からなかった。まぁ、これから模索していけばいいだろう。

 母さんからは、出来るだけ丁寧な言葉遣いを使った方がいいよと言われていたので、俺なりには努力してはみたが、何せこんなしっかりしたお家柄で、親戚の集まりもこれ程壮大なものだとは思わなかった。俺の杜撰な敬語を聞いて、向こうがどう思ったのかは余り想像したくない。

 だが対する姉貴はめちゃめちゃ御淑やかに振舞えていたのが、本当に腹が立つ。しかしそんなわけで、俺は幼少期に社交ダンスを学ばされていたりしたのは、そこら辺に母さんの良家出身なところが見え隠れしていたということなのだろう。あぁそう言えば、そんな母さんの旧姓は……おっと、話が逸れちまったな。

 

 では一体どうして、今更こうして母方の親戚の集いにやって来ることになったのかというと、何でも母さんによると、親父が起業で見事成功したから、両親も今になってようやく自分たち認めてくれたが為に、こうして今年はその本家の集まりに招かれたのが一つ。

 そして二つ目は、やはり母さんの両親も、喧嘩別れしたとはいえ、子を思う気持ちはあったのだろう。俺がSAOに囚われた時に、病院の個室を伝手で用意してくれたらしい。だからそのお礼も兼ねて、今年だけはと母さんが実家に戻ることを決意したのだ。

 俺が思うに、多分母さんも祖父母も、お互いにかなりの頑固者なのだろう。俺は母さんのこうだと決めたら絶対に譲らない意思の堅さを知っているし、それが両親譲りだというのならば納得も行く。俺としてはこれを機に、お互いに謝るべきところはしっかりと謝って、仲直りして欲しいと思っていたりする。

 …だってそうしなければ、何だかんだで母さんにとっては大切であろう両親の死に際を、母さんは見届けられないのかもしれないのだから。そんなの悲し過ぎるだろう。

 人はいつかは必ず死ぬ。それが命の循環であり、それを拒むことは、生き物であることを辞めること他ならない。であれば、生あるこの時間を、出来るだけ素晴らしいものに。そして訪れる最期に、満足が行くように。

 

 ……だとするのならば、時間が足りない。もう一年も無いだろう。あと半年?三カ月?一カ月?二週間?或いは明日明後日なのかもしれない。

 以前も似たようなことは考えたが、今ほどはこの現実に直面していなかった。まだ希望はあった。だが今は…もう…。

 …なぁ、聞いてくれよ。最近、夢が壊れる音がするんだ。少し前までは、確かに輝かしい未来を信じていられたはずなのに、今の俺の夢には、徐々に徐々に亀裂が入って、輝きが外へ漏れ出して…代わりにその世界には、暗く淀んだ闇が入り込んでくるんだ。

 …あぁ、俺は一体どうすれば、限られた君の時間を、最大限に輝かせてあげられるのだろうか…。判らない。全く答えが見つけられない。それ以前にどうにかして、彼女の命を繋ぐことは出来ないのだろうか…あるはずなんだ…何かその方法が…。

 

 と俺がまた、あまり考えたくないことを思い出していたその時だ。まだ早朝だというのに、俺と同じく庭を散歩している人を見つけた。しっかりと着付けされた紅葉色の着物を纏い、ゆったりと足を運ぶその姿は、美しいの一言であった。

 元気ハツラツ。いつも無邪気に明るい調子で、笑顔を絶やさない、そんな可愛らしさの極致たるユウキとは対極に居るような、そんな上品な華麗さを、その女性は孕んでいた。その女性はこれまたユウキとは違って、髪は長く伸びており、つやつやと輝く栗色をしている。俺の足音に気が付いたのか、その女性はこちらに振り向くと──。

 

 「おはようございm──」

 

 アルファ「……」

 

 「……」

 

 張り付けたような笑顔で、こちらに朝の挨拶を交わしてきた女性は、言葉を途中で詰まらせ、不自然な体勢で固まってしまった。

 一方俺はと言うと、無言を貫き通したまま女性と目を合わせている。その女性は表面上は穏やかな表情を保ちつつも、目は白黒移り変わっていた。彼女がこの現状に動揺しているのは、最早明らかであろう。

 だが俺はというと、母さんの旧姓を知ったその時から、もしやとは思っていたので、然程驚くことは無かったのだ。そんなわけで、まずはこちらから声を掛けようと思い、ユーモアたっぷりの言葉を贈らせてもらう。

 

 アルファ「…凄く、綺麗ですね。良かったら──」

 

 俺がそれを言おうとすると、彼女は右の手のひらをぐっと前に差し出し、俺にストップを掛けてくる。

 

 「それは前にも聞いたわよ。聞いたけど……ごめん…ちょっとよく分からないかな?状況が」

 

 そして彼女は何だか引き攣った笑顔で、俺にそう言ってくるのだ。なればこそ俺は、満面の笑みで答えようじゃないか。

 

 アルファ「なに、俺とアスナは、親戚ってことだ」

 

 俺の口から放たれた答えに、彼女は硬直するばかりであった。

 

 

 

 

────────────────────────────

 

 

 

 

 ユウキ「……アルファ…アルファ…」

 

 ボクは一人、ベットの中で彼の名を呟きながら、彼が普段使っている枕を抱き寄せ、頻りに指を動かしていた。ボクの指先が触れる部分は、下半身である。何度も何度も彼の名前を呼び、部屋中に淫らな音を響かせながら、やがて頂上を迎える。浅くなった呼吸を繰り返しながら、一度その動きを止めるも、全くもってこの気持ちは、収まる気配を見せない。

 アルファと会えなくなって、今日で三日目だ。彼は年明け以来両親の実家に帰省しているようで、その間にアミュスフィアを使える時間は殆どなかった。しかも現在訪れているらしい母方の実家には、無線LANが通っていないとのことである。それ故にアミュスフィアが使えないと、彼は嘆いていたのだ。

 …まさか、アルファに会えないことがこんなにも寂しいことだなんて、ボクには想像も出来なかった。彼は頻繁にトークアプリを介して連絡を取ってくれるとは言え、やはり直接その腕に抱き締められたいし、面と向かって話したかった。そんな欲求が募りに募った結果、ボクはこうして、三大欲求に訴えるしかなかったのだ。

 

 だけどもどうにも、三日前以来、ドンドンこの気持ちに際限が無くなってきているのは、ボクも自覚はしている。自分が徐々に徐々に、ダメな方向へと進んでいることだって、よくよく理解はしていた。

 …やっぱり、あの日ボクの気持ちを、彼に曝け出してしまったのが、良くなかったのだろうか。一月一日。その深夜にアルファと新年を祝ったボクは、とうとう、彼に弱音を吐いてしまった。

 彼に弱音を吐いたところで、如何にかなるわけでもないのに、寧ろ彼を更に苦しませるだけだと知っていたはずなのに、彼が守ってくれると言ってくれたその瞬間、ボクはどうにも心に迸る感情を抑えられなかった。彼の胸の中で、仄かに涙を流しながら、その時が訪れるのが嫌だと、そう言ってしまったのだ。

 彼の前では、決して弱音を吐かないでいようと思っていたのに、結局彼の優しさに甘えてしまった。依存してしまった。そして今のボクは、更に更に、アルファへの依存心を高めているのだろう。本当に良くない。そうと分かっているのに、一度決壊したダムの如く、彼の優しさに甘え続けようとしているボクが心の中に居た。

 彼はボクの言葉を聞いたその時、一体何を思っただろうか。きっと彼は、何とかしてあげなきゃと、そう感じたに違いない。そしてその心は、彼をいずれ大きく傷つけることになるのだろう。

 …あぁ、弱い。恐らく彼が信じてくれているであろう強さは、本当のボクには備わっていない。ボクはこんなにも、君の優しさに付け込もうとしているのだから。

 君が帰って来る明後日になるまでには、再び心の堤防を修復せねばなるまい。いつか崩れる日が近いとは分かっていても、出来るだけ延命しなければ。そんな思いがボクの頭をよぎりながらも、結局、またボクは行為に耽り始めた。

 

 

 

 

────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 アスナ「──なんてことが、一週間前にはあったの」

 

 ミト「へぇ、アスナとアルファは親戚か……うん、納得行くわね」

 

 アスナ「えぇ~、わたしはすっごいびっくりしたよ~」

 

 つい一週間ほど前、わたしが京都の本家に滞在する最後の日に、彼は突如として目の前に現れた。早朝から外の冷たい空気を吸っていたわたしは、ふと誰かが近づいて来ることに気が付き、朝の挨拶を交わそうとしたら…彼が突っ立っていたのだ。

 …いや、こんなこと、一体誰が想像出来ただろうか。アルファ君が遠い親戚であったなど、わたしにとっては衝撃的過ぎるニュースであった。

 あの日わたしは、少々恥ずかしい気持ちを抱かされた。勿論それは、友だとしか認識していなかった彼に、自分が親戚相手に行儀よく振舞っている所を見られたから他ならない。

 だが同時に、わたしはほんの少しだけ、彼に負い目を感じた。まるで人形のように、表面上だけの笑みを浮かべながら親戚との会話を重ねるわたしに対して、彼は行儀よく振舞おうとはしていたものの、決して自分を演じることは無かった。あくまでも本来の自分を、親戚筋に見せていたのである。そう在る彼の姿に、わたしは引け目を覚えたのだ。

 

 ミト「だってアスナって、何だかんだでアルファ君と似てるんじゃない?例えば…心霊が苦手なとことか…」

 

 アスナ「あ…確かに…」

 

 ミト「あっ、あと笑顔もね」

 

 アスナ「…そう?」

 

 一月十一日、午後十一時半。

 

 その時のわたしは、森の家にて深澄と軽くお喋りタイムに没入していた。もう四日後には、深澄にとっては大切なセンター試験が始まるのに、彼女はつい三十分前にこうしてALOの世界にやって来たのだ。

 ふらりと森の家に遊びに来た深澄曰く、「ちょっと休憩がてらにアスナとお茶しようと思って」とのことだ。今日のキリト君はリアルが忙しくてALOに来てないし、ユイちゃんはリズやリーファと新生アインクラッドを冒険してるし、こちらとしては大歓迎である。

 でも一方で、そんなことで試験大丈夫なのと心配にはなるのだが、何と言っても深澄は、私よりも頭が良いのだ。その頭脳力の高さで、センター試験も難なく切り抜けられるのだろう。

 

 …センター試験。本来であれば、わたしも深澄と同じように、今年その登竜門に臨むことだったろう。でもわたしはあの世界に囚われ、その当たり前は崩れ去った。

 だけどわたしは、それを後悔したりはしていない。わたしはあの世界で剣士として生き抜き、確かに生まれ変わった。良い大学に、良い就職を、そんな強迫観念はもう欠片も無い。

 今のわたしは、気の許せる友が沢山居て、何より愛する彼も居る…そんなあの学校で、自分の本当にやりたいことを見つけ出したいのだと、そう願っているのだ。

 でも──その道は今、断たれようとしていた。母親に渡された高校編入書類の提出期限。それがもうあと二日後に迫っているのだ。

 …どうにかして、母さんを説得したい。母さんを納得させて、自分の進みたい道を選び取りたい。でも出来ない。わたしはきっと、母さんの意向に逆らえないだろう。心の内では異議を唱えつつも、母さんに言われるがままに書類を提出し、そして来年度からは、キリト君と、みんなと離れ離れになってしまうそんな未来が、容易に見て取れた。

 心の奥底では、自分は誇り高き剣士であると自負している一方で、心の何処かでは、「何が剣士だ。そんな尊厳を保とうとも、結局外面は何も変わっていないじゃないか」と、そんな嘲藁い声が聞こえてくる。

 …だが、そんなことを深澄に伝えて、何になるのだ。僅か数日後に受験を控える彼女に、余計な心配を掛けたくは無かった。それ故にわたしは、どうしようもない現実から目を背けるように、深澄に別な話題を振ってみた。

 

 アスナ「…そう言えば、ミトは──」

 

 ミト「──明日奈」

 

 しかしそれは、深澄の確かな一声によって遮られてしまう。深澄は単に、わたしの名前を呼んだだけだ。だけどそれが、何故だかわたしの胸の深奥に響き、一瞬言葉に詰まる。

 

 アスナ「…どうしたの?」

 

 ミト「…何か、悩んでることあるんじゃない?そういう顔してるよ」

 

 その理由はすぐに明らかとなった。深澄のわたしを見つめる目が、真剣そのものであったからだ。まるでわたしの心を見透かしたように、そう言ってくる彼女に対して、どうしたものかと思案した結果、わたしは言葉を返す。

 

 アスナ「…ううん、全然大丈夫。そんなに大したことじゃないから」

 

 ミト「嘘はダメだよ。今のアスナは、切羽詰まってる。誰かに助けて欲しいと思ってる…そうじゃない?」

 

 アスナ「…」

 

 ミト「何か困ってることがあるなら、話してくれても良いのよ。私たち、友達でしょ?」

 

 床から生えた切り株型テーブルの前で、優しく微笑みながらそう言ってくれる深澄を見て、また返す言葉を見つけられなかった。

 …でも、どうしてだろうか。普段のわたしなら、こんなことは言わなかった筈なのに…深澄の瞳が、たゆまぬ信念を宿していることに気が付いたからだろうか。それとも、かつて病室を訪れた深澄が、わたしの目の前で弱さを発露したことから、なれば自分の弱さを曝け出そうともお互い様とでも思ったのか。わたしの口は、自然と動き出していたのだ。

 

 アスナ「…実は…わたし、別の学校に編入しなくちゃいけなくなっちゃって…わたしはそんなの嫌なのに…母さんにハッキリ言えなくて、もう期限も明後日までで…わたし、このままじゃ…ねぇ、深澄…わたし、どうすればいいの…?」

 

 こんな内心は、決して誰にも言えないことだと思っていたのに、最愛の人にでさえ…わたしの強さを信じ、それを愛してくれた彼には言えなかった筈のことだったのに、きっと、深澄の確かな優しさと強さが、その壁を取り除いてくれたのだろう。

 そしてわたしは、今にも途切れてしまいそうな震えた声で、そう呟いたのだ。それでも決して涙を流さなかったのは、剣士としての矜持故か。だがそれを言うのならば、こんな情けない気持ちを曝け出すこと自体が、剣士として終わっているのではないだろうか。一瞬、そんな自問自答が繰り返されたが、深澄はすぐに、ハッキリと答えを出してくれた。

 

 ミト「『ぶつからなきゃ伝わらない事だってある』そう言うことなんだと思うよ。きっと」

 

 アスナ「ぶつからなきゃ…伝わらない…?」

 

 深澄が告げた言葉の意味が、余りよく分からなかったわたしは、そのままそれを訊ね返すと、彼女は心なしか恥ずかしそうに笑顔を浮かべながら、言葉を続けた。

 

 ミト「うん、そう。…これは、アルファが私に贈ってくれた言葉なんだけどね、それが私の背中を押してくれたんだ」

 

 ミト「明日奈は覚えてるかな…もう、一年前ぐらいの話。私が明日奈の病室に行って、謝った日のこと」

 

 深澄に対して軽く相槌を打つと、彼女はまた言葉を続ける。

 

 ミト「本当はね、その時の私、あの日明日奈の病室に行くつもりなんて、ほんの数日前までは無かったのよ?…でも、旧ALOの中でアルファと出会って、短い時間だけど一緒に沢山冒険して…その果てに、アルファが教えてくれたの。もし明日奈と仲直りしたいなら、ちゃんと言葉をぶつけないとダメだって。そうしないと、相手にはいつまで経っても伝わらないって」

 

 アスナ「…」

 

 彼女の話を聞く限り、深澄がアルファ君と初めて出会ったのは、如何やらGGOの世界では無いらしいことを今この場で初めて知ったわけだが…今はそんなことがどうでも良くなるぐらい、わたしにとっては深澄の言葉が、この上なく大切なものに聞こえていた。

 黙って耳を傾け続けるわたしを眺めながら、深澄はその日々を思い出すように遠くを見つめ、その瞳に憧れのような色を浮かべながら、更に続ける。

 

 ミト「それにね、アルファはこうも言ってくれたの。バーチャルだろうとリアルだろうと、どっちも同じ自分であることに変わりは無いんだって。その時の私は、どれだけ仮想世界で心を曝け出せても、現実じゃ無理だってアルファに言ったのに、アルファはそうやって、私の進むべき道を照らしてくれた…」

 

 ミト「私からしたら、アスナはもう十分、自分の気持ちを伝えられるだけの強さがあると思うわ。だってアスナ、私があんなに酷い事したり言ったりしたのに、ちゃんと受け止めてくれたじゃない」

 

 アスナ「……」

 

 深澄は微笑みながらそう言葉を締め括った。そしてわたしもまた、はっと気が付かされたのだ。

 確かに母さんは、自分のキャリアをも意識した上で、わたしの進路をより良い物にしようとしている一面もあるのだろうが…また同時に、母さんは一人の母親として、わたしが出来るだけ幸せに在れるよう、その可能性を最大限増幅するために、こうして編入を進めているのだろう。

 この社会においては、より良いキャリアを積み上げた方が、客観的な幸せを得られる確率が高いのは間違いない。それ故に母さんは、厳しい言葉を投げかけながらも、わたしにその道を歩ませようとしてくれているのだ。

 でも今のわたしは、自分で切り開きたい幸せを見つけた。それは確かに、前者と比べれば不安定な道だろう。安定な道と不安定な道。この二つが同時に存在し、抵触すれば、子を持つ母親としては、その子をどちらに進ませたいかは一目瞭然とも言える。

 

 だからこそわたしは、母さんにぶつからなければならない。ぶつかってこの気持ちを伝えなければ、きっと伝わらないだろうし、ぶつかればこの気持ちだって、必ず母さんに届くのだろう。

 思えばわたしは、母さんにこの気持ちを本気で伝えようと、ぶつかったことがあっただろうか。わたしは心の何処かで、どうせ伝わらないのだと諦念を抱き、母さんに投げ付けていた思いは、見当違いなものであったのではないだろうか。

 …あぁ、その通りだ。わたしは気持ちを伝えられないだろうと思い込み、その上で、母さんを不快にさせるであろう言葉をわざと選んだ。そしてそれによって、心のわだかまりを間違った反抗心で解消しようとしていただけなのだ。

 それがどうしてぶつかり合ったと言えようか。わたしの為すべきことは、真に気持ちを伝えることであって、そんな仄かな満足感を得る為では無いだろう。

 

 そしてもう一つ、深澄の話を聞いて、思ったことがある。

 …己の強さとは、自分自身が評価すべきものでも、評価出来るものでもないのかもしれない。自分自身に出来ることは、あくまでも己が内に秘めたる弱さを認識し、それを解決しようと必死になることだけであり、対して強さとは、他人から見た自己像を、自身に投影する。若しくはそう在ろうと努力することにあるのかもしれない。

 つまりは、弱さを把握することこそが、延いては強さに繋がるということだ。その観点から考えるならば、今のわたしは弱さを認識し、そしてそれを他者に曝け出し、また一歩、誰かから見たわたしの像が、強くなったのだと思う。その過程を繰り返していく中で、人はいつか、真の意味で強くなれるのだろう。

 …であればもう、わたしに迷うことなど、悩むことなど、あり得ようか。心の底からこの気持ちを伝えようとし、それを正しくぶつければ、自ずと道は開けるはずなのだ。

 そこまで考えたその時、わたしの心模様は、いつになく軽かった。ふと深澄を見つめ、自然と綻びた笑顔で、わたしは彼女に伝えた。

 

 アスナ「ありがとう、深澄。わたし、ちゃんとぶつかって来る」

 

 ミト「うん、いってらっしゃい、明日奈」

 

 ある日少女が繰り出した言葉は、道を見失った男の子を救い、やがてその男の子は、また一人の少女の勇気を導いた。そして確かに、その意志の詰まった言葉は、また彼女にまで伝播したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 次回の投稿日は、三月十九日の土曜日となります。

 では、また第147話でお会いしましょう!
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