~SAO with Yuuki~   作:うずつるぎ

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第156話 ただいま世界 前編

 季節も梅雨真っ最中となったその日、東京の空模様は、気持ちの良い晴天であった。そんな珍しい本日は、待ちに待ったユウキの退院の日である。

 その美しい青空は、まるで世界中が、君が外の世界に戻ってくることをお祝いしているようだ。そんなことを思いながらも、俺はせかせかと足を進めていく。

 やがて辿り着いた白き建造物の前で。俺は見上げるように顔を上向ける。…今日で、この病院を毎日訪れる日々が終わるなのか。この一年の日常に終わりがくることには、若干の寂しさを感じなくもない。だけど、それはとても幸せな事なのだろう。そんな感傷は、心の底に引っ込めておいた。

 

 今日は面会に来たわけではない。俺はエントランスを通り抜け、ユウキの待つ病室へと到着する。既にドアは開け放たれていたので、俺もノックをすることなくそこに踏み入った。

 中にはユウキだけでなく、先生や看護師さん達がそこに集っている。何事かと思った俺ではあったが、如何やらユウキは、この数年間お世話になった病院の先生たちに、お礼の言葉を述べているようであった。

 先生たちもやはり、彼女がもう一度生きて退院するとは思ってもいなかったのだろう。ユウキを数年支えてきた彼ら彼女らは、その目尻に涙を滲ませながら、本日限りで病院から退院するユウキにはなむけの言葉を送っていた。俺も同じように、毎日毎日面会の付き添ってくれた看護師さんや先生に、「お世話になりました」とお礼を述べていく。

 そして遂に、荷物を纏めたらしいユウキが、俺に笑顔で言った。

 

 木綿季「歩夢、ボク準備できたよ」

 

 歩夢「んじゃ、行こうぜ」

 

 恐らく、数年前に病院へと持ってきた物が詰まっているのだろう。オレンジ色のキャリーバッグがガラガラと音を立てる。こちらに寄ってくるユウキは、もう松葉杖や車いすが無くとも、自力での歩行を可能としていた。

 約二カ月半。それが、彼女があの痩せこけた状態から、日常生活を送れるほどの筋力を回復させるために有した時間であった。なんと、俺よりも寝たきりの入院生活が長かったというのに、筋力を回復させるに費やした時間で言えば、ユウキの方が短い。やはり、その本人に希望を抱く前向きな心が存在するか否かが、身体にも大きく影響を与えるのだろう。その実例がよく伺えた。

 とは言えユウキは、まだまだ体のラインが細い。荷物の詰まったキャリーバッグを引っ張るのも一苦労だろう。俺は右手でそれを奪い取ってしまい、左手でユウキの掌を掴む。

 ユウキは抵抗することもなく、その右手で包み返してくれた。君の手の温もりに触れる度に、俺は相変わらずドキドキとしているのだが、果たして君はどうなのだろうか。

 

 俺達は病室を出る直前に、最後に向き直った。二人揃ってもう一度、先生たちにお礼の言葉と軽く頭を下げることをしてから、廊下を歩き始める。ユウキはもうすぐ外へと繰り出せることが嬉しいのか、その足取りも何処か早弾むようであった。

 再びエントランスを通り抜け、出入り口のガラスドアを潜る。そこでユウキは、逸る足取りをピタリと止めた。彼女は視線を上向けると、魅入るように晴れ渡る青い大空を眺める。

 今は病院を出入りする人の気配もなかった。俺もその場で同じように佇み、彼女が満足いくまで隣で待ち続けることにする。間もなくユウキはこちらへ顔を向けたかと思うと、俺にこう言った。

 

 木綿季「ボクのお家まで、ついて来てくれるかな?」

 

 そう言ったユウキに対して、俺がこくりと頷くと、彼女はその場から足を繰り出そうとする。

 

 木綿季「じゃあ、まずは駅まで行こっか」

 

 だが対する俺は、その場から足を動かすことはなかった。故に手を繋いだままのユウキも、それ以上は進めない。不思議そうに俺を眺めてきたユウキに、俺は芝居掛かった様子でその理由を教えやる。

 

 歩夢「木綿季様の為に、お迎えのタクシーを手配しておりますから、駅まで向かう必要はございませんよ」

 

 するとユウキは、嬉しさ半分と納得いかないといった表情の半々を、その顔に器用に浮かべるのだ。

 恐らく前者は、タクシーがここまで来てくれるからだろうが、であれば後者はどういうことであろうか。俺のお芝居力が足りなかっただろうか。だなんて考えていると、ユウキはやはり最後には、その表情を困ったようなものへと染めてしまい、俺に言うのだ。

 

 木綿季「それはありがとうだけどさ…なんか歩夢、お金の使い方間違ってない?」

 

 歩夢「木綿季の為に使って何が間違ってるんだ?」

 

 木綿季「…う~…確かにお金はいっぱいあるのかもしれないけど、もっと大事に使わないと…」

 

 などとユウキは首を傾げながら仰るが、俺からすれば、ユウキの為に彼女の家を買うことも、ここにタクシーを呼ぶことも、全て正しいとしか思えないお金の使い道であった。

 なので俺が、ケロッとキザなことを言ってのけると、ユウキはその微妙な表情の中に嬉しさを滲ませながら、しかし俺に忠告を続けてくる。ならば負けじと追い打ちを掛けてやろう。俺も更に言葉を返した。

 

 歩夢「なんなら国会議員買収しまくって、木綿季帝国でも作ってみるか?毎日女王としての生活を気ままに送れるぞ?」

 

 木綿季「…それはアホ過ぎるよ…ボクはもう何も言いません…」

 

 そんな俺の壮大な発言に対して、流石のユウキも呆れた顔を向けてきた。

 まぁ俺もそう言ったはいいが、幾らなんでも、国会議員を多数買収できるだけの有り金を持っているわけではない。国会議員自体が買収出来るか否かなどは、彼らの立ち振る舞いを見ていればよく解ることだろうが、その点について今更説明する必要もないだろう。

 いま触れるべき点は、何故学生身分である俺が、簡単にタクシーを呼ぶことが出来ているのか。もっと言えば、何千万円とするユウキの家と土地を購入してしまえたのか。そしてそんな暴挙とも言える行動に出た俺が、どうして借金生活に追われ首を吊ることないのか。そういうことだろう。

 

 最早明らかな事だろうが、それは、俺の類稀なる免疫機能ゆえであった。

 俺の血液をエイズ特効薬にする為に、三カ月ほど前から、俺は先生と色々やってきたんだ。そしてその件の薬が市場に出回ったのは、四月の終わり頃であった。

 こんな夢のような薬は、そりゃあ売れないわけがない。発表されるや否や、世界中の医療現場で取り合いになったわけで、今は品薄状態、需要と供給が見合っていない状態に陥っていた。がしかし、俺も超人ではない。だから毎日献血出来るわけでもないし…それに関しては、申し訳ないとしか言いようがなかった。

 そしてそれ以来俺は、一気に億万長者へと躍り出たのだ。それはもう…これから一生働く必要は無いだろうなって思わされるぐらいにである。

 幸い、俺の個人情報は病院側から一切漏れていない為、世間的には、どっかの誰かがラッキーな体質であったのだろうと思っているぐらいなのだろう。だが、もし俺の個人情報が流出していたらと思うと…正直かなり怖い。

 楽して金稼いだことを妬まれ、暴徒に殴り倒されるか、或いは魔女狩りのような仕打ちに遭うのか…それは想像もしたくないことだ。

 まぁ兎も角、俺はひょんなことから、一夜にして大金持ちになってしまったのだ。それ故に俺は、ユウキの家が取り壊されそうになったその時も、すぐにその持ち主との交渉に移った。結果、数万円と数度のローン契約という痛くも痒くもない出費だけで、彼女の家を守ることに成功した。

 

 法律的には、この国に住まう者として、俺はもう成人している。けれども、世間的にはまだまだ十八歳の子供だ。と言うこともあって、土地の持ち主のオジサンは、流石に俺が何かの詐欺を仕掛けているのではないだろうかと相当疑ってきた。

 俺の前で腕組するオジサンに対して、俺がホイとその場で百万ほどをチラつかせると、オジサンはすぐに売買契約を結んでくれた。ユウキの二の舞とならないよう、しっかり前情報をネットで調べたものだから、登記だってちゃんとしてるし、現在は正真正銘、あの家の安全は保たれている。

 オジサンとの交渉では、なんだか足元を見られた気がしたけれど、俺にとってそんなことは、もうどうでも良かったのだ。だって、どれだけ大金を持っていようとも、大切な人の命一つ救えないことは、もう随分以前に嫌と言うほど思い知っていたのだから。

 ならば、ユウキの幸せのお手伝いの為に大金が消えていこうとも、どうして俺はそれを拒むだろうか。お金では命も愛も友情も買うことは出来ないけれど、それに繋がる幸せの一端を手にすることは出来るのだ。

 それがこの現代社会の仕組みであり、と同時に、人類が真に窮地に追い込まれたその時には、お金など紙切れにしかならないこともまた、重々承知しておかなければならないだろう。

 

 などと俺が考えていると、手配していたタクシーが、遂に病院前へと到着した。

 まずはトランクにキャリーバッグを入れてから、順番にタクシーに乗り込む。ユウキが運転手さんに行先である自らの家を伝えると、安全運転でタクシーが走り始めた。

 いつもとは違った視点で街を進むこと数十分、彼女の家の前に辿り着く。運転手さんにお代を払ってしまうと、俺達はそこに降り立った。

 俺はユウキに先導されて、玄関前の門扉を通り抜ける。そのまま何気なく、玄関扉の目の前にまでやって来たわけだ。ユウキはポケットから家の鍵らしきものを取り出した。

 そしてそれを鍵穴に挿し込んだその時だ。俺もようやくハっと気が付き、慌てて彼女に訊ねた。

 

 歩夢「な、なぁ、木綿季…」

 

 木綿季「ん?」

 

 歩夢「俺、家の中まで一緒に入るのか…?」

 

 …そう。ユウキのリアルのお家が、ALOに構えている俺達の家と余りに酷似しているせいで、俺はいつものようにここまでやって来てしまったのだが…そう言えばここは、現実世界ではないか。

 ユウキの家族との思い出がたくさん詰まっているであろうこの空間に、俺もまぁいつかは遊びに行くことはあるかもしれないが、早々に踏み入れる資格など無いのでは…?

 と、俺が色々考えた末にそう言うと、対する彼女は、当然だと言わんばかりの表情で俺を眺め、答えた。

 

 木綿季「そうだけど?」

 

 歩夢「…いや…それはなんか、悪いって言うか…」

 

 がしかし俺は、ぽりぽりと頭を掻きながら、この期に及んで言い淀むのだ。そんな俺の心の内を見事に読み取ったのか、振り向いたユウキは、揶揄うように俺の肩を小突きながら、笑いかけてくるのだ。

 

 木綿季「なに~?緊張してるの~?」

 

 歩夢「そ、そりゃそうだろ!!恋人の家にあがるのに緊張しない奴がいるか!?」

 

 彼女のそんな呑気な言葉に、俺は思いっ切り本気の返事をしてしまう。だがそれは仕方のないことだろう。

 何せ俺は、リアルのユウキの家を訪れるのは、これが初めてなのだ。であれば、愛する人の私生活が繰り広げられるパーソナルなスペースに踏み入ることに、俺が多少なりとも身を引き締め、身体に力を入れてしまうのも無理はないはずだろう。

 だが、俺がユウキに続いて彼女の家に入ろうとも、もう彼女の家族にたどたどしく挨拶することは出来ないし、また、生活の主を失って数年たった今、この家の内部に生活感があるかと言われると、そうでもないのだとは思う。

 それはどうしようもなく寂しいことではあるが、ならば俺とユウキが、これからはこの家の思い出を、また新たに紡いでいけば…君の心は、少しでも寂しさを忘れてくれるだろうか…。

 俺の叫びに、一瞬納得したように頷いていたユウキではあったが、しかし結局、俺に言い返してくる。

 

 木綿季「…ん~…でも、あっちじゃボク達一緒の家に住んでるじゃん。今更じゃない?それに、この家の持ち主は歩夢だよ?」

 

 歩夢「そういう問題じゃないんだって…」

 

 いやまぁ確かに、ユウキの言う通り、この家の所有者は俺なのだ。だからここに踏み入ることに、幾ばくかの気負いを感じる必要がないというのも分かる。その上、仮想世界の我が家では、俺とユウキで愛の巣を築いているのだ。ならば、今更ユウキの家へ立ち入ることに、緊張する必要がないというのもよく分かる。形式的な意味でも実質的な意味でも、俺が慌てふためく必要はないのだろう。

 …だがなぁユウキよ。現実世界の俺は、案外チキンなんだ。だからこそ俺は、ユウキの病気が治って以来、まだ手を繋いでハグをして…という所で足踏みしていて、仮想世界では辿り着いた夜の営みは勿論、キスでさえドキドキし過ぎて手を出せないでいるんだぞ。

 こっちの世界で君と出会って以来、俺は初心に戻っているのだ…と、俺がそんなことを思っていいたその時だった。ユウキが途端にモジモジと足を動かしながら、ほんのりと頬を染め、俺にそれを告げた。

 

 木綿季「…いつかはボクも、アルファとこの家で過ごしたいからね。その予行練習的な感じでさ。…ぼ、ボクにとっては、アルファは家族と変わらないから…」

 

 歩夢「っ!?……え、えっと…」

 

 木綿季「……うん……」

 

 歩夢&木綿季「「…」」

 

 …こりゃダメだな。お互いに自爆もいいところだ。

 ユウキがいきなりぶちかましてきたえげつい破壊力を秘めた発言に、俺は当然驚きによる硬直を強いられた。と同時に、その発言をした本人であるユウキもまた、赤くなった顔を俯かせてしまう。

 

 …か、家族みたいなものってことは……そ、そう言うことだよな!?

 

 いや流石にこれは、俺の深読みが過ぎるのかもしれない。だがもしかすればユウキは、つい数週間前の爆弾発言に対する一先ずの答えを、ここで出してくれたのかもしれない。

 あの日俺は、図らずも、ユウキとの結婚を仄めかすような言葉を発してしまった。無論俺は、ユウキと結婚までいきたいと思っている。だから「いつかはユウキにプロポーズしたいな」とは常日頃から思ってはいる。がしかし、勝手にその気持ちが零れ落ちてしまうのは想定外であった。

 そんな唐突過ぎる俺の発言に、やはりユウキは戸惑いを示し、しかしあの日は優しくその気持ちを受け取ってくれた。当然ユウキからすれば、まだまだ日常生活はこれからだし、今後の生活の中で、俺以上の人を見つけ出すかもしれない。それを考慮すると、あそこで核心的な答えを出すのは難しかったのだろう。

 だけど今この瞬間、ユウキは現状の気持ちを、俺に語ってくれたのかもしれない。こうなってしまうと、俺は二年後までに、辛抱強くこの想いを仕舞っておけるかが怪しくなってくるけれど…まぁ、約束はしっかり守らないとだよな…?

 と一旦結論付けた俺は、気を取り直して、ユウキに話し掛ける。

 

 歩夢「そんじゃ、お邪魔させてもらうぜ?」

 

 そうして俺は、君のお家を初訪問したのだ。

 

 

 

 

 

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 なんだか現実世界で一緒に過ごすようになって以来、ちょっぴり恥ずかしがり屋さんになっている気がするアルファが、ようやくボクのお家に入ってくれる意思を示してくれた。

 そこでボクも、玄関ドアを引いて、遂にその内部へと一歩踏み出したのだ。

 瞬間、お家の懐かしい匂いが、ボクの鼻に舞い込んできた。それは、記憶に残る数年前と変わっていない。続いて玄関口に並べられた大小さまざまな靴が、ボクの視野に飛び込んでくる。玄関のタイルを踏みしめるこの感触だって、以前となんら変わりなかった。

 玄関から前方に広がる廊下には、段ボールが数個放置されており、靴箱の近くには、等身大の白縁鏡が置かれている。数年ぶりに帰ってきたボクのお家は、あの頃と全く変わることなくそこに存在していた。

 …まるで、数年前の缶詰を開けたような感覚…もっと情緒的に表現するなれば、タイムカプセルを開けたような、そんななんとも表現し難い感覚に、ボクは陥った。

 だけどあの頃とは違って、もうここに帰ってくるのはボクだけであった。それだけが、数年前に切り取られたはずの空間に、時の流れという物を否応なしに雪崩れ込ませてくる。

 …だけど、今のボクには、隣に君が居てくれる。だからこそ、必要以上に悲しみを抱く理由もないのだ。ボクはそこで一度大きく深呼吸すると、後ろに控えていたアルファに、微笑みながら言うのだ。

 

 木綿季「さ、上がってよ。…流石にちょっと埃っぽい所は許してね?」

 

 歩夢「お、お邪魔します…」

 

 ボクがそう言ったことで、アルファもようやく一歩こちらに詰め寄ってくれる。ボクは靴を脱いで、家の中へとまた一歩踏み出す。

 廊下から二階へと続く階段は一旦スルーしておいて、まずはダイニングへと向かうことにした。玄関から少し前方に進んで、廊下の左側に設置されたスライドドアを押し開ける。

 そしてまた目に入ってくるのは、あの頃通りの内装の配置なんだ。

 お庭へと続く大きな窓の近くにはテレビが置いてあって、その向かい側にはベージュのソファが、その後ろには四角い木製テーブルと四人分の椅子が構えており、そして更にその後ろがキッチンだ。テレビの上には丸時計が壁掛けられている。ソファとテレビの間には、紺の絨毯が敷かれ、その上には小さなテーブルがある。

 窓から差し込む太陽の光が、その場を回顧的に照らし出しており、ボクはまた言葉に詰まってしまった。だけど、そんなボクの右手を、君はそっと包み込んでくれる。その優しさのお陰で、涙を滲ませることはなかったボクは、彼に言った。

 

 木綿季「取り敢えず、ソファでゆっくりしてていいよ。ボクはちょっと、二階に行ってくるから」

 

 歩夢「おっけ。なんならその間に、キャリーバックの中身出しとこうか?」

 

 木綿季「ボクの下着入ってるんだけど?」

 

 歩夢「んなら尚更…いや、冗談だって」

 

 ボクがそう言うと、アルファは気を遣って言葉を返してくれたけど、それは少々、ボクのプライバシー的にアウトだったのだ。その趣旨を伝えると、アルファは何故だか一層キャリーバッグを開けたがるような素振りを見せてくる。そんな彼をキッと睨んでやると、彼は苦笑いを浮かべた。

 …いや、別にボクだって、今更下着姿を見られることに、抵抗感を抱いたりはしていないんだよ?寧ろ見られて嬉しいとまで思ってるのかもしれない。でもやっぱり、下着単体を拝まれるのはなんだか恥ずかしくて、こういう発言をしちゃったんだ。

 大人しくソファに座ることにしてくれたアルファに、ボクはホッと一安心した。リビングダイニングを後にして、再び玄関前の廊下に出た後に、階段を登っていく。

 そのまま階段を登り続けていくと、畳のある和風なお部屋とパパとママの寝室があって、左手に向かえば、ボクと姉ちゃんのお部屋。そしてその突き当りまで行くと、二階のトイレがある。

 まずボクは、手前にある自分の部屋に入ってみた。そこには小さなベッドや勉強机が置かれていて、それを見るだけで、あの短くも濃密であったこの家での思い出が、自然と脳裏を駆け巡った。

 この一軒家に引っ越してきたその日、ボクはパパとママから初めて、自分だけのお部屋が貰えたんだ。これまでは姉ちゃんと一緒のお部屋で、ボクだけのお部屋って言うのが無かったから、それが凄く嬉しかったんだ。だけどボクは甘えん坊だから、結局姉ちゃんと一緒に居られないのが寂しくなって、よく隣の姉ちゃんのお部屋で過ごしていた。

 その日々を追憶するかのように、気が付くとボクは、姉ちゃんの部屋の扉を開け放っていた。でもそこには、優しくボクの名前を呼んでくれる姉ちゃんは、もう居ない。

 そこでボクはもう堪えられず、両目から涙を溢れさせてしまった。泣き崩れるように、ひやりとした床にへなへなと座り込んでしまう。しかし大声は上げることなく、すすり泣くように目頭を押さえた。だって、もし大声で泣いちゃったら、きっとアルファがここに──。

 

 歩夢「やっぱりな…」

 

 木綿季「あ、歩夢…」

 

 ──そう思っていたのに、如何やら彼は、想像以上に勘が良かったらしい。いつの間にかボクの傍に寄り添ってくれていたアルファは、そのままボクの頭を優しく撫でながら、そう言ってくれるのだ。

 

 歩夢「泣きたいときは泣けばいいだろ?ほら、遠慮すんなって」

 

 そう言ったアルファは、両腕を大きく広げてくれた。泣き顔を見られたくなかったボクは、そのまま彼の胸に顔を埋め、涙を流しゆく。すると彼は、また優しくボクを包み込んでくれるのだ。

 …やっぱり、アルファの匂いは、何処か姉ちゃんと似ている。だからこそボクは、よくアルファに甘えてしまうのかもしれない。

 そんなことを思いながらボクは、もう一度ここに帰ってこれた喜びと、もう家族に会えない悲しみの入り乱れたよく分からない感情を、ひたすら君の胸の中で吐き出し続けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから暫くした後に、ボクはアルファと、簡易的なお家の大掃除に取り掛かり始めた。

 これはアルファが提案してくれたことで、彼にわざわざ掃除を手伝ってもらうのは、少し申し訳なかったけど、「ここは俺の家だからな」と気前よく言ってくれたものだから、二人で家中に溜まった数年分の埃を、掃除機やモップを使って簡単に落としに掛かったのだ。

 その中で水道、お風呂やトイレ、洗濯機にエアコン等々の設備をチェックしてみたところ、幸いなことに、この数年で故障したものは一つもなかった。

 最後に二人でリビングを掃除して、取り敢えず、今日の所の掃除はお終いにすることにした。そしてボクは、久し振りに家のトイレを使い、スッキリした状態でリビングへと舞い戻ったその時だった。

 アルファは不思議そうに、分厚い何枚もの封筒を手に持っている。そして彼はボクにそれを見せながら、疑問気に訊ねてくるのだ。

 

 歩夢「なぁ、木綿季。これ、俺宛ての封筒っぽいんだけど…何か知らねぇ?」

 

 次の瞬間、ボクは何がなんでもそれを奪還すべく、猛烈にアルファに近寄る。するとアルファも何かを感づいたのか、それを奪われないようボクから距離を置くのだ。

 …あれはボクが、病院から持って帰ってきた物の一つだ。キャリーバッグの中身を出した時に、その封筒も後で何処かに直そうと思っていたのに、まさかその前にアルファに気が付かれちゃうなんて…。

 彼が中身を読んでしまう前に、是が非でもそれを取り戻さなければならない。ボクはどうにか彼の手に握られる封筒をもぎ取ろうとする。でも悲しいかな、ボクとアルファの筋肉量には大きな差があった。ボクがどれだけ力を込めて、アルファの腕をこちらへ引き戻そうとしても、彼の腕は僅かにしか動かない。

 

 木綿季「か、返して!!それ読んじゃダメなの!!」

 

 歩夢「何言ってんだよ~、これ俺宛ての手紙だぞ?」

 

 ボクの掴み攻撃をのらりくらりと躱しながら、アルファは器用にも封筒から手紙を取り出した。ボクは一層焦りを募らせながら、更に激しく彼を制止しようとする。

 だけど彼は、そんなボクを面白そうに眺めながら、それに目を通し始めてしまったのだ。

 

 歩夢「何々~…拝啓アルファへ。月愛でるこの頃……」

 

 木綿季「……」

 

 最初は呑気に朗読をしようとしていたアルファだったけど、恐らくものの数行で、言葉を失ってしまった。そのお手紙がどういう意図を以て作られたのかを、彼も理解したのだろう。途端に黙り込んだボクに対して、アルファはすぐにその手紙から目を離し、目を見開いたまま言葉を放った。

 

 歩夢「…ゆ、木綿季…これって…?」

 

 木綿季「…ボクからのお手紙だよ…。…ボクが死んじゃった時に、アルファに渡す予定だった…」

 

 …そう、この何十枚とある封筒の中に仕舞ってある無数のお手紙は、全てボクが、アルファへと書き上げたものだ。言わば遺言。死を覚悟していたボクは、少しでもアルファに伝えたいことを伝えられるように、こうして秋頃からお手紙を書き始めたのだ。

 今はもう役目のなくなっちゃったお手紙だけど、あんなにボクの想いを詰め込んだものは他になかった。だから捨てるに捨てれなくて、こうしてお家に持って帰ってきちゃったんだ。でも…まさか、アルファに見られるなんて…。

 などとボクが思っていると、アルファは唐突に、ボクの身体を強く抱き締めた。そしてボクに言い聞かせるように、耳元で呟いた。

 

 歩夢「…こんなの作らなくたって、ちゃんと生きられただろ…?ユウキが道を切り開いて、俺が助けてやっただろ…?」

 

 木綿季「…そうだね…だから、このお手紙は作らなくても良かったかもね…」

 

 一瞬、突然の抱き着き攻撃にドギマギしていたボクだったけど、対するアルファは、そういう意図をもって、ボクを抱き締めたのではないらしい。彼の口から語られる言葉で、それは大いに理解出来た。それ故にボクも、同じようにアルファを抱き締めて、穏やかに言葉を返すのだ。

 …と感動的なこの流れで、ボクはパッと、アルファの手に握られた手紙を取り返す。えっと驚いたような顔をしているアルファに、ボクは答えた。

 

 木綿季「恥ずかしいから見ちゃダメ」

 

 歩夢「…気になるんだけど?」

 

 木綿季「ダメなものはダメなの!」

 

 数回の押し問答の末、アルファはどう足掻いてもお手紙に目を通すことが出来ないことを悟ったのか、え~っと残念そうな声を上げる。だって、流石にボクとしては、このお手紙をアルファに見せるのは恥ずかしいんだ。

 たくさんの想いが詰まっている、ボクのお手紙。これはあくまでも、ボクの時間が限られていたからこそ、その全てを伝えられるよう準備しておいた保険みたいなものなのだ。

 でも今のボクには、たくさんの時間がある。ならばこそ、ボクはこれから時間を掛けて、その想いを君に伝えていけばいいのだろう。一体それに何年掛かるかは分からないけれど、そうやっていつまでも、ボクはアルファを隣に繋ぎ止めるんだ。

 

 そんな感じが、ボクが退院したその日の、前半の出来事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 次回の投稿日は、四月十一日の月曜日となります。

 では、また第157話でお会いしましょう!
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