現実世界のお家に戻ってきて以来、約一カ月の月日が、瞬く間に過ぎ去っていった。
そんな今日この日は、早くも七月だ。気が滅入ってしまう程に雨一色に染まっちゃうこの時期も、もうすぐに終わりを迎え、と同時に、みんな大好き夏休みも、目の前にまでやって来ているのだ。
傍から見たこの一カ月間は、実質的にはエブリデイホリデーみたいなものだったのかもしれない。だけどボクにとっては、数年ぶりの日常生活、そしていきなり始まった一人暮らし…とは言っても、アルファには毎度色々と手伝ってもらっているから、真に一人暮らしをしているとは言えないかもしれないけど…に順応するのに精一杯で、とてもじゃないが、呑気な一カ月を過ごしていたとは言えないとは思う。
でも、一カ月も生活を送れば、ある程度のことは少しずつ慣れてくるものだ。これは近い未来に、アルファに頼らずとも、完全に自立して生きていける日も近いのかもしれない。まぁ、ボクはアルファと一緒に過ごしたいから…「お家の掃除手伝ってよ~」って感じでなんだかんだ理由付けて、アルファにお家に引っ張るんだろうけどね。
とアルファにとっては迷惑かもしれないことを考えつつも、ボクはギシギシと音を立てながら、安楽椅子を大きく揺り動かしていた。いつもなら向かいにあるソファに腰掛けているのだが、今はアルファがここに居ない。隣で寄り掛かれる君がまだこの世界に来ていないうちは、ボクにとっては、ソファでゆっくりすることの意味が半減するのだ。
まだかな、もう少しかな、早く来てくれないかな…。ボクは飽き足らず五分ほど前から、同じような思考を繰り返している。するとようやく、ダイニング方面にてシュッと音が聞こえてきた。反射的にそちらに視線を向けると、やっぱりアルファがこっちの世界にログインしてきたのだ。
彼の姿を認識するや否や、自然と口元が緩んでしまったことは、自分でもよく分かっていることである。ボクはニコニコと彼に笑顔を向けながら、安楽椅子から飛び退く。そのまますとんともう一人分のスペースを開けてソファに座り込んでしまうと、君に言うのだ。
ユウキ「アルファ、隣に来て欲しいな?」
そんなボクの単純すぎる様子に、アルファは「参ったな」と苦笑を漏らしたけれど、そこはちゃんと隣に座ってくれる。そしてボクは、普段通りアルファに自分の身体を密着させる。すると君も、変わらず包み込むようにボクの頭を撫でてくれるのだ。たったそれだけで、ボクはまただらしなく笑みを零してしまう。
…ボクは本当に、こうやってアルファにもたれ掛かることが大好きなのだ。愛するアルファの温もりを感じながら、彼の柔らかい匂いもすぐ側から感じられて、しかも優しく頭まで撫でてくれる。この瞬間にボクは、アルファがボクを優しく守ってくれていることを、凄く良く実感できるのだ。
ボクが求める度にこうしてアルファは応じてくれるものだから、ボクはいつまで経ってもアルファに甘えることをやめられないんだけど…ここまで来たらもう、一生甘え倒してやるんだからね?一方アルファはこの時間をどう思っているのかは分からないけど、嫌がらないってことは、そう言うことなんだって思ってるよ?
そんな勝手な解釈を入り交えつつも、ボクは暫くの間、アルファと身を寄せ合い続けた。
…こういうことは、現実世界だと中々出来ない。だから堂々とイチャイチャ出来る仮想世界での時間は、実は貴重だったりする。だけどそんなことを言うのであれば、現実世界でも同じようにすればいいじゃないかと言われそうだけど…実際にはそうもいかないんだ。リアル世界のボク達は、まだまだ初心な関係だ。だからこんなことは恥ずかしくて…。
今更ながらに思うけれど、ボクとアルファは仮想世界では行くところまで行っちゃったのに、どうして現実世界では同じようにいかないのだろうか。仮想世界の姿だって、現実世界と違うところは、妖精として特徴が追加されているのと、まだまだあどけなさの残る数年前の姿であることぐらいで、それ以外は何も変わらないではないか。
それは恐らく、現実世界での恋愛関係は、仮想世界とは別にまたゆっくりと育んでいきたいと、ボクらは思っているからなのかもしれない。…だって、仮想世界でそこまでしちゃったからって、じゃあ現実世界でもいきなり致しちゃうかと言うと…それはちょっと違うと思うんだ。
そんなわけで今のボクは、リアルでは甘酸っぱい成分多めの恋愛を、そしてバーチャルでは甘さ全開の恋愛を、これからしばらくは繰り広げていくのだろう。アルファ成分を存分に堪能したボクは、そこでようやく心地良く閉ざしていた瞳をゆっくりと開け…最後に軽く唇を合わせるのだ。
この小さな身体では到底収められない程にアルファを感じ取ったボクは、やっとのことで満足を示す。そんなボクを眺めるアルファの表情は…嬉しそうで穏やかでもあり…これは、ボクのことを愛おしいと思ってくれているのだろう。純粋に嬉しいなと思いつつも、遂にアルファとお話を始めた。
ユウキ「アルファはさ、アスナ達から聞いた?夏休みの話」
アルファ「あぁ、聞いたぜ。海に行くんだろ?」
ユウキ「アルファは来られる?」
アルファ「とーぜん俺も行く」
会話から分かる通り、帰還者学校は七月中旬の終わり頃から夏休みに突入する為、七月終わりの二日間、ボク達はみんなで海に遊びに行く予定なのだ。なんでもアスナ曰く、お家の別荘とプライベートビーチを使わせてもらえるということなので、ボク達だけの常夏を楽しめるとのことである。
こんな楽しいことはないだろうと、アスナにその遊びを提案された時に、ボクは二つ返事でそれを受け入れた。しかもその海の遊びには、女性陣だけでなくキリトやアルファも誘うということなので、これはボクも気合い入れなきゃねと意気込んでいるのだ。
アルファがそれに参加することを今ここで知ったボクは、増々その熱意を高めていく。数日後に控えるアスナ達との水着購入には、ボクも本気を出さないとだろう。
アルファ「しっかしアスナの家って、マジで金持ちだよなぁ…」
ユウキ「そういうアルファだって、その気になったら別荘も買えるんじゃないの?欲しいなら買えばいいじゃん」
アルファ「まぁそりゃそうだけど…流石に無駄遣いっつうか…」
ユウキ「そこはちゃんと分かってるんだね。ボクも安心したよ」
ふとアルファが、羨ましそうにそんなことを言うものだから、ボクも試しに強気の言葉を掛けてみると、彼は渋い表情でボクに言い返してくる。
一体アルファが、具体的にどれだけお金を持っているのかは知らない。でもボクのお家を楽々と買ってしまえるほどだ。それはもう相当なのだろう。
そんなアルファが知らず知らずに金銭感覚を崩壊させていたら…とボクは危惧したんだけど、彼はまだまだ正常な思考を保てているらしい。その事実に胸を抑えながら、何故か安堵のため息を吐き出す。だって、価値観があんまりズレちゃ色々と難しくなるだろうからね~…・
すっかりアルファの配偶者気取りなボクのことは一旦置いておいて、また別な話題を彼に投げかけるのだ。
ユウキ「そう言えばアルファって、最近細工スキルの熟練度上げてるよね」
アルファ「あぁ…もうスキルスロットに縛られることも無いからさ、ちょっとした趣味としてな」
ユウキ「だったら、ボクと一緒に料理スキル頑張ろうよ」
アルファ「悪いけど、料理はリアルだけで充分だ」
ユウキ「え~…」
アルファから思い通りの返事を得られなかったボクは、思わずアルファの胸元を掴みながら、不満をぶつけるように唸り声をあげるのだ。Tシャツをギュッとされて見つめられたアルファは、しかしいつものようにボクに負けてしまうことはなかった。
確かにアルファの言う通り、一人暮らしをしているボク達にとっては、料理とは日常的にやらねばならない事であるのだ。となると、わざわざゲームの中でも料理をしたいとは思わないのだろう。
そんなアルファが趣味として選んだスキルは、なんとまさかの細工スキルであったのだ。もう彼是三年以上もアルファと一緒にいるけれど、特段細かい作業が好きという訳でも無いアルファが、どうして今になってそんなスキルにのめり込んでしまったのかは、ボクにもちょっとよく分からない。だけど、SAOの頃とは違って、生存目的以外に趣味の一環としてスキルを選択出来るようになったということは、とても良い事なのだろう。
アルファ「そういや今って、何処まで突破されてるんだ?」
アルファはボクにそう訊ねてきたけど、肝心のキーワードが欠如しているものだから、ボクにはその意味が解せない…と見せかけて、ボクにはアルファの言わんとすることがよく分かっていた。ボクは頭の中の記憶を辿りながらそれを脳内検索し、やがて答えを見つけ出す。
ユウキ「確か…43層のボス部屋が、一週間ぐらい前に発見されてた気がするかな」
アルファ「43層か…」
アルファの欠いていた鍵となる言葉とはつまり、「新生アインクラッドって」というものだろうと、ボクはなんとなく予感していた。そしてそれはやっぱり正解だったみたいで、アルファはボクの言葉を受けると、暫し考え込むように俯く。
…43層には、何かあったかな?あ、そうだ。あそこは確か、ホラー色が強めのテーマの層だったよ。アルファが前線に出るのすっごく嫌がってた時期だね。その後の65、66層もホラー全開のステージで、65層はアルファも珍しく頑張ってたけど…二層連続ホラーがテーマで、心折れちゃったんだよねぇ…懐かしいなぁ…。
なんだかボク、久し振りにアルファがオバケ恐がるところ見たくなってきちゃったよ。あのアルファ、ホントに可愛いからね…あの瞬間だけは、ボクも可愛さで負けてる気がするよ…。でも、流石にアルファも嫌がるだろうし…可哀想だしやめとこうかな…。
とボクが、かつてのSAOにおける四十三層での思い出を思い返していると…。
アルファ「そういや、俺達が43層攻略してる頃にさ、ハロウィンでコスプレしてたよな、ユウキ。…あれはマジでビビったぞ…うん、色んな意味で」
ユウキ「」
アルファが真顔でそんなことを言うものだから、ボクの中で封印されていたはずの、無かったことにしていたその記憶が、いま鮮明に脳裏に蘇ってくる。そしてボクは大きく硬直し、もうアルファとは目を合わせることさえ出来なかった。
…あの時のボクは…ハッキリ言って、どうかしていたと思う。一体何がどうなれば、別に恋仲でもない男の子に向かって、寝起きであんな恥ずかしい姿を見せ付ける気になったのか。あ、そっか。なんだかんだでボク、あの時はもうアルファのこと意識してたからね。別に好きっていう気持ちじゃないんだって自分には言い聞かせてたけど、無意識のうちに女の子アピールしようとしてたのかな…?まぁどっちにしろ、恥ずかしいことに変わりはないんだけどね…。
アルファ「…あの時はすげぇ心がグラっと来たな…」
ユウキ「そ、そうなんだ…」
ボクが羞恥心に塗れ何処かここでは無い遠くを眺めていると、アルファはブツブツと嬉しいことを言ってくれる。だからこそボクも、辛うじて言葉を発することが出来たんだけど…まさかあの一件で、ボクはアルファの心を射止めてしまったのだろうか。もしそうだとしたら、恋心の発端が余りに阿保らし過ぎて、ちょっぴり悲しいかもである。
でも確かにアルファは、去年のクリスマスのサンタコスだって大層お気に召していたようだし…その可能性も有り得なくもないのだろう。アルファは以前ボクに、好きになった瞬間に明確な時期はないって答えてたけど、果たして本当にそうなのだろうか。折角だし、このタイミングで聞いておくのも…。
アルファ「久し振りに、前線の様子でも見に行こうぜ?」
ユウキ「…ん、そうだね」
ボクがそれを切り出す少し前に、アルファがボクにそう提案してきた物だから、ボクも素直に従うことにした。
我が家を出発したボク達は、そのまま翅を広げて第15層の転移門広場へと向かっていく。アルファと再会した一年ほど前には、毎日のように新生アインクラッドの最前線に繰り出していたボク達だったけど、ボクの病気が完治する数か月前とそれ以来、段々と最前線に出る機会が少なくなっていった。
そしてボクがクリーンルームから出たその日からは、遂にはボク達は、めっきり前線へと向かうことはなくなっていたのだ。
その理由は恐らく、SAOの世界から始まったボクとアルファにとっての剣士としての日常が、そこで一旦の終わりを告げたからなのだろう。勿論、ボクには、そしてきっとアルファにも、未だに剣士としての誇りや意志みたいなものは消えずに残っているだと思う。
だけど、現実世界でアルファと出会ったその瞬間から、ユウキと木綿季、アルファと歩夢の比重が逆転したんだ。だからこそボク達は、リアルではお互いを名前呼びして、バーチャルではニックネームを呼び合うのだ。
無論、例え比重がリアルに偏ろうとも、剣士としての自分が完全に消えるわけではない。もうこの二つの存在は、切っても切り離せない表裏一体の存在なのだ。
SAOサバイバーであるボクらは、己の命を賭けたデスゲームを唯一の現実として認識し、確かにあの城で命を燃やし続けたのだ。それ故にボク達にとっては、現実世界で生きる自分と、SAOで生きたバーチャルの自分も、紛れもない一つの現実であったのである。
そしてそれこそが、ボクがSAOに囚われている際に、病気の進行が一時停滞していた理由なのではなんじゃないかなって思っていたりする。
要するに、ボクがあの世界をただ唯一つの現実であると認識したが為に、あの世界で病気など気にせず生きるボクこそが、真実の自分として映し出され、それが身体に影響したのではないかと…詰まる所、思い込みの力とかプラシーボ効果とか、そういう物の発展形なんだと思う。
なればこそ、現実世界に帰還したボクが、かつての仲間たちとの日々を、どれだけ以前と似たように過ごしたとしても、病気の進行が止まることはなかった理由もよく解せるだろう。
そんなある意味ではどうでも良くて、だけど一方では大切なことを考えているうちに、ボクは転移門前へと辿り着いた。石畳の床に足を付け翅を畳み、アルファと共に転移門に触れてみる。
ユウキ「…あれ、44層まで解放されてるね」
アルファ「誰かがボス倒したんだろうな」
そこで意外だったのが、44層の主街区がアクティベートされているという事実であった。とは言え、ボス部屋が発見されて約一週間、これだけの時間があればフロアボス撃破も十分可能だろうし、然程驚くことではない。
へぇーといったぐらいの気持ちで、転移門前に表示された44の数字を、ボクは眺めていた。すると隣に立つアルファが、ボクに向けて声を掛けてくる。
アルファ「じゃあ計画変更してさ、44層行かないか?」
ユウキ「りょーかい」
それにも特に異論のなかったボクは、すぐにその案を受け入れ、いつ振りかに第44層主街区の名前を声高々に叫んだ。いつもの青いライトエフェクトに包まれ、一瞬ふわっと身体が浮かぶような感覚を味わったあとに、ボクは15層から44層へと瞬間移動してしまう。
眼前に広がる転移門広場を初めとした街の景色は…以前見た時と変わらない、赤レンガ造りの洋風建築を主体とした美しい街並みであった。街の至る所には、現実世界でも良く見る教会やお祈りのドームを模した建物が点在しており、その様子から、この街がアインクラッドの中でも宗教が盛んであることは、大いに伝わってくる。
もう教会のミサには長らく顔を出していないとは言え、家系的には厳格なカトリック教徒のボクがこんなことを言うのはなんだけど、宗教という物は往々にして、洗脳や統制に使われることが多い。
それがどの宗教で行われているのか、それこそ新興宗教の多くはそう言う傾向が強いが…果たして、超有名な宗教が、何者かの悪意の下動いているという可能性は、一切無いと言い切れるだろうか。宗教を否定するつもりは殊更無い。救いを求める心は、誰の中にでもあるのだから。
だけども、ボクはもう神様に救いを求めることはないんだ。己の意思が、思考こそが、世界に影響を与える概念を創り出すということを、君と共に理解できたのだから。ボクは自分自身にこそ頼り、そして君にもまた頼りながら、他でもない己の力で運命という絶対的な概念を想像し、それを勝ち取るのだ。
アルファ「どうした?」
ユウキ「ううん、なんでもないよ」
そんな決意を改めて胸に刻んでいると、ボクは自然と、隣に立ってくれている君の手を握り締めていた。それに気が付いた君は、不思議そうに眺めてくる。ボクの考えていることはなんにも分かってなさそうな顔をしているけれど、ここまでボクを導いて、この運命を一緒に創り出してくれたのは、紛れもない君なのだ。
とそこでボクは一つ思い出し、途端にアルファの手を引いて、ぐんぐんと歩みを進めようとするのだ。
ユウキ「アルファ!44層って言ったら、あそこに行かないと!」
アルファ「あそこ…?…あぁ、それもそうだな」
一瞬、彼はボクの放った言葉の意味を理解出来なかったようだった。でもすぐに、この街でボク達が巻き起こしたその出来事を思い出したのだろう。「あっ!」と声をあげると、彼もボクと全く同じ方角へ足を進め始める。
とは言えそこを訪れたのは一度限りで、ボクもアルファも辿り着くまでに、何度も何度も街中で迷うことになった。だけどその末に、なんとかそこまでやって来ることが出来たのだ。
ボク達の目指したその場所とは、西洋建築で溢れる街中の奥深く、まるで忘れ去られたようにひっそりと佇む、おんぼろな木造古民家であった。こんな場所になんの用があるのだと、多くのプレイヤーならそう思うだろうが…ここが重要な地点であることを知っているのは、恐らくボクとアルファと…あとはアルゴぐらいのはずだ。
街のテーマからは大きく逸れた建築物からは、異様なオーラが放たれているようにも思えた。ボクらはそれに若干気圧されつつも、意を決して、横引きの襖を模したドアをスライドさせる。
ガラガラと開くドアに向こうで、ボク達を待ち受けていたものは──。
アルファ「……何も、無いな…」
アルファはその様子を受けて、気の抜けたようにそう呟いた。
その古民家の内部に広がっていた光景とは、なんの生活感も感じられない空虚な空間であった。
もう何年も使っていないであろう暖炉、何一つ物が置かれていないテーブル、部屋の隅にひっそりと設置された箪笥。しかしそのどれもが、埃を被ることなく綺麗な状態で放置されている。
まるで身辺整理でもしたかのようだ。無機質な整然さを醸し出すその屋内には、当然NPCは存在しない。古い時間を閉じ込めていたはずの空間の癖に、清潔感が溢れれいる。それはつい最近まで人の営みがあった動かぬ証拠であるはずなのに、その名残は微塵も感じられない。その摩訶不思議とも思える様子は、ボクにそれを想像させるに充分であった。
だからこそボクは、隣で呆けている彼に、いたずらな笑みを浮かべ、言うのだ。
ユウキ「なんか、オバケとか出ちゃいそうだね」
とボクが揶揄うように言えば、アルファは望み通りびくりと身体を震わせると、本気で嫌そうな顔で言い返してくる。
アルファ「縁起でも無いことは言うなよ…っても、前来たときは、爺さんが幽霊だったんだけどな…」
ユウキ「あぁ~、そう言えばその時もアルファビビってたね~」
アルファ「それは思い出さなくて結構」
そんなやり取りを交わした後に、ボクらは兎に角、このなんの変哲もない家中を、隈なく捜索し回ったのだ。そしてやはり、二十分後ぐらいにそれは判明する。この家には、特段変わったことは無かったのだ。
隠し階段や通路が隠されていることもなければ、何か重要なクエストに繋がるアイテムが眠っているわけでもない。なのにどういう訳か、プレイヤーはこの空間に立ち入ることが出来る。まるでこの場所は、大切なものを取り上げられたかのように、何かが欠けていたのだ。
そんな家の畳部屋でボク達は腰を下ろし、間もなくアルファが口を開いた。
アルファ「…月光スキルも、太陽の戎具もなかったな」
ユウキ「そうだね…」
アルファの少しガッカリしたようなその一言に、ボクは適当な相槌を打つばかりだ。実のところ、ボクがこの場所にアルファを案内しようと思ったのも、その為でしかなかったのだから。
ここはかつて、ボク達がユニークスキル及びユニークウェポンを獲得する契機となった、あのクエストの発注地であるのだ。新生ALOでは、キリトの獲得していた二刀流スキルを含む幾つかのスキルが抹消されているとは聞いていたけれど、ボク達だって、実際にこの目で確かめない訳にはいかなかったのだ。
そして結局、その二つはこの世界には存在していなかった。そういうことだ。
アルファ「なんか、残念だったな」
ふとアルファが放った一言に、ボクは反射的に言葉を返す。
ユウキ「そんなことないよ。もうそれは必要無いからんだからさ」
するとアルファは、「えっ?」と不思議そうにこちらを眺めながら、訊ねてくる。
アルファ「なんでだ?月光スキルだって、あった方が便利だろ?」
ユウキ「ん~…」
そんなアルファの実利的な言葉を受けて、ボクもこの気持ちをどう説明したものかと、少々頭を捻らせる…とは言っても、一度は文字にしているのだから、後はそれを如何に簡潔に述べるかを考えるだけだ。
なんだかんだで、月光スキルは一年ほどの間ボクを支え続け、最後にはアルファを救い出してくれたのだ。そんな思い出深いスキルであるが故に、ボクも少しばかりは、この世界にも月光スキルがあればなぁ…だなんて思わないこともないんだ。
だけどやっぱり、それはもう無くていいものだった。だってそれは──。
ユウキ「…アルファはさ、月光スキルにバディを強化出来る効果があったの、覚えてるかな?」
結局、ボクは文章にしたままの言葉で、彼にそれを伝えることにしたのだ。ボクが微笑みながらアルファにそう言うと、彼はやけにしみじみとした表情で、大きく頷きながら答える。
アルファ「しっかり覚えてるぜ。あのバフが無かったら、俺はどっかでくたばってただろうな」
ユウキ「それはどうかな~…まぁ、それでね、ボクはそのたった一人の相手を、アルファに選んだんだけど、どうしてだと思う?」
ボクが問い掛ければ、アルファは真剣な表情で過去を想起し、やがて答えを出した。
アルファ「…コンビ組んでたから?」
ユウキ「ちょっとだけ正解。でも違うよ」
ボクがそう答え返すと、今度のアルファはさっきの倍以上の長考。そしてその末に、半信半疑の恐る恐ると言った様子で、第二の答えを呈示するのだ。
アルファ「……もしかして、俺のこと、好きだったりしたから…?」
ユウキ「…半分満たないぐらいの正解だね。でも、それも違うんだ」
ボクが少し頬に熱を籠らせながら伝えると、彼は面喰ったみたいに固まってしまう。でもすぐに硬直は解け、食いついたように質問を投げかけてきた。
アルファ「そういやユウキって、いつから俺のこと好きになってくれたんだ?これはまだ聞いてなかったよな…?」
いきなりそんなことを聞かれたボクは、勿論、それを正直に答えるのが恥ずかしくなる。でも同時に、君にこの気持ちを伝えたいとも思ってしまうのだ。そんな二つの気持ちに板挟みになったボクは、彼に質問返しを仕掛けてやった。
ユウキ「…教えてあげてもいいけど…代わりに、アルファが先に、いつからボクのこと好きなのか教えてよね」
するとアルファは、この展開を予想出来ていなかったのか、うぐっと言葉に詰まってしまう。その表情も、興味津々といったものから、恥ずかしがるような困ったものへと変化してしまった。でも意を決したのか、アルファはつっかえながらも、それを教えてくれたのだ。
アルファ「えーっと…多分だけど、俺がユウキに心を揺さぶられたのは…ユウキと初めて過ごした年末年始…だな…」
ユウキ「えっ」
アルファ「いや、そん時はまだ、今ぐらいユウキ大好きって訳じゃなかったんだけど…まぁ、気になる人になったと言うか…あぁ、恥ずかしいな。まぁ、そんな感じだ」
初めてアルファと過ごした年始となると、それはもう、ボク達が出会って一カ月程の時期ではないか。その想像も出来なかったような答えに、ボクが思わず声をあげて驚きを表現すると、彼は続けざまに話を進めてくれた。
でもやっぱり、アルファもこういうことを話すのは恥ずかしいらしい。頭を掻きながら目を逸らすと、途中で言葉を区切ってしまったのだ。
…ボクはてっきり、もっと後になってから、アルファは何処かでボクのことを異性として見てくれるようになったと思ってたんだけど…とボクが心の中で衝撃を言葉にしていると、アルファが早口に訊ね返してくる。
アルファ「ほら、言ったぞ。ユウキも教えてくれよな」
彼にそう催促されて、ふとボクも、今度はこっちの番だということを思い出す。、一体何から何までを伝えようかと一瞬のうちに思考を巡らせるも、その果てに口から飛び出した答えは、それはもう短いものであった。
ユウキ「……二層」
アルファ「え?」
ユウキ「…だから…二層だって…」
アルファ「えっ」
アルユウ「「……」」
ボクは膝を抱えながら顔を埋め、ぼそりとそう呟いた。でもその余りに短すぎる答えをアルファは聞き逃してしまったのか、彼はボクの方を眺めるのだ。自分でも分かるほどにカーっと顔が赤くなっている状態で、アルファと面と向かうことは出来なかった。横目でそれを確認してから、もう一度言い直す。
途端にアルファは、先程のボクと同じように、驚愕で硬直してしまう。そしてボク達の間には、なんとも言えないむず痒い雰囲気が漂い始めるのだ。
…つまりその答えを考慮すれば、ボクらは年始ぐらいからは、相思相愛みたいなものであったということである。それなのに、想いを伝えるにまで更に一年以上の月日を費やし…うん、なんて言うか、ボクとアルファの関係って、遅々延々としてたのかもしれないね。
でも、それも悪くない。お互いに相手が自分をどう思っているのか、不安と期待で胸を一杯にしながら、自分を選んでもらえるよう一生懸命に努力する…そういう感じも、また楽しいのだ。
…しかし、さっきからボク達の間に流れるこの無言の時間は、何処か甘酸っぱさを感じさせてくれる。現実世界で馴れ初めみたいな距離感の恋愛をしているうちに、こっちでもその影響が出てきたのかなぁ…。
などと、恥ずかしい気持ちを紛らわせるように、ボクは別なことを考え始めたのだ。一方、このこそばゆい空気に耐えられなかったのか、アルファが無理矢理話題を転換するように、ボクに声を掛けてきた。
アルファ「…んで、月光スキルのバディを俺に選んでくれた理由、なんだったんだよ?」
アルファにそう言われて、すっかり本題から話が逸れていたことに気が付く。ボクは一度ふぅと息を吐き出すと、気を取り直した。今度はアルファにしっかりと目を向けて、その理由を話してあげたんだ。
ユウキ「…えっとね…ボクにとってアルファは、太陽みたいなものだったんだ。ボクが月で、アルファが太陽。あの日一層で、アルファがボクを見つけ出して、引っ張ってくれた。だからボクは、たくさん迷うことはあったけど、最後ぶはここまで来られたんだよ?月を照らしてくれるのは、太陽だけだからさ。ボクにとってはアルファだけが、ボクを照らし出してくれる存在だったんだ。…もう目の前にまで終わりが迫ってた、ボクの暗い道をね。だから、ボクは同じぐらいアルファに光を与えたくて、月明かりで君を照らしたいなって、そう思ったからなんだ。そんなボクの気持ちが、アルファを選んだ理由なんだよ」
この時ボクがどんな表情をしていたのかは、勿論鏡を見ていたわけじゃないから、よく分からない。でも多分ボクは、嬉しそうに話してたんだと思う。だって、この気持ちを、自分の口から直接語れるのが、本当に喜ばしかったから。
すると、ボクの言葉を受けたアルファは、神妙な表情で、ボクにハッキリと言い返したのだ。
アルファ「それは間違ってる」
ユウキ「間違ってる?」
アルファ「あぁ、ぜんっぜん正しくない」
…珍しい。ボクは君に掛けられた言葉を受けて、ただただそう思った。アルファは普段、ボクの意見や気持ちを否定することは余りない。勿論、冗談や日常会話の中では反駁することはあるんだけど、真面目な話をする時は、基本的にボクに寄り添ってくれる。
だからこそ、こうしてアルファがキッパリと言い切ったことに、ボクはそんな感想を抱いたのだ。ボクの言葉を真っ向から跳ね除けたアルファは、今からどんな言葉を発するのだろうか。ボクはただ、それを待ち続けた。
アルファ「俺にとっては、ユウキの方が太陽だった。俺がどんだけ闇に引きずり込まれて、そこから這い上がれなくなったとしても、ユウキは必ず俺の手を引っ張って明るい場所に連れて行ってくれた。だから俺は、ここまで来れたんだ。そんなユウキの輝きが、俺は大好きで…それと同じぐらい、憧れてたんだろうな。太陽は俺じゃない、ユウキこそそうだったんだ」
アルファの言葉を受けて、ボクは何を思っただろうか。アルファにとってのボクの好きポイントが一つ明らかになったり、アルファがボクに憧れてくれていたリ、アルファがボクをそんな風に思ってくれていることが嬉しかったり…本当に、色々考えた。
その中で一つ、ボクは大いに大切なことを見つけられたんだ。ボクもアルファも、お互いを太陽として眺めていた。お互いがお互いに自分にはないものに憧れ、惹かれ、でもそれは結局、ボク達がお互いに持っているものだったのだろう。
だけどボク達は、それに気が付けなかった。だから少し前までは、お互いに相手に理想を描き、それにひたすら依存したのだろう。でも最後の最後に、ボク達は気が付けたのかもしれない。自分は照らされるだけの存在じゃなくて、同時に貴方を照らし出しているのだと言うことに。
それすなわち、ボクとアルファがお互いを太陽だと比喩する言葉が、もう過去形であることに由来するのだろう。そんなボクの気持ちが、アルファと完全に一致しているかの如く、彼は微笑みながら言うのだ。
アルファ「でも、もう必要ないって言ってくれるってことは…そう言うことなんだろ?」
ユウキ「…うん、そうだよ」
そんなアルファにボクも微笑み返すと、彼もまた満足したように頷いてくれる。
…そうだよ、そうなんだよ。ボクは君をこれからも照らしていくし、アルファもボクを照らしてくれる。それは、照らし照らされるだけの関係じゃない。お互いに輝きを共有していく関係だ。なればこそボクらはもう、太陽ではない。
…そうだね…ボクとアルファは、一番星にでもなろうかな。そうやってボク達は、お互いがお互いを支え合い、輝ける結びを紡いでいくのだ。
こうして、お互いが対等であると、与え与えられるのではなく、対等でありたいと願い、それを認識するのは、これで何度目だろうか。ボク達はその度に、幾度となく失敗を繰り返してきた。でも今度こそは、もう道を踏み外すつもりはない。二人で歩幅を揃えながら、未来へと向かっていくのだ。
そんな想いが二つの心でリンクかのように、ボクとアルファは同時に立ち上がる。手のひらに温もりを重ねながら、誓いの地から踵を返したのだった。
ということで、次回からは夏休みに突入します!
次回の投稿日は、四月十七日の日曜日です。
では、また第160話でお会いしましょう!