九月二十日、二十一日の二日間を活用した近畿地方への小旅行。その目的は勿論、長い間病院に囚われていたユウキに、少しでも世界の楽しさを体感して欲しかったからである。
がしかし、それと同じぐらい…若しくはそれ以上に、今回の旅行には別の目的があった。それこそが、俺達にとっての戦友…サツキとオウガを追悼するというものである。
二人が身を挺してまで俺達を守ってくれたからこそ、俺とユウキの今があるのだ。それが紛れもない事実であるのならば、そりゃあ慰霊に訪れたりもするだろう。寧ろ遅くなって申し訳ないぐらいだ。もしユウキの都合が合わないとなれば、俺は一人でも墓参に向かうつもりだった。
しかし、俺が旅行の計画を提案すると、ユウキは二つ返事でそれを聞き入れてくれた。その後になって真の目的があることを知らせると、なおさら力強い返事をくれた。それ故に俺は、ここ関西へユウキと共に向かうことになったのだ。
迎えた当日は、二人で大阪へと繰り出し、そこで絶品のお好み焼きを堪能して、更にはちょっとばかり大阪城に遊びに行ってから…と、ユウキに旅行を楽しんでもらうという目的も忘れてはいない。そんな感じで時間を割いたのちに、大阪のある地に佇むサツキの墓石がある寺院墓地へと、俺達は遂に足を進めたのだ。
これは余談だが、二人の墓地を探すのにはかなり苦労させられた。つい一年ほど前、菊岡さんからアルゴの住所と本名を聞き出したその時に、加えてオウガとサツキの住所、本名も聞き出していたのだが…当然、住所と名前が分かった程度では、故人のお墓を特定することは困難である。
その個人情報を活用して電話で問い合わせをしようとも、向こうの人からは、「個人情報保護の観点からお答えできません」と定型的な答えが返ってくる。となると、俺一人の力では、二人を弔うことは不可能と見えたのだが…ならば、その手のプロの力を借りれば良い。
プロとはどういうことなのかと言うと、まぁ端的に言えば、探偵事務所を指している。俺は有り余る金を使ってある探偵事務所に依頼し、そして見事、二人のお墓の住所を探し出すことに成功したのだ。
…まぁ、イメージ的には難事件を解決してそうな探偵事務所に、まさかお墓探しが出来るなど、俺も以前は全くの無知であったのだが。
サツキはあのこてこての関西弁からして、なんとなく大阪出身ということは予想出来たけれども、では対するオウガはどうか。彼の出身地はなんと、大阪から然程離れていない奈良県であった。その為に一泊二日のプランが立てられたのである。
サツキの墓地を後にした俺達は、再びタクシーと電車を活用して奈良県に突入し、テキパキとまた別の寺院に到着。
そして現在夕刻、俺とユウキは、今度はオウガの墓石の前に佇んでいた。
歩夢「なぁ、木綿季。オウガの本名、なんだったと思う?」
木綿季「ん~…オウガはねぇ…」
オウガの方は、ここ最近誰かが訪れていたのだろう。墓石にはそんなに汚れが目立っておらず、お花も枯れ始めぐらいだったので、お墓掃除もかなり楽ちんであった。彼に冥福を祈る前に、サツキの時と同じように訊ねてみると、彼女は暫し悩むような素振りを見せる。
…そんなユウキの今日のファッションは…いつもの如く素晴らしいの一言であった。特にどの点が素晴らしいかと言うと、そのショートパンツに黒タイツの色気である。
俺はユウキを旅行に誘ったその時には、特に何も考えていなかったのだが、その数時間後、不意に思ったのだ。旅行デートにオッケー出してもらえたってことは、そういうことなんじゃね?と。その日はかなり悶々として、上手く寝付けなかったことを覚えている。
まぁ、オッケーかどうかは兎も角、ちょっとぐらい期待はしていても良いのかもしれない…おっと、故人の前でこんな邪なことを考えるのはマナー違反だな。オウガからのげんこつが飛んできそうだ。…と言うか、化けて出てきてくれてもいいんだけどな。
とは思ってみるものの、やはり死人に口なし。何処からか彼の声が飛んでくることはない。俺は胸奥を撫でる僅かな寂しさを誤魔化すように、赤い空へと視線を向けた。
その間にも、ユウキは頭を捻っているようだった。そして長考の末、彼女はこう言ったのだ。
木綿季「王城海斗、とか?」
歩夢「…いや、なんで知ってんだよ」
木綿季「オウガから聞いてたからね~」
俺もまさか、ユウキから正解が飛んでくるとは思ってもみなかったのだ。彼女の答えを聞くと、一瞬固まってしまったのだが、すぐに訊ね返す。
するとユウキは、当然のことのように応えてくれる。因みに今のは初耳だ。俺はこの数年を通して、ユウキのことはかなり知り尽くしたと思っていたのだが、案外そうでもないのかもしれない。
もっとユウキのことを知りたい。願うことならばその全てを。そんな風に思わないでもないが、だが一気に全てを知り尽くしてしまうのは、それはそれで興覚めかもしれない。これから時間を掛けて、色々と知っていけばいいのだろう。
そして俺とユウキは墓石に向き直り、ようやく黙祷を捧げ始めた。なんとか二人でSAOを生き抜いたこと、最終決戦も含めて、何度も助けてくれたことには本当に感謝していること、まだ道は半ばなのかもしれないが、取り敢えず今のところは、約束した通りユウキを任されていること…そんなことを、俺はオウガに伝えたんだ。
黙祷を終えた俺が目を開けると、こちらを眺めていたユウキと目が合う。
歩夢「次は…チェックインしに行くか」
木綿季「ん」
そうしてオウガの眠る地から踵を返した俺達は、またタクシーや電車を使って、本日泊まる予約をしている旅館へと向かって行ったのだ。
…今日は移動ばかりでユウキに申し訳ないが、明日は観光オンリーの予定だ。帰る時間になるまで、旅行を存分に楽しんでもらおう。これからの時間は、ユウキにとっても俺にとっても楽しいことばかりになるはずだ。
まずは旅館を見たユウキがどんな反応をするのか、俺はそれを心待ちにした。
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歩夢「ここが今日泊まる場所だ」
木綿季「…うっわぁ…」
オウガとサツキのお墓参りを終えたボクは、そこからまたアルファの案内に従って、色々な交通機関を利用したんだ。旅館に辿り着いたその頃には、もう午後六時頃であった。もうすぐ本格的な夜の時間が近づいてくることを表すように、空は段々と暗く染まっている。
一方、ボクらがタクシーから降りたそこは、数多のスポットライトが間接照明の役割を果たし、淡い輝きに包まれていた。エントランスの付近には、立派な大樹や紅葉した紅葉なんかが生えている。旅館自体は古めかしい木造風を装いつつも、ガラスドアの奥に見える内部は現代的な小綺麗さが保たれており…うん、ここ絶対高いね。見ただけで分かるやつだよ。
その様子を受けたボクは、感嘆の声を洩らすばかりであった。
木綿季「…ほんとにここ泊るの?」
歩夢「ここじゃ不満か?」
木綿季「そんなわけないじゃん。ボクすっごく満足しているよ」
歩夢「これで満足してもらっちゃ困るんだけどな」
その余りにお高そうな雰囲気に、ボクが思わず問い掛けると、アルファは何処か面白そうな表情で言葉を返してくる。冗談だとしても、もしここで不満だなんて言ってしまえば、次はもっと凄い所に連れて行かれちゃう気がした。ボクは一生懸命首を横に振って、充分であることを知らせておいた。
アルファが受付の人と色々会話を済ませると、彼に客室の鍵が手渡される。ボクらの泊るお部屋は、602号室らしい。流石に今日は移動し疲れて、階段で六階まで上がる気になれない。アルファとエレベーターに乗り込んだところで、ふと思った。
木綿季「ね、ほんとに一緒のお部屋に泊るの?」
…一体ボクは、今更何を聞いているのだろうか。旅行の準備段階でも、彼は確認し直すように「同じ部屋で良いか?」と訊ねてくれたではないか。「良いよ」と即答したのはボクの方ではないか。
それに、ボクらは仮想世界だと、こうやって一部屋借りては二人で寝泊まりしてきたわけだし…などと若干心の中を慌ただしくしていると、アルファはまた挑戦的な言葉を放ってくるのだ。
歩夢「それも不満か?」
そんなアルファの言葉に、ボクは正直な気持ちを伝えてあげる。
木綿季「んーん、歩夢と一緒、嬉しいな」
歩夢「…可愛い奴め」
木綿季「えへへ…」
するとアルファは、遂に限界が来たらしい。ボクの頭に手を乗せると、そのまま軽く撫で撫でし始めた。そしてボクはそれが嬉しくて、堪らず表情筋を緩めてしまう。
これはボクだから分かる話なんだけど、アルファは常日頃から、ボクの頭を狙っている。なんでも彼は、ボクの頭を撫でることが好きらしいのだ。と同時に、ボクもアルファにそうされるのが好きである。
だけど普段はボクも外に出てるから、頭を撫でると髪型が崩れることを考慮してか、アルファはそれを我慢してくれてるんだ。
でも今日は…もう旅館でゆっくりする予定だから、こうやって頭を撫で回してくれても問題ない。ホントはこの流れでアルファに抱き締められるのが大好きなんだけど…ここはまだエレベーターの中だ。今は奇跡的にボクとアルファしか乗ってないけど、どこかの階で他のお客さんが乗り込んでくるかもしれない。ハグを見られちゃちょっと恥ずかしい。
でもアルファは頭を撫でるのをやめてくれなくて、ボクもそれを甘受し続けている。要するに、バレるかバレないかの緊張する瀬戸際を楽しんでいるって感じだね。
幸い、他のお客さんに出くわすことの無いまま六階に辿り着いたボク達は、青い絨毯の廊下を歩きながら、すぐ近くにある二号室の前までやって来た。アルファが鍵を回してドアを開けると、ボクの視界にザ・旅館な様子が飛び込んできた。
木綿季「お~…」
靴を脱いで襖を開けると、和室特有のイ草の匂いが漂ってくる。柔らかくもしっかりとした踏み心地を楽しみながら、ボクはお部屋に一歩踏み入った。
手前には畳部屋が、そして奥には大きな窓と豊かな自然を眺められる場所があって、左右には床板や違い棚、クローゼット、テレビ等などがある。他にもトイレやお風呂までついていた。
とそんな感じで、荷物の詰まった鞄を置いたボクがあれこれ客室を探索していると、彼の声が飛んでくる。
歩夢「もうすぐ夕食の時間らしいぜ」
木綿季「りょーかーい」
アルファの言葉を受けたボクは、一度ディナー会場へと向かう為に、ひょっこり和室へと戻って来たんだけど…どういう訳か、今日一日で疲れているらしい彼は、畳の上で大の字になっていた。アルファの傍まで歩みを進めたボクは、君の身体をボクの影で覆い隠しながら訊ねる。
木綿季「…ご飯食べる所行かないとだよ?」
歩夢「夕ご飯はここまで運んできてくれるんだ。部屋食ってこと」
木綿季「ふーん…」
アルファの言う部屋食というものは、ボクにとっては初めてのことだ。取り敢えずアルファに言われた通り客室で待機することにしたボクは、テレビをポチっと付けて明日の天気予報を眺めておいた。来週の火曜日までは天気も良好らしい。
いつの間にか身体を起き上がらせていたアルファが、ごそごそと鞄を漁っていると、突如としてガラッと襖が開いた。そしてそこから姿を現したのは、着物を着た旅館の人だ。どうやら夕ご飯を持って来てくれたらしい。
仲居さんが運んできてくれた料理は、前菜とかお吸い物とかお造りとか…兎に角、非常に豪勢だった。何回かに分けて運ばれてくる料理は、本当に品数が多かったんだ。「これ食べ切れるかな?」だなんて不安を抱かされたほどだよ。でも、食べ盛りな高校生のボクとアルファは、色んな料理の感想を話し合いつつも、それらをペロッと食べてしまったのだ。
歩夢「ほんの気持ちですが…」
木綿季「?」
最後に、仲居さんがお皿を下げてくれるその時に、アルファが何かを手渡したのだ。何してるのかな?と不思議に思いながらその様子を眺めていたボクは、仲居さんが居なくなった後で、アルファに訊ね掛ける。
木綿季「さっきのなんだったの?」
歩夢「えーっと、心付けって言うんだ。俺もあんまり知らないけど、高級旅館はそういうのした方が良いらしい」
木綿季「そうなんだ…」
このお部屋に来て以来、意外にもアルファに教わることが多い気がしたボクは、しっかりと知識をアップデートしておく。一応、ボクの方が、アルファよりも博識なはずなのだ。仮想世界での戦闘面だけじゃなくて、知識や頭脳の上でも、アルファには負けられないからね。
歩夢「そろそろ大浴場行かないか?」
木綿季「そうだね、温泉楽しみだよ!」
歩夢「あんまりはしゃぎ過ぎて、周りのお客さんに迷惑掛けるんじゃないぞ?」
木綿季「もう、分かってるって。ボクはアルファの子供じゃないんだから」
夕ご飯を堪能し、暫しゆったりと時を過ごしていたボク達は、そろそろ時間的にもお風呂に入ろうと言うことになって、これからは入浴タイムだ。
それぞれ鞄からお風呂に必要なものを取り出して、だけど下着とかはまだ見られたくないから、「こっち見ないでよ」と念押ししておく。アルファはすっごくボクの方を見たがってたけど、なんとか約束を守ってくれた。
ビニール製の白い袋にボクのお気に入りの洗顔とかクレンジングに必要なものを詰め込んで、いざ二人で客室から出る。しっかり鍵を閉めてから、エレベーターに乗って階下へと移動した。
そして、青と赤ののれんが掛かった大浴場の前に辿り着く。
歩夢「お風呂あがったら、ここで集合な」
木綿季「うん、ゆっくりしていいからね」
歩夢「おう」
そうしてボクとアルファは一旦、個人個人で温泉を堪能し始めたのだった。
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…あぁ、いい湯だ…。
檜の香りが鼻を擽る夜の樹林を眺めながら、俺は深い嘆息を吐きだし、同時に身体から力を抜け落す。この露天風呂の湯は、少しすべすべとしていて、物凄く気持ちいいのだ。
この温泉旅館は、収入源のある俺にとっても、少々お高いと感じてしまう程に金食い虫な宿屋ではある。とは言え、豪勢なだけでなくしっかりと舌鼓を打ってくれる夕食や、この天然温泉の素晴らしさを合算すれば、お値段以上の価値があること間違いないだろう。
…次の献血は来週だ。その分の収入が入って来るまでは、俺も過度な贅沢禁物だな…。とまぁ、定期的にリーマンの平均月収を軽く上回る大金が振り込まれてくる億万長者な一方で、金銭感覚はまだまだ庶民のままでいる俺からすれば、こうも一気にお金が飛んでいくと、少し胸に不安が付きまとうのだ。
だがそれもどれも、ユウキの笑顔に繋がるというのならばそれだけで充分だ。この旅館にやって来て以来、ユウキは随分と楽しそうに宿泊先を満喫してくれている。ならば、俺はこの旅館を予約して正解だったと言える。恐らくユウキも今頃、俺と同じように天然温泉で、今日一日の疲れを癒しているのだろう。
…あの壁の向こうには、あられもない姿のユウキが居るのだろうか。なんとかしてバレずに向こう側に移動することは…いや待て、ここは他のお客さんもいる上にリアルワールドだ。それは流石に不味いか。
適当な所で危ない思考を停止させた俺は、今日は朝から新幹線に乗ってはるばる大阪にまで、そして今は奈良県にまで来たのかと、軽く一日を振り返り始めた。
そして明日の観光先は何処にしようかと、一応事前に話し合っていた観光スポット以外にも、何処か行っていても良いかも…と明日の計画を再考するのだ。
とそこで、ふと俺は思った。確かに俺は、この旅行でサツキとオウガを弔うべく二人の墓地を訪れたわけだが、住所を知っているのであれば、何故二人の家にまで足を運ばないのだろうか。明日は二人の家に向かうべきではないだろうか、と。
…まぁ、気が付くともうずっと昔の話になってしまったのだが、サツキの話によると、母親は他界、父親には殺されかけると、彼女の家族の内情は、とてもじゃないが良好とは言えなかった。それ故、俺がサツキの家まで向かっても、彼女の話に耳を傾けてくれる人などいないだろうから…いや、それは醜い言い訳でしかない。
だって、そういう理由でサツキの家に訪れないというのならば、オウガの家に出向かない理由がないのだから。
…俺はきっと、恐れているのだろう。二人の家に向かったその場で、もし彼らの家族に面と向かうその瞬間を。もっと言うのであれば、俺達のせいであなたの子供は死んだのだと、俺達が間接的に殺したのだと、その真実を告げねばならないことを。そして二人の家族から憎みまれ、苛まれ、蔑まれることを。
だから二人の家には行けない。違う、行かない。
…その気になれば人だって殺せたというのに、オウガとサツキを死なせてしまったことに関しては、もうずっと前に見た白昼夢の中で俺なりの決着をつけていたはずなのに、俺はまだそんな些細なことに恐怖心を抱いているのか。だがこの恐怖心こそが、また俺が人間臭く普通の人であることを教えてくれているのかもしれない。
歩夢「…そろそろあがるか…」
少し、長湯し過ぎたらしい。余り考えないようにしていたことを直視してしまった俺は、目を逸らすように湯船から動き出した。
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アルファと別れたその後に、まずはメイク落としを済ませたボクは、すっぽんぽんになって大浴場へと足を踏み入れた。
身体や髪の毛を洗う際に使用するのは、勿論持参のシャンプーである。旅館に常設されているものだと、自分の肌にピッタリ合うかどうかが分からない。だから家から普段使いの物を持ってくるのが最適解なんだよね。
今日はいつも以上に念入りに身体を綺麗にしたボクは、まずは大浴場に浸かりにいったんだけど…周りの女の人達は、胸部がしっかりと成長している。まだまだなボクと比べると、それはとっても羨ましいものに思えた。
…まぁ、リーファからは、大き過ぎるのがどれだけ不便なのかを散々聞かされている訳なんだけどね…。
ただボクも、以前までのボクじゃない。あの頃と比べると、少し膨らみが大きくなってきている。ボクだって成長するんだ!
続いて露天風呂に浸かることにしたボクは、ドアを開いて外へと移動した。九月下旬の秋風は、仄かに火照った身体には、心地良いものだった。露天風呂はなんと二種類もあったので、そのどちらにも入浴することを決意する。
一つ目は炭酸風呂みたいに、しゅわしゅわと泡が吹き出している温泉だった。全身の力を抜いて、露天風呂に入りながら闇夜に紛れた木々の清閑たる佇まいをボーっと眺めるその一瞬は、まさに至福の一言である。
アルファはSAOの頃からお風呂大好き人間だったけど、一緒に過ごしながら色んなお風呂を巡っているうちに、ボクも温泉が好きになってしまっているらしい。
そして二つ目の温泉は、さっきみたいに見た目に何か変化があったわけじゃないけど、立札を読むに、硫酸塩泉らしい。このお湯に浸かると、傷の治りが早くなるのだとか。別に傷なんてないけれど、暫くその露天風呂に浸かりながら、ボクはこんなことを思った。
…アルファも一緒に混浴出来たら良いのに…。
だけどその望みは、夏休み中の海旅行で実現している。みんなに見つめられながら、アルファに頭よしよしされるのは凄く恥ずかしかったけど、同時に皆に見られてるあの状況がゾクゾクして…これ、危ない傾向なのかな?
兎に角、総じてあの日はすっごく楽しかったなぁと、ボクはしみじみと思い出を咀嚼する。だけどこの一泊二日は、それに並ぶぐらいアルファと楽しい時間を過ごすつもりなのだ。
充分に一人の時間を満喫したボクは、お次はアルファとの時間を謳歌するべく、露天風呂からばしゃっと立ち上がった。脱衣所に戻ってくると、バスタオルで身体の水分を拭き取り、温泉浴衣に着替える…前に、下着を着なきゃいけない。
そしてボクが手に取った下着は…ピンクな勝負下着だ。ちょっと面積が小さいけど透けない感じのやつ…まぁ、い、一応の準備ってことだからねっ。
下着を身に付け、続いて浴衣を着用し、化粧水を塗る。ドライヤーで髪の毛を乾かして、メイクは…ま、いっか。これにて諸々の準備完了なボクは、荷物を持ってのれんを潜った。
するとそこには、同じく温泉浴衣を身に纏った彼が、既にそこで待っていてくれたのだ。
歩夢「温泉どうだった?」
木綿季「露天風呂が二つあって、楽しかったよ~」
歩夢「マジか、こっちは一つしか無かったんだけど」
木綿季「あれじゃない?日替わりで男湯と女湯が入れ替わってるパターン」
歩夢「あーね。んじゃあ明日は朝風呂するかな」
木綿季「えー?歩夢朝起きられるの?」
歩夢「まぁ本気出せばな」
花火デートの時とは違って、今日は二人お揃いの格好だ。アルファと並んで館内を歩き回り、この高級旅館を隈なく探検するのだ。
…とは言っても、明日でここを出て行くんだけど…まぁ、旅館デート的な感じだね、これは。スポットライトで照らされた厳かな森の眺めを堪能したりした後に、ボクらは客室に戻るべく、エレベーターへと向かった。
歩夢「…へぇ、三階にバー的な場所があるって」
その道中、案内を眺めていたアルファが、ふとそんなことを言ったんだ。色々と返事の内容を考えた結果、ボクは彼にあっさりと言うことにした。
木綿季「今のボクらはお酒飲めないから、それはまた大人になったらね」
歩夢「お、おう…」
するとアルファは、ボクの目論見通り、ドギマギした様子を見せてくれるんだ。
…作戦成功。今のはあくまでサラッと、何気なく言わないと効果半減なんだよね。まるでボクとアルファが、大人になっても一緒に居るのはさも当然って感じで。…まぁ、ボクの中では、もうそういう未来で決定されてるんだけど。
アルファのドキッとした表情を拝めたボクは、上機嫌に客室へと引き返した。襖を開けると既に二人分のお布団が敷かれていて、旅館って凄いんだねぇと思わされる。
そしてボクは、何気なくテレビをつけて適当な番組をBGMにしつつ、歯磨きを済ませたり、携帯を手に取って友達とのメッセージのやり取りを始めた。その友達には、アスナ達は勿論、そしてボクが学校に通うようになってから新しくできた学友だって含まれているのだ。
一方アルファがいま何をしているかと言うと、彼もまたボクと同じように、歯磨きや携帯を弄っているようだった。暫く無言の時間が続く中で、ふと、携帯をテーブルに置いたアルファが、離れたところからこちらを眺めていることに気が付く。
とそこで携帯電話から目を離したボクは、彼に問い掛けた。
木綿季「そんなにボクのこと見つめちゃって…どーしたの?」
ボクにそう言われたアルファは、徐にこちらへ近づいてくると、ボクの隣に腰を下ろした。そしてやはりボクの顔を黙って眺めた末に、そう言ったのだ。
歩夢「木綿季ってさ…ほんとスッピン可愛いよな。それマジで化粧してないのか?」
木綿季「してないよ、ノーメイク。惚れちゃった?」
歩夢「はいはい、惚れた惚れた」
木綿季「そう言う適当な感じ、ボク的にはマイナスポイントかな」
歩夢「それは挽回しないとだな」
彼の問い掛けにはあっさりと答えを返しつつも、その内心は、スッピンを褒められたことでいっぱいいっぱいだったりする。
続けて挑戦的な言葉で訊ね返してみるも、アルファは杜撰な返事をしてくるのだ。そこにはムッと頬を膨らませておくと、彼は人差し指でボクの頬っぺたを突いてくれた。
木綿季「因みにだけどさ、すっぴんのボクとメイクしたボク、それと…ALOのインプのボクの三人だったら、どれが一番歩夢の好み?」
歩夢「…その手の質問は勘弁してくれ。何年掛けても答えが出ねぇから。まぁでも…どうだろ…すっぴんの木綿季が、僅差で一番…?」
木綿季「それがお世辞抜きならすごく嬉しいな」
歩夢「俺は褒めてもお世辞は言わねぇよ」
隣に座り合って寄り掛かり合って、いつの間にか手を繋ぎながらそんな下らない話をして…ボクとアルファは、二人だけの世界に入り込んで存分にイチャイチャしていた。
ボクの問い掛けに困った微笑みを向けてくるアルファは、迷ったようにすっぴんが一番だと言ってくれて、またまた嬉しい気持ちになっちゃう。まぁボクなら、例えアルファがどんな答えを出しても、彼の好みな自分に変身しちゃうんだけどね。
こうやって身体を密着させるのは、数か月前は恥ずかしくてあんまり出来なかったんだけど、ボクと歩夢の距離感も、徐々に縮まってきたのだろう。そして今日は、もう一歩お互いの奥深くに歩み寄るつもり…。
恐らくそんなことを考えていたからだろうか。ボクは自然と、アルファの唇に視線を吸い寄せられていた。そしてそれに気が付いた彼は、いたずらな笑みで言うのだ。
歩夢「なんだよ、キスしたいのか?」
木綿季「…うん。キス、しよ…?」
歩夢「素直だな、木綿季は」
木綿季「ん…」
ボクの内心は全てをお見通しだったアルファにそう言われてしまい、どうにも欲求を抑えられなくなってきたボクは、彼に正直な気持ちを吐露したんだ。
するとアルファは、ボクの気持ちに応えるよう、ボクの唇を激しく奪って、その熱い舌を潜り込ませ、濃厚なキッスを仕掛ける…ことはなかった。軽く唇にキスをして、それでお終い。
「え」っと呆気に取られたボクだけど、アルファはそれで満足しているらしい。液晶に映るお笑い番組を眺め始めちゃった。
でも対するボクは、奥底では想像以上にアルファを求めていたのだろう。胸がドキドキと痛い程に高鳴ったままで、なんだか次第に身体が疼き始めて…ムラムラとした気持ちが止まらない。
…アルファはそういう気分じゃないのかな?もしかしてボクの方だけ気持ちが逸ってるのかな?悶々とした頭で眺めるテレビの内容は、ボクの頭には全く入ってこなかった。
暫し無言でテレビ番組を眺めていると、アルファは不意に、リモコンでその電源を落とす。
歩夢「…明日もあるし、そろそろ寝ようぜ」
木綿季「…そうだね」
折角色々準備したのに、手を出してくれないのはすっごく不満だけど、そう言われてしまっては仕方がない。アルファの言う通り、明日の観光に備えるべく、今日はしっかりと疲れを取るべき……ではあるんだ。だからそれに一応納得したボクは、一緒に就寝準備に取り掛かった。
とは言っても、歯磨きも済ませてお布団も敷かれているので、水分補給やエアコンのタイマーを設定しておくだけなんだけども。
全ての準備を終えて、後は電気を消すだけとなったそのタイミングだ。結局、ボクはアルファの良い分に、最後まで納得し切れなかった。だからこそ、この不満をぶつけるようにして、その行動に出ることにしたんだ。
木綿季「…えいっ!」ポイッ
歩夢「うおっ!?あぶねぇ!?」
手元にあった枕を掴んだボクは、それを思いっ切りアルファに投げ付けたのだ!
しかしアルファはひらりと身を躱し、ボクの枕は床に激突する。勿論、障子や備品に当たっては敵わないので、コントロールはしっかりしている。
続けて隣にあるアルファの枕をも投げ付けるも、やはりアルファには簡単に回避されちゃった。だけど本命は、枕を命中させることじゃないんだ。
あっちの世界での戦闘経験のお陰か、瞬く間にこの作戦が思い浮かんだんだよね。アルファが避けたタイミングで、彼にタックル(抱き着き攻撃)を仕掛けたボクは、そのままお布団の上にアルファを押し倒した。
木綿季「う~、プロレスごっこだ!」
歩夢「おうおう、どうしたんだ急に」
…急にも何もあるか!襲ってくれないアルファが悪いんだ!
と心の中で叫びつつも、ボクはお布団の上でアルファに圧し掛かる。今適当に思い付いたの寝技を掛けようと、全身を以てしてアルファに身体を密着させる。
そんなボクの行動に、アルファは当然不思議そうな表情を浮かべていた。暫しはされるがままになっていた彼だったケド、遂に乗り気になったらしい。アルファはパッと、ボクの両手を掴んだ。現実世界においては、圧倒的にアルファのSTRが秀でているらしい。ボクらはすぐに立場逆転となる。
歩夢「おいおいどうしたどうした~?天下の月光ちゃんもリアルじゃこんなもんか~?」
そしてこれまた適当な寝技を掛けようとするアルファは、ボクを煽るように語り掛けてくるのだ。ボクは負けじとジタバタ身体を藻掻かせるも、やはりアルファの拘束からは脱出出来ない。
という所までは、このプロレスごっこを仕掛ける前までに、大体予想出来ていた。そしてここからが、ボクの本領発揮──。
木綿季「そこがガラ空きなんだから!」
歩夢「んっ!?」
アルファに四肢を押さえつけられたボクに、唯一抵抗できるその場所…彼の唇に軽くキスを仕掛けると、彼は硬直したようにボクの顔を眺める。そして──。
歩夢「お返しだ!」
当然、アルファもまたボクの唇を奪う訳だ。そうなるともう止まらない。またお返しだとボクがアルファにキスして、またまたアルファがボクに…そんなことを繰り返していると、次第にそれはエスカレートしていくのである。
軽いだけだったキスは、いつしか濃厚なディープキスへと移行し、荒れた吐息を交換しながら、唾液を交えてはむはむとお互いの舌を甘噛みし合う。やがて攻撃する場所もどんどんとそういう所になっていって…お互いに温泉浴衣がはだけたその頃には、アルファの瞳は完全に出来上がっており、彼の瞳に映るボクもまた、もう隠せないほどに女の子スイッチが入っていた。
乱れた浴衣から姿を現したボクの勝負下着を見て、アルファはごくりと息を吞んでいる。
歩夢「…しないか…?」
遂にアルファに身体を求められたボクは、勿論その首を…でも、少し意地悪したくなっちゃったんだ。さっきボクを不満にさせてくれた仕返しだ。ボクはわざと、中途半端な表情を浮かべるのだ。
木綿季「…えー…」
そうやってボクが煮え切らない返事をすると、アルファは少し戸惑ったような表情を浮かべる。いつものアルファなら、ここで一旦身を退くんだ。だからそのタイミングで、ボクは自分の気持ちを伝えようとしたんだけど──。
木綿季「!?」
アルファはボクに一層密着してくると、身体を押し付けながら、再びボクの唇を塞いできたんだ。その動きのどれもが、完全にボクを陥落させに掛かっていた。君は何が何でもボクをその気にさせるつもりらしい。そんなアルファの何処までも積極的な様子に、ボクはもう自分に嘘なんかついてられなくて──。
歩夢「…木綿季…」
木綿季「……う、うん…」
──二度目に求められたその時、ボクはこくりと頷き返した。
仮想世界での初めては、ボクがアルファにしたいと言ったけど、今度はアルファからしたいと言ってくれた。そんな些細なことが、心中に幸福感を溢れさせてくれる。
ボクの返事を聞くと、アルファは途端に本能を発露させて、ボクにがっつこうとするんだ。
だけどボクは「待って」とストップを掛ける。お預けを喰らったアルファは、ぐっとその場を堪えて、ボクの行動を待ってくれた。
実を言うと、ボクもこのまま事を進めたかったんだけど…それはかなり不味いのだ。まずは客室の照明を絞って、周囲をそれらしい雰囲気にしてから、ごそごそと鞄を漁る。
そして取り出したものは…中には錠剤が入っていそうな、小さな長方形の箱だ。その中からある物を取り出したボクは、再びアルファの元へ向かうと、彼の前に座ってそれを手渡した。
木綿季「こっちじゃこれが無いと…ね?」
要するに、ボクがアルファに渡したそれは、大事を避けるための必需品である。
…ま、まぁ、ほんとのこと言っちゃうと…別になしでもいいんだけど…。でも、今はボクもアルファも学生身分だからね。そうなっちゃうと色々大変だし…。なしでしちゃって既成事実作って、アルファを逃がさないように絡めとるのは…アルファが今後煮え切らなかった時の最終手段にするつもりだ。
なんて、今後のちょっと恐ろしい野望がボクの胸の中に納まっていることは、もう抑え切れないほどにその気になっちゃってる彼には、全くもって伝わっていないだろう。
ボクに渡されたそれをポカンと眺めていた彼は、何故かそれを返却してくる。返却されて素直に受け取っちゃダメなのに、ボクはすんなりとそれを受け入れてしまう。
理性が本能に敗北している自分に焦りと更なる疼きを覚えていると…アルファは帯の隙間から、ボクの渡したものと全く同じそれを取り出したのだ。
木綿季「お互いやる気満々じゃん…」
なんだかんだでボクもアルファも、そのつもりでこの旅行に臨んでいたんだ…。とそこでようやく気が付いたボクは、どうしようもないほどの羞恥心に襲われ、頬が赤く染まる。ボクがそれを誤魔化そうように言葉を放つと、彼もまた恥ずかしそうに笑っていた。
歩夢「今日は旅館だから、声、小さめにな?」
木綿季「…もう、恥ずかしいこと言わないで…」
そしてアルファが揶揄うようにそう言ってくるものだから、ボクは堪らず視線を逸らしてしまう。だけど勇気を振り絞ったボクは、もう一度アルファと目を合わせると、甘い声で囁いた。
木綿季「リアルは初めてだから…優しくしてね?」
歩夢「…おう」
そうしてボク…木綿季と歩夢は、仮想世界で経験だけが先走った身体で、お互いの純潔を捧げたのだった。
次回の投稿日は、五月三日の火曜日です。
では、また第168話でお会いしましょう!