~SAO with Yuuki~   作:うずつるぎ

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第169話 不穏の予感

 ──その日のボクは、物凄くイライラしていた。

 

 それが一体どれほどの苛立ちであったかと言うと、今日の天気がどんより曇ったパッとしない空模様であることに、胸の中で際限なくムカムカを募らせてしまうほどだ。今日は学校で忘れ物をしてしまったし、道を歩くと向こうから走ってきたトラックが、昨晩の大雨のせいでアスファルトに溜まった泥水をボクに浴びせてきたし、落としたのか盗まれたのか、電車に揺られている間に、定期だって何処かに無くしてしまった。

 他にも、朝ドタバタと準備をしている時にテーブルの角で小指をぶつけたり、お昼ご飯の皿うどんを乗せたトレーだって、手を滑らせて落としたりと…何をやっても上手く行かない。ボクのすること為すこと全てが悪いように働く。今日はそんな最悪な日だった。だから、ボクが腹立たしさを蓄積するのも仕方がないことだったのだろう。

 

 とは言え、いつもであれば笑い飛ばせてしまうようなその不幸に、ボクが本気で苛立ちを覚えている原因が、一つだけあった。

 …生理だ。生理が来た。ボクの女の子事情は、大体一カ月の間隔でやって来る。そしてボクが生理と言う現象を意識するようになったのは、確か今年の七月頃からだった。

 それ以前のボクの身体は、エイズと言う病魔に侵され、酷く疲弊していたこと。他にも、メディキュボイドによる体感覚キャンセルを利用していたことで、来ていたとしても悩む必要さえなかったのである。身体の調子が健康な人と同等程度に戻って来た七月に、ボクはほぼ初めてそれを経験したのだ。

 そして今回の生理は、これで四度目のことであった。しかもいつもに増して身体が気怠く、腰に重しがずっしりと圧し掛かり、胃ではない身体の何処かがキリキリと痛む。

 生理前からちょっとイライラしやすくなっている兆候はあったけど、如何やらボクは、生理中が一番感情的になりやすい時期らしい。生理前からのフラストレーションの積み重ねもあってか、恐らく、ボクは気持ちの受け皿に限界が来ていたのだろう。

 学校の中ではギリギリ自分をコントロール出来ていたけど、放課後になって家に戻って来てからは…もう無理だった。それ故にボクは、絶対にやってはいけないミスを、その日犯してしまったのだ──。

 

 

 

 

 

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 「えー、今週の課題としてファイルを二つ転送してるんで、ちょくちょく取り組んで下さい。提出期限はいつも通り、来週の半ばまででーす」

 

 その言葉と共にベルの音が鳴り響き、遂に六限目の授業が終わった。明日は七限まである日だが、今日は六限目で一日の授業が終了となる。

 そして本日、俺はユウキと一緒に帰る約束をしていた。その影響もあってか、俺はいつもに増してテキパキと、鞄に持って帰る物を詰めていくのだ。

 

 「一井~、早くお姫様迎えに行ってやれよ~?」

 

 歩夢「うっさいうっさい。分かってるって!」

 

 クラスメートからの鬱陶しくも嬉しい煽りには、シッシと手で払いのけるジェスチャーを交えながら、適当に言葉を返しておく。

 忘れ物はないな?机の中を確認して最終チェックを行った俺は、彼らに別れを告げてから、既に多くの生徒が帰路へ着くために闊歩する廊下へと飛び出し、ユウキの待つ二年生の教室へと向かっていった。

 ユウキが帰還者学校に通い始めて以来、俺は毎日彼女と朝の登校を共にしている。だけども下校はと言えば、一緒に帰る日もあれば、そうでない日もあるのだ。

 だってそうだろう?確かに俺とユウキはお互いに好き合っているけれど、だからと言って友達が居ないわけではない。ユウキだって、そして勿論俺だって、学校で出来た友達と、下らない話をしながら帰宅したい日だってある。

 下校途中にゲーセンに立ち寄ったり、或いはユウキであれば、美味しいお菓子屋さんに友達と繰り出したりと、そういうのもまた学校生活の楽しみ方の一つだ。

 なれば、ユウキが学生生活というものを最大限謳歌することに、どうして俺がその邪魔を出来ようか。ユウキにとっては、これが本当に久し振りの学校なのだ。出来るだけユウキの好きなように、伸び伸びと青春を満喫してもらいたいというのが、俺の心からの気持ちなのである。

 

 だからこそ俺は、ユウキが他の男子と遊びに行くことを咎めたりはしない。寧ろ、「全然遊びに行ってくれていいよー」ぐらいの勢いである。

 ただ、流石に二人きりで遊びに行かれると、こちらとしても不安が募ってしまうのだが…大丈夫…だよな?ユウキがそんなことするわけ無いよな?まぁ、今の所ユウキは、男子と二人きりで遊びに行ったことなど無いのだが…。

 そして対する俺はと言うと、ユウキと同じく、男女のグループで遊びに行くことはあれども…という訳だ。さて、今日はユウキとどんな話をしながら帰路に着こうか。

 なんて考えたところで、面白い話は少ししか思いつかないけれども、例え交わす会話が他愛もないものであったとしても、彼女は心からの笑みを浮かべてくれる。そう言うところが、ユウキの無限大にある魅力の一つなのだろう。

 そう思うと、途端に君に会いたくなってきた。さっきから充分に早足であった歩みを更に勢い付けて、やがて彼女の待つ教室に辿り着く。だけども、俺がその教室に入り、ユウキに声を掛ける必要はなかった。

 既に帰宅準備の出来ていたユウキは、教室前の廊下で、俺を待っててくれていたのだ。

 

 歩夢「ごめん、待たせたか」

 

 木綿季「ううん、大丈夫」

 

 歩夢「んじゃ、帰ろうぜ」

 

 木綿季「ん」

 

 そうして俺達は、普段通り昇降口へと向かっていく。下駄箱でスリッパからローファーに履き替え、暫く正門まで歩いていくと、そこからは周りの目を気にせず手を繋いでしまう。

 帰還者学校の帰宅部精鋭共は、既に一本目の電車に乗ってしまっているだろう。俺とユウキはのんびりと二本目に乗ることにして、他の学生たちに紛れつつ、駅へと向かっていくのだ。

 

 歩夢「そういやさ、手の繋ぎ方一つで、お互いの価値観が分かったりするらしいぜ?」

 

 木綿季「ふーん…じゃあボク達はどうなの?」

 

 歩夢「今の俺達だと…俺が右側に立ってて木綿季が左側だから、俺は支配欲求強めらしい。逆に木綿季は服従気質なんだって。そんで、繋いだ手の向きが…俺が前向きで、木綿季が後ろ向き。これは恋愛的な自信の矢印と同じらしい」

 

 木綿季「なら、歩夢はすっごい男らしいくて、ボクはしおらしい女の子ってこと?」

 

 歩夢「…そう言うことになるな」

 

 木綿季「だったらその診断は間違ってると思うけどね。歩夢が男らしい、なんてさ」

 

 歩夢「そう言う木綿季だって、そんなにしおらしくないしな」

 

 木綿季「そういうの傷付くんだけどね。…ま、ボクらは手の繋ぎ方もその日でマチマチだし、あんまり当てにならないんじゃないかな」

 

 歩夢「それもそうだ。じゃあ今日のユウキは俺に頼りたいってことなんじゃね?」

 

 木綿季「…それはそうかも。期待してるよ」

 

 歩夢「任せてくれ」

 

 駅まで歩いていく中での会話は、多分こんな感じだったと思う。その間にもユウキは度々微笑みを浮かべてくれたが、今日の会話には、時々棘があるように思えるのは気のせいなのだろうか…。

 …まぁ、気のせいか。今日のユウキはバッチバチのバトル気質なのかもしれない。どっかのタイミングでデュエルしよって言われそうだな…。

 その内にやって来た電車に乗り込んだ俺達は、少々苦痛な帰宅ラッシュに揉まれる。空いた席をユウキに譲ったその時は、彼女から感謝の言葉を貰えたりした。そして俺達は、二人の帰路の分岐点となる駅で電車を降りる。

 ここからは各々の住居に向かうために、別々の路線に乗り換えることとなる。この後、何処か二人で遊びに行く予定もないし、本日の場合はここでお別れとなる。

 それ故に俺が、ユウキに一旦の別れの言葉を告げ、別のホームへと移動しようとしたその時だった。不意に彼女は、俺を呼び止めた。

 

 木綿季「待ってよ」

 

 歩夢「ん?どうした?」

 

 その言葉に振り返った俺は、とそこで意外なものを見た。と言うのも、呼び掛けてきたユウキのその顔は、表情筋が少々強張っており…それはまるで、何処か少々の苛立ちを孕んでいるようなものであったのだ。

 ユウキがこうもイライラを表面に出すことは、早々ないはずだ。それも、俺が一緒に過ごしてきた数年の中でも、両手で数えられるぐらいの回数しか。何か、俺は不味いことでもしてしまったのだろうか…?

 そんな俺の疑問に沿うように、彼女は俺を若干睨みつけながら答えた。

 

 木綿季「なんで今日はボクの家までついて来てくれないの?」

 

 歩夢「なんでって…今日は木綿季の家の掃除、手伝う日だろ?だからその日は、いつも一回ここで解散するじゃん」

 

 そしてユウキが何を言ったかと思えば、俺がお家までお見送りしてくれないことを咎めてきたのだ。

 しかし、彼女の言い分は、何も間違ったものではない。彼女の言葉の通り、普段一緒に下校する時は勿論、電車代など差して気にならない俺は、ユウキと共に彼女の家まで一緒に向かうのだ。そしてそのままユウキの家に上がり、一緒に宿題をしてからバイバイする。それがいつもの流れである。

 だが本日は、そうもいかないのだ。何故その定石に倣えないかと言うのは、順を追って説明していこう。

 俺は遅くても二週に一回ぐらいのペースで、ユウキのお家の清掃を手伝っている。その理由は単純で、ユウキ一人で一戸建ての住宅の全ての掃除をするのは、流石に辛いだろうからだ。それにそもそも、あの家の所有者は俺だし、となれば俺が掃除をしない訳にもいかないだろう。

 という訳で、俺が掃除のお手伝いに向かう日は、ここで一旦解散してから再び俺がユウキの家に向かうという流れとなっている。ユウキの苛むような発言に、俺は当然の如くそれを伝えた。

 恐らく、ユウキは今日が掃除の日だということを忘れていたのだろう。あっと気が付いたように小さく声をあげると、物凄く罰の悪そうな表情で言った。

 

 木綿季「…ご、ごめん。ボク、忘れてた…」

 

 歩夢「良いって良いって。そんじゃ、また後でな」

 

 木綿季「…うん」

 

 そんなユウキに微笑みながら言葉を返した俺は、そこからは一人で帰路を進んでいった。

 …もしやユウキは、いつも通り俺がお家まで行ってくれないことが寂しくて、あんな風にピリピリしていたのだろうか。だとしたらユウキは、やっぱり可愛い奴だなぁ~。

 その時の俺は、まだそんな風に、ユウキの様子を面白おかしく捉えられていた。

 

 

 そして一旦自宅に戻ってきた俺は、まずは今日の天候上、部屋干しにしていた洗濯物を畳んだりと適当に家事を済ませて、次に汗を掻いても問題ない服に着替え、軽く筋トレ。お手伝いの日のルーティンワークを終えると、軽装に着替えて、ユウキの家を目指していく。

 さっき見た雨雲レーダーによると、まだまだ天気が下り坂らしいので、一応傘も持って行っておく。自転車と電車を使って数十分の時を要し、最寄駅から暫く街を歩いていくと、住宅街にてユウキの家に辿り着いた。

 ピンポーンとインターホンを鳴らすことはなく、そのまま玄関ドアに近づいた俺は、財布から一つ鍵を取り出す。それを鍵穴に挿し込み半回転させると、ガチャリと鍵の開く音が聞こえたので、俺は玄関ドアを引いた。

 

 つまり、俺はユウキの家の合鍵を持っている。幾ら仲が良いとは言え、何故ユウキの家の合鍵を持つことになったかと言うと…まぁ、一応俺が所有者だからって言うのと、ユウキに「ボクがこの家の鍵持つんだったら、歩夢も持ってよね。それでボクも、歩夢のお家の合鍵持つから」と言われたから他ならない。

 となると自動的に、俺も自宅の合鍵を、ユウキにプレゼントすることになったわけだ?…あれ?なんかこれおかしくね?ユウキが俺の家の合鍵欲しかっただけじゃね?

 …兎も角、そうして俺達はお互いの家の鍵を所有し、更には俺は頻繁に、掃除や買い物の手伝い、一緒に勉強等々でユウキの家を訪れていると言うことは…これは最早、半同棲生活と言ってもいいのかもしれない。

 恐らくだが、俺達と同じく高校生のカップルは、こんな感じではないのだろう。私生活に関しては、もうちょっとお互いに距離を保っているのだろう。

 だが俺とユウキに至っては、私生活が殆どお互いの存在ありきになっている。SAOでの生活のせいで、若干距離感がバグってるのかもしれない。そう言うところも、SAOの弊害なのかもしれないが、これに関しては嬉しいものである。

 

 歩夢「木綿季~、来たぜ~」

 

 木綿季「ん、ありがと」

 

 ドアを引き開けた俺が、玄関口で彼女に呼び掛けると、程なくしてリビングの方から、彼女はこちらに顔を出してくれた。そんなユウキの身に纏うダボッとした部屋着は、この上なく彼女の可愛さを際立てているように思える。

 ここは衆人の目もない。自分を抑え切れなかった俺は、靴を脱ぐとすぐに、ユウキを抱き締めるべく大きく手を広げたのだが…。

 

 木綿季「…今日はそういうのいいから。靴、ちゃんと並べてよね」

 

 歩夢「え…お、おう…」

 

 そしてユウキを捕まえるべく俺が腕をクロスさせる直前だった。ユウキから、彼女のものとは思えないような素っ気ない一言を浴びせられたのだ。

 当然、これまでにそんな展開にはなったことのなかった俺は、戸惑いを隠せなかった。だが取り敢えず、靴は綺麗に並べなければならない。言われた通りに脱ぎ捨てた靴を整頓するも、ユウキは既にリビングルームへと移動しているようだった。

 …やはり今日のユウキは、何かが違う。だがその正体は掴めない。

 

 木綿季「ボクはお風呂掃除するから、歩夢はトイレ掃除お願い」

 

 歩夢「りょーかい。もう掃除機はかけたのか?」

 

 木綿季「まだ」

 

 歩夢「じゃあ一階は俺がやるから、二階頼む」

 

 木綿季「解った」

 

 …ほら、やっぱり違う。いつものパターンなら一度ソファーでゆっくりするのに、今日はそれがない。短い会話のやり取りの末、お互いの役割分担を終えた俺達は、そこからはお互いに清掃に取り組んだ。

 普段通りであれば、「ここの掃除終わったよ~!」と声を掛けてくれるのに、今日は何も言ってくれない。ユウキがいつもと違ってちょっと冷たい。ただそれだけのことなのに、俺の気分はビックリするぐらいに下がっていて、胸にはモヤモヤが蓄積していく。

 下校時に感じた片鱗は気のせいではなかったのだろう。となると、やはり俺は、何かユウキを不愉快にさせてしまったのだろうか?そんな不安が募る中、清掃の時間は刻々と過ぎ去っていった。

 とそこで、そう言えばそろそろ買い物のタイミングではないだろうかと、清掃を終えた俺は、キッチンの冷蔵庫を覗いてみた。思った通り冷蔵庫の中は少々心許なく、これは近いうちに買い物に行かねばならない。

 

 歩夢「ん、お疲れ」

 

 木綿季「歩夢もね」

 

 その時、掃除を終えたらしいユウキが、リビングダイニングへと舞い戻ってきたのだ。俺が労いの言葉を掛けると、ユウキもまた同じく言葉を返してくれた。

 

 歩夢「いま冷蔵庫の中見たんだけどさ、そろそろ食べるもん無くなりそうだったぞ。明日か明後日に買いに行かないとだな」

 

 ちょっと水分補給とガラスコップに水を注ぎ、それを喉に送り込んでいるユウキに、俺は善意のつもりで、彼女の冷蔵庫事情を教えてあげたのだ。

 するとユウキは、ガンッ!とコップをテーブルに叩き付けた。その荒々しい行動に、俺がビクッと固まってしまう。頭が真っ白になってしまった俺に対して、彼女は大層面倒臭そうな表情で言った。

 

 木綿季「そんなの分かってるからいちいち言わないで。って言うかそもそも、勝手に冷蔵庫の中チェックしないでよ」

 

 歩夢「…あ、あぁ…」

 

 木綿季「あ、それとだけど、トイレ使ったら蓋閉めてよね。迷惑」

 

 歩夢「…」

 

 捲し立てるように棘の生えた言葉をぶつけてきたユウキは、俺が黙り込んだのを見ると、ハァと深いため息をついてソファに向かっていいった。とそこで俺も耐え切れず、彼女にそれを訊ねてしまったのだ。

 

 歩夢「…なぁ、木綿季ってさ、今日機嫌悪くないか?」

 

 木綿季「…別に機嫌悪くないし。逆ギレしないでくれる?」

 

 歩夢「…逆ギレじゃねぇだろ。それに機嫌悪くないなら、そんな当たり散らかす様な言い方すんなよ」

 

 木綿季「当たってない。歩夢が勝手にイライラしてるだけでしょ?そういうのやめて」

 

 歩夢「いつもの木綿季はもっと柔和だろ?なんでそんな調子なんだよ」

 

 木綿季「いつものボクって何さ。ボクはいつだって歩夢の望み通りに居なくちゃならないの?それおかしくない?」

 

 歩夢「いや、そう言うこと言いたいんじゃなくて…」

 

 木綿季「そもそも歩夢が靴整えなかったり、トイレの蓋閉めなかったりする癖が悪いだよ。あ~あ、歩夢がもっとしっかりしてれば、ボクが注意することも無かったのにねー」

 

 歩夢「…やっぱお前機嫌悪いだろ。そういう言い方されたら、俺だってイライラすんだぞ」

 

 木綿季「なんで?歩夢は出来ないこと指摘されたら感情的になっちゃうんだ。子供だね~」

 

 歩夢「…うるせぇな。折角手伝いに来てやってんのに、なんなんだよ、その物言い」

 

 木綿季「別にボクが手伝いに来てって言った訳じゃ無いんだけど?歩夢が勝手にやるって言い出しただけじゃん」

 

 歩夢「確かにそうだ。だけど木綿季に感謝の気持ちってもんは無いのか?少なくとも態度からは全く伺えないけどな」

 

 木綿季「歩夢は感謝を求めてやってるんだ。じゃあもう手伝わなくてもいいよ。ボク一人でも出来るし」

 

 歩夢「あっそ。じゃあ全部お前一人でやれよ。無理だと思うけどな。俺はもう助けてやんねぇから」

 

 木綿季「良いよ。その方がボクもお荷物が居なくて精々するから」

 

 歩夢「…お荷物はお前の方だけどな。木綿季は俺のことばっか文句言ってるけど、木綿季だって色んな所に物置き過ぎなんだよ。もっと纏めて決まったところに置けよ。掃除の時いちいち退けるの面倒だろ」

 

 木綿季「ここはボクの家なんだから、ボクの自由じゃん。郷に入っては郷に従え、それを歩夢にどうこう言われる筋合いは無いよ」

 

 …どのタイミングからだろうか。…分からない。最初はユウキを諭すように話していた俺は、いつの間にか、ユウキの神経をわざと逆撫でするような言葉に流されていた。

 次第に口論はヒートアップしていき、お互いに歯止めが効かなくなっていく。お互いがお互いに相手の口論に打ち負けないよう、相手の心を傷付けるだけの言葉を投げつけ合いながら、どんどんその場の雰囲気がギクシャクしていく。

 そして遂に、ユウキがその言葉を放った。「ここはボクの家」そしてそれを聞いた瞬間、俺は内心細く微笑んでいたのだ。だってここは、ユウキの家なんかじゃない。ここは俺の──。

 ──………違うだろ。俺。それだけは、言っちゃダメだ。ユウキにとってこの場所は、たった一つの居場所なんだ。ギリギリ、あと一歩で、その言葉が喉から飛び出ようとしていた。

 だがその直前に、ギスギスとした雰囲気に呑まれ、感情的になっていた俺に残された僅かな冷静さが、それを押しとどめた。

 

 歩夢「…」

 

 木綿季「…」

 

 そしてその場には、居心地の悪い淀んだ空気だけが取り残される。俺もユウキも言葉を失い、目線を逸らす。最早この場での関係の修復は不可能と見えた。

 だから俺は、ボソリと彼女に呟くと、彼女の家を後にした。

 

 歩夢「……悪い、俺、帰るわ」

 

 木綿季「…」

 

 そしてユウキは、それを引き留めることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 …ボクは馬鹿だ。どうしようもない愚か者だ。

 

 彼が居なくなった家の中、リビングルームの片隅で縮まっているボクは、少々の冷静さを取り戻していた。

 …アルファがここから出て行ったのは、もう何十分前だろうか。その何十分か前、その時に何が起こったのかは、まずはアルファがお家に来てくれたその時から、軽く整理しようと思う。

 第一に、アルファが掃除を手伝いにここにやって来てくれたその時、ボクはアルファのハグを受け入れなかった。それは単純に、生理で体調が良くなかったのもあるけれど、ボクの体調なんて一切気にも留めていないアルファの様子に、ボクは腹を立てたのだ。

 まぁそれは置いておいても、掃除を終えたその頃には、ボクの機嫌はマックスで悪かった。それまでにイライラが蓄積していたのもあってか、トイレの蓋が閉まってないなんて些細なことにも苛立ちを覚えてしまった。

 そしてそれを指摘しようとすると、アルファに冷蔵庫の中に食べ物が無いことを知らされて…きっと、あれはボクを想っての行動だ。だけどその時のボクには、それが厚意だとは思えなかった。

 アルファが勝手に冷蔵庫をチェックしてくれるなんて日常茶飯事なのに、寧ろそのお陰で、ボクは買い物に行かなくちゃいけないことを思い出せるのに、今日は理不尽に怒りをぶつけた。

 当然アルファは、それに困惑していたけど…そこからはもっと良くなかった。ボクはそのまま、アルファに気が済むまで暴言を吐き続けたのだ。

 そしてボクに心無い言葉をたくさん掛けられたアルファは、とうとう耐え切れず、戸惑った様子のまま、ボクにこう言葉を掛けてきたのだ。

 

 ──木綿季ってさ、今日機嫌悪くないか?

 

 図星だった。だからボクは尚イライラした。自分の内心を見抜かれたことに、一層の腹立たしさを覚えたのだ。

 それからのボクは、ただ君を不快にさせる為だけに、わざと嫌な言葉を選び続けた。気持ち良かった。口論でアルファを言い負かして、自分だけスッキリして、凄く気分が良かった。これまでのピリピリとした気持ちは、全部遠くに吹っ飛んでいった。

 だけど、それは何処までも間違った選択だった。それに気が付いた時にはもう遅かった。アルファはボクの家から出て行ってしまったのだ。

 ボクも最初の内は「あ~あ、やっとアルファがどっか行ってくれた。気分も晴れ晴れだよ」だなんて思っていたけど、次第に事の重大さを認識し始めた。これは所謂痴話喧嘩だ。しかも、ボクがほとんど一方的に悪い。

 振り返ればボクは、アルファに少し甘え過ぎていた。アルファならボクがイライラしても受け止めてくれるだなんて都合のいいこと思って、学校の時みたいにアルファに気を遣わなかった。

 ボクとアルファは恋人ではあるけれど、それ以前に人間だ。例えどれだけアルファと仲が良くたって、払うべき敬意を忘れてしまえば、そりゃアルファだって腹が立つに決まっている。なのにボクは…。

 

 木綿季「…どう、しよう…」

 

 もしこのまま、アルファとの亀裂の入った関係を元に戻せずに、アルファに別れを告げられたら…それを思うと、自分勝手かもしれないけど、ボクは泣きたい気分に陥ってしまう。

 喧嘩別れにでもなってしまえば、今日のボクは、これまでを積み上げてきたボクとこれからを描いているボクに合わせる顔がない。だけどどうするべきなのか、ちっとも分からない。

 ボクが悪いのは分かってる。実際に何処が悪かったのか、それもちゃんと整理できている。アルファにごめんなさいすればいいことだって分かっている。

 だけど二つだけ、やっぱり分からない。それは、ボクがアルファに謝るべきタイミングだ。今すぐに携帯で連絡を取るべきなのか、それとも一日ぐらい冷却時間を設けるべきなのか、将又一週間ぐらいの時間を空けるべきなのか。他にも、面と向かって謝るべきか、メッセージでやり取りすべきか、或いは通話で謝罪するのが正解なのか…。

 …いや、ボクはそれも分かっているはずだ。アルファに連絡を取るべきタイミングは、少なくとも今日中。だって、明日からの学校を考えれば、今日のうち二解決しておかないと、お互いに気まずい状態になってしまうだろうから。

 そして選ぶ手段は、当然直接向かい合ってだ。メッセージだと気持ちが伝わり辛いだろうし、通話は電波の問題もある。となると、その条件が整う時間は残り少ない。ボクは今すぐに行動すべきだ。

 …分かっている。分かってはいる──。

 

 木綿季「…無理、だよ…」

 

 ──でも、動き出せない。ボクには一輪の勇気が足りないから、それを行動に移せない。こうやって部屋の片隅で小さくなっていたとしても、今度こそアルファは迎えに来てくれない。ボクが自分の足で出向かないと、アルファとはずっと仲直り出来ないままだ。

 そうとは分かっていても、「ごめんもう無理。別れよう」だなんてアルファに切り出される気がして、一歩踏み出せない。だからこうして、何十分もここに居るのだ。

 挙句の果てにボクは、充電器に繋がった携帯電話を手に取った。だけど、連絡を取るのはアルファではない。数回のコール音の末に、相手方は電話に出た。

 

 「どうしたのー?ユウキ」

 

 木綿季「…アスナ…」

 

 いつもと変わらないほわんほわんとした様子で電話に出てくれたその人は、なんでも頼れるアスナだ。そして彼女は、ボクのその声色でなんとなく察したのだろう。心配そうに訊ねてくる。

 

 アスナ「…なんか元気ないね。何かあったの?」

 

 木綿季「うん…ボク、さっき歩夢と喧嘩しちゃったんだ…でね…」

 

 アスナ「うんうん」

 

 木綿季「…その喧嘩は、生理でイライラしてたボクが悪くて…アルファにいっぱい酷いこと言ったんだ…」

 

 アスナ「そっかぁ。じゃあ早くアルファ君に謝らないとだね」

 

 木綿季「…でも…勇気が出ないんだ…」

 

 アスナは聞き上手だ。相手の話にあれやこれや突っ込むことはなくて、しっかりペースを合わせて話を促してくれる。とそこで話の本題を理解したらしいアスナは、ボクにこう言ったのだ。

 

 アスナ「『ぶつからなきゃ伝わらない事だってある』ってことじゃないかな?」

 

 木綿季「え?」

 

 アスナ「アルファ君がどんな顔してるか怖くて、ユウキが謝れないでいるのは分かったけど…でも早いとこ謝っとかないと、後々大変なことになると思うな。だから思い切ってユウキの気持ちをアルファ君にぶつけないと、ごめんなさいの気持ちも伝わらないんじゃない?別にアルファ君、一回喧嘩したぐらいで、ユウキのこと嫌いになったりしないよ」

 

 その時アスナが、ボクの心を安心させてくれる言葉を掛けてくれたのは、よーく解った。でも一つ、気になることがあったんだ。ボクはまさかとは思いつつも、アスナにそれを訊ね返した。

 

 木綿季「アスナ…その格言みたいな言葉って…」

 

 格言などと自分で言うのは物凄く恥ずかしかったけど、ボクにはこれ以上の言葉は見つからなかった。名言よりはマシなんじゃないかと思ってる。

 するとアスナは、小恥ずかしそうな声色で答えてくれた。

 

 アスナ「あー、これはね、深澄から聞いた言葉なの。なんでも深澄曰く、アルファ君から聞いたらしいんだけど…」

 

 木綿季「…ふふっ、そっか…アルファはミトに、その言葉教えたんだ…」

 

 そしてアスナから話された衝撃の事実を知ったその時、ボクは思わず笑みを零してしまった。ボクの放ったその言葉を、アルファが大事にしてくれているのは知っていたけど、まさか他の人に教えちゃうぐらいだなんて…それを思うと、場にそぐわないかもしれないけど、ちょっぴり嬉しい気持ちになちゃうんだ。

 

 アスナ「ん~?なんか言った?」

 

 木綿季「ううん、なんでもない。アスナに話せて、ちょっとスッキリした。外で散歩でもしながら、歩夢に連絡とってみることにするよ」

 

 アスナ「うん、頑張ってね」

 

 木綿季「ありがと、アスナ」

 

 その時にはもう、要らない心のモヤモヤが除かれていたボクは、迷うことなく玄関へと足を進めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 次回の投稿日は、五月七日の土曜日です。

 では、また第170話でお会いしましょう!
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