~SAO with Yuuki~   作:うずつるぎ

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第172話 審判の時

 今日の授業内容は、何も頭に入ってこなかった。胸の奥底から何か大切なものが抜け落ちて、そこは空っぽだった。ずっと大事に大事に抱えていたのに、それはあっさりと、薄い靄のように消え入った。今日という一日を、ボクは抜け殻みたいに淡々と過ごしていたのだ。

 学校に行けば、たくさんの友達がボクを笑顔で出迎えてくれる。クラスの中でも孤立していない。授業はどんな内容でも、大抵は理解出来ている。まるで完成された学生の一人だ。

 だけども、今のボクには肝心なものが一つ、失われていた。それが無ければ、生きている意味だって無いと思ってしまう程だ。いや実際にそうなのだ。ボクの生きる意味は君だった。だから君も、ボクの為に生きてくれるんだって無条件に信じていた。だけど違った。

 

 「木綿季、次の授業は情報教室だよ?移動しなくちゃ」

 

 木綿季「…うん、そうだね」

 

 三限目。次の授業の為に教室を移動しなければならないことを、何処を眺めるでもなくボーっと視線を固定させていたボクに知らせてくれたのは、クラスの中でも特に仲良くしている女の子達だ。一年以上も遅れて学校に入学したのに、そんなの気にしないでみんな仲良くしてくれて、やっぱりボクは満ち足りているはずなのに…。

 

 「なんか今日の木綿季、元気なくなーい?」

 

 「うん、魂が抜けてる感じだよね」

 

 木綿季「…そうかな。でも、大丈夫だよ」

 

 如何やらボクは、この心の内を取り繕えないほどに精神が参っているらしいのだ。でも、ボクはそれを自覚できない。だって、ボク自身は別に普段と変わらないつもりでいるから。

 もしボクが本当にいつもと違う様子であるのならば、それは、ボクの全てが君に形づくられていたという証明他ならないのだろう。

 楽しそうに些細な会話を交わし合う彼女らの後ろを、ボクは重い足取りで進んでいく。時折こちらに話を振ってくれることはあったけど、ボクは覇気のない相槌を打つばかりであった。

 教室を出発して、渡り廊下や階段を進んでいくと、もうすぐ情報教室が──。

 

 「あっ!木綿季、一井先輩だよ!」

 

 木綿季「…」ビクッ

 

 直前、ポニーテールな友達がそう叫んだ。そしてその名前を聞いて、ボクはズキリと胸を痛める。すると黒髪ロングな友達が、振り返ってボクに言うのだ。

 

 「こっち気付いた。木綿季に手振ってるよ?」

 

 木綿季「…いい」

 

 …ボクに手を振っている?そんな訳ないじゃん。とは思いつつも、ボクは自分の気持ちに堪えられず、ちらりと廊下の奥を見やった。そして視界に飛び込んできたその光景は…確かに、いつもと変わらない微笑みを向けながら、彼がボクに手を振ってくれているというものだった。

 たったそれだけで、ボクの胸はドキドキと高鳴った。だけども一方で、あの微笑みが彼の心にない偽りのものだという思考が過り、また胸に鋭利な針が突き刺さる。

 だからボクは、自然と口角を上げて、同じように手を振り返そうと力の入っていた右手を無理矢理抑え込み、そそくさと縮こまって情報教室に駆け込んだ。そんなボクに対して、ショートな友達が言った。

 

 「どしたの?もしかして…喧嘩しちゃったわけ?」

 

 木綿季「…ううん」

 

 「あ~、木綿季が元気ない理由って、一井先輩と喧嘩したからってことかぁ~」

 

 「痴話喧嘩ってやつね。ま、サッサと仲直りしなよ?」

 

 木綿季「…」

 

 そうして三人は「彼氏いるっていいよね~」とボクを揶揄う、或いは早く仲直り出来るよう励ましてくれるけれど、それが単なる痴話喧嘩だったのならば、ボクはどれだけ救われただろうか。

 …違うんだ。もうアルファには他に好きな人が出来て、ボク達は終わっちゃったんだ。彼女たちにそう言葉を掛けようとしても、ボクがそれを言葉にしてしまえば、もう本当に終わってしまう気がして、やはり何も言い出せない。

 思えば、ボクとアルファは、出会い方や愛の育み方は特殊だったとは言え、単なる学生カップルの一介に過ぎない。学生カップルなんて破綻して当然、ずっと上手くいく方が珍しい。だからこの結末は、仕方のないこと…。

 そうやってボクは、昨夜から何度、自分の心に折り合いをつけようとしただろうか。だけど、妥協するなんて無理だった。ボクは今でもアルファが大好きだ。ボクとアルファは学生カップルだなんてちゃっちい関係なんかじゃなかった。

 でも、恋人関係なんてものは、物凄く脆いものだ。些細なキズが付いただけで、ドミノ倒しみたいに崩れ落ちていく。ボクのあの日のミスが、その始まりだったんだ…。

 そんなことを考えてばかりいると、やはり授業は身に入らない。伽藍洞で午前中の授業を消化したボクは、みんなと学食に向かった。

 

 「良かったの?一井先輩とお昼一緒じゃなくて」

 

 「一緒にご飯食べたら、簡単に仲直り出来ると思うよ?」

 

 みんなはそんな風に言ってくれたけど、今のボクじゃアルファと一緒にご飯なんて考えられなかった。何を話されるか怖くて、一緒に居られるわけがなかった。

 その日ボクが頼んだ学食は、味噌カツ丼だった。揚げ物は中々手間がかかって、自炊じゃ手を出したくないものだ。だからボクは、学食ではよく揚げ物を食べている。帰還者学校の食堂は美味しいはずなのに、やっぱり今日のご飯は味気なく感じた。

 作業のように昼食を済ませたボクは、そこから更に二コマ分、教室で小太りした先生の話を右から左へと聞き流していた。それで今日の学校は終わりだ。

 六度目のチャイムが鳴り終えると、誰もが開放されたようなスッキリした表情を浮かべる。帰るなり部活に行くなり図書室へ向かうなり、それぞれが行動を起こし始める。そんな中ボクは、隣の彼女に話し掛けた。

 

 木綿季「ね、今日どっか行かない?美味しいスイーツ屋さんとか」

 

 「ん~、いいね!バレー部は今日オフらしいし、みんな誘って行こうか!」

 

 …少しだけ、リフレッシュしよう。昨日のことは綺麗さっぱり忘れて、兎に角みんなと遊び回って、楽しい気分にならないと…そうじゃないと、心が痛くて辛くて仕方がない。

 ボクの提案に乗った彼女は、すぐにみんなを招集した。どのスイーツを食べに行こうか、携帯で色々調べつつ、それを取り囲んで話し合うのだ。その時だった。

 

 「ゆーき~!」

 

 木綿季「あ…」

 

 すぐ近くから、聞き慣れた君の声が響いた。反射的に右の方をへと視線を向けると、そこには帰宅準備バッチリな彼が、廊下から顔を出していたのだ。いつもと何一つ変わらない、屈託のない笑顔を向けながら。

 

 …なんだ。昨日のあれは、ボクの見間違いだったんだ。

 

 君の微笑みを見ていると、そんな風に思えた。でもそうじゃない。分かっている。だから、こうしてアルファが笑顔を浮かべてくれるだけで、この心にちょっぴり陽射しを差し込ませる自分は、どうしようもなく甘っちょろいのだろう。

 例えそれが表面上のものだけだったのだとしても、今はボク為だけにその笑顔を見せてくれている気がした。だからこそ、この後の帰り道で、その笑顔がふっと消え去り、別れを切り出されるその悍ましいビジョンが浮かび上がってくる。ボクの心臓はドクドクと暴れ出す。

 そうして冷や汗を垂れ流すボクのことなど知る由もなく、彼は普段通りブレザーのポッケに親指だけ引っ込めたまま、ボクに言った。

 

 歩夢「今日はなんも聞いてないから、一緒に帰るもんだと思ってたんだけど…」

 

 そしてボクは、その結末にもう暫くの猶予を与えるべく、断りを入れようとするのだ。

 

 木綿季「きょ、今日は──」

 

 「──あ~、大丈夫です!今から遊びの予定立てようとしてただけなんで、木綿季のこと持ってっちゃって良いですよ!」

 

 木綿季「な、なんで…」

 

 「そそっ、私達とはいつでも遊べるからね」

 

 「仲直り、しっかりしてきなよ?」

 

 三人は打ち合わせた訳でもないだろうに、見事な即興コンビネーションを組み立てると、ボクをアルファと一緒に居させようとするのだ。

 もしここで無理やりにでもアルファとの下校を断れば、彼に不審がられる。かと言って一緒に帰ればゲームオーバー。どっちを選んでも行き着く未来は変わらず、ボクは八方塞がりの状態で彼女たちに背を押された。

 教室から追い出され、お幸せにと言わんばかりの和やかな視線を向けられてしまえば、もう彼と帰る以外にはどうすることも出来なかった。

 

 歩夢「もしかして、今から遊びに行く予定だったのか?」

 

 木綿季「…ううん、そんなことない」

 

 歩夢「ならいいけど…そんなに俺ばっかり優先しなくても良いからな?木綿季は木綿季のしたいようにしてくれよ?」

 

 木綿季「…うん」

 

 廊下を通り抜けて下駄箱でローファーを履いて、学校内の敷地を歩いていく中で、アルファはそんなことを言ってくれた。

 ボクのしたいようにすればいい。なら、別れ話なんてしないで欲しいよ。ずっとボクのことを愛して欲しいよ。他の人の所に行かないでよ。ボクは無性にそう叫びたかった。

 

 歩夢「──四限の体育で片づけあったせいで、学食行くの遅れたんだよなぁ──」

 

 木綿季「…」

 

 歩夢「今日はさ、味噌カツ丼が日替わりメニューだったろ?俺達が学食着いた頃には、売り切れてて…」

 

 木綿季「…」

 

 歩夢「…木綿季?」

 

 木綿季「…ん?ど、どうかしたの…?」

 

 歩夢「いや…今日の木綿季、なんか大人しいなって思って」

 

 木綿季「そうかな…」

 

 駅まで歩いていく道中、アルファはいつも通り、ボクに学校での下らない話を吹っかけてくれた。

 普段のボクなら、「ボクは味噌カツ丼食べれたよ!」とか、「仕方ないから、今度作ってみてあげよっか?」とか、「ボクはソースカツ丼の方が好みかな~」とか…色とりどりに表情を変化させながら、たくさんの相槌を打てたのだろう。

 でも、もう目の前にまで迫っているアルファからの『さようなら』の言葉が、いとも簡単にボクを無口にさせる。どうにかして延命出来はしないかと必死に頭を働かせるけど、良いアイデアはちっとも浮かんでこない。

 昨日まではあんなに輝いて見えたアルファとの下校が、たった一日でこんなにも息苦しいものになるなんて、ボクは想像もしていなかった。それからもアルファは、様々な話を持ち出してくれたけど、ボクは何もかも上の空だった。

 

 歩夢「なぁ…木綿季…」

 

 木綿季「…」ビクッ

 

 不意に、アルファがそう言った。そしてその切り出し方はまるで──

 

 ──嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ──

 

 必死に、ボクは唱え続ける。頭の中にはその事実を否定しようとする言葉ばかりが巡り続けども、現実はいつだって無常だ。アルファの放つ次なる一言に、ボクは心を壊してしま──。

 

 歩夢「…手、繋がねぇの…?」

 

 木綿季「…え…?」

 

 だけど、アルファの口から飛び出してきたその言葉は、ボクにとっては予想外のものであった。ポリポリと髪の毛を搔きながら、アルファはそう言ったのだ。

 ボクはその言葉にある意味で硬直しつつも、確かにいつもと違って、ボクらは今日、一緒に手を繋いでいない。だけどもそれは、アルファがもうボクを好きじゃないから…だから、ボクが無理にでも手を繋げば、冷たく振り落とされる気がして…。

 

 木綿季「…良いの?」

 

 歩夢「え?うん。寧ろ繋ぎたいんだけどな」

 

 言葉とはまさに、人の気持ちを揺さぶる魔法である。心の籠っていない一言であっても、それは他人に大きな影響を与えてくれる。

 恐る恐る触れた君の手は、やっぱり温かかった。自分のものとは違う温もり、大好きな君の手のひら、それはボクだけのものであったはずなのに、今はもうそうじゃない。こうして手を繋げるのは、今日で最後かもしれない。以前は毎日のようにそう思っていたはずなのに、こんな切羽詰まった思いに駆られるのは、随分と久し振りのことだった。

 日常に戻って以来のボクは、この温もりを与えられて当然のものと思っていたのだろうか。そんなぞんざいな気持ちが、こんな未来を呼び寄せてしまったのだろうか。

 駅に辿り着いて、電車に乗って…今日が最後で二度と触れられないというのならば、せめて忘れないよう心の中に刻む為に、ボクはずっとずっと、君の手をぎゅっと握り続けた。

 

 ボクとアルファの帰り道が別れる駅。そこで一度電車を降りたボクらは、それぞれの家へと向かうホームまで、残り僅かの距離を移動していた。その最中、ボクはふと思っていた。

 …どうして、ボクがこんなに悩まなきゃいけないのだろうか、と。よくよく考えてみれば、悪いのはアルファの方ではないか。確かに、ボクはアルファに見限られるような行動は取ったかもしれないけど、だったらその場で別れを告げれば良かっただろう。

 それを彼は何を、浮気などという形で新しい愛を見つけているのか。浮気をするのは良くないことに決まっている。本能的なものだから仕方ないだなんて、そんなの理性を持つボク達には言い訳にしかならない。ボクも悪いけど、アルファはもっと悪い。

 …じゃあなんで、アルファはボクと別れないままに、新しい人と結ばれてるん──。

 

 木綿季「……ぁ……」

 

 歩夢「ん?なんか言ったか?」

 

 そこでようやく、ボクは気が付く。…そうだ。アルファがボクと別れないで、そのまま新しい人を探したってことは──。

 

 木綿季「……今日は、ここで解散しよ」

 

 瞬間、ボクはパッと、アルファの手を離した。彼と視線を合わせないまま短くそう言ったボクは、振り返りつかつかと自宅方面のホームへ足を進めようとする。しかしアルファは、去り行くボクの腕をふっと掴んだ。

 

 歩夢「掃除は明後日の予定だろ?今日は木綿季の家まで一緒に行けるぞ?」

 

 …やめて欲しい。ボクにはもうそんなことを言わないで欲しい。心の中でそう言いながらも、ボクは彼に向き直ることなくもう一度腕を振り払った。

 

 木綿季「……いい……今日は、いい……」

 

 もう一度小さく呟いて、ボクは二歩三歩駅構内を歩み行く。なのに…バッとボクの前に身を乗り出したアルファは、大層困惑したような声色で言った。

 

 歩夢「…なんかあったのか…?」

 

 …何が、「何かあったのか?」だ。どれもこれも全部アルファのせいじゃんか。

 

 歩夢「…今日の木綿季、ちょっと変だぞ?」

 

 …ボクがおかしくなったのだって、歩夢が…浮気したから…だよ。

 

 歩夢「嫌なことあったんなら、俺に話してくれよ。ちゃんと話し合わなきゃ伝わらないだろ?」

 

 木綿季「……」

 

 歩夢「…力になれるかは分かんねぇけどさ、ほらっ、取り敢えず一緒に帰ろうぜ?帰ってる途中に話したくなるかもだろ?」

 

 ……もう…限界だ…。アルファに掛けられる数々の言葉を受けているうちに、心の中で暴れる『何か』は、ボクがなんとか握っていた手綱を喰い千切った。するとそこからは、もう自分でも歯止めが効かない。

 

 木綿季「………なんで………」ボソッ

 

 歩夢「?」

 

 木綿季「………なんでぇ……ボクにっ、優しくするのぉ……」

 

 そこで遂に、二つの瞳から大粒の雫を溢れ落としたボクは、酷く震えた声で、君にこの気持ちをぶつけ始めたのだ。

 

 

 

 

 

 

─────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 ───今日のユウキは、いつもと何処か様子が違っている。

 

 最初に俺が違和感に覚えたのは、二限目と三限目の業間時間だ。偶々学校内で君を見つけた俺は、なんだか保護者的な発想かも知れないが、ユウキが学校に順応し、友達と仲良く歩いている姿を見て嬉しくなってしまい、ついつい手を振ってしまったのだが…その時ユウキは、俺に手を振り返すことなく、いそいそとその場を去ったのだ。

 その時はまだ、やっぱ恥ずかしかったのかなー、ぐらいにしか思っていなかったのだが、俺が本格的に違和感に気が付いたのは、放課後になったその時だ。

 いつものようにユウキと下校するべく、俺は彼女の教室へと立ち寄った。そしてそこで見たユウキは…なんというか、物凄く元気がなかった。普段は元気いっぱいなユウキが、世界の終わりだという勢いでしょんぼりしていたのだ。

 …そういや、今日は登校も一人が良いって言ってたし、朝の俺は、ユウキは寝坊でもしたのだろうかとその程度の認識に留まっていたが、これは恐らくユウキに何かあったのだろう。下校の最中、俺はそんな風に考えていた。

 次から次へと話を振ってみても、彼女はうんともすんとも言ってくれないし、いつもなら積極的に掴んでくれるその手を、今日は差し出す気配さえ見せない。最早俺と手を繋ぐのが嫌なのかと思うぐらいに、なんのアクションも起こしてくれなかった。

 かと思って、俺が恐る恐るそれを訊ねると、ユウキはそれ以来、いつも以上に力の籠めて俺の手を握り締めてくれた。

 そしていつもの中間駅。ユウキは途端に俺の手を振り解いて、一人で家まで帰ろうとし始めた。これはいよいよおかしいぞと、俺は彼女を何度か呼び止めた結果──

 

 木綿季「………なんでぇ……ボクにっ、優しくするのぉ……」

 

 ──ユウキは、ボロボロと涙を流し始めた。

 

 歩夢「……え!?ちょ、木綿季!?ど、どうしたんだ!?」

 

 となると当然、俺は甚だ狼狽するわけだ。目の前でわんわん大きく泣き喚き始めたユウキを目にし、俺は驚きの余り、一瞬唖然とその場に立ち尽くしていた。だが次の瞬間には、それが嘘のようにあたふたと取り乱し始める。

 …な、なんでユウキは泣き出したんだ?訳がさっぱり分からん!!そんな俺の困惑した内心に答えるように、彼女は抑揚の乱れた声でまた言う。

 

 木綿季「……もう、優しくなんかっ、しないでよぉ……」

 

 歩夢「!?!?!?!?」

 

 …なんだ?いまユウキなんて言った?優しくしないでって言ったよな!?どゆこと?好きな人に優しくしちゃダメなのか?あぁ、そうか!多分ユウキは、もっと俺に男らしくガツガツして欲しかった……いや、絶対に違う。確かにユウキはよく泣く子けど、いつだって泣く理由は明確にあった。俺が優し過ぎるから泣いちゃうような子じゃない。

 じゃあ、一体どういう──

 

 木綿季「歩夢なんてっ、嫌いだ!嫌いだっ…嫌いだ嫌いだぁ!!」

 

 歩夢「」

 

 …ごめん、俺もう立ち直れないかも…。だってユウキ…いま本気で俺のこと嫌いって言ったよね?純度百パーセントの心の叫び声だったよね?…いや、マジでキツいんだが、精神的に。

 だがまぁ…ここで俺がへこたれててもどうしようもない。しょんぼりしたりいきなり泣き出したり、急に怒ったり…なんだか今日のユウキは情緒不安定……はっ!生理か!生理なのか!?違う!生理はタイミング的に有り得ないだろ!それに…最近リアルでそういうことしたわけでもないし…うん、生理は確実にあり得ないな。

 じゃあ、増々何故…?

 

 とそこで、俺は気が付く。ここが駅という公共施設であることに。

 つまりは、俺の前で嗚咽を漏らしながら、ブレザーの裾で涙を拭って大泣きする女子高生と、女の子の前で呆然としながらも、その表情は百面相な男子高生…そりゃあ、駅を行き交う衆人が、どよどよと騒ぎ始めるわけだ。

 これは不味い。このままこの場に居続ければ、間違いなく他の人が介入してくる。そうなると後始末も面倒臭い。俺は色々考えた末に、ユウキの肩に手を置いた。

 

 歩夢「ちょっとここは場所が悪いから…一回俺の家に行こう。タクシー呼ぶから」

 

 するとユウキは、肩に乗った俺の手を激しく振り落とし、ぶんぶんと首を横に振る。

 

 木綿季「やだやだやだやだ!!お話なんてぇ、したくないよぉ……」

 

 歩夢「…でも、これ以上ここに居たら、他の人に迷惑掛かるからさ…頼む」

 

 木綿季「……えっぐ……ひっぐ……う…ん……」

 

 そうしてなんとかユウキからの了承を得た俺は、涙でぐしゃぐしゃになったユウキの手を引いた。「これが修羅場か」。周囲の人々は物珍しいものを見たように、そんな言葉を囁き返している。もう訳の分からないを通り越していた俺は、すすり泣き続けるユウキを引っ張って、兎に角駅前のロータリーへ辿り着いた。

 そこに停まっていたタクシーに乗り込んで、俺の家へと向かってもらった。ここからだと、ユウキよりも俺の家の方が近いので、そうしただけである。

 ぐすんぐすんと泣き続ける彼女、時折慰めに入るも、そうすると余計に彼女を刺激するだけだったので、途中から何もせずに無言のまま居る俺、タクシーの運転手さんも、それはもう気まずかっただろう。バックミラーに映る運転手さんは、冷や汗を零していたぐらいだ。

 だけども俺の家に着いてタクシーを降りる頃には、ユウキも少々収まっていた。泣くことはなくなったが、その表情は異常に暗い。そんなユウキの手を引いて我が住処へと戻って来た俺は、鍵を回して家の中に入った。

 

 歩夢「…適当なとこ、掛けててくれ」

 

 木綿季「……」

 

 二人順番に手洗いうがいを済ませてから、一応のリビングダイニングへ踏み入る。ユウキにそう一声掛けて、取り敢えず温かい緑茶を、絨毯の上にある小テーブルに置いておいた。

 彼女はその近くで縮こまっており、俺はどうするべきか相当迷ったが、彼女の隣に微妙な距離を置いて腰を下ろすことにした。

 

 歩夢&木綿季「「……」」

 

 最近のユウキとの沈黙は、その場から逃げ出してしまいたくなるような、そんなムズムズする感じが多い。とは言っても、心地良い静寂を楽しむ時の方が、俺達には多いのだろうが…。

 …まぁ、いつまでもこうしてはいられない。俺は少しばかり緊張感を抱きながら、彼女に言葉を掛けた。

 

 歩夢「あのさ…なんで木綿季は、泣いちゃったんだ…?」

 

 そんな俺の問いに対して、彼女は暫く無言を貫き通していた。しかし、やがて赤くなった目元をこちらに向けると、その口を動かした。

 

 木綿季「…分からないの?全部歩夢のせいなのに…」

 

 歩夢「お、俺の…?」

 

 と言葉を返してみたものの、心の内では、やっぱりかと、彼女の答えは納得のいくものであった。

 何せ、ユウキは俺を「嫌いだ」と言ったのだ。ならば泣き出した原因が俺にあるとするのは、論をまたない帰結であろう。

 がしかし、俺としては、一体自分が何をしでかしたのか、全く見当がつかないでいる。だって、少なくとも昨日のユウキは普段通りだった。そんで昨日は一緒に遊んでないから、下校以来ユウキには会っていない。そして今日学校に来てみれば、ユウキのこの様子。

 …どういうことだ。俺はやっぱり、ユウキの前では何もしていないだろう。なのに何故嫌われたのか…。と色々と頭を動かしていると、彼女はポツリと言葉を発した。

 

 木綿季「…昨日…」

 

 木綿季「…昨日の夜…歩夢は何してた…?」

 

 歩夢「何って……普通に過ごしてたけど?」

 

 木綿季「普通って何?」

 

 歩夢「え…まぁ…いつも通りってことだ」

 

 木綿季「じゃあ歩夢、昨日は一人で過ごしてたの…?」

 

 歩夢「あ、あぁ…まぁそういうこと、だな…」

 

 …一体どうして、ユウキはそんなことを聞いてきたのか。俺は質問に答えながら、そして時々バレない程度の嘘を交えて、彼女に言葉を返し続ける。ピンポイントで昨夜のことを訊ねられたその時、内心は大きく跳ね上がらないでもなかった。

 …もしやユウキは、昨日の夜に俺と遊べなかったことが寂しくて…?いや、でも昨日は用事あるって断り入れたし…ユウキはそれが分からないほど阿呆ではない。ユウキはお利口さんだから、そんな程度で癇癪を起すわけが──。

 

 木綿季「……今…ボクに嘘ついたよね…?」

 

 歩夢「え」

 

 ドキリ。彼女のささやかな一言に、今度こそ心臓が大きく跳ね動いた。いつの間にか、手汗が滲む気配を感じ取った。ユウキは変わらず膝を抱えながら、俺を覗き込んでいるだけだ。なのにその瞳は、まるで俺の全てを見透かしているようである。

 

 木綿季「ついたよね?」

 

 歩夢「いや…」

 

 木綿季「ついてないの?」

 

 …いや、ユウキが知っているはずがない。恐らくユウキは鎌をかけているだけだ。ユウキは俺の表情から真意を悟るのが得意だから……だがここで嘘だと言ってしまえば矛盾が生じる……だったら、貫き通せばいいだろう…。

 

 歩夢「…ついてない」

 

 木綿季「……そっか」

 

 そして俺が、胸の鼓動をバクバクと乱れさせつつも、あくまでも表情を動かさずにそう答えると、ユウキは疑うことをやめてくれたのか、少しだけ目元を緩めた。俺もそんなユウキの様子を受けて、心をホッと安心させる。

 さぁ、話が逸れてしまったが、ユウキが泣き出した理由を模索し直そう──。

 

 ──次の瞬間、ユウキの雰囲気がガラリと変わった。

 

 木綿季「……そっか……もうボクには、何も教えてくれないんだ……ボクに…平気で嘘つくんだ……」

 

 それは何処までも、俺の胸に深く突き刺さる言葉だった。君は悲しそうにそう呟き、その瞳は全てを見限ったような冷たい色をしていた。

 そこでようやく、俺は取り返しのつかない言葉を発してしまったのではないのだろうかと、今更ながらに焦り始める。

 

 「もういいや…ボク達、今日でお別れしよっか」

 

 確かな理由なんてない。でも君にそう言われる気がした。心臓が一層荒ぶり、尋常ではないほどの汗が一気に噴き出してくる。

 ミスった。間違えた。道を踏み外した。お願いだ。今のはなかったことにしてくれ。少し前からやり直させてくれ。今からでも弁解しなければ。嘘ついてごめんって言わなきゃ。だが弁解したところでどうなる?君に向けられる瞳をいつも通りの温度に戻せる気がしない。かつてないほどの絶望感だ。

 俺は結局、どうにもこうにも口を動かすことが出来ずに、その場で固まり続けていた。

 するとユウキは……ジワリと、瞳を潤ませた。

 

 木綿季「……やっぱり……もうボクのことっ、好きじゃないんだぁ…!!…だったらぁ、早く終わりにしてよぉ……余計に辛いよぉ……!!」

 

 やがてその大きな瞳から雫を垂れ流すと、君はまた泣き叫び始めたのだ。

 …安心した。まだ巻き返せる。修正可能な範囲だ。ユウキが見捨てるように別れの言葉を告げずに、この場で泣き出すという選択肢を選んでくれたことに、俺は大きく安堵していた。しかしここからが肝心だと、気を引き締め直す。

 「ボクのことが好きじゃない」、「終わりにして欲しい」彼女の口から放たれた言葉は、やっぱり意味不明だったけれども…なんにせよ俺は、君に謝らねばならなかった。

 つい数刻前の自分、選んだ選択肢、そして今、ユウキが泣き出したその瞬間に抱いた性根の腐った気持ち、俺は自分に向けて反吐が出そうになるほどの後悔と蔑視を募らせつつも、兎に角必死にそれを語ろうとした。

 

 歩夢「ゆ、木綿季、聞いてくれ──」

 

 木綿季「ぼ、ボクはぁ…知ってるんだッ!!昨日歩夢が一人じゃなかったことっ、知ってるんだからぁっ!!」

 

 歩夢「なっ!?」

 

 …何故ユウキがそれを知っている!?言ったか?言ってない!じゃあどうして?どうやって知ったんだ!?

 ユウキが泣き叫びながら放ったその衝撃の事実に、俺は謝罪の言葉を続けることが出来ず、大きく動揺してしまった。そんな俺の様子を受けて、ユウキは更に捲し立てるのだ。

 

 木綿季「ボク以外の、女の人に抱かれてぇ…リラックスした表情浮かべてっ…うぅ…浮気したんでしょぉ…!!」

 

 歩夢「……」

 

 ユウキにそう言われて、俺は頭が回らなくなった。何も言えないまま君を眺め続け、彼女に投げ付けられた言葉の一つ一つを咀嚼しようとする。

 その間にユウキは三角座りをやめたかと思うと、ボタボタと顔に無数の涙を伝わしながら、俺ににじり寄ってくるのだ。

 

 木綿季「もう好きでいてくれないのに、なんで優しくするのぉ?なんで、嫌いって言ってくれないっ、の?」

 

 木綿季「ボクの何がぁ、足りなかったのっ?なにが不満だったの?ずっと傍に居てくれるんじゃなかったのぉ?」

 

 木綿季「二番目なんかぁ、ボクはやだぁよぉ…一番じゃなきゃやだよっ…余り物の愛なんて満足出来ないよぉ…」

 

 木綿季「ねぇ、見捨てないで?好きって言って?ボクが一番だって抱き締めて?ボクは歩夢しか居ないんだよ?ボクは歩夢が大好きだよ?愛してるよ?あんな女には負けないよ?だからボクを一番に愛して──」

 

 そしてユウキは、瞳をぐるぐると渦巻き状に回転させながら、俺のカッターシャツの裾を握り締め、まるで押し倒すかのようにこちらに迫って来た。放心状態だった俺は、彼女にされるがままに、半分ぐらい押し倒されてしまう。そして彼女は、涙に揺れた瞳で俺に目を合わせながら、何億通りとありそうな疑心の言葉を発し続けるのだ。

 それはまさに、狂気的とも言えるだろう。だけども俺にとっては、それはユウキが俺に向けてくれている愛の深さを教えてくれるものでしかなく、ユウキが泣き顔でぐしゃぐしゃになっている状況だというのに、そうしてくれることが心地良いとさえ思えた。

 ここで俺もなんとなく、ユウキがどうしてこうなってしまったのかを理解したのだ。

 

 歩夢「木綿季…一旦落ち着いてくれ」

 

 木綿季「やだ!ボクを振り解かないで!!辛いよぉ、苦しいぃよぉ…」

 

 そしてそれを説明するべく、俺に寄り縋って顔を埋めるユウキの肩を掴んだ俺は、彼女をグイと引き離して話し掛ける。対するユウキはもう周りが見えていないのか、悲愴感溢れる様子でジタバタと身体を藻掻かせ、必死に俺の身体を掴もうとする。

 …なんだ、この可愛すぎる生き物は。まるでこの崖っぷちの状況に似合わないセリフだが、俺はそう思わずにはいられなかった。…もしやリアルに帰還した頃の俺は、こんな様子だったのだろうか。あぁ、きっとこんな感じだったんだろうな。

 

 歩夢「ホントに落ち着いてくれ!大丈夫だから!俺の話を聞いてくれ!!」

 

 木綿季「別れ話なんて聞きたくないっ!!」

 

 歩夢「違うから!そうじゃないから!!」

 

 木綿季「……ホントに…?」

 

 歩夢「うん…」

 

 完全に聞き分けのない子供と化してしまったユウキと数回押し問答を重ねた末に、別れ話ではないことに安心したらしい彼女は、何度か嗚咽を漏らした後に泣くことを抑えて、なんとかこちらの話に耳を傾ける姿勢を見せてくれた。

 

 歩夢「えっと、まずなんだけど…その、抱かれたって言うのは……ハグ、ってことで良いんだよな…?」

 

 木綿季「……うん。昨日の歩夢、女の人にぎゅーってされてたじゃん…すっごく落ち着いた顔してたじゃん……でも、それが浮気にぃ、入らないっ、訳ないでしょっ…?」

 

 …良かった。まずはそこの齟齬を解消出来た。

 ユウキに「抱かれた」と言われたその時、俺はてっきり、ユウキ以外の誰かと肉体関係を持ったのだと指摘されたのだと思ってしまった。何せ俺は浮気を疑われたのだ。そう考えてしまうのも無理はないだろう。

 がしかし、無論俺にも、そんな事実は一切ない。ユウキからも『抱かれた』の意味が単なる抱っこの受動態であることを確認出来た俺は、そこでまた一安心した。

 だけども、再びユウキが泣きじゃくりそうになったので、慌ててそれを慰めに入る。

 

 歩夢「…一応聞きたいんだけど、木綿季はなんでそれ知ってんだ…?」

 

 暫くしてから、今一度落ち着きを取り戻したユウキに、俺はそこで一番訊ねたかったことを聞いてみた。

 

 木綿季「…昨日の夜、サプライズのつもりで歩夢のお家に行ったから…その時…鍵開いてたんだ…」

 

 その答えには、流石の俺も驚かざるを得ない。

 だって、そんなこと誰が想像できようか。って言うか鍵開いてたのか、物騒だな。鍵閉めは俺がやったわけじゃないし…何もかも、ほとんど俺のせいじゃねぇぞ、これ…。

 事の発端から結末までを、今この瞬間に悟った俺は、すぅーーーーと大きく息を吸い込み、それを吐き出す。まるで関係の終わりを恐れ、視線を俯かせている君に、優しく言った。

 

 歩夢「…その…えぇ……結論から言ったら、俺は浮気なんかしてない」

 

 木綿季「…それは嘘じゃん…。そんなのボクでも分かるよ…」

 

 そして俺が真相を告げようとも、当然ユウキには信じられない話だろう。ユウキは、俺にまた堂々と嘘をつかれたことに、激しく傷付いたような様子を見せた。

 

 歩夢「…まぁ、そうなるよな。ちょっとこれ見て欲しいんだけど、良いか?」

 

 木綿季「え…うん…」

 

 だがこの展開は俺の想定内である。学校の鞄から携帯電話を取り出した俺は、そのままトークアプリを開き、事の端緒となったその人に電話を掛ける。

 何度かコール音が鳴り響いた末に電話に出たその人物は、開口一番俺にこう言った。

 

 「おー、歩夢が電話してくれるなんて珍しいなぁ~、どうしたん?お姉ちゃんが恋しくなった?」

 

 歩夢「……」

 

 木綿季「へ……」

 

 何の事情も知らない姉貴は、大層呑気な様子だ。俺とユウキの間に置かれたスマホから聞こえてきたその声に、ユウキは硬直する。

 

 歩夢「まぁ、そう言うことにしてやるからさ、ちょっとビデオ通話してくんね?」

 

 「ビデオ?いま外いるけど良い?」

 

 歩夢「おーけー」

 

 そして画面に映し出されたのは、何処かのデパートらしき場所をうろつく、今は明るい茶髪な姉貴その人であった。

 

 木綿季「……ぁ……」

 

 歩夢「木綿季、これが昨日見た人か?」

 

 木綿季「…うん、そう」

 

 「ゆふき?歩夢以外に誰かそこに居るん?」

 

 画面に映る姉貴に釘付けになっているユウキに、俺がそれを訊ねると、彼女も小さく頷き返してくれる。恐らくこちらの声が聞こえていたのだろう。姉貴が第三者の存在に気が付いたようだが、今はそれを説明している余裕はない。

 

 歩夢「姉貴の顔見れて安心した。もう電話切っていいか?」

 

 「今日の歩夢どうしたん?やけに素直…」

 

 歩夢「切るぞ。じゃあな」

 

 「はいはい、じゃーねー」

 

 プツン。かなり無理矢理電話を切った俺は、未だに画面を見続けるユウキに対して話し掛けた。

 

 歩夢「これで、納得してもらえるか?」

 

 木綿季「今のが…歩夢のお姉さん…?」

 

 歩夢「うん、そうだ。昨日俺の家に居たのは、俺の姉貴だ」

 

 つまりはそう言うことだ。ユウキの見た女の人と言うのは、俺の実の姉であったのだ。

 

 実はつい昨日、姉貴が俺の家に泊まりに来ていた。その理由は、昨日から見て明日である本日、姉貴の通う大学がお休みらしく、それ故に姉貴は、一日東京で買い物がしたかったのだとか。そして俺の家が、タダで利用できる宿泊施設として目をつけられたわけである。

 姉貴は合鍵を持っているわけでもない以上、俺は学校終わりにすぐにこちらへとやって来るらしい姉貴を出迎えるために、昨日は一日家で待機していなければならなかった。そうして昨日は、ユウキと一緒に居られる時間が少なかったという訳だ。

 姉貴が俺の家にやって来てからは、それはもう色々なことがあったのだが、その中の一つが、酔っ払ってる姉貴に、俺が抱き締められるというものである。なんでも姉貴によると、弟はいつまで経っても可愛い弟なのだとかなんとか。

 俺としては姉貴からのハグなど求めてもいないものなのだが…ユウキ曰く、俺はすっごく落ち着いた顔をしていたらしい。多分、幼少期に抱っこされまくってた影響だろう。この年になって姉貴に抱き締められて、ほっこりしている自分を認めるのは、物凄く癪だけども。

 

 木綿季「あれが歩夢のお姉さんかぁ…」

 

 歩夢「まぁ、今の話なんて捏造しようと思えば出来なくもないだろうし…木綿季が納得いかないなら、それでいい」

 

 大泣きした後の何処かスッキリした表情で、なんだか感慨深そうに呟くユウキに、俺は続けてそう言葉を掛ける。

 するとユウキは…いきなり俺の身体に飛びつき、固く俺の身体に抱き着いた。その答えを行動を以て示してくれた。

 

 木綿季「…良かった…歩夢がどっか行っちゃわなくて…ホントに良かったよ…」

 

 そしてユウキは、俺の胸元で小さく囁きながらその気持ちを語ってくれた。流石にもう十分に泣きはらしたのだろう。彼女の声が震えることはなかった。そんなユウキを、俺もまたしっかりと抱き寄せ、いつも以上に優しく、君に気持ちを伝える。

 

 歩夢「心配かけて、ごめんな…」

 

 木綿季「ボク…この前歩夢に八つ当たりしちゃったから、それでボクのこと嫌いになって、振られるんだと思ってた…」

 

 歩夢「俺は木綿季を振ろうなんて考えたこともない。そんなの有り得ない。それに、あれからまだ二週間も経ってないんだぜ?流石にそんな超スピードで、次の人なんて見つけられねぇだろ?」

 

 木綿季「…確かにそうかもね。ボクだって、歩夢のこと振ったりしないからね?ボクは歩夢しか考えてないから」

 

 そんな風に暫しの間、二人で変わらない愛を確かめ合っていた俺とユウキだけど…それだけじゃダメだ。俺はまだ、君に一番しなくちゃいけないことを出来ていない。俺に抱き着くユウキをゆっくりと引き離した俺は、彼女の目を見てそれを告げた。

 

 歩夢「さっきは、嘘ついてごめん…。俺は、別にその話は木綿季が泣いたことに関係ないかなって、勝手に一人で納得して、じゃあ適当に流せばいいかって…木綿季に失礼なことした。木綿季と話している時に、俺は真剣になれてなかった。嘘ついてもバレなきゃ良いとか思ってた。それで木綿季を傷付けた。本当に、ごめん…」

 

 俺の内心は、全くこの言葉の通りである。

 俺があの時もっとユウキに敬意を払って接していれたのならば、これ程にまで話が拗れることもなかっただろうし、俺に嘘をつかれて、ユウキがあんなに悲しい顔をすることだってなかったはずだ。

 日常に戻って来て以来、ユウキと居られるのが当たり前になってきた最近、俺は少しユウキとの接し方が杜撰になっていたのだろう。『親しき中にも礼儀あり』、要するにそう言うことだった。俺にはユウキへの敬意というものが形だけのものになっていた。

 ユウキに嫌な思いをさせてしまったという事実は消せない。だがこの反省と申し訳ない気持ちを伝えることは出来る。俺が誠心誠意ユウキに謝罪すると、彼女は微笑みながら言った。

 

 木綿季「…いいよ。歩夢にだって、そう言うことはあるよ。ボクだってついこの前、自分の気持ちを上手く制御出来なくて、歩夢に迷惑掛けたしね。ボクも歩夢も一人の人間なんだから、偶にはそうやって失敗しちゃうんだよ。だからね、お互いに不快に思うことがあったら、そこで全部終わりにしちゃうんじゃなくて、辛抱強く相手と話し合って、時間を掛けて解決しよう。些細なことでも、ちゃんと伝え合って、そうやって思いやりを持っていこうよ。そうすればきっと、ボクと歩夢はずっと一緒に居られるだろうから」

 

 歩夢「…ありがとうな、木綿季」

 

 そして君が俺に贈ってくれた言葉は、とてもとても完成されていた。それはまさしく、二人の人間がともに歩いていく為の絶対解だと思えた。

 やっぱりユウキは、そうやって俺に導きの光を与えてくれるところが、最高にかっこいいんだ。君にそう言ってもらえて、俺が感謝の気持ちを伝え返すと、彼女は大きく両手を広げた。

 そんな君の意向に沿うように、今度は俺がユウキに抱き寄せられる。暫く背中をさすってもらいながら、やがて抱擁を解いた俺達は、お互いに向かい合わせになった。

 するとユウキは、微笑みを浮かべ、俺を見つめながら言うのだ。

 

 木綿季「…ね、仲直りのキス…しよ?」

 

 歩夢「でもそれって、ちょっと安っぽくないか?」

 

 木綿季「そうかもだけど…安っぽく見えてもね、今日は仲直りのキスがしたい気分なんだ。ボクへの愛、たくさんぶつけて?」

 

 歩夢「…木綿季は誘い文句が上手だな」

 

 木綿季「…ん」

 

 そうして俺達は、軽いキスでも深い愛を、お互いの心身で共有した。

 

 

 

 

 




 次回の投稿日は、五月十三日の金曜日となります。

 では、また第173話でお会いしましょう!
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