木綿季「シャワーありがと」
歩夢「おう」
十二月二十五日の朝方、彼のお風呂を借りて身体を綺麗にしたボクは、再びパジャマに身を纏ってリビングルームに戻って来ていた。
暖房が薄っすらと効き始めた部屋の中、お布団の上で座り込んでいるアルファは、ボクの声に気が付くと、携帯から目を離して返事をしてくれた。今日は休日、それ故にボクはお泊りに来たわけだし、こうしてアルファと朝をゆっくりと過ごしていられるのは、ボクにとっては何よりも心地良い時間だ。
しばらく寄り添い合ってから、時間的にも朝ご飯を作ろうと言うことになって、二人で簡単な朝食を用意する。並んで食卓に座って、頂きますを唱え、ボクはアルファと会話を挟みながら、パクパクとご飯を食べ進めていく。
歩夢「なぁ、木綿季」
木綿季「なに?」
もぐもぐ…アルファ目玉焼き上手だよね…もぐもぐ…ボクは醤油派だけど、アルファは塩胡椒派なんだ…。彼の呼び掛けに返事をしつつも、ボクは夢中で朝ご飯を食べ進めていく。
すると彼は、ボクに疑問を投げかけてきた。
歩夢「木綿季って、年末年始どうしてるんだ?」
木綿季「ん~…」
と彼の言葉を聞いたボクは、やはりお箸を動かしながら、しかし頭の中では色々と考え始める。
年末年始、普通の家庭であれば、その時期は家族と共に、或いは両親の実家に帰ったり親戚の集まりに顔を出したりしながら、時の流れに身を任せて、ゆるりとした時間を過ごすのだろう。
でもボクはと言えば、そういう訳にもいかない。ボクには家族はもう居ないから、一家でのんびりとした時間は過ごせない。かと言って、ボクの大事なお家を勝手に売り払ったパパのお姉さんとは顔も合わせたくない。だから親戚の集まりには行くつもりはないし…と言うか、そもそも呼ばれるかどうかも怪しい。ボクの病気が治ったその時だって、様子を見に来てくれた人はほとんどいなかったのだから。
となると最後の選択肢は、おじいちゃんおばあちゃんのお家に行くことだけど…母方の祖父母は、祖母が既に他界しており、祖父は介護施設に入っている。父方の祖父母は、こっちは祖父が他界していて、でも祖母は元気に暮らしている。
ボクの病気のせいで、おばあちゃんと一緒に過ごす時間は長くはなかったけど、パパのお姉さんみたいに特段仲が悪い訳でもない。だけどおばあちゃんも親戚の集まりに顔を出すだろうから、やっぱりパパのお姉さんに出くわしちゃう…。
つまりは、ボクに残された選択肢は、家で大人しくで冬休みを過ごしつつ老人ホームに顔を出しにいく…ぐらいだろう。考えをまとめたボクは、お味噌汁を啜ってから、彼に答えた。
木綿季「…ボクはあれかな。お家でゆっくりしてるよ」
歩夢「え?親戚の集まりとかは?」
木綿季「パパのお姉さんが居るだろうから、ボクはゼッタイ行かないよ」
歩夢「あ~…」
恐らくアルファも、あの性悪女のことを思い出したのだろう。「そりゃ仕方ないよな」といった感じの声をあげててくれた。
アルファは年末年始になったら、去年と同じように帰省するだろうし、暫くは本当の意味での一人暮らしをしなきゃいけない。でも、数日間彼に会えなくなるからと言って、去年みたく心のタガが外れたりはしないだろう。今のボクには時間がたっぷりとある。焦る必要はないからね。
そんな会話を交わしているうちに、ボクは朝ご飯をぺろりとたらい上げてしまった。両手を合わせてご馳走様と唱えてから、ボクはコップの水に口をつけた、その時だ。
彼は恐ろしいほどに何気ない様子で、ボクにこんなことを言ったのだ。
歩夢「そっか。じゃあさ──」
歩夢「──俺の実家に、一緒に帰らないか?」
木綿季「…んぐっ!?……け、けほっ…けほ…」
瞬間、喉の動きに異常が生じた。想像することさえ出来なかったアルファからの一言によって、送られてきた水分を取り入れるべく収縮を繰り返していた喉仏が、一気にきつく締まる。そうなると含んだ水が行き場を失い、気管へと入り込んでくるのだ。驚きと息苦しさで溢れ返った胸から、詰まった呼吸が漏れ出した。そんなボクを見たアルファは──。
歩夢「だ、大丈夫か!?」
──アルファの頭こそ大丈夫かなぁ!?
彼からすれば、ボクが突然むせ始めたように見えたのだろう。ポカンとした様子でボクの身体を心配してくれるけれど、ボクからすればアルファの方こそ心配すべきだと思えたのだ。口からそんな叫び声が飛び出そうになるも、咳き込んでいるお陰で胸の中に留まってくれる。
暫くした後に、ふぅーと息を落ち着かせたボクは、それでもまだ大きく揺れている胸の鼓動に意識を傾けながら、取り敢えず訊ね返してみることにした。
木綿季「…ごめん、もう一回言ってくれるかな?」
歩夢「え?いや、俺の実家に来ないかって」
木綿季「…」
やっぱり、ボクの聞き間違えじゃなかったみたいだ。アルファは確かに、ボクを実家に招き入れようとしている。
…うん、一旦落ち着こっか。アルファは当然みたいに言ってくれてるけど、お正月にボクを実家に呼ぶ意味、ちゃんと分かってるのだろうか。両親にご挨拶に行くなんて、それはもうそう言うことなんだよ?後戻りは出来ないんだよ?
まぁ実際のところ、アルファがどこまでその行為の意味を考慮してくれているのかは分からない。でも一般的に考えればそういうことだ。少なくとも、まだ見ぬアルファのご両親はそう考えるはずだ。
で、でも、ボク達はまだ高校生なんだよ!?ちょっと気が早いって言うか…あ、でも、アルファはもう十九歳か。早ければ働いててもおかしくない年齢だし…普通…なのかな…?
とボクが、君との朝ご飯でまったりとしていた頭をフル回転させ、重要なことから下らない妄想までを次から次へと入り交えていると──。
歩夢「あ、都合が悪いんなら、全然断ってくれていいんだ」
ボクがあんまり無言でいるものだから、断り辛くて困ってるとでも思ったのだろう。アルファが慌ててそう言ってくれるけど、ボクは即座に言葉を返す。
木綿季「ううん、大丈夫だよ。おじいちゃんには、この前顔出しに行ったばっかりだからね。…でも、ホントにお邪魔しても良いの?」
正直な話をすると、ボクはアルファの実家に行ってみたい。なんでかって言えば、ボクが知っているアルファは、あくまでもSAOで出会ったその時からのアルファだけだから、っていうのが一つの理由だ。昔のことを話には聞くことはあるけれど、実際にアルファが生まれ育った町がどんなところで、ご両親やお姉さんはどんな人で、当時の彼がどんな感じだったか…と言うのは、余り知らないのだ。
それに、将来的にはアルファと…だなんて本気の本気で考えちゃってるボクとしては、ここらでご挨拶に向かうというのも、それはそれでアリかと思った。どうせお正月はなんの予定もなかったし、アルファがオッケーだって言ってくれるのならば、ボクも勇気を出して一歩踏み出そうと思うのだ。
故にボクは、彼の提案を受け入れる素振りを見せたうえで、再確認するように訊ね返したのだ。ボクにとってこれは、間違いなく大きな試練だ。だからボクと同じようにアルファも、この帰省の重さを理解して──。
歩夢「うん、良いと思う、多分。あとで聞いてみる」
木綿季「……」
──ないかもしれない、ね…。っていうか、この適当な感じからして、あんまり重要だと思ってなさそうだよ…。結構軽いノリでボクを実家に引き込もうとしているアルファに気が付いて、ボクは呆れ七割の無言を返すことにした。残りの三割は、大胆な行動を起こそうとしているアルファに対する賛辞だね。
最近のアルファは、かなり唐突だ。それは二人での小旅行然り、今回の帰省のお話然り…でもアルファ自身はかなり綿密に計画を練ってくれているから、もしかしたら、これもサプライズのつもりなのかもしれない。だとしたら大成功だけど。
と言った具合で、突如としてアルファの実家に帰省することとなったボクは、それから残り数日の間、色々な準備に明け暮れたのだった。
そして迎えた当日、十二月三十一日の朝。ボクはアルファと待ち合わせをして、ガラガラとキャリーバッグを転がしながら、新幹線乗り場へと向かったのだ。
新幹線に乗り込むと、次々とスライドしていく景色を横目に長野駅へと向かって、お昼頃に長野県初上陸。駅の近くで山賊焼きだなんて物騒な名前の美味しいチキンカツ?を食べて、そこから更に電車に揺られた。この間、ボクはアルファと色々駄弁ってたんだろうけど、この先のことに囚われすぎて、全然記憶に残っていない。
暫くするとアルファが「ここだ」って言ってくれたから、彼の先導されて駅を降りた。転落事故を防ぐゲートさえ設置されていない一昔前のホーム、販売店も展開されていないもの寂しい駅構内、そしていざ外に出てみれば、閑古鳥の鳴くロータリー、往来する人影も少なくて、そこはまさしくド田舎と呼ぶに相応しかった。
アルファもよく、「住んでた所は田舎だなぁ」だなんて言っていたけれど、まさかここまでとは。いや、都民でなければ、この光景が普通と思えるのかもしれない。ここと比べると、ボクのお家がある場所でさえ大都会のように感じられた。見渡す限りの建物の高さからして、近くに大型ショッピングセンターがある訳でもなさそうだし、恐らくこの地域は乗用車が必須なのだろう。
歩夢「田舎だろ?」
目の前に広がる片田舎な光景に目を奪われているボクに、隣で軽く荷物を纏めただけなアルファが笑い掛けてくる。ボクも小さく頷き返してから、ふと思ったことを問い掛けた。
木綿季「歩夢って初めて東京来た時…どう思ったの?」
歩夢「人の多さと建物の高さにビビった」
なんて田舎人にありがちな感想を頂いたところで、アルファが不意に向こうを指差す。こういうところに住むのも良いなぁと別のことを考え始めていたボクも、それに合わせて視線を遠くに向ける。
すると、ロータリーの奥の方に、ハザードランプを点滅させる黒い大型車を発見した。ボクが目線で疑問を呈すと、アルファはそれに丁寧に答えてくれる。
歩夢「あれが俺ん家の車だな。お迎えに来てくれたっぽい」
木綿季「えっ」
…待って待って待って!?ボクはまだ心の準備出来てないんだって!今日は朝からずっと緊張しっぱなしだけど、流石にもうちょっと猶予があると思ってたよ!?
これからアルファの実家に向かうまで途中に、ボクは改めて覚悟を決めようと思ってたのに…そっか!田舎だから車で移動しないと厳しいんだ!!
想定外のタイミングでアルファのご家族と対面することになってしまったボクは、土壇場であわあわと焦りを募らせ始めた。心臓が痛いぐらいに肋骨を跳ね打ち、全身の筋肉に過剰な力が加わっていく。
だけどアルファは勿論、平気な様子でミニバンへと足を進めていくのだ。恋人のご両親に挨拶するこの尋常ではない緊張感を、アルファに味合わせてあげられないのはすっごく残念だけど、兎に角、ボクはロボットみたいなカックカクの足取りで、彼の後ろを歩いていった。
ボクがぎこちなく足を半分進めた頃には、アルファは既にミニバンに手を掛けており、後部座席のドアをスライドさせる。その時、ガチャッと運転座席のドアが開かれた。それに合わせて、ボクの心もドキンと大きく跳ねあがる。
鬼が出るか蛇が出るか。当然オーガやナーガが出てくるわけもなく、そこから姿を現したのは…美人なお姉さんであった。
木綿季「…」
「ほ~ん…」
歩夢「おい、ニヤニヤすんな」
大きい。お胸じゃなくて、身長が凄く大きい。170センチ後半はあるんじゃないだろうか。その女性は足がスラリと長くて、お尻もしっかり締まっている。顔立ちは大きな切れ長の目が特徴的で、アルファとは対照的にカッコいい感じだ。
髪の色は黒色になってたけど、間違いない。あの人は、ボクがアルファの浮気相手と勘違いしたその人だ。ってことは、あの人はアルファの──。
とそこで我に返ったボクは、デバフが解かれたように軽くなった足取りで、そそくさと二人の近くまで駆け寄った。呆れたようにその人を眺めるアルファを視界の横に映しながら、面白そうにボクとアルファの顔を交互に見やるその美人な女性に…ボクは全力で頭を下げた。
木綿季「こ、こんにちは!ぼ、ボク、紺野木綿季って言います!いつも歩夢君のお世話になってます!!」
歩夢「あ、歩夢…君…?」
──恋人のご家族の前じゃ、礼儀正しく振舞うのは当然なの!!
突然の君呼びに驚き声をあげているアルファに、ボクはそう叫び返したい気持ちでいっぱいだったけど、アルファのお姉さんの前でそんなボロを出すわけにはいかない。と言うかそもそも、ボクはアルファの一個年下だし、君付けで名前を呼ぶのはなんの違和感もないはずである。チラリと横目の視線で目配せすると、アルファは納得いかなそうな表情で小さく頷いてくれた。
アルファがどこまでボクのことを説明してくれているのかは知らないけど、そこら辺も考えるとこの呼び方が最適解のはずだ。頭を下げることをやめて、白いタイル張りの地面から視線をふっと上向けると、彼女は柔和な笑顔を浮かべた。
「こんにちは、木綿季ちゃん。私の名前は、一井一花。年は二十一歳で、歩夢とは姉弟だよ。よろしくね?」
木綿季「は、はいっ!こちらこそよろしくお願いします!」
と物凄く上品な雰囲気を醸し出しながら丁寧に頭を下げられては、ボクもまた同じように頭を下げるしかない。
まさかアルファのお姉さんが、こんなにも御淑やかだなんて…。これ程の自然体で丁重な対応が出来るのは、ボクの知る限りだとアスナぐらいだ。いや思い返してみれば、確かアルファと明日奈は遠い親戚だったはずだ。それを知らされた時は天地がひっくり返るかと思うぐらいに驚き通したんだけど…兎に角、ならばアルファのお姉さんは、アスナと似たようなタイプなのかもしれない。
なんて風に思っていたのも束の間、そんな気品溢れるお姉さんの様子を見て、何故だかアルファはげんなり顔を浮かべていた。
歩夢「…姉貴、そのお嬢様モードやめろ。中身を知っている人間からしたら、マジでキツイから」
木綿季「?」
姉「歩夢?急にどうしたのかな?お姉ちゃん、いつも通りでしょ?」
歩夢「あとで化けの皮が剥がれた時が大変だろ」
姉「……それもそうか…」
あくまでもニコニコを絶やさないお姉さんが、心底呆れ顔のアルファと言葉を交わし合うこと数回。ふんわりとした雰囲気を、ふっとその身から消し去った。これまでの様子とは一転して、豪快な笑顔でボクを眺めてくる。
姉「ごめんごめん!ちょっと弟の恋人の前で良い恰好しようとし過ぎたな~。ま、私はこんな適当な感じが素やから、よろしく~」
木綿季「え、あ、よろしくおねがいします…」
姉「んじゃ、家まで連れてくから車乗ってな」
歩夢「姉貴はこんな感じだから、そんな固くならなくても大丈夫だぞ」
木綿季「う、うん…」
余りにギャップが激し過ぎる。ボクはその緩急に振り落とされてしまい、曖昧な返事をすることしか出来なかった。
アルファと並んで後部座席に座って、暫くお姉さんの運転で街を移動していく。道中に映る景色は、畑や田園が広がっている中にぽつんと家が建っていたリ、意味の分からない所に全国規模のチェーン店が展開していたりと、この上なく田舎あるあるのものであった。
姉弟で再会するのは久しぶりなのだろう。二人はあれやこれやと絶え間なく会話を重ねていて…でも、ボクはそれに立ち入ることが出来ず、茫然と窓の外を眺めるしかなかった。雰囲気的に見ても、二人は仲の良い姉弟なのだろう。まぁ、弟のことハグしちゃって、アルファもそれに満足してるぐらいだから、それは前から分かってたんだけど…。
姉「この前歩夢の傍に居たん、女の子やったんやね。ゆうきって言うからてっきり男の子かと思ってた」
歩夢「まぁ、そう言うことだな」
木綿季「…」
「確かにユウキって、どっちの性別でもありそうな名前ですよねー!」
だなんて感じですんなりと会話に入り込みたい。でもそれが中々厳しい。そんなこと言ったら、お姉さんにどういう風に思われるかが気になって言葉に出来ない。結局、ボクは何も言えずに、赤信号で止まったまま、歯痒い思いと共に心の中で相槌を打つのみだ。
するとその時だ。途端に信号が青になった。
姉「因みに木綿季ちゃんは、実際には歩夢のことなんて呼んでるん?」
木綿季「じ、実際っ…?」
どうしてそれを悟られたのだろうか。やっぱりさっきのアルファの反応が訝しかったのだろうか。まぁなんにせよ、誤魔化すべきかホントの事を伝えるべきなのか…とボクが板挟みになっていると、お姉さんが続けて言ってくる。
姉「あんまり取り繕わん方が良いで。あとでボロ出た方が厄介になるから」
歩夢「それ俺の受け売りな」
もしかせずとも、ボクとアルファ並みに息ピッタリなんじゃないだろうか。お姉さんのアドバイスにアルファはしっかりとツッコみを入れるのだ。
じゃあ本当の呼び方を教えないとと、お姉さんの助言に従って言葉を発しようとしたその時だ。ふと、ルームミラー越しに、アルファとよく似た笑顔を浮かべるお姉さんと目が合う。
姉「それに…家族はみんな目光らせて木綿季ちゃんの品定めしてるから、自然体じゃないと評価ポイントが低くなったり…」
木綿季「!」
お姉さんがねっとりとした言い方で放つその言葉は、ボクを会話に参戦させるには充分過ぎるほどに、強烈なものであった。
それだけは避けなければならない事態だ。幾らアルファをボクの虜に出来たって、ご家族に嫌な顔されてしまえばそれまでになる恐れだってある。一応お正月に実家に招かれたと言うことは、一次選考は突破できたんだろうけど、ここで株を落とすわけにはいかないのだ。
木綿季「え、えっと、普段は普通に歩夢って呼んでます!」
姉「ほうほう、木綿季ちゃんは素直と…」
歩夢「あんまりイジメて差し上げるな。木綿季、そんな気にしなくていいからな?」
木綿季「大丈夫だよ、歩夢。ボク、頑張るからね!」
姉「更に健気と…」
完全にお姉さんの思惑に乗せられているボクが、意気揚々と呼び名を答えると、アルファは優しくボクを心配してくれる。でもここが一つ目の頑張り時だと思ったボクは、隣に座るアルファに胸を張って言葉を返しておいた。お姉さんはブツブツと言葉を唱えていたけど、これは別に点数稼ぎとかそういうつもりじゃない。これがボクの本心だからね。
そうして車で移動を続けること更に数十分、幹線道路から次第に脇道を進んでいくと、いつの間にか山間の住宅街に突入していた。その住宅街の中でも、山…と言うよりは、もう目の前にあり過ぎて森の間近のエリアに到着する。
アルファがまた「ここだ」と言って指差してくれたのは、黒色がメインで白色がコントラストな二階建ての一軒家だ。お姉さんの慎重な車庫入れが済むと、ボクは忘れずにお礼を言ってから、車を降り立った。途端に、車内の暖房によって温かに保たれていた身体に、乾いた冷気が突き刺さってり、全身がぶるっと震える。
木綿季「結構寒いんですね…」
姉「そっかー、東京住んでたらそう感じるよな~」
あれ以来会話に混じる勇気を手に入れたボクは、こうして少しずつ、お姉さんと言葉を交わし合い始めている。いつかは敬語じゃなくて、普段通りのボクで接せるようにならなきゃ、とまた新しい目標を定めつつ、二人に連れられて玄関の方へ向かって行くのだけど…。
歩夢「滅茶苦茶緊張してるだろ。そんなビビらなくていいって」
姉「うんうん、木綿季ちゃんがどんなに失礼なことしても、流石にすぐにその場で追い返したりはせえへんやろうから」
歩夢「だからやめろって。木綿季が怯えるなんて相当だからな?」
姉「はいはい、木綿季ちゃんが可愛すぎてちょっとな?」
そんな二人のやり取りにまた入っていけなくなるほどに、ボクは本日最高にガッチガチに身体を強張らせていた。
アルファ、お姉さん、幾らこの二人で外堀を固めに行こうとも、やはり本丸の両親を落とせないことには意味がない。でもこの日に備えて色々シミュレーションはして来たし、準備だって怠っていない。今日は普段以上に清楚な服装だし、いつも以上に身だしなみには気を付けてきたし…なんの抜かりもないはずなのだ。
だけども、現実にはいつだってイレギュラーが付き物だ。想定外の場面に出くわしたその時こそが、ボクの真価が試される場面なのだろう。キャリーバッグから手土産を取り出したボクは、アルファにOKサインを出す。
歩夢「お土産なんて無くても良いんだけどな…」
木綿季「こういうのは持ってこなきゃダメなの」
姉「じゃあ、そろそろご対面と行こーか」
ボクとアルファの些細なやり取りを目にして、口元を仄かに綻ばせたお姉さんは、鍵を回してドアノブを引っ張った。
どんな時であったとしても、ドアというものはいつだって平静だ。ドアは変わらずガチャリと音を立てながら動き、アルファに続いてボクが、そしてドアを支えてくれたお姉さんの順番で、遂に玄関口に足を踏み入れた。
アルファはボクに「取り敢えずそこら辺にキャリーバッグ放置しといて」と言ってから、まるでいつもと変わらない様子で靴を脱ごうとする。だけどもその一瞬前に、ダイニングと玄関を隔てるドアが勢い良くスライドした。
そこから姿を現したのは、勿論…。
「おかえり~、歩夢」
落ち着いた声色、でも一方でどこかふわったした雰囲気且つ軽快な足取りで登場したその人は、身長はアルファより一段低くて…ボクよりちょっと高いぐらいかな。その大きな瞳や可愛らしく整った顔からして、アルファはお母さん似の子なのだろう。登場時の一挙一動枯らして、若い頃はさぞかしはねっ返り子…その上ちょっぴり不思議子ちゃんだったに違いない。
「おっ、君が噂の…いらっしゃい」
と含みのある言い方をしてくれたのは、黒縁眼鏡の目つきが鋭い男性だ。身長はお姉さんと同じぐらいで、となるとお姉さんは完全にお父さん似らしい。そしてアルファのお父さんは、ボクに言葉を掛けてくれたのだろう。それに気が付き、こちらも急いで返事をする。
木綿季「初めまして!ボクは紺野木綿季と言います!歩夢にはいつもお世話になってます!」
本当は、ここでも君付けで彼の名前を呼ぶつもりだった。だけどお姉さんのアドバイスに従って、大胆にもボクは呼び捨てを試みたのだ。
すると意外にも、ご両親は眉を顰めたりはしなかった。ボクのことは知らされていなかったのか、「木綿季ちゃんか。よろしく」とお父さんは言葉を返してくれる。そのタイミングで、右手に握る包みを手渡しておいた。
木綿季「これ、良かったら食べて下さい」
母「ありがとう。気が利くのね」
父「今から簡単なお茶準備するから、どうぞ上がって」
木綿季「はい、お邪魔します」
やった!気遣い出来てるって褒められちゃった!
と純粋に心の中でガッツポーズするのと同時に、こんなのは出来て当然のことだよと、改めて気を引き締め直す。
取り敢えずキャリーバッグは玄関に放置させてもらって、靴を脱いでお客さん用のスリッパに足を通した。アルファとお姉さんに続いて扉を潜ると、遂に彼の実家の内装を目にする。
外壁とは一転して、部屋の壁紙は綺麗な白色がメインだ。視界の下には滑らかなフローリングが広がっており、左手にはキッチン、眼前には木製の大きな食卓テーブル、そして右手には明るい鼠色のソファで隔てるようにして、ゆったりとしたリビングルームがある。窓は全体的に大きく、そこから外に広がる豊かな自然が見て取れた。
リビングの近くには襖があるので、その先が和室だろうか。リビングとダイニングの真ん中あたりにある階段を登ると、個室が三つほど並んでいる短い廊下に出た。そこを右に進んで行くと、そこが洗面所及び脱衣所、そしてお風呂場のようだ。
洗面所で手を綺麗にして再び階下に戻って来た頃には、長方形の食卓の上に、ちょっとしたお菓子とお茶が準備されていた。椅子に座るようお母さんに促されたので着席。この食卓は四人掛け用である為、奥からお父さん、お母さん、お姉さん、アルファが順番に並んでいて、ボクは王様ポジションに座らされた。右斜め前にはアルファが居てくれるのが心強いけど、両端からこうもご家族に眺められては、ボクとしても緊張するところがある。
ご両親から軽く自己紹介をされ、ボクは硬く頷き返すことしか出来ない。アルファやお姉さんは用意されたお菓子に手を出しているけれど、ボクはこういう時、どうすれば…。
母「木綿季ちゃんは、何歳なのかな?」
ビクッ!!突然の質問に、ボクの肩が跳ね上がった。神経をこれでもかと張り詰めていたせいか、一瞬自分の年齢も分からなくなる。だけども瞬時にそれを思い出し、出来るだけハキハキと答えた。
木綿季「えっと…ボクは今、十八歳です。来年には十九歳になります」
父「じゃあ歩夢の一個下ってことか…」
姉「実家に連れて帰って来るってことは、やっぱり二人は付き合ってるん?」
木綿季「は、はいっ、お付き合いさせてもらってます」
父「どれぐらいの期間だ?」
木綿季「…もうすぐ三年です」
…どういうことなんだろう。アルファは、ボクと恋人関係であることさえしっかりと伝えていなかったのだろうか。アルファとは恋愛関係を結ばせてもらっていることを伝えると、家族は皆やっぱりかと得心した様子であった。
続いてお父さんから質問が投げ掛けられるも、その眼付きの鋭さ故か、なんだか睨みつけられているように思えてしまう。若干萎縮しながら答えると、「学生にしては長いな」と褒め言葉なのか皮肉なのかどっちとも取れる言葉が頂けた。
お姉さんは元気よく、「あんたもやるやん!」とアルファの背中をバシッと叩いてたけど…お父さんの様子からして、もしかしたらボクは、招かれざるお客さんなのかもしれない…と不安心が芽生え始める。
そんな中、またもお母さんが口を開いた。
母「あっ、三年ってことは…」
木綿季「そうです。…ボクは歩夢と、ソード・アート・オンラインって言う名前のゲームで知り合いました」
ゲームの中で出会い、そして恋愛関係に至る。最近の世の中では増えてきた事例だけど、世間的には余り良い印象を持たれていないと言うことぐらいは、ボクも分かっている。だからこれを話してしまえば、一気に嫌悪感を抱かれるかもしれないと危惧していた。
でも想定外にも、ご家族は「へー!」と驚きはすれども、向けてくる視線を変えてくるようなことはなかった。
母「それなら、付き合い始めたのはその間?」
木綿季「はい、ゲーム開始から二年目の時期にお付き合いを始めました」
父「ゲームの中で出会ったのはいつ頃かな?」
木綿季「ゲームに閉じ込められて、約一か月後です。そこからは一緒に行動してました」
姉「じゃあもう四年ぐらい一緒に居て、付き合ったのはその一年後なんや~」
出会って四年、付き合ってあと数か月で三年。それはまずまずの印象であったのか、ご両親は感心したように頷いてくれた。お姉さんはニヤニヤとアルファに笑い掛けていて、彼は大層面倒臭そうな顔のままカステラを口に運んでいる。
とボクもその頃には、かなり緊張も解れていた。温かい緑茶を口にしながら、お菓子も少しだけ頂いている。なのに、その質問を区切りに、突如として場に静寂が訪れたのだ。
…何か失敗してしまっただろうか。リラックスしかけていた身体が、また一気に固まっていく。無言の時間が長すぎて、この暖房の効いた部屋でもそろそろ冷や汗が垂れてきそうになっていたその時だ。お父さんの固く結ばれていた口が、遂に動いた。
父「…木綿季ちゃん。悪いけど…ちょっと、席外して貰えるかな?一花、木綿季ちゃんを連れてどっかに行ってくれ」
その決定的な一言に、ボクは言葉に詰まった。一方ガタッと椅子から飛び上がったのは、右斜めに座って居たアルファだ。彼は大層不機嫌そうな表情でお父さんに言い返した。
歩夢「は?なんでだよ?」
母「歩夢と二人で話すべきことがあるからよ」
父「そう言うことだ」
歩夢「…分かった」
しかし対するお父さんも、そしてお母さんも極真剣な表情で言い返した。さっきまでのふんわりとした雰囲気はどこへ行ったのか、その様子を受けてボクは固唾を吞むばかりだ。
姉「良いけど…どんぐらい?」
父「三十分ぐらい」
姉「了解。じゃ、行こっか」
木綿季「は、はい…」
そうしてボクは、アルファの実家を訪れて僅か三十分足らずで、その場を追い出されてしまった。
次回の投稿日は、五月二十一日の土曜日となります。
では、また第178話でお会いしましょう!