──ユウキを実家に連れて帰る。
俺は何も、それを全くの無計画で提案したわけではなかった。ユウキは現状、天涯孤独の身だ。これは自明の理であることだが、家族が居なければ、お正月は物寂しい。だったら、ユウキを俺の実家に来てくれれば、彼女は三箇日に寂しい思いをすることはないだろうし…そのついでと言ってはなんだが、親父や母さんにユウキを紹介できる。ならば、最終的には誓いを立てて一緒に暮らしていけたらなぁー、と思っている俺としては、この機会を利用しないわけがないだろう。
という風に、単にユウキのことを想って、且つ俺の算段も交えつつ、俺と来るよう勧めた訳である。無論、ユウキが親戚の集まりに行かなければと言うのであれば、俺も無理に連れてくるつもりはなかった。だがユウキによると、親戚の集まりは顔を出したくないとのことだったので、彼女を連れて帰ることに決定したのだ。
そしてユウキから了承を得たその日、俺は母さんに電話した。その時の会話内容は、確かこんな感じであったはずだ。
「あー、母さん、久しぶり」
「ん、本当に久しぶりね、歩夢。もっと連絡してくれても良いんだけど?」
「うん、ごめんごめん。気を付ける」
「それで、今日はどうしたの?今年は帰ってこないとか言うんじゃないよね?」
「いや、帰るには帰るんだ。でも…ちょっと、一緒に連れて行きたい人が居てさ…」
「つ、連れて行きたい人…!?あ、歩夢…まさか…」
「まぁ…で、連れて帰っても良いか?」
「……良いでしょう。父さんと一花には伝えたの?」
「まだだな」
「じゃあ母さんから伝えておくわ」
「ん、ありがと」
その後姉貴からは「詳細な説明求む」との趣旨のメッセージを何十件も送られてきたりしたが、それは適当に躱しておいた。
そうして帰省当日、母さんからユウキを連れて帰る了承を得た俺は、彼女と共に故郷長野県にまで足を運んでいた。
ユウキはその日、朝から少しばかり緊張している様子であったが、まずは姉貴とご対面した瞬間、それはもうこれまでにないぐらいにガチガチになっていた。あの普段は元気いっぱいなユウキが、全く会話に入って来なくなるほどだ。相当だろう。
なんの打ち合わせもなくいきなり歩夢君などと呼ばれたその時には、俺もかなりの衝撃を受けてしまったりもした。まぁ結局、それ以降はいつも通りの呼び名に戻してくれたので、俺も奇妙な感覚に陥らずに済んだのだが。
実家を訪れてからも、ユウキはどこまでも緊張していて、でも俺と出会ったばかりの頃とは違って丁寧語をしっかりと使いこなせていて、俺は無言ながら彼女の成長に胸を打たれていたことは、恐らく緊張で周りが見えていないユウキには伝わっていないだろう。
だがその時だ。突如として、親父がユウキを追い出そうとしたのだ。勿論、「なんのつもりだ」と俺は怒りを露わにしたのだが…何故か母さんまでもが親父に同調する。そしてユウキは姉貴と共に家を出て行き、現在、俺は親父と母さんと面と向かっていた。
がしかし、残された三人、その誰もが何も話そうとはしない。重苦しい沈黙だけが、ただその場を支配していた。
…ユウキはまだなんのボロも出してないし、悪手を打った訳でもない。キャリーバッグを持たせてはいないし、本気でユウキを追い出すつもりではないだろうが…何故、このタイミングで俺だけにする必要があるのか。
俺が二人の内心を推し量れないでいると、遂に親父が、重々しくその口を開いた。
父「歩夢…お前は、どういうつもりであの娘を連れてきたんだ」
親父の眼光は、いつになく険しかった。父親がこんなにも大きく見えることは、これまでにあっただろうか。俺はごくりと固唾を吞まされる。続けて母さんもまた、俺が見たことないほどにキッとした目つきで、こちらを見据える。
母「私達は駆け落ち身分だから、あんまりとやかく言うつもりはないけど…駆け落ちしたからこそ、厳しい部分はあるわよ」
…なんだ?二人はユウキのことを認めてくれていないのか?だが少なくとも、ユウキが決して悪い人ではないことは伝わっていたはずだ。俺は二人に負けない真剣な表情で、切り返すように言葉を返した。
歩夢「俺は、親父と母さんに木綿季を紹介したくて──」
父「本気か?お前は本気であの娘を紹介しに来たのか?」
歩夢「んなん当たり前だ!遊び半分で連れて帰って来るわけないだろ!」
まさか、二人に限ってユウキを否定するつもりじゃないだろうな。
俺の言葉に重ねて問い掛けてくる親父の様子を受けて、脳裏にその可能性を過らせる。それを思うと、焦りと、そして同時に若干の腹立たしさを感じずにはいられない。感情のままに少々声を荒げるも、二人は全く動揺しなかった。いつものふざけた様子もなく、冷静に言葉を繋いでくる。
父「確かに、出会って四年で付き合って三年、次のステップを考えるには、充分な時間を一緒に過ごしてきたんだろう。だがな、お前はまだ高校生だ。大学に進学するつもりだってあるんだろう?果たして、多くの誘惑がある中で、あの娘をずっと大事にしてやれるのか?」
母「これから一年、更に大学の四年間。計五年の間に、木綿季ちゃん以上だって思う人が現れるかもしれないのよ。そうなったらどうするつもりなの?ちょっと急ぎ過ぎじゃない?学生カップルなんて、すぐに破綻するものじゃない」
父「金は?財政はどうする?お前はあの娘を支えていけるほどの財力を身に付けられるのか?あの娘を不幸にしないだけの保証はあるのか?」
歩夢「…」
…なるほど。どうやら認められていないのは俺の方らしい。
こんな早い段階で彼女にご両親に挨拶に来させて、後になってやっぱお前じゃねぇと切り捨てるのではないかと、二人はどちらかと言うと木綿季の方を心配しているのだろう。俺が彼女を一生愛していられるのか。貧困に喘ぎ苦労を掛けさせないのか。言わば、俺に確かな覚悟があるのかを、二人は本気で訊ねにきていた。
だが、そんな決意は、もうずっと前から出来ている。確かに、その意志を間接的にとは言え言葉にしたあの当初は、それはもっとあやふやで不安定なものだったかもしれない。だけど今の俺には…。俺はこの熱い想いを伝えるべく、確かな眼差しで二人を見据えた。
歩夢「俺は…木綿季に、一生を捧げる心積もりがある。木綿季はずっと俺の前を歩いてくれた。それだけじゃない。いつだって俺の傍に居てくれたし、俺が挫ければ必ず手を差し伸べてくれた。俺はそんな木綿季の強さと優しさに惚れ込んでて、誰よりも愛している自信だってある!この想いは安いものじゃない!俺は木綿季と、二人で愛を育んできたんだ!!だから──」
母「気持ちは、固いのね?」
心に抱くユウキへの気持ちを、俺は惜しげもなく二人に曝け出した。今は恥ずかしさなんて感情は置き去りにして、兎に角、俺のあらん限りの想いを伝えようとしたのだ。
しかし、俺が最後まで言葉を続けずとも、二人には充分俺の気持ちは伝わった…からこそ、母さんがストップを掛けてきたのだと、俺は信じている。母さんの最後の問い掛けに、俺は深く、大きく頷いた。
途端だった、今にも爆発しそうだった風船が一気にしぼんだのは。ピリピリと張り詰めていた空気が、急激に大きく緩まる。気が付けばいつも通りの微笑みを浮かべていた二人は、いきなりこんなことを言ってくるのだ。
母「じゃあ、家族ぐるみで木綿季ちゃんのこと囲っちゃおうかな~」
父「歩夢、よくあんな可愛い子見つけてきたな。父さんもあんな可愛い子がお嫁さんだったら──」
母「なに?私じゃ不満?」
父「い、いえ、滅相もございません」
歩夢「…」
…幾らなんでも切り替えが早すぎる。さっきまでの緊迫した様子は何処に逃げてしまったんですか。と言うか、家族ぐるみで囲うってなに?具体的にどんなことするつもりなんだ。おい親父、ユウキは絶対に渡さんぞ…等々、緩急が激しい二人についていけなかった俺は、殴り書きするように頭に色々な言葉を浮かべる。
がしかし、それらのツッコミを後回しにしてまで、俺は一番訊ねたいことを口から零した。
歩夢「えっと…良いのか…?」
父「あぁ、歩夢の覚悟は伝わってきたからな。一番大事なのは、相手を大切にする気持ちだ。それがあるなら、父さんからはもう何も言うことはない」
母「そもそも、実家に連れてきてそこまで考えてられないようじゃダメだったんだけどね。母さんもひとまずは認めてあげる。木綿季ちゃんも良い子なんだろうけど、万が一歩夢が見抜けてないだけで相当悪い子だったらしたら、可愛い我が子の為に心を鬼にさせてもらうかな~」
歩夢「その点については心配しなくていいぜ。木綿季は滅茶苦茶良い子だからな。良い子過ぎるぐらいに」
…良かった。親父と母さんみたいに、駆け落ちしなくて済みそうだ…。
二人から前向きな言葉を聞けた俺は、一気に心の重荷を下ろす。母さんはまだ嫌な可能性を考慮しているようだが、ユウキがどれほどに純情で一途な人であるかは、俺が一番よーく知っている。
ホっと気の楽になった状態で言葉を返すのも束の間、母さんが続けて随分と嬉しそうに言ってくるのだ。
母「やっぱり結婚は大学卒業後すぐなの?そのうち孫の顔も見れたりするのかしら」
父「最初のうちは、ちょっとぐらい仕送りしてやってもいいぞ」
歩夢「あ…そのことなんだけど…」
…孫の顔か。俺と木綿季が情欲に呑まれたら、今すぐに見れるかもしれないぞ。なんて到底ジョークには出来ないし、実際に起こったらどうにもならないことを頭の何処かで考えつつも、親父の言葉を受けた俺は、ふとそのことを思い出したのだ。
少し曖昧な言葉を繋ぎながら、バッグのチャックを開ける。実家に持ち帰って来た僅かながらの手荷物の中から、俺は上開きの硬い冊子を取り出した。訝しそうにそれを見つめる二人に、俺は見たら分かると視線で伝えつつ、無言で差し出す。
母「こんな銀行手帳、作った覚えはないんだけど…」
そう言いながらページを捲った母さんは、見事絶句。そしてそれは、続いてなんだなんだと横から覗き見た親父にも伝播した。暫し目を丸くして見つめ合っていた二人だけども、ようやく、親父が恐る恐ると言った様子で俺に問い掛けてきた。
父「…なんだ、この大金は…?」
歩夢「話すと長くなるんだけど…実は──」
そうして俺は、半年前ぐらいから世間に台頭しているエイズ特効薬が、なんと俺の血液で出来ていること。それを発見した病院の先生と連携して、その売上金の一部を受け取っていること。その銀行手帳に記載されている数字は、全てそこから得た収入であることなどを、出来るだけ簡潔に伝えた。
二人は口を閉ざしたまま俺の話を聞き続けていたけれど、それはさっきまでのピリピリとした沈黙ではなく、唖然としたが故に生まれたもののように見えた。俺が大金の出所などを含む全てを話し終えると、母さんが厳しい表情で言った。
母「歩夢がお金に困ることがないのはよーく分かったけど…こんなこと、家族でも言っちゃダメじゃない!」
父「そうだぞ、歩夢。お金は人間関係をあっけなく捻じ曲げる。こういうことは自分だけの秘密にするべきだ」
歩夢「じゃあ親父と母さんは、俺が金持ちだって分かって接し方を変えてくるわけ?」
父「それはない。父さんたちはよく出来た人間だからな。だが他の人には決して言うんじゃないぞ」
母「お金の使い方、荒くなってるんじゃないでしょうね?」
歩夢「大丈夫大丈夫」
母さんに加えて親父まで、俺を諭すように注意を促してくれる。若くして大金を掴み取った俺を、二人は本気で心配してくれているようだった。
金遣いに関しては…言えない。中古とは言え一軒家を購入したり、木綿季の生活費を負担してるなんて、流石にまだ言えない。だがまぁ、勿論最初は俺だって、木綿季以外にはエイズ特効薬のことを話すつもりなどなかった。
がしかし、家族に黙って不労所得を手にした生活を送っているうちに、ある一つの問題が浮上してきたのだ。それとはつまり…。
歩夢「ってことで、充分にお金が入ってくるようになってからの仕送りの分、ちゃんと返すから」
そう言うことだ。俺は充分自分の力で生活していけるようになったのに、俺が単なる一学生であると思い込んでいる二人は、汗水垂らして手にしたお金の一部を、俺の一人暮らしの為に割き続けている。それが大問題であったという訳だ。
親に無駄な苦労を掛けていると思うと、俺の胸も締め付けられるように苦しかった。だからこそ、金持ちになったことを伝えれば、親子関係にヒビが入るリスクを理解しつつも、俺は今日この話を持ち出したのである。
俺の言葉を聞いた二人は、納得したように頷き合わせていた。そして親父が俺に言葉を返してくる。
父「いや、返さなくていい」
歩夢「え?」
そして耳に飛び込んできた親父の一言に、俺もまた疑問を返してしまった。しかも、隣に座る母さんまでもが親父の意見を肯定しているではないか。流石にそう言われるとは想定外だった。俺の想像としては、二人はお金が返って来ることにもっと喜んでくれると思ってたんだけど…そういう訳じゃないらしい。
父「父さんたちは、別に生活に困ってるわけじゃないからな。それに、勉学に励む子供に仕送りをするのは当たり前みたいなものだろう。幾ら歩夢がお金持ちになったとしても、お前はまだまだ学生なんだ。大学卒業ぐらいまでは仕送りも続けるから、お金は返さなくたっていい」
母「そのお金は、万が一の時の為に大事に取っておくとか、歩夢と…木綿季ちゃんの為に使いなさいね?」
と二人に言われてしまえば、俺も頷くより他なかった。大金を目の前にしても、何も迷うことなく我が子のことを考えてくれる二人には、本当に頭が上がらない。
俺の覚悟の程を試されたり、親心をこれでもかと発揮されてしまって、俺は生まれて初めて、両親の偉大さというものを真に理解できた気がした。
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姉「さて、今からどうしよっかー」
木綿季「ええと…」
姉「木綿季ちゃんはどっか行きたいとこある?」
木綿季「行きたいところ、ですか…」
姉「あっ、ここ来るの初めてやもんな。土地勘なんてないか。ん~…近くのたい焼き屋さんかなぁ…木綿季ちゃん、たい焼き大丈夫?」
木綿季「は、はい、寧ろ好きです」
姉「んじゃ、車で行こっか」
突如としてアルファの実家から追い出されたボクは、玄関先にて、お姉さんと二人きりの状況となってしまっていた。
ボクとお姉さんの橋渡しをしてくれていたアルファが不在の今、ボクはまた会話に困ってしまう。当然、ボクは距離感が分からないのだ。誠実さと親密さのどちらに比重を偏らせればいいのか、一ミリたりとも分からない。どんな会話を繋げようかと目まぐるしく頭を働かせているうちに、お姉さんの意見に流される形で、たい焼き屋さんに行くことが決定した。
再び車庫から車が動き出し、ボクもそれに乗り込む。お姉さんに助手席に座るよう促されたので、断れるわけもなく隣に座らせてもらった。フロントガラスに映る住宅街が過ぎ去っていく中、ボクは無言、無言である。
流石のお姉さんも、ボクと二人きりになるのは想定外だったのか、さっきまでみたいにたくさん話し掛けては来ない。時折会話を振ってくれるものの、ボクはそれを上手く繋げない。
姉「…やっぱりさ、緊張してるん?」
木綿季「…そう、ですね…やっぱり緊張しちゃいます…」
姉「そっかー…歩夢とはゲームの中で出会ったって言ってたけど、どんな感じの出会いやったん?」
木綿季「えっと…ボクが危うくモンスターにやられかけてた時に、助けに入ってくれたんです」
姉「へー!じゃあその時から、木綿季ちゃんは歩夢に惚れちゃったと?」
木綿季「い、いえ、まだその時は、そんなつもりじゃなかったんです。でも…それから一緒に居るうちに、どんどん惹かれていったって言うか…」
姉「じゃあ、告白したんは木綿季ちゃんから?」
木綿季「告白は、ボクじゃなくて、歩夢からしてもらいました」
姉「ほ~ん…歩夢にそんなことが出来たとは…」
お姉さんがハンドルを回しながら話し掛けてくれること数回。ようやく会話らしい会話が成り立ったその頃には、住宅街を抜けてすぐの所にあった小さなたい焼き屋さんに到着する。
車を停めるスペースもない。大胆にも路駐をしたお姉さんは、「はよ行こ!」とボクを急かした。慌ててお姉さんの後ろを付いて行った先では、どうやら、たい焼きのおじさんとお姉さんは知り合いらしい。「随分と年下の友達だな」と、おじさんはボクらにそう言っていた。お姉さんは「友達ではないんやけどね」と、おじさんに言葉を返していた。
そしてボクはカスタードのたい焼きを、お姉さんは餡子のたい焼きを購入すると、また急いで車に戻っていく。餡子を選んだお姉さんもやっぱり、アルファと一緒で和菓子が好きなのかなと思いつつも、ボクらは車の中で熱々でふわふわなたい焼きを食べ始めた。
姉「木綿季ちゃんは、尻尾から食べるタイプなんや」
木綿季「へ…あっ、お姉さんはそういうの知ってるんですか?」
姉「うん、尻尾から食べる人は慎重派。私みたいに頭から食べる人は大雑把」
木綿季「へぇ~、良く知ってるんですね」
確かに、ボクは物事を細かく考えるタイプなんだと思う。分かりやすい所で言えば、アルファが湯水のようにボクにお金を使おうとするのを止める所とかだろう。普段は明るく元気よく、そんなボクだけど、大事なこととなると、一転して凄くきっちりと考えてしまう人間だ。
それは良い事なのかもしれないけど、一方そうやって色々考え込んでしまっている間に、アルファに別れを告げたりと、独り善がりな結論を出すことも多々あった。慎重派が性格上大正解ということはないのだろう。
姉「因みに、尻尾から食べる人は絶対に浮気せんみたいやで」
木綿季「頭から食べるお姉さんは?」
姉「基本は一途、基本は」
お姉さんの含みのある言い方に、二人揃って軽く吹き出す。それからはもうお姉さんから質問されるばっかりじゃなくて、ボクも訊ね掛ける側になったりと、行きの違って帰りは、車の中でも会話の時間が増えていった。
これはもう十分に、お姉さんとは仲良くなれたんじゃないかな?絶えない会話を続けていく中で、ボクはそんな風に思わずにはいられなかった。
ちょうどニ十分ぐらいだろう。ボクは再びアルファの実家に戻ってくる。お姉さんがまた丁寧に車庫入れを済ませたので、お姉さんがドアを開けるのに続いて、ボクも運転席側から車を降りる…ことが、出来なかった。
何故だかお姉さんは、すぐに車から降りなかったのだ。助手席側は家の外壁に覆われていて、ドアを開けることが出来ない。だからお姉さんが車から降りない限り、ボクは助手席に座り続けるしかないわけだ。
なんでかな?と思ったところで、その理由はすぐに考え付く。お父さんが三十分と言ったから、お姉さんは律儀にあと十分、ここで待機するつもりなのだろう。なのでボクも、お姉さんとこの場で大人しくしようと思ったその時だった。お姉さんが、クイとこちらに顔を向けてきた。
姉「な、木綿季ちゃん」
木綿季「はい、なんですか?」
そう言ったお姉さんの表情は、これまで通りの見ている人を元気にするような明るい笑顔だった。でも次の瞬間──。
姉「あんた、どうやって歩夢のこと誑かしたんや」
木綿季「え……」
──見る人誰もが凍り付いてしまうような、目力の籠った怖い表情に移り変わっていた。切れ長の目がこれ以上になく表情に迫力感を生み出しており、外敵か害虫を眺めるような冷たく蔑んだような目で、ボクのことを睨み、見下してくる。
固まるボクに対して、お姉さんは抑揚のない…けれども怒気のようなものが混じった声色で続ける。
姉「歩夢はな、これまでに一回も彼女なんて作らんかった。歩夢は恋愛なんかに興味ない男の子やった。なのになんや、いきなり女なんか連れてきおって。普通に考えて有り得へんやろ。なんや、身体か?金か?何で歩夢を陥れたんや」
姉「私ら家族な、あんたのことなんかこれっぽっちも歓迎しとらん。どうせ歩夢の顔とか見て雑に付き合ってるだけやろ。そんなつもりなんやったらあの子に手ぇ出すな。私らは歩夢のこと一生懸命可愛がってんねん。あの子に嫌な思いさせんな」
姉「中途半端な気持ちで来てんねんやったら今すぐ帰れ。私があんたの荷物持って来たるわ。歩夢には適当に言い訳しといたる。そんでサッサと別れろ。ほら、どうすん?」
…怖い。その鋭い眼光から放たれる鋭い嫌悪の言葉が、ボクをいとも簡単に恐怖の鎖で縛り上げた。
ボクは何を勘違いしていたのだろうか。ここに来る前から、もうボクの好感度は最底辺、それどころかどん底のマイナスにまで落ち込んでいたんだ。だからボクが幾ら頑張ったって、それをプラスに持っていくことなんて出来るわけがなかったんだ。だからこうやって、お姉さんに嫌われるのも仕方ないんだ…。
お姉さんが発する強烈な気迫に、ボクは完全に気圧されていた。でも同時に、お姉さんの言葉には僅かばかりの憤りを感じていた。否定したいことが沢山あった。言い返さないと気が済まなかった。どうせボクの印象は最悪なんだ。だったらこの想いをどう叫んだって、これ以上悪化のしようがないんだ…。
ボクはそうやって、お姉さんにたじろぐ自分に、何度も鞭を打ち続けた。ここで伝えなきゃ、もうあとが無い気がした。段々と、胸の奥で燻る火種に薪がくべられて、遂には大きな炎が宿る。それと同時に、勢いに呑まれていたボクも、キッとあらん限りの力でお姉さんを見返した。
そして──想いを爆発させた。
木綿季「…違う!ボクは歩夢と真剣に付き合ってるんだ!確かにボクは、これまでに歩夢にいっぱい迷惑掛けてきたんだと思う…でも!だからこそこれからは、ボクがその分歩夢の隣で支えるんだ!!躓いた時には手を差し伸べて上げて、ボクが転べば手を貸してくれて、そうやってお互いに支え合っていくんだ!ボクは歩夢を本気で愛してるし、歩夢だってボクを本気で愛してくれてる!そこには微塵の淀みもないんだ!!」
姉「…」
ボクはお姉さんの瞳を見据えて、ハッキリと叫び返したのだ。もう敬語なんて使わない。使ってたら伝わるものも伝わらない。ボクが全力でアルファへの愛を剥き出しにすると、ボクを睨みつけたまま黙り込んだお姉さんは──。
姉「合格、やな!」
木綿季「ふぇ?」
その恐ろしい表情をふっと消し去ると、ついさっきまでのような温かい笑顔を浮かべて、元気よくボクにそう言ってくれた。
がしかし、ボクとしては何がなんだかわけが分からない。間の抜けたような返事を返すと、お姉さんは言葉を続けてくれる。
姉「ごめんな、木綿季ちゃん。私、木綿季ちゃんのこと試してたんよ。やっぱりさ、実家に来るってことは…そう言うことやん。でもまだ十八歳やろ?だから遊びのつもりでここに来たんかなって、ちょっと心配やってな」
木綿季「え?え?」
姉「だから、さっきの酷い言葉は許してくれん?心にも思ってないことやから。うちの両親も木綿季ちゃんのことそんな風に思ってるわけじゃないやろうし、万が一そうやったら、私がちゃんと味方してあげる」
木綿季「……よ、良かったぁ~…」
とそこでようやく、ボクはお姉さんの真意を理解する。途端に肩の力を抜いて、へにゃへにゃと座席にもたれ込んだ。
…確かに、言われてみればお姉さんの言う通りだ。ボクはまだ十八歳なんだから、この段階で一生の人を見つけている方が珍しいだろう。お姉さんはお姉さんなりにアルファのことを想って、そしてボクの覚悟の程を確かめるために、こんなお芝居を打ったということなのだろう。
ボクがあんまり気を抜くものだから、お姉さんも申し訳なさそうに笑いながら訊ねてくる。
姉「そんなに私、怖かった?」
木綿季「はい…すっごい怖かったです…」
姉「ん~、弟のこととなると、お姉ちゃんは怖くなっちゃうらしいなぁ~。怖い思いさせちゃってごめんな~」
そしてボクも正直に答えると、お姉さんは優しい笑顔をボクに向けながら…その手をボクの頭の上にポンと乗せた。そしてお姉さんは、ゆっくりと頭をなでなでし始めたんだけど…。
姉「…そんなに気持ち良いん?」
そうして頭を撫でられてしまうと、ボクはその瞳を閉ざして、それを甘受してしまうのだ。意外そうなお姉さんの声が飛んでくるけど、ボクとしてもこうなることは想定外であった。
何もボクは、頭を撫でてもらえるのであれば誰だって良いわけじゃない。そうしてくれるのはアルファだからこそ、ボクは身体を委ねてしまうと思っていた。それに間違いはないのだと思う。だけど…お姉さんの頭の撫で方が、あるふぁそっくりなんだよ…こんにゃの、我慢できない…。
お姉さんが面白そうな目を向けながら訊ねて来るのに対して、ボクは緩んだ表情のまま答えてしまう。
木綿季「そ、それはぁ…いっつも、歩夢にしてもらってるから…」
姉「ほうほう、木綿季ちゃんは完全に歩夢に調教されちゃったんか」
木綿季「そんな言い方しないでください~…」
などと抵抗の意思を示しつつも、その心は既にお姉さんのものとなっていた。もしかしたらアルファは、昔っからお姉さんに頭を撫でられて育ってきたのかもしれない。だからこそ、二人の頭の撫で方が良く似ているのだろう…なんて推測を挟んでおく。
やがてなでなでタイムを終えると、遂にボクらは車を降りた。最初に車を降りた時よりも、距離感は一段と縮まっているだろう。お姉さんがチャイムを鳴らすと、向こうからガチャリとドアが開かれる。そこから一番に姿を現したのは…アルファだ。
歩夢「木綿季、大丈夫だったか?」
木綿季「うん、すっごく楽しかったよ!」
姉「いい義妹ちゃんになってくれそうやったで」
歩夢「そ、そうか…」
物凄く心配そうに声を掛けてくれたアルファには、屈託のない笑顔で言葉を返しておいた。そして再びアルファの実家に足を踏み入れると…。
母「おかえり、木綿季ちゃん」
父「いや、済まなかったな。こっちの都合に合わせてもらって」
木綿季「いえ、大丈夫です!」
アルファのご両親が、ボクを迎え入れるような温かい雰囲気で玄関まで顔を出してくれたのだ。
お姉さんがご両親に「こっちはオッケーやで」と言うと、対するお父さんも「こっちも大丈夫そうだ」とボクとアルファを眺めながら、どことなく意味が分かるような会話を交わしていた。多分、アルファも会話の意味に気が付いたのだろう。ボクとお互いに目を合わせて、少し顔を赤く染めてしまう。そんなボクらの様子を見て、お母さんが笑顔を浮かべてくれた。
これはどうにか、ボクらは認めてもらえたのではないだろうか。確信はないけれど、なんとなく、ボクはそんな風に思えた。
次回の投稿日は、五月二十三日の月曜日となります。
では、また第178話でお会いしましょう!