~SAO with Yuuki~   作:うずつるぎ

182 / 197
第179話 年末年始を君と共に

 「おっ!歩夢!なんだ、帰って来てんじゃん~!」

 

 アルファと仲良く初詣にやって来て、踵を返そうとしたその瞬間、金髪な女の子が、彼を見つけて駆け寄ってきたのだ。

 ナンパなのか許嫁なのか、或いは泥棒猫なのか。ボクにとってはパーソナルスペースとも言えるアルファに急接近してきたその女の子に、言葉に言い表せないようなふつふつとした感情を抱かされる。しかし、ボクがその女の子を敵視し、防衛及び排除態勢に入る前に、アルファがパッと笑顔を咲かせてその子に話し掛けていた。

 

 歩夢「おぉ、莉緒、久しぶりだな!」

 

 その莉緒と呼ばれた女の子は、ボクのことなど眼中にないように、アルファに言葉を続ける。

 

 莉緒「帰ってたんやったら、みんなで一緒に行けたのにさ~!なんで今年は一人…で……」

 

 別に、眼中になかったという訳ではないようだ。彼女はふと、アルファの手元に注目した。当然そこには、君とボクの手と手が重なり合っている。途端に、ゆっくりとボクらを交互に見やり、言葉を詰まらせ動揺を露わにした。

 

 莉緒「え」

 

 歩夢「…」

 

 するとアルファは、バツの悪そうな顔をしながら黙り込むのだ。そこは堂々と、「俺の大切な人だ」って言って欲しいんだけどね~。

 双方は黙り込んだままで、辺りはガヤガヤと喧騒で溢れているのに、この場だけは別の空間として切り離されたみたいだ。その二つの世界を行き来できるのは、ボクだけだろう。彼とついでに彼女をどよめきに連れ戻すべく、ボクはアルファに訊ねた。

 

 木綿季「ね、この子って、歩夢の友達なの?」

 

 歩夢「ん、あぁ…そうだな。コイツは莉緒って言って、同じ中学通ってた友達だ」

 

 ボクの問い掛けで時を取り戻したアルファは、極手短に彼女のことを紹介してくれた。友達だって言うってことは、アルファにそういうつもりはないのだろう。だけども、対する女の子の方はどうなのだろうか…。なんて邪推もいい所の思考を泳がせていると、彼女は少し真剣味の混ざった表情でアルファに訊ね掛けた。

 

 莉緒「…こ、この子は…?」

 

 歩夢「あー…えーっと……恋人」

 

 そしてアルファがぎこちなく答えると、その子はカチンと身体を固めた。でもすぐに硬直から解き放たれると、迫真の表情でアルファに迫り、言った。

 

 莉緒「…歩夢。みんな呼んでくるから、ちょっとそこで待っといて」

 

 そうして超速急で人混みに紛れ込んでいく女の子の姿を、ボクらは無言で見送った。言いつけを守ってその場に佇み続けるアルファに、ボクはまた訊ねる。

 

 木綿季「いつもはみんなでお参りに行ってるの?」

 

 歩夢「そう言うこと。去年まではみんなで一緒に行ってたんだけど…今年はさ、木綿季が一緒だから、ちょっと気まずいかなって思ってな」

 

 木綿季「ボクは全然気にしないよ?寧ろ、お友達は大事にしないとじゃん」

 

 歩夢「そんなら帰りはあいつ等と一緒に帰るか」

 

 木綿季「ん」

 

 そんな感じでその場で待つこと数分。ドタバタと急ぎ足にこちらに向かって来たのは、さっきの莉緒って子を合わせて五人だ。

 長身の眼鏡君に、イケメンと称すに相応しいルックスの男の子、そして筋肉が逞しい男児と凛々しい美しさを放つ女の子は、手を繋いでこちらにやって来る。そのパッと見ただけでも個性の強そうな五人に、アルファはどんな感じで馴染んでるのかな…。

 四人はボクらを認識すると、ほとんど同時に口をポッカリ開けて目を見開く。茫然と視線を固定すること数十秒、ようやく口閉ざした彼らは、と同時に口々に言葉を発し始めた。

 

 莉緒「ほらっ、言ったやん!嘘じゃないって!」

 

 「…いや、え!?遂に歩夢にも春が来たのか!?そう言うことなんだよな!?」

 

 「この前会った時はかなり痩せてたのに…結構身体も鍛えたってことか」

 

 「ちょっと背も伸びてるね~。私よりも随分高くなってる」

 

 「お正月に彼女を連れて帰るってことは、もう結婚も目前なのか…?」

 

 などと次々に捲し立てる彼らの様子を受けて、ボクは圧倒されるばかりだ。対するアルファはと言うと、何故かこちらも、暫しの硬直を強いられている。がしかし彼も、暫くすると五人に向けて口を動かした。

 

 歩夢「待て待て待て!俺はお前らに聞きたいことが山ほど…はないけど!ちょっとぐらいはあるぞ!」

 

 「それはこっちの台詞だぜ!人生初めての春が来たんだったら、連絡ぐらい寄越せよ!このオレの経験則を以てすれば、どんな困難も解消可能──」

 

 歩夢「今は樹の下らねぇ話には興味ないんだ!翔太と日葵!お前らなんで手ぇ繋いでんだ!?…そうか!そう言うことなのか!?」

 

 「それは僕から説明しよう」

 

 「えぇ?なんで亮也が?」

 

 「まぁ、歩夢の想像通りだ。確か付き合って…半年とかだったか?」

 

 「そうだな」

 

 歩夢「お、おぉ、半年か…兎に角、二人共おめでとうな」

 

 「これが今の私の幸せだよ。逃がした魚は大きいからね~…って言いたいけど、歩夢にとってはその女の子の方が良いかな?」

 

 歩夢「え、まぁ…」

 

 莉緒「ハッキリ答えないと、その子が傷付いちゃうよ?」

 

 「でも明言しちゃったら、私も悲しんじゃうかも?」

 

 歩夢「はいはい、お決まりの八方塞がりパターンね…」

 

 嵐。それはまるっきり、吹き荒れる暴風だった。

 樹と呼ばれた男の子は、アルファに興味ないと一蹴されてズーンと落ち込んでるし、何故か第三者であるはずの亮也君は、眼鏡をクイと動かしながら、他人の恋愛事情を語り始める。

 そして翔太と日葵と呼ばれる二人がカップリングであることを、本人たちが了承したんだけど…え?逃がした魚は大きい?それって…そう言うことだよね?ボクは知らず知らずのうちに、こんなに御淑やかな女の子と勝負してたってこと?う~ん、勝てるところはあんまり見つからないんだけどなぁ…。

 なんて衝撃的な真実に、ボクが戸惑いを隠せないでいると、テンション下げ気味だった彼が、気を取り直してアルファに問い掛けた。

 

 「で、だ。歩夢は付き合ってるのか?その女の子と」

 

 すると今度のアルファは、言い淀むことなく確かに答えた。

 

 歩夢「あぁ、そう言うことだ。俺は木綿季と付き合ってる」

 

 そう言ったアルファに合わせて、ボクも軽く自己紹介しておく。

 

 木綿季「紺野木綿季って言います。歩夢とはお付き合いさせてもらってます」

 

 それから順番に、彼らも自己紹介をしてくれた。これがアルファの地元の友達かぁ、だなんて思っていたのも束の間、アルファの友達ってことは、ボクよりも年上なわけだ。一応丁寧語を使っていると、タメ口で良いよと言われたので、そこからはその意向に甘えさせてもらうことにした。

 

 亮也「しっかし、年下の彼女か。歩夢は大人のお姉さんがタイプだって言ってたのにな」

 

 歩夢「タイプなんてコロコロ変わるもんだろ」

 

 や、やっぱりそうだったんだ…。友達に笑い掛けられ、ぶっきらぼうな返事をするアルファだったけど、ボクは手汗を滲ませながらそんな感想を抱かされる。

 だって、アルファは昔っから、年上好みな素振りを醸し出していたのだ。となると、尚更ボクはどうして、大人っぽい雰囲気を放つ日葵と言う女の子に勝利することが出来たんだろう。

 ボクと出会ってからなのか、それともそれよりも以前なのか。彼女がアルファに告白したタイミングは知らないけど、もし前者だとしたら、ボクと一緒に過ごす間に、彼のタイプが移り変わったと言うことなのだろうか。勝負は時の運だって良く言うけど、まさにそう言うことだね~。

 

 樹「歩夢はもう運試ししに行ったのか?」

 

 歩夢「いや、まだだな」

 

 翔太「じゃあ一緒に行くか」

 

 そうしてボクは、彼とその友人たちについていく形で、砂利道をガリガリと踏みしめながら、境内の一角を目指していく。辿り着いたそこには、多くの人々が集っていた。その人混みの合間を縫って前方へと進んでいくと、老若男女問わず、皆真剣になって六角形の木箱をガラガラと揺さぶっている光景が見えてくる。

 新年初の勝負事。それすなわち、おみくじということだ。白と赤の装束を身に纏った巫女さんにお金を払ってから、いざボクらも木箱を手に取って、そこから棒を取り出した。出た番号は十二番。もう一度巫女さんの所へ行って、引き換えの紙を受け取る。

 

 木綿季「どうだった?」

 

 歩夢「末吉だってさ。木綿季は?」

 

 木綿季「ボクはとーぜん大吉だよ!」

 

 歩夢「へー、まぁ、木綿季って感じだな」

 

 木綿季「歩夢も末吉ってことは、後は良くなってくるんじゃない?」

 

 三々五々、彼の友人たちもそれぞれ今年の運勢に一喜一憂しつつも、おみくじ掛けに紙を結んで、神域を後にすることにした。

 どうやらアルファの友達は、結構お家が近いらしい。結局最後の方まで、アルファが友人たちと気兼ねなく話に花を咲かせる様子を、ボクは時折相槌を打ちながらも、眺めているばかりだった。

 だけども、ボクは別に、こんな程度のことで拗ねたりなんかしていない。この分あとでちょっぴり甘えようと思っているだけだからさ。

 寧ろ、昔のアルファってこんな感じなんだーとか、地元の友達の前だとちょっと口調戻ってるんだーとか、ボクと出会う前の…SAOに囚われる以前のありのままの彼を知れた気がして嬉しかったぐらいだ。

 

 今日一日で、ボクは出会う以前のアルファを沢山知ったわけだけど、知れば知るほど、アルファは普通の男の子だったんだなって、ボクはそう思う。だけどそれが変わってしまったのは、きっと、SAOに巻き込まれ…普通じゃないボクと出会ってからだ。

 その変化の良し悪しは、きっと誰にも分からない。得たもの、失ったもの、色々あると思うから。その内の一つが、自意識ってものなのだろう。ボクもアルファも…ボクらだけじゃない。アスナ達だって…あの世界をただ一つの現実として生きた以上、お互いに、ユウキでありアルファであるという意識は消えることはないのだと思う。

 ボクの生活が現実世界に戻ってきて以来、アルファは歩夢の、そしてボクは木綿季の比重が大きくなってきているけど、アルファとユウキが居なくなったわけではない。心の奥底では、ボクは歩夢をアルファだと認識しているし、アルファもまたボクを、ユウキだと認識しているのだと思う。

 でも、それで何か困ったことがある訳じゃないし、そもそもこれは、これまでのボクらを形作ったアイデンティティみたいなものだから、このままで良いんだと思うな。

 

 歩夢「悪いな、付き合わせちまって」

 

 木綿季「ううん、全然平気だよ。ボクも楽しかったからね」

 

 そうして、日葵ちゃんのお家の前で、翔太君ともお別れをしたボクらは、久しぶりに二人きりになる。途端にアルファはそんなことを言ってくれるので、ボクも本心からの言葉を返しておいた。

 行きしなの粉雪とは違って、徐々に強く吹雪き始めた世界は、急激に世界を凍てつかせていく。だけどその分、君から与えられる温もりが、一層心地良く感じられた。

 そうこうしていると、本当にすぐに実家に戻って来られた。一花お義姉さん達も帰宅していたみたいで、インターホンを鳴らすとガチャリとドアが開く。アルファと一緒に玄関口に踏み入ると、身体に纏わりついた冷気が、一気に溶けていく。

 洗面所で手を洗ってから階下に降りてくると、眠たそうにテレビを眺めるお義母さんに言われた。

 

 母「木綿季ちゃんの荷物、歩夢の部屋に移動させておいたよ~」

 

 木綿季「あ、わざわざありがとーございます」

 

 お義母さんにお礼を述べるボクの口調が少し崩れているのは、仲良くなった証なのだと思う。そしてお義母さんは、続けてサラリとこう言った。

 

 母「ついでだし、歩夢と一緒の部屋で寝てもらってもいい?」

 

 木綿季「あ、全然大丈夫で……え?」

 

 歩夢「は?」

 

 反射的にそれを了承しそうになるも、流石のボクも固まってしまった。キッチンでコップを呷っていたアルファも、当然の如く困惑を示している。

 …だってさ、ボク達って、お互いに想いを寄せ合ってる若き青年淑女だよ?間違いの一つや二つ犯すかもしれないよ?これまでの経験上、アルファは自分からは間違えないだろうけど、ボクは分からないんだよ?アルファはボクに押されたら絶対止まらないよ?お義母さん、お義父さん、今晩大事な息子さんが食べられちゃうかもしれないんですよ?あっ、ホントはもう食べちゃってるんですけどね…。

 なんてボクの心の叫びが届くことはなく、お義父さんもまた、なんの迷いもなく言ってくる。

 

 父「二人はもうすぐ三年目なんだろ?同棲の練習だとでも思ったら良いんじゃないか?」

 

 お義父さん。実はボク達もう、半分ぐらい同棲生活送ってるんです。と言う訳にもいかず、ボクは頷き返すことしか出来なかった。

 もうお風呂の準備は出来ていると言うことなので、アルファに案内される形で、二階にある彼の部屋へと向かう。彼がドアノブを下げ押し開けると、遂にボクは、彼のお部屋を目にしたのだ。

 

 とは言っても、そこに広がっていた光景は、なんら特別なものではなかった。シングルベッド、勉強机、本棚…うん、ボクのお部屋と比べても、特に変わったところはない。本棚には彼の趣味と思われる少年漫画、余りゲームには興味なかったのだろうか、今となってはレトロなゲームカセットが数本置かれているのみだ。

 その本棚にもたれるようにして、あれは…テニスラケットなのかな?逆三角形と丸二つのロゴマークが入ったケースが立てかけられていた。勉強机の上には、カードやキーホルダー、プラモデルなんかが飾られていて、当時それが本来の機能を失っていたことは、容易に推し量れる。

 そしてその中央には、懐かしの…とは言っても、ボクは持っていないんだけど…ナーヴギアが飾られていた。だけどまぁ、そんなことは、言ってしまえばボクにはどうでもいいことに過ぎなかった。

 

 歩夢「ちょっと汚いかもだけど──」

 

 こちらに振り向き、気恥ずかしそうに形式的な言葉を掛けてくるアルファなんて無視無視。ボクは本能に導かれるままに、彼を追い抜き部屋に押し入ると、その中央に直立する。

 そしてそのまま…鼻から大きく息を吸い込んだ。途端にボクは、何か物凄い快感に包まれるのだ。身体がゾクゾクと言うか、ほわほわと言うか、兎に角、凄く満たされている。そんな今のボクの心の中は、多分こんな感じなのだろう。

 …これがぁ、ありゅふぁの匂い…。数年間、彼が過ごし続けていたお部屋。そこには当然、彼の優しい香りが蓄積していくわけで、つまり今のボクはそれを、心の底から堪能していたという──。

 

 歩夢「…木綿季?変な顔してるけど…大丈夫か?」

 

 木綿季「へ?…あ、うん…ボクは大丈夫だよ」

 

 …おっと、これ以上は不味いみたいだね。危ない危ない。こんなボクはアルファに知られちゃダメだよ。ボクの中に潜む変態的欲求を完全に解消していると、知らぬうちに口の中に蓄積している唾液が溢れ出しそうになっていた。

 不思議そうに心配してくるアルファに、ボクは咄嗟に聖母のような笑みを返して、誤魔化しを入れておく。それにすっかり騙されているアルファは、口元を緩めて嬉しそうに頷いてくれた。

 

 歩夢「お風呂は先に入ってくれていいぞ」

 

 木綿季「じゃあ一回部屋から出て行ってね。ボク、お風呂の準備するから」

 

 歩夢「分かった」

 

 そうして合法的に彼を部屋から追いやると、彼は素直にぱたんとドアを閉めた。なのでボクも、キャリーバッグの中からせっせとお着替えやらなんやらを取り出す…前に、もう一度だけ大きく息を吸い込む。たっぷりとアルファを堪能したボクは、今度こそ、お風呂の準備に取り掛かり始めた。

 

 

 

 

 

 

──────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 深夜一時。普段は十一時過ぎにスヤスヤしている学生の鑑である俺にとっては、それはかなりの夜更かしに該当する。こんな時間まで起きている日と言えば、そりゃあ新年早々ぐらいなもので、無論、身体もこんな時間まで活動することに慣れていない。ふわわと欠伸を噛み締めながら、家族でテレビを眺めるも、内容は全く頭に入ってこない。

 そんな中、ガチャンと二階のドアが開く音が聞こえた。小さな足音はどんどんとこちらへ近づき、リズム良く階下に登場した君は、ソファで微睡みかけている俺に声を掛けてくれた。

 

 木綿季「歩夢、お風呂空いたよ」

 

 歩夢「ん…ありがと…」

 

 お風呂上がりのユウキって、石鹸みたいな良い匂いするよなぁ…と、薄いピンクのパジャマ姿で登場した君を眺めながら、俺はそんなことを思う。眠くて上手く動かない呂律を回して、俺は返事をすると、途端に隣に腰掛ける姉貴が、対照的に元気溢れる様子でユウキに言った。

 

 姉「え、木綿季ちゃんって、それでノーメイク!?」

 

 木綿季「あ、はい~、ノーメイクですよ」

 

 姉「ちょっと待って可愛すぎるやろそれは。あんた、ほんまにええ子捕まえたな」

 

 歩夢「それは全くの同感だな」

 

 木綿季「いや~、一花お義姉さんの方が美人だよ~」

 

 姉貴の言葉に俺が同調すると、ユウキは照れたように姉貴を褒めて、すると今度は、親父や母さんも話に参戦して…ユウキはたったの半日で、こんなにも家族との距離を縮めてしまった。全く、恐ろしい子である。

 いつの間にかまた話の輪から外れていた俺は…いいもん別にと頬を膨らませるフリをして、四人から笑顔を勝ち取ってから、着替えを持って脱衣所に向かった。

 

 脱衣所に入ってしっかりとドアを閉めると、そこから世界を代表する紳士としてするべきことなど、たったの一つである。

 ユウキは確か、母さんの言葉に甘えて、ここで服を洗濯してもらうと言っていた。ならば──。

 予想通り、かごの中には、彼女の物であろう水色の下着が放置されていた。

 ドクンドクン。心臓が大きく揺れ動き、僅かな罪悪感と共に、胸が張り裂けそうな痛みが走る。

 しかし最後には、心の底に眠る悪魔に唆されて、彼女の下着をガシッと掴む…ことは、流石にない。そこまでしてしまっては、俺はクソほどどうしようもない人間認定されるからな。

 ユウキは水色の下着も付けるのかー、だなんて感想を抱いたところで、その最低な行為は終わりにしておく。その頃には、頭の中から眠気の二文字は吹っ飛んでいた。

 

 ようやく風呂場に足を踏み入れた俺は、タオルを使って身体を清潔にしていく。ユウキが入った後のお風呂か…なんてことを思わないでもなかったが、それ以上に、今日一日は思い返すことが多過ぎた。

 色々あったとはいえ、やはり記憶に新しい衝撃と言えば、翔太と日葵が付き合ったことだな。うん、二人共幸せそうだしなによりだ。今年はユウキと一緒に帰るから、みんなとは初詣に行けないと思っていたんだが、偶々全員集合したその時も、案外ユウキも楽しかったらしいし、俺の杞憂だったのだろう。

 すっかり猛吹雪になっている外の世界を眺めながら、俺は湯船で身体を温めて、風呂を出る。身体を拭いてパジャマに着替えて…と事を済ませた俺がリビングへと戻って来た頃には、既に時刻は三十分を過ぎていた。

 相変わらず四人は団欒を楽しんでいるけれど、そろそろ限界が訪れていた俺は、彼らに一声掛けておいた。

 

 歩夢「俺…眠いから、もう寝るわ…」

 

 母「歩夢はいつまで経っても夜更かししないわね~」

 

 父「こういう素直なところも、また歩夢の可愛さポイントだろうなぁ?」

 

 もうツッコむのにも疲れていた俺は、返事に「おやすみ」と答えてから、階段を登り自室へと舞い戻った。そこには、恐らく母さんが用意してくれたであろう一枚の布団とベッドがある。ベッドはユウキに譲ることにして、俺は布団に入ろうとしたんだが──。

 

 木綿季「それ、歩夢のベッドでしょ?ボクがこっちだよ」

 

 気が付くとドアを開けていたユウキが、呆れたようにため息をついて、俺にそう言った。対する俺も、変わらない答えを返す。

 

 歩夢「別にいいって。木綿季がベッド使えよ」

 

 木綿季「それじゃボクも申し訳ないからね。じゃあ一緒にベッドで寝る?」

 

 歩夢「このベッドシングルだしなぁ…流石にキツイだろ」

 

 木綿季「ならボクが布団、歩夢がベッドだよ」

 

 歩夢「…分かった」

 

 まぁ。ここはユウキも譲れないのだろう。こちらの意見を折っておくことにする。

 ユウキも同じくこのまま寝るらしいので、部屋のライトを薄明かりに暗転させ、俺は意識を手放すようにベッドへ雪崩れ込もうとしたのだが…どういうわけか、彼女は布団に入って眠らずに、ベッドの上に腰掛けたのだ。

 どうしたのだろうかと思いつつも、俺は眠気をグッと堪えて、取り敢えずユウキの隣に腰を下ろす。すると彼女は、薄暗い部屋の中でも良く見える優しい笑顔を向けながら、その口を動かした。

 

 木綿季「あけましておめでとう、歩夢。今年も、よろしくね」

 

 …そうだった。今日は一日が濃厚過ぎてすっかり忘れていたが、今日が新年一発目だった。ユウキに元旦の挨拶を交わされ、ふとそれを思い出した俺は、同じく笑顔で言った。

 

 歩夢「あけましておめでとう、木綿季。こちらこそ、今年もよろしくな」

 

 そうして新年の挨拶を交わし合った俺達が、次に何を話すかと言うと、それはもう、あの頃からのお決まりである。

 勿論、当時とは違って、アルコール飲料を片手に持ちながら、色とりどりのライトエフェクトを浴びているわけではない。それでも俺は、君にそう問い掛けたのだ。

 

 歩夢「木綿季…今年の抱負は、なんだ?」

 

 訊ねられた君は、あっと思い出したように俺の顔を見つめるも、次第に考え込み始め、視線を俯かせた。

 

 木綿季「えっと…そうだね~…」

 

 そしてやがて、もう一度俺と目を合わせると、今度はてへっと小恥ずかしそうな笑みを、黒い髪を揺らしながら俺に魅せてくれた。

 

 木綿季「んー…分かんないっ!かな~。去年まではさ、大きな目標もあったのにね~。なんでだろ、今は全然思いつかないよ~」

 

 ──来年まで、生きたい。

 

 君は何度も何度も、元旦と言う日に、俺にそう言い続けていた。俺はそんな君の放つ得も言われぬ芯の強さに、徐々に徐々に惹き込まれていったのだ。

 だけど今の君は、その目標を失ってしまったらしい。であれば俺は、君への気持ちを失ってしまうのか。馬鹿か。そんなわけがないだろう。あんな目標は、毎日のありきたりな日常を繰り返す中で、次第に見失ってしまった方が良いのだ。

 そして今の君は、当たり前のことを大切な目標として掲げなくなってくれた。俺はそれが堪らなく嬉しくて、つい隣に腰掛ける君を、グッとこちらに抱き寄せてしまう。いきなり俺に抱き寄せられ、「わっ…」と小さな声をあげた君の背中をとんとんと優しく叩きながら、俺はこの気持ちを余すことなく伝えた。

 

 歩夢「そうだ…あんな仰々しい目標なんて、もう木綿季には必要ないんだからな…それを必死に掲げるぐらいなら、なんにも思いつかない方が、よっぽど良いことだ…」

 

 そして俺の言葉を受け取った君は、小さな嘆息を洩らしたかと思うと、ぎゅっと俺の背中に腕を回して、続きの言葉を繋いだ。

 

 木綿季「そうだね…じゃあ、今年はさ、お互いに守り合っていこうね?ボクも歩夢も、一緒に…」

 

 歩夢「あぁ…」

 

 きっと、こうして新年の抱負に何か特別な意味を持たせるのも、今年で最後だ。それで良いんだ。来年からはもっと、軽い感じで抱負を言い合えるような…あぁ、それぐらいユウキが日常に溶け込んでいる日々を送ることが、俺にとっての今年の抱負なのかもしれない。

 それは言葉にはしなかったけど、胸にしっかりと刻んでおいた。お互いに暫し抱き締め合っていると、ユウキがふと、俺の耳元で囁く。

 

 木綿季「歩夢…新年の初キス…欲しいな…?」

 

 その言い回しに、俺は思わず苦笑混じりに訊ね返した。

 

 歩夢「なんだよ、初キスって」

 

 するとユウキは、続けて甘い声で問い掛けてくる。

 

 木綿季「…だめ?」

 

 歩夢「分かってるんだろ、いちいち聞かなくても」

 

 木綿季「でも歩夢は、聞いてくれた方がグッと来るんでしょ?」

 

 歩夢「良く解ってるんだな。俺のこと」

 

 木綿季「当たり前だよ」

 

 そして俺達は、温かな唇を重ね合わせ、優しいキスを交わした。唇を離した瞬間、お互いにまだ物足りないといった目を合わせてしまう。でも、今日はこれでお終いだ。流石に実家だからな。俺達にも理性ってもんが──。

 

 木綿季「……歩夢ぅ……」

 

 歩夢「……」

 

 …それはヤバい。限りなくヤバい。そんな切なそうな声で呼ばれたら…小さな両手で胸元掴まれたら…俺の理性なんて一瞬で焼き切れる──。

 

 ──コンコン。

 

 歩夢&木綿季「「…」」ビクッ!!

 

 がしかし、理性が蒸発する寸前で、自室のドアに、大きなノック音が響いたのだ。俺達は肩を大きく震わせ、動揺と共に冷静さを取り戻す。まだ返事をしていないというのに、キーっとドアを開いたその人は…。

 

 姉「おっと、気の早い事で。お取込み中でしたか~」

 

 などとニタニタ笑いながら、姉貴は俺達を見やってくる。俺は勿論根性でポーカーフェイス、しかしユウキは顔真っ赤だ。ベッドの上で隣り合わせになってるし、若干ユウキの身体押しちゃってるし、もう誤魔化しなんて効かないレベルだ。

 しかし、姉貴は一体どうしてこんなタイミングで突撃してきたのか。俺がそれを不可思議に思っていると、彼女はポケットからある物を取り出し、それをユウキに授けた。そして俺達にウインクしながら、言うのだ。

 

 姉「別に好きにしていいけど、ちゃんとそれ使わなあかんで」

 

 「あと、声は小さくな。じゃ、おやすみ~」と言い残して、姉貴は俺の部屋を出て行ったのだが…当然俺とユウキは、大大硬直である。たっぷり数十秒以上固まり続けた末に、俺達は同時に深いため息を吐き出した。ユウキはそれをポケットに仕舞い、俺は彼女に言葉を掛けた。

 

 歩夢「今日は…もう寝ようぜ」

 

 木綿季「うん…暴走してごめんね」

 

 実の姉であり、将来の義姉という最強のストッパーの登場によって、俺達は欲求を遥か彼方に吹き飛ばすことに成功した。

 無論、その後しばらくは、姉貴にその現場を見られたと言うこともあって、俺達は上手く寝付けなかった。

 

 

 

 

 

 

──────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 柔い日差しが、瞼の裏まで差し込んでくる。ゆっくりと瞼を押し上げると、窓の外から見える世界は、太陽が照り輝くものの、薄雲に覆われ、淡い水色をしていた。ふと隣に視線を移すと、君はまだまだぐっすりと眠っている。ボクは布団から這い出て、君を眺め始める。

 …アルファの寝顔は、いつも通りすっごく気持ち良さそうだ。だからボクも、こうやって毎日のように眺めていても、全く飽きる気がしないんだよね。部屋にある目覚まし時計を確認し、そろそろアルファを起こすべきだろうかと、ボクが悩み始めると──。

 

 姉「おはよ、木綿季ちゃん。昨晩はお楽しみでしたか?」

 

 ノックと共にドアを開けた一花お義姉さんが、ボクに朝の挨拶を交わすや否や、変な質問をしてくるのだ。

 でもそれは、昨晩ボクが止まれなくなったのが原因である。だって、アルファと語らう抱負のお話で…君にぎゅーって抱き締められて、それでボクは嬉しくなっちゃって…ボクは、昔っから感情のコントロールが下手なんだろう。

 

 木綿季「…別に、そういうことしてないもん…。これ、お返しします」

 

 相変わらずニタニタしているお義姉さんに、ボクは頬を膨らませてそう言うと、昨晩受け取った丸いソレを返却しておいた。受け取ったお義姉さんは、面白くなさそうな表情をしていた。

 そしてお義姉さんは、ボクの隣にまでやって来て、随分と深く眠っているらしいアルファの頬に手をあてがうのだ。

 

 姉「しっかし…寝てるときは、相変わらず可愛い弟のままやなぁ…」

 

 木綿季「……」

 

 お義姉さんが弟を可愛がる姿を眺めるボクは、…アルファに触れていいのは、ボクだけなのに…と思わなくもない。がしかし、お義姉さんがそんなボクの嫉妬心を駆り立てようとしてこういうことをしているのも、もう一日一緒に居ればなんとなく理解出来ていた。

 それが表面に出てこないよう、ボクが必死に堪えていたその時だ。熟睡の底から浮かび上がってきたアルファが、小さな唸り声を上げる。

 

 歩夢「…んん…」

 

 そして──。

 

 歩夢「…ねぇ…ちゃん…」

 

 もごもごとそんなうわ言を呟いたかと思うと、次の瞬間にハッと開眼し、ボクとお義姉さんを認識するのだ。続けて、お義姉さんの手が頬に置かれていることに気が付き、寝起きとは思えないスピーディーな動きで払いのける。

 だが一方で、どこか満足したようにアルファを眺めるお義姉さんは、「久しぶりにそっちで呼んでくれたな~、お姉ちゃんは嬉しいで」と言い残してその場を去っていく。取り残されたアルファは…こっちがビックリするぐらいに取り乱した。

 

 歩夢「ゆ、木綿季……み、見てないよな…?」

 

 そんなアルファに、ボクはクスっと笑みを零しながら答えてあげた。

 

 木綿季「ううん、全部見ちゃったっ。前から思ってたけど…歩夢ってシスコンだよね~」

 

 その言葉に顔面蒼白となったアルファは、食い気味にそれを否定しようとする。

 

 歩夢「ち、ちが…」

 

 木綿季「いいよいいよ。ボクも姉ちゃんのこと大好きだからね。同じ仲間だよ?ほらっ、顔洗いに行こ?」

 

 でもボクはその弁解を聞き入れることはなく、洗面所へと向かっていくのだ。その道中、アルファは片手で頭を押さえて、「俺が姉貴を好き…?シスコン…?絶対にそんなわけがない…逆なら有り得ないこともないけど、それだけは…」なんてことをブツブツと呟いていた。因みにボクは、家族愛の強さには寛容だと思う。シスコンなんて、ボクもその一人だからね。

 朝の支度を終えたボクらは、リビングに降りる。有難いことに、既にお義母さんが朝ご飯を準備してくれていたので、ボクは大人しく席に着くことにした。

 

 元旦の朝ご飯と言えば勿論、おせち料理である。筑前煮、ごまめ、栗きんとん…などなど、お義母さんの作る料理は、ボクの作る料理の何倍も美味しかった。将来的にはお義母さんを超えなきゃいけないボクは、それがかなり難しいってことを分からされた。

 因みにボクが一番気に入ったのは、伊達巻だ。やっぱりあのカステラみたいに甘~い感じが、スイーツ好きなボクには最高なのだ。あと他にも、お雑煮の出汁が白味噌だったりして、透明なお出汁じゃないことに驚いたんだけど…それはは関西風らしい。味噌味のお雑煮って言うのも、結構美味しかった。

 でもなにより、ボクがおせち料理を美味しいと思えたのは、家族みんなで囲む食卓があったからなのだろう。こうやって家族に囲まれてご飯を食べるのは、本当に久し振りのことだった。もう二度と得られないと思っていた家族の団欒が、もう一度ボクの元に舞い戻ってきてくれたんだ。それで心がジーンと熱くなっていたのは、みんなには内緒だ。

 

 ご馳走様をした後は、お義父さんがお正月の予定を話してくれた。一日の今日はここに、二日は岐阜の方へ、そして三日には京都の方に行くらしい。だからボクとアルファは、二日以降はここでお留守番らしいのだ。京都の実家に帰ると聞いた時に、アルファは訳もなく嬉しそうだったけど、実は親戚だったらしいアスナに会いたかったのだろうか。でも確かにボクも、お嬢様してるアスナを見てみたかった気もする。

 そうして、朝の色々を終えたボクらは──。

 

 木綿季「歩夢、雪合戦しに行こうよ!」

 

 歩夢「おうとも」

 

 昨晩の降雪で、すっかり白く積もった世界へと繰り出すのだ。まるで子供みたいに雪にはしゃいでるボク達は、意気揚々と外の世界に出ようとする。

 でもその前に、お義姉さんに呼び止められちゃった。なんでも、ボクの靴じゃ滑るかもしれないから、雪靴を貸してくれるらしい。その他にも、服も濡れるだろうから私の貸してあげると色々計らってくれた。長靴みたいな革製の靴を履き終えると、遂にボクはアルファと一緒に玄関ドアから外へと踏み出した。

 玄関先では、既に小さな子供たちが、白い大地でワイワイと雪を転がして遊んでいた。ボクらもそれに混ざる…ことは流石にしない。じゃあどうしたのかって言うと、ボクはアルファに手を引かれて、弁慶の泣き所ほどにまで積もった雪を、しゃくしゃくと籠った音で踏みしめていった。

 連れられるままにお家の裏手に回ると、アルファはそのままベランダの向こうへ進んでいくのだ。そこは、木々が生い茂る一歩手前の少し開けた場所だった。先客の子供たちもおらず、ここなら充分遊べる──。

 

 歩夢「ほらよっ!」

 

 木綿季「うわあっ!?」

 

 瞬間、ボクの視界は白色に覆われた。顔に覆い被さったそれはひんやりと冷たくて…つまり、ボクはアルファに、新雪をぶちまけられたってことなのだろう。その事実を認識するや嫌な、ボクは勝手に上がる口角を誤魔化すことも出来ずに、足元の雪をかき集め──。

 

 木綿季「…やったな~!お返しだっ!!」

 

 歩夢「あんまり強く固めんなよ~。そしたら痛くなるからな」

 

 それからボクらは、お互いに柔らかい雪玉を投げ掛け合い始めた。最初は手袋も付けてたけど、それはすぐにダメになっちゃって、豪快にも素手で雪を掴み取り、アルファに投げ付ける。でもアルファは華麗にそれを躱しちゃうから、今度は接近して、水を掛けるみたいに雪を吹き飛ばしたりするんだ。

 雪合戦でちょっと疲れちゃったら、次は二人仲良く、大きな雪だるまを作って…そうこうしていると、すぐに時間は過ぎ去っていく。もうすぐお昼前となったその頃、ボクらは疲れ果てて、雪の絨毯で寝そべっていた。

 今日は天気が良いのか、徐々に徐々に雪が溶け始めている。リアルでこんなに身体を動かしたの、いつぶりかなぁ…と思っていると、むくりと起き上がったアルファが、寝そべるボクに言った。

 

 歩夢「折角だし、綺麗な景色でも見に行くか」

 

 木綿季「景色?」

 

 歩夢「あぁ、ついてきてくれ」

 

 ボクはアルファを見上げ訊ね返すと、彼はボクの手を取って、そう言ってくれる。身体を起したボクは、またアルファに手を引かれて…なんと、森の中へと足を踏み入れたのだ。

 こんな大自然に立ち入るのは、リアルだと初めてだった。仮想世界とは違って、山の足場は想像以上に凸凹としていて、中々歩き辛い。そんなボクのペースに合わせて、アルファはゆっくりと移動してくれた。

 山林というのはなんというか、森林浴みたいに心が洗われていく爽快感がある一方で、ちゃんと戻れるのかな?ってちょっとした恐れや、山地という厳めしい存在自体に、僅かながらの畏怖みたいな感情さえも湧いて出てくる。

 生え渡る木々を支えに、懸命に道なき道を歩くアルファに着いて行くこと数分、アルファは、はたとその足を止めた。

 

 歩夢「…ここら辺でいいか」

 

 木綿季「…ここ?」

 

 歩夢「うん、ここ」

 

 アルファが案内してくれたそこは、正直に言うと…リアクションに困る場所だった。だって、清らかな川のせせらぎが拝めるわけでもなければ、何か広大な景色が広がっているわけでもない。そこは、これまで通ってきた道と比べると、何一つ変化のない──。

 

 木綿季「あ……」

 

 そこでようやく、ボクは気が付いた。ボクは移動するので精一杯で、全く周りの様子を見られていなかったのだ。

 目の前には、大小、形も様々な木々たちが、純白で着飾っている。広葉樹と針葉樹が混じり合った混交樹林には、厳冬ながらも艶のある葉が垣間見え、その上にも、薄っすらと雪が積み重なっていた。ふと後ろを振り返ると、もう人の営みは伺えない。深い森が広がるばかりだ。どの方角をどう見ても、ここは白銀の世界だった。

 でもそれだけじゃない。徐に足元を見やると、二人で移動してきた軌跡には、土色や草木が見えている。大きく息を吸い込めば、新鮮な草木の香りが胸いっぱいに充満する。枝葉を掻い潜って差し込む白光は、森林に降り積もった雪を少しずつ溶かしており、まるで宝石みたいに至る所でキラキラと反射していた。。

 ボクらの息遣い以外は何も聞こえない。ここはそんな物静かな世界…かに思えた。でも目を閉ざして耳を澄ませてみると、ポタリ、ポタリと、雪解け水が葉を打ち付ける自然のリズムも聞こえてくる。

 

 木綿季「……すごいね…この場所…」

 

 歩夢「だろ?」

 

 ボクはこの胸に抱く感動を素直に言葉にすると、彼も満足そうに頷いてくれた。まさか山がこんなにも素晴らしいものだったなんて、ボクは知らなかったよ…と、ボクらは壮大な山景色を味わいながら、暫くその場で佇んでいると──。

 

 山の奥、太陽光が綺麗に差し込み、一足早く地面が露出していたその場所。そこに、小さな影が幾つも現れたのだ。

 それは四足歩行だ。もふもふと気持ち良さそうな茶色い毛皮で、ストライプのように黒い柄が入っている。鼻は黒くて、ちょこちょこと動き回るその動物は──。

 

 木綿季「ウリボーだ…!」

 

 とボクは呟き、あの可愛いい生き物たちと戯れるべく、足を進めようとすた。

 

 歩夢「待てっ、木綿季」

 

 でも、途端に腕をガシッと彼に捕まれ、ボクは静止させられた。折角の機会を邪魔されたことに、ボクは不満の表情で振り返ると…彼は深刻そうな表情で、ボクに言うのだ。

 

 歩夢「…逃げるぞ」

 

 木綿季「え?…うん」

 

 なんで?ウリボーに会えたのに?なんてことを聞くまでもなく、真剣な彼の様子を受けて、ボクは思わず頷いた。何せ、そんなアルファの様子が、SAO時代にダンジョンに潜り込んでいる時の彼を想起させたからだ。なんでもかんでも突き進もうとするボクを、彼はいつも冷静に引き留めてくれた。それで掬われた命は、多分数えきれない。だから今回も、アルファの言うことを聞くことにしたのだ。

 でも逃げるって言った癖に、アルファは後退りで元来た道を戻るよう指示してくる。ボクの頭の中は疑問で溢れ返っていたけど、取り敢えず、それに従うことにした。

 やがて森を脱出すると、彼は大きく息を吐き出した。とそこでボクも堪えられず、彼に尋ねる。

 

 木綿季「なんで逃げたの?ウリボーは怖くないじゃん」

 

 歩夢「まぁ、ウリボーはいいんだけどさ…大体ウリボーの近くには、イノシシがいるからな。イノシシに攻撃されたら、一撃死亡だってあり得るんだ。だから命が惜しけりゃ、野生のウリボーには近寄らない方が良い。でも…なんであんなとこに居たんだろうな…ここら辺じゃ見たことなかったんだけど…」

 

 素直に、感心させられた。アルファの持つ情報量に、ボクは大いに尊敬の念を抱いたのだ。

 だって、あのままじゃボク、折角拾った命を落としかけたってことだからね。これは博識の称号を譲渡すべきなのかもしれないけど、代わりにアルファの頭じゃ予想出来なかったことは、ボクが補完してあげる。

 

 木綿季「へぇー…まぁ、あれじゃない?食べ物が見つからなくて、人里にやって来た、みたいな」

 

 歩夢「あー、そう言うことか…」

 

 木綿季「でも、SAOじゃボアなんてよわよわだったのにね~」

 

 ボクの想像に納得しているアルファに、ちょっとしたジョークを笑顔で振りかけると、彼は大いに笑った。

 

 歩夢「リアルじゃそう上手くはいかねぇよ」

 

 木綿季「取り敢えず、お家戻ろっか。そろそろお昼みたいだし」

 

 歩夢「おう、そうするか」

 

 そうしてボクらは、元旦午前中のお楽しみを終え、玄関へと向かっていったのだ。アルファの実家にやって来てからは、まだ一日も経過していないのに、もうボクは既に、今まで知らなかった歩夢としてのアルファをまた沢山知ることが出来ていた。きっと、これからもまだまだ、いっぱいアルファを新発見出来るのだろう。

 今以上に、もっとアルファのことを深く理解し、愛する。それがボクの、彼には伝えていない今年の抱負だ。玄関を開けたボクらは、元気良くただいまの挨拶をする。すると三人がやって来てくれて、温かくボクらを出迎えてくれる。ボクは胸を弾ませながら、ただいまの返事をするのだ。

 そんな感じで、ボクはアルファの実家でのお正月を過ごしていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 




 次回の投稿日は、五月二十五日の金曜日となります。

 では、また第180話でお会いしましょう!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。