~SAO with Yuuki~   作:うずつるぎ

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第190話 箱庭の守り手

 俺とユウキを殺そうとする人間は、二人いる。

 それがアイツから与えられた、悍ましい情報であった。

 君は俺以上に、現実世界じゃ非力だ。そんな君が、刃物を持った人間に襲われでもしたら──。

 それを思うと、俺の足取りは速まる一方だった。

 薄暗く照らされる漆黒の世界を、生傷と焦りに疼く身体で突き進む。

 左脚と腹に二箇所、そして左肩に一箇所の傷を負っている俺は、しかしその凄惨な痛みに屈することなく、呼吸を乱れさせながらも、一心不乱に住宅街を駆け続けていた。

 

 …目にも見えない小さなプリズムを掴んで、やっと…やっと手にした──俺とユウキの、小さな世界。

 それは今、外部からの悪意によって、握り潰されかけていた。

 俺は君を、守らなければならない。その果てに命尽きることがあろうとも、必ず使命を全うせねばならないのだ。

 だって、俺は君に忠誠を誓った騎士で、君は俺に導きを与えてくれた、お姫様だから。

 ある晩お姫様は、そんな俺に言った。

 自分の為にも生きて欲しいと。

 そして俺は、確かにそれを受け入れた。

 ならばこそ俺は、今この瞬間に、君の為に闘おう。

 俺にとって君は、生きる意味となってくれたから。

 君のいない世界では、生きる意味は見出せないから。

 君が生きてくれていることが、俺の全てだから。

 

 さっきから、なんだか全身が異常に重くて、時折意識が遠のきそうになる。それでも歯を食いしばり、走ることをやめはしない。

 ズタボロの身体で動いているせいか、段々とこの世界が、夢のように思えてくる。視界はどんどんとぼやけて、体感覚が覚束なくなり始める。終いには、視点は何故か三人称に──。

 

 ──ガクン。

 

 意識が飛びかけた状態で、無理矢理にでも走り続けていたからだろう。

 遂に両足がもつれ、彼はアスファルトの上で前のめりに倒れ込んだ。

 固い地面に両腕の皮膚が引き摺られ、皮が薄く剥がれている。呼吸は随分ゆっくりと繰り返されており、立ち上がる気配は見えない。一周回って心地良い感覚に包まれながら、その場で倒れ込み続けている。

 …あぁ、彼はもう──。

 しかし、俺は聞き逃さなかった。倒れ込んだ彼の口が、ずっと震え続けていることを。その口から、小さな声が洩れ出していることを。

 俺は彼に近づき、その音の正体を確かめる。すると──。

 

 「…ユ、ウキ…ユウキ…ユウキユウキユウキユウキユウキユウキユウキユウキユウキユウキユウキユウキユウキユウキユウキ──」

 

 彼は濁った瞳で、愛する人の名前を呼び続けていた。

 …これはもう、少し歪んでいる程度では済まされないのだろう。彼はもう、完全に狂っている域に達しているのだろう。

 だが、それでも構わない。それで良いんだって、他でもない俺がそう思っているのだから──。

 

 歩夢「く…はっ……くはっ、クハハッ!!」

 

 大丈夫。まだやれる。ユウキを助けに行ける。

 遠のいていた意識を取り戻した俺は、最早正常とは思えない笑い声を絞り出しながら、よろよろと立ち上がった。

 他でもない君の為だけに、俺は全てを捧げるのだ。

 君の為ならば、己の命の最後の一滴を燃やし尽くすことでさえ、何の躊躇いもないのだから。

 もう一度なけなしのエネルギーを心臓から引き出し、再び住宅街を走り出す。

 

 やがて、君の家に辿り着く。

 そしてそれを目にした瞬間、背筋に嫌なものを覚えた。

 いつもは固く閉ざされているはずの青銅製の門扉が、今は大きく開け放たれている。そして玄関の前には、見覚えのない段ボールが無造作に捨てられていたのだ。

 つまり、君の命を狙う殺人鬼は、既に家の中に侵入している──。

 

 ──お、俺は…遅かったのか…?間に合わなかった…のか…?

 

 足からフッと、力が抜け落ちそうだった。

 だけど、まだそれが確定したわけじゃない。その可能性に直面することを恐れ、立ち止まりそうになる足を懸命に動かしながら、俺は玄関ドアに手を掛けた。

 

 …開いている。

 感覚と共にゆっくりとドアを引くと、やはり扉は呆気なく開いた。ユウキが鍵を掛けないなんて有り得ない。やはり──。

 その時だ。リビングルームの方から、乾いた破裂音が聞こえた。

 誰かが──ユウキがそこに居る。若しくは殺人鬼が…。

 俺は靴を脱ぐことさえ忘れて、無我夢中にその音源へと向かった。廊下をドタバタと駆け抜け、左手の扉を潜る。

 そして俺は──それを見た。

 

 ──丸々と太った男が、床に伏せるユウキを見下ろしている様子を。その右手には、大振りのナイフが握られている様子を。

 

 ──ユウキが殺される──!!

 

 本能的にそれを理解した俺は、君を守るべく、反射的に動き出そうとした、その時だった。ナイフを握り締める男が、君に向けて激しく叫んだのは。

 

 「エイズの人間なんてなぁ、生きてる価値無いんだ!!」

 

 「ゴミみたいな人間に生まれて、どんな気分で生きてるんだよ!!」

 

 「それともあれか?男に股開きまくって感染したのか?だとしたらとんだクズ人間だな!!」

 

 「この欠陥人間め!!お前なんか、生まれてこない方が良かったんだよ!!」

 

 歩夢「……」

 

 君が男に殺されることへの焦燥、返り討ちに遭うかもしれない恐怖、君が生きていることへの安堵、そして現状に対する戸惑い──その場で立ち尽くしていた俺には、ありとあらゆる感情が浮かび上がってきていた。

 だが──男の放ったその数々の怒号を耳にした瞬間に、頭の中が全て真っ白になった。

 激しい怒気と共に叫ばれたその言葉が、一体誰に向けられた物なのか、俺には理解し難かった。

 いや、理解したくなかった。この世の醜悪の全てが凝縮されたような愚劣で汚穢な言葉が、君へと向けられた無慈悲なる憎悪であると思いたくなかったのだ。だけど──。

 

 ──その心無い言葉を胸に突き刺した君は──ポロポロと、静かに涙を流したんだ──

 

 大切な何かが、グラグラと大きく揺さぶられた。

 さっきまで真っ白だった心が、瞬く間に別の色へと塗り潰されていく。

 だが浮かんできた感情は、たったの一つだった。

 それに名前はなかったけれど、俺の中には決して消えることのない業火が荒れ狂った。

 強烈な激流が全身に駆け巡り、しかしそのエネルギーは解放されることを許されず、寸前で何かが凄烈たる俺にブレーキを掛けようとする。

 

 あと一歩で暴れ出そうとしていた俺は、他でもない俺自身に阻まれた。

 この行き場のない感情を全身で膨れ上がらせ、身の内に増々激しい奔流が巻き起こる、その時だった。崩れ落ちた君が、俺の姿を捉えたのは。

 涙で瞳を滲ませた君は、肉体を痛めつけられた俺以上に、苦しそうな表情をしていた。

 その大きく震えた右手を、僅かに俺へと差し伸ばす。俺の瞳を覗き込みながら、微かにその唇を震わせた。

 

 木綿季「……ぁる…ふぁ……」

 

 君が俺に助けを求めている。それを把握すると同時に、俺の業火は爆発してしまった。

 君の伸ばした手を切っ掛けに、身体を駆け巡っていたエネルギーが外へと飛び出したのだ。

 血液よりも深い真紅に全てを呑み込まれた俺は、感情のままに喉を震わせ、大きく動き出した。

 

 歩夢「テメェぇぇぇええええええッ!!!!」

 

 俺が家中を震わせるほどの声量で叫ぶのと、男がこちらに振り向くのはほぼ同時だった。

 男は驚いたようにこちらの姿を認識するが、そのナイフがこちらに飛んでくる前に、男の右腕を思いっ切り蹴り上げた。

 二度目の蹴り上げにはなんの迷いもなく、モロに喰らった男は、呆気なくナイフを放り出す。男の格好からして、他に武器は携帯していないはずだ。

 一つの感情に突き動かされるままに、俺は男に急接近する。そしてそのまま左拳を引き絞り、猛烈な速さで鳩尾を貫く。

 

 「がぁ…!?」

 

 鳩尾に一撃を貰った男は、奴と同じように苦しそうな声を上げた。

 このまま一方的に殴り続けてやろうと、俺は右腕を引き絞るが──。

 

 「痛いじゃないかッ!!」

 

 歩夢「ぐぅ…!?」

 

 ──俺が右拳でパンチを打ち込むと同時に、男もまた俺の左頬に拳を食い込ませてきたのだ。

 …どういうことなのか。そのまま吹き飛ばされることなく、なんとかその場で踏みとどまった俺ではあったが、頭の中では疑問が生じていた。

 鳩尾に一発喰らったはずなのに、男は苦しそうに表情を歪めただけで、すぐに反撃に転じてきた…とそこで、俺は気が付いた。男が想像以上に太っていることに。

 つまりは、あの厚い脂肪に俺の一撃が吸収され──。

 

 「この…クソガキッ!!僕の身体を傷付けやがってっ!!」

 

 顔面にクリーンヒットを受けていた俺は、ほんの一瞬、頭をチカチカとさせていた。

 そして男はその隙を突いて、なんの技巧もない。しかし単純に重いパンチをぶち込んでくる。

 ハッと意識を取り戻したその時には、既に俺の腹には、男の拳が捻じ込まれていた。

 

 歩夢「あ…がぎゃぁ…!?!?」

 

 重い衝撃が背に突き抜ける。腹に出来た裂け目が、また嫌な音を立てる。

 その強烈な疼痛に、俺は堪らず苦しみを喘いだ。

 そして遂に──膝をつく。

 身体をガクガクと痙攣させながら、腹を抑え、背を丸め身悶える。口を閉ざすことが出来ず、床に涙と涎を零れ落す。もう耐えられず、意識が何処か遠くへ、勝手に運ばれていく──。

 

 木綿季「アルファ!?アルファ!?」

 

 ──君の必死の呼び声が、意識を飛ばそうとした俺を呼び戻した。

 男は何かを喚いていたが、俺は気にせず、もう一度足に力を込めた。

 もう赤黒く酸化してしまった腹から手を離す。血の付着した己の拳に気を取られる男に、俺は迷うことなく必殺の前蹴りをぶちかました。

 

 歩夢「ぅお…らぁぁあああっ!!」

 

 最後の力を振り絞るように、自分を鼓舞するように雄叫びを上げながら、鋭い蹴りが打ち放たれた。

 だが──痛みに意識を持っていかれている俺では、正確に金的を狙えず、軌道が逸れる。

 結果、俺の一撃は、そいつの太ももに突き刺さった。

 

 ──失敗した。

 一瞬、時が止まったかのような錯覚を覚える。

 だが、この決死の一撃で、奴は思わず体勢を崩したようだ。左脚に重心が偏り、その場でよろける。

 俺はそれを逃さず、男を押し倒すようにタックルを仕掛けた。

 すると男は、完全にバランスを失い、床に倒れ込む。

 俺は死に物狂いで男に馬乗りになり、右手で胸ぐらを掴んだ。

 そして左拳で頬を殴りつける。男が苦しそうに喘ぐが、俺は構わず今度は右拳で殴りつける。今の俺を突き動かしている煉獄に任せて、声を荒げる。

 

 歩夢「謝れっ!謝れよッ!!ユウキに謝りやがれぇぇッ!!」

 

 だが男もされるがままではない。俺に殴られながらもその巨漢を無理矢理起こし、今度は俺の左頬をぶん殴った。

 

 「出来損ないに出来損ないだと言って何が悪いッ!!エイズなんて負け犬に生きている意味なんてないだろッ!!」

 

 右拳で殴ると同時に、続いて左拳でも殴ろうとした男の一撃を、俺は右の手のひらでガシッと受け止めた。

 男の言葉に猛り狂った俺は、声帯に負荷がかかることなどお構いなしに、絶叫する。

 喉が裂ける痛みと共に、左拳にありったけの力を込めて、振り抜いた。

 

 歩夢「ユウキは出来損ないなんかじゃねぇぇえええッ!!!!」

 

 俺の拳が、男の顎と衝突した。指の内側に軋む感覚を覚えたが、堪えて拳を押し切った。

 俺の拳が突き受けると…男は顔をこちらに向けることはなく、フッと、白目を剥いて倒れ込んだ。

 

 歩夢「はぁ…はぁ…」

 

 …これで、全ての決着が付いたんだ。

 男がダウンしたことを確認した俺は、それを理解した。

 だが一方で、心は全く収まらなかった。

 男が倒れようと尚、炎は鎮火することなく、寧ろ一層激しく燃えっ滾っていく。揺らぎ燃える狂熱のままに、俺は男を睨み付け続ける。

 コイツは…コイツはユウキを傷付けたんだぞ!!ユウキに何回も酷いこと言いやがって!!ユウキを泣かせやがって!!まだ謝罪の言葉も聞いてないぞ!!この程度で許せるものか!!もっと、もっとコイツに罰を与えないと──。

 

 ──その時だった。ふと、少し離れたところに、断罪の道具を見つけたのは。

 それは、このままだと届かない所にあったけど、一歩踏み出せば、すぐに手の届く場所にあった。

 今の俺には、それが必要だと思えた。

 俺は簡単にその一歩を踏み出し、黒い柄を逆手に握った。倒れる男に馬乗りになり、執行の刃を向ける。

 

 …こんな奴は、生かしてはおけない。ユウキを傷付けるような奴は、俺達の世界には要らない。ユウキに害を為す人間は、俺が全員排除してやる。

 気を失った男に向けて、止まらない憎悪の視線をぶつけ続ける。

 がしかし、ギラリと輝く切っ先は、それ以上動こうとしない。どれだけ力を込めようとも、まるで見えない何かに押さえつけられるように、空中で震えるだけだった。

 今すぐに振り降ろさねばならない一撃は、思い通りに動いてくれない。俺の中に、僅かな逡巡が芽生える。

 

 ──なんだ?俺は、人を殺すことを恐れているのか…?

 

 俺に残る理性は、深く首を頷かせた。

 だが一方で、今の俺の大部分を覆うもう一人の俺が、頭の中から語り掛けてくる。俺を扇動するような雄弁で、そちらへ手を引いてくる。

 

 「今更何を躊躇するんだ?俺はもう、何人も殺してきただろう?」

 

 ──だけど、ここは現実世界で…。

 

 戸惑う俺に対して、もう一人の俺は、すぐに核心的な一言を放った。

 

 「だったら、お前はコイツを赦すのか?こんなクズを生かしておくのか?」

 

 …バカを言うな。ユウキを不幸にさせる存在など、俺が赦すわけがないだろう!?こんな奴は死んで当然だ!!受ける捌きは死以外に有り得ない!!

 だったら、だったら俺はどうするんだ!?己の手の内に断罪の道具が握られているのならば、ユウキに全てを捧げる俺が為すべきことはなんなんだっ!?迷うな!尻込むな!躊躇うなっ!俺は…俺は──。

 

 ──コロセ。コロセコロセコロセ!!ユウキノミチヲハバムモノヲ、メノマエニイルクズヲ、コロシテシマエ!!

 

 それが、全ての答えだった。

 理性は業火に呑まれ、最後の一線が焼け落ちる。

 震えの止まった左腕を大きく振り被り、極悪人の息の根を止めるために、俺は正義の刃を突き立てる、寸前だった。俺が背中から、優しく包み込まれたのは。

 その柔らかい気配が、俺の動きを硬直させた。

 そして君は、震える声で言った。

 

 木綿季「…アルファ…ボクはもう…大丈夫だよ…だから…それ以上はダメだよ…」

 

 君に強く抱き締められた俺は、振り抜くべき刃を失った。

 力の抜けた左腕は、だらんと床に落ちた。同時に、カランと音を立てながら、手のひらからナイフが零れ落ちる。

 君の言葉によって、俺の狂気は、そこで唸りを潜めた。

 

 

 

 

 

 

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 ボクの主人公が、ここにやって来てくれたんだ!

 少し離れた場所から、唖然とした様子でこちらを眺めている君を見つけたその時、ボクは君に希望を見たんだ。

 そしてボクは、聞こえるかも分からない小さな声で、救いの言葉を唱える。

 すると君は、差し伸べたボクの手を掴むように、悪者をやっつけようとしてくれた。

 蹴り技、正拳突き、アルファの技はどれをとっても、びっくりするぐらい洗礼されていた。

 だからボクは、すぐに君が悪者を倒してくれるって、疑いなく信じていたんだ。だけど──。

 

 歩夢「あ…がぎゃぁ…!?」

 

 男から反撃を貰った君は、その表情を酷く歪めながら、その場に蹲った。

 そんなアルファが洩らした悲鳴は、聞いたことがないほどに苦痛に満ちたものだった。

 ボクは君が心配で心配で仕方がなくて、必死に君の名前を叫んだんだ。

 すると君は、ボクに応えるように、涙を流しながらも立ち上がった。

 男に対して叫びながら、何度も何度も男と殴り合っていた。アルファは必死になって、激昂しながらボクの代わりに言い返してくれた。

 ボクはそれが、凄く嬉しかった。ボクの為に一生懸命になってくれる君が、本当にカッコよく映ったんだ。

 そしてその末に、アルファのアッパーが炸裂して、男は床に倒れた。その場に静寂が訪れた。

 

 …アルファが、勝ったんだ。ボクの為に闘ってくれて、ボクを助け出してくれたんだ!

 そんな喜びを抱く一方で、またアルファに助けられたことに、少し情けなさを覚えたりしたんだけど…兎に角ボクは、この気持ちのままに、君の元へと駆け寄ろうとしたんだ。

 その時だった。アルファの様子が、少しおかしいことに気が付いたのは。

 闘い疲れたからなのか、君は酷く息を荒げながら、これでもかと男を睨み続けていた。

 すると──少し離れたところにあるナイフを、その手で掴んだのだ。

 

 木綿季「…あ、アル…ファ…?」

 

 現状が受け止め切れなかったのも束の間、君はもう一度男の身体に跨ると、その刃を男の身体に向けた。

 アルファが何をしようとしているのか、ボクには一瞬理解出来なかった。

 でも、いま呼び止めないといけない気がした。

 ボクの声が届いたのか、アルファはナイフを震わせながら、呼吸を更に乱れさせる。

 でもその瞳には、いつもの優しいアルファと、何かに憑りつかれたようなアルファが行き来してて──。

 

 ──そしてボクは気が付いた。アルファが今から、何をしようとしているのかに。

 

 直感的にそれを理解したボクは、衝動的に動き出した。

 アルファの瞳はどんどんと、猛り狂った色に呑まれていく。

 …それだけは絶対にやらせちゃダメだ。もうこれ以上、君に罪を背負わせるわけにはいかないんだ。アルファに辛い思いや悲しい思いをさせたくはないんだ。

 あの夜とは違う。今のボクは身体が自由に動かせる。ボクだって助けられてばかりじゃいけないんだ。今こそ他でもないボクが、アルファを助けないといけないんだ。

 

 心の底から湧き出してくる気持ちに任せて、ボクは永遠とも思えるような数歩を、駆けるような足取りで詰め寄ったんだ。

 ボクがアルファに手を伸ばす直前に、君はその瞳を憤激に染め上げた。左手を大きく振り被る様子が、物凄くゆっくり見えた。

 もう言葉じゃ引き留められない。言葉で落ち着かせるには時間が足りない。

 それ故にボクは、君の脇に両腕を通すようにして、背中からぎゅっと包み込んだ。アルファのナイフが男に突き刺さらないよう、こちらに精一杯抱き寄せた。

 するとアルファは、その動きをピタリと止めた。今しかないと思ったボクは、優しく言葉を伝えたんだ。

 

 木綿季「…アルファ…ボクはもう…大丈夫だよ…だから…それ以上はダメだよ…」

 

 ボクの言葉を受けた君は、フッと、その憑りつかれたような気配を消し去った。ナイフを床に零れ落すと、ガクッと首を項垂れさせた。

 もう二度とその何かに憑りつかれたりしないように、ボクの温もりでアルファを覆うために、ボクは君を男の上から引きずり降ろして、一層強く抱き寄せ続けた。

 するとアルファは、ガサガサに枯れた声で…でも凄く優しい声色で、呟いた。

 

 歩夢「ユウキ…大丈夫、だったか…?」

 

 その言葉にボクは両目を滲ませながら、必死に言葉を返した。

 

 木綿季「大丈夫…大丈夫だよ。アルファが助けてくれた、ボクをまた助けてくれたから、なんにも傷付いてないよ…」

 

 すると君は、満足そうなため息を吐き出し、短く答えた。

 

 歩夢「…そっか…なら、良かった…」

 

 アルファはもう、おかしくなったりなんかしない。落ち着いた彼の様子を受けて、それを把握したボクは、一度抱擁を解くことにした。

 これから男を通報しなきゃいけないし、アルファも相当殴られてるから、救急車だって──。

 

 木綿季「……え……?」

 

 刹那、ボクは自分の目を疑った。

 だって、アルファを抱き締めていた自分の手に、妙に赤黒い何かが、べちゃりとへばり付いていたから。

 今更になって気が付く。アルファの身体中から、鉄臭い匂いが漂っていることに。そしてそれは、自分の手に付着したどす黒い赤色からもまた、濃く発せられていることに──。

 

 ──まさか。でも、なんで…?

 

 感動の救出劇に、冷たい気配が忍び寄ってくる。

 嫌な予感と解せない疑問で頭を溢れさせつつも、ボクは身を乗り出して、抱き寄せていた君の前半身を確認した。

 そして…予感が現実のものとなってしまう。

 君の様子に大きな恐怖を抱きながら、ボクは震える右手で、君の上半身を指差した。

 

 木綿季「あ、アルファ…それ…」

 

 一方君は、随分と穏やかな微笑みを浮かべながら、ボクに優しく言った。

 

 歩夢「あぁ…ここに来るまでに、一悶着あってさ…ちょっと怪我したんだ…」

 

 木綿季「それ…全然、ちょっとじゃ、ない…っ…」

 

 君の放った言葉には動揺を隠せず、ボクはまじまじとその光景を映し続けた。

 アルファの身に纏う制服は、どこもかしこもボロボロだった。

 削れたように破れた箇所もあれば、糸が解けてるところだってある。

 だけど、それに比べればそんなことはどうだっていい。注目すべき、いや、注視せざるを得ないのは、その腹部だった。

 アルファのおへそ辺りには、二本の線が入っている。

 それは、清々しいほどの切れ味で斬り裂かれた跡だった。そこを中心として、赤黒い液体が飛び出しており、紺色の制服がその液体を吸い取っている。

 ふと視線を移せば、左肩や太ももにも、同じような血色が──。

 

 ──血色。

 

 アルファの身に何が起こっているのか。直接は認識し難くても、勝手に頭の中で思い浮かんだ一つの単語が、無理矢理にそれを認識させた。

 途端に、ゾッと身体に冷気が纏わりついた気がした。

 全身に鳥肌が立ち、足先は何かに捕まれ、動かない。

 アルファが血を流している、それも夥しい量の。いや、違うのだろうか。既に流血は止まっていて、今はその名残が見えているだけなのだろうか。

 分からない。だけど、服に滲んだ血液の一部は、まだ鮮烈な色合いをしている。だからなんにせよ、早く…早く救急車を呼ばなきゃ、じゃないとアルファが──。

 

 その先は頭の中でさえも言葉にすることはなく、凍り付く足を半ば強制的に動かして、ボクはいつの間にか投げ出していた携帯を取りに行こうとした。

 だけどその寸前で、君が僅かな力で、ボクの服の裾を掴んだんだ。

 振り返ると君は、深く呼吸を繰り返しながら、覇気のない瞳をボクに向ける。

 ゆっくりと唇を動かし、ボクにそう言った。

 

 歩夢「ユウキ…もう一回、ぎゅってしてくれ…」

 

 木綿季「な、なに言ってるのさ…早くしないと…」

 

 歩夢「…お願い、なんだ…」

 

 そんな君の様子は、いつになく弱々しかった。

 ボクがどれだけ否定しようとも、その一つの可能性が浮かび上がってくる。

 だけど、今は何も考えたくなかった。

 アルファに二度も願われ、結局ボクは、もう一度膝を下ろした。今度は真正面から、アルファを力の限り抱き締める。

 アルファも同じように背中に腕を回してくれるけど、全然力が入ってなくて、ほとんど添えているだけだった。

 いやだ。違う。そんなわけない。

 確かな形で現われようとする事実は、大好きな君を抱き締め続けることで、如何にか誤魔化そうとする。

 ボクの胸に顔を埋めているアルファは、小さな声で、呟いた。

 

 歩夢「やっぱり…ユウキにぎゅってされるの…凄い好きだ…あったかくて…気持ちいい…」

 

 歩夢「無事でいてくれて…ほんとに、良かった…。ありがとう…生きててくれて…嬉しい…」

 

 ポツポツと心の気持ちを語り続ける君の様子は、もうそうとしか思えなかった。

 ボクは小刻みに身体を震わしながら、君の温もりを求めるよう更に強く包み込む。

 怯えの混じった声色で、ボクは君に言葉を放つ。

 

 木綿季「ねぇ…アルファ…そんな言い方しないでよ…」

 

 歩夢「ごめん…ちょっと、眠いんだ…子守唄、歌ってくれ…」

 

 こんな形で謝って欲しくなんかないのに、短く謝罪の言葉を述べたアルファは、ほとんど力の入っていなかった腕から、完全に力を抜いた。ボクに抱き締められるままに、安息の聖歌を求めてくる。

 そこで遂に、ボクは耐えられなくなった。言葉として、形として、それを発した。

 

 木綿季「…やだ…やだよ、ボクやだよ…アルファ、死なないで…」

 

 すると君は、少しだけ小さな笑い声を洩らす。まるでボクを慰めるみたいに、優しく伝えようとする。

 

 歩夢「死んだりしないって…ただ、ほんとにちょっと、疲れたんだ…今は、ゆっくり寝たいんだ…」

 

 勝手に溢れる涙を拭うことはなく、ずっとずっと君を抱き寄せ続ける。

 ぽたぽたと、君の頭に雫が落ちていく。

 涙に震えた声を隠すこともなく、ボクは想いのままに縋った。

 

 木綿季「う、うそだ…やめて…居なくならないでっ…ボクは、アルファが居なきゃ…もう…」

 

 …生きている意味なんて、ないんだ。

 

 この時ボクは、極々自然と、その言葉を伝えようとしていた。

 そこでようやく、ボクは理解出来たんだ。

 やっぱりボクは、君の為に生きていたいんだって。間違いなく、君がボクの生きる意味になってくれているんだって。

 それは仮初のものでもなければ、ましてやまやかしなんかでもないって、やっと…やっとボクは知れたのに──。

 

 そこまで言葉にする前に、眼下に映る君の様子に、ボクは気が付いてしまった。

 ハッと胸から君の顔を離すと──君は、穏やかな微笑みを浮かべながら、その瞼を固く閉ざしていた。

 

 木綿季「…アルファ…?アルファ?アルファ?ねぇ、アルファ!?」

 

 何度君の名前を呼んでも、いつものようにそれに応えてくれることは、もう無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこから何をどうしたのか。ボクはあまり覚えていない。

 いつの間にかモノトーンに染まっていた世界の中で、ボクは必死に君の身体を抱きかかえていた。もう今日で終わってしまうというのならば…片時も君の温もりを離したくはなかった。

 君を抱っこしたまま携帯を拾って、震えの止まらない指を動かした。

 何度も何度も打ち間違えながら、もう遅いって心の何処かで分かっていても、まず救急車に連絡を入れた。

 携帯越しに冷静に状況を訊ねてくる女性に対して、君が刃物で傷付けられていること、いま居る場所の住所、襲ってきた男もこの場で気絶していることを、嗚咽でつっかえながらも、何度も何度も説明し続けた。

 

 すると三分も経たないうちに、近くで二種類のサイレンが鳴り響いた。その場で緊急停車。玄関ドアが開け放たれる音が生じ、まずは警察官が複数名こちらに詰め寄ってきた。

 彼らは、君を抱き締めながらわんわん泣くボクを見て、次にその後ろで倒れる男を見つける。

 中年の警察官が、「この人が襲って来たんだね?」と訊ねてきたから、すぐに頷いた。一度抱き寄せる力を弱め、血に塗れたアルファの姿を見せると、急いで消防士さんを呼びに向かってくれた。

 続いて家の中に突入してきたのは、担架を持った二人だった。

 男の人が二人で協力してアルファをストレッチャーに乗せると、再び外へと向かっていく。

 付き添いに救急車に乗れることを知らされ、ボクは迷うことなく同伴した。

 

 外に停まっていた三台の白い車両は、白黒に映る世界の中でも、うるさいぐらいに赤い輝きを回転させていた。

 この異常事態を察したのか、ご近所さんがわらわらと家から飛び出してきていたけど、そんなの気にしている余裕なんてなかった。

 走り出した救急車の中では、複数人の消防士さん達が、目まぐるしく言葉を交わし合っていた。

 アルファの身体に処置を施す様子を、ボクは青い顔で見つめながら、繰り返し君の名前を唱え続けていた。

 

 …やだ。やだやだやだやだ。アルファがいなくなるなんて嫌だ。ボクのせいで死んじゃうなんて嫌だ。

 お願い。ボクを置いて行かないで。もう一人は嫌だよ。寂しいのは耐えられないよ。ボクはアルファと一緒に生きたいよ。

 でも、それが叶わないなら、せめて…ボクは死んでも良いから、せめてアルファのことだけは生かしてください。

 こんなにボクに必死になってくれた人は、初めてなんです。ボクはアルファに出会えて、初めて生きてて良かったって思えたんです。彼は凄く良い人なんです。ボクにとっても、この上なく大切な人なんです。

 だから…だからお願いですから、ボクの大切な──真に生きる意味となってくれた彼を、助けて下さい。

 

 いつ振りかに、ボクは両手を合わせて天にお祈りをしていた。この時ばかりは、神頼みせずにはいられなかった。

 その時だった、消防士さんの一人が、ボクにそう言ったのは。

 

 「大丈夫、命に別状はないよ」

 

 それは嘘みたいに、優しい言葉だった。でも、それで充分だった。

 

 木綿季「……良かった…ひっぐ…よかったぁっ…えっぐぅ…よかったぁぁぁっ……」

 

 一気に、世界に色が戻ってくる。

 そこは相変わらず白色ばかりが広がる空間だったけど、今は無性に輝いて見えた。

 てっきり君が死んでしまうのだと思っていたボクは、その言葉を受けて、これまで以上に大泣きしてしまったのだ。

 思った以上にアルファは軽傷なのか、手の空いているおばさんが、ボクの背中をゆっくりさすってくれた。

 彼の身体が圧迫されて止血されたり、或いは消毒や包帯を巻かれたりとしていると、病院に到着した救急車が、そこで停車した。

 

 担架に乗せられたアルファが運ばれていく様子を見届けてから、ボクも幾ばくか落ち着いた心で降り立つ。

 消防士さんに案内されて、非常口から病院に入ると…そこは、ボクの半生が詰まった場所だった。奇妙な縁だとは思ったけど、この辺の大病院と言えば、他でもないここだった。

 そこからアルファが運ばれた後をついて行くと、やがて君は、病室に入れられた。

 そこでボクは、反射的に訊ねたのだ。「手術とかはしなくていいんですか?」と。

 返ってきた返事は、「切り傷は深い所もあるし、出血も酷かったけど、縫ったり輸血したりするラインにまでは来ていないよ」とのことだった。

 

 処置の終わった君は、静かにベッドの上へと乗せられる。

 君は未だに、失神したままだった。

 アルファを見ててくれた先生は、一度席を外す。その場に取り残されたのは、ボクと看護師さんだけとなった。

 もしかしたら、このまま目を覚まさないかもしれない。ボクは君が心配で心配で気が気じゃなくて、途轍もない不安に駆られながら、ジッと君の様子に注視していた。

 そしてそれは、その後すぐのことだった。

 

 歩夢「……ん……」

 

 君の喉から、小さな唸り声が聞こえたんだ。

 続けて君は、もう開かないかと思われたその瞼を、ゆっくりと開ける。でも病室の証明が眩しかったのか、一度ぎゅっと瞼を閉ざした。

 そしてもう一度目を開けると、黒目をキョロキョロと動かして、辺りの様子を伺い…途切れ途切れに呟いた。

 

 歩夢「……ここ、は……?」

 

 一人そう呟いたアルファに対して、看護師さんが何かを伝えようとしていた。

 でもボクはそれを遮ってしまうほどに大きな声で、身を乗り出して君に答えを返したんだ。

 

 木綿季「アルファっ!!ここは病院だよ!!アルファが気絶したから、その間に救急搬送されたんだ!!」

 

 するとアルファは、呆けたようにボクのことを見つめ続けていたけど…やがてその身体を起そうとして──。

 

 歩夢「イタッ!?」

 

 だけど傷口が障ったのか、起き上がれず仰向けに戻る。

 とそこで看護師さんが、「安静にしてくださいね」と言葉を挟んできた。それでアルファは自分の状態を把握したらしく、「分かりました」と苦笑いしている。

 そんな君の様子は、まるで何事もなかったかのようで、でもボクにとっては、凄く怖い体験だった。自分が死んでしまうこと以上に、恐ろしい瞬間だったんだ。

 だからこそボクは、また止まらない涙を零れ落しながら、君に叫んだんだ。

 

 木綿季「ボクっ…ボクはっ、ほんとに心配したんだからね!?アルファが、アルファがぁ、死んじゃうかと思ってぇ…」

 

 泣き叫び始めたボクを見たアルファは、面喰ったように目を見開いてから、でもおどけた調子でこう言った。

 

 歩夢「な?言ったろ?死んだりしねぇって」

 

 それは本当に、憎たらしいほどに綺麗な笑顔だった。

 ボクは感情を抑え切れなくなり、最早お小言をを言うように言い返した。

 

 木綿季「っ……バカバカバカバカっ!!ボクがどれだけ怖かったか、分かってるのっ!?ボクはぁ、アルファが居てくれなきゃぁ、嫌なのっ!!ボクの世界には、アルファが必要なのぉっ!!」

 

 そんなボクの必死な様子を受けたアルファは、これまでとは打って変わって、心の底から申し訳なさそうな表情を作る。

 君に覆い被さるように近づいていたボクに、ゆっくりと右手を伸ばすと、頭の上にポンと手を乗せてくれた。

 そして君は、柔らかい手つきで髪を撫でてくれる。

 たったそれだけのことで、ボクの心は満足を示した。涙は堰き止められ、ただ心に安らぎがもたらされるのだ。

 そんなボクに微笑みかけた君は、そう言った。

 

 歩夢「…心配かけて、ごめんな」

 

 木綿季「…うん…」

 

 そこで一段落ついたボクらは、今度は出番を失っていた看護師さんに台頭してもらった。

 先程の先生が呼び戻され、アルファはその場で簡単な問診と検査が行われた。ボクはそれを、病室の端の方で眺めていた。

 やがてそれらが終わると、先生と看護師さんは病室を後にした。

 

 となると、そこからはボクとアルファは二人きりだ。

 だけど、いつものようにペチャクチャと話し出すことはなかった。

 今日はありきたりな毎日だと思ってたのに、たったの一時間足らずでそれは大きく変容してしまったのだ。起きた出来事に頭が追い付かなくて、話の話題を見つけられないのも、仕方のない事だと思った。

 でも、こういう沈黙は嫌いじゃない。アルファとは何も喋らなくたって、一緒に居てて落ち着くから。

 だからボクはもう少しだけ、この心地良い静寂を味わうことにしたんだ。

 ベッドに横たわり、ボーっと天井を見つめるアルファが、外の闇を反射する窓の中に映っている。そしてボクは、空気が流れる音に耳を傾けながら、窓に映る君の姿を眺めている。

 一体、どれぐらいの時間が経っただろうか。

 一つ、言わなきゃいけなかったことを思い出したボクは、君を呼び掛けた。

 

 木綿季「…ね、歩夢」

 

 すると君は、こっちに顔を向けて、相槌を打ってくれる。

 それを受けたボクは、アルファの頭に手を伸ばすと…さっきの君と同じように、優しく髪を撫でながら、それを伝えた。

 

 木綿季「…こんなに傷付いてまで、ボクを助けてくれて…本当に、ありがとう…」

 

 例え刃物で身体を痛み付けられようとも、拳で殴りつけられ、身体を腫らすことがあろうとも、君はボクを助け出すために、命までをも投げ出してくれた。

 それが、君がボクに向けてくれる愛の重さなんだって思うと、すっごく心が温かくなるんだ。

 愛する君を労わるように、ボクがアルファの頭を撫でると、君は心地良さそうに瞳を閉ざした。

 

 歩夢「あぁ…別に、木綿季の為だったら、これぐらいお安い御用だからな…」

 

 木綿季「それはちょっと、頑張り過ぎだよ…ちゃんと、ご褒美用意しとくからね…」

 

 これがアルファにとっては簡単なことだって言うなら、君が本気を出せば、一体どれぐらい凄いことをしてくれるんだろう。

 アルファの大言壮語としか思えない…って言うか、そうじゃないとアルファが凄過ぎる一言に、ボクは思わず苦笑いしてしまった。

 

 ここまで頑張ってくれたんだから、勿論アルファには報労が必要だ。

 これほどの英雄的行動に、どんなものがご褒美となり得るかは見当もつかないけど、何もしてあげないのはダメだろう。

 与えられた分は、ちゃんと与え返す。それが良い関係の築き方だから。

 と贅沢な困りごとが舞い込んできたボクを、アルファは迷ったような表情で見つめていた。

 二度、三度視線を泳がせるも、しかし最後にはボクの瞳を見据え、その口を動かした。

 

 歩夢「…なぁ…そのご褒美、俺からのお願いでもいいか…?」

 

 木綿季「…うん、いーよ」

 

 アルファ自身が欲するものをボクが与えてあげられるなら、それはアルファが満足出来る形に違いない。

 今から何をお願いされるのか、ボクは色んな意味でドキドキしながら、君の言葉を待った。

 呼吸を整えるように少し間を置いたアルファは、物凄く真剣な表情で、ボクに望みを伝えた。

 そしてそれを聞いたボクは──。

 

 木綿季「……え……?ご、ごめん、もう一回、言ってくれるかな……?」

 

 ──その言葉が、ボクにとっては余りに衝撃的過ぎて、一度だけではその意味を汲み取れ切れなかったのだ。

 

 今のは……ボクの聞き間違いなのかな……?

 確かに聞き取ったはずの一言。もし……もしそれが、都合の良い幻聴じゃなかったのならば──。

 訊ね返したボクに、今度のアルファは恥ずかしそうな表情を作ると、でももう一回だけ言ってくれたんだ。

 

 歩夢「その……俺と一緒に、あの家に住んで欲しいんだ……」

 

 木綿季「……」

 

 …やっぱり、聞き間違いなんかじゃないかった。アルファはいま確かに、「一緒に住もう」って、ボクに言ってくれた…。

 君からその言葉を聞いたその瞬間、有り得ないぐらいに、ボクの全身は喜びに満ちていた。衝撃が大き過ぎて、最早心臓が止まったのかと錯覚するぐらいだった。

 ボクは思わず目を見開きながら、その場で硬直する。

 するとアルファは、少しだけ気まずそうな表情を作り、言葉を放とうとする。

 

 歩夢「あー…いや、無理なら全然構わないん──」

 

 木綿季「いい!!良いよ!!ボクのお家で一緒に住もうよ!!これからずっと一緒に暮らそう!!」

 

 だけどボクはそれを遮って、君の言葉を快く受け入れた。

 最後の言葉はちょっぴり気が早かったかもしれないけど、もうそんなことがどうでも良くなるぐらい、アルファが同棲を申し出てくれたことが、ボクは嬉しかったんだ。

 だって、これまでのアルファは、恥ずかしいのか照れてるのか良く分からないけど、あの家を自分で買った癖に、「あのお家はボクの物だから」とか、「俺が住んでちゃユウキの家族に悪い」とか、なんだかんだのらりくらりと理由を付けて、ボクのお家で生活しようとしてくれなかったんだ。

 ボクはSAOの頃みたいに、ずーっと一緒に居たいのに、アルファはそれからそそくさと逃げ回ってたんだ。

 

 それが一体、どういう心の変わり様なんだろう。

 今のアルファは積極的に、ボクとの生活を求めてくれた。

 ポカポカとした気持ちとドキドキと鳴り響く心音にほとんどが覆われている中、ボクは残された少しの部分で、それを不思議に思う。

 そんなボクの内心に気が付いたのか、アルファは苦笑いしながら、ボクにその訳を話してくれた。

 

 歩夢「…今日さ、ほんと酷い目に遭っただろ?でも…もし俺と木綿季が一緒に住んでたら、あそこまで危ないことにならなかったのかなって思って…だから、それならいっそ、もう木綿季と一緒に暮らしたらいいんじゃないかって…」

 

 木綿季「うん、絶対その方が良いよ!!ボクも、歩夢と一緒に暮らしたいって、常日頃から思ってるからね!!」

 

 それは確かに、アルファの言う通りだ。

 だからボクはそれに乗りかかるように、アルファとの同棲生活を決定したのだ。

 アルファの気が変わっちゃって、やっぱ延期とか言われちゃ嫌だからね。こういうのは勢いで押し流さなきゃ!

 

 そうしてボクらは、この日を切っ掛けにして、同棲生活を始めることになったんだ。

 アルファが病院から出たその日から、君とのより一層満素晴らしき生活が始まることを予感したボクは、今からでも溢れる笑みを抑えられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




 次回の投稿日は、六月十八日の土曜日となります。

 では、また第191話でお会いしましょう!
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