では、どうぞ!
「…ここは…?」
それは本当に、唐突だった。気が付くと俺は、よくある住宅街に突っ立っていた。
思わず疑問を言葉に出してしまうも、それに誰かが答えてくれることはない。
眼前には、アスファルト舗装された道路が続いており、その先には、人一人いない十字路が広がっている。
視界の両端では家々が立ち並び、等間隔に電柱が重なり合っている。電線には、青空のもと数匹の雀たちが、のんびりと羽休めしていた。
まさしく、オーソドックスな住宅エリアだ。
その光景が、ステレオタイプだからなのだろうか。俺はどうにも、この街並みに見覚えがある気がした。
…いや、それ以前に、俺はどうしてこんなところに居るのだろうか。昨日はいつも通り、学校から彼女と家に帰ってきて、一緒に宿題したりゲームしたり、ご飯を食べたりしていたはずだ。
それで夜も遅くなったことだから、最後に──。
「そんなにボーっとしちゃって、大丈夫?」
ふと君の声が、何処からか響いた。
それが合図となって、遠くの方へと向かっていた思考は、ぐんと呼び戻される。
反射的に背後へ振り向くと、白いワンピース姿の君が、俺をジッと見つめていた。
君が居てくれる。たったそれだけのことで、俺は大きく安堵の息を吐き出した。
「なんだ、そこに居たのか、木綿季」
「当たり前じゃん。歩夢が駅前でいきなり立ち止まっちゃうから、また怖気づいたのかと思ったんだけど──」
君が居てくれるなら、それだけで充分だ。その言葉には微塵の嘘も紛れていないからこそ、俺は笑顔を綻ばせてしまうのだろう。
俺の言葉に当然だと言ってくれるユウキは、続けてペラペラとその口を動かしていく。
とその瞬間、俺は些細な違和感を覚えたのだ。
「え?駅前?」
「うん、ボクのお家の最寄り駅だよ」
…なに言ってるんだよ。俺達はいま住宅街に──。
そう彼女に伝えようと、俺は再び背後に振り返る。
するとそこには、ユウキん家の最寄り駅である星川駅が聳え立っているのだ。
…見間違いだろうか?俺は目を軽くこすってみたけれど、駅の姿が歪んだり霞んだりすることはない。となると…俺の方が見間違えていた…?
再び、頭の中がぐるぐると混迷していく。
どれだけ昨日のことを思い出そうとしても、どうにも記憶を思い起こせない。俺の記憶は、ついさっきの住宅街を認識したところから始まっているのだ。
そのおかしさに、徐々に解せない疑念を生じさせていく。おさらいがてらにもう一度、俺は昨日を振り返ろうとするのだ。
直前、俺は何気ないユウキの言葉に、大きな齟齬を感じ取った。
それすなわち──『ボクのお家』。
…有り得ない。ユウキは必ず、『ボクらのお家』と言うはずなんだ。一体何が何やら、ますます──。
「もう、いつまでそうしてるのさ。今日こそ、ボクのお家に遊びに来てくれるんじゃなかったの?」
「え…?」
脳内が疑問符で覆い潰されそうになっていた最中、ユウキは怒ったように頬っぺたを膨らませ、俺にそう言ってきた。
しかし、そんな君の言葉も相俟って、俺は更なる混乱状態へと陥るのだ。
…きょ、今日こそ…?俺はこれまでに、何度もユウキの家に遊びに行ってるし、そもそもここ最近なんかは──………いや、最近は…………。
何度記憶を叩き起こそうとも、それは目を瞑ったまま、最奥から出てこようとはしない。寸前まで記憶が呼び起こされているはずなのに、靄がかかったかの如く、それをハッキリと思い出せない。
そうこうしているうちに、その記憶はどんどんと深い眠りへ誘われていく。
そして俺はやがて、そんなことがあったことさえ認識出来なくなり──。
「…ホントに大丈夫?今日は午前中で学校が終わりだから、そのままボクのお家に来てくれるって言ってくれたじゃん」
今度は打って変わって、制服姿の彼女は、心配そうに俺を覗き込んでいた。同じく制服姿であった俺も、確かに今日は学校に行っていたなと、そう納得するのだ。
しかし、その間の沈黙が、ユウキにとってはそう思えたのだろう。表情をコロコロと移り変えていた君は、今度は少し悲しそうな表情を浮かべたのだ。
「…もしかして…忘れちゃったの…?」
ユウキにそんな顔はさせたくない。そんな気持ちを契機として、瞬く間に今朝方の記憶が蘇る。
そして俺は確かに、彼女との通学途中に、今日こそはユウキのお家を訪問する約束を、指切りげんまんしていたのだ。
このままだと、君は今にも泣き出してしまいそうな勢いだ。そんな彼女を諫めるべく、俺は慌てて言い返した。
「い、いや、忘れるわけないだろ。勿論、遊びに行くに決まってんじゃん」
と俺が言うと、ユウキは途端に嬉しそうな表情を浮かべた。
…多分、さっきの泣いちゃいそうな表情は、彼女の策略だったのだろう。上手く罠に嵌められてしまった俺は、苦笑いを浮かべることしか出来なかった。
「そっかそっか~、意気地なしの歩夢も、やっとそのつもりになってくれたんだね~」
「?」
今になって、俺はもう一つ疑問を覚えた。
そう言えば、俺はどうして、ユウキのお家に遊びに行くことを避けていたのだろうか、と。
ユウキに「意気地なし」だと言われてしまうぐらいに、言い訳に言い訳を重ねて迂回していたその理由は、一体どこにあったのだろうか、と。
しかしその記憶はどうにも思い返すことが出来ず、俺は不透明な頭を抱えながら、上機嫌な彼女のあとについて行った。
これはもしや、脳に異常があるのだろうか。そんな不安を抱いているうちに、ユウキのお家が見えてくる。
初めて見るはずのそのお庭の大きなお家は、やっぱり何処か見覚えがある気がして仕方がない。今日はどうにも、あれこれと疑問に思うことが多いな。
ユウキは門前でインターホンを鳴らすと、俺の手を引いて自宅の玄関へと向かっていく。
すると──玄関ドアが、独りでに開いた。
と言っても、向こうからは華奢な手が伸びている。オバケの仕業とかじゃあない。
その様子から、誰かがドアを開けてくれただろうことは理解出来るのだが…意味が伝わらないかもしれないが、その事象自体が理解出来ない。いま目の前で起こったことに、俺は甚だ困惑していた。
そして向こうから姿を現したのは──。
「あら~…遂に歩夢君、連れてきちゃったのね?」
「へー、その人が歩夢君、ね…確かにユウ好みって感じかな~」
──これ程にまで華麗な女性を、俺は見たことがあるだろうか。
絶世の美女。そう呼ぶに相応しい二人が、玄関口から姿を現したのだ。
一人の女性は大人っぽいお姉さんで、もう一人の女の子は、俺と同じぐらいの年齢だろうか。
しかし、年齢なんて関係ないぐらいに、その女の子はお姉さんに良く似ている。そんな御淑やかな印象を、俺は彼女から受け取っていた。
前述の通り、有り得ないぐらいに美人だ。と言うか、美人なだけじゃない。上品で可愛らしくもあって、綻ばせる笑顔は万人の心を射止める──それは、俺とて例外ではなかった。
君と言う人がいるというのに、俺は暫し、二人の完全に心を奪われていたのだ。隣から注がれる君のジト目に気が付くこともなく、ただボーっとその二人を眺めて…。
そこで、俺は一つ思い出した。
それは、木綿季は『双子』であるという事実だ。
となると──正直言って信じられないが、お姉さんは自動的に…お、お母さん!?!?そして…お姉さんの妹だとばかり思っていたその子が…ユウキにとってのお姉さん…!?!?ヤバすぎるだろ、これ…。
なんて思考を浮かべていたのも、ものの数秒ぐらいの話だった。
何せ俺には、その余りの美貌に延々と夢中になる以前の問題があった。この眼前に広がる光景に、極度の違和感を覚えざるを得なかったのだ。
それすなわち──何故、ユウキの家族がお出迎えしてくれたのか。
いや、ここはユウキの家族の住んでいる家なのだから、それは当然のことなのだろう。
だがこの当たり前が、俺にはこれ以上になく不可思議で…同時に、物凄く喜ばしいことに思えたんだ。
自分でもよく分からない。俺は二人に向けて小さな微笑みを零すと、隣に立つユウキに顔を向けた。
「二人が、木綿季のお母さんとお姉さんなのか?」
すると、何故だか俺と同じように、二人をボーっと見つめていた君も、意識を取り戻したようにこちらに顔を向けてくれる。
そしてユウキは、満面の笑みで言ってくれるのだ。
「…うん、そーだよ!二人がボクの姉ちゃんとママなんだ!!もしかして歩夢、惚れちゃったりしてないよね?」
「ま、まさか」
「でも、一瞬揺れてたでしょ」
「…最後には戻って来たぞ?」
「それもそうだね~。じゃ、許してあげる」
と俺達が周りの目を気にすることなくそんな会話をしてしまうと、二人は揃って愉快そうな笑い声を響かせた。
そこで俺とユウキも、自分たちの恥ずかしい会話内容に気が付く。同時に顔を赤くしているうちに、ユウキのお母さんが手招きしてくれた。
「お邪魔します…」とユウキに遅れてお家に立ち入らせてもらうも、この場所にやって来るのは、初めてじゃない気がしてならない。やはり、気のせいでしかないだろうか?
するとその場で、二人からは簡単に自己紹介をされたので、俺も同じく軽く自己紹介しておいた。
それから、ユウキに連れられるまでもなく、俺は彼女と並んで、手を洗うために洗面所にまで向かってしまう。
彼女のお母さんはリビングの方へと向かったのだが、一方お姉さんはというと──。
「ね、歩夢君。ユウのどこに惚れちゃったの?」
「そう、ですね…」
──俺とユウキにひょっこりついて来て、何気なくそんなことを訊ねてくるのだ。
お姉さん相手に誤魔化しは効かないだろう。俺も真剣に答えるべく、少々頭を捻らせてもらう。
俺が顎に手を当てて考え込んでいると、ユウキは両手をぶんぶんと振り回しながら、お姉さんに猛抗議していた。
「ね、姉ちゃんっ!あんまり恥ずかしいこと聞かないでよ!!」
対するお姉さんは、あくまでも冷静に、しかし捉えきれないほどに洗礼された動作で、ユウキの背後に回った。そしてそのままガシッと、羽交い締めで彼女を捕縛してしまう。
すると、お姉さんに包み込まれたユウキは、呆気なく静かになってしまうのだ。急に勢いを失ったユウキに、お姉さんは微笑みを向けていた。
「なに~?実際のところは、ユウも聞いてみたいんじゃない?」
すると君は、少しだけ頬を膨らませると、そう言った。
「…ぼ、ボクはもう、知ってるもん。だから聞かなくてもいいもん」
「んー…ユウは相変わらず可愛いねぇ~」
「ですよね、藍子さん。そういうところも、好きなポイントの一つです」
お姉さんの言葉には共感しかなかった俺はコクコクと頷くと、お姉さんはパッとユウキを解放した。
だけどユウキは甘えん坊なのか、暫しお姉さんにもたれ続けるのだ。
そんなユウキを愛おしそうに眺めながら、彼女を受け止め続けているお姉さんは、俺に極あっさりとそう言った。
「別に敬語なんて使わなくてもいいよー。私の方が年下だしね。だからこれからは、お 義 姉 さ ん って呼んでね?」
「お、お義姉さん…っ!?」
衝撃で硬直する俺を眺めるお姉さんは、その微笑みを崩すことなく、ゆったりとした動作でリビングへと向かって行った。
その場に取り残されたユウキは、「姉ちゃんはボクの姉ちゃんだからね!」と、俺を敵視するようなキッとした視線を向けてきた。いや、ユウキからお姉さん奪うつもりなんてないんだけどな。
お姉さんかお義姉さんか、どっちの意味で捉えればいいのかは漠然としていたが、恐らく後者な気がするのは何故なのだろう。
ユウキのお姉さんって、俺より一個下には見えないよなぁ…寧ろ俺より一個ぐらい年上な気がするよなぁ…あ、あれだぜ?老けてるとかじゃなくて、お姉さん的な包容力があると言うか……あれ?ホントにユウキと双子なのかなぁ…?
などと、君に失礼なことを思いつつも、俺もリビングの方へと踏み入った、瞬間だった。俺がどうしようもなく、その場から逃げ出したくなったのは。
「…歩夢?どーしたの?早くこっち来なよ?」
──どんな神経してたらそっちに行けるんだ!?どうしたもこうしたもないだろう!?
なんて俺の叫び声は、ギリギリ心の中で留まってくれた。
既にユウキはテーブルの椅子に腰かけており、その隣の席をポンポンと叩いてくれる。
そこだけ見れば、その空席は、君の隣に座れるという意味で、最高に魅力的ではあった。
がしかし、その前方には──第三の人物が深く腰を下ろし、こちらを睨み付け…いや、眺めていらっしゃるのだ。
そして俺は思い出した。俺はどうして、ユウキのお家に遊びに行く気になれなかったのかを。
彼女の問い掛けには答えることもなく、俺はその場で素早く百八十度回転する。そしてすぐさま、全速力で玄関へとダッシュしようとしたのだが──。
「歩夢君~、逃がさないよ~」
俺が一歩踏み出そうとしたその時だ。
恐らく向こうも、こうなることを想定していたのだろう。
こちらの行動を先読みして、先に俺の背後で待機していたユウキのねーちゃんが、そこには仁王立ちで待ち構えていた。
それにビックリしている間に、お義姉さんは俺の両肩に軽く手を添えると、そのまま俺を更に百八十度回転させた。
となると、俺は一周回ってもう一度テーブルの方向へと向き直ったわけだ。
思わずそちらに一歩踏み出してしまい、がしかし、俺はまだ諦めない。この場から脱するべく、再び振り返ろうとするも──。
「歩夢君?お茶の準備出来たから、みんなでおやつタイムにしましょう?」
今度は、お盆にお菓子と紅茶を乗せたユウキのママにそう言われてしまい、もう逃げ出すことは不可能であることを悟った。藍子さんに腕を引かれ、俺は大人しくユウキの隣に腰を下ろすことになったのだ。
お義姉さんが俺の腕を掴んだその瞬間に、ユウキとねーちゃんの視線がバチバチとぶつかり合っていたのは…これまた気のせいだろう…気のせいだよね?
俺はユウキの隣に、お義姉さんはユウキの隣に、そしてお義母さんはユウキの向かいに腰を下ろす。
しかし、この場に集っていたのは四人だけではない。
もう一人…つまりは俺の目の前には──。
「なぁ、木綿季…こ、この方が…木綿季のお父様、なのか…?」
「うん、ボクの自慢のパパだよ!」
前方、先程から無言を貫き通し、椅子に深く座り込んだその人こそが、ユウキのパパさんであった。
見た目こそゴリゴリの親父感はなく、出来る若手のサラリーマンと言った印象を受けるものの、その身体からは圧倒的なオーラが放たれている。
完全に呑み込まれている俺は、ビクビクと小さくなって椅子に腰掛けることしか出来ない。
他三人は仲良くお喋りをしながら、時折俺に話を振ってくることはあれども、お義父さんは一向にその口を開かなかった。紅茶やお菓子にだって手を出すこともなく、ただジッと俺を見据えていた。
そしてそれは、唐突に訪れた。お義父さんが紅茶を一口嗜むと、その口を動かしたのだ。
「…歩夢君、だったかな?」
「は、はい…」
いきなり名指しで呼ばれた俺は、ビクッと身体を驚かせる。
その様子を見てユウキは笑い声を上げていたが、正直言って構ってられない。
一体今から何を告げられるのか。まさかユウキと別れろとか言われるんじゃないだろうか。俺は不安で胸がいっぱいだったのだ。
そして、お義父さんが俺に放ったその一言は──。
「歩夢君は、木綿季のことを、大切にしてくれるか?」
──完全に、予想の斜め上を行ったものだった。
それ故に俺も、暫しの放心状態に襲われる。
がしかし、お義父さんに覚悟を問われて、俺の返す言葉などそれ以外に有り得なかった。
すぐに気を引き締め直すと、お義父さんの瞳を見据え、俺はハキハキと返事をした。
「へ?…あっ、勿論ですっ!木綿季のことは、これからもずっと大切にしてみせます!!」
すると、お義母さんやお義姉さんは「良かったねぇ~」とユウキに和やかな表情を向け、彼女は「えへへ…」と嬉しそうにはにかんでいた。
そんな娘の様子を見て、お義父さんも微笑みを浮かべる。その様子に、俺もホッと息を吐き出してしまう。
そして、お義父さんは再びこちらを見やる。これまでとは違って、気を許したような温かい表情を俺に向けながら、何気ない様子でそう言った。
「そうか、なら私達も安心だ。木綿季のこと、よろしく頼んだよ」
「何言ってるんですかお義父さん~、まだもう暫くは、そんな大層に任されるわけにはいかないですよ」
まだ学生の間は、ユウキを支えていられるだけの力なんて勿論ない。お義父さんのジョークとも言える言葉に、俺は先程までの緊張感が解れた身体で、笑い飛ばすように言葉を返したのだ。
しかし、お義父さんは満足そうな微笑みを崩すことのないままに、またそう言ってくるのだ。
「いやいや、もう私達には時間がないからね。歩夢君が木綿季を大切にしてくれるなら、それで充分だよ」
その言葉の意味は、よく解せなかった。
だけど、今すぐにその訳を聞かねばならない気がする。俺は焦って訊ね返そうとしたのだが──。
「…いや、一体どういうことなんです──」
「──痛っ……」
──自身のおでこに、何か硬いものがぶつかってきた。
その衝撃自体は微かなものだったが、無防備な俺には強烈なものだったらしい。
半ば強制的に意識を取り戻した俺は、徐に目を開ける。
するとまず視界に飛び込んできたのは、小さな左手の像であった。その状態から察するに、如何やらユウキが、寝返りを打って俺の頭に腕を落してきたみたいだ。
チラリと横目に見える君は、心地良さそうに瞼を固く閉ざし、ゆっくりと胸を上下させている。
まだ起こしちゃ可哀想だろう。そう思った俺は、暫しその状態でゆっくりすることに決めた。
…しかし、さっきのあの夢は……。
先程の出来事が頭の奥深くへと沈み行き、不鮮明になって思い出せなくなる前に、色々と整理していたその時だ。
額に乗っていたユウキの腕が動いたかと思うと、彼女はこちらに眠たげな顔を向けてくれた。
木綿季「…ぁれ…歩夢ぅ…起きてたんだ…」
歩夢「ん、おはよう、木綿季。俺もいま起きたとこだ」
木綿季「んー…おはよぉー…」
寝起きのちょっと抜けた感じのユウキ。それを同じベッドで横たわりながら眺められるなんて、俺はいま間違いなく、最高の気分に溺れている。
でもそれを表情に出してしまってはアレな気もするので、微笑みのポーカーフェイスは忘れない。
一方君はと言うと、なんだかニコニコとした表情で、物思いに耽っているようだった。
歩夢「なんか嬉しそうだな。良い夢でも見たのか?」
と俺が尋ねれば、ユウキはその夢の出来事を咀嚼するよう、瞼を閉ざした。そして小さな息を吐き出すと、俺に答えてくれた。
木綿季「…まぁね、すっごく楽しい夢だったよ」
歩夢「へぇー、どんな?」
そこまで楽しい夢なんて、一体どんな夢だったのだろうか。ついつい気になった俺がまた尋ねると、ユウキはいたずらな笑みを浮かべ、言うのだ。
木綿季「それは秘密~。因みに歩夢はなんか見たの?」
歩夢「俺は…試練みたいな夢だったなぁ…」
そして俺も、今晩夢見た世界をそう表現すると、彼女は興味が湧いたらしい。こちらにもう一つ訊ねてくる。
木綿季「へぇー、どんな夢だったの?」
歩夢「…トップシークレットだ」
木綿季「あっ、マネっ子じゃん!」
しかし、少しばかりその話をするのが恥ずかしかった俺は、ユウキと同じようはぐらかしてしまうのだ。
すると君は、指差して言い返してくるが…それはお互い様だろう。
そう言った意味も込めて、俺は意を決してベッドから起き上がると、彼女に答えることなく、そのままお布団から出てしまうのだ。
歩夢「今日は終業式だからさ、サッサと朝の準備しようぜー」
木綿季「あっ、誤魔化さないー!」
結局、俺は最後まで、ユウキに夢の出来事を話すことはなかった。
だけど、誓ったその気持ちは、偽りなく本物であったことを、俺は君に約束しよう。
────────────
空全体が薄雲に覆われ、天は水っぽい青色に染まっている。丸いお日様もその後ろに隠れているけれど、そこから充分に暖かい光を届けてくれていた。
何処からか小鳥の囀りが聞こえてきて、小さな羽音と共に、赤いてんとう虫が目下を通り過ぎていく。ボクは思わず手を伸ばしたけれど、それを捕まえることは出来なかった。
隣からは、スコップを使って、ザクザクと焦げ茶色の土を掘り返すリズムが響いている。
ついついてんとう虫に夢中になって手を止めていたボクは、彼と同じようにスコップを手に取り直すのだ。
歩夢「木綿季、そこミミズいるぞ」
ボクらは協力し合いながら、スコップを使って丁寧に、等間隔な穴ぼこを作ってるんだけど…丁度ボクが掘り返そうとしたところに、うねうねと動くミミズさんが土から顔を出したのだ。
それをボクよりも先に見つけ出したアルファは、指差してそれを教えてくれた。
木綿季「あっ、ホントだ。土が良い証拠だね~」
アルファが指差しで気が付いたボクは、傷付けないよう気を付けながら、ミミズさんをスコップで救出する。
とそんな行動を何気なく取っていると、彼は少し不満そうな表情で、ボクのことを眺めていた。
歩夢「木綿季ってさ、あんまり虫嫌がらないよな…」
木綿季「そうだね~。もしかしてだけど…ボクがそんなタイプに、見えちゃったりしてる?」
歩夢「いや、全然」
これだけずっと一緒に居るのに、もしかしてアルファは、ボクが虫を怖がる可憐な女の子とでも思っていたのだろうか。
でも実際のボクは、虫なんてへっちゃらなんだ。
試しに首を傾げて問い掛けてみると、君もそのことは充分に分かっているみたいだった。気持ちが良いぐらいにキッパリと答えてくれたよ。乙女としては、虫に怖がるべきなのかもしれないけどね。
カマキリとかカナブンとかコオロギとか、昆虫の類は、ボクにとってはへーきな存在だ。
だってそうじゃなきゃ、虫系モンスターが沢山出てくるSAOで生き延びるなんて不可能だよ。オバケが苦手なアルファとは違って、ボクは怖いものなしなのだ。
そんなボクだけど、一匹ぐらいは天敵がいるんだよねー。それは──。
木綿季「でも…幼虫とかはちょっと苦手かなー…」
中身の透けた白乳色、身体を横切るような数々の筋、濁った黒色の頭に、短い茶色の足…あれがうねうねしているところを想像すると、それだけで全身に鳥肌が立っちゃう。何がなんでも受け付けられないってほどじゃないけど、幼虫はあんまり好きじゃない方なんだ。
SAO時代にも、幼虫モンスターと対面することはあったんだけど…精神的なダメージは酷かったよ。アルファの前じゃ、平気なフリしてたんだけどね。
ボクは手を動かしながらそう言うと、彼はニヤッと笑い掛けてくる。
歩夢「じゃあ今年は、花だけじゃなくてカブトムシの幼虫も育てようぜ」
木綿季「絶対やだ。成虫なら飼っても良いけど、幼虫はごめんだよ」
…分かった。多分アルファは、ボクに虫を怖がって欲しいんじゃない。怖がるボクを揶揄いたいんだ。
君の最悪な提案には、ほぼ反射的に拒否しておいた。あんまりそんなこと考えてると、今度はリアルのお化け屋敷に連れて行っちゃうんだからね…ううん、そうじゃなくても、いつか連れて行こっと。
ボクがそんな恐ろしいことを考えてる一方で、君は一生懸命に、お花屋さんで買ってきた苗を植え付けていた。彼はきっと、この恐怖の企画には、微塵も気が付いていないんだろう。
アルファの動きに倣って、ボクもまたラベンダーの植え付け作業を行う。他にも色んな種類の苗を植え付けると、それで準備が完了だ。
歩夢「綺麗に咲くと良いな」
木綿季「春が楽しみだね」
ボクらの前に広がる赤レンガの花壇は、今はまだ殺風景だけど、時期が来たら、それはもう美しい光景を作り出してくれるのだろう。
一通りの作業を終えたボクらは、お家に戻って手を綺麗にした。
木綿季「おやつにしよっか」
歩夢「そうしようそうしよう」
ガーデニングを頑張ったご褒美として、苗と一緒にお菓子屋さんで買ったマフィンを用意しちゃう。ボクがお皿を取り出している間に、彼は紅茶を準備してくれた。
お皿を二つ手に取って向かうのは、食卓テーブル…ではなく、勿論ソファだ。ソファ前の小さなテーブルにお皿とコップを置くと、二人揃って腰を下ろした。
アルファとの同棲生活が始まって、まだ一カ月も経過していないのに、これまでずっとそうしてきたみたいに、ボクらの波長は上手く嚙み合っているんだ。
マフィンは色んな種類を買ってきているから、当然の如くそれらをシェアしつつ、ボクらはおやつタイムを楽しみ始めた。
するとその最中に、アルファがふとそう言ったのだ。
歩夢「そういや…もうすぐ記念日だけどさ、今年はどうする?」
その件に関しては、ボクもそろそろ繰り出そうと思っていたのだ。
でも、出来ればアルファから切り出して欲しくて…別に、それで君のボクへの愛の深さが推し量れるわけじゃないんだけどね。
だけど、自分から切り出してくれた方が、アルファもボクのこと大切にしてくれてるのかなーって思えるから…要するに、ボクの我儘みたいなものだ。
そして彼は、ボクの望み通りに行動してくれた。それだけでも、心はほんわか嬉しくなるのだ。
木綿季「やっぱり歩夢ってさ、そういうのちゃんと覚えてるんだね」
温かい紅茶の入ったコップを手に取ったボクは、思ったままの言葉を掛けておいた。
すると彼は、微笑みながら答えてくれる。
歩夢「そりゃ、木綿季との大切な日だからな、忘れるわけにはいかねぇよ」
木綿季「ふ~ん…そっかぁ…」
…そんなの、ボクも同じ気持ちに決まってるじゃん。
なんて言葉は、お茶と共に胃袋に流し込んでしまった。気恥ずかしさを誤魔化す為に、彼には適当な相槌を打っておく。
こうやってアルファは、偶に…いや、結構な頻度で、凄く嬉しいことを言ってくれる。
しかもそれが、心から放たれた純粋な想いであるということは、その何気ない言い草から十分に伝わってくるのだ。
こういうところが、何万通りとあるアルファの良い所の一つなんだよね。
歩夢「木綿季はなんか案あるか?」
木綿季「そうだね~…今年はリアルでどっか行きたいな」
彼に本題を問い直され、ボクも暫し考え込み…そう答えた。
去年は仮想世界で記念日デートしたし、ボクのエイズも完治したのだから、今年は現実世界でのデートがお望みだったわけだ。
ボクの解答に対して、アルファは同じく頷いてくれた。
歩夢「やっぱそうだよなぁ…じゃあ、行きたいところとかは?」
木綿季「ん~……まだ二人で行ってないところ、とか?」
歩夢「そうか…行ってないところ、か…」
二つ目の質問に対しては、ちょっぴり意地悪な答えを出しちゃった。
ボクは現実世界に戻って来て、まだ一年も経っていないけれど、二人っきりにしろみんなでにしろ、ボクらは結構遊び尽くしている。そんな中まだ行っていないところを提案するのは、ちょっぴり…いや、結構意地悪だったね。
それでも彼は、頑張って頭を捻って、ボクの無理難題に応えようとしてくれる。だから言い出しっぺのボクだって、ちゃんと思案せずにはいられなかった。
そして──不意にアルファが、左拳を右の手のひらに打ち付けた。パチンと乾いた音と共に、ボクも思考の海から引っ張り出される。いつの間にか、手に持っていたはずのマフィンは消え去っていた。
何か良い事を思い付いたのだろう。彼は清々しい表情で、その口を動かすのだ。
歩夢「水族館!そういや俺達、まだ水族館行ってなくないか?」
木綿季「あ~!確かにそうだね!うん、水族館行こうよ!」
なるほど、それは盲点だったよ!
君から水族館の存在を知らされ、いつの間にか頭の中から排除していたその選択肢を思い出す。
そんなド定番のデート先なんて、ボクはてっきり、ずっと前に訪れたと思ってたんだけど…案外、そんなことはなかったみたいだ。
意見が一瞬にしてすり合わせられたボクらは、瞬く間に水族館デートを決定したのだ。
これで記念日の計画も万端!あとはその日に備えて、アルファと毎日を楽しく過ごすだけだ!!
そう思っていた矢先だ。ボクの隣で深く腰を下ろしている彼が、再び考え込むような素振りを見せたのは。
歩夢「あ、でも…流石に水族館だけじゃ…時間余るだろうし…ちょっと他の行先も──」
木綿季「──そんなにきっちり考えなくても、いいんじゃない?」
君がその続きを言葉にしてしまう前に、ボクは重ねて問い掛けることにしたんだ。
するとアルファは、ボクの言葉に反応してくれた。
歩夢「…そうか?」
木綿季「うん、いつもみたいに、結構適当に考えようよ。ボクは歩夢と行くところなら、何処だって楽しいからさ~」
とボクが良い感じの言葉でその流れを作り出そうとすると、アルファも「まぁ、そうだよな。いつも通りで良いよなぁー」って言いながら、ボクに同調してくれるんだ。
瞬間、ボクは心の中でガッツポーズを浮かべる。
デートに関してあれこれ計画を立てるのは、ボクは案外好きじゃないんだ。どっちかというと、結構行き当たりばったりなデートの方が楽しめるからね。
その気持ちは、表の表情には出ていなかったはずだ。
でも、ボクの隣に居てくれる君は、もう何年も一緒にいるんだ。だから表情なんかなくたって、それぐらいは当然のように分かるんだろうね。
ボクに呆れたような笑顔を浮かべてから、そう言ったんだ。
歩夢「ま、今年もその言葉に騙されてやるよ」
木綿季「…ま、まぁ、バレちゃうよね~…。でも、歩夢と一緒が嬉しいのは、ちゃんと本気の言葉だからね?」
確か、去年も似たようなやり取りを交わした気がする。
ボクのこういうところは相変わらずだし、アルファも変わらずボクのことを見抜いてくるし…そんなデジャブに襲われつつも、さっきのお返しだ。ボクは笑顔を綻ばせながら、そう付け加えたのだ。
するとアルファは、ボクの目から少し視線を逸らしちゃう。
紅茶を一口飲もうとするけれど、もうコップは空っぽだった。なのにそれに気が付かずコップを呷ると、短くボクに答えたんだ。
歩夢「…ん」
そんな分かりやすいアルファに対して、ボクはビシッと人差し指を向けながら、その点を追求するのだ。
木綿季「歩夢、いま照れてるの誤魔化したでしょ!」
君は自分がどれだけ分かりやすいか、多分把握出来ていないんだろうね。
ボクの言葉に大きく動揺したかと思うと、なんとか言い逃れようとしてくる。
歩夢「は!?べ、別に!?そう言うつもりじゃ──」
木綿季「言い訳ごめんっ!観念しろー!!」
素直になれないアルファには、ちゃんとお仕置きが必要だ。
その口からあれこれ誤魔化しの言葉を繰り出させる前に、ボクはその身体に飛び込んだ。
その展開は流石に予想出来なかったのか、アルファは簡単に、ボクに押し倒されてしまった、
ボクよりも柔らかい気がする頬っぺたをぐにゃぐにゃと引っ張り、ついでにお腹もくすぐっちゃう。弱点を突かれて、ジタバタと身を捩らせるアルファは──。
歩夢「ごみぇんごみぇん!!てりぇたからぁ、もうやみぇてくりぇ~!!」
目尻に涙を浮かべるほどに笑い苦しみながら、呂律の回らない状態で降伏を宣言してしまうのだ。
やっぱりボクの言葉に心を揺り動かされていたこと、そしてついでに、アルファをこしょこしょ出来たことに満足したボクは、お腹から手を離してあげた。
笑い死にそうになっちゃってるアルファは、ぜぇはぁと息を切らしている。
そんなアルファに対して、ボクは未だに身体の上で跨ったまま、追加でもう一言念押ししておくのだ。
木綿季「もう、歩夢はちゃんと、いつだって素直にならなくちゃダメだよ?」
するとアルファは、従順な瞳でボクを見つめながら──。
歩夢「ひゃ、ひゃぃ……とでも言うと思ったか!!報復だっ!!」
木綿季「きゃぁっ!!」
──完全にボクの言いなりになったと思ったのに、それも全部、アルファの作戦のうちだったんだって。
ここぞとばかりに筋トレパワーを発揮させた彼は、一気にボクを押しのけ、そのまま押し倒してしまう。
でも、何処かに頭をぶつけないよう右手を後頭部に添えてくれているのは、アルファの優しさなんだ。
…そ、そんなに優しくされちゃうと、ボクはすっごくドキドキするんだけど…残念ながら、今はそういう時じゃなかった。
君は左右の指をくねくねと動かすと、それをボクの首元に──。
木綿季「あ、あゆみゅ~!!しょれっ、ほんとにダメなのっ!!こうしゃんしゅるからやみぇて~!!」
文字通りの報復攻撃に出たアルファは、ボクのウィークポイントである首元にこしょこしょを仕掛けてくるのだ。
となるとボクも、くすぐったくてブンブン首を振り回してしまう。アハハッ!!と勝手に笑い声が漏れ出してきて、もう呼吸どころの話じゃなかった。
結局この後のボクは、ひーひー息を乱れさせながら降参させられちゃったんだけど…まぁそんな感じで、ボクは記念日までの日々を、君と楽しく過ごしていったんだ。
1
なんだかんだ今日まで筆者の物語を読んでくれて、本当にありがとう。
ですので、惰性でも構いませんから、もうあと一話ぐらい、筆者に付き合って欲しいのです。
次回の投稿日は、六月二十四日の金曜日となります。
では。また次話でお会いしましょう!