~SAO with Yuuki~   作:うずつるぎ

196 / 197
 最終話だからって調子に乗って詰め込んだら、軽く三話分ぐらいの文字数になっちゃいました。
 そんなの読めないよ。生活リズム崩れちゃうよ、って読者様は、最初の2視点分を前半。残りを後半という形で分けて頂ければと思います。
 文字数的には偏りが出ますが、内容的には良い配分になっているはずです。
 まぁ、最終的には読者様が勝手に判断してくださって結構ですので、あくまでも目安と言うことで。

 では、どうぞ!












最終話 いつかの旅路

 ふと背中に、自分のものではない温もりを感じ取った。

 意識はずっと深い場所にまで落ちていたはずなのに、気が付くとボクは、現実世界を知覚していたんだ。

 心地良い微睡から目覚めたボクは、しかし、目を開けて動き出すことはない。

 だって、意識が覚醒した傍から、いきなりお布団のぬくぬくから抜け出そうとするなんて…そんなの出来るわけないじゃん。

 

 でもそれだけじゃない。

 恐らく、寝返りを打ったんだろう。

 ボクの背中には、君の身体がピタリと密着していた。

 君の軽やかな寝息が、一定間隔で首裏をくすぐる。それが少しこそばゆくて、ボクは思わず小さな声をし出しながら、身を捩りそうになっちゃう。

 でも、こうやってくっついていると、君の体温がじんわりと伝わってくるんだよね…。

 

 結局のところ、ボクはますます動き出したくならないんだ。

 昨日から学校は春休みに入っちゃって、今日からは休日だし…だったら、もうしばらくのんびりしてても、なんの問題も、ない…よね…。

 心まで温めてくれる湯たんぽの魔力には抗えず、ボクはウトウトと意識を手放そうとしたんだけど……そう、だった…今日は、ボクとアルファの大切な日なんだ…。

 

 木綿季「…んぅ……」

 

 じゃあ、このままおちおちと寝ている暇もないだろう。

 ベッドでのゆっくりとした時間は、また明日のお楽しみにしようかな。

 

 早くお出かけの準備に取り掛からないと。

 そう考えたボクは、自らのお腹に添えられていた彼の右腕を、そっと除けてしまった。

 背中側からボクを抱き締めるよう寝静まっている君は、もしかしたら、夢の中でもボクを守ろうとしてくれてるのかな?

 なんて、頭お花畑もいいところなことを考えてしまう自分に、ボクは小さな笑い声を洩らしてしまった。

 アルファはお寝坊さんだからね。もうちょっと寝かしてあげなきゃだよ。

 最後に、気持ち良さそうに眠る君の寝顔を楽しんだボクは、ベッドから這い出ようと動き出した、その時だった。

 

 歩夢「…ん~……」

 

 少し、大雑把に動き過ぎたかもしれない。布団や身体が動いたことで、アルファは意識を取り戻してしまったようだ。

 小さな動作で、彼はお目目を擦り始める。

 

 木綿季「ごめんね、まだ寝てて大丈夫だよ」

 

 そんな君に対して、ボクは囁き声で、その耳元に伝えた。

 それで、ボクは再びベッドから動き出そうとしたんだけど…。

 

 歩夢「……ゆーきー……」

 

 アルファは目を瞑ったまま、またボクのお腹に両腕を回した。

 それで、まるで引き留めるみたいに、ボクの名前を呼ぶのだ。

 寝ぼけているのか、或いは寝起きなのか。ボクを捕まえようとするその力は、すぐに振り解けるほどのか弱さだった。

 

 だけど…そんな風に引き留められたら、その手を払い除けられるわけないじゃん…。

 ベッドから降りることはやめにして、ボクはベッドの上でお姉さん座りする。

 するとアルファも、ほとんど同時に、その頬をボクの膝に乗せるのだ。

 そうなるとボクは、反射的にその頭をなでなでしてしまう。

 

 木綿季「…今日は、ボクと歩夢の記念日だよ。水族館にデートに行く約束したのに…こんなにのんびりしてていーの…?」

 

 そしてボクは、頭を撫でられ緩んだ表情を見せる彼に、優しく囁いてみるのだ。

 対するアルファは、うつ伏せでボクの膝に顔を乗せたまま、ゆっくりと答えた。

 

 歩夢「……うん…ちょっとだけ…木綿季のこと、ぎゅーってさせて……」

 

 木綿季「…し、仕方ないなぁ…」

 

 …やっぱり、ボクはこのアルファには勝てないよ…。

 この上なく愛くるしい君の様子に完全敗北したボクは、結局、ベッドの上でゆったりと、朝の時間を過ごしてしまった。

 アルファは基本的に、あんまり露骨に甘えてくれない。ボクが甘えたら応えてくれるけど…普段はまだまだ理性が勝っているのだ。

 だけどそんな彼でも、甘々モードになっちゃうタイミングがある。

 積年の統計結果によれば、それが寝起きと睡魔に襲われているタイミングなのだ。

 多分、君の理性は睡眠欲求に負けやすいのだろう。

 

 アルファは寝ぼけながらボクのお膝に頭を乗せて、ボクはそんな君を愛撫する。君はボクの腰辺りを、小さな力で抱き締めている。

 …アルファはボクをぎゅーってしたいって言ってたけど、この態勢じゃ、ボクに甘やかされてるだけなんだよね…。でもそれが、すっごく胸をキュンキュンさせてくれるんだよ…。

 

 いつもはボクばっかりが甘え倒しちゃってるから、こういう時ぐらいは、アルファの欲望を叶えてあげたいのだ。

 お姉さん座りでたっぷりとよしよししてあげた後は、今度はボクももう一度お布団に入って、その中で力の限りぎゅーってしてあげる。

 ボクはこの間にアルファの匂いを楽しめるし、アルファは惚けた様子でボクの胸に顔を埋めながらも、しっかりと抱き締めてくれて、それでボクは心が温かくなって…あれ?これって、ボクの欲求満たしてるだけじゃないかな?

 

 なんてことを思いながらも、アスナ達には絶対に見せられないほどに甘い甘い時間を過ごしたボクらは、ようやくベッドの上で身体を起した。

 とその頃には、アルファもすっかり、寝起きから復活している。

 すると君は、今にもため息を吐き出しそうなぐらいにズーンと落ち込んで、一人呟くのだ。

 

 歩夢「…またやってしまった…」

 

 彼はそんなにも、己の欲望に屈するのが嫌いなのだろうか。

 ボクなんて、毎度のことなんだけどね。

 そんな意味も込めて、ボクは笑顔で言ってあげたんだ。

 

 木綿季「歩夢が素直に甘えてくれるの、ボクは嬉しいんだよ?」

 

 するとアルファは、結構真剣な表情で言い返してくるのだ。

 

 歩夢「そういうこと言われると、歯止めが効かなくなるんだけど?」

 

 木綿季「それでいいよー。一回ぐらい暴走してみたら?」

 

 歩夢「…か、考えとく…」

 

 でもボクが変わらず笑顔で言葉を返せば、何かが決壊しちゃったのだろう。アルファは随分と素直に、ボクの言葉を受け入れてくれた。

 今からその時が楽しみになりつつも、ボクらはベッドから立ち上がると、ボクがお布団を畳んで、彼がシャッターを上げた。

 ガラガラと豪快な音と共に、背中側から暖かな陽光が差し込んでくる。

 寝室には、一気に濃い陰影が浮かび上がった。

 今日は最高のお天気なんだろうね。

 

 それから二人で階下に向かい、洗面所で顔を洗って、キッチンに辿り着く。

 ふと時計の針を確認すると、かなりゆっくりしちゃってたらしい。

 焦ったボクらは協力し合って、巻き巻きのペースでウインナーを焼いたり、昨日の残り物を温めたりするんだ。

 ボクらがゲームの中で培ったコンビネーション力は、こういう場面でも活かされてくるんだよね。

 

 手際よく朝食の準備を済ませると、並んで座って頂きます。

 ご飯が済めば、そこからは家事の半分以上を、アルファが引き受けてくれた。

 彼が孤軍奮闘してくれている間に、手の空いたボクが何をするかと言うと…お化粧とかヘアセットとかだ。

 そんなこと?って思うかもしれないけど、案外時間が掛かるんだよね。あと、服選びとかもあるし…うん、男の子の倍以上に時間が掛かるよ。

 その証拠にさ、ほら──。

 

 歩夢「木綿季~!俺、準備出来たぞ~!」

 

 木綿季「分かった~!もうちょっとだけ待ってねっ!」

 

 朝の家事で忙しかったはずのアルファが、ボクよりも先に準備完了しちゃったんだ。彼は階下から、大きな声で呼び掛けてくれる。

 一階にいる君に聞こえるぐらいの声量で返事をしつつも、ボクは相変わらず両手に二種類の衣服を携えながら、鏡の前で難しい表情を浮かべるのだ。

 …こっちとこっち、どっちが良いかな…。それさえ決まれば、後は着替えて髪を整えれば良いんだけど…。

 結局、自分だけの力じゃ決めかねたボクは、もう一度声を張り上げた。

 

 木綿季「歩夢~!ちょっと来てくれない~?」

 

 ボクの言葉に即応があったかと思うと、アルファはすぐにボクのお部屋まで駆け付けてくれた。

 扉は既に開いているから、彼はノックすることなくこちらに歩み寄ってくる。

 

 まだパジャマ姿なボクを見て、呆気に取られていたアルファは、真っ白なTシャツにジーパン生地の黒いズボン、そしてカーキーの薄い羽織を纏って、ワンポイントにネックレス、君が良く着てるデート装備一式だ。

 …でも、なんでなんだろうね?こんなに単純な服装なのに、とっても似合ってるんだ。あれこれ悩んでるボクが、馬鹿らしく思えちゃうよ。

 それでも、常に一番を目指したいボクは、彼に尋ねるのだ。

 

 木綿季「この肩出しか、ノースリーブのニット、どっちが良いかな?」

 

 二つを身体の上に重ねて見せてあげると、アルファは…すっごく悩んだ。「こんなこと聞いてごめんね?」って言いたくなるぐらいの長考を見せてくれた。

 そしてその末に…大変困った表情で、君はこう言うのだ。

 

 歩夢「…どっちも似合い過ぎて……む、無理だっ!!俺には決められねぇ!!」

 

 木綿季「嬉しいけど…今はそれじゃ困るよ!!」

 

 アルファにとってこの質問は、永遠のテーマだったみたいだ。彼が迫真の表情で叫んだものだから、ボクも思わず叫び返しちゃう。

 すると君は、一転して冷静な様子で、ボクに短く言ったのだ。

 

 歩夢「じゃあ、木綿季の自信ある方で」

 

 木綿季「じ、自信…?」

 

 自信とは、何を以てしてのものなのだろうか。そんなボクの疑問に答えるように、アルファは更に答えてくれた。

 

 歩夢「うん、『これなら歩夢なんて瞬殺だよっ!』って思える方でよろしく」

 

 木綿季「それ、ぜんっぜん似てないからね!」

 

 ボクの声真似を挟みつつ、何故か前屈みになってウインクまでしているアルファには、手厳しい一言を返してあげた。

 もしかしたらボクは、常日頃から君にあんなことをしてるのかもしれない。

 だけど、してないってことにしておこう。じゃないと恥ずかしくなっちゃう。

 

 最終的には、お着替えのために一度彼を追い出して、パッパとオフショルダー&スカートの組み合わせに落ち着いた。

 最後に、いつまで経ってもボブのままな髪にオイルを付けると、これでボクも準備完了だ。

 手提げバックを用意すると、ボクは部屋の扉を開ける。

 とそこには、アルファが律儀に待機してくれていた。

 

 木綿季「お待たせっ、歩夢」

 

 当然、君を長らく待たせちゃっていたボクは、軽く微笑みを作りながらそう言ったのだ。

 するとアルファは、少し大きくなった瞳孔でボクを見つめていた。

 はは~ん、これはアルファ…ボクに惚れ直しちゃったんじゃないかな?

 などと自信過剰とも言える思考を浮かべていると…硬直が解けた彼は、満面の笑みでボクに言ってくれた。

 

 歩夢「今日も可愛いな、木綿季は」

 

 木綿季「えへへっ、歩夢もカッコいいよ」

 

 君からの褒め言葉を受け取ったボクは、照れる気持ちを隠さずに、心に思ったことをそのまま伝えておいた。

 一方、カッコいいと言われたのが嬉しかったのか、アルファも照れ臭そうに、だけど満足そうに頷いてくれた。

 

 木綿季「じゃ、行こっか」

 

 戸締りはちゃんと出来ているし、ボクもアルファも忘れ物もしていない。

 これからデートなのに、二人で同じお家を出て行くことには、実はまだ慣れていないんだ。

 だけど、最初から最後までずっと一緒に居られることは、きっと素晴らしいことに違いないよ。

 

 玄関で靴に足を通すと、アルファが先立ってドアを開けてくれる。

 外に一歩繰り出せば、もう春真っ最中の快適な暖かさと、透き通るような青空から降り注ぐ麗らかな日差しが、ボクらをお出迎えしてくれた。

 太陽が眩しくて、思わず左手で目を覆ってしまう。

 

 歩夢「今日はいい天気だな」

 

 木綿季「うん、絶好のデート日和だよ!」

 

 玄関ドアを閉めてくれた彼は、ボクの隣にやって来ると、同じように眩しい太陽を見つめていた。

 ボクとアルファが初めて心を繋げた、大切な記念日。

 今日一日を命一杯楽しむ決意を固めたボクらは、無意識のうちに手を絡め合い、目的地へと向けて一歩踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

────────────

 

 

 

 

 

 

 

 三月十九日。

 それは俺とユウキにとっての、二度目の記念日デートであった。

 いや、より正確に言うのであれば、付き合い始めてからは、これで三年目だ。

 つまり、今日は三度目の記念日で、明日からは四年目に突入する。

 であれば、どうして今日が三度目の記念日デートでないのかと言うと…俺とユウキの恋愛事情は、少々複雑なのだ。

 

 初めての記念日となるはずだった一周年目は、俺とユウキの大きな心のすれ違いで、お祝いは叶わなかった。

 そして二度目の記念日は、やっと二人で一緒に、初めてのお祝いが出来たものの…俺とユウキには、きっと来年は訪れないだろう。

 そんな絶望的な現実が、目の前に立ちはだかっていた、と思っていたのは、俺の方だけだろう。

 何せその頃には、ユウキのエイズが快方に向かっていることを、本人は先生経由で理解していたのだから。

 変な希望を持たせたくないという彼女の気持ちあって、完治が確定するまでは、俺は一切そのことを知らされていなかったのだ。

 いま思い返せば、全く、ユウキも中々酷いことしてくれた。俺が毎日どれだけ怯え慄いていたのか…いや、ユウキこそ、だな。

 結果的に、俺達は未来を切り開けたんだ。それだけ充分じゃないか。

 

 そして巡って来た三年目。

 ここに辿り着くまでには、それはもう色々なパターンのピンチに見舞われた。

 でも、その度により強固な絆を結び合って…なんだかんだで俺達は、仲良くやって来ているんだと思う。

 そんな俺とユウキにとっての三周年記念デートは、実を言うと、同棲生活が始まって以来、初めてのデートなんだ。

 同じ家で過ごしているのだから、これはもうデートじゃなくて、言わばお出掛けなのかもしれないが…ともかく、俺達が記念日の行き先に選んだのは──。

 

 木綿季「とーちゃーく!いん水族館っ!」

 

 ──という訳だ。

 

 我が家の最寄駅から、電車に揺られること数十分。

 駅から少し歩いた先には、巨大魚のシンボル像が来館者を待ち構えており、その後ろには、目的の巨大建造物が聳え立っていた。

 水族館を目にするや否や、俺の手のひらから、ユウキの温もりが抜け落ちる。

 俺の手を振り解いて一歩前に踏み出した君は、柔らかな動作でこちらに振り向き、笑顔でそう言うのだ。

 その姿は、可愛らしい以外の何物でもないのだろう。

 しかし…ユウキがあんまりぴょんぴょん跳ねるもんだから、その度にスカートはふわふわと揺らぎ、それに合わせて、控えめなお胸もぷるぷると揺れており…。

 

 歩夢「……わざと?」

 

 木綿季「うん!ちょっと可愛い子ぶってみたんだ」

 

 歩夢「それだけ?」

 

 木綿季「へ?」

 

 なるほど、ぶりっ子には自覚ありつつも、そっちは無自覚、と…うん、これだからユウキは恐ろしい。

 今日はポカポカしてるものだから、肩出しの白いオフショルダーなんか着ちゃって、スカートは膝ぐらいの長さの緑っぽい薄青で…あぁ、なんなんだろ、この生き物。水族館の魚よりも観察し甲斐があるんじゃないだろうか。

 

 歩夢「取り敢えず、入場チケット買いにいこうぜ」

 

 木綿季「そーだね!」

 

 いつも以上にテンションの高いユウキちゃんは、なんでも水族館が初体験らしい。

 ならば、今日はユウキにとって最高の思い出にしてあげないとだろう。

 そんな風に思いながら、俺達は券売所の列に並んだ。

 

 歩夢「学生二枚お願いします」

 

 学生証を提示してから、二枚分のチケットを購入し、窓口で代金を払う。

 後ろの人もいるので、俺はユウキの手を引いて、早々にその場を後にする。

 そしてその流れで、そのまま入口へと足を進めようとしたのだが──。

 

 木綿季「う~…」

 

 そんな俺を引っ張り止めた彼女は、小さな唸り声をあげながら、俺を軽く睨み付けてくるのだ。

 ユウキが不満げな表情を浮かべる理由は、俺も勿論分かっている。

 なので仕方なく、空いている右手のひらを差し出すことにした。

 

 歩夢「分かったって…八百円だ」

 

 木綿季「なんで半額になってるのさ。はい、千六百円」

 

 ユウキはバッグからお財布を取り出すと、入場券代をきっちりと渡してくれた。

 あんまりお金の迷惑掛けたくないってユウキの気持ちも分かるけど…もう一緒の家に住んでるんだぜ?じゃあさ、実質俺のお金はユウキのお金でもあって…共有財産ってことじゃないのか?

 

 なんてことを思いつつも、パンフレットを手に入れた俺達は、水族館にいざ突入したのだ。

 水族館の内部へと一歩踏み出せば、そこにはたくさんの水槽が並んでおり、その一つ一つには、水の生き物たちが住み着いている。

 だが、まだここは水族館の導入エリアだ。

 それ故に、展示されている生き物も、目玉のお魚さん達ではない。というか、魚類ですらない。

 

 もう待ち切れなかったのか、ユウキは俺をぐんぐんと引っ張って、弾む足取りのままに、一つ目の小さな水槽へ向かっていく。

 そして──彼女はピタリと足を止めた。

 足先から頭のてっぺんまで、完璧に動きを停止させてしまったのだ。

 

 遅れて隣に立った俺は、なんだなんだと、ふとユウキの顔を覗き見た。

 すると、俺の瞳に映った君の表情は、これでもかと言うぐらいに唖然としていたのだ。軽く口が開いたまま、閉じなくなっちゃってたぐらいだ。

 そんなユウキは、酷く困惑した表情のままに、その持ち運びサイズの水槽を指差すと、俺の方を見た。

 

 木綿季「…か、カエル…?」

 

 ユウキの人差し指の先には、野生では見たことないような、黄色い蛙が数匹展示されていた。

 水槽の前にある説明欄では、その蛙の品種が記載されている。

 

 歩夢「うん、カエルだな。…ヤドクガエルって言うらしいぜ」

 

 木綿季「確か…猛毒持ってるやつだよね…じゃなくて!!お、お魚さんは…?」

 

 そして俺が読み上げると、ユウキは呼応するように豆知識を入り交えてくれた。

 がしかし、ハッと現実に戻ってきた彼女は、恐る恐るそう訊ねてきたのだ。

 ここで少し、俺の中の悪魔が囁いてきた。

 今日は天使が現れることもなく、すぐに悪魔の手を取った俺は、ケロッとした表情でこう言った。

 

 歩夢「水族館にはいないぞ」

 

 木綿季「えっ」

 

 するとユウキは、超分かりやすく硬直した。

 多分、ショックが大き過ぎたのだろう。瞬きさえすることなく、放心し続けてしまったのだ。

 流石にやり過ぎたかと思った俺は、しかし耐えられず笑い声を洩らしながら、ユウキに種明かししてあげた。

 

 歩夢「まぁ、嘘だけどな~。もっと奥に行けば、魚もめちゃくちゃいるぞ」

 

 木綿季「…もう、ビックリしたじゃん。あんまりボクで遊ばないでよねー」

 

 俺の言葉を受けて、これまた分かりやすく息を吐き出したユウキは、ちょっと怒ったみたいに頬を膨らませてしまった。

 その膨らんだ柔らかい頬を、俺はしっかり人差し指で押さえてやる。

 すると、ぷぅーと彼女の甘い吐息が吐き掛けられた。

 そして俺が、君の甘い息を急いで吸い込んでみると…ちょっと引かれた。

 なんでだよ、ユウキだって俺の匂いくんくんする癖に…。

 

 なんて調子で、最初の水槽を前にバカみたいなやり取りを交わし終えると、俺達も気を取り直した。

 ユウキと共に、まずは水槽に隠れた蛙を探したり、ヤドカリを観察したりとしていると、そのうちに段々と、水族館の奥へ誘われていく。

 クリオネ、カクレクマノミと、小さなお魚たちが現れる頃には、館内はすっかり、水族館らしい雰囲気に染まっていた。

 照明は絞られ、周囲に濃い影が落ちるぐらいに薄暗い。水槽の青い輝きだけが、通路の暗がりに溶け込んでいる。

 水槽自体も、小さなものから中ぐらいのものにまでランクアップしており、彼女の思い描いているであろう巨大水槽は、あともう少しでご対面だろうか。

 そして現在、俺とユウキが顔を近づけて覗き込んでいる先には、廃れたオレンジのような色をしたお魚が、岩礁を口でツンツンとしていた。

 

 歩夢「オジサンだってさ。変な名前の魚もいるんだなぁ」

 

 毎度の如く説明欄に目を通した俺は、その魚の名前を見て、思わずそう呟くのだ。

 するとユウキは、またまた豆知識を披露してくれる。

 

 木綿季「因みにだけど、ババアってお魚もいるんだよ。ほらっ、あっちに展示されてるでしょ?」

 

 君が俺を案内した先には、確かにババアと命名された茶色いお魚が、ゆったりと水の中を泳いでいた。

 

 歩夢「へぇ…せめてオバサンにしてあげたら良かったのにな」

 

 木綿季「そうだよね~。ボクもちょっと口悪いと思うなぁ…」

 

 などと、ババアからすれば傍迷惑かもしれない会話を重ねつつも、ここで俺は、ふと思った。

 さっきからユウキは、事ある毎に追加の情報を話してくれているが…これはもしや、パンフレットや説明欄以上に役立っているのではないだろうか。

 

 歩夢「やっぱ木綿季って、物知りなんだな」

 

 これは最早、ユウキを自称博識などと侮ることは許されない。

 遂にそれを認めた俺は、素直に彼女を褒めてあげた。

 俺の意外な褒め言葉を受けて、彼女は大きなお目目をパチクリとさせる。

 でもすぐに、えっへんと小さな胸を張って、鼻高々に答えてくれた。

 

 木綿季「なになに~?今更どうしたのさ~?そんなの、ずっと前から分かってることでしょ?ボクは博識なんだから──はっくしゅっ…!!」

 

 だがその最中に、ユウキは可愛らしいクシャミを暴発させちゃう。

 水族館の中は、冷房が効いていて、思った以上に涼しい環境になっていた。

 小春日和な外と比べると、些か寒いとも言えるだろう。

 そんな中、外の暖かさに合わせて肩出しの服を着ている彼女は、結構冷えてるんじゃないだろうか。

 君が寒がる様子を見せる前に、俺はそこまで気が回らなかったのだ。

 そんな自分に呆れつつも、俺は一度ユウキの手を離した。

 カーキーの羽織を脱ぐと、ユウキの正面から、それを彼女の肩に被せてあげる。

 

 歩夢「ごめん、ちょっと寒かったよな。風邪引かないように、これ着てくれていいぜ」

 

 木綿季「あ、ありがと…」

 

 と俺が言うと、ユウキは何故か目を逸らし、戸惑ったようにお礼の言葉を述べた。

 彼女はやけに大人しく、俺の羽織に腕を通した。突発的にユウキのファッションに変化が加わったが、色の組み合わせ自体は悪くないだろう。

 サイズ感は…俺とは身長差があるとはいえ、大きく離れているわけではない。ちょっとダボッとしたファッションと言えば、それで通用するぐらいだ。

 ユウキが羽織ったことを確認した俺は、もう一度手を取ろうとしたのだが──。

 

 木綿季「あ、歩夢…」

 

 歩夢「ん?」

 

 君は少し控えめな声で、俺の名前を呼んだのだ。

 それに合わせて疑問を示すと、ユウキはその華奢な右腕を、輪っかを作るように俺の左腕へ通した。

 そして、少しだけこちらに歩み寄り、はにかんだ笑顔でこう言った。

 

 木綿季「…もうちょっとだけ、あったかくなりたいな?」

 

 歩夢「…ん」

 

 辺りは結構暗いのに、君の笑顔だけはハッキリとこの目に映るんだ。

 水族館なんていう絶好のデートスポットで、そんなに可愛い様子を見せられては…その、凄く、ドキドキしてしまう。

 全く、いつになったらユウキ耐性は付くのだろうか。

 いやもうここまで来たら、そんなものは一生付かなくてもいいのかもしれない。

 こうやってユウキのキューティーポイントに出会う度に、俺は君にメロメロになれるのだから。

 

 短い返事をした俺は、ユウキの腕を更に引き寄せ、温かくなるようしっかりと密着した。

 左腕には柔らかい感触が触れているが、それはいつものことだ。気にしない気にしない…。

 仲良く腕を組んだ俺達は、またまた色々な水槽を眺めながら、更に歩みを進めていく。

 赤、青、黄色と、幾色にも染まったクラゲ達がフワフワしている様子を眺めながら、弧を描く通路を通り抜けた。

 すると遂に──。

 

 木綿季「お~…おっきい水槽っ…!」

 

 分厚いアクリル板で隔たれた向こうには、海底で繰り広げられているであろう大自然の光景が広がっていた。

 エイやサメが悠然と動き回り、名前も知らないような中型の魚だって回遊している。イワシのような小さな魚たちが渦巻き、銀色の光を反射していた。

 

 初めて巨大水槽を拝んだユウキは、感動したようにその光景に魅入っていた。

 俺の手を引いて水槽に近づき、隠すことなくキョロキョロと、色んなお魚を見ているのだ。

 まずは好奇心いっぱいな君を楽しみ、次いで俺もユウキと同じように、巨大水槽を眺め始める。

 そう言えば、サメって他の魚食ったりしないよなぁー、なんでかユウキに聞いてみよっかな…と思っていたその時だった。

 ふと彼女が、ボソッと言葉を洩らしたのだ。

 

 木綿季「……美味しそう……」

 

 と言ったのと同時に、君のお腹がくぅ~と音を鳴らした。

 それに自分でも気が付いたのか、えへへと恥ずかしそうに彼女は笑う。

 俺はまた嘆息を漏らしながら、ユウキにこう言ってやった。

 

 歩夢「俺さ、今日の木綿季、絶対そう言うと思ってたぞ、何日も前からな」

 

 木綿季「仕方ないじゃん。ボク、お腹減っちゃったんだもん」

 

 歩夢「じゃあ水族館のレストラン行くか」

 

 木綿季「うんっ!」

 

 時間も良い感じなので、軽くランチタイムとすることにした俺達は、案内図に従って移動を開始した。

 今日は平日でも春休みなせいだろう。俺達がランチエリアに辿り着いた頃には、そこはほぼ満席状態だった。

 なので少し待ってから、空いた席に腰掛け、俺もユウキも、お昼ご飯にポテトとフィッシュバーガーを注文した。

 ユウキは相当腹ペコだったのか、瞬く間に食べ終えてしまう。

 フィッシュバーガーはサクサクとした食感が美味しくて、ポテトもホクホクしていて美味しい。

 それは彼女も同じなのだろう。随分と満足げな表情を浮かべていたユウキだったが…ある時を境に、ちょっぴり青い顔を浮かべたのだ。

 お腹でも痛くなったのだろうか。そうやって俺が心配していると、ユウキは──。

 

 木綿季「もしかして今のお魚…ここの…」

 

 歩夢「…さ、流石にそれは…ない、よな…?」

 

 歩夢&木綿季「「……」」

 

 有り得ないとは思いつつも、その可能性が僅かにでも脳裏を過れば、なんだか変な気分に陥ってしまう。

 しかし残さず完食すると、俺達は席を立った。

 エネルギーを回復させた俺達は、再び腕を組んで、館内を巡り始めた。

 

 木綿季「次はどんなお魚が待ってるんだろうね」

 

 かなり水族館デートを楽しんでくれているらしいユウキは、早く早くと言った様子で足を進めていく。

 そんなユウキについて行きながら、俺はパンフレットを開けると、そこで一つ、良いものを見つけたのだ。

 

 歩夢「三十分後にさ、イルカショーが始まるらしいんだけど──」

 

 木綿季「行きたい行きたい!!」

 

 と俺が提案すれば、ユウキは熱烈な勢いでそれに賛成した。

 方針を変えて、ショーの会場前まで足を運ぶと、そこではレインコートが販売されていた。

 それを不思議そうに眺めているユウキに、「一番前座ったら水掛かるんだ」と教えてあげると、当然のように「じゃあ前座ろうよ!」と言われてしまい、その場で購入。

 

 少し早めにやって来た俺達は、太陽の下でレインコートを身に纏って、最前列に腰を下ろしたのだ。

 暫くすると、ぞろぞろ大勢が集合して、時間になれば、お兄さんがステージに立った。

 ゲートからイルカたちが入場し、目の前の水槽を猛スピードで泳いでいく。指揮者が手を挙げると、水面から勢いよくイルカが飛び出し──。

 

 木綿季「おお~っ!!すっごいね~!!」

 

 高く飛び上がったイルカたちが、バシャーンと水面を叩く。

 衆人が拍手するのに合わせて、ユウキもパチパチと拍手を送りながら、大きな歓声を上げていた。

 水しぶきが反射するのに負けないぐらい、君はその瞳と表情をキラキラと輝かせるのだ。

 

 こういう時のユウキは、凄く子供っぽく見える。

 勿論、俺はそんなユウキも大好きだ。小さい頃にこういう体験が出来なかったのだから、これからは存分に楽しんで欲しいのだ。

 水族館を選んで、良かったな。

 ユウキが無邪気にはしゃぐ姿を見ていると、俺はそう強く思えた。

 やがてショーが終わりを告げると、観客はゾロゾロと会場を後にしていった。

 最後までその場に残っていると、ユウキは興奮したような笑顔を向けてくれる。

 

 木綿季「思ってた以上に濡れちゃったね~」

 

 歩夢「凄かったな、イルカたち」

 

 木綿季「うん!楽しかったよ!」

 

 レインコートを脱ぎ去った俺達は、そこからはまた館内へと戻っていった。

 上から下まで、何処をどう見渡しても海の中同然な水中トンネルを潜り抜けると、お魚エリアはこれで終了だ。

 順序通りに足を進めていくと、薄暗い館内の向こうから、白い光が差し込んでくる。

 導かれるようにそちらへ一歩踏み入ると、そこは天井がガラス張りになっているエリアだった。

 その陽が差し込む場所にいる生き物は──。

 

 木綿季「歩夢!ペンギンさんお散歩してるよ!!可愛いい~!!」

 

 ちょうど運よく、俺達がここにやってきたその時に、ペンギンのお散歩タイムが開催されていたようだ。

 キョロキョロと首を振って辺りを見回すペンギンたちは、よちよちと飼育員さんの後ろを付いていく。

 その愛くるしい姿に胸を貫かれたらしいユウキは、今にも触れそうな勢いで、ギリギリまでペンギンに近寄っていくのだ。

 そんなペンギンよりも、夢中になってるユウキの方が可愛いんだけどな。

 今日は君に引っ張り回されている俺は、そう思わずにはいられなかった。

 でも、なんてことは、俺も言葉にすることはなかったんだ。

 今は、ユウキのお楽しみを邪魔したくなかったからな。

 

 たっぷりペンギンを観賞したあとは、続いてオットセイやアザラシの海獣エリアへと足を運び、またまた君は、目の形をハートにして水槽に近づいていく。

 その余りのラブラブっぷりは、海の生き物に恋しちゃったユウキが俺に別れを告げる。そんな意味の分からないビジョンを思い浮かべてしまう程であった。

 まぁ、何はともあれ、楽しんでくれているなら喜ばしいことだ。

 海獣エリアの終わりまで行ってしまうと、そこで水族館はお終いだった。

 順序通りに進んで行けば、最後は当然、お土産コーナーに誘導される。

 

 木綿季「ね、みんなにお土産渡さない?」

 

 歩夢「折角だしそうするか」

 

 周りのお客さんと同様に、あれこれと商品を眺めた結果、俺達はよくあるお魚サブレを購入することに決めた。

 代金は半分ずつ出し合うことにして、俺がレジの列に並ぼうとしたその時だった。

 俺が足を一歩踏み出そうとしても、半身は上手く動かなかった。

 どうやらユウキは、俺と違う方向へ気を取られているらしい。

 一体、ユウキが注目している物は何なのだろうか。俺が隣を見やると──。

 

 木綿季「……」

 

 ──君は無言のままに、ある一点を見つめていたのだ。

 

 その先にある物は……海の生き物のぬいぐるみだった。

 もふもふとした素材で作られていて、その見た目だけでも、触り心地の良さが伝わってくる。

 ユウキがあんまりジーっと眺めているものだから、俺は口元を綻ばせながら、そう問い掛けるのだ。

 

 歩夢「欲しいのか?お人形さん」

 

 問い掛けられたユウキは、ハッと俺の方を見やると、少し恥ずかしそうに答えてくれた。

 

 木綿季「…うん、一目惚れしちゃったよ」

 

 歩夢「どの子にするんだ?」

 

 木綿季「う~ん…ペンギンさんとアザラシさんかなぁ…あっ、でも、ちゃんと自分で買うからね!」

 

 二つ目の問い掛けには、君は悩ましそうに唸りながらも、答えを返してくれる。

 しかし思い出したように、俺が伝えようとしていた言葉を抑制するよう、そう付け加えてくるのだ。

 何が何でも、俺から金銭的サポートを受けようとしないユウキ。

 対して、是が非でもユウキに貢ぎたい俺。

 こういう場面では、俺達の意思が真っ向からぶつかり合う。

 しかし今日の俺は、素晴らしき折衷案を思い付いたのだ。

 

 歩夢「じゃあさ、俺がアザラシ買うから、木綿季はペンギン買えよ。俺達のお家に引っ越してきてもらうんだから、俺がお金払っても良いだろ?」

 

 と俺が言うと、ユウキは納得したような表情で、こくりと頷いてくれた。

 俺と腕を組むことをやめて、嬉しそうに二匹の人形を両手に抱える君は、幾らなんでも天使過ぎやしないだろうか。本当に女の子してると思う。

 そうして俺はまた、ユウキの魅力に胸を射られてしまうのだ。

 そのあと、俺達はレジにてお買い上げし、水族館での楽しい時間を終えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────

 

 

 

 

 

 

 

 お魚さんを眺めるだけじゃなくて、イルカショーやペンギンさんのお散歩をも拝むという、ボクが君と過ごした夢のような時間は、大体四時間ぐらいのことだった。

 水族館には初めて訪れたんだけど、アルファと腕を組みながら館内を巡るのは、凄く楽しかったんだ。

 水族館デートはドキドキすることもワクワクすることも沢山で、そのうえ最後には、ふわふわしたぬいぐるみまで買っちゃって…ボクはもう、今日一日に満足してたんだ。

 だからボクは、これからお家に帰るとばかり思ってたんだけど──。

 

 お土産コーナーでお買い物を済ませると、出口ゲートを通って、ボクらは水族館から退館した。

 もうお昼はとっくに回っていたから、空の少し下がったところで、太陽は輝いていた。

 いざ外に出てみると、自然の温もりが、全身にじんわりとした温かさを感じさせてくれる。

 まるで氷がジワジワと溶け出してるみたいだ。

 纏わりついた冷気が蒸発していく心地良さに浸りながら、ボクらはゆっくりと、駅の方に向かっていたんだ。

 その最中、ふと君が呼び掛けてきた。

 

 歩夢「なぁ、木綿季」

 

 木綿季「ん?」

 

 今は手を繋いでいる君に流し目を向けると、アルファは微笑みながら、その口を動かす。

 

 歩夢「ちょっと付き合って欲しいところがあるんだけど、良いか?」

 

 木綿季「いいけど、どこ行くの?」

 

 歩夢「それは行ってからのお楽しみだ」

 

 とボクが疑問を呈すと、彼は行き先を濁してくる。

 だからボクも、ちょっぴり覗き込むような姿勢を作って、可愛くおねだりしてみるのだ。

 

 木綿季「ヒントちょーだい?」

 

 歩夢「そうだな…お昼ご飯さ、ちょっと物足りなかっただろ?だから、小腹が満たされるようなところだ」

 

 木綿季「それ、答えみたいなものだけどね」

 

 するとアルファは、呆気なくボクにヒントをくれた。って言うか、ほとんど答えだった。

 その点を追求してあげると、彼は朗らかな笑い声をあげるのみだ。

 …全く、今に始まったことじゃないけど、アルファはちょっと、ボクに弱すぎるんじゃないかな?ま、でもそれは、ボクも一緒だしね。あんまり人のこと言えないや。

 

 一緒に駅まで歩いて行くと、彼はスマホと睨めっこしながら、ボクの手を引いて駅の向こうに進んでいく。

 アルファはヒントをくれはしたけど、なんのお店かまでは言ってくれてない。

 でも時間から考えるなら、お昼のおやつってことだろうし…じゃあ、洋風と和風のどっちなんだろう…今の気分は、甘いものならどっちでもいいかな~。

 なんて思ってると、すぐにお店に到着した。

 

 歩夢「二名でお願いします」

 

 暖簾をくぐった先では、いらっしゃいませー、とバイトらしきお姉さんが元気良く言ってくれる。

 アルファが店員さんにそう言うと、ボクらは空いている席に案内された。

 お店全体は木造で構築されており、腰掛けた二人掛けの小さな椅子も、当然ながら木製だった。

 

 木綿季「歩夢、メニュー表ないんだけど…」

 

 テーブルにお品書きがなくて、ボクが一瞬困っちゃうと、アルファが向こうを指差してくれる。

 そちらに視線を向けると、壁には木札が何枚も掛けられていて、そこにお値段と商品名が書かれてた。

 そんなお店の雰囲気から分かるように、このお店は──。

 

 木綿季「あ~、お餅屋さんだったんだ!」

 

 歩夢「おう。美味しいらしくてさ、行ってみたかったんだ。悪いな、付き合わせちゃって」

 

 木綿季「良いよ良いよ。ボクも水族館に連れてってもらったんだし、お互い様じゃん」

 

 とボクが言ったのに合わせて、アルファは少し済まなそうに、そんなことを言ってきた。

 だけどボクとしては、それにはなんの不満もなかったんだ。

 だって、今日一日の半分を、彼はボクの為に費やしてくれたんだからさ。次はアルファの為の時間にすることなんて、そんなの当たり前のことだよ。

 それに、ボクとしては寧ろ、君の喜ぶ姿が見たいまであるからね。

 

 木札に書かれた商品は、定番の三色団子やみたらし団子、海老餅に蓬餅、豆餅、ずんだ餅、柏餅に若あゆにおはぎ……それはもう、列挙し切れないほどの数だ。

 となるとボクも、その幾つもの中から選び出すことは、中々難しいのだ。かと言って、全部食べられる訳もないし、一体どうしたら──。

 

 歩夢「あっ、言い忘れてたけど、ここで頼むのは一品ぐらいにしといてくれないか?」

 

 木綿季「え?」

 

 頭の中でぐるぐると巡り巡っていた思考は、アルファのその一言で、一気に吹っ飛んでしまう。

 その言葉にボクが思わず訊ね返すと、彼はニヤッと笑いながら言うのだ。

 

 歩夢「このあとメインディッシュが待ってるからさ、そっちで満足いくまで食べて欲しいんだ」

 

 ボクはてっきり、この後はとうとうお家に帰ると思ってたのに…なんと、アルファは更なる計画を立ててくれていたらしい。

 デートプランが完全に任せっきりになっちゃってることに申し訳なくなりつつも、でも今のボクはそれどころじゃなかった。

 

 だってさ、アルファの提案を受け入れるんだったら…ボクはこの数多とある魅力的なお餅から、たった一つに絞らなきゃいけないってことじゃん。

 そんなの無理に決まってるよ!?

 でもそうしないと、メインディッシュ前にお腹いっぱいになっちゃうし…あぁ、どうしよう…。

 と先程以上の回転速度で頭を働かした末に、ボクはその答えに行き着くのだ。

 

 木綿季「歩夢っ、ボクとシェアしよう!」

 

 メインディッシュを控えているとは言え、やっぱり、和菓子大好きな君も、ここで沢山食べたかったんだと思う。

 ボクの提案には、固い握手を以て応じてくれた。

 その結果ボクは、三色、みたらし、餡子の三種の串餅セットを、アルファは安倍川餅を注文して、ボクらはそれを分け分けし合ったんだ。

 一緒に出されたあったかいお茶を飲みながら、トロトロな安倍川餅を、焦げたみたらしの甘いお団子や、もちもちした三色団子を、ボクらは一緒に食べ始めたんだけど…。

 

 歩夢「♪~」

 

 君は頬っぺたを緩ませながら、この上なく満足そうな表情で、口に放り込んだお餅をモグモグしているのだ。

 いま食べているお餅は、勿論すっごく美味しい。

 でも、アルファと和菓子を食べるときは…和菓子の美味しさ以上に、このアルファの可愛い感じが、ボクを満たしてくれるんだよねぇ…。

 

 木綿季「歩夢って、なんでそんなに可愛くてカッコいいの?ズルくない?」

 

 歩夢「え?俺はカッコいいだけだぞ?」

 

 木綿季「……」

 

 自分でも気が付いてないのか、或いは頑なに認めてくれないのか、多分後者なんだろうけど、今のアルファを写真に撮って街中でアンケートしたら、間違いなく可愛いに票が入ると思う。

 自分で自分のことイケメンとか言っちゃう彼には、もう何も言わないでおくことにした。まぁ…否定は出来ないからね。

 注文したお餅を食べ終え、遅めのおやつを存分に楽しんだボクらは、しっかり割り勘でお店を出る。

 とそのタイミングで、ボクは不意に思い出したのだ。

 

 木綿季「あ、そう言えばボク、まだアルファのパーカー着たままだったね」

 

 歩夢「そういやそうだな」

 

 木綿季「気利かせてくれてありがとね。いま返すから」

 

 今の今まで、彼のカーキーな羽織を身に纏ったままだったボクは、ふとしたタイミングで、そのことに気が付いた。

 ピタリと足を止めてアルファにそれを伝えると、どうやら彼の方も忘れていたらしい。

 貸してもらったその時は、ちょっと胸がキュンってしちゃって、お礼を言いそびれたんだ。

 だからここで感謝を伝えてから、ボクは丁寧に羽織を脱いだ。

 もうアルファの匂いを纏ってられないのかと思うと、口惜しい気持ちもあるけれど、今のボクは、そこさえ甘えられちゃうからね。

 

 ボクから返却される羽織を受け取る為に、彼はその右手を差し出してくれた。

 一方、ボクは簡単には返さなかった。

 脱いだパーカーを手に持ち、アルファの正面に立つ。不思議そうにしている君に向けて羽織を広げると、ボクより少し上にある彼の肩に両手を伸ばし、そこに羽織を被せてあげた。

 アルファに腕を通すよう催促すると、君は大人しく従ってくれた。

 

 歩夢「サンキュー…って言っても、俺、子供じゃないんだけどな」

 

 木綿季「今後の為の練習だよ」

 

 歩夢「ん、ありがと」

 

 木綿季「…」

 

 ボクは君をドギマギさせるつもりでそう言ったのに、彼は柔らかな笑顔を浮かべるだけで、あんまり動揺してくれない。

 最近のアルファは、ずっとこんな調子だ。ちょっとこのネタは擦り過ぎたのだろうか。

 なんて些細な疑問を浮かべつつも、ボクらはまた駅前まで戻ってきちゃった。

 

 するとアルファが、「ここからは遠いから」と、タクシー乗り場に案内してくれる。

 タクシーに乗り込んだボクらは、運転手さんに行き先を告げた。

 そして暫しの間、ポツポツと会話を交えながら、流れゆく景色を眺めていていたんだ。

 その間にも、窓に映る太陽はどんどんと傾いていく。

 ボクらが目的のお店に到着した頃には、もう西日が消えかかっていた。

 

 さっき我慢して、一品しか頼まなかったことが功を奏したのだろう。

 前方、夜間ライトが灯されたモダン風な建物からは、香ばしい匂いが漂ってくるのだ。

 それを鼻でキャッチすると、お腹がぐぅ~と盛大に鳴っちゃう。

 その香りだけで、このお店が何なのかは、ボクにはしっかりと把握出来てしまった。

 お店に入る前に、アルファに勢いよく訊ねるのだ。

 

 木綿季「ね、歩夢!ここ、もしかして焼肉屋さん!?」

 

 大好きなお肉を食べられることに加えて、しかも自分でお肉をじゅーじゅー出来る。

 そんな素晴らしき状況を目の当たりにして、ボクの脳内は、半分ぐらいテンションに呑まれていた。

 対して、あくまでも平常運転なアルファは、ボクの心に更なる薪をくべるのだ。

 

 歩夢「そうだな。でも、焼肉だけじゃなくて、ステーキも食べられるらしいぜ」

 

 …や、焼肉だけじゃなくて、ステーキまで…!?

 SAOでの経験を通して、焼肉もステーキも、ボクにとってどちらも甲乙つけがたい大好物となっていた。

 それ故に、その二つを同時に味わえるという最高の現実を認識した今、ボクは遂に、暴走したっ!

 

 木綿季「……ボク、ステーキダイスキ!!ヤキニクダッテ、タクサンタベルッ!!」

 

 歩夢「なんでカタコトになるんだよ…」

 

 なんて一芝居とツッコミを楽しんでいるうちに、はしゃぎ過ぎているボクは、君にここまで案内してもらったことさえド忘れちゃったんだ。

 まるで自分が連れて来たみたいに、ボクはアルファの腕を引っ張って、お店のドアをスライドさせてしまう。

 すると店員さんが、「お名前お伺いしてもよろしいでしょうか?」と訊ねてくるものだから、なんのこっちゃ分からなくなったボクは、素直に君の後ろに一歩引いた。

 興奮したボクが冷静に戻るまで。それをしっかりと観察していた君は、口元を抑えて笑みを零していた。

 

 なんでもこのお店、完全予約制なんだって。アルファが名前を告げると、ボクらは個室の席に案内される。

 到着した個室にて、ボクらはしっかり並んで座った。

 お品書きが渡されて、取り敢えず飲み物を注文して、そこで一旦、店員さんが出て行った。

 

 木綿季「ごめんね、歩夢。ボク、適当にしか考えてなかったのに、こんなに色々してくれて…」

 

 流石にここまで綿密に記念日を計画されては、なるようになれば良いと思っていたボクとしては、頭なんて上がらないんだ。

 感謝と申し訳なさの入り混じった言葉を伝えると、アルファは気さくに笑ってくれた。

 

 歩夢「別に気にすんなって。木綿季のこういう大胆なとこ、俺は好きだし…それに、木綿季が大雑把ならさ、俺がその分慎重になればいいだろ?…まぁ、木綿季って、案外考えてるけどさ」

 

 お互いがお互いに欠けるところを埋め合う。それはボクらのモットーでもある。

 だからそう言ってくれること自体は、別に普通に嬉しいぐらいに留まるんだけど…ある個所が問題となって、ボクはドキンと心臓を跳ねあがらせるのだ。

 結果ボクは、ちょっと拗ねたみたいな言い方しちゃった。

 

 木綿季「…もう、『好き』ってそんなサラッと言わないでよ…。歩夢はあんまり、直接言葉にしてくれないんだからさ…それだけでも、ボクはビックリしちゃうんだよ?」

 

 歩夢「もっと言葉にした方が良いか?」

 

 木綿季「うん、ボクと同じぐらいね」

 

 歩夢「分かった。好き好き好き好き──」

 

 木綿季「それは希少価値が下がるからダメ」

 

 歩夢「はいはい」

 

 食前に冗談みたいな会話を交わし合って、ボクらは笑い声を響かせる。

 でもこれからは、行動だけじゃなくて、もう少し「好き」って言って欲しいな。それは冗談じゃないんだよ?

 と言わなくても、その気持ちは、アルファになら伝わったと思う。

 

 仲良くメニューを眺め始めたボクらは、赤身や焼きしゃぶ、カルビなんかを、更には思い切って、ステーキを三枚も頼んじゃう。

 そのうちに届いたお肉は、銀色のトングを使いながら、ピカピカの網に投下していく。

 ジュー…と食欲をそそる音を立てながら、網の上のお肉は、ポタポタと脂を滴り落とし…。

 

 歩夢「もうちょっと待とうな」

 

 木綿季「んも~…じれったいなぁ…」

 

 醤油とにんにくベースの特製タレに潜らせて、甘みのある白米と一緒に、あの肉厚なお肉の旨味を噛み締めたい。

 網の上で熱されるお肉を見ていると、どうにもそんな欲求を抑えられなくなるのだ。

 それで、ついついお皿に移そうとしちゃうけど、まだ焼けてないからと、アルファに止められちゃった。

 もう少しだけ我慢すると、遂に完成だ。

 ちょうど三枚焼き上がったから、ボクらは一枚ずつお皿に移した。

 残りの一枚は、君に取られちゃう前に回収してしまった。ちょっと悔しそうにしてるけど、これは譲れないよ。

 

 歩夢「…次の一枚は俺のだからな」

 

 木綿季「分かってる分かってる。早く頂きますしよーよ!」

 

 ボクが両手を合わせて待機すると、彼は一緒に合掌してくれた。

 そうしてボクらは、豪華なディナータイムに突入したんだ。

 まずはタレを付けることなく、お肉本来の味を…。湯気のあがるお肉をお箸で掴み、ボクはそれを口に運んだ。

 

 木綿季「!?!?」

 

 瞬間、身体中に電撃が走った。

 口当たり、食感、脂の旨味などなど、何をとってもこのお肉は、想像通り…いや、想像を遥かに上回る美味しさだったのだ。

 それに気が付かされたと同時に、ボクらはバクバクと頬張り始めた。

 こんなに美味なお肉は中々食べられないだろうから、最初にうちは、ボクもアルファも会話を忘れて、食事に夢中になっていた。

 でも暫くすると、「美味しいね~」と少しずつ口数を増やしていく。

 そして終いには、いつものボクらに戻ってくる。

 レモン果汁をつけた牛タンをお箸で挟んだボクは、手を添えながら、それをアルファに向けるのだ。

 

 木綿季「はい、あーんだよ?」

 

 お昼ご飯もおやつの時間も、公共の場だったから、一応自重はしてた。

 でも、ここは完全個室だ。こんなことしたって、誰の迷惑にもならない。

 ボクが笑顔で差し出すと、アルファも迷うことなく口を開けて、牛タンを食べてくれる。

 アルファがモグモグしたあとは、勿論その逆もまた然りだ。

 アルファはハラミをお箸に挟んで、それをボクに向けてくれる。

 

 歩夢「はい、木綿季」

 

 君は笑顔でそう言ってくれるけど、ボクからすれば、スパイスが少し足りなかった。

 ハラミを咥える前に、ボクは一つ言ってあげる。

 

 木綿季「あーんって言わなきゃじゃん」

 

 そう言われたアルファは、なんだか小恥ずかしそうな表情を浮かべた。

 でも、いつも通りちゃんと言ってくれるのだ。

 

 歩夢「…あーん」

 

 お肉の美味に彼の愛情の味付けをしたボクは、一段と美味しさを感じ取った。

 とそこでボクは、ふと話題を振りかける。

 

 木綿季「そう言えばさ、歩夢は来年受験だけど、どこ受けるか決めたの?」

 

 歩夢「なんで他人事なんだよ。木綿季もだろ。…まぁ、ある程度はな」

 

 木綿季「へぇー、やっぱり東大?」

 

 言葉の通り、今のボクらの一年間は、受験までの最後の準備期間となったのだ。

 あの教室で高校生活を送るのも、あと一年ぐらいしかないんだと思うと、なんだかすごく物足りない気がする。

 でも、学生として人生を謳歌出来る期間自体は、まだあと四年ほどは残っているのだ。

 ちょっと少ない気もするけれど、ボクらのモラトリアムはまだまだ続くよ。

 

 二年生の夏休みには、アルファと一緒に大学説明会に参加したりしたんだよね。

 でも、彼はその度に難しそうな表情を浮かべて、志望先を決めかねていたんだ。

 それ故に、まだ君の志望校を聞いていなかったボクは、ここで訊ねてみたわけだ。

 すると流石のアルファも、もう行き先を決めてた。

 ボクが冗談半分で国内最難関大学を挙げると、彼は呆れたような表情を向けてくる。

 

 歩夢「俺をどんな天才だと思ってんだ。まぁお金はあるし、有名私立のどっかだな。因みに木綿季は?」

 

 事実、アルファはそんなに学力には優れてない。

 ボクらがサポートしてあげて、それなりに勉学への造詣は深めたみたいだけど、本物には敵わないだろう。

 だけどアルファは、学力以外の面、例えば頭のキレとか状況判断能力とか、或いは身体能力だったり…他にも色んなところで優れてるんだよね~。

 などとボクが思っていると、今度は向こうから訊ね返される。

 こんなことを言っちゃなんだけど、ボクは今の今まで、進学先を決めかねていた。

 でも、今この瞬間に、それは決定されたんだ。

 ボクは当然とばかりに、君に答えを返した。

 

 木綿季「歩夢と一緒のとこ~」

 

 するとアルファは、先程以上に呆れたような顔を…眉を顰めてしまう。

 まるで先生みたいに、お説教してくるんだ。

 

 歩夢「あのなぁ…進路を友達とか好きな人に合わせるのは、あんまり良くない選択で有名なんだぞ?そもそも、木綿季は俺と違って勉強できるんだからさ、それこそ東大とか行って、将来の選択肢を増やすべき──」

 

 アルファの言ってることは、ホントのことなのだ。

 だからボクは、その言葉に真っ向から言い返せない。

 でも、そんなアルファの正論には、ちょっと卑怯な方法で反駁することにした。

 お箸を置いて、一旦食べることをやめたボクは、身体を少しだけ彼に傾けた。

 

 木綿季「別に、同じ学部学科にするとまでは言ってないんだし…いいでしょ?ボク、歩夢と一緒の大学、行きたいな?」

 

 とボクが、見上げるように目線を動かし、そう言ってあげれば、アルファが言葉に詰まるのは、当然の帰結だった。

 彼を黙らせちゃうには、これが一番早いやり方だからね。

 想定通り、小さくため息を吐き出した君は、困ったように呟く。

 

 歩夢「…そういう言い方されると、俺は何も言い返せないんだよなぁ…」

 

 木綿季「大丈夫、分かっててやってるから!」

 

 歩夢「俺は怖い女の子に捕まってしまったのか」

 

 木綿季「否定はしないよ。因みに、どの学部行くつもりなの?」

 

 これは戦略的な行動だと言うことを教えてあげると、彼は苦笑いを浮かべていた。

 アルファは数学が苦手だから、多分文系に行くんだろうけど、だったら心理学部かな?それとも社会学部かな?う~ん、文学部だったりするのかな?

 そうやって色々と妄想した結果、ボクはもう一つ訊ねてみた。

 聞かれたアルファは、まだ意思決定がふわふわしているのだろう。曖昧な答えを出してくれた。

 

 歩夢「ん~…一応、法学行こうかなって」

 

 木綿季「え~、意外かも。歩夢が法学部って感じしないよ~」

 

 そんなアルファの行き先に、ボクは結構本気で驚かされた。

 だって、彼が法律とか政治とか勉強してるとこなんて、全くもって想像つかないのだ。

 アルファが公務員として働いてるビジョンなんて…それこそホントの本当に浮かんでこないよ。

 とボクが驚愕を露わにすると、アルファは少し照れ臭そうな…或いは申し訳なさそうな微笑みで、その理由を教えてくれた。

 

 歩夢「俺も前までは、全然興味なかったんだけどさ。ほら、木綿季の家、色々あって危なくなっただろ?もしあの時、俺が法律に詳しかったら…もっと上手く解決できたんじゃないかなって思ってさ。だから、法律学ぼうかなって」

 

 木綿季「…うん、良い動機だと思うな。じゃあ、院生にもなって弁護士とかに──」

 

 …なんだ、思った以上にしっかりした動機付けがあるじゃん。

 しかもそれが、ボクらのお家をもう二度と危ない状態にさせないためなんて…アルファは本当に、ボクに良く尽くしてくれてる。こんなに大事にしてもらっちゃ、ちょっと照れちゃうよ。

 それに、法学部に行くってことは、多分法曹になるんだよね?

 彼の嬉しい言葉に耳を傾けていたボクは、ぺらぺらと口を動かそうとした。

 でもそれは、アルファの一言によって阻害される形となった。

 

 歩夢「いや、そんな勉強したくない」

 

 木綿季「受験前からそんなこと言ってどうするのさ…」

 

 やる気の全く感じられないアルファの様子を受けて、今度はボクが呆れる番だった。

 それからもボクらは、色々と会話を弾ませながら、満足いくまでお肉を注文し続けたのだ。

 

 木綿季「…流石に…もう、お腹いっぱいだよー」

 

 歩夢「じゃあ、そろそろお会計行くか」

 

 最後に希少部位のお肉を楽しんだボクらは、そこでご馳走様にすることにした。

 張り切って食べ過ぎたから、ちょっとお腹が重くなってる。これで太り過ぎちゃったらどうしよう…と今更ながらに不安が頭を過った、その時だった。それ以上に、不味い事態に気が付かされたのは。

 いま思い返せば、このお店のお肉は、どれもこれも凄く高かったんだ。

 だから、ボクのお財布に入った数枚のお札程度じゃ──。

 そんな感じで、ボクの慌てた様子に気が付いたのだろう。アルファはそう言ってくるのだ。

 

 歩夢「やっぱ、割り勘出来ない感じ?」

 

 この先の展開は、正直見え透いていた。

 だからボクは彼の言葉を先読みして、先んじて頬っぺたを膨らませることにした。

 

 木綿季「…銀行から引っ張り出せば、ちゃんとお金あるもん…」

 

 歩夢「まぁ、ここ高かったしな。俺が全額払うってので良いか?」

 

 木綿季「…じゃあ、ここはお言葉に甘えさせてもらうね」

 

 今回ばかりは仕方ない。ボクはアルファに奢られることを了承した。

 すると君は、なんだか勝ち誇ったような表情を浮かべながら、お会計に向かうのだ。

 ボクらはあれこれ考えずに食べてたから、彼の支払った金額には度肝を抜かれた。

 ちゃんとボクがプレゼントにしたお財布を使ってくれているのは、やっぱりポイント高めだね。

 

 そうして豪華なディナーを味わったボクらは、すっかり夜色に染まった外に繰り出した。

 夜空を覆うようあちらこちらでネオンライトが輝いていて、少し眩しい。

 君が電話で移動手段を手配してくれたから、タクシーがここにやって来るまで、ボクらはその場で待機することになった。

 その最中、君はふと呟いたんだ。

 

 歩夢「もち吉に焼肉の匂い付いちゃったな…」

 

 木綿季「…だれ?もち吉って」

 

 …もち吉?アルファにそんな名前の友達いたっけ…?リアルでもALOでも聞いたことないけど…。

 とボクは、君の唐突な一言に、本気で疑問を抱かされた。

 すると君は当然とばかりに、寧ろ、「なんで分からないの?」みたいな表情を向けてくる。

 そんな彼は、袋の中から水族館で買ったぬいぐるみを取り出すのだ。

 

 歩夢「ん、俺の買ったアザラシのこと。木綿季はまだ名前付けてないのか?」

 

 そう言えばアルファは、小っさい頃に、恐竜のぬいぐるみ大事にしてたんだった。

 だからぬいぐるみに名前を付けるのは、彼にとっては普通の文化なんだろうね。

 でもそれ、どっちかと言うと女の子趣味だからね?

 なんて思いながらも、ボクもまたペンギンのぬいぐるみを眺め、その子の名前を考えてあげた。

 

 木綿季「だったらボクは…ペン太郎って名前にしよっかな」

 

 君のネーミングセンスに合わせたお名前を付けてあげると、彼も満足そうに頷いていた。もち吉の腹話術なんかしちゃって、ペン太郎に挨拶してくるんだ。

 …アルファとぬいぐるみの組み合わせ…もう、最高だね。今度どこかでぬいぐるみを見つけたら、お土産に買ってきてあげよっと。

 ボクもペン太郎の腹話術で遊んでいると、お待ちかねのタクシーがやって来た。

 そこからはタクシーに揺られて、今度こそ、ボクらのお家に帰ってくる。

 

 歩夢「先に入ってくれていいぜ」

 

 木綿季「ん、ありがと」

 

 玄関ドアを引き開け、真っ暗のお家に明かりを灯す。洗面所で手を綺麗にすると、アルファがそう言ってくれた。

 素直に受け入れたボクは、お風呂のお湯を沸かしながら、君と一緒に洗濯物を畳んだりと、家事をテキパキと済ませていく。

 暫くすると、給湯器からメロディーが鳴り響いた。

 あとはアルファに任せることにして、ボクはお風呂タイムに突入だ。

 

 脱衣所で服を脱ぎ、お風呂場でタオルを泡立て、身体をゴシゴシしていく。

 無心に身体を洗っていると、自然と今日一日の出来事が、頭の中で再生されていく。

 それで、今日は一段と楽しかったなーって思いながら、まるで充電するみたいに、ゆっくりと湯船に浸かるんだ。

 たっぷり小一時間ほどお風呂に入ってたボクは、ようやく脱衣所に戻ってきた。

 セミロングの髪からポタポタと水滴を零しながら、バスタオルで水気を拭き取る。

 パジャマに着替えて、鏡を見ながら化粧水を塗っておく。

 お風呂上がりの自分って、いつもより可愛く見えるんだよね。

 鏡に向かって決めポーズなんてしちゃってから、ボクは脱衣所から足を踏み出した。

 

 木綿季「お風呂空いたよー!」

 

 ボクが大きめの声でそう伝えると、リビングの方からアルファの返事が聞こえてきた。

 ボクはリビングでドライヤーを、アルファは着替えを持って脱衣所へと、入れ替わるように廊下をすれ違っていく。

 しっかり髪をサラサラにしたボクは、アルファのやり残した家事を済ませようと動き出すも、彼は全部やっちゃったみたいだ。

 なのでボクはソファに座って、スマホを手に持ち、みんなにメッセージの返信をしておく。

 ホントは春休みの宿題があるんだけど、それも今日はお休みすることにして、面白そうな動画を鑑賞するのだ。

 

 ボクがケラケラと笑い声をあげていると、アルファはリビングに戻ってきた。

 お風呂上がりで少し顔を火照らせながら、バスタオルを首に回している。

 君はボクと比べて髪が短いから、その分ドライヤーも速いんだよね。

 

 髪を乾かしたアルファは、コップの水を飲んでから、ボクの隣に腰を下ろしてくれた。

 ボクはすかさずアルファに寄り掛かる。

 君もちゃんと受け止めてくれる。

 これは最早ルーティンワークだ。

 スマホに表示した動画を見せながら、ボクは君に話し掛けた。

 

 木綿季「ねね、この動画さ、凄いんだよ?」

 

 歩夢「へぇ、どんな内容なんだ?」

 

 木綿季「一分のやつだからね、見たら分かるよ」

 

 そうして、在り来たりなコミュニケーションを図りながら、ボクらはゆっくりと夜の時間を過ごしていた。

 でも、今日は随分とアグレッシブに動いたからね。じわじわと眠気が這い寄ってくるんだ。

 そろそろ寝なきゃと思いつつも、ボクはしっかりとアルファに目を合わせた。

 眠りに落ちてしまう前に、ちゃんとこの気持ちを伝えるんだ。

 

 木綿季「歩夢、今日はありがとね。すっごく楽しい記念日になったよ」

 

 水族館デートして、美味しいお餅に大好物の夜ご飯も食べて、今日一日が充実したってことを、ボクはしっかり言葉にした。

 するとアルファも同じように、抱く気持ちを言葉にしてくれる。

 

 歩夢「俺もだ。木綿季とのデート、すげぇ楽しかった。良い記念日になったな」

 

 木綿季「来年はもっと凄い記念日にしよーね?」

 

 歩夢「勿論そのつもりだ。…受験上手く行ってんのかなー」

 

 気の早いボクは、もう来年の記念日のことを思い浮かべるんだけど、一方アルファも、かなりのせっかちさんだった。まだ本格的な受験勉強も始めてない癖に、合否のことを気にしてるのだ。

 でもまぁ、アルファはやれば出来る子だからね。

 そういう意味を込めて、ボクは言ってあげる。

 

 木綿季「サボらず頑張れば、大丈夫だと思うよ?」

 

 歩夢「ハハ…サボりそうになってたら叱ってくれ」

 

 木綿季「だいじょーぶ。ボクが愛の鞭でひっぱたいてあげるからさ」

 

 自分がサボタージュしている未来でも見えたのだろうか。アルファは頼りない笑い声をあげると、ボクにそんなことを言ってきた。

 君と同じ大学に進むつもりのボクからすれば、勿論勉強から逃げさせるわけがない。

 笑顔で答えてあげると、彼は安心したような表情を浮かべた。

 そこでふわぁ~と、ボクは大きな欠伸をする。

 身体もふわふわしてて、そろそろ身体に休息が必要みたいだ。

 ボクは君の手を取って、ソファから立ち上がる素振りを見せながら、アルファに言うんだ。

 

 木綿季「そろそろ、寝ない?ボク、結構眠いんだよ…」

 

 歩夢「ん~…」

 

 とボクが言うと、アルファは少し悩むような素振りを見せた。

 どうしたのかなと思いつつも、ボクは彼の言葉を待った。

 暫しの間を置いた末に、君はボクにそう言ったんだ。

 

 歩夢「…あのさ、木綿季。寝る前に、ALOに来てくれないか?」

 

 木綿季「ALO?いいけど…いきなりだね」

 

 歩夢「まぁな。またちょっと、付き合ってくれ」

 

 木綿季「ん、りょーかいだよ」

 

 アルファの提案を受け入れたボクは、おやすみの前に、アミュスフィアを被ることにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

─────────────

─────────────

 

 

 

 

 

 

 

 なんとか、ユウキをALOに呼ぶことが出来た。

 なんの脈絡もなくて、かなり強引な誘い方になってしまったが…兎に角これで、第一段階は突破したのだ。

 現在、俺達は自前のアミュスフィアを片手に、寝室へと向かっている。

 俺はこれから自分の為そうとしていることに、心臓をバクバクと跳ね動かしていた。

 すぐ側には君が歩いてくれているが、正直言って、今の俺には余裕がない。

 それ故に──。

 

 木綿季「…ねぇ、歩夢ってば。ボクの話聞いてる?」

 

 歩夢「あ、あぁ、ごめん…ちょっとボーっとしてた」

 

 ──いつも通りのコミュニケーションを取れないぐらいに、自分を少しでも落ち着かせることに、俺は精一杯だった。

 普段なら有り得ない。

 ユウキの声が完全に、意識の外へと追い出されている。

 彼女は何か話しかけてくれていたようだが、俺は無意識のうちに、右から左に聞き流していたらしい。

 正直にそれを伝えると、彼女はもう一度言ってくれた。

 

 木綿季「だーかーら~、ALOで何するの?って」

 

 歩夢「え、えっと…だなぁ……そ、それは…」

 

 木綿季「…あっ、お楽しみってことか~」

 

 まさか、俺の思考が筒抜けだったのだろうか。

 いきなり核心に触れてくる彼女には、俺はもうタジタジになって言葉に詰まってしまったのだ。

 でも幸い、そんな俺の様子は、今のユウキにはあんまり伝わってないらしかった。

 勝手な解釈を交えて、彼女は一人で納得してくれた。

 まぁ半分ぐらいは正解なので、このままミステリーツアーにご招待で良いだろう。

 寝室のドアを開けると、俺達は一つのベッドに横たわる。

 隣り合わせに仰向けになって、アミュスフィアを装着すると、俺達は手を繋いだ。

 

 歩夢&木綿季「「…リンクスタート!」」

 

 その運命の始まりから変わることなき魔法の言葉を唱えれば、二人の意識は、仮想世界へと誘われていった。

 

 

 

 

 向こうのお家で意識を取り戻したボクは、勿論こっちもベッドの上だった。最後にログインした時は、ALOじゃお昼だったからね。

 カーテンは閉め切ってて、外の様子は伺えない。

 でも、光の強さからして、朝やお昼って訳じゃないと思う。

 ちょうど夕方の終わり方なのかな、とレース越しに透ける薄い空を眺めていると、遅れて君も、こちらの世界にログインしてきたみたいだ。

 当然、彼はボクの隣に出現する。

 君を認識するや否や、ボクはいつものように両手を広げて、その身体に飛び込むのだ。

 

 ユウキ「アルファ~…」

 

 そしてボクは、自分でも自覚してるけど、勝手に出ちゃう甘い声で、君の名前を呼んでしまう。

 君の身体にぎゅっと抱き着き、そのまま君の胸板に頬っぺたをすりすりして、ボクなりの求愛行動を示すのだ。

 ボクをこっちの世界に呼び出した理由。アルファは「お楽しみ」だって言ってたからね。

 だからボクは、てっきりそういう意味の言葉だと思ってたんだけど──。

 

 アルファ「んじゃ、最前線行くか」

 

 ユウキ「え…あっ、う、うん…」

 

 ──ボクは少しばかり、早とちりしちゃってたらしい。

 「お楽しみ」の意味が健全なものであることに気が付いたボクは、恥ずかしい気持ちを抑え込んで、彼に相槌を打った。

 頭の中のボクには、「もう、ボク、しっかりしないとだよ?」と言い聞かせながら、軽くお叱りを入れておくのだ。

 

 君が最前線に出るって言ったから、ボクは気を取り直して、万端のフル装備に変更しようと思ったんだ。

 でも「その必要はない」って、アルファは言ってくれる。

 その意味が解せず、ボクは頭の上に疑問符を浮かべた。

 「いいからいいから」と言う君に手を引かれながら、ボクはお家の玄関に向かって行った。

 

 

 

 

 玄関から一歩踏み出すと、薄明るい空が俺達を出迎えてくれた。

 暗い闇の世界に朱色が入り混じるその光景は、薄明時である。

 夕暮れとはまた違った、情緒的な光景だ。

 折角だからと、俺達は手を結んで翅を羽ばたかせ、彼者誰の世界に飛び込んだ。

 半透明の翅には、美しい夜空が、ステンドグラスのように映し出されていることだろう。

 俺達は並んで空を舞い、外周部へと躍り出る。十五層からぐんぐん上層へと向かい、雲を突き抜けてもなお止まらない。

 四分の三を少し超えた辺りで、俺達はようやく、再び浮遊城の内部に舞い戻っていく。

 

 現在の最前線は、第81層だ。

 俺達SAOサバイバーからすれば、75層以降が本番だったわけだが、これまでの五層分と比べても、ここ81層にはユニークなテーマが設定されている。

 と言うのも、この層全体は、ぐるりと巨大な山岳に包まれ、その内側に溢れんばかりの湖水が貯まっている…要するに、大きな湖のような構造となっているのだ。

 それだけで言えば、24層や61層など、旧SAOにも似たような層はあった。

 がしかし、ここは更に特徴的な側面が存在している。

 

 アルファ「あの辺で降りようぜ」

 

 ユウキ「おっけー」

 

 全面湖フロアを滑空していた俺達は、主街区に辿り着くと、一際大きな屋敷の屋根に着地した。

 なぜ屋根に降りたのかと言うと…実はこの層、建造物の大部分が、この巨大湖に沈んでいるのだ。

 しかも、主街区だってその例に漏れない。

 コバルトブルーの屋根にすぐ下では、水面がゆらゆらと揺れており、水紋がぴちゃぴちゃと押しては引いている。

 ジッと目を凝らせば、水面下で動くプレイヤーや、街の灯りとなっているシーランタンの輝きが見て取れた。

 

 つまりは水没都市。それが今層のテーマだ。

 その構造上、フィールド探索には水中呼吸の魔法が欠かせないし、海底に眠った金銀財宝を掘り当てるトレジャーハンティングなんてものも盛んだ。

 お宝大好きなユウキにとっては、最高の層であると言えよう。

 その為か彼女も、「今からお宝探そう!」と言ったキラキラとした表情で、俺に期待の眼差しを向けてくれているのだが…。

 

 アルファ「あと五分ぐらい、ここでゆっくりしようぜ」

 

 ウインドウを開き、ちらりと現在時刻を確認した俺は、ユウキにそう伝えた。

 すると彼女は、俺の両肩を掴みながら、グラグラと身体を揺さぶってくる。

 

 ユウキ「えー、お宝探し行こうよ~」

 

 アルファ「その後行ってやるから」

 

 寝る前に一回だけお宝探しに付き合う趣旨を伝えると、ユウキは納得したように、俺から手を離してくれた。

 

 

 

 

 アルファにそう言われたから、ボクは彼と共に、暫しこの場でボーっとし始めた。

 でも、こんなことになんの意味があるんだろう。

 君の解せない意図を探るように、ボクは世界の彼方を見つめていたんだ。

 なんてことを考えているうちに、その理由は明らかになっていく。

 時間が経過するにつれて、大宇宙の如き夜空が、その在り様を変化させていったのだ。

 徐々に、遥か向こうに見える山岳付近が、一層濃い赤色に染まり始めた。

 同時に、夜の紫色はどんどん上の方に逃げていって、トワイライトが綺麗に映し出されていく。

 朱色の輝きはますます世界を明るく彩っていき、やがて──。

 

 ──一際大きな山岳の頂点から、二筋の強烈な光が漏れ出した。

 

 その黄赤色の光線は、クロスを描くように、山頂をカッと輝かせる。

 山頂の裏から大きな太陽が姿を現したかと思うと、水の世界は一気に照らし出された。

 そよ風に揺れて小さく波打つ水面に、無数のプリズムが煌めていている。

 まるで太陽の輝きに押し流されているみたいに、たなびく白雲は四方へと散っていく。

 水面に反射した陽光の道途が、ボクらの目の前に映し出されていた。

 ボクは、日の出と朝焼けの幻想的な光景に、ただただ目を奪われ続けていた。

 

 

 

 

 日の出がこんなにも綺麗なものだと知ったのは、ALOをプレイし始めてからのことだった。

 俺は基本的に夜更かしなんてしないし、その上朝には弱い。

 だから当然なのだが、日の出を見るために早起きするなんて経験は、俺にはなかったのだ。

 輝かしい朝の陽光に目を奪われるユウキと同じように、俺も暫し、その神秘に目を釘付けにしてしまう。

 

 だが、目的は見失っていなかった。

 思い切って空から目を離した俺は、左指を小さく振った。

 出現したウインドウを操作し、アイテムストレージを開く。その左上のアイテムを実体化させると、ポーンと音が鳴り響いた。

 ふとユウキの方を見やれば、彼女はまだ、絶景に意識を向けていた。こちらの動きに気が付いていない。

 手のひらに収まるサイズの黒い四角形を目にすると、少し前に落ち着かせたはずの胸が、またドキンドキンと痛いぐらいに膨張し始めた。

 小さな箱を握る腕も、少しばかりの震えを見せている。

 

 …まだユウキは気が付いてないみたいだし、やっぱりやめておこうか…。

 なんて、少し弱気な自分が、頭の中から顔を覗かせていた。

 でも……あぁ、そうだ。ユウキはあの日ハッキリと、俺にそう言ってくれたんだ。

 だったら、俺も応えないわけにはいかないだろう。

 いや、違うか。俺がどうしても、この気持ちを伝えたいんだ。

 君に知って欲しくて堪らなくて、俺こそが、自ら積極的にユウキに応えたいんだ。

 大きな深呼吸を挟んだ俺は、信念の籠った声色で、君の名前を呼んだ。

 

 

 

 

 アルファ「ユウキ」

 

 ふと君に名前を呼ばれて、美景に心を奪われていたボクは、我に返った。

 さっきまで隣に立ってたはずなのに、横目で見ても、そこに君はない。声の方向からして、後方だろうか。

 そう思ったボクは、後ろに振り返ったんだ。

 思った通り、彼はボクの背後で佇んでいた。

 そんな君は、両腕を後ろに組んでいて、いつになく神妙な面持ちだった。

 不思議に思ったボクは、疑問を発しようとした、その時だった。アルファがアクションを起こしたのは。

 

 

 

 

 こちらに振り返ったユウキの姿を捉えた俺は、今一度、その決意を固めた。

 その一挙一動が、とても愛おしく思える。

 たったそれだけのことで、やっぱり俺の隣には君が居て欲しいんだってことが、確信出来るんだ。

 心臓は今にも飛び出してしまいそうなほどに脈打っているけれど、この気持ちを伝える覚悟が整った今、俺が取り乱すことは、もうなかった。

 

 屋根に片膝を付け、いつもと違って少しだけ見上げるように、君の瞳を見据える。

 一層不思議そうに俺を見つめる君に目を合わせながら、背中で結んでいた両手を解いた。

 俺はゆっくりと、両手を身体の前に持ってくる。

 黒いケースを握った左腕差し出すと、ゆっくりと手のひらを広げる。

 そこに右手を添えて箱を開け──そして、俺は伝えたんだ。

 

 アルファ「ユウキ、俺と結婚してくれ」

 

 俺に愛を伝えられたユウキは、その瞳孔を大きく開いた。

 

 

 

 

 それはどこまでも、突然のことだった。

 アルファが片膝立ちの姿勢を取ったかと思うと、左手に握った小さな箱を開き、ボクに愛を叫んでくれたんだ。

 半開きになったケースの中には、銀色に輝く指輪が収められていた。

 その指輪には、透き通る真紅の宝石が嵌め込まれている。

 朝の日差しを浴びて、宝石は一本の光線を煌めかせていた。

 

 だけど、そんなことに意識を向けられない程に、ボクは呆然と君に目を合わせたまま、その場で固まり続けたんだ。

 いま伝えられた言葉が本当なのか、ボクの聞き間違いじゃないのか、そもそも、これは現実なのか。

 夢にまで見た君の想いが、本当に起こったものだとは思えなくて。でもそう信じたくて。

 ボクは胸の中に、自分でも名前が付けられない感情を幾つも錯綜させていた。

 そして──整理のつかない頭をどうにか働かせ、ボクがやっとのことで発した言葉は──。

 

 ユウキ「……あ、アル…ファ……?……え、ALOには、結婚システムは…な、ない、んだよ……?」

 

 ──確かに起きたはずの現実を、否定するためのものであった。

 君の想いに答え、受け入れることも断ることもせず、ボクはただ問い掛け直したんだ。

 だけど、そんなボク自身の声は、微かに震えている。

 こんな現実があっていいのだろうか。

 ボクは未だ、アルファの言葉に理解が追い付いていなかったんだ。

 そんなボクに対して、君は変わらず真剣な表情で、言ってくれたんだ。

 

 アルファ「…そんなの、分かってる……でも、ユウキと出会って、一緒に生き抜いて。離れ離れになっても、今度は現実世界でまた出会って…。それから一緒に病気と闘って…。それでやっと、ユウキの病気が治ってさ、二人でリアルを過ごすようになって…やっぱり何をどう考えたって、俺はユウキが良いって思えたんだ」

 

 ユウキ「っ…」

 

 アルファの一言一言が、ボクの胸の奥深くに溶け込んでいく。

 胸底から何かが込み上げてくる予感を覚えながら、ボクはそれを押し戻すように、喉元をきつく締め、口を固く閉ざし続けた。

 その間にもアルファは、たくさん愛の言葉を叫んでくれる。

 

 アルファ「お、俺は……これからもずっと、長い間、ユウキが傍に居て欲しいんだ。…嘘じゃない。この気持ちは揺るがない!俺にはユウキしか居ないってもう確信してる!!これからもユウキのこと守ってみせるから!!絶対に幸せにするし、もう二度と辛い思いなんてさせないから!!俺はユウキをずっと愛したいし!!今だって愛している!!俺はこれから先もずっとユウキに愛して欲しくて!!だから──俺と…結婚、して欲しいんだ」

 

 

 

 

 押し黙り続けるユウキに向けて、胸に抱く君への愛情のほんの一端を、俺はひたすらに叫び続けた。

 でもユウキは、俺の目を合わせたまま、やっぱり何も答えてくれない。

 …分かっている。自分が無茶なこと言ってることぐらい。

 でも、理性じゃこの感情を押さえ切れなくて、俺はどうしても伝えたかったんだ。

 ユウキはあの夜、ずっと俺の傍に寄り添ってくれると言ってくれた。

 だからこそ、俺もその気持ちに応えたかった。

 あの時の君に嘘はないって、俺は慢心でも傲慢でもなく、ちゃんと分かっている。

 それ故に俺は、プロポーズが断られるなんて、微塵も思っていなかったんだ。

 

 だけど──現実問題として、君が俺の言葉に応えてくれることは、なかった。

 その理由は、他でもない求婚者の俺自身が、一番良く分かっていた。

 

 …やっぱりか…。

 

 と何処か納得のいくこの結果に、俺は苦笑いを洩らしてしまう。

 最高にダサい自分に呆れながら、俺は情けない笑顔で、君に言葉を続けた。

 

 アルファ「……ごめんな、約束破って…。学生の間は、こういうことしないって話してたのにさ…。でも、我慢出来なかった。どうしてもこの気持ちを、ユウキに知って欲しかったんだ…。まぁ、急な話だったし…今日のことは、もう、綺麗さっぱり忘れてくれていい──」

 

 

 

 

 ユウキ「──忘れられるわけ、ないっ…じゃん…」

 

 ボクが黙り込んでいる間に、アルファは申し訳なさそうに微笑みながら、今の話をなかったことにしようとしたんだ。

 

 …そんなの嫌だ。なかったことになんてして欲しくない。

 

 心がそう叫んだと同時に、何を話せばいいのか分からなくて、全く以て開かなかったはずのその口からは、絞り出すように言葉が発せられていた。

 そんなボクの声は、もう隠せない程に震えていて。

 ボク自身の気持ちだって、もう抑え切れなくなって。

 次第に滲みゆく視界の中で、ボクは君の瞳を見つめながら、伝えたんだ。

 

 ユウキ「アルファは、身勝手だよ…っ!自分から始めた癖に、なかったことにしようとするなんてぇ!!ボクが今、どんな気持ちでいるのか、ちゃんと分かってるのっ!?今の言葉を撤回したら、ボクがどんなに気持ちになるか、分かってて言ってるのっ!?」

 

 ボクはボロボロと涙を零しながら、思うがままに君に叫び続けた。

 両手を使って目を塞いでも、全然涙は止まってくれない。

 ボクの叫びを聞いたアルファは、視線を落としたまま、沈黙を保っていた。

 

 

 

 

 アルファ「……」

 

 よく、分からなかった。

 ユウキがその目尻に二筋の光を零している理由が、俺にはどうにも見えてこなかったのだ。

 …いや、それは嘘だな。多分そうかなって思えたけど…君自身の言葉として、俺は答えを聞きたかったんだ。

 俺は君がその言葉を口にしてくれるのを、ただ待ち続けていた。

 

 

 

 

 さっきから胸に迸る、この良く分からない感情。

 アルファに向けて泣き叫んだその瞬間に、ボクもようやく、それに気が付けたんだ。

 それは、ボクが良く知ってる気持ちだった。

 ただ、これまでになく強烈で濃密なものだったから、それだって気が付くのに時間が掛かったんだ。

 

 アルファが贈ってくれた言葉の一つ一つが、これ以上にないほどに、ボクを温かい気持ちで包み込んでくれている。

 それこそが、この感情の答えだったんだ。

 だからボクは、この気持ちを言葉に乗せて、今度はゆっくりと伝えた。

 

 ユウキ「ボクはね…嬉しいんだよ、アルファ…。嬉しくて、勝手に涙が出ちゃうぐらいに…アルファのその気持ちが、凄く嬉しかったんだよ…」

 

 

 

 

 その時ユウキが魅せてくれた微笑みは、とてもとても綺麗だった。

 俺はきっと、この最高の君を、永遠と脳裏に焼き付け続けるのだろう。

 時間の感覚なんてものは、もう当の昔に忘れ去っていた。

 俺は暫し、朝日に照らされるユウキに目を奪われ続けていた。

 刹那の永遠から意識を取り戻した俺は、今一度、君に問おうとした。

 

 アルファ「じゃあ…」

 

 でも君は、その全てを言葉にする前に、今度は最高の笑顔で、俺の愛に応えてくれたんだ。

 

 

 

 

 ユウキ「…うん、ありがとね、アルファ…ボクを選んでくれて…」

 

 ボクが君の愛情に応えると、君は本当に嬉しそうな表情を輝かせた。

 リングケースから結びの指輪を取り出すと、彼はボクの左手を、優しく掴んだ。

 ボクはそれを拒むことなく、受け入れる。

 左手を差し出すと、君はそっと、ボクの薬指に、指輪を嵌めてくれた。

 アルファの愛情が、ボクの左薬指に宿る。

 それはまるで、婚約指輪から、君の温もりそのものを感じるみたいだった。

 ボクは全身に喜びを満ち足らせ、小さな嘆息を洩らした。

 

 アルファと誓い合った将来が、瞳の奥に映し出されていく。

 それはどれも、すっごく充実した日々だ。

 この先、これからもずっと。

 それが曖昧なものじゃなくて、確かな道筋として、ボクらの前に現れたんだ。

 ボクとアルファはきっと、二人でその道を歩いていける。いつまでもいつまでも、隣り合って笑い合って…。

 

 君からの愛の証に気を取られているうちに、彼は立ち上がっていた。

 ボクが君を見やると、君もまた微笑みながら、ボクに目を合わせてくれる。

 そしてアルファは、ボクに一歩近づいてくれた。

 君がしようとしていることを悟ったボクは、惹かれるように、その身体に寄りかかった。

 

 

 

 

 俺の贈った愛の証を、ユウキは愛おしそうに眺めてくれている。

 その婚約指輪は、この世界にも一つしか存在しない一品なんだ。

 何せあれは、俺自身が細工スキルを活用して作り上げたものだ。

 その出番はもう数年あとだと思っていたんだけど、俺は思った以上に、堪え性のない人間だったらしい。

 昔はそんなことなかったはずなのにな。ユウキと過ごすうちに、俺も変わったんだろう。

 

 ユウキが約束の指輪を嵌めてくれた。

 それすなわち、俺とユウキは、これからもずっと一緒に──。

 自分からプロポーズした癖に、案外、それは実感が湧かないものだった。

 だけど、ユウキとの将来が、確かなビジョンで脳裏に浮かび上がってくる。

 それだけでも嬉しくなった俺は、堪らず君を抱き締めたのだ。

 

 アルファ「ユウキ…愛してる。俺を選んでくれて、ありがとう…俺はずっと、誰よりもユウキが大好きで、愛している…」

 

 ユウキは全部分かっているみたいに、自然な流れで俺の抱擁を受け止めてくれる。

 俺はこの気持ちをもっともっと君に知って欲しくて、彼女をより強く抱き締めながら、何度も何度も愛を伝えるんだ。

 するとユウキもまた、気持ちの詰まった言葉を返してくれるんだ。

 

 ユウキ「ボクもアルファのこと、大好きで大好きで仕方がなくて…これからもずっとずっと、アルファを愛しています…」

 

 これからもずっと、俺を愛してくれている。俺に君を愛させてくれる。

 それを言葉として受け取った今、俺は満足のため息を吐き出した。

 

 アルファ「…学生終わったらさ、今度こそちゃんと、プロポーズするから」

 

 いつも以上に力と想いの籠った抱擁で、ユウキを包み込んだ俺は、君の耳元でそう呟いた。

 

 

 

 

 付き合って三年。お互いの歳は十九と十八。

 別に結婚したって、誰にも文句は言われないはずだ。

 今日はボクらの付き合った記念日で、同時に結婚記念日…になると思ってたんだけど、アルファはまた今度、プロポーズしてくれるんだって。

 今日もしっかりとしたプロポーズだったのに、これ以上、何をちゃんとするつもりなのかな?

 でも確かに、ボクらは学生が終わってからって、約束してたからね。

 ぎゅっと抱擁を返したボクは、まるで確かめるみたいに、優しく君に問い掛けるんだ。

 

 ユウキ「ボク…待ってて、いいんだね…?ボクはずっと、待ってるからね…?ここまでしておいて見捨てたりしたら…ボク、ホントに怒るからね…?」

 

 するとアルファは、小さな笑い声を洩らしながら、冗談っぽく言うのだ。

 

 アルファ「見捨てるわけないだろ。寧ろ、俺の方が見放されそうでビクビクしてんだから」

 

 そんな君の弱気な発言を聞いて、ボクはクスクスッと笑みを零す。

 そんなつもりは微塵もないよ。寧ろ、アルファが逃げられないぐらいに、その心を鷲掴みにしてあげるんだから。

 そんな気持ちを込めて、君がボクから離れられないように、一層力を込めて抱き締めるんだ。

 

 ユウキ「アルファはバカだね~…そんなわけないじゃん…」

 

 

 

 

 ユウキが見捨てないって言うなら、きっと俺達は大丈夫だ。俺はもう随分と、頭も心もユウキ色に染め上げられたからな。

 そして俺も同じように、ユウキの心の中核を奪い去っているなら……まぁ、そう言うことなんだろうな、多分。じゃなかったら、俺と結婚を約束してくれるわけないもんな…。

 本当に、喜ばしい限りだ。

 

 とそこで、ユウキはふっと力を抜いた。

 同時に俺も腕の力を弱めると、彼女は俺から一歩距離を置いた。

 そして──あぁ、一体今日は、何度越えてくれるのだろうか。

 ユウキはまた、最高の笑顔を浮かべてくれたんだ。

 

 ユウキ「…ね、取り敢えずの誓い、立てようよ」

 

 アルファ「取り敢えず?」

 

 一生の誓いのはずなのに、取り敢えずの誓い。

 ユウキのユニークな言い回しに訊ね返すと、君は楽しそうに笑いながら、続けざまに言ってくれるのだ。

 

 ユウキ「うん、今はまだ、取り敢えずで充分だよ。本当の誓いは…またいつかのお楽しみにしとくからさ」

 

 当たり前だ。いつか必ず本物の誓いを立ててやる。

 その時はきっと、今日以上に素晴らしい日をお届けしてみせよう。愛するユウキの為ならば、俺はなんだって出来るのだから。

 その言葉は、約束の時の為に取っておくことにしよう。

 俺は言葉で応える代わりに、君の頭を撫でてあげた。

 今日のユウキは一段と気持ち良さそうに、目を閉ざして口元を綻ばせている。

 

 アルファ「…そっか。じゃあ、楽しみに待っててくれよな」

 

 そして俺が愛撫をやめると、遂に、取り敢えずの誓いを立てる時が来たんだ。

 

 全面湖に囲まれ、朝日が輝く世界。

 こんな場所で誓えるなんて、きっと、仮想世界ならではの素晴らしさなんだろう。

 

 水面に映る二人の陰影は、ゆっくりと近づいた。

 二人の唇が重なり合い、誓いの口付けが交わされる。

 いつも通りの甘いキス。

 でも、今日はそれだけじゃなかった。

 誓いのキスを介して、ユウキの嬉しさや喜び、ありがとうの気持ちなんかが、溢れるぐらいに伝わってくるんだ。

 

 そして同じく、俺の胸に抱くこの気持ちも、君の心に直接伝わっているのだろう。

 ユウキの優しい気持ちが、全身に流れ込んでくる。

 ユウキが俺に向けてくれる愛情が、心も身体も満ち溢れさせてくれて、俺はありえないぐらいに、心が温かくなっていく。

 それで俺は、やっと理解出来たんだ。今日までユウキと一緒に過ごしてきた中で、抱かされた色んな感情…その根底にあった気持ちに。

 

 ……あぁ、そっか。これが、『幸せ』って気持ちなんだ。

 

 俺は今、人生最高の幸せを、君から受け取っているんだ。

 きっとユウキも、この上なく幸せでいてくれてるんだ。

 

 二人は長い長い誓いのキスを交わし合いながら、お互いの深い愛に満たされている。

 両者はその瞳から、幸せの雫を溢れさせていた。

 

 俺もユウキも、幸せの絶頂に辿り着いた。

 

 これからどんな困難が立ちはだかったって、その果てに俺達が絶望のどん底に落とされたって、今この瞬間の幸せは、紛れもない事実なのだ。

 物語とは、区切る場所によって、終わりの見え方が変わってくる。

 だったら…この瞬間に物語に終止符を打ってしまえば、その一文を最後の1ページに持って来れば、俺とユウキは、最高のハッピーエンドを迎えられるのではないだろうか。

 ユウキも俺も幸せで、満場一致の気持ち良い終わり方だ。

 

 あぁ、ならば──。

 

 ──『俺』の綴る物語は、ここで幕を下ろそう──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─────────────

 

 

 

 

 

 

 

 コトコト、コトコト。

 火にかけられたお鍋からは、美味しそうな調理音が響いている。

 ゴロゴロと具材の入ったとろみがかった茶色い液体を、木べらでゆっくりとかき混ぜていく。

 そのスパイシーな匂いは、食欲を刺激するに充分だろう。

 

 ふと視線を上向けると、向かいの窓には、料理に勤しむボクの姿が反射していた。

 窓の向こうは真っ黒に染まっていて、リビングの明かりでは到底、外の闇を払うことは出来ない。

 でもその代わりに、遠くに浮かぶお月様が、花壇の花々を薄く照らしていた。

 次いで壁掛けの丸時計に目を移すと、時刻は午後七時を回っていた。

 となると──。

 

 時刻に気が付いた瞬間、ボクはピタリと手を止めた。

 しっかりお鍋の火を止めてから、ソファの方へと足を運ぶ。

 すると…やっぱりだった。

 

 「……んん……」

 

 ソファの中央にちょこんと座ったその子は、昔のボクとよく似た髪型をしている。眠たそうに、その大きなお目目を開いては閉じていた。

 この子はもう、おねむの時間なんだ。

 彼女の前で覗き込むようにしゃがむと、ボクは言ってあげるのだ。

 

 「海渚?そろそろママと、おねんねしよっか?」

 

 そうボクが聞いてあげると、彼女はウトウトと身体を揺らしつつも、抵抗するように言葉を返してくる。

 

 「…やだ…なみ、まだねんねしない…パパまだかえってきてないもん…」

 

 彼女の名前は、海と渚の二文字を組み合わせて『なみ』だ。

 この子は、ボクと君との愛の結晶で…きっと、すっごく可愛い女の子に育つこと間違いない。

 単なる親バカじゃないよ?だって、ボクと君との子供だからね。当然じゃないかな?

 名前の由来は、ボクと君の大切な仲間から、漢字を一文字ずつ借りたって感じだ。

 

 どうやら彼女は、パパに会えないことが寂しいらしい。

 いつもはこの時間には彼がいるんだけど、今日は色々あって、まだ帰って来られてないのだ。

 もうちょっとしたら帰ってくるって連絡があったけど…小さい間から生活リズムを崩すのもあれだし…と色々考えたボクは、我が娘にこう言った。

 

 「明日はね、パパお休みだから、一緒に幼稚園に行ってくれるんだよ?だから、海渚も早くねんねしないと、明日起きれらなくて、パパと幼稚園行けないよ?」

 

 と言ってあげると、大好きなパパと一緒がいい我が子は、明日の為にねんねすることを決意したようだ。

 もう眠気は限界だったのか、ソファから立ち上がると、その小さな身体をふらっと揺らした。

 こけないように支えてあげたボクは、その小さな手を引いて、二階に向かっていく。

 この娘の手のひらからは、彼とはまた違った種類の温もりを感じるのだ。

 

 辿り着いた寝室のドアを開けると、そこにはキングサイズのベッドが置かれている。

 勿論、真ん中が愛娘だ。

 しっかり寝かしつけてあげるために、一緒にベッドで寝転がったボクは、普段通り訊ねるのだ。

 

 「海渚。ママの子守唄かお話か、どっちが聞きたいかな?」

 

 とボクが問えば、我が子は必ずそう即答してくる。

 

 「おはなしがいい!」

 

 「……」

 

 …なんでなんだろう。彼からは子守唄が評判だけど、海渚はいっつもお話を選んじゃう。

 すぐに眠くなっちゃうところはパパ譲りなのに、そこは違ってるんだよね~…不思議だなぁ…。

 そんな感じで、別なことに頭を働かせていると、ベッドに寝転がった彼女は、ボクを見上げるように見つめてくるのだ。

 

 「…ママ?」

 

 …か、可愛すぎる…。

 上目遣いって、こんなに破壊力があるものだったんだね…。道理で君も、ボクにやられっ放しなわけだよ…。

 なんて調子で、すっかり愛し子のキュートさにメロメロなボクは、今日も胸の奥をキュンキュンとさせるのだ。

 お話を催促する我が娘の可愛さ成分を補給すると、ボクはお待ちかねのお話を始めた。

 

 「あっ、ごめんね?早速お話しよっか。えーっと、昨日はどこまで話したかな~」

 

 勿論ボクだって、自分で話したところぐらいはしっかり記憶している。

 でも、わざとらしく忘れた体を装うと、彼女はしっかりと答えてくれた。

 

 「おひめさまがにげちゃったところ!」

 

 「うん、よく覚えてたね。えらいえらい」

 

 「えへへ~」

 

 しっかりと復習出来た我が子には、頭をよしよししてあげて、ちゃんと褒めてあげる。小さな子は褒めて伸ばさないとだからね。

 すると彼女は、頬っぺたを緩ませて喜ぶんだけど…もしかしてこの表情って、ママ譲りだったりするのかな?彼に毎度こんな表情を見せてるのかと思うと、結構恥ずかしいね。

 そんなことを思いつつも、ボクは愛娘が眠りにつくまで、背中をトントンと叩きながら、優しい声色で、夢のようなお話を聞かせてあげるのだ。

 

 「──なんとお姫様は、王子様から一本の剣を投げつけられました。そして王子様は『俺と勝負しろ』と言うのです。お姫様は、『この勝負に勝ったら、二度と会いに来ないで欲しい』と言ってから、その勝負に──」

 

 「ママ~、おひめさまがけんふりまわせるの?」

 

 「そうだよ~。ママ…じゃなくて、お姫様はすっごく強いんだ~。なんてったって、王子様より強いからね!」

 

 「ふ~ん…」

 

 「──王子様に負けたお姫様は、そこでようやく、自分の気持ちに気が付きました……って、寝ちゃったか……」

 

 愛娘の為に話しているはずなのに、ボクはいつの間にか、自分のお話に夢中になっちゃっていた。

 気が付くと、彼女はすぅすぅと寝息を立てており、ボクは穏やかに、その柔らかい寝顔を眺める。

 彼女はボクのお話が随分とお気に入りみたいだけど…このお話、実はママとパパとのお話だなんてこと、この娘が知る日は来るのだろうか。もし知ったら、どんな反応するんだろうね?

 

 彼女が目覚めないよう、そっと寝室を後にしたボクは、再びキッチンに戻って、お鍋を温めておく。

 すると遂に、玄関の方から、ガチャリと鍵の開く音が響いた。

 インターホン鳴らしてくれたら良いのに…と思いつつも、ボクは急いで玄関口へと足を進めるのだ。

 ボクが玄関前の廊下に顔を出したのと同時に、ドアが開け放たれる。

 そしてそこから現れたのは、当然──。

 

 「ただいまー」

 

 「ん、おかえり~」

 

 ──皺のない綺麗な黒スーツに身を纏った、ボクの大切な人なんだ。

 君はあれから、ほんの少しだけ身長が高くなった。

 でもボクも同じように背が伸びちゃったから、目線の位置は変わっていないんだ。

 それに、ボクに関して言えば…念願だったお胸も、少しだけ成長したんだ。良いでしょ~?

 それに合わせて、彼が好きでいてくれているサラサラな黒髪も、ロングに伸ばしたんだ。大人の魅力ってやつだね。

 

 玄関に足を踏み入れるや否や、彼はそう言ってくれるから、そちらに近づくボクもまた、挨拶を返してあげる。

 ボクが手を差し出すと、君は大人しく鞄を渡してくれた。

 革靴脱いだ君は、ボクにスーツの上着を回収してもらいながら、話し掛けてくれる。

 

 「ごめんな、仕事で急なことがあってさ」

 

 「全然大丈夫だよ。お仕事お疲れ様」

 

 結構良いとこに務めている彼は、基本的に定時で帰ってくる。だからこうやって遅くなるのは、本当に珍しいことなんだ。

 でも、不労所得のある君に、働く意味があるのかって言われると…結構ビミョーだよね。

 彼に言わせてみれば、今の仕事は楽しいらしい。

 飽きるまではやりたいって言うのと…あと、海渚が「お父さんのお仕事について聞いてみましょう!」って宿題出された時に、困らない答えを返してあげたいんだって。

 …これこそ親バカなんじゃないかな?

 

 ボクが労いの言葉を掛けてあげると、君は嬉しそうに「ありがとう」と言ってくれた。

 とそこで君は、ハッと気が付いたように、ボクに問い掛けてくるのだ。

 

 「あれ?海渚は?」

 

 「さっき寝ちゃった。パパに会いたがって、全然寝ようとしてくれなかったよ~」

 

 「う~ん、可哀想なことしたなぁ…」

 

 ボクの言葉に渋い表情を浮かべた彼は、洗面所で手洗いうがいを済ませ、一目散に寝室へと向かって行くのだ。

 ボクも同じようについて行くと、彼はそっと寝室のドアを開け、気持ち良さそうに眠る愛娘の姿を拝んでいた。

 海渚と接する時の君は、本当にお父さんの顔をしてるんだよね。

 優し気に微笑んでいた彼は、音を立てないよう静かにドアを閉める。

 そして一緒に階下へ降りると、ここでボクは言ったのだ。

 

 「あっ、そうそう。これからどうしたい?お風呂にする?ご飯にする?それとも……ボクにしちゃう?」

 

 もうボクも大人になっちゃってるのに、折角大人な魅力を身に付けたはずなのに…こんなことを言うなんて、ちょっと子供っぽいのかな?

 でも、君の前では、ボクはいつまで経っても一人の乙女なんだ。

 ボクがあざとい笑顔で訊ねてあげると、一方彼は、ぶっきらぼうな即答だった、

 

 「ご飯」

 

 「…むぅ…」

 

 …折角、遊び心を以て聞いてあげてるのにさ~、なんだなんだー、その言い草は…。

 彼の面白くない答えに、ボクは頬っぺたを膨らませちゃうんだけど…そこで唐突に、脳内へと落雷が落ちてきた。

 その衝撃的な可能性が頭を巡り、ボクは途端に、ダラダラと冷や汗を流してしまう。

 

 ──も、もしかして…しょ、職場で愛人が…っ!?!?

 

 そんなことを考えてしまうと、一気にオロオロとしちゃうボクだけど…そんなのは全て、彼のお見通しなのだ。

 いつまでも変わらない様子でボクの頭に手を乗せると、君はそう言ってくれる。

 

 「お風呂とボクは、セットで注文してもいいか?」

 

 その言葉と手のひらの温もりに一安心したボクは、ちょっと意地悪な笑顔で言ってみるのだ。

 

 「…もう、それ好きだね~…」

 

 「好きなのはどっちだか」

 

 でも、彼も負けてない。動じることなく、屈託のない笑顔でそう言ってきた。

 結果、恥ずかしさに耐えられなくなったボクは、そそくさとキッチンへ逃げ込んでしまった。

 お仕事で疲れちゃった君の代わりに、ボクがしっかり晩御飯の準備をするのだ。

 と言っても、もう準備は万端だ。あとは、白米と温めておいたお鍋の中身を同じお皿に盛り付ければ…。

 

 「今日の晩御飯はね、カレーだよ」

 

 「おっ、美味そうだな…って、まだ食べてなかったのか?」

 

 ボクが食卓にサラダとカレーライスを運んでくるも、それは二食分だった。

 君も不思議そうに訊ねてくるから、ボクも隣に腰を下ろすと、その理由を教えてあげた。

 

 「うん、海渚と一緒にちょこっとだけ食べたんだけどね。やっぱり、一人でご飯って寂しいでしょ?」

 

 「ありがとな、そういうとこ好きだぞ」

 

 「…ん、どーいたしまして」

 

 嬉しい言葉を受け取ったボクは、やっぱりニコニコしながら、二人で頂きますを唱えた。

 ボクの料理の腕前も、もうとっくに君以上のものになってる。

 だけどたまーに、彼の料理を食べてくなるんだよね~。

 

 君と今日一日にあった下らない話を交わしながら、カレーをスプーンで掬い、口に運ぶ。

 この時間帯は、ボクと君との数少ない、平日の二人っきりの時間なんだ。

 

 不意に前方の写真ボードに目を向けると、そこには、ボクら三人家族の微笑ましい写真が幾枚も飾られていた。

 子供のお世話はすっごく大変なんだけど、あと一人ぐらいは家族を増やしたいって思ってるんだ。

 次は…男の子が欲しいなぁ…出来るかなぁ…。

 

 でも、そこに飾られている物は、三人の写真だけじゃないんだ。

 ボクと君の二人だけの写真も、数枚貼ってるんだよね。

 その中でも一番印象的な物は、やっぱり…ボクが純白のウェディングドレスに身を纏い、君もまた白いタキシードを身に付けている写真だ。

 二人共すっごく良い笑顔をしていて、見ているこっちまで頬が緩んじゃうよ。

 

 あの日以来ボクらは、遂にこっちの世界でも、お互いの薬指に、銀色のリングを結ぶようになった。

 ふとした時に左手を眺めると、胸の奥が温かくなるんだ。

 さっきからボクに一途な君に安心したり、ちゃんとボクを求めてくれる君にドキドキしたり…あれれ?おかしいな、もう君への恋心は、ずっと昔に冷めたはずなのにな。

 でも、確かに恋心は冷めたけど、それはただ単に、君への想いがなくなったって訳じゃないんだ。

 ボクと君との恋は、熱い鉄のように燃え上がった。その熱々に赤くなった鉄を、ボクらは二人で一生懸命打って…それで完成したものが、二度とその形を変えない鋼鉄リング…。

 要するに、今のボクらは、もう恋愛関係に収まらずに、お互いに不変の愛情を抱いているんだ。

 それこそが、薬指に光る指輪の意味なんだろうね。

 

 誓いの場で聞いたあの言葉。『病める時も健やかなる時も』…それは、ボクと君にピッタリのものだった。

 ボクはこうやって、君と愛娘と三人で暮らしてて、ホントに毎日が満ち足りている。

 君がボクを助け出してくれたその時から、ずっとボクらの道は続いているんだ。

 君とボクが紡いだ物語は、一度たりとも途切れることなかった。

 君がボクをピンチから守ってくれて、ボクが君のピンチを救ってあげて…そうやって、ボクも君も、今があるんだ。

 そんな当たり前の、でもふとした時に忘れちゃいそうな大切なことを改めて嚙み締めたボクは、思わず口元を綻ばせてしまう。

 この気持ちは、これからも絶対に忘れないし、忘れちゃいけない。

 だからボクは今日も、君に伝えるんだ。

 

 「ね、歩夢…」

 

 「なぁ、木綿季…」

 

 でも、顔を見合わせたボクらは、ほとんど同時にその口を動かしちゃった。

 それで言葉に詰まっちゃって、二人一緒に笑い声を洩らしちゃう。

 君が「お先にどうぞ」と言ってくれたから、後続の君に負けないよう、ボクは自然に綻びた笑顔で、君にしっかり伝えたんだ。

 

 「あのね──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「──ボク、幸せだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とボクが伝えれば、カレーをモグモグしている君は、嬉しそうな微笑みを浮かべた。

 お口の中のものを飲み込むと、また同じように言ってくれるのだ。

 

 「俺だって、こうやって木綿季と居られて…すっごく幸せだ」

 

 そうやって今日もお互いの気持ちを確かめ合ったボクらは、二人揃って柔和な表情を零した。

 いつもはここでお終い。

 でも、今日のボクは一つ、更に付け加えてやるんだ。

 ボクはいたずらな様子で、君に言ってやる。

 

 「…ま、歩夢よりもボクの方が、幸せだと思うけどね?」

 

 すると君だって、自信満々に言葉を返してくるのだ。

 

 「いやいや、木綿季も幸せだろうけど、俺の方が幸せだからな?普通に」

 

 そうなると、ボクだってもう止まれない。

 

 「そんなことないよ~。どう考えてもボクの方が幸せなの!」

 

 「いーや、俺の方が滅茶苦茶幸せだな!」

 

 「む~、中々認めないね~。世界中の誰がどう見たって、ボクこそが──」

 

 大人になっても相変わらずなボクらは、そうやって愛のぶつけ合いをヒートアップしていき──最後にはいつも通り、愛のキスを交わす…はずだった。

 でも、ボクが更に言い返そうとしたその瞬間に、小さなシルエットが現れたのだ。

 その子はお目目を擦りながら、ボクらをボーっと眺めていた。そして眠たげな声で、言うのだ。

 

 「…パパぁ…おかえりぃ…」

 

 「おっ、ただいま。海渚…ねんねしたんじゃなかったのか?」

 

 「おめめ、さめちゃったの…」

 

 愛娘の登場に気が付いた君は、ボクとのイチャイチャを一旦中断してまで、彼女にそう問い掛けた。

 すると我が子は、椅子に座っている君の傍へと、ちょこちょこ歩み寄る。

 そして彼の目の前で、キュートな笑顔を浮かべながら言うのだ。

 

 「パパ~…だっこしてー…」

 

 「よーしっ、パパが抱っこしてやるからな~!」

 

 ボクをも射止める上目遣いを目の前に、チョロインな君が抗えるはずもなかった。

 娘に好かれていることに喜びを隠せない彼は、表情を輝かせて椅子から降りる。そして海渚をしっかりと抱え上げ、その胸にぎゅっと抱くのだ。

 

 「今日も良い子にしてたか?」

 

 「うん!ママのおりょうりてつだった!」

 

 「そうかそうか。偉いぞ、海渚」

 

 「えへへー…」

 

 彼に抱きかかえられ、ついでに頭もなでなでされちゃってる愛娘は、気持ち良さそうに笑顔を綻ばせていた。

 一方、彼女をよしよししている君も、穏やかな微笑みを浮かべていた。

 …ずるいなぁー、あんなに海渚に好かれちゃって…絶対パパっ子に育つよ…。それに…海渚もずるいなぁー…歩夢はボクのものなのに…。

 とボクが、二重の意味で二人を羨ましく思いながら、その微笑ましい光景を眺めれば──。

 

 「ママもだっこして~」

 

 「うん!勿論だよ!」

 

 彼に抱かれる彼女は、ボクにも手を伸ばしながら、そう言ってくれるんだ。

 それで嬉しくなっちゃたボクは、すぐさま海渚を、そして彼女を抱く君をも包み込むように、彼の正面から背中に向けて、両腕を回してあげるんだ。

 ボクらに包まれた海渚は、一層嬉しそうな表情を作った。

 

 「パパ、あしたのよーちえん、なみといっしょにいってくれる?」

 

 「あぁ、いいぞ。パパは明日、有給だからな」

 

 「…ゆーきゅー…?」

 

 「明日のパパは、お休みってことだよ」

 

 「ママの言う通りだ。だから明日は──海渚とママとパパとの三人で、一緒に手を繋いで幼稚園に行こうな」

 

 「…うん!あしたたのしみ!!」

 

 明日は右手に君の手のひらが、そして左手にはボクの手のひらが結ばれることに喜びを隠せない愛娘は、パッとその表情を咲かせていた。

 そしてボクと君も、そんな我が子を見て、思わず微笑みを零してしまうのだ。

 それから暫くの間、ボクは二人をぎゅっとし続けた。

 すると──。

 

 「…寝ちゃったみたいだね」

 

 「…だな」

 

 やっぱり、もう眠気が限界突破してたんだろうね。

 彼女はボクらに挟んで抱っこされながら、心地良さそうにその瞳を閉ざしていた。

 海渚が眠ったことを把握したボクらは、抱擁を解く前に、お互いの顔を近づけた。

 それぞれ柔らかい唇が軽く触れ合って、幸せな気持ちに溢れるんだ。

 今日もしっかり愛の口付けを交わし合ったボクらは、さっきとはまた違った微笑みを浮かべながら、ゆっくりと抱擁を解いた。

 

 「海渚のこと、ベッドに運んでやろうぜ」

 

 「そうだね。ご飯の続きは、そのあとにしよっか」

 

 そうして二人は、並んで二階へと向かっていく。抱く愛しの娘が目を覚まさないよう、ゆっくりとゆっくりと。

 

 

 かつて失われた団欒は、確かにそこで、息づいていた。

 

 

 お庭の大きなお家には、今日も温かな光が満ちている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おしまい

 

 

 

 

 

 




 これにて今度こそ、「~SAO with Yuuki~」は完結となります!
 長らくお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
 まぁ、長らくって言いましたが、初投稿から一年も経ってないんですけどね~。

 折角なので、最後にあとがき的な物を少しだけ書かせてもらいます。暇だったら見ていってください。

 早速ですが…辛いです。
 これにて完結させてしまうことが、筆者、凄く辛いんです。
 自分で終わらせといて何言ってんだよこいつ、って思われるかもしれませんが…こう、完走したっていう達成感とか充実感以前に、喪失感が凄いと言うか…もうこれ以上この物語は描けないんだな、って思うと…心がジクジクするんですよ。
 本当のことを言わせてもらうと、もうこのまま死ぬまでダラダラと、不安定な頻度で物語を描きたいんですが…そうなってしまうと、筆者は失踪してしまうかもしれませんからね。
 折角読んでみたのに、実は完結してなかった。しかも更新の見込みはない。
 みたいな物語を目の当たりにした時って、読者側からすると滅茶苦茶モヤモヤするじゃないですか。
 ですので、こういった形で、本日にて完結とさせていただくことにいたしました。

 私事ですが、改めて最初期に投稿した内容に目を通してみると…まぁ酷い。
 当時は自信満々で投稿してたと思うんですけど、やはり中々難しいですね、小説というものは。
 そんな時期と比べてみると、筆者も結構成長したんじゃないですかね。少なくとも、他人に見せられるぐらいには。
 んな訳ねぇだろって思われる方も居られるとは思うますが、筆者自身が満足しているので、それで充分なのかもしれません。
 勿論、まだまだ改善点ばっかりなんですけどね。

 思い浮かぶ情景を言葉にするのが楽しみで楽しみで、毎日執筆に勤しむこともあれば、いきなりエンジンが切れて、執筆したくなくなって、一カ月ぐらい書き溜めに頼って…それで、書き溜めが無くなりそうになったから、仕方なく執筆を再開して…。
 お気に入り登録してもらえて喜んで、お気に入りが減って悲しくなって。高評価を貰うと舞い上がって、評価が下がれば落ち込み、感想が頂ければ、心が温かくなって、それが励みになりました。
 そんな自分に気が付かされて、筆者も案外普通の感性持ってるんだな、って苦笑いさせられて…。
 
 ふと思い立って趣味で始めたことなのに、楽しい時もあれば苦しい時もあって、総じてとても良い経験になりました。

 なんて風に、結局のところ、これを機にアルファ君とユウキちゃんの物語から離れなきゃいけないのが嫌で、駄々こねるみたいにダラダラと後書きを書いてるんですよ、この筆者は(笑)

 こうやって言いたいことをひたすら書き出していると、後書きの締め括り方が見つけられなくなってしまいました。物書きとしては失格ですね。
 とは言え、そろそろしつこくなってきそうなので、いつもと変わらない様子で、無理矢理にでも締めることにしましょうか。

 次回の投稿日は──。

 と綴れないことには、やっぱりもの寂しさがありますね。
 しかしまぁ、それもまた執筆の醍醐味なんでしょう。
 筆者はこの物語を書くことで、そして、この物語が読者様の毎日に彩りを与えているんだって思えることで、毎日が凄く楽しかったです。
 それと同じように、読者の皆様がこの物語を楽しんでくださったのならば、筆者もそれで大満足です。
 もしよければ、「○○編が良かった」とか、「~話が好きだった」とか教えて頂けると幸いです。

 それでは、また機会がありましたら、何処かでお会いしましょう!

 ご愛読、ありがとうございました!!!!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。