キリトが案内した先は大きめのNPCレストランであった。時間帯もあってか、店内にはプレイヤーは誰もいない。俺達はそのまま、一番奥の席に腰掛ける。全員朝食を摂った後だということだったので、各自飲み物だけを注文した。俺は今度はカフェオレを注文したのだが、このペースでコーヒー類を口にしていると、カフェイン中毒に陥ってしまうのではないかと少々怖い気持ちもある。
キリトが意を決してヨルコにカインズが死亡していたことを伝えると、ヨルコは深く目を閉じて、小さく息を吐いた。そしてアスナが、グリムロックとシュミットと言う名前に覚えは無いか、という肝心の質問をする。するとヨルコは、昔、自分もカインズも彼らと共にあるギルドに所属していたのだ、と答えてくれた。
となると十中八九、彼らの間で何らかのトラブルが起き、その復讐のためにカインズは殺されたということなのだろう。そして今度はキリトがヨルコに対して、今回の事件が復讐あるいは制裁なのではないかと思っていること、ヨルコ達が所属していたというギルドで何らかの出来事のせいで、カインズは事件の犯人に報復されたのではないかと、と俺達が考えていることを包み隠さず話し、その上で何か心当たりはないか、と訊ねた。
ヨルコはしばらく顔を俯けたまま居たが、やがて震える手でティーカップを握り、一度お茶を口にしてから、深く頷いた。
ヨルコ「…はい……あります。昨日、お話しできなくて、すいませんでした…。忘れたい…あまり思い出したくない出来事だったし、無関係だって思いたかったこともあって、直ぐには言葉に出来なくて…。──でも、お話しします。その出来事があったせいで…私たちのギルドは消滅したんです」
──黄金林檎。それがヨルコの口から語られた悲劇のギルド解体劇を繰り広げたギルド名であった。彼女たちが所属していたギルドは、日々の宿代とご飯代を稼ぐために存在する中層での活動をメインとしたたった八人の弱小ギルドだった。
だが、半年前のある日に転機が訪れる。彼らは、その日挑んだ何ら変わりないダンジョンの中で、如何にもレアそうな黒色のトカゲに遭遇したのだ。そしてそのトカゲを必死に追い掛け回し、誰かが投げたダガーがラッキーヒットして、そのレアモンスターを倒すことに成功したらしい。そのトカゲからドロップしたものは、なんと敏捷力が二十も上がる代物だったのだ。
…正直、そんな指輪が中層で手に入るとは思ってもみなかった。俺の使っている第二十五層のLAである指輪でさえ、STRとAGIの両方を上げてくれるとは言え、上昇値は十六であり、未だ最前線でもステータス値を二十も盛れる指輪がドロップした何て話は聞いたことが無い。
…話が逸れてしまったが兎に角、ギルド内でその指輪を使用するか、それとも指輪を売却して儲けを分配するか、それで意見が分かれてしまったのだ。そして結局、ギルド内で多数決を取ったところ、五対三で売却派の勝ちとなり、中層の商人では扱えないであろう超レア物の指輪は、リーダーが責任を持って前線の大きい街にいる競売屋に委託することになった。相場や信用度を確かめるために、前線に泊まり込みでリーダーは出掛けた。
…リーダーは帰ってこなかった。待ち合わせ場所にも来ない、メッセージも届かない、位置情報も捜索できない、リーダーが持ち逃げなんてするわけがない、そう判断した彼らは、恐る恐る生命の碑を見に行った…。
そこでヨルコは一度口を強く結び、何度も首を横に振って、目尻に涙を浮かべた。だが、震えながらもはっきりとした口調で言葉を繋いだ。
──死亡時刻は、リーダーが上層に向かった日の午前一時、死因は、貫通属性ダメージでした。
キリト「…睡眠PKだろうな」
アスナ「えぇ、半年前なら、まだ手口が知れ渡る前だわ。その可能性は十分にあるわね…」
ユウキ「ってことは…リーダーにPKを仕掛けたのはたぶん…」
キリトも、アスナも、そしてユウキも神妙な顔でヨルコと会話をしていた。だが、俺も顔自体は神妙な顔つきをしているだろうが、心の何処かでは他のことを考えていた。
…皮肉なもんだ。かつて、オウガが俺に睡眠PKを嗾けようとした時から、睡眠PKなるものがあることをアルゴに情報の一環として周知させてもらい、プレイヤー達は認知していたはずなのだ。なのに、実際にレッドプレイヤー達がそれを本格的に運用し始めるまで、彼らはそれに注意を払わなかった。
確かな情報はあったというのに、それを知っていたプレイヤー達も大勢いたというのに、周りがそんなに危惧していないから、大丈夫だろう、そんな意味のない同調圧力に思考停止で従ってしまったのだ。その結果が、睡眠PKによる多くの犠牲者だ。…これを皮肉と捉えないでいられるだろうか。
俺がそんなことを思い出していると、キリトがヨルコに指輪の売却に反対した三人が誰だったかについて訊ねた。ヨルコは自分とカインズとシュミットであったことを教えてくれる。
そしてここで意外にも、ヨルコとカインズが嘗て付き合っていたこと、リーダーを殺したのは指輪について知っていたギルドメンバーだろうと思われることから、お互いがお互いを疑うようになってしまい、生じたギルド解散と共に自然消滅してしまったこと、今でもたまに食事に行くことぐらいはあったこと、などのちょっとした情報が入って来た。アスナとユウキはそれを興味深そうに聞いていたのだが、キリトはそんなことはどうでも良さげで、事件のことに頭を悩ませているようだった。
…もし、オウガとサツキが死んでしまったあの日に、ユウキと俺が疎遠になっていたのなら、俺とユウキが付き合うことは無かったのだろうか?…いや、億が一にも、心が強く優しいユウキが俺を見捨てることなんてありえない、か…。
そしてヨルコが、グリムロックについて語り出した時に、俺も再び意識を集中し始めた。ヨルコ曰く、グリムロックはSAO内でリーダーと結婚しており、リーダーの旦那さんであったらしい。…そこで俺の頭の中に描かれていた勇猛なる男性リーダーは消し飛んでしまったわけだ。
グリムロックは、リーダーが死亡して以来、いつもニコニコしていたのに、一気に荒んでいったと…。ここまでの話を全て真とするのなら、愛する妻であったリーダーを殺した可能性が高い、指輪の売却に反対した3人に対する、グリムロックの復讐という結論がすんなりと入って来る。
そしてキリトが、指輪事件の犯人がカインズであった可能性があるか、とヨルコに訊ねると、躊躇うように迷ってから、やがてコクリと頷き、指輪の売却に反対した3人を殺すつもりなのではないかと思っている、とヨルコが答えた。
それから、俺達はヨルコをもとの宿屋に送り返した。スイートルームを提供してから数日分の食料を渡し、キリトが絶対に外に出ないよう、念を押していた。早急に事件を解決すると伝え宿屋を後にし、行く当てもなく主街区を彷徨っている。アスナがヨルコの身の安全を守るために、第55層に新設されたKOBのギルドホームに来ない?と誘ったのだが、ヨルコはそれをやんわりと断った。
…恐らく、KOBの本部に匿う、と言うことになれば、ギルドメンバーに詳細な説明が必要となるだろうし、それによって指輪事件の犯人がカインズ、という不名誉な結論に固定してしまうことを恐れたのだろう。だが、果たしてかつての恋人の名誉を傷つけない為だけに、己の命の安全を捨てられるものなのだろうか。
…もし、自分が同じ立場だったとすれば…俺もヨルコと同じ選択をするのかもしれない。俺にとっては、ユウキの命の方が俺の命よりも重いのだ。きっと、こんなことを伝えてしまえば、怒られてしまうだろうが…。
そんなことを思っていると、午前11時を知らせる鐘の音が鳴った。既に雨は止んでいるが、辺りには濃霧が漂い始めた。そんな中キリトが、わざとらしい咳払いをする。
キリト「うほん、いや、え──と。…その、よ、よく似合ってますよ、それ」
キリトがアスナを眺めながら、そう答えた。アスナはキリトに服装を褒められたことが嬉しいのか恥ずかしいのか、顔を真っ赤に染めながら右手の人差し指をキリトの胸に突き付けて答える。
アスナ「うー!そ-ゆーのはね、最初に見た時に言いなさい!」
着替えてくる!と何処かへつかつかと歩いて行くアスナを不思議そうに眺めるキリトを見て、それこそ余裕で理解してくれよ…と思わずにはいられない俺だった。
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何処かの空き家でいつものユニフォームに着替えてきたであろうアスナが、これからどうするの?と訊ねてきた。俺が中層で手当たり次第グリムロックの名前の聞き込みや捜索をすることを、ユウキが他の黄金林檎のメンバーに話を聞いてヨルコの話の真偽を確かめることを、そしてキリトがカインズ殺害の手口をもっと吟味してみることを提案した。
俺の案は、4人では少々効率が悪すぎることから却下、ユウキの案は…俺はそもそもどっちの話が正しいのか分からないから、意味が無いと思うことを伝えると、ユウキとキリトが感心したように俺を眺めてきた。アスナもその通りだと答えてくれる。その結果、消去法的にキリトの案を今後の予定の軸とすることに決まったのだが、如何せん俺達だけでは今回の事件の手口が見える気がしなかった。
どうしようかと4人で手をこまねいていると、キリトがポンと手のひらで拳を叩き、衝撃的な発言をした。
キリト「そうだ!アイツ呼び出そうぜ!」
アスナ「誰?」
キリト「ヒースクリフ」
「「なッ!?」」
笑顔でそう答えるキリトを見て、俺達は思わず頓狂な声を上げてしまった。そしてすぐにアスナがトンデモナイ勢いでキリトに訊ね返す。
アスナ「ば、バカじゃないの!?団長は忙しいのよ!私たちに構ってる暇なんて──」
キリト「でも、アイツ以上にSAOのシステムに詳しくて、情報をばら撒かないと信じられる奴はいないと思うぞ」
アスナ「…まぁ、確かにそうだけど…」
キリト「善は急げ、思い立ったが吉日、早速ヒースクリフにアポを取ろう!」
アスナ「…そうね…ダメもとでメッセージ送ってみるわよ」
キリト「昼飯は俺が奢ってやると記載しておいてくれ、そしたらヒースクリフも来てくれるかもしれないしな」
アスナ「…分かったわよ」
アスナは意外にもキリトの言ったことを素直に受け取って、ヒースクリフ宛のメッセージを書き始めていた。彼がどれほどシステムに詳しいのかは知らないが、規律を重んじる姿勢が強いことから、彼がなりふり構わず情報を公開するようなマネはしないことは何となく理解できる。
だが、俺はヒースクリフが苦手だ。なんというか、あの徹底した合理主義観がどうにも気に食わない。しかし、俺個人の感情でヒースクリフに頼らない、なんて選択を取るわけにもいかないだろうから、俺はしばらくアスナのメッセージがどう受け取られたのかを待ち続けた。
するとなんと、ヒースクリフがオーケーだと答えたらしく、今から三十分後にアルゲードの転移門前で落ち合うことになったとか。アスナも俺もユウキも、そしてこの提案をした当の本人であるキリトでさえも、まさかヒースクリフが本当に来てくれるとは思っていなかったわけで、少々面喰っていた。
そしてきっちり三十分後、ヒースクリフは転移門から姿を現した。
ヒースクリフ「ちょうど昼食にしようと思っていたところだ。かの<黒の剣士>キリト君にご馳走してもらえる機会など、そうそうあろうものとも思えないしな。夕方からは装備部との打ち合わせが入っているが、それまでなら付き合える」
なんて、ユーモアを交えながら、ヒースクリフはキリトと話していた。…装備部ってなんだ?やっぱり大ギルドはお抱えの鍛冶屋とかもいるのだろうか。
と言うかそもそも、なんだこの五人パーティーは、黒の剣士、閃光、神聖剣に月光…なんて豪華なパーティーなんだ。これならどんな迷宮区でも踏破できる気さえしてくる。
…カッコイイ二つ名の無い俺の立つ瀬が無いんだが!?そんな訳の分からない焦燥に駆られている内に、ヒースクリフが俺に声を掛けてくる。
ヒースクリフ「君たちもキリト君に昼食を奢ってもらいに来たのか?」
アルファ「…まぁ、そんなところだな」
キリトが昼飯屋に案内してやる、と先導し始めたので、俺達もそれに付いて行く。五分も経たないうちに右へ左へ下に降りては上に登りと、何処をどう進めば転移門広場に戻れるのかもわからなくなってしまった。
キリトが、この街に迷い込んで出てこられなくなったプレイヤーが数十人いる、だなんてちょっとしたホラーを語ると、ヒースクリフが付け加えるように、10コルで道端のNPCに広場までの道案内を頼めることを教えてくれる。
…そんなことは知らなかった。やはりキリト達の言う通り、ヒースクリフはSAOについて詳しいのだろうか。ようやく、キリトが紹介する店に辿り着いた。外見はボロボロだが、店内は一体…やっぱりボロボロか…俺としては、雰囲気は昔ながらのラーメン屋って感じで嫌いではない。
キリトがオススメの料理を人数分注文してくれた。俺達はラーメン屋らしく出された氷水を口にしながら、料理が届くのを待つ。
ユウキ「…なんか、この店微妙だね…」
微妙な表情を浮かべているユウキを横目に、アスナがヒースクリフに事件の顛末について詳細かつ手短に語り始めた。アスナが流れるように事件について話していく中でも、ヒースクリフは相変わらずの仏頂面を貫いていたが、カインズが圏内PKされた、という所にだけは、片眉を僅かに動かし、反応を見せた。
アスナが話し終えると、ヒースクリフは氷水に口を付けてから、ふむ、と頷き、キリトの推測を求めた。キリトが、あり得る可能性として一つ目に圏内デュエル、二つ目に既知の手段を組み合わせたシステムの抜け道の利用、そして三つ目にアンチクリミナルコードを無効化する未知のスキル又はアイテムの利用、の三つを列挙した。ヒースクリフが何かを喋り出そうとしていたが、それよりも前に、この店に来て初めて俺が口を開いた。
アルファ「三つ目は、有り得ないと思うぜ?」
ヒースクリフ「何故そう思う」
俺がキリトにそう答えると、ヒースクリフが即座に俺に聞き返してくる。
アルファ「…だって、このゲームって基本的には、公正さが追及されてるだろ?だったら、少なくとも一部のスキル、アイテムだけがアンチクリミナルコードを解除できるだなんて理不尽なことはしないと思うぜ。…それに、茅場晶彦なら、アンチクリミナルコードを解除することになった暁には、何かしらの方法で全プレイヤーにそれを通知すると思うな。…まぁ、ログアウトボタンが押せないこと自体が理不尽な話なんだけれども…」
そう、少なくとも、実状を考慮しないのであれば、SAOというゲームはリソースやアイテムドロップなどの機会は全プレイヤーに均等に分け与えられている。問題はそれを自らの手で手放すかそれとも掴み取るか、の話なわけだが、兎に角、SAOはシステムの理不尽さは無く、あるのはフェア精神だということだ。
俺はヒースクリフをはじめとする残りの三人にも注目されている状況で、手を頻りに動かしながら、まるでクラスの先生と生徒に向けてレポートの発表をしているような気分に陥った。
…俺は、皆の前に立って何かを説明する時に、手を動かす癖があるのだ。俺の解答を聞いたヒースクリフは満足気に微笑む。
ヒースクリフ「…なるほど…素晴らしい解答だ」
アスナ「…ということは、現時点では可能性その一と二を検討するべきね…」
ヒースクリフ「…しかし、料理が出てくるのが遅いな、この店は…」
ヒースクリフは先程とは一転して眉をひそめた。キリトがヒースクリフのコップに氷水を注いだことで話は再開される。
そこで話題は、デュエルのウィナー画面が表示される位置が何処なのか、と言う話になったのだが、これはほぼ毎日デュエルをしている俺とユウキでも考えたことの無いものであった。だが、ヒースクリフがさしも当然のように決闘者ふたりの中間位置、あるいは決着時に開いてから十メートル以上離れている場合は二人の至近に二枚のウィナー画面が表示されるのだ、と教えてくれた。
…物知りだな。SAOに一番詳しいと言ったキリトの発言は誇張ではないのかもしれない。実際に現場を見ていたキリトとアスナが、ウィナー画面を見落とした可能性は無かった、と結論付けてから、次なる話題を貫通継続ダメージについて移した。二人にはどうもその貫通継続ダメージが圏内PKを実現するために無くてはならないものだったのではないか、と考えているらしいが、現場を見ていない俺からすれば、偶々貫通継続ダメージが付与できる武器だったのではないかとも思える。
…というか、さっきからユウキは虚空を眺めるばかりで、何も話し出さないのだが、大丈夫だろうか。もしかしたら、ユウキは頭脳担当ではないのかもしれない。しかし、俺がそう思っていた矢先に、ユウキが遂に口を開いた。
ユウキ「…貫通継続ダメージって、結晶アイテムで圏内に移動してきた時にも、無効化されるのかな?例えば、回廊結晶とか」
ヒースクリフ「されるとも」
ユウキの渾身の問いかけは、呆気なくヒースクリフに一刀両断された!
ヒースクリフが、投げ込まれようと、テレポートだろうと、徒歩だろうと、圏内に入ればアンチクリミナルコードによって保護されるのだ、と解答してくれた。ユウキが、若干残念そうに項垂れているのを見て、俺は、まるでユウキが自信満々に答えた解答が先生に無情にも訂正されている様子を思い浮かべ、微笑した。
そんな中キリトがふと、街の中の定義に、上空が含まれるのかを口に出した。するとヒースクリフが一瞬迷うような素振りを見せてから、圏内とは、街区の境界線から垂直に伸び、天井にまで続く円柱状の空間だと、その三次元空間に移動した瞬間からコードによって保護されるのだと答えた。つまり、街の遥か上空にテレポート先を設定しても、そこから落下死することはない、と言うことだ。俺達四人は、へぇー!とヒースクリフの博識ぶりに感心していたのだが、そこで俺はある疑問が脳裏に浮かびあがってきた。
…待て、どうしてヒースクリフは天井までアンチクリミナルコードが発動していることを知っているんだ?確かに、外縁部の支柱を伝って行けば、天井にまで手を伸ばすことは出来るだろうが、そこはあくまで圏外、外縁部が接している圏内村など今までに何処にもなかったはず…ということは、物理的にそれを検証することは不可能だ…ならば、如何にしてヒースクリフはこの情報を手に入れたんだ?
それから、キリト達がハチャメチャな威力の槍でカインズを貫き、その体力バーが削り切れる前にカインズを教会につるし上げたのではないか、という様なことを話し合っていた気がするが、別のことに頭を動員していた俺には全く話が入ってこなかった。
ユウキ「…アルファ?ラーメン届いてるよ?」
隣に座っていたユウキに顔を覗き込まれて、俺はようやく、意識を現実に取り戻した。皆、ラーメンを口にするや否や微妙な表情を浮かべてはいるが、一体どんな味付けなのだろう。
…これは、醬油を代用した偽醤油の味を見本に、醬油を再現した…としか言いようのないパンチの足りない醤油味だ。麺自体は悪くは無いのだが、如何せん味付けが最悪過ぎる。
ラーメンモドキを完食し終えたヒースクリフは若干不機嫌そうに、これはラーメンではない、と断言してから、偽ラーメン味の分だけ俺達にヒントをくれてやる、と言った。
ヒースクリフ「アインクラッドに於いて直接見聞きするものはすべて、コードに置換可能なデジタルデータである、ということだよ。そこに幻聴や幻覚が入り込む余地はない。逆に言えば、デジタルデータではないあらゆる情報には、常に幻や欺瞞である可能性が内包される。この殺人…圏内事件を追いかけるのなら、眼と耳、つまるところ己の脳がダイレクトに受け取ったデータだけを信じることだ」
ユウキ「…?」
ユウキは、ヒースクリフの小難しい言い回しにポカンとしていたが、俺は勿論…正直、俺も良く分からん…。だが、発言の後半部分から察するに、この事件の真相解明が出来そうなのは、実際に事件現場を見たキリトとアスナだけ、と言うことだろう。
しかし、SAOで一番システムに詳しいであろうヒースクリフが言うように、全てのがデジタルデータで構成されている、と言うのなら、時折聞こえてきたオウガとサツキの囁きはデータによる産物、と言うことなのだろうか…?
いや、彼らの囁きが単なるデータによるものだったとは思えない、思いたくはない。あれは彼らの遺志と意思がデータをも上回ったものなのだと、俺は信じていたい。…これだから、合理主義者は嫌なんだ…正しい事しか選ぼうとしないからな。
なんて毒づいていると、四人が席を立ち、暖簾を潜って外へと出る。そしてそのまま、ヒースクリフが、では、頑張ってくれ給え、と言い残してから、街中へと消えて行った。
だが、俺はどうしても自分の中で行き着いた結論を訊ねたくて、キリト達に捨て台詞を吐くように言葉を発する。
アルファ「悪い!俺、ヒースクリフに話すことあったから、また後で落ち合おう!」
キリト「あ、アルファ!?」
ユウキ「ちょ、ちょっと!…ごめん、ボクも追いかけてくる!」
俺はそう言い残して、ヒースクリフが向かったであろう道を進みながら、インスタントメッセージでヒースクリフに待ってくれ、と送信しておく。後ろから追いついてきたユウキと共に、ヒースクリフが左右に赤と緑の屋根がある通路で待っている、と辿ってきた道順と共に返信してくれた。
そして数分後、俺とユウキはヒースクリフに再び相まみえる。
ヒースクリフ「一体、何の用かな?」
アルファ「…まだ、偽ラーメンの味の分だけ答えてもらってないからな…質問がある」
ヒースクリフ「なんだね」
アルファ「……ヒースクリフ、お前はさっき圏内の範囲が天井にまで届くと言ったな。……だが、少なくとも現状では、圏内エリアで天井にまで手が届く街は無いはずだ…故にそのシステムを確かめる術はないはず…」
ヒースクリフ「…ふむ」
アルファ「単刀直入に聞く…ヒースクリフ、お前、SAOの開発陣か?」
ユウキ「え!?」
ヒースクリフ「…」
ヒースクリフは何も言わない。だが、その顔はいつもの仏頂面ではなく、少々の驚きを孕んだ顔つきだ。やがて、ヒースクリフは何を思ったのか、クックック…と静かに笑いながら、俺に答えた。ヒースクリフがこうも面白そうに笑う姿を見るのは初めてかもしれない。
ヒースクリフ「…驚いたよ、アルファ君、君は私が思っていた以上に、素晴らしい思考能力を持っているのだな」
アルファ「…んなことねぇよ」
ヒースクリフ「…リアルの話をするのはタブーではあるが、まぁいい、偽ラーメンの味の分だけ答えると言ったのは私だからな…」
…さぁ、この男はなんと答えるのだろうか。俺は心臓をバクバクさせながら、彼の答えを待つ。すると彼は意外にもアッサリと答えを出した。
ヒースクリフ「…アルファ君の推測通りだ。私は、SAOの開発に携わった人間の一人だよ」
ユウキ「うそ…?」
ユウキが今日一番の驚き顔を見せている中、俺も同じように相当なショックを受けていたに違いない。そんな俺達を眺めながら、ヒースクリフは言葉を続ける。
ヒースクリフ「ただ、私が開発したものは、アンチクリミナルコードなどを始めとするシステム面だけだ。それ以外のことは他の開発者が担当していたからな」
アルファ「…それは、本当の話か?他のことは何も知らないのか?」
ヒースクリフ「あぁ、勿論だとも」
アルファ「…そうか、わざわざ答えてくれてありがとな」
ヒースクリフ「おっと、これはリアルの話なのだから、公言はしないで欲しい」
アルファ「…分かってる。んじゃ、また前線でな」
ヒースクリフ「あぁ、君も是非とも事件解決に尽力してくれ給え」
今度こそ、ヒースクリフを見送った俺とユウキは、暫くその場に立ち尽くしてから、転移門広場に向けて歩き出すことにした。キリトからは、今からDDAの本部に向かう、とのメッセージが届いている。
…正直、あの場面で<真実の眼>を使うかどうかは結構悩まされたのだが、結局、俺は<真実の眼>を使わなかった。その理由は唯一つ、ヒースクリフは徹底した合理主義者であるからだ。もしも彼がシステム面以外に関する情報を保持しているのなら、すぐさま全プレイヤーに公開し、攻略スピードや安全性の向上に努めるだろう。
ならばあそこで、SAOの囚人となったヒースクリフが俺達にウソをつく必要などないはずなのだ。故に俺は、あの場面でアイテムを使用する必要性が無かった、と言うわけだ。DDAの本部へと向かう最中、ユウキが感心したように俺に話し掛けてくる。
ユウキ「アルファすごいね!ボク、ヒースクリフが言ったことに驚いているだけだったよ~」
アルファ「…ユウキってもしかして、脳筋?」
ユウキ「…うるさいなぁ~…ボクだって本気になれば、あれぐらい分かったんだからね!」
アルファ「そんじゃあ、これからの圏内事件解決に期待させてもらうかな?」
ユウキ「大船に乗ったつもりで任せてよ!」
ない胸をドンっと張りながら意気揚々とそう宣言してくるユウキを、俺は呆れながら眺めていた。
ゲーマーではなかったが故、キリトのように茅場晶彦という人物に詳しくはなかったせいで、彼のようにヒースクリフ=茅場晶彦という結論を見出せなかったアルファ君でした。
まぁ、ゲームに詳しくない時点で、サーバーの調整とかは思いつかないわけですから、現状のほぼノーヒントで茅場晶彦を突き止めることはアルファ君には不可能な話でしょう。
因みに、<真実の眼>とかいう壊れアイテムはまた別の所で使用する機会がありますので、今回はお休みです。
次回の投稿日は十一月二日の火曜日となります。
では、また第69話でお会いしましょう!