剣と剣の衝突。もう一方の腕から素早く繰り出された、ショートソード程の刃渡りのあるダガーを、彼女はたった一本の剣で弾き返す。流れるように反撃へと転じてきた彼女の剣を、二本の武器を重ねるようにして防ぎ切った。
こちらの手数はニ、彼女の手数は一、単純に武器の暴力は相手の倍であるはずなのに、寧ろ押されているのは己であるように感じさせられる。その小さな身体からは想像もできないようなスピードとパワーを発揮しているのは、彼女の方がレベルが上だからであろうか、いや、どうにもそれだけではないようにも思える。
…大鎌を破壊されたのは、想定外だった。あの大鎌はトレジャーボックスから入手した業物で、替えの効かないものだったというに…彼女は一体どうしてこれを弁償してくれるというのだろうか。<禁忌なる大鎌>…その大袈裟な名前に反して、攻撃力は並みの武器に劣る。
ではなぜ、そのような武器を使い続けてきたのか。それは、この大鎌の持つ固有能力ゆえである。攻撃力が低い代わりに、急所に攻撃をヒットさせた場合に限り、そのダメージを二倍三倍場合によっては四倍にまで増幅させられるのだ。この世界における急所は現実世界とも変わらず、額や目、首に心臓、腎臓、肝臓、脇下、弁慶の泣き所や金的など…それは多岐に渡る。中でも一番狙いやすいのは、首であった。
だからこそ、PKを行う際にはこぞって急所を狙い、一撃死を繰り返してきたわけで、そんなPKスタイルも相俟ってか、いつしか私は<兇手ノエル>と呼ばれるようになっていった。だが、そんな物騒な二つ名を刻まれようとも…
ノエル「…しつこい女性は嫌われるよ?そろそろ諦めて洞窟に向かってくれないかな?」
ユウキ「お前が諦めろッ!!ボクの行く手を阻むな!!」
私の懸命なる説得にも応じず、彼女は形振り構わず剣を押し付けることでその返事を返してくれる。私は心の奥底でため息を吐きつつも、如何やらこの殺し合いを避けることが出来ないことを嘆いた。
…嘆いた?これまでに十七人もの命を奪って来た私が、何を今更嘆くのだろう?その殺人の積み重ねこそが、紛れもなく己が猟奇的な趣向を内に秘めたその証明である他ないだろう。
…いや、それは違う。私は自問自答の末、既に壊れたガラス細工を組み立て直すように、私自身の心を制御した。私の行動原理は、依頼だ。それがどんな依頼…例え殺人であろうとも、必ず引き受けるのが私の全てだ。
事実、彼女は殺人の依頼以外で、人を殺めたのは最初の四人だけであった…そうこうしているうちにも、彼女はその剣速を見る見るうちに加速させていき、耐久値に乏しいダガーが再び武器破損を起こした。
手数の暴力によって辛うじて拮抗していた闘いが一気に不利盤面へと動き出しそうになり、私は相手の不意を突くためにストレージから巨大な岩を取り出した。それを彼女の目の前に召還した私は、続けて彼女を囲むようにその巨石を設置──
ユウキ「ハァアアァァッ!!」
ノエル「ッ!?」
彼女は、まるで私の思考を読み取ったかのように、繰り出すはずの作戦を完全に理解していたかのように、その上その突破方法は巨石を無理矢理ぶち壊すという規格外な手段で、私の身体に剣をねじ込ませてきた。
…私以外にこんな意味不明の行動を取る人間などいないはずだ。完全に想定外の反撃を受けた私は、彼女から逃げるように煙幕を発動させ──しかし、煙幕の中を動く私の空気の移動を見切った彼女の追撃を太腿裏に直撃する。
自分優位に進めるために選んだ作戦で自分の首を絞めるという支離滅裂な結果に多大なる衝撃を受けつつも、私は急いで煙幕から飛び出た。迂闊にも濃煙から真っ直ぐ私を目掛けて飛び出してきた彼女には、冷静に剣を喰らわせた。一歩引かざるを得なかった彼女に対して、取得している薬剤調合スキルで作り出した爆薬を投げつけ、辺りを強烈な光で埋め尽くした。
…今度こそッ!私はその場で光を直視し、怯んだような彼女の背後に回り込み、急所である首裏を斬り裂こうとした。だが、またしても彼女は姿勢を低くして私の攻撃を完璧に回避し、振り向きざまに私の膝を一閃する。
ノエル「なんでッ!?」
視界を取り戻した彼女が獣の如く私を睨みつける様子を見て、こちらの行動が筒抜けであることに戦慄していた。するとその時、先程彼が向かって行った方角から、強い光が…それはまるで、私が今使用した閃光弾が放つ光…。そこで私は確信した。彼女とよく行動を共にしている彼もまた、居るはずがないと思い込んでいた私と同じ戦闘スタイルを取っていることを。
レベルでも、ステータス値でも、剣の腕でも、純粋な反応速度でも彼女に劣り、あまつさえ己の武器であった奇策妙計でさえ通用しないとなれば、私はまさに万策尽きたと言っても過言ではなく、ここで彼女に殺される運命なのだろうか。…否、それはない。何故ならば、今の彼女は──
ユウキ「ッ!?…そこを退けッ!!ボクの前に立ちはだかるなッ!!!」
非常に、冷静さを欠いている。闘いが長引くにつれて、彼女の剣速はそれはもう異常なほど上がっていくが、それと同時に剣の技術は反比例するように低下していく。だからこそ、全ての能力面において劣る私であろうとも、彼女と一進一退の剣戟を臨むことが出来た。
不意打ちが使えないのならば、私も本気で剣を振るうしかない。そう判断した私は、ストレージからもう一本の片手剣を取り出して、それを両手持ちする。剣を二刀持つことで、ソードスキルが発動できなくなるというデメリットが生じるが、対人戦をするにおいてソードスキルはほぼ必要ないだろう。
双剣スキル、だなんてものがあればよかったのだが、無いものねだりをしても仕方がない。それに、彼女にソードスキルを放ったところで、システムアシストされた圧倒的速度から繰り出される剣技でさえ、完璧に弾かれる気がしていた。
決して己のリズムを崩さぬように彼女の剣戟に耐えながら、稚拙な剣の合間を縫って彼女にダメージを蓄積させていく。彼女は心ここにあらずと言った様子で虚空を眺め、時折顔を青ざめさせていた。
…そんなに、彼のことが大切なのだろうか、自分の生死が掛かった闘いよりも、他人のことを優先できるものなのだろうか。それこそ、人によって千差万別であろうが、私にとっては到底理解できないものである。
…初めて私が殺しを犯した日、それはもう半年以上も前のことだ。あの日までは、私はこの世界に囚われた一万人の中の一人、ノエルとして生きていたのであって、凶手ノエルとして生きていたわけではなかった。私の所属していたパーティーは、日々の生活を安定させるために、はじまりの街から出ようと奮起した後続プレイヤー五人の、仲良しパーティーであった。攻略済みの安全なフィールドやダンジョンでコルを稼ぎ、レベルアップを喜び、レアモンスターを討伐して興奮したり、夜は酒場で大騒ぎしたりと、彼らと過ごした楽しかった日々は、今でも鮮明に思い出せる。いつかゲームがクリアされるその日まで、私たちはこうしてずっと楽しくやっていけるのだと、訳もなくそう信じていた。
しかし、半年ほど前のある昼、偶々訪れていた人気のないフィールドにて、殺人ギルド<ラフィン・コフィン>のリーダーPoHに出会ったのだ。PoHと共に行動していたレッドプレイヤー達に、私たちはすぐさま麻痺毒によって行動の自由を奪われ、その瞬間、パーティーメンバーの誰もが己の死を覚悟していた。しかし、そんな中でPoHが言い放った言葉は
──お前らで殺し合え。生き残った一人だけは、逃がしてやる。
最初に動いたのは、私だった。PoHの言葉に呆けている彼らに対して、私だけはすぐさまその意味を理解し、それを行動によって示すことを選んだ。
まず初めに殺したのは、私たちのパーティーリーダーを務めていた若い男だ。何の迷いもなく彼の首に剣を打ち立てた私に、彼は最期のその瞬間まで、私の表情を眺めているだけだった。彼は、私のことを好いていた。そして、私も彼のことを好いていた。それはパーティーの間でも知れ渡ったことであり、故に彼は最期まで私のことを信じていたのだろう。
しかし、その信頼を裏切ったのは私であった。彼の身体がポリゴン片へと変化すると同時に、残りの三人が半ば狂乱状態で、お互いを襲い始めた。そんな彼らを横目に、私は自前の薬剤調合スキルを利用して作っていた麻痺毒付きの投げピックを投擲し、その内二人を再び麻痺状態へと移行させる。
逃した一人は怯えるように支離滅裂な剣を繰り広げていたが、私は極めて冷静にその命を刈り取った。流れるように地に伏せる残りの二人に対して、私は急所を的確に抉った。そして、タンクを務めていた三十代ぐらいの髭男を殺し、最後に、パーティーメンバーの中でも一番仲良くしていた、自分よりも年下であろう十代後半の女の子の心臓を貫いた。
彼女は最期まで、私に対して悍ましいほどの呪詛を発狂しながら伝えていたが…そんなことは、どうでも良かった。最後の最後まで生き残った私は、勿論約束を履行するつもりがないであろう彼らに対して、剣を向ける。するとPoHは珍しいものを見つけたような視線を私に送って来た。
PoH「…お前、躊躇ってもんはねぇのか?仮にもこれまで仲良くしてきた奴らなんだろ?」
ノエル「……私には、彼らがどうなろうと構わない。求めるのは私自身の命だけさ。それが例え、人殺しに身を堕とそうともね」
PoH「……クックック…そうか。…お前、俺に付いてくる気はないか?」
ノエル「選択しなんてないのに、そんな事いちいち聞く必要あるのかな?…勿論、生き残る為ならなんだってするんだけど」
そうして、齢二十一にして、ノエルはPoHの手を取り、人殺しの罪を背負って尚、自らの命を守ることだけの為にレッドプレイヤーに生まれ変わったのだ。それ故、彼女が第一に優先することは、己の命だけであった。だからこそ、PoHに依頼を凱旋された場合にのみ人殺しを行い、いつしかラフコフのトップスリー<兇手ノエル>と呼ばれようとも、それ以外の場面では人殺しを行うことは無かった。
ラフコフのメンバー…特に私と同じ幹部という地位を占める赤目のザザは、そんな私をレッドプレイヤーとして相応しくないと考えていたようだが、PoHは私の本質的な彼らとの乖離感を知った上で、私の愚かなる選択を嘲笑うためだけに私を生かしていたのかもしれない。
…何故ならば、そうでもしなければ、彼女の心は耐えられなかったのだ。幾ら自分の命が大切だからと言っても、やはり人の命を奪うという事実は、至極普通の人間として生きてきた彼女の心を、当然抉り続けた。だからこそ、彼女は己を正当化し、心の壊れた亡者と化さないよう、心の内にある種の洗脳的価値観を植え付けた。
それこそが、勝てば官軍負ければ賊軍…勝者こそが全てであるという絶対真理だ。この主張が押し通されているのは、古代から現代に至るまでの歴史が、そして今尚この瞬間の現状が、紛れもなくそれが世界の在り方であると、そう示している。
もう少し掘り下げて言うのならば、戦場においては勝者こそが全てである、だろう。闘いが抑制された社会においては、それは罷り通らない可能性がある。例え戦に勝利しようとも、それを評価する一般市民がそれを非と捉えた場合、官軍は賊軍へと転落する。また逆もしかりである。何故ならば、如何にして愚民である大衆の心を扇動できるかが、今日の世界における歴史的勝者へと至るための絶対条件なのだから。
ならば、そんな世界で誕生したSAOという仮想世界が、どうしてその真理を体現できないであろうか。だからこそ彼女は、殺人の依頼を受けた際に、わざわざ相手方に暗殺を宣言し、一日という制限を付けることで、フェアな殺し合いを行い続けた。
勝者こそが絶対。勝者こそが支配者。勝者だけが唯一存在証明を許される。そのように価値観を固定した結果、己の命を繋ぐための殺し合いに敗北するということは、それすなわち己の命を捨てるということ。ともすれば、私は絶対に負けられない……
ユウキ「邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だァ──ッ!!」
……はずだった。生を繋ぐために、これまで培ってきた剣技や妙策、己の頑固なる凝り固まった決意など、彼女の前には全て塵に同じであった。
純粋なパワーとスピード、加えて圧倒的な反応速度によって、とうとう彼女の必死の剣が私の二刀の剣による剣壁を打ち破った。最早守りを捨てた彼女の捨て身の一撃を、私は剣を重ね合わせてその一撃を受け止めるも、遂に私の剣は再三に渡り破壊された。
そのまま体勢を崩し、後ろへ倒れ込んだ私に対して、彼女は素早くポーチから取り出したナイフを突き刺し、私を麻痺状態に陥らせた。そして彼女は、私のことなど、どうでもいいと言わんばかりに、一目散に彼の元へと急行していった。辺りには静寂が訪れ、全身が痺れ、地を這うように藻掻く中、私は自分を繋ぎ止めてきた価値観が砂の城のように崩れ去っていく絶望を感じていた。
……負けた…?私は、殺し合いに敗北したのか…?ならば、だとすれば、私は…殺されるべきなのでは…?そうだ。殺し合いで負けた者は、その命を散らすという因果が私の絶対的な理であった。だが、私に止めを刺せたはずの彼女は、私を殺さないまま何処かへ走り去って行った。
…己の持つたった一つの命の為だけに十七もの尊い命を奪った私は、殺し合いの果てに、己の命を失うことだけが、残された唯一の死に姿なのだと、そう信じて疑わなかった。なのに、彼女はまだ私に生きろと、そう言うのか…?…ハッ、冗談は休み休みに言え。痺れる腕を動かして、なんとかストレージから解毒結晶を取り出した私は、心で嘲笑を浮かべながら、状態異常を回復した。
ついでにストレージから一本のナイフを取り出し、それをこれまで殺してきた彼らにしてきたように、己の喉元に切っ先を向ける。…生きて罪を償うことが、この世界では是とされがちである。しかし、それが是とされるのは、罪を被ったその張本人が生を放棄したいと考えているからこそ、通用する理論なのだと思う。
つまり、私のように、この期に及んで今尚、まだ生きていたいと、生ある命に粘着的に執着しているような人間には、死こそが償いになるのだ。……だから、私はここで死ぬべきなのだ。
しかし、ナイフはそれ以上動こうとはしなかった。
……やはり私は、どうしても、どれだけ醜くとも己の命にしがみ付いていたいらしい。私はそんな自分の醜悪さに、ハッ、ハッ、ハッ、と、今度こそ声に出して枯れた嗤い声を上げつつも、ふらりと立ち上がって、その場を去り始めた。
…きっと、PoHは彼と彼女によって殺される。実際にその実力を目の当たりにした私が言うのだから、間違いない。ならば、ラフコフは壊滅するだろうし、これからはPoHの依頼に従って生を肯定する必要もないだろう。
…さぁ、今日からはどうやってこの世界を生きて行こうか。私は、それは間違っているのだとしても、兇手ノエルだけを殺し、ノエルを生かすことで、私を殺しの輪廻から解放してくれた彼女に感謝を捧げながら、行く当てもなくフィールドの何処かへと消えて行ったのだった。
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気が気でなかった。心がどうにかなりそうだった。目の前に出来事にさえ、集中できなかった。道を阻む邪魔者を退ける為の闘いも、最早他人事のように剣を振るうだけだった。視界にちらつく彼のHPバー表示がグンと左に動く度に、身体は何度も前へ前へと進むべく、強烈な衝動が身体中を駆け巡った。しかし、目の前には無理矢理にでも突破できない壁があり、その壁を破壊しようと試みるも、また命散らす彼の様子が視界に映り込み、集中力が拡散した。
二兎追う者は一兎も終えず。心の大部分が彼の傍で剣を振るうことを求めているのに対して、身体は己に迫る二刀の剣を排除しようと運動信号が伝わる。そんな状態で繰り出した剣には、これまでに積み上げてきた技など無く、ただ感情に振り回されるのみだった。故に、冷静さを欠いた剣は、彼女を破ることを困難としていた。
己の無力さに腸が煮えくり返りそうだった。彼の元へと飛んでいけそうな心に付いてこられない身体に、途方もない憤りを感じさせられた。そんな己に対する憎悪が心の中に蓄積し、それを言葉と化した時、ようやく壁を打ち破ることが出来た。
自分の体力残量を確認することも無く、彼女の体力があと三割ほど残っていることに気が付く。とどめを刺す時間も惜しく、討伐戦に備えてポーチに入れておいた麻痺毒付きナイフを彼女の肩に突き刺し、すぐにその場を後にした。
…本当は、とどめを刺す時間が惜しかったわけではないのかもしれない。ただ、人を殺すという真の決意が無かっただけなのだろう。その罪の重さには耐えられないと、心が無意識に判断したが故なのだろう。
…ならば、既にそれを受動的に経験して尚、彼は内に秘めた決意を以てして、今まさに能動的に行おうとしていることは…?そんなことは、させたくなかった。もう二度と、彼に同じ苦痛を与えたくなかった。彼にこれ以上の傷を負わせたくなかった。いつの日か、ボクは彼のことを汚れを知らぬ純白だと、そう思い込んでいた。だけど、それは違うのだ。
彼は決して純白などではない、彼はどれだけ傷付こうとも、ただ何度でも前に進もうと這い上がるだけで、純白に見えるその身体と心には、生傷が絶えないのだ。
彼の位置情報を横目に、木々生い茂る山をあらん限りの力で駆け上がり、ようやくあと何十メートルの所まで迫っていた。彼の体力は減少し続けていたけれど、まだ二割方命は続いていた。
…間に合った!間に合ったんだ!!ようやく彼の隣で闘えるのだと、乱れる呼吸と抑え切れぬ鼓動を胸に、彼に二度目の絶望を味合わせずに済むのだという希望が常闇の森林を明るく照らしていた。あと三十、二十、十五、十メートル…濃い茂みを抜けて、遂にボクは、彼の姿を目にした。
ユウキ「……ぇ……?」
漏れたのは、糸より細き声であった。最早顔を呆けることさえ忘れて、表情を真顔から動かさないまま、ボクは文字通り、目にその光景を映すばかりであった。
そこには、彫の深い顔立ちの明らかに外国人であろう男が、彼を抱擁するように覆い被さっており、銀色に輝く刃が、滴るようにへばり付いた赤いライトエフェクトと共に彼の背中を貫いている。恐る恐る、視線を右に逸らすと、いつの間にか彼のHPバーは再び下降しており、それは瞬く間に一割を切り──やがて呆気なくゼロへと至った。
…間に合わなかった…?届かなかった…?その眼に映した現実をすぐに受け入れることは、出来なかった。しかし、彼の身体が半透明に透き通り始め、段々と身体が美しいポリゴン片に変わっていく様子をスローモーションで眺めながら、ようやくボクは、彼が死んでしまったことを、もう取り返しがつかないことを理解してしまった。
…いつか、こんな日が訪れることもあるだろうと、そうは思っていた。その万が一を想定しないほど馬鹿ではなかった。だけど、彼がボクの傍に居ない所で、その命を終えるなどとは思いもしなかった。その瞬間が訪れるときには、必ずボクが身代わりになるのだと、そう決意していたというのに、彼の命はもう、既に燃え尽きてしまった。
──嘘だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ嘘だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ────
上手く思考が纏まらないまま、背中に恐ろしく冷たいものが走った感覚を味わい、手足には急激に力が入らなくなって、身体は独りでに震え始めた。
…ボクのせいだ。ボクの力不足の結果だ。彼を討伐部隊に参加させてしまったからだ。ボクが…ボクが──…千通り以上の後悔を思い浮かべながら、結局一番最後には、何よりも大切にしていた、誰よりも愛していたその人を失う結果に終わったボクの愚行を悟り、どん底の絶望の痛みを、己の胸に叩きつけた。そして、空っぽになった心と真っ白になった頭の中に、ふと、誰かの声が聞こえてきたのだ。
──還魂の聖晶石。
二人の言葉でその全てを思い出したボクは、その効果が十秒以内でしか発揮できないことをも思い出し、気がせく。焦る。震えの止まらない指先を素早く、しかし一度たりともミスは許されない状況で、奇跡とも言えるノーミス操作に成功した。
アイテムを選択し、使用ボタンをクリック、対象者を選択する場面で、最早彼が消え去ったその場所に、<arufa>の五文字があることに気が付き、鳴り響く心臓と共にそのカーソルを選択し──
ユウキ「──そ、蘇生…アルファッ!」
情けない程にか細い声で、ボクは神に切願するように、その魔法の言葉を唱えた。
すると、まるで時が逆行するように、彼を構成していたポリゴン片が瞬く間にその一点へと集中し、再び彼の姿見を型取った。彼の傍に立っていた外国人は、その事態を全く理解できずに、放心していた。だが、彼は迷うことなく左手に持つ槍で男の身体を貫いた。
最期に、男が何かを言い残していたが、その情報はボクの頭には入ってこなかった。ソードスキルの技後硬直に移行した彼は、ボクに背を向けたまま、ボクに言葉を掛けてくれる。
アルファ「……悪い、助かった…」
ユウキ「……っ…」
もう二度と、君の声が聞けないのかと思った。
もう二度と、君の姿を目に焼き付けられないのかと思った。
もう二度と、君に会えないのかと思った。
もう二度と、君を手放したくなかった。
彼がボクに送ってくれた言葉の第一声は、純粋なる感謝…だけど、それはボクが掛けてほしい言葉じゃない。そじゃあ、ボクの胸の痛みは癒えない。
ボクは唖然とその場に立ち尽くしていると、技後硬直が解けた彼は、随分と穏やかな、そして何処か苦笑いしているような表情でボクの方へと身体を向けた。しかし、それは途端に、切羽詰まった焦る表情へと移行する。
アルファ「……ユウキ!お前、体力二割しか残ってないじゃねぇか!?早く回復しないと──」
慌ててこちらに駆け寄って来た彼は、素早くメニューウインドウを操作し、ストレージから取り出した回復結晶をボクの身体に当てて、ヒール、と唱えた。それによってボクの体力はフル回復した。だけど、ボクの心は全く修復されない。ずっと、心が痛いままだ。
彼が発した第二声は、ボクの身を案じるものであった。第一に感謝、その次に思いやり、これは人として正しい選択なのかもしれない。…だけど、だけど、そうじゃないんだ。ボクが君に求めている言葉は、そんなものじゃないんだ。
アルファ「…ユウキ?どうしたんだ…?」
いつまでも顔を俯けていたボクを不思議に思ったのか、彼が発した第三声は、ボクへの問いかけであった。
…どうして、ボクがこんな状態でいるのか、どれだけボクの身体に痛みが走っているのか、彼には分からないのだろうか。己の胸に手を当てれば、自然とその答えに行き着けるはずなのに、どうしてボクが一番欲しい言葉を掛けてくれないのだろう。
そんなどうしようもない不満が、ボクの心に渦巻き、それはとうとう感情へと昇華した。
ユウキ「……ひぐっ…なんで…なん、で…うぐっ…なんで…なんでぇ…!?」
アルファ「お、おい、どうしたんだよ!?」
その両目から零れ落ちた大量の涙は止まることなく、ボクの視界を滲ませた。突如として泣きじゃくり始めたボクを見て、どうしたのだと、困惑している彼がいる。
…辛かった。この期に及んでまで、自分ではない誰かのために行動し、己を顧みない彼の優しさが、痛々しい程ボクの胸を締め付けた。そして同時に、どうして全て独りで背負ってしまうのだと、なんでボクを頼ってくれなかったのだと、その優しさ故に、一人じゃ出来ないことの方が多い癖に、対等な関係に立つはずのボクを蔑ろにしている事実が辛かった。でも、彼は優しいから、そのことには気が付けない。だから、ボクはそれを叫んだんだ。
ユウキ「……なんで、なんでアルファはボクに黙ってこんなことするのっ!?…こんなの自分勝手だよ!!ボクとアルファはお互いに支え合っているんだよねっ!?ボクじゃアルファの力になれないのっ!?ボクはそんなに頼りないのかなっ!?……だから…だからぁ…もう、独りで無茶するのはやめて…ボクを独りにしないで…もう嫌だよ…大切な人が死ぬ姿を見るのは、もう嫌なんだ…独りぼっちも、もう嫌なんだ…だから、お願いだからぁ…独りで抱え込まないで…ボクのことを置いて行かないでぇ…ちゃんと、ボクのことを頼ってよぉ…」
彼の瞳を見つめ、己の感情をありのままに曝け出し、ボクは必死に胸に秘めたる想いを伝える。しかし、それは次第に勢いを失って、再び瞳からは水滴が流れ落ち、彼の瞳から目を逸らし顔を俯かせ、最後には消え入りそうな呟きへと移り変わる。
両手で目尻を擦り、嗚咽を漏らしているボクに、突然、強烈な勢いと共に、温かい何かが飛び込んできた。彼は、ボクの耳元で囁く。
アルファ「……ごめん。ごめんな、ユウキ…もう、ユウキを置いて行ったりしない。無茶する時はちゃんとユウキに伝える。ちゃんとユウキのことを頼る。ユウキは頼りになるんだぜ?…だから、偶には俺が頑張らないと、って思ってたんだけど、それが間違ってたんだよな。辛い思いさせて、本当にごめんな…」
これまでの中で一番、力強い抱擁でボクを抱き締めてきた彼は、一を知って十を知るように、ボクが求めていた答えの全てを返してくれる。もう、涙は止まっていた。だけど、感情の奔流は収まらず、彼の背中に腕を回し、その抱擁に答える前に、両手の掌を握り締めて、彼の背中をポカポカと叩いた。
ユウキ「……ばか、ばかばかばかばかばかっ!!気づくのが遅いよ!アルファは大バカ者だよ!!それに、無茶する時って何さ!!ボクはアルファに無茶して欲しくないんだよ!?」
アルファ「……馬鹿で結構だよ。まぁ、当分無茶するつもりなんて無いけど、万が一ってことはあるだろ?だから、無茶はするだろうなぁ…」
ユウキ「そういうのは、嘘でも、無茶しない、って約束しなきゃダメなの!!」
アルファ「俺のセールスポイント一つは素直、ですから」
失われたかと思われた彼の温かさを、今度こそ二度と失わないようにボクは彼の身体を強く抱き寄せた。長きにわたりお互いの温もりを求めあっていたボク達は、とうとうその抱擁を解こうとしていた。
だけど、一度感情を開放してしまったボクは、もう自分に歯止めが利かなくて、彼の身体を無理矢理押し倒してしまう。驚く彼のことなど放っておいて、ボクは己の欲望のままにその唇を奪った。唇と唇を重ね合わせるだけの、僅か数秒の行為であったが、それだけで、ボクは大いに満足していた。
やがて彼の唇から離れ、顔を見たその時、彼はこれまでに無い程顔を紅潮させていた。恐らくボクも似たようなものなのだろう。強引に押し倒した彼の身体から離れると、ようやく彼は言葉を発する。
アルファ「……びっくりするじゃねぇかよ…ありがと…」
ユウキ「……う、うん…つい、勢い余っちゃって…」
お互いに顔から火が出るほど羞恥心を募らせ、お互いに顔を見ることさえ出来ていなかったこの状況で、アルファは思い出したようにその顔を真顔に戻し、ボクの顔を見て真剣な表情で口を開く。
アルファ「…洞窟に、早く行かねぇと」
ユウキ「…そうだね。もう一回気を引き締めて行かないと」
甘い時間も程々に、ボク達は洞窟へと急行していった。
次回の投稿日は明日となります。
では、また第85話でお会いしましょう!