花吹雪が舞い散るような、美しきポリゴン片の昇華を眺めながら、俺は、自分が生き返った理由を、何となく悟っていた。恐らく世界に一つしかないであろう蘇生アイテムを、彼女を守る為ではなく、俺なんかの為に使用する結果に終わったのだ。俺はその事実を認識し、深く後悔と己の無力さに打ちひしがれてそうになる。
しかし、俺が今思うべきことは、後悔などでは無いはずだ。故に、技後硬直で身体を動かすことが出来ない中、背後にいるであろう彼女に、俺は声を掛けた。
アルファ「……悪い、助かった…」
しかし、彼女は何も答えない。何かあったのだろうかと、ようやく技後硬直から解き放たれた俺は、自然な動作で後ろを振り向いた。
俺の目に映ったのは、いつも通りの彼女。だけど、その瞳は俺を見ているようで、何処か俺以外の何かを見ているような、不思議な目線を向けていた。俺はそんな彼女を呆然と見つめていた。
不意に、PoHとの死合いに夢中で気を配れていなかった、視界に端にある彼女のHPバー表示に目を向ける。すると、それはレッドゾーンに落ち込んでいるではないか。先程俺がその体力残量から一気に死亡したこともあって、普段以上に取り乱した俺は、すぐさま彼女に駆け寄り、回復結晶を使用する。
俺は、これで一安心、だと思っていた。しかし、彼女は視線を俯かせ、表情を動かさないまま棒立ちし続けていた。
アルファ「…ユウキ?どうしたんだ…?」
その様子を不思議に思った俺は、彼女に問い掛ける。しかし、彼女は一向に口を開かない。
…まさか、俺がPoHと闘っている間に、洞窟内でキリトやアスナ、クラインが死んでしまったのだろうか。討伐部隊は全滅し、彼女だけがここまで逃げてきたのだろうか。
そんな絶望的なシチュエーションを想像し、今にもユウキの背後から追っ手が迫って来るのではないかと、緊張感を高めていると──
ユウキ「……ひぐっ…なんで…なん、で…うぐっ…なんで…なんでぇ…!?」
アルファ「お、おい、どうしたんだよ!?」
彼女は突然、ボロボロとその両目から涙を零しながら、一人そう呟いた。俺は困惑しながらも、ユウキに言葉を返したが、彼女は何も答えない。
…やはり、ユウキ以外の皆は死んでしまったのか!?…いやしかし、ユウキならば、泣いてる暇なんてない、と考えて、少なくともフィールドでは泣き出さないはずだ。ユウキには、それだけの強さがある。
だったら、一体どうしてユウキは涙を流しているのだろうか。俺が様々な可能性を思い浮かべ、どれが正解だろうと吟味していると、ようやく顔を上げた彼女は、俺の瞳を真っすぐと見つめて、遂にその理由を語った。
ユウキ「……なんで、なんでアルファはボクに黙ってこんなことするのっ!?…こんなの自分勝手だよ!!ボクとアルファはお互いに支え合っているんだよねっ!?ボクじゃアルファの力になれないのっ!?ボクはそんなに頼りないのかなっ!?……だから…だからぁ…もう、独りで無茶するのはやめて…ボクを独りにしないで…もう嫌だよ…大切な人が死ぬ姿を見るのは、もう嫌なんだ…独りぼっちも、もう嫌なんだ…だから、お願いだからぁ…独りで抱え込まないで…ボクのことを置いて行かないでぇ…ちゃんと、ボクのことを頼ってよぉ…」
ユウキは、優しい怒りをぶつけるように、俺に対して大声で叫んだ。だが、やがてそれは、縋りつくような弱弱しい願いへと変わり、彼女は涙ながらそれを伝える。そこでようやく、俺はこれまで自分の下してきた選択が、如何程彼女を蔑ろにしているものなのかを悟り、己の考えの浅はかさを理解した。
…そうだ。俺は、身勝手だった。かつて彼女は、俺とユウキは二人で一人なのだと、そう教えてくれたはずだった。なのに、俺は彼女に何も言わず、一人で行動し、一人で解決しようとしてしまっていた。彼女が与えてくれる分、俺も与えなきゃと、自分目線の狭い視野で物事を推し量り、彼女がそれをどう思っているかなど、微塵も考えようとしていなかった。
ならば、彼女の言い分は最もである。俺は一人じゃ何にも出来なくて、結局彼女に迷惑を掛ける結果に終わり、これではまた、彼女にばかり負担を掛ける結末となってしまったではないか。
泣き声を漏らす彼女を見て、俺は、いつだって彼女がそうしてくれたように、俺の持てる温かさで彼女を包み込む。
アルファ「……ごめん。ごめんな、ユウキ…もう、ユウキを置いて行ったりしない。無茶する時はちゃんとユウキに伝える。ちゃんとユウキのことを頼る。ユウキは頼りになるんだぜ?…だから、偶には俺が頑張らないと、って思ってたんだけど、それが間違ってたんだよな。辛い思いさせて、本当にごめんな…」
俺が抱擁と共にそう返事をすると、次第に彼女は啜り泣きは収まって行った。そして俺は、言葉だけではなく、それを必ず実行することを、己の胸に刻む。
突然、俺の背中に感じたものは、何かに叩かれる衝撃であった。ついさっきと同じぐらい、この状況を理解できず困り果てる俺に、彼女は喚くように口を開いた。
ユウキ「……ばか、ばかばかばかばかばかっ!!気づくのが遅いよ!アルファは大バカ者だよ!!それに、無茶する時って何さ!!ボクはアルファに無茶して欲しくないんだよ!!」
ポカポカと、ダメージが発生しないギリギリ限界の強さで、俺の背中を叩き続けるユウキの横顔見て、俺は思わず吹き出しそうになる。だが、彼女は真剣なのだから、俺も笑うことなく…いや、穏やかに微笑みながら、真面目に答えた。
アルファ「……馬鹿で結構だよ。まぁ、当分無茶するつもりなんて無いけど、万が一ってことはあるだろ?だから、無茶はするだろうなぁ…」
ユウキ「そういうのは、嘘でも、無茶しない、って約束しなきゃダメなの!!」
アルファ「俺のセールスポイント一つは素直、ですから」
冗談交じりにそう答えると、彼女はようやく背中を叩くことを辞めてくれて、代わりに、俺の身体をきつく抱き締めてくれた。これまでの中で、一番長い間彼女を抱き締め続け、何となく抱擁を解く時だと勘づき、俺が彼女の背中から腕を離して立ち上がろうする。
しかし、何かに支配されたように、彼女は俺の両肩を掴み、俺を地に押し付ける。後ろ体重になっていた俺は、呆気なく彼女に押し倒され、見上げるように彼女の熱の籠った美しい表情を眺めていた。
その場から逃げ出すことだって出来たけど、彼女が俺に初めて魅せる新たな表情を、一秒でも長くこの目に焼き付けていたくて、俺は彼女をぼうっと見つめていたんだ。
次の瞬間、彼女は俺の顔を覆うようにその小さな顔を近づけ、俺の唇に彼女の唇を押し付けてきた。それは僅か数秒で終わった出来事であったが、俺は、彼女の唇の柔らかさに驚かされた。彼女はこれまでに無い程顔を紅潮させているが、それは俺も似たようなものなのだろう。兎に角、何か言葉を掛けるべきかと思い、俺は彼女に話し掛ける。
アルファ「……びっくりするじゃねぇかよ…ありがと…」
ユウキ「……う、うん…つい、勢い余っちゃって…」
リンゴのように真っ赤に顔を染めて、お互いにその顔さえまともに見れないまま、俺は彼女とのファーストキスに途方もない高揚感と幸せを感じていた。
しかし、そんな蕩ける頭の中とは裏腹に、俺達が今為すべきことを思い出す。思考を一気に集中モードへと早変わりしてから、俺は彼女の顔を見て言葉を掛ける。
アルファ「…洞窟に、早く行かないと」
ユウキ「…そうだね。もう一回気を引き締めて行かないと」
甘い時間も程々に、俺達は洞窟へと急行していった。
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洞窟へと急ぎ向かうべく、俺達は山の麓を目指して夜の山岳を駆けていた。そして約七分ほどでようやく洞窟の入り口辿り着いたその時、隣にいるユウキが、顔面蒼白状態で呟いた。
ユウキ「──いない。兇手ノエルが、いない…」
アルファ「…確かにそうだけど、今は早くキリト達の所に──」
ユウキ「…違うんだ。ボクは、確かにここで兇手ノエルを麻痺状態にしておいたはずなんだ…なのに…」
アルファ「…逃げられたってことか。…取り敢えず、気を付けて行こうぜ」
ユウキ「うん…ごめん…」
アルファ「気にすんな」
洞窟に侵入した俺達は、言葉にするでもなく二人して隠蔽スキルを発動させ、怒号と金属がぶつかり合う音の鳴り響く方角へと、足を進めていく。
そしてそこに在ったのは、まさしく血みどろの地獄と呼ぶに相応しい光景であった。敵も味方も入り乱れ合い、ある者は地を這い、ある者は斬り伏せられ、命を散らす。苦しみの涙を零しながら剣を振るう者、快楽に酔いしれながら剣を振るう者、感情を喪失した状態で剣を振るう者、そこは、様々な想いが駆け巡る戦場であった。
吹き抜けから眺めるだけでは伝わってこない、直接その場を訪れなければ伝わってこない、苛烈で残酷な戦場の有り様は、俺達に言葉を失わせるに充分であった。しかし、その燭烈を極めた血を血で洗う闘いも、最早終局を迎えていた。
動けるレッドプレイヤーの総数は、残り十人ほどで、対して討伐部隊に所属するプレイヤーは、その三倍ほどの人数であった。彼らは、人数の暴力で覆い被さるように、レッドプレイヤーを追い詰め、彼らの身動きの自由を奪って行く。
そんな中で、一人のカタナ使いのプレイヤーの背後に、洞窟の枝道に潜んでいたレッドプレイヤー一人が襲い掛かっていた。
アルファ「クラインッ!!」
クライン「っ!?」
彼を守るために大きく一歩踏み出した俺は、そのまま己のカタナを投げつける。見事、レッドプレイヤーの手元にそれは突き刺さり、レッドプレイヤーは剣の軌道が逸れた。
次の瞬間にはユウキがレッドプレイヤーに急接近しており、そのまま麻痺毒付きナイフを突き刺していた。身動きの取れないレッドプレイヤーを横目に、俺達はクラインに駆け寄る。
アルファ「大丈夫か?」
クライン「あ、あぁ…おめぇらもようやく来たのか…」
ユウキ「ごめんね、遅れちゃって」
クライン「良いってことよ。もう、この闘いも大詰めだからよ」
クラインのカーソル表示を確かめても、体力は六割と充分に確保できていたし、カーソルもグリーンと、後々カルマ浄化クエストを行う必要は無さそうだ。
クラインが遠巻きに眺めている方角へと、俺達も視線を向けると、そこには確かに、往生際悪く最後の悪足掻きを続けるレッドプレイヤーが数名いたが、そのほとんどは、もう既にお縄に掛けられていたし、覆せないほどの人数有利も取れていることから、増援に向かうは無いだろうと判断する。なので俺は、枝道からゲリラ戦を仕掛けてくる輩がいる可能性を考えて、周囲の警戒を行うことにした。
やがて、全てのレッドプレイヤーを捉えることに成功したのか、剣撃は次第に唸りを潜めて行った。討伐隊の誰かが回廊結晶を使用してくれたので、クラインを殺しにかかっていた、まだ俺と同じぐらいの年齢のプレイヤーを回廊結晶まで連れて行く。意外にも大人しく俺の連行に従った彼は、そのまま回廊結晶で繋がれたゲートの向こう側へと姿を消していった。
彼が如何なる経緯でこの世界でレッドプレイヤーに身を堕とし、何を思って人を殺していたのかなど、俺には知る必要のない事なのだろう。何故ならば、もう全ての元凶はこの世から消え去ったのだから、もう俺の大切な人達を傷付ける者はいないのだから…。
勿論、この討伐戦だけで全ての脅威が取り除かれたと自惚れているわけではない。しかし、脅威を生み出す根源を殺したのだから、これまでのようにレッドプレイヤーが増大することはないはずだ。
討伐戦に参加したプレイヤーは、今日までラフコフが寝泊りしていたであろう安全地帯に腰を下ろし、沈黙していた。皆その瞳には深い悔恨と悲痛を宿し、その表情は硬い。一、二分以上の静寂の末、誰かが掠れた声を発した。
「──犠牲者は…何人だ」
その言葉を聞いてふと、俺は辺りを見回してみた。…確かに、少なくとも俺が集合場所にいた時点の人数よりも、この場にいるプレイヤーの数は少なく、全体の五分の四ほどしかいない気がする。
…一体どれだけの命が失われたのだろう。そんな俺の疑問に答えるように、また誰かがポツリと言葉を呟いた。
「──十一人、死んだ」
その言葉に、プレイヤー達は息を吞み、再び重い沈黙が訪れた。
…十一人、それは、フロアボス戦における…それも、二十五層や五十層、そしていつの日か訪れる七十五層を含む区切りの層でのフロアボス戦における死者数と同程度である。それが、フロアボス戦よりも圧倒的に短い、恐らく戦闘に移行してから三十分前後の僅かな時間で、失われたのだ。
この戦いの中で、長きにわたり共に戦場を渡り歩いてきた戦友を喪失した者もいるらしく、やがて静黙の中で、誰かが悔し涙に暮れるように、声を押し殺しながら…しかし、その声を堪えることなど出来るはずもなく、声を上ずらせながら、静かに叫んだ。
「……くそ…クソっ…クソッ!!」
それに感化されるように泣き叫ぶ者や、力の限り地面に拳を打ち付ける者、その顔に更なる後悔を滲ませる者、未だに現実を受け入れようとしない者など、それは多種多様であった。
しかし、それを慰めることが出来る者などいるわけもなく、しばらく洞窟内では、負の感情が反響し続けた。そんな中で、一人小さな岩に腰掛けるアルゴを見つけた俺は、彼女に近づき、言葉を掛ける。
アルファ「……アルゴ、ありがとな。お前が行ってくれなきゃ、もっとひどい結果になってたかもしんねぇ」
アルゴ「……オレっちが洞窟に辿り着いた時は、もう遅かったヨ…結局オレっちは、何の力にもなれなかったナ…」
アルファ「…」
普段の憎たらしくも明るい様子など、影も形もない彼女を見て、俺は何も言えなかった。
暫時の時が過ぎ、遂に心に冷静さを取り戻し始めた討伐隊は、多くのレッドプレイヤーの中にも、グリーンカーソルの奴らが数名いたらしく、そいつらを攻撃した幾人かが、オレンジカーソルに移行してしまったこともあって、残党に襲われる危険も考慮し、このまま全員でカルマ浄化クエストを協力して終わらせよう、という結論を出した。
そして、討伐部隊は洞窟の出口に向けて、ゆっくりと進み始める。しかしその時、この討伐作戦を打ち立てたレモネードが、重々しく口を開いた。
レモネード「……幹部プレイヤー数人を捉えることは出来たが、肝心のPoHと幹部プレイヤーの一人、兇手ノエルはこの戦場にはいなかった…十分に注意していくぞ」
彼の言葉に、雰囲気をピリつかせながら黙って頷く彼らに、そこで俺は、彼らに伝えなければならないことを思い出し、動き出す討伐隊の動きを遮るように、彼の前に躍り出て彼に呼び掛ける。
アルファ「…レモネード」
レモネード「なんだ…」
アルファ「…まず、ラフコフのアジトの在り処をリークしてくれた人物と知り合いだった情報屋リザレンは、ラフコフと繋がりを持ったグリーンプレイヤーだった。今回ラフコフのメンバーに俺達が奇襲を仕掛けられたのも、リザレンがPoHに命令されてわざとこの情報を流し、それを逆手に取られたからなんだ」
レモネード「…っ!?」
レモネードは驚きで声も出なかったようだが、それはユウキを含む討伐作戦に参加したプレイヤー全員がそうであったようで、その事実を本人の口から確認した俺とアルゴ以外は、その事実に驚愕している。
そして同時に、完全に奴らの掌で踊らされ、多大なる犠牲を払う結果となった討伐作戦自体が蛮行で愚行であったのではないかと、彼らは視線を落とす。そんな彼らに、俺は第二の言葉を掛ける。
アルファ「…それで、俺達はラフコフのメンバーと殺し合うことになったんだけど…今後こんなことが起こる可能性は、殆どないと思う。……PoHは、俺が殺してきたから」
俺が鋭い瞳と確かな声でそう伝えると、今度こそ討伐隊のメンバーはその心に大きな衝撃を受けたようで、驚きを隠せないままその瞳を大きく見開き、俺に視線を注目させている。
未だ半信半疑と言った様子で俺を眺める彼らに対して、俺はメニューウインドウを開き、アイテムストレージに格納されたあるアイテムを具現化した。
アルファ「……<友斬包丁>…PoHのメインアームだ。…あとで生命の碑を見に行けば分かることだろうけど、今んとこ証拠になりそうなもんは、これぐらいだな」
とてもダガーとは思えないほど、ずっしりとした重みを感じる友斬包丁を掴んで、俺は彼らにそれを見せつけた。
…このダガーは、元々これほどの重さだったのだろうか。それとも、PoHの言う通り、このダガーが何人もの命を奪って来たというのならば、その数多くの魂の怨恨が武器に宿った結果なのだろうか。しばらくは放心状態で俺の持つ友斬包丁を眺めていた彼らも、ようやくその口を開いた。
レモネード「……そうか。…済まないな」
ユウキ「あの…実は、兇手ノエルはボクが闘ったんだけど、結局逃げられちゃったんだ…ごめんなさい…」
レモネード「いや、別に構わない。もう大方の脅威は去ったと考えていいだろうからな」
それから俺達討伐隊は、数人のカルマ浄化クエストを四十人ほどでクリアし、全員が安全圏へと帰れるようになったことから、まずは生命の碑へと向かった。俺が直接PoHの名前を確かめると、そこにはしっかりと名前に白線が引かれていた。死因は貫通属性のダメージで、日付や時刻も合致しており、間違いなくPoHがこの世から去ったことを確認できた。
今回の討伐作戦に殉死した、十一名のプレイヤーにささやかな祈りを捧げ、そして、敵とは言え、命を奪うことになってしまった二十一名ものプレイヤーにも黙祷を行い、各々が帰路へと着いた。
俺とユウキがギルドホームに辿り着いた頃には、もう時刻は午前五時頃で、空は常闇から白白明けへとその色を変化させている。ギルドホームの玄関をくぐるその時までも、ずっと俺の右手を強く握りしめていたユウキではあったが、リビングルームに辿り着いて、ようやくその手を離した。
ユウキ「……アルファ、大丈夫なの…?辛くない…?」
アルファ「…あぁ、問題ない。あ、ユウキが先に風呂入って来てくれていいぜ。俺はちょっと、色々整理することがあるから」
ユウキ「う、うん…でも、苦しくなったら、いつでも話してよね…」
アルファ「…心配かけて、ごめんな」
ユウキがリビングルームを出て、脱衣所に向かって行くのを見送ってから、俺は安楽椅子にドシリと身を下ろし、瞼を深く閉じた。その瞬間、脳裏に浮かび上がってきたのは、PoHと交わした僅かながらの言葉、彼との死闘。そして、彼の死に際であった。
……俺は、彼を殺したことを、ほんの少しだけ後悔していた。きっと、彼が死ぬことは、俺の大切にしている人達を守る上で、避けられなかったのだろう。…そう、分かっているが、殺す必要はなかったのではないだろうかと、そんな甘い考えが頭をよぎる。結局、何人殺そうとも、この気持ちが消えることは無いのだろう。もし、俺にこの気持ちが失われたその時は、もう俺は俺ではないのだと思う。
俺は彼に、何故人を殺すのかと、そう問われた時に、己の信念の為であると、そう答えた。正義の執行人ではないことを否定するために、争いとは、お互いの主張をぶつけ合うだけのものであると答えた。彼を殺した今も、その考えが変わることは無い。
この世で正義と悪の対立などは存在し得ない。正義と悪のレッテル貼りなど、悪い意味で己を正当化するための手段でしかない。正義とは正しい大義。ならば、その大義とは何に由来するというのか。それはもちろん人の心であり、大衆の同調圧力だ。正義に酔いしれるということはそれすなわち、罪の意識を放棄すること他ならず、それは戦争において、相手方の軍人を殺すことに、なんの罪悪感を抱かないそれそのものを指す。 だからこそ俺は、己を律する信念に従って生きているのだ。
…だが…だとしても、相手を殺さずとも、例え思想が一致せずとも、お互いに深く干渉し合わないことで、それぞれが望む世界を生きて行けたのではないかと、そう考えてしまう。…きっと、それが一番幸せだ。それが最も喜ばれる結末だ。何よりも人類が目指すべき未来だ。だけど、俺にはそれが出来なかった。それだけの力も意思もなかった。だから殺した。
こんな気持ちになってしまうのは、彼との殺し合いの中で、心の何処かでほんの少しだけ、甘美なる心地良さを感じていた、そんなおかしな俺が居るからなのかもしれない。
だって、俺は彼との闘い以上に、己の振り絞るような、全力を尽くした闘いを演じられるとは思えないのだ。あれ程心躍る闘いは、今後の人生で味わうことが出来なさそうなのだ。そんな境地を一瞬でも魅させてくれたPoHに、そしてそれを望んでいたPoHに、共に命を賭けて殺し合ったPoHに、俺は僅かな親近感を抱いてしまったのだろう。
ならば、俺はPoHを殺したことを恐れ、苦しむことは無い。彼との殺し合いは、俺の血となり肉となり、俺の剣技をより輝かせてくれるだろう。それはまた、俺の大切な人達を守るための力へと昇華するはずだ。
ユウキ「……アルファ…寝ちゃったのかな…?」
アルファ「いや、起きてる」
ユウキ「うわっ!ビックリした~…お風呂空いたよ」
胸の内で彼にもう一度、感謝の祈りを捧げていると、不意にユウキの声が聞こえてきて、俺はカッと瞳を開き、返事をする。するとユウキは、若干オーバーに飛び退いてから、お風呂が空いたことを教えてくれた。
なので俺も、一旦思考を打ち切り、浴室へと向かって行く。脱衣所で全装備を解除し、浴室に入ってまずはシャワーを浴びた。いつの日かのように、その手に血を錯視して嘔吐感に襲われることは無い。もう今の俺には、剣を振るう確かな理由があるのだから。
身体を清めた俺は、ゆっくりと湯船に浸かった。初めて浴槽に浸かったその日は、この世界が作り出す液体環境に何処か違和感を覚えていたが、今となってはもう、慣れてしまった。これこそが湯船なのだと、そう思い込んでいる俺がいる。戦場で酷使した筋肉と頭脳が、緩むようにリラックスしていくのを全身で感じ取りながら、俺は再び物思いに耽り始める。
…PoHが遺したアイテムは、麻痺毒付きダガーや毒針、煙玉などの脱出用アイテムの他に、回復結晶やポーションなどのアイテム、ボロいローブなどで、特にレアなアイテムは無かった。唯一レアアイテムだと思えたのは、彼のメインアーム<友斬包丁>ぐらいだろう。
軽金属装備さえ付けていない、防御力に乏しい俺だとは言え、俺よりもレベルが低いであろうPoHが、たったの一撃で、一割もの体力を削ぐことが出来たのは、間違いなくこの武器のお陰である。プロパティを確認したところ、やはりその火力は尋常ではなく、捨てるにはあまりに惜しい代物で、どうしようかと悩んだ末、しばらくはストレージの奥底に眠らせておくことに決めた。次に、彼との死闘で得た経験値を復習するように、もう一度あの闘いを思い出していく。
…そう言えば、俺は、結局はPoHに力及ばずその命を散らしてしまったわけだが、俺がナーヴギアに脳を焼かれる寸前に、ユウキが俺を<還魂の聖晶石>を使用することで、奇跡的に復活を果たし、圧倒的な不正でPoHを殺したわけだ。こんな確率は、天文学的だと言えるだろう。
…だが、もし、彼女が間に合わなかったのならば、俺は今頃、一万人の名前が連なる生命の碑の一節に、白線を刻まれていたのだろうか。ふと、俺はそんなことを思い、湯船で温まりつつあるはずの身体に、強烈な悪寒が走った。
…もし、俺があのまま死んでしまっていたのならば、ユウキはどれほどその心に傷を負ったのだろうか。どれほど深い絶望に襲われたのだろうか。
そして、俺はもう二度と、彼女の笑顔や怒り顔、恥ずかしがる顔を見られなかったのだ。もう二度と、彼女の優しさと明るさを孕んだ声を耳にすることが出来なかったのだ。もう二度と、彼女の温かさに触れることが出来なかったのだ。もう二度と…もう二度と──
そんな当たり前過ぎる事実が、ようやく戦場での興奮が抑えられ、普段通りの思考が可能となった俺の頭に深く圧し掛かって来た。そんな俺は、のうのうと湯船に浸かっている場合なんかじゃなくなって、浴槽から飛び出し、脱衣所にて、タオルで身体や髪の毛の水分を拭き取る。
その動作さえももどかしく、早く!早く!と俺の心は逸り続けた。彼女が俺にプレゼントしてくれた部屋着を装備し、リビングへと駆け込む。
ガチャン!と勢い良くドアを開けて、ソファにちょこん、と座っていた彼女の身体を、俺は全身で抱き締めた。身長差なんてそれ程無いというのに、それでも俺は彼女に覆い被さるようにして、その身を包み込んだ。
ユウキ「……ア、アルファ…?…どうしたの?やっぱり、苦しい?」
あまりにも相手のことを考えていない、突然すぎる俺の行動に、勿論ユウキは動揺を示した。だけど、彼女はすぐに俺の抱擁に答え、優しく俺の心を慰めようとしてくれる。衝動だけで動いてしまった己の行動を反省しつつも、気持ちを抑えられない俺は、彼女の首裏に囁く。
アルファ「……ごめん。…俺、一回死んでおかしくなっちゃったんだ…。…今はユウキを感じていたんだ……キスしても、いいか…?」
ユウキ「…え、う、うん……いーよ?」
言葉にした通り、一度死を経験したことで、強い本能が呼び覚まされてしまった俺は、己に渦巻く強烈な欲求を抑えることが出来なくなってしまっていた。彼女が俺を受け入れてくれたことを確認するや否や、最早お礼を言う時間も惜しく、俺は彼女の唇を奪った。
だが、先程彼女が俺にしてくれたような軽いキスだけでは全く満足できず、舌を彼女の口内へと侵入させ、彼女の舌を貪るように吸い尽くす。何十秒もの間、俺は彼女の熱を感じ続け、ようやく唇を離した。
彼女は俺の行動に驚きを感じつつも、その顔は随分と惚けている。俺は何を言うでもなく、そのまま彼女の顔を自分の胸に強く押し付け、後頭部に手を添えながら、再び口を開いた。
アルファ「……ユウキ、大好きだ。ホントに大好きだ…」
ユウキ「…ボクも、ボクも大好きだよ…アルファ…」
お互いの気持ちを確かめ合うように、俺達はそれを言葉にし、そしてまた求め合うように、唇を重ねたのだった。
この後めちゃくちゃセッ〇スし……てません!させません!まだ筆者も書きたいことありますから!?
…というわけで、気を取り直して、次回の投稿日は三十日の火曜日となります。
では、また第86話でお会いしましょう!