朧気ながら目を覚ましたその先の世界は、俺とユウキが意識を失ったであろう小部屋であった。胸に残る暖かな気持ちと些細な満足感は一旦置いておいて、俺はすぐに立ち上がり、周囲を警戒──
アルファ「っ!?ユウキ!大丈夫か!?」
俺の目の前には、草木のようなツルで四肢を拘束されたユウキが眼を閉じて眠っている様子が伺えた。俺が近くへ駆け寄り、大きめの声で彼女に語り掛けてみるも、何の反応もない。
チラリと視界の端を見やり、俺とユウキの体力を確認すると、どちらも四割前後しかなかった。しかもユウキに関しては、今尚ジワジワと体力を減らしていっている。それに気が付いた俺は、急いで回復結晶を取り出し、まずはユウキに使用してから、次いで自分にも使用する。
…まだ、敵が攻撃を仕掛けてくる気配は感じられない。しかし、背後に視線を感じて、俺は後ろを振り向いた。するとそこには、木をモチーフにしたようなフェアリー…いや、その凶悪な禍々しい見た目は、魔女や妖魔の方が相応しいだろう存在が佇んでいた。
体力バーはたったの一本、しかし、奴がこのダンジョンのボスであることは、そのカーソルの上に表示されるネームド表記から見て取れる。<The Dream Eater>…夢を喰らう者。
…だったらどうして、獏とかそういう妖怪然としたモチーフを起用するのではなく、こんな魔女みたいな格好なのだ、と心の中でツッコミを入れつつも、ユウキが未だ夢に囚われていることから、ここは俺一人でやるしかないのでは?という結論に至り、俺はボスの出方を慎重に待ち続けた。
しかし、数十秒経ってもボスが何の動きも見せない事から、痺れを切らした俺は、自ら攻撃を仕掛けてみる。両手剣による重い一撃が、ボスの身体に大きくヒットし、体力を一割ほど減少させた。
「キシャアァァァァアアア──ッ!!」
その一撃によりボスは大きな悲鳴を上げた。しかし、まさかの悲鳴を上げるだけで、何の攻撃も仕掛けてこない。そんなボスに拍子抜けした俺は、すぐさまコイツを葬り去るべく、一気に攻撃を仕掛けて行った。
七割…六割と、順調にボスの体力を削っていく。そして、次の一撃で五割を切れる!というところで、俺の両手剣がボスの身体にねじ込まれる──ことは無く、その寸前で目に見えない障壁に阻まれたのだ。
アルファ「なんッ──」
その爆発的な衝撃に、俺は後ろに大きく吹っ飛ぶも、転げることなく上手く着地し、遂にボスが攻撃を仕掛けてきたのか!?とその攻撃を見極めようとした。
しかし、ボスは何のアクションも起こさず、代わりに俺とボスの間には、紫色のシステムカラーメッセージが出現する。
アルファ「……イモータルオブジェクト…?」
<Immortal Object>…つまりは、不死の存在。俺はこれまでに見たことのないボスの能力に驚愕しながらも、もう一度ボスの身体に剣を振り放った。するとやはり、俺の剣は見えない障壁に拒まれ、再びメッセージが表示される。
…どういうことだ?要するに、このボスは絶対に倒せないように設定されているのか!?と、一瞬考えるも、ならばどうして、俺の攻撃が五割を寸前までは通用したのだろう、とこのボスのロジックを丁寧に考察する。
そして数十秒後、恐らく、俺が目覚めた→ボスの体力は半分まで削れる→次はユウキが目覚める→もう半分を削り切って、ダンジョンボス討伐可能。ということなのではないだろうか、という推測に至った。
ならば、ボスを討伐するためには、ユウキが今いる自分の世界を虚構の物であると気が付かなければならず、そしてそもそも眠っている間は、徐々に体力を失って行く仕様らしく、このままユウキが目覚めなければ、いつか彼女はHPを全損させてしまうだろう。
…これがボスの唯一与えられた攻撃手段ということか。しかし、例え攻撃手段がその一つしか無いとしても、心の何処かで望んでいる、自分にとって都合の良い世界で生きていけるなど、厄介過ぎることに代わりはないのだが…。
ユウキを目覚めさせる方法として、浄化結晶やら解毒結晶を使ってみたのだが、どれも意味を為さなかった。だったら適当に回廊結晶を使用して、圏内へと戻ればいいのでは、とも思ったのだが、ご丁寧にもここではテレポート系のアイテムは使用不可となっており、故に、ユウキが自力で夢から脱出する他ないのだ。
ボスも攻撃を仕掛けてこないわけだから、俺はゆっくりとユウキが目覚めるのを今か今かと待っていた。しかし、いつまで経ってもユウキが目を覚ます気配を感じられず、瀕死になったユウキの体力を回復結晶で全快させるという作業を何回も繰り返し続ける。
そしていつしか回復結晶も残り二つとなり、俺もそろそろ焦り始めた。ユウキのアイテムストレージにも幾つかは回復結晶が入っているだろうから、ユウキには申し訳ないが、勝手にメニューウインドウを可視化させてもらって…それも合わせれば、まだ時間は残っているだろう。
…しかし、それが尽きれば…?館を出て誰かにメッセージを送るのもアリだが、俺が館を出たら館がどうなるのかも分からねぇし…。俺はこれからどうしようかと、頭を捻らせる。
アルファ「…ユウキ、頼む…目を覚ましてくれ…」
ついほんの出来心で、童話の白雪姫みたいに、ユウキにキスしたら目覚めたりするのもワンチャンあるんじゃね?とか迷いに迷って迷走の末に思い立った俺は、眠り続けるユウキの柔らかな唇に自身の唇を重ねてみた。
しかしやはり何も起きず、途端に俺は一人額を抑えながら、物凄い羞恥心に襲われていた。
アルファ「……何やってんだ俺は……なァッ!?」
その数秒後、不意に、ユウキの近くで回廊結晶を使用したような時空の歪んだ空間が発生し、俺は否応なしにその渦へと吸い込まれていったのだった。
アルファ「……何処だここ…?」
時空の渦に呑み込まれ、ジェットコースターで何十回転もしたような重力感が失われそうになる感覚を味わい、思わず地に膝をつきながら、俺が辺りの様子を確認する。
そこは……真横にはコンクリートで建てられた塀があり、地面はアスファルト舗装の道路、上空には電線が張り巡らされており、これは間違いなく現実世界だろう。
なるほど、俺はユウキの夢に干渉し、ユウキは現実世界で生活している夢を見ていると言ったところか。それならこの現状に甘えていたくなるのも分からないでもない。
……しかし、ユウキの夢に入り込んだはいいものの、これから一体どのようにしてユウキを探せばいいのだろうか。
アルファ「…だって、建物ばっかだし、マンションみたいなんもめっちゃあるし…何より山が見えねぇ…」
周囲を見渡す限り、これが噂の大都会、といったところなのだろう。その発展ぶりに、俺は暫くの間感銘を受けていた。
がしかし、大都会なんかには住んでいない俺からすれば、大都会なんてほとんど行くことの無い俺からすれば、ここは全く土地勘のない未知のエリア……やっぱり、ここではフレンド機能やマップ機能が使えるわけでもなさそうだから、SAOでダンジョンにぶち込まれるよりも、ここの攻略難易度は高いと見える。
…というか、今どこにユウキがいるのかをフレンド機能で探れない以上、最早闇雲に辺りを駆け巡るしかないのでは?
そもそも、俺は武装したまんまなんだけど、この世界の警察とかに銃刀法違反で逮捕されたりしないだろうな!?と色々なことを考えながら、俺は思うがままに街を駆け始めたのだった。
───────────────
木綿季「姉ちゃん、今日は真っ直ぐ帰るの?」
藍子「えっとねぇ~」
朝とは違ってのんびりと、学校から最寄り駅までの道のりを歩いていたボクは、珍しく友達と一緒に帰っていない姉ちゃんのことを不思議に思い、これは何かあるな、と予感していたわけで、話を切り出してみたのだ。
基本的に学校の帰りには、姉ちゃんとボクの二人で帰ることもあれば、姉ちゃんの友達や、ボクの友達と帰ることや、場合によっては二人別々に家に帰宅することもある。
すると姉ちゃんは、焦らすように間延びした返事を返してきたが、次の瞬間には、ドキドキワクワクといった感情を隠さないまま、ボクに笑顔で話し掛けてくる。
藍子「今日、クラスメイトから美味しい和菓子屋さんがある、って聞いたのよ。だから、今日は帰りに、ユウとそこに寄り道したいな~って」
木綿季「姉ちゃんはホント餡モノ大好きだね。いいよ~ボクも付き合ってあげる!」
藍子「それじゃあ、道案内はお姉ちゃんに任せなさい!」
ボクからの許可を得た姉ちゃんは、ウキウキと逸る足取りでボクを先導しながら、電車に乗り込み、いつもとは違う駅で降りて、少し駅から離れた場所まで案内してくれた。
その道中には、お互いが今日学校で起きたことを絶え間なく話し合いながら、ついボクが口を滑らせて、授業中に居眠りしそうになったことを話してしまい、姉ちゃんに優しく叱られたりと、在り来たりな掛け替えのない時を過ごした。
やがて辿り着いた和菓子屋さんは、和洋折衷の外観デザインが施された周囲の景観からは隔絶された、純日本風の外観をしており、美味しいと噂なこともあって、待ち時間が二十分ほど発生してしまった。
ようやく店内に入ったボク達は席に着き、ボクも姉ちゃんも迷わずお汁粉を注文する。
藍子「ふわわわ…」
木綿季「これは美味しそうだね」
数分経って届けられたお汁粉と塩昆布に、姉ちゃんは奇妙な声で感動を表していた。いつもは穏やかで大人っぽい姉ちゃんも、餡モノを前にしたその瞬間は、年相応の無邪気な一面を見せてくれる。そしてその姉ちゃんの様子を眺めるのが、ボクの楽しみでもあるのだ。
両手を合わせてから、いざお汁粉を食してみると、お餅の焦げがまぁ美味しい。びよーんと良く伸びるお餅を嚙み千切って、小豆の強烈な甘みを口いっぱいに感じ取る。箸休めに食べる塩昆布がその甘ったるすぎるのではないかと思うぐらいの甘味を見事に調整してくれて、最後まで美味しく頂くことが出来た。
お汁粉を完食したボク達は、店の外で待っている人もいるだろうから、素早く店内を後にして、駅へと向かって行く。その道中に、美味しそうなクレープ屋さんを見つけて、ボクは思わずそちらに気を取られてしまった。
その様子を見られていたのか、姉ちゃんに、ふふっ、と笑われてしまう。
藍子「もう、ユウったら食いしん坊なんだから」
木綿季「…だって、ボクが一番好きな食べ物はクレープなんだもん。それに、姉ちゃんもクレープ大好きでしょ?」
藍子「そうね。わたしもクレープは好きだけど…やっぱりママが作るクレープじゃないと、お汁粉には及ばないかなぁ」
木綿季「じゃあ、帰ったらママにお願いしようよ!クレープ作って、って!」
藍子「…そうしよっか」
ボクも姉ちゃんも、一番好きな食べ物は?と聞かれたら、迷うことなくママ手製のクレープだと、そう答える自信がある。
どれだけ高級な料理よりも、どんな有名店の手掛けるクレープだとしても、それはママの焼いてくれたクレープには足元にも及ばない。だって、そのクレープにはまごうことなきボクと姉ちゃん為だけに注がれた、ママの愛情が詰まっているのだから。
二人でママにクレープをおねだりする方針に決定したボク達は、再び駅構内に入り、我が家へと帰る為電車がやって来るホームへと移動しようとしていた。しかしその時──
木綿季「……え…?」
ボクの目の前に、恐らく同じぐらいの年齢……多分、決して高いとは言えない身長と、その性別には似合わないような可愛らしい顔立ちからして、ボクよりも年上、ということは無いだろう男の子が、ボクの知らない黒髪ロングの大人びた女の子と、手を繋ぎながら反対側のホームへと向かっていた。
それを見たボクは、有り得ない、という言葉が脳内を駆け巡り、まるで金属バットで身体を叩き付けられたような、強い精神的打撃を感じ取って、図らずとも、震える右手を彼に伸ばしながら、声を掛けていた。
木綿季「……ア、アルファ…?アルファだよね…?」
どうして、今まで彼のことを忘れていたのだろうか。彼はボクにとっては無くてはならない存在で、今のボクが最も大切にしている人だと言っても過言ではない。絶対に忘れたくない人、絶対に忘れちゃいけない人、そのはずだったのに、どういうわけか、彼をこの目に映すまで、ボクはその存在すら忘れていたのだ。
ボクが恐る恐る、彼にそう訊ねると、彼が向けてきた表情とその言葉は──
「…は?アンタ、誰だよ?」
木綿季「…ぇ…?い、いや、だって、アルファはアルファだよね…?ほら、ボクはユウキ──」
彼は、ボクを訝しむような表情と共に、冷たい一言を放ってきた。
……どうして…?…どうしてどうして…!?…アルファが、アルファがそんなこと言うはずないのに…アルファはそんな他人行儀な冷たい視線を、言葉をボクに向けてくるはずがないのに…。しかし、現に彼はボクを知らないかのような、そんな表情で語り掛けてきている。
…もしかしたら、彼はボクに気が付いていないのかもしれない。そう思ったボクは、自分の名前を述べようとしたのだが、その言葉に重ねるように、彼は再び口を開いた。
「はぁ?アルファってのが誰だかは知らねぇけど、俺は○○だ。…人違いじゃねぇの?」
「…○○、もう行こうよ。電車来ちゃうよ?」
「…そうだな。行くか」
「ん」
木綿季「…な、なんで……?」
目の前にいるはずの人物は、確かにボクの大好きなアルファであるはずなのに、しかし彼が放った名前は、その部分だけ切り取られたかのように聞き取れなくて、ボクはただ茫然自失にその場に突っ立っていた。
…しかも、あろうことか彼は、ボク以外の女の子と、ボクに向けられているはずの熱意の籠った視線を交わし合い、それだけでなく、手まで繋いでいた。
……見たくない。見たくない見たくない。ボクは、どうしてもその光景を見たくなくて、不可抗力的に視線を落とす。アルファが、他の誰かに夢中になっているなんて、そんなの…嫌だ…。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!ボクだけに夢中になっていて欲しいのに、どうして!?
頭がガンガンと、外からも内からも打ち付けられているかのような、頭蓋骨が割れてしまうのではないかと思う程の痛みがボクを襲ってくる。いや、そもそもアルファって人は、何処で知り合ったのだろう…。ボクは、何処で彼と出会ったのだろうか…確か…それは……
藍子「……ユウ?顔が凄く青いけど、大丈夫?」
木綿季「……ね、姉ちゃん…ボク…」
藍子「わたしは、あの男の子のことは知らないけど、ユウが幸せでいられる今の日々を捨ててまで、彼のことを追い掛けるべきなのかな?」
木綿季「……分かんない…分かんないよ、姉ちゃん…」
藍子「……大丈夫だよ。またお家に帰って、パパやママとゆっくり楽しい時を過ごせば、いずれ分かるようになるわよ…」
木綿季「…うん、そうだよね…。ボク、帰ってやらないといけない事一杯あるんだもん。一回振られたぐらいでこんなに落ち込んでたら、ダメだよね!」
藍子「あっ、今の振られたって認めるんだ」
木綿季「うるさいなぁ~、さ、早く帰ってママにクレープのお願いしなきゃ!」
藍子「それもだけど、ちゃんと今日の復習と、明日の準備もしないとだよ?」
木綿季「分かってる~」
彼と一緒にいることと、姉ちゃんやママ、パパと一緒に夢のような幸せな日々を過ごすこと、どちらがボクにとって選ぶべき未来なのかは、全くもって見当が付かなくて、ボクは姉ちゃんにその答えを求めるように、訪ねかけていた。
だけど、姉ちゃんが優しく頭を撫でながら、時間を掛けて答えを出せばいいと、そう言ってくれたことで、ボクはやっぱり姉ちゃん達と一緒に居たいと、そう強く思えたのだ。
ボクは姉ちゃんと軽い会話を交わしながら、電車に乗り込み、数十分掛けてようやく我が家の最寄り駅へと辿り着いた。既にお日様は傾いており、空は赤い夕焼けに包まれている。ボクと姉ちゃんは、帰りは坂道になっている通学路を、徒歩で自転車を押しながら進んでいた。
その道中にも、今週末は家族で大型ショッピングセンターに出掛けよう、とか、今週のミサではこんな話が聞けるんじゃないか、だなんて会話をしたり。ふと携帯を確認すると、明日は部活がオフだから、みんなで遊びに行こう、だなんて連絡が葵達から届いていたりと、また明日からの日々が、とても楽しみになってくる。
藍子「ママに作ってもらうクレープは、何味にするつもりなの?」
木綿季「ボクは…チョコと苺のやつがいいなぁ…姉ちゃんは?」
藍子「わたしは、キャラメル味が食べたいかな」
少しお腹のすき始めたボク達は、クレープの話題で大盛り上がりしながら、自転車を押していく。そして、家まであと数十メートルという所になって、さぁそろそろ自転車に乗ろうか、とボクは姉ちゃんと一緒に自転車に跨ろうとする。
しかしその時、何処からか、誰かの叫び声が聞こえてきたのだ。
「────キッ!」
木綿季「…?」
藍子「何か聞こえたわね」
「────ウキッ!!」
ボク達の耳が何かの音を拾って、それが何処から来るものなのか探っていると、再び謎の声が聞こえてきた。しかしそれは、ボクには聞き覚えのある声である。
段々と近づいて来る声の方向からして、恐らく左の脇道…ボクが急いでそちらへ顔を向けると、背中に大きな剣を背負い、深碧色のコートを身に纏った、明らかにこの世界の人間とは思えない姿をした男の子が近づいてきた。
でも、それはボクが愛してやまない人だ。その姿を目にしたボクは、自然と大声でその叫びに答えていた。
木綿季「…アルファ…アルファッ!!」
アルファ「ユウキッ!やっと見つけたぞ!」
木綿季「……アルファ…ボクが分かるんだよね?ボクの知ってるアルファなんだよね…?」
姉ちゃんにしては珍しく、ポカーンとボク達の様子を眺めていることに驚かされつつも、ボクは今目の前にいるアルファが、果たしてボクの大好きなアルファなのかを確かめたくて、ついつい質問攻めしてしまった。
ただ、ボクのことが好きなアルファなんだよね?とは、流石に姉ちゃんの前で言うのは恥ずかしくて、それは口にしなかった。でも、さっきのアルファとは違って、今のアルファはボクの瞳を見つめて、ボクの名前を呼んでくれる。それだけで十分だった。
しかし彼は、ボクの質問に答えている余裕など無いような、切羽詰まった真剣な表情でボクに話し掛けてくる。
アルファ「ユウキ、いいか?早く戻ってこないと大変なことに────なァッ!?」
彼はボクに何かを伝えようとしていた。しかしそれは、突然彼の足元に現れた、大きな空洞に彼自身が呑み込まれていく結果に終わり、ボクは、彼が何を伝えようとしていたのかが、分からなかった。
……いや、分かっていた。きっと、最初から分かっていたのだ。だけど、ボクがこの美しくも希望に溢れた世界を手放したくなくて、ほんの少しの間だけでも姉ちゃんやママ、パパと一緒に時を過ごして、在り来たりな幸せを甘受したいがために、ずっと、残酷ともいえる現実から目を背けていただけなのだ。
ボクの隣に立つ姉ちゃんは、その大穴を眺めながら、ボクに語り掛けてくる。
藍子「これ、相当深い穴ね。ユウは、この先には一体何が広がってると思う?」
木綿季「……」
藍子「わたしはね、この先には、真っ暗な未来が広がってるかもしれないし、もしかしたら、ここよりももっと輝いている毎日が広がってるのかもしれない、そんな気がするわ」
木綿季「……姉ちゃん、ボク……」
その二言までは力強く口に出来たのに、肝心のその先の言葉を口にすることはどうしても出来なくて、それだけの勇気が出なくて、ボクは口を閉ざしてしまった。
すると姉ちゃんは、今日一番の穏やかな微笑みをボクに向けて、再び口を開いた。
藍子「……この世界でわたし達と楽しく過ごすのも良し、アルファ君を追い掛けるのも良し、ユウが、好きな方を選ぶといいのよ」
木綿季「……ぼ、ボクは…」
この期に及んで言い淀むボクに、現実世界で一緒に過ごしてきた十四年の間に、いつだって姉ちゃんがしてくれたように、その先の言葉を告げることを躊躇うボクを後押しするように、姉ちゃんはボクの心のうちを的確に言い当ててくる。
藍子「……ユウ。ユウは、アルファ君に、自分の生きる意味を見出せたんじゃないの?まだ生きていたいと、そう望めるようになったんじゃないの?ユウがずっと、探し求めていたその答えを…。…アルファ君は、もうユウにとって無くてはならないヒト…それは、わたしやパパ、ママと同じぐらいに…」
木綿季「……だ、だけど…ボクは…もっと…ずっとっ、姉ちゃんと…ママとパパと一緒に過ごしていたいよぉ…ボクの前から居なくならないでぇ…」
…分かってる。こんなこと言ったって、どうしようもないことぐらい。
だけど、ボクの中でアルファが家族と同じぐらい大切な存在へと昇華したように、ボクにとって姉ちゃん、パパ、ママはいつまでも一緒に過ごしていたい大切な人で、だからどうしても、この夢の世界を手放したくなかったのだ。
今日何度目かの涙腺が強く刺激される感覚を味わいながら、ボクは泣き声で姉ちゃんに、わがままを伝える。すると、いつの間にか姉ちゃんだけでなく、ママやパパまでボクの前に集っており、やはりこの世界は胡蝶の夢でしかないのだと、それを更に実感させられた。
三人はボクの身体を包むように抱き締めてくれて、ボクは更に大泣きしてしまう。
藍子「…もう、ユウはどれだけ強くなっても、相変わらず泣き虫だなぁ。最後の瞬間は、泣き顔じゃなくて笑顔でいないと」
木綿季「……ボク゛、全然強くなんか、無いよぉ…ずっと、ずっと弱いままなのにぃ…」
藍子「ううん、ユウはもう十分強くなったわよ。姉ちゃんが守ってあげなくても、一人で歩いて行けるぐらいに…だって、そうじゃなきゃ、この世界から脱出しようなんて思わないもの」
パパ「……木綿季…あの男の子はいい子だ。なんせ、夢の中にやって来てまで、木綿季のことを救い出そうとしてくれるんだからな。あの子なら、パパも安心出来る」
ママ「木綿季…ママ達はもう、貴方に祈りを捧げることしかできないわ。…だけど、貴方は十分に強く、優しく成長したの。だから、これからどんな困難があっても、きっと木綿季なら乗り越えられるわよ」
木綿季「やだぁ…やだよぉ…そんなこと言わないでぇ…ボク、もうみんなとお別れしたくないよぉ…」
…何となく、感じ取った。今目の前にいる姉ちゃん、ママ、パパは、ボクの想像の産物なんかじゃなくて、紛れもない本人なのだということを。そして、再び三人と会話が出来るのは、それはもうボクの命が燃え尽きたその時だけなのだと。
だからこそボクは、三人の抱擁に強く答えて、大声を上げながら、まだ一緒に居てほしいと、そう強く懇願した。
そんな中で、ママがふとボクに渡してくれたものは、手製のクレープが二つ。それを受け取ったボクは、何故か使用できてしまったアイテムストレージに仕舞いこむ。
…もう、終わりの時間が来ているのだ。だから、せめて最後だけは…そう思ったのに、やっぱり涙は止まらなくて、笑顔なんて浮かべられない。消えゆく三人の身体を涙で滲む視界で眺めていると、最期の最後で、姉ちゃんの囁きが聞こえてきた。
藍子「……大丈夫だよ。わたし達は、ユウの心の中で生きているから、ずっとユウと一緒に生きているから、何処かに消えたりなんてしないんだよ。だから、頑張って生きてね…」
木綿季「…うん…頑張る…ボク、頑張って生き抜くからっ!…だから、見守っていてね…」
三人がその姿を消し、ボクの心の中に戻っていくのを、最後まで見送ってから、一人確かな決意を呟き、ボクは先の見えない大穴へと、勢い良く飛び込んだ。
────────────────
アルファ「いでっ…!」
街中駆け巡って、なんとか運だけの力だけでユウキを見つけられたかと思ったら、他人の夢に干渉し過ぎたのが良くなかったのか、いきなり出現した大穴に落ちる羽目になり、こうして再び現実世界へと身を投げ出されてしまった。
ユウキの体力が減っているのを確認し、回復結晶を使用しておく。…さて、彼女は戻って来るだろうか。最早俺には祈ることしか出来ない。
そんな俺の祈りが届いたのか否か、彼女の身体を拘束していた蔓が消滅し、彼女はその身体を宙に舞わせた。反射的に彼女の身体をお姫様抱っこするように受け止めると、遂に、彼女がゆっくりと瞼を開いたのだ。俺を認識するや否や、途轍もなく綺麗な笑顔を浮かべてきたユウキに対して、俺は呆れを含んだ微笑を返す。
アルファ「……まったく、ユウキの割には寝坊が過ぎるぜ」
ユウキ「…ごめんごめん…あんまり心地良い眠りでつい、ね」
ゆっくりとユウキを地面に下ろし、俺はボスに対して剣を斬り付けた。やはり、俺の想定通りボスの不死状態は解除されており、ボスの体力を残り四割にまで減少させることに成功する。続くユウキの一撃、更に俺の、またユウキの──と二人で剣の応酬を繰り返していると、すぐにボスの体力は尽きてしまった。
ちゃっちいリザルト画面が表示され、ダンジョンボスを撃破したことを知らせるメッセージと、これから一時間はダンジョン内でのモンスター出現率が大幅に低下する、という二枚目のメッセージも届けられた。
ボスを撃破し終えた俺達は、一応最後の大部屋に残されていた宝箱を確認しに行ったのだが、まさかの中身は空っぽで、その点では何の収穫もなく館を後にすることになった。
俺達が館を出ると、館全体が大量のポリゴン片に変化してしまい、もう二度と、このダンジョンは出現しないのだろうことを感じ取る。
取り残されたロープを伝ってもう一度迷宮区まで戻った俺達は、そこで仕方なしに転移結晶を使用し、街へと戻って来た。適当な店で晩御飯を済ませてからギルドホームへと戻ってきた俺達は、風呂に入る前に、一旦ソファに飛び込んで、一息つく。
アルファ「…転移結晶に浄化結晶、解毒結晶はプラマイゼロ、回復結晶に関しましては、大損害でございます」
ユウキ「え?どうして?」
アルファ「眠っている間は、徐々に体力が削れていく、っていう仕様だったから」
ユウキ「…ごめんね?」
アルファ「…いや、いいんだ。それ以上に、あそこで手に入ったものには価値があるだろうからな」
ユウキ「そうだね…」
きっと、ユウキは現実世界に戻って来たという一時の夢を見れただろうし、俺はオウガとサツキに大切なことを教えてもらえた。あの館での経験は、それぞれの心の負担の解消に繋がったのだろう。
…そう言えば、ユウキの夢の世界に干渉して、ユウキが大阪とか東京とか、政令指定都市みたいな大都会に住む女の子で、ユウキによく似た姉がいることを、俺は故意なく知ってしまったわけだ。
しかし、この世界ではリアルの話をするのは厳禁である。これは、心の中に仕舞っておくべきことだろう…なんてことを思いながら、さて、そろそろジャンケンでもするか、と俺は思ったのだが、その直前に、ユウキがアイテムストレージから取り出したスイーツを差し出された。
ユウキ「はい、クレープあげる」
アルファ「…いつの間に買ったんだ?…いや、作ったのか?」
ユウキ「…まぁ、ダンジョンボスのドロップ品みたいなものだよ」
ユウキにそう言われて何となく納得してしまった俺は、キャラメルソースがたっぷりとかけられた重厚なクレープにかぶり付いた。
中に入っているバナナやバニラアイスなどのスイーツと甘すぎないキャラメルソースが見事にマッチしているわけだが、それ以上に美味しいと思えるのは、良く焼き上げられたモチモチのクレープ生地だ。正直言って、これは俺が今まで食べてきたクレープの中でも一番の美味しさを誇っていると言っても過言ではない。
アルファ「このクレープ、めっちゃ美味いな!」
ユウキ「当たり前だよ!…だって、このクレープには愛情がたっぷり詰まってるんだからね…」
そう答えたユウキが、そのクレープを本当に美味しそうに、そしてとても大切そうに食べているのを見て、このクレープは、ユウキにとっては凄く大事なものだったのだろう、と何となく思わされる。
それだけでなく、嬉しさや悲しさ、儚さや懐かしさなどの、あらゆる感情を孕んだユウキのその表情は、俺の人生経験では表現できないものであった。
アルファ「……ダンジョン攻略に行って、正解だったな」
ユウキ「……うん!色んなことが見つけられて、ホントに良かったよ!」
ユウキにいつも以上の笑顔を向けられた俺は、応えるように満面の笑みで笑い返したのだった。
次回の投稿日は、十二月九日の木曜日となります。
では、また第91話でお会いしましょう!