第98話 交錯する思惑
あの世界以来の旧友に電子メールを送信すると、一分と経たないうちに、返信のメール…ではなく、電話が一本飛んできた。
「もしも──」
「おい、この写真はなんだ!!」
「…あのなあキリト、せめて名前くらい言え」
「そんな余裕ない!早く教えろ!」
「……ちょっと長い話なんだ。店に来られるか?」
「すぐ行く。今行く」
「おう。了解だ──って、アイツもう切りやがったのか…」
男は喫茶店のカウンターで、グラスを丁寧に拭きながら、独りそう呟いた。あの切羽詰まった様子だと、最速でここまでやってきそうだ。アイツなら…コーヒーを頼むだろう。先に豆を挽いておいてやるか…。男はコーヒーミルを取り出し、上等な珈琲豆を用意し始めた。
……ソード・アート・オンライン…通称<SAO>の世界に閉じ込められた一万人のプレイヤーは、昨年の十一月七日…約二年の年を経て、現実世界へと帰還を果たした。
結局、生存者は六千人程で、この事件に巻き込まれた者の死亡率は約四割と、癌による平均死亡率よりも若干高い結果に終わった。男はなんとか死神の手を搔い潜り、見事六割の生存率を勝ち取ったのだ。
二年ぶりに現実世界で覚醒した身体は、それ以前の自分とはまるで別人であった。鍛え上げた筋肉は削ぎ落されており、身体は病的なまでにやせ細っていた。髭は無精に伸び散らかしており、黒光りしていた肌も、病的な白さに変化することは無くとも、元気が無かった。
しかし、己の中に流れるアフリカンアメリカンの血のお陰なのか、男は僅か一カ月程度で、過度なパフォーマンスさえしなければ、普通に生活できる程度には健康状態を回復したのだ。そういう訳で、男はSAOに囚われる以前、齢二十五にして住み慣れた御徒町に<Dicye Cafe>という喫茶店兼バーを創業していた為、その日から仕事に戻っていった。
SAOに囚われた時点で、最早この店のことは諦めていたのだが…なんと、男の妻が細腕でのれんを守り切ってくれていたのだ。……SAOで生活しているうちに、お店だけでなく、妻までもがオレを見捨てているのではないかと、そんなことを心の何処かで考えていた当時のオレをぶん殴ってやりたい。二年も待ち続けてくれていたなど、オレには勿体なすぎるお嫁さんなのだろう。
先程連絡を取っていたアイツは、SAO内でも特に仲良くしていた少年だ。アイツとは、他の連中とは一足早く一月の初め頃に再会していた。その時に交換しておいたメールアドレスを利用して、あるゲームのスクリーンショットを送り付けると、それに慌てて飛びついてきたわけだ。
…まぁ、そりゃあ当然だろう。何故ならば、あの写真には、彼の恋人によく似た人物が映っていたのだから。……しかし、アイツを見ていると…どうしても、アイツと同じぐらいの年齢であろう二人の少年少女を思い出してしまう。そしてその度に、男の胸は軋むような痛みを伴うのだ。
SAOがクリアされたのは、はじまりの日に茅場晶彦が告げたように、第百層の頂を極めたが故ではない。…それは、二人の少年少女が命を燃やして、茅場晶彦との賭けに勝ったからなのだ。
……男は、今でも思う。オレを含む六千人余りのプレイヤーの命を救い出すために、あの二人が死ぬ必要はあったのだろうか、と。あの二人が死んでしまうぐらいならば、いっそのこと第百層まで闘い続けた方が良かったのではないだろうか、と…それならば、二人が死ぬことは無かったのではないだろうか、と。
…だが、死者は戻らない。故にオレに出来ることは、最早今は亡き二人に感謝を捧げることだけなのだ。……その内、勇気を振り絞って、二人の住所やらお墓の場所を総務省の役人から聞き出す必要があるのだろう…。
そんなことを考えていると、カラン、と鈴の鳴る音がして、まだまだ寒い外の冷気が、店内に入り込んできた。男の視界には、あの世界と何も変わらない黒色の服に身を纏った少年が居る。それを見た男は、少年に対してニヤリと笑い掛けた。
エギル「よぉ、早かったな」
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──深い、深い闇に囚われていた。それを闇だと認識したのは、何時ごろからだろうか。この闇が俺を覆い尽くして…いや、俺自身までもがこの闇と一体化し、悠久の時が流れたように感じる。
…最期に、君と言葉を交わしたのは…?つい一分前の出来事のような気もすれば、何千年も昔の出来事のような気さえする。もう、隣に君は居ない。これが、地獄というものなのだろうか。
…なるほど、四人…いや、五人の人間を殺した俺が行き着く先は、地獄でしかなかったのだろう。俺は、晦冥の中で、声も出せないままに嗤う。……この思考だって、もう何度も繰り返してきた。
……偶には、別のことも考えないとな。…みんなは、幸せに日々を過ごしているのだろうか。もしそうであるのならば、俺が地獄に来た意味も、少しはあったのかもしれない。
………あぁ、やっぱり、彼女の声が聞きた──
ふと、黒闇だけが支配していた奈落の底に、一筋の光が見えた。そしてその光が、闇に溶けた筈の俺の魂を掬い取り──
──それは、白い世界だった。辺り一面真っ白の空間で、遠近感覚が上手く掴めない……視覚が、機能している…?次いで感じたのは、地に足を付ける触覚…聴覚と嗅覚、味覚が上手く機能していないのは、文字通りここにはそれらを刺激するものが無いからかもしれない。
不意に、俺は自分の身体を眺めた。そして気が付く。俺が身に纏っている衣装は、長きに渡って共に戦場を歩き続けた、あのコートではない。まさに、白装束と呼ぶに相応しい代物だ。
……もしや、今まで俺が居たあの深淵は、ただの待機所みたいなもので、これから俺に審判が下されるのだろうか。そんな俺の疑問に答えるように、前方から、声が響いた。
「──初めまして。プレイヤーNo6963…」
…なんだ?その表現は…?あぁ、そう言えば、現実世界が仮想世界である確率は、ほぼ百パーセントだったな。つまりは、俺が現実だと認識し、生き抜いてきた世界は仮想世界であって、俺はその世界で死という名のゲームオーバーを果たしてしまったが故に、真の意味での現実世界へと戻ってきたのだろう。
……いや、もしかしたら、その世界でさえ、マトリョーシカのようにまた仮想世界なのかもしれない、か…。そんな俺の想像を粉々に打ち砕いたのは、目の前にいる女神の次なる言葉である。
「…プレイヤーネーム…アルファ…で、あってるかな?」
……どういうことだ?俺は確かに死んだ。ならば、ここで呼ばれるべき名はそっちではなく、あっちなのでは…?しばらく絶句し続けていた俺だったが、やがて、一つの仮説に辿り着き、恐る恐る、それを目の前の女神…いや、女性に訊ねた。
アルファ「………俺は……死んでいないのか……?」
「ええ、貴方はまだ生きているわよ。彼は、ゲームクリアの報酬だと、そう言っていたわ」
アルファ「……そう…か…」
怪奇な話ではあるが、俺に、生を繋ぎ止めたことに関する喜びは、一切なかった。寧ろ、あるのは絶望だけだ。
……だって、例え俺が今後生き続けようとも、俺の生きる意味となった彼女はもう、死んでしまったのだか──
その時、俺は彼の言葉を一言一句たがえず、思い出した。…彼は…茅場晶彦は確かに「ゲームクリアおめでとう、アルファ君、ユウキ君」とそう言ったはずだ。ならば、彼女は…ユウキはまだ、生きている…!?
アルファ「なぁ!?ユウキは!?ユウキは生きているのか!?」
「ちょ、ちょっと、落ち着きなさいっ!!」
その可能性に行き着いた瞬間、俺は目の前の女性が纏う白衣を乱暴に掴み、大声でそれを訊ねた。対する女性は、勿論驚きを示し、冷静さを取り戻すよう俺に要求する。
…確かに、こんなことをしても、彼女の安否が確かめられる訳ではない。そう結論付けた俺は、彼女から一歩後ろに引いて、謝罪の言葉を告げた。
アルファ「…悪かった」
「えぇ、分かったならいいわ…因みに、ユウキって、誰かのプレイヤーネームなの?」
アルファ「あ、あぁ…Yuukiだ…」
不意にそう訊ねられて、俺はスペルを彼女に伝えると、彼女は空中に出現させたキーボードを叩き、表情を険しくする。
「少し調べてみるわ……あの世界には、同じプレイヤーネームの人が三人居たみたいね。…その内の二人は、死亡しているわ。…ねぇ、何か個人を特定できる事柄は無いの?」
アルファ「……無い…いや、<月光>スキル…ユウキは、十一個目のユニークスキルを保持していた…」
俺が追加でそれを伝えると、彼女は再びキーボードを叩いた。
…そして彼女は、俺の方へと顔を向ける。身体中に、緊張が走る。…もし、俺の愛するユウキが死亡してしまっていたら、僅かな希望に縋り付き、それすらも崩壊し、今度こそ俺は、立ち上がれなくなるだろう。……頼む……ユウキ……。
「──生きて、いるわよ。月光スキルを保持したユウキ、というプレイヤーは、生きているわ」
アルファ「……ハハッ…良かった…本当に、良かった…」
久しぶりに、口から笑い声が漏れた。俺はその言葉に、大いに安堵し、魂が口から抜け出しそうになったが、何とかそれを堪え、しかしヘナヘナとその場に座り込んだ。
そんな俺の様子を穏やかな表情で眺めていた彼女は、しかしその表情を引き締めた。
「……確かに、彼女は生きているけど…これは手放しでは喜べない状況ね…それはもちろん貴方もなんだけど…」
アルファ「…どういうことだ?」
「…そうね。何処から話せばいいかしら……まず貴方が、ヒースクリフを打ち破り、ゲームクリアを成し遂げたことまでは分かる?」
アルファ「あぁ…」
「彼は約束通り、生き残った六千四十七人のプレイヤーを、現実世界へと還した……筈だった。でも、その内の約三百人のプレイヤーは、未だに仮想世界に幽閉されたまま…」
アルファ「…何故?」
「私もその理由を解明するために、多くの時間を費やしたわ。……そして、遂にその元凶に辿り着いたの。三百人ものプレイヤーは現在、<アルヴヘイム・オンライン>…通称、ALOの世界の中に閉じ込められていて、彼らが眠るその場所は、世界樹から至れる運営側のラボラトリー…」
アルファ「…待ってくれ。状況が、余り把握出来ない…。まず、一つ目の質問。俺は今、そのALOって仮想世界に閉じ込められてるってことか?」
「…厳密には、違うわ。確かに貴方の意識は、未だに仮想世界を彷徨っていて、現実世界には帰還できていない。順を追って説明すると…まず、貴方を含む三百人のプレイヤーは、ゲームクリアと同時に、ALOの世界へと攫われそうになったの、そこを私が何とか阻止しようとしたんだけど、結局、貴方しか救い出せなかった。わたし達が今いるこの空間は、ALOの世界のデータを流用したインスタントマップみたいなものよ。だから貴方には、このままだと仮想世界から脱出する術が無いの。試しに左手を振ってみて、貴方のウインドウにはログアウトボタンが存在しないはずよ」
彼女の言葉に従って、俺は左手を振ってみる。すると、SAOそっくりのメニューウインドウが出現したのだが、どの項目を見て見ても、確かにログアウトボタンは無かった。
アルファ「…二つ目の質問、そのALOって世界に三百人のプレイヤーが閉じ込められてるって分かったんなら、なんで警察とかに連絡しないんだ?俺と会話している内にも、警察とか政府に動いてもらえば、その問題も解決出来るだろ?それとも、もう警察には連絡してて、今はそのアディショナルタイムってことか?」
「……残念だけど、その三百人のプレイヤーがALOの世界に幽閉されているという、確かな証拠が無いの…」
アルファ「だったらアンタはどうして、ALOの世界に幽閉されてるSAOプレイヤーが居るって気が付けたんだ?アンタさっき「元凶に辿り着いた」って言ったよな。その時に証拠の一つや二つ見つけられたんじゃねぇの?アンタの発言、矛盾してるぜ?」
俺が目の前に居る女性の言葉の矛盾に気が付き、一気に不信感を高め、それを指摘すると、彼女は一気にバツの悪そうな顔をしながら、しかしハッキリと、俺に伝えた。
「……それは…その事実を教えてくれたのが、茅場晶彦──私の、元恋人だからよ」
アルファ「は!?」
彼女の言葉に、俺は思わず頓狂な声を上げてしまったが、矢継ぎ早に俺はもう一つ訊ねる。
アルファ「いや、茅場晶彦はもう死んだんじゃ…」
「……確かに、あの人はもう死んだわ。ゲームクリアと同時に、これまで散って行った四千人ものプレイヤーと同じように、自分の脳を焼き切った…」
「彼は死ぬ瞬間、フルダイブシステムを改造したマシンで己の脳に超高出力のスキャニングを行い、脳を焼き切って死んだの。……スキャニングが成功する確率は、千分の一以下…でも、恐らくあの人はその賭けに勝った…つまり、電子の存在となった彼が、その事実を知らせてくれたの…あれは、そうとしか思えない…」
…スキャニング?電子の存在になる?……分からん。義務教育さえ修了していない俺の頭では、到底理解不能だ。
「……ごめんなさいね。ちょっと難しい話だったわ…。兎に角、仮想世界に旅立った筈の茅場晶彦が、私にその事実を教えてくれて…でも、それはただの電子情報による文字の羅列でしかなく、証拠でも何でもないわけだから、警察や政府が動くだけの材料にならない…。唯一の証拠が、この空間に居る貴方なのだけれど…残念ながら、貴方がここにいることを真実性を以て、物的に証明する方法が、無いの。…これで、ひとまずは信じてもらえる?」
アルファ「……あ、あぁ…」
「……そう言えば、まだ自己紹介が済んでいなかったわね。私の名前は、神代凛子。私は…茅場晶彦──彼の潜伏していた山荘を、彼を殺すつもりで訪れた。だけど、愛する彼を殺すことはどうしても出来なかった。そのせいで、多くの若者の命と、貴方達の掛け替えのない時間を奪いました。私と彼のしたことは、到底許されるべきことではない。謝って済むことでもないことは重々承知しておりますが…本当に、申し訳ございませんでした」
突然の彼女の独白に、俺は何も言えなかった。一瞬訪れた静寂、しかし、彼女は乞い願うように、言葉を続ける。
神代凛子「……ただ、どうしても私は、彼が貴方に約束したように、六千四十七人のプレイヤー全員を現実世界へと帰還させたいのです。……それが、彼が誰かと交わした最期の約束ですから…。お願いします。どうか、私に力を貸してください…」
アルファ「…えっと…そんなに頭下げないでくれよ…俺は…茅場晶彦に憎しみの感情が無いわけではないけど、同時にあの世界でかけがえのない時を過ごせたから…なりふり構わずアンタにまで怒り散らかす気にもなれないし…兎に角…俺は何を手伝えばいいんだ?」
俺は彼女に、自分の心に思うがままの気持ちを伝えた。
……オウガやサツキが死んでしまったのは、俺のせいでもあると同時に、茅場晶彦が作り出した世界のせいでもあることは分かっている。しかしそれ故に俺が、茅場晶彦に純度百パーセントの怒りを抱いているかと言ったらそういう訳じゃないだろうし。
あの世界でしか経験できなかった濃密な日々がそこにはあったのだから、その中で俺はユウキに出会えたのだから、そういう意味では感謝さえしてるし…つまりは、俺の心も一枚岩じゃなくて、だからこそ、彼女の真摯な想いが俺の胸を突いた。
……それにもし、俺が彼女と同じ立場だったら、きっと、愛する人を殺すことなど、出来なかったのだから。
神代凛子「……ありがとう、ございます…」
俺がたどたどしくそう答えると、彼女は目を丸くしてこちらを眺めた後、再び深く頭を下げ、俺に感謝を申し上げた。
神代凛子「じゃあ早速、本題に入らせてもらうわ。貴方に協力して欲しいことは、ALOの世界に侵入し、世界樹の内部にあるラボラトリーで、三百人のプレイヤーが幽閉されている事実を確定出来るだけの証拠を収集することなの」
アルファ「要するに、スパイ活動ってことか?あ、あと、貴方、じゃなくて名前呼びで頼む。代名詞呼びはこそばゆいから」
神代凛子「そうね。さっきも言ったけど…アルファ君が今いるこの空間は、ALOの世界のインスタントマップだから、今すぐにでも向こうの世界と繋げることが出来るわ。だけど、私は外部のネットワークから、一時的に切り離されたこの空間に接続しているから、そちらには干渉出来ないの。…ただ、一つだけ、そっちの世界に干渉する術を見つけたのよ」
そこで言葉を区切ると、彼女は得意げな表情で、白衣のポケットから謎のキーカードを取り出した。そしてそれを俺に手渡すと、再び説明を再開する。
神代凛子「それは、ALOの世界に干渉するためのウイルスデータが内蔵されているものよ。世界樹から運営側のラボラトリーに侵入する際に、それを使ってちょうだい。そこからは私も部分的にそっちに干渉出来るから…。この二か月間を費やしてようやく作り上げたんだけど……ALOのサーバーがSAOのサーバーの複製で本当に助かったわ。もしガーディナル・システムが旧式の物じゃなかったら、こうも上手くはいかなかっただろうし……」
アルファ「──え……?」
彼女の発言は、俺に震天動地の衝撃を与えるには充分だった。それどころか、余りに過剰過ぎた。ALOの世界は、SAOの焼き直し…?そんな世界に干渉出来るウイルスが今俺の手元にある……?
いや、そんなことは、どうでもいい。もっと重要な問題が、彼女の言葉の中には隠れていたのだから。
アルファ「いや、ちょ、ちょっと待ってくれ。アンタ今、二カ月掛かった、って言ったよな?え?俺がゲームクリアしたのって、確か十一月七日だったよな…?ん?今何月なんだ?」
神代凛子「あ~……今は、西暦二〇二五年の一月二十日ね……」
アルファ「……ま、マジか…」
神代凛子「……アルファ君ったら、せっかく私が助け出したのに、二カ月も眠り続けたままだったのよ?私にはどうしようもなかったし、この計画も頓挫することになるかと思ってたんだけど……今日、ここを訪れたら、偶々アルファ君が覚醒したのよ…」
アルファ「……げ、現代版浦島太郎だな…」
神代凛子「そんなことを言ってられるなんて、随分と余裕なのね。流石はヒースクリフを打ち破った勇者ってとこなのかな」
アルファ「やめろやめろ。……それで、世界樹ってのは、こっからどっちに歩いて行けば良いんだ?」
神代凛子「この二カ月の間で、私もALOについて色々と調べたのよ。それを分かりやすく纏めた本を用意したから、これに頼りなさい」
ちょっとした軽口の後に、彼女の白衣に縫われたもう一方のポケットから飛び出してきたものは、数ページ程の書物だ。
……何故だろうか。これを眺めていると、なんだか懐かしい気持ちになって来る。……あぁ、そうか。これ、おひげのマークさえあれば、アルゴの攻略本そっくりだからか…。「またな」って言い合ってから随分と時が経過しちゃったけど、またアルゴに会える日も来るのかな……。
そんな感傷に浸りながら、俺はその本を熟読し始めた。
…通称ALO。それは、剣と魔法の世界らしい。舞台は妖精の国。<種族>というものがあるらしく、プレイヤーは九つの種族のいずれかを選択して、この世界を生きていると…。剣はともかく、魔法というのは俺にとっては未知の存在だ。
俺の目指すべき世界樹は、舞台となる大陸の中心にあるらしく、まずはそのお膝元にある<央都アルン>に向かう必要があるようだ。そして、そこに至るまでには、世界樹を取り囲む巨大な山岳を超える必要があるのと、更にその山岳の外側に、九種族の領地なるものが存在する…と。
世界の概要はこの辺で終わりか。ゲーム内容はスキル制で、レベルは存在しない。各種スキル熟練度による微細な強化のみ、ヒットポイントは然程上昇せず、全てがプレイヤーの運動能力依存……PK推奨のゲーム………なにッ!?そこで俺は、ある意味では一番大切なことを、神代凛子に訊ねた。
アルファ「おいアンタ!俺が向こうの世界で死んだら、まさか現実世界でもゲームオーバーなんじゃねぇだろうな!?」
神代凛子「大丈夫よ。一度この空間をALOに接続すれば、アルファ君もALOの1プレイヤーとしてカウントされ、そこでヒットポイントがゼロになったとしても、現実世界で死ぬことは無く、ALOの世界で復活できるわよ……理論上は」
アルファ「最後の一言がやけに不安感を煽ってくれるな。……ということは、俺が今から行くALOの世界は、俺にとっては何回死んでもいいSAOってことだろ?最高じゃねぇか」
神代凛子「……まぁ、そういう捉え方も出来るけど、アルファ君も現実世界の身体のタイムリミットは考えないとダメよ?貴方達はずっと眠ったままなんだから、日に日に身体は衰弱死へと向かっているわけだからね。それと、アンタって辞めて」
アルファ「……確かに、それもあるのか……じゃあ、神代さんでいいか?」
神代凛子「結構」
次は九種族の得手不得手…そして、ALOの目玉でもあるらしい、飛行…か。これで神代さんの攻略本はおしまい。少なくとも、最低限の情報は集まっていると見た。世界樹への行き方が分かっただけ、充分だろう。
一応、この本もALOの世界へ持っていこうと、俺は慣れない手つきで左指を操作し、アイテムストレージを開いたのだが…
アルファ「な、なんだこれ……神代さん、俺のストレージの中身が、文字化けしてるんだけど…」
言葉の通り、俺のアイテムストレージの中は、謎の漢字、数字、アルファベットなどが、言葉の通り激しく文字化けした数十もの羅列で溢れ返っていた。
神代凛子「恐らく、ALOの世界はSAOのコピーだから、アルファ君のSAOでのデータがそのままこっちに引き継がれたようね」
アルファ「だったら…」
そう思い、俺はスキルスロットを覗いてみた。するとそこには、かつて俺がSAOの世界で培ってきた力が、今の俺を支えるように、この妖精の世界にもやって来ていた。
両手剣、刀、ランス、体術、索敵、隠密行動、片手剣、投剣…等々、全てが引き継がれた訳ではないらしいが、少なくとも半分以上は、形を変えつつも、俺の元へと舞い戻って来てくれたらしい。残念ながら、俺が一番お世話になったと言っても過言ではない、瞑想スキルは消えてしまっていた。
なので俺はこの場で、消えてしまった幾つかのスキルや武器防具に、ありがとうを伝えておく。黙祷を終えた俺は、彼女の方へ顔を向けた。
アルファ「…神代さん、俺、そろそろ世界樹に向けて出発したいんだけど」
神代凛子「解ったわ。ちょっと待ってて」
アルファ「…あ、そう言えば、俺、最初どこら辺からスタートするんだ?」
俺が付け加えるようにそれを訊ねると、暫くの間は俺に何も言わなかったか神代さんだったが、彼女は頻りにキーボードを操作しながら、不意にこちらを見やると、てへぺろ、と笑い掛けてきた。
神代凛子「…ごめんね。ランダム転移になりそうかな?」
アルファ「嘘だろ!?」
神代凛子「その代わりと言っちゃなんだけど、アルファ君のバグアイテムとこのインスタントマップのデータを利用して、それなりに強い装備に変換するから…あ、あと、多分種族もランダム、アバターは今とそんなに変わらないと思うわ。いきなり身長差が出来て、動き辛いだなんてことにも、ならないはず…」
俺は、彼女が綿密に組み立て挙げてきたであろう計画の最終段階が、意外にも杜撰だったことに驚き、最悪の場合は、フィールドの端っこから歩いて…若しくは羽で飛んで、世界樹へと向かう必要があるだろうことを憂いた。
…だが、強めの装備が貰えるというのならば、まぁプラマイゼロぐらいにはなるだろう。俺がそんなことを思っていると、彼女は不意に真剣な表情で、俺に語り掛けてくる。
神代凛子「……ねぇ「ユウキ」ってプレイヤーは、アルファ君にとって大切な人なのよね?」
アルファ「あぁ…ユウキを助けられるなら、俺の命だって惜しくは無い」
神代凛子「……そう。…彼女は今、三百人のプレイヤーの内の一人として、ALOの世界に閉じ込められているわ。彼女の為にも、出来るだけ早めに、この事件を解決しないとね」
アルファ「……そういうことは最初に言ってくれよな。もう死んでる暇なんて無くなったじゃねぇかよ」
ユウキが今も仮想世界に囚われているのならば、俺も早急に世界樹を攻略する必要が出てきた。
…神代さんの言う通り、俺達の身体に限界が近づいて来ているというのならば、俺もユウキも早急に現実世界へと戻り、健康状態を回復させる必要があるだろう。
さて、準備が出来たのか、彼女はキーボードを叩くのを辞めて、俺の顔を見た。
神代凛子「よしっ、これで準備オーケーよ。次は、世界樹の内部で、ね。それじゃあ、もう転移してもいいかしら?」
アルファ「──いや…待ってくれ。神代さんさっき「茅場晶彦と共犯だ」って言ったよな?だったら、俺が世界樹に辿り着くまでに、警察に捕まったりしないだろうな?そしたら計画が全て泡だぜ?」
神代凛子「……その点に関しては、大丈夫よ。まだあの人と私がいる居場所は見つかっていないし、もし仮に見つかったとしても……あの人は、私が眠っている間に、首にダミーの小型爆弾を付けて……私が共犯にならないように細工していたから……」
儚げにそう答えた彼女を見て、俺は返す言葉に詰まるも、少し間を置いてから、答えた。
アルファ「……茅場晶彦も、愛する神代さんには迷惑を掛けたくなかったんだろうな。…あいつも隅に置けない奴だぜ…」
神代凛子「フフッ…そうかも、知れないわね…。…じゃあ、頼んだわよ。アルファ君」
アルファ「おう、任された」
こうして、俺は次なる仮想世界へと旅立つこととなったのだ。
ということで今回から、ALO編?に突入させていただきます。アルファ君は、仮想世界残留決定でございます。
神代さんを召喚したりと、ちょいと無理矢理ALOの世界に派遣することにしましたが、まぁ、アルファ君にはALOの世界へ行ってもらわないといけないので…仕方なしに。
次回の投稿日は、十二月二十三日の木曜日となります。
では、また第99話でお会いしましょう!