準備が始まって数日の間、創設祭の準備は順調に進んでいた。絢辻の態度も他のやつがいるときは前と変わることはなかった。ただ、しれっと仕事量はやや増えているような気がする。それとは別に、一つ気がかりな事があった。絢辻の仕事量が多すぎるように見える。
絢辻自身が抱えている量もそうだが、何より他の実行委員からの頼まれ事が多い。そして絢辻はそれらを全て引き受けてしまっている。俺も自分の仕事を片付けるのが精一杯で手伝う余裕が無い。
そんな日が続いたある日、問題が起きた。絢辻が体調不良で休んでしまった。朝にその知らせを担任から聞いた後、俺は高橋に職員室へと呼び出されていたのである。
「……というわけで岡崎くん、絢辻さんの家にこれを届けに行くって事でいいわね?」
「いやなんで俺なんだよ」
先生に今日の授業分のプリントを届ける役にされていた。ツッコミどころが多すぎて何から言ったらよいか迷ってしまう。とりあえず、そもそもなぜ俺なのかという所をハッキリとさせる必要があると思い尋ねる異にした。
「他にも絢辻と仲良い奴はいるだろ」
「私が見てる限りだと、最近あなたといる時間が多いじゃない。」
「そりゃ実行委員の仕事の時だけで……」
「女子の家に行けるんだから役得でしょ?」
それは教師として寧ろ止めるべきじゃないだろうか。
その後ゴネにゴネられた結果、俺が行くことになった。最近高橋先生からの扱いがひどいと思うのは気のせいじゃないはずだ。
「確かこっちだったか……。俺の家と真逆じゃねえか、本当に何で俺だったんだよ……」
しばらく歩いて、ようやく絢辻の表札を見つけた。
(プリントを郵便受けに入れて……別に会う必要も無いよな)
あの絢辻の事だ、今会ったところで『これはあたしの問題よ!』と突っぱねられそうだ。そう思って帰ろうとしたとき、絢辻宅の玄関の方で扉が開く音がした。
「あれ?君はどちら様かな?詞ちゃんと同じ高校の制服みたいだけど……」
少し年上で、少しだけ絢辻の面影を感じさせるような黒髪の女性が出てきた。
「ああ、絢辻に授業のプリントを届けに来ただけっすけど」
「そうなんだ!妹のためにわざわざありがとう!」
「は、はぁ」
結構距離を詰めてきて、少し戸惑ってしまう。
「ふーん、中々カッコいい顔立ちだ。詞ちゃんも結構やるなー」
「は、はぁ」
「あっ、ごめんね。いきなり顔覗き込んじゃって」
そう言ってパッと離れた。この人の距離感は、何だかやりづらい。
「私は詞の姉の縁です、よろしくね」
「はあ、岡崎っす」
「それで、君は詞ちゃんのお見舞いに来たの?」
「お見舞いってほどじゃないっす、プリント届けに来ただけなんで」
「せっかく来てくれたんだし、詞ちゃんに会っていきなよ!」
「いや、俺は別に……」
妹の部屋に男を入れるのを姉から薦められてしまった。
「ほらほら、詞ちゃんの部屋に行くから付いてきて!」
俺の意思は全く取り入れられなかった。絢辻姉の勢いのまま家に入ることとなってしまった。
「それで、あたしの部屋まで連れてこられたと」
「ああ」
「はぁ……。全くあの人ったら、ほんとに人の気持ちなんて考えてないんだから」
あの人。身内にしては距離を遠ざけるような呼び方。同じかはわからないが、俺も似たような使い方をしている。
「それで、あんたが手に持ってるそれが例のプリントね?」
「ああ、ほら」
「わざわざありがとね」
「えっ!?」
「な、何よ?」
俺が突然大声を上げてしまったので、絢辻の体が軽くビクッとした。声を出した理由は、絢辻の今の言動にある。
「お前、礼とか言えるんだな」
「あんたあたしを何だと思って……ゴホッゴホッ」
「あんまり興奮すんなよ、悪化するぞ」
「……治ったら覚えておきなさい。あんたの仕事十倍にしてあげるから」
「勘弁してください」
今の仕事量でもいっぱいいっぱいなのに増やされたらパンクしてしまう。
「実行委員のことなら大丈夫よ。体調が戻ったら取り戻すから」
「そうか、ならこれ以上は言わないぞ」
俺は絢辻のプライドの強さを知っている。だから、ここで体調を気遣っても無駄だということを何となく感じた。
「つーか、家ではその喋り方で良いのか?」
「姉さんは特に気にしない人だから」
「そうなのか」
「……あたし、あの人のこと苦手なのよ」
少し表情が暗くなった。
「『うさぎとかめ』の話って知ってるかしら?」
「ああ、童話のやつか?」
「そう、足の速いうさぎと足の遅いかめがレースをするの」
うさぎは皆から期待されて、応援されていた。対してかめは誰にも期待されす、見向きもされていない。そしてかめは、うさぎに勝つことができない。どんなに努力しても届くことは無いのだった。
絢辻の言いたいことは、何となくわかった。今の絢辻は、努力して勝とうとしているかめなんだ。話の流れからして、うさぎは姉なんだろう。
「……それでもあたしは、諦めるわけにはいかないのよ」
悔しそうに窓の外を眺める絢辻に、俺がかけられる言葉は見つからなかった。中学のあの時から努力を止めてしまった俺には、ずっと努力を続けてきた絢辻に言えることなど無い。
「……変な話しちゃって悪かったわね」
「気にすんなよ」
「ここまであたしの話を聞いてくれたの、あんたが初めてよ」
そういうと、絢辻は少し晴れやかな表情をしていた。
「そうなのか。まあ絢辻の新たな一面が見られて良かったって事にしとくわ」
「ふふっ、何よそれ……普通こんな話をする女なんて距離を置くものよ」
「そうか?」
「ねえ、あんた変なやつってよく言われるでしょ」
「まあ言われるな。つーか変なやつなのはお互い様だろ」
「あたしは優等生だからこのくらい許されるわよ」
「すげえ開き直りだな……」
「努力の成果と言いなさい」
互いに遠慮の無い会話。この時間に俺は心地よさを感じていた。
「日も暮れちまったしそろそろ行くな」
「ええ、プリント助かったわ」
俺は立ち上がると、絢辻は体をこちらに向きなおした。
「それじゃあ岡崎君、明日からも頑張りましょうね」
先程までのいたずらな笑みを浮かべながら、口調は丁寧にそう言った。
「ああ」
「それじゃあ、また明日」
こうして俺は絢辻家を出て帰路についた。
絢辻は家族に対する折り合いが上手くついていない。それでも認めてもらうために本当の自分を押し込めてまで頑張っている。俺はどうだろうか。俺も何か頑張るべきなのではないか、という焦りを感じ始めていた。
(すぐには変われない、なんてわかっちゃいるんだけどな)
今は俺のやるべきことをやろう。考えても、今はきっと答えなんて出ないのだ。
次の日の昼休み、久しぶりに春原と屋上でお昼を食べることになった。購買で買ったパンの袋を開けていると、春原が含みを持たせたニヤケ顔で話しかけてきた。
「ところで岡崎、最近絢辻さんとよく一緒にいるみたいじゃん」
「実行委員だからな」
「本当にそれだけ?なーんか距離が近い感じするんだよねー」
「気のせいだろ」
「だって岡崎があの優等生ちゃんと仲良くなるなんて、ラブストーリーみたいじゃない?」
「お前の妄想の話だろ……」
絢辻の本性を知らないやつから見たらそう思うやつがいてもおかしくはない。だが俺にとってはそういう方向にはいかない気がしているのだ。そう思い聞き流そうとしたのだが、次の一言でそうもいかなくなる。
「そう思ってるの、僕だけじゃないよ。校内で結構噂になってるみたいだよ」
「はぁ?」
そういえばこの学校の生徒はやけに恋愛話やそういう噂に興味を持つ生徒が多いんだった。
「あの優等生が同じクラスの不良とつるんでるってね」
「……そうなのか」
「ま、それをあの優等生ちゃんがどう思うかはわかんないけどね」
「ほんとこの学校の連中はそういう話に敏感だよな」
「皆案外暇なんだね!」
「……ところでお前昨日は何してたんだよ」
「ふっ……部屋でナンパの百本ノックさ! いやー良い汗かいちゃったよ!」
学校の連中もお前にだけは言われたく無いと思う。
「絢辻さーん、うちの出し物の事なんだけど」
「はい、そちらの手配は済んでいますよ。こちらに……」
放課後、実行委員が集まって作業をしている。しかし、正直なところ周りで何がやりとりされているのかさっぱりわからない。それを絢辻が見事に仕切っている。
俺は絢辻から振られている書類の整理中だ。クラス別、出し物の種類、必要な備品の分類分け等本当に様々だ。あまり見続けていると目が回りそうになる。
「ほんとにお兄ちゃんが仕事してる……」
よく知っている声が聞こえてきて顔を上げる。そこには目を丸くした美也と少しおどおどした子が立っていた。
「今まで信じて無かったのかよ」
「だってあのぐうたらなお兄ちゃんが仕事なんて信じられないって!」
「そうだな、ついでに俺も未だに信じてないぞ」
「いや、自分の事ぐらいは信じようよ……」
妹からの悲しい発言に何も言い返せない俺は、ボケを含んだ自虐で返すしかなかった。
「岡崎君、そちらの方は?」
「ん?ああ、妹と……」
「友達の中田紗江ちゃんです!」
「は、はい……」
絢辻と美也ともう一人が初対面だったので、美也が名乗る。絢辻はお馴染みの外向けの笑顔で対応する。
「妹さんだったんですね。絢辻です、よろしくお願いしますね」
「はいっ!……にぃに、ちょっと」
美也に教室の隅に引っ張られる。絢辻と中田が不思議そうな表情で俺たちを眺めていた。隅にしゃがみこんだところで、ヒソヒソと小声で話し始める。
「ねぇにぃに、もしかして実行委員になったのって、あの絢辻さんって人が目当てなの?」
「はぁ? ……ああ、確かにそう見えるかもな」
確かに絢辻は容姿も良いし愛想も良い……と思う。俺が絢辻とお近づきになりたいから実行委員になったのかと思ったようだ。だが、俺は絢辻の本性を知っている。もし容姿が目当てで近づいていたら俺は気づかぬうちに彼女の奴隷になっていただろう。
「違う、やる羽目になったって前に言っただろ」
「あそっか。まあ、にぃには女の子目当てで動くタイプじゃないもんね」
美也もそれはわかっていた上で、冗談を言っていたようだ。
「つーか、何でここにいるんだよ」
「そりゃあみゃーも実行委員だからね!」
「え?そうだったのか?」
「ありゃ、言ってなかったっけ?」
「初耳だぞ」
「あははー、まあにぃにも頑張ってね!」
「ああ」
美也は友達を連れて自分のクラスに戻っていった。俺も自分の持ち場に戻って作業の続きに取りかかる。
「……妹さんと仲良いのね」
作業に戻って少し経った頃、隣から絢辻が素の声で話しかけてきた。いつのまにか教室内には俺たちだけになっていたようだった。
「まあ、そうなのかもな」
「少し、羨ましいわ」
ため息混じりにそういう絢辻の表情は、差し込む夕日に照らされてどこか哀愁を感じさせた。そういえば、絢辻は姉のことをあまり好きでは無さそうだった。俺と美也が普通に話しているのを見て、ふと自分の事を考えたのだろう。
「……普通の家族だったら、皆仲良くするものなのかしらね」
窓辺を見ながら誰に問いかけるでもなく、そう呟いた。その言い振りからは、自分は違うと再認識しているように感じられる。
「別にそんな決まりは無いだろ」
皆仲良くしている家族が普通だと言うのなら、俺も普通じゃない事になる。しかしそれを知らない絢辻は不服そうに言う。
「でも、あんたは……妹さんと仲良いじゃない」
「美也とは、な」
「?」
「親父とはさ、中学の頃に大喧嘩してそれっきり会ってないんだよ」
「お母さんは?」
「俺が小さい頃に死んじまった。だから顔も覚えてない」
「……そうだったの」
「だからさ、家族だからってずっと仲良くしなきゃいけないってことも無いだろ」
自分がどうしてこうもあっさりとここまで話してしまったのだろう。俺は絢辻に少し似ているところがある、と思ったのかもしれない。家族のつながりに悩まされているように見えていた。
「そう、なのかもね。……ありがと」
別に解決になったわけじゃない。でも、目の前の女の子が悲しんでいるのを少しは落ち着かせられたと思う。
俺は親父と和解する気は無い。もう二度と、修復できないところまで来てしまった。絢辻とその姉の関係は、どうなんだろうか。まだ一度しか会っていないけど、姉の方は関係について気にしてるようには見えない。絢辻が一方的に嫌っている様な感じだった。もしも俺が親父を一方的に突き放しているだけだったとしたら。
(……どうだっていい。あの人はもう、他人なんだ)
考えるのが嫌になり、蓋をした。あの時、親父は俺を突き放したことが全てだったんだ。これ以上考える必要が無いのだと、自分に言い聞かせるように繰り返した。