今日の授業が終わり、今日も今日とて特に用事が無いことを思い出して憂鬱になる。大人しく教室を出てまた適当に時間をつぶすか、と考えているところに棚町が神妙な顔持ちで話しかけてきた。
「ねえ岡崎」
「なんだ?」
「ちょっと相談があるから、後で校舎裏に来て」
「ああ、わかった」
「それじゃあ後でよろしくね」
そう言って棚町は席を立って教室の前の方に歩いていく。棚町は人に相談を持ちかけられる事が多いのだが、相談する側になるのは珍しい。なんて考えていると横でこっそり聞いていた春原がにじり寄ってきた。
「おい岡崎……」
「なんだよ気持ち悪いな」
棚町に背を向けて俺に肩を組んできた。そして小声で俺に詰め寄ってくる。
「お前、今の誘いに乗るのかよ」
「別に暇だからな」
「いやいやいやいやいやいや!」
「止めろ唾を飛ばすな」
物凄い形相で迫ってくるが、理由が全くわからない。鬱陶しいと感じる俺に構わず春原は続けてこう言った。
「今の完全に告白の流れだっただろっ!」
と、小声になっていない小声で言ってきた。クラスの連中がこちらに目を向けてくる。
「はぁ?別にそういうんじゃ無かったと思うが……」
「いーや、僕の眼はごまかせないね!校舎裏に呼び出したお前にこくはグハァッッ!!!」
「ちっっっがーーーう!!!」
捲し立てていた春原の後頭部に飛んできた何か四角い物体の角がめり込んだ。断末魔をあげた春原はそのままノックアウトされてしまう。春原の後頭部にぶつけられたのは、なんと国語辞典だった。投げた当人である棚町は、顔を真っ赤にしながらズカズカと春原に近寄り、白目を剝いている春原の胸倉を掴み上げる。
「だ、だ、だ、誰がこ、こ、告白するなんてふざけた事言ってくれちゃってんのよあんたはーっ!」
「落ち着け棚町、もう春原には聞こえてないぞ」
春原の耳には何も入っていかず、体が痙攣を起こしてピクピクしている。この様子だとしばらく起きることはないだろう。それに気づいた棚町はパッと手を放し、ベチャっと床に落とした。
「流石に辞書投げるのはやり過ぎじゃないか……?」
「し、しょうがないじゃない!近くに投げられそうな物が教壇にあったこれしかなくて……」
「投げられそうな物で探すなよ……、隣の俺に当たってたらどうするんだよ」
「そ、それはごめん……。でも当てる自信はあったからそこは大丈夫」
クラス全員が『そこじゃないだろ』と言いたげな顔をしていたが無視する。それにしても事あるごとに辞書を投げつけられてはたまったものじゃない。俺は何故か普通に暴力を振るわれるよりも強い恐怖を感じていた。俺が覚えていないだけで、国語辞書に嫌な経験でもあったのだろうか。
「ていうか、そいつ大丈夫なの……?」
「まあ、大丈夫だろ」
「そっか。あと岡崎! 全っ然告白とかじゃないから!」
「ああ、わかってるよ」
「……全く勘違いされてないってのも、何かムカつくわ」
「どうすりゃいいんだよ……」
とにかくちゃんと来なさいよね、と念を押して教室を出ていった。その後起きなかった春原を席に突っ伏させた。きっと死ぬ程疲れているのだろう。
待ち合わせた場所は校舎裏、人気が無いために俺も良くサボり場所に使っている。俺が到着すると、先に着いていた二人の人影が居た。呼び出した当人の棚町と、恐らく悩み事を抱えているだろう田中だった。俺が合流すると、まず田中が謝ってきた。
「ごめんね岡崎くん、薫が紛らわしい呼び方して」
「ちょっと恵子! あれは春原のせいじゃないの!」
「冗談だよ、呼んでくれてありがとね」
不服そうにする棚町を田中が宥める。今の空気で告白なんてことは無さそうだ。そもそも棚町が俺に告白なんてないだろうと思っていたので驚くこともない。
「んで、相談だったよな」
「うん、実はね……」
田中は眉を下げて、ぽつぽつと話し始めた。
相談の内容は、端的に言えば恋愛相談だった。田中には今想っている相手がいて、先日ついに想いを伝えたのである。しかし問題なのは、その相手の様子に違和感を感じた事についてだった。
「……勇気を出して告白したのに返事を待たされ、挙句キスまで迫ってきたと」
「うん……そういうこと」
「ほんっとに許せないと思わない!?」
「なんでお前の方が怒ってるんだよ……」
恋愛話に疎い俺にも、確かに身勝手な話だと言う事ぐらいはわかった。正直、その相手からは下心がむき出しになっているような気がする。
「急に迫られちゃったから一度断ったんだけど……。どうしたら良かったのかなって、わからなくなっちゃって……」
「とは言ってもな、俺にはそういう経験が全く無いから何とも言えないな……」
「ああ、あんたにそういうのは期待してないからいいの!」
「はぁ?」
あっさりと戦力外通告をされてしまった。これでは何故俺が呼ばれたのか全く意味が解らない。ガックリと肩を落とす。
「お前な……、それじゃ相談相手を間違えてるだろ」
「あはは……。薫、何か考えてる事があるの?」
「そうよ。これは男であるあんたに、協力してもらいたいの! やってくれるわよね?」
棚町にガッチリと肩を掴まれて、俺が断れないよう目力で圧をかけてくる。これは最早相談ではなく命令だった。俺は仕方なく棚町の考え通りに行動することとしたのである。
「田中、ちょっといいか?」
「あっ、うん。いいよ」
授業終わりの教室、俺は田中にそれだけ言って教室から連れ出す。田中もその後に付いてくる。ここ二、三日、俺と田中はこのやりとりを何度も行っていた。教室にいる何人かが不思議そうにこちらを見てくる。ターゲットである例の男子達もこちらを気にしてコソコソと話し出す。作戦は順調に進んでいた。
「なあ……田中さんが」
「ああ、また岡崎と……」
(うん、狙い通り! どんどん焦ってるわね)
棚町は席から様子を伺う。男子たちがどういう行動に出るか、それによって彼らが田中を任せられる人間であるのかどうかを確かめる事が目的だ。俺たちは作戦の決行前にこんな話をしていたのである。
「俺が田中と近しいふりをして……」
「それに私はそのまま従えばいいんだね?」
「そゆこと!」
棚町の提案してきた作戦は、俺と田中が数日親しく過ごすというものだ。自分に告白をしてきたはずの田中が他の男子と二人きりの時間が増えていたら、流石に何かしら行動に出るだろうと棚町は踏んだのだ。しかもその男子が不良である俺というわけだ。
「そう! 相手はクラスで札付きのワルと噂されるあんた! これは男を見せるしか無くなるわけよ!」
「俺の評判ってそんなに悪いのかよ……」
「あはは……」
告白してきた相手に悪い虫が付きまとっているとしたらいい気はしないだろう。もし彼らが本当に付き合いたいと思っているのであれば、相手が誰であれ動きを見せるはず。
「というか評判で言ったら、中学で核弾頭とまで言われてたお前も人のこと言えないだろ」
「なっ……それは今関係ないじゃない! ていうかそれ何処で聞いたのよ!」
「お前もよく知ってる噂好きの金髪だ」
「あいつ……うちの店出禁にしてやろうかしら」
アルバイトにそんな権限があるのだろうか。ともかく作戦は思ったよりもちゃんとしていると感じたため、俺は了承する。
「わかった、じゃあ何度か教室で声かけるから」
「うん。……薫、ちょっとの間岡崎君を借りるね?」
「べっ、別に私のじゃないから!」
「はいはい」
この二人の間で、どうも俺は道具扱いされているような気がする。そんな不満はどこかにぶつけることもできずにその場は解散となった。
それから作戦を決行し始めて三日が経過し、今に至るというわけだ。今回も同じように田中を連れて教室を出たところで、標的の男子とは違う相手に声をかけられた。
「岡崎君、ちょっといいかしら?」
「ん?ああ、えっと……」
「クラス委員の絢辻です。突然呼び止めて申し訳ないんだけど、ちょっとだけお話させてください」
クラス委員の絢辻だった。恐らく俺たちの行動を見て、何か問題を起こしていないかを気にしたのだろう。普段温和な表情を浮かべている絢辻が、俺に少しだけ怪訝そうな目を向けてきている。
「貴方と田中さんのことなんだけど、あまり良くない噂が立っているの」
「まあ、そうだろうな」
「田中さんも嫌そうにしている訳じゃないみたいだし、何もやましいことは無いように見えるのだけれど……、一応確認しておきたかったんです」
「成程な。えと、どうしたもんかな……」
ここは絢辻にも事情を知ってもらったほうが良さそうだと感じた。元を返せば男子たちが悪いことも真面目な絢辻ならわかってくれると踏んで、ふと田中の表情を伺う。彼女は俺の意図を汲み取ってくれたのか、軽く頷いてくれた。同意したと見て、絢辻に事情を話した。
「なるほど……、そういう狙いだったんですね」
「うん。だから悪いとしたら責任は岡崎君じゃなくて、私にあるの」
「いいえ、聞いた限りでは彼らの方に問題があると思います。貴女は気にしないでください」
「ありがとう、絢辻さん」
「んじゃ、行くか」
「うん」
少し不安はあったが、クラス委員が味方になってくれた。これで更に動きやすくなるだろう。絢辻が離れていくのを見送りながら、俺は田中に尋ねた。
「しかし、さっきはよくわかったな」
「何が?」
「絢辻に作戦の事を話すかどうかについてだよ、相談せずに乗ってくれたからさ」
「ああ、あれね」
妙に意思疏通があまりにもスムーズだったことが気になった。田中が人の考えを汲み取るのがうまいのかとも思ったが、そういう感じでも無いような気がした。
「薫ならそうするのかなー、って何となく思ったんだ」
「……動いたのは棚町じゃなくて俺だぞ?」
「二人って何か似てるから」
「そうなのか?」
「うん」
ここまで言い切られてしまうということは、きっとそうなのだろう。
「誰かのために動いてくれるところとか、ね」
「……別にそんなんじゃないぞ」
棚町が面白そうな作戦をたてたから、俺はそれに乗っただけ。なんだかむず痒い気持ちを押さえながら教室を後にした。
作戦開始から一週間が経過したが、告白相手は田中のために行動を起こすことはなかった。最初の頃こそ慌てていたが、口だけで俺たちに接触は一度もしてこない。昨日今日も俺が連れだすのを恨めしそうに見てはいたがとうとう動き出すことはなかった。
「全然ダメ。あいつら度胸もなけりゃ、男気も皆無だわ」
「……彼にとっては、私の事はそうでもなかったのかな」
「まだ度胸の無いだけって可能性もあるだろ。何せ相手が俺なんだしさ」
「……うん」
棚町に以前言われたことに対してちょっとだけ皮肉めいた事を言ったが、そういう空気じゃなかったため不発に終わってしまう。もう三人の中で例の男子は駄目だと思っているため、田中が諦めるのも時間の問題だろう。
「……彼の事はとりあえず置いておくんだけど、別の問題が出てきちゃったね」
「まぁ、予想通りではあるけどな」
「別の問題? 何よそれ?」
田中が突然俺と二人で行動するようになった。棚町は全く気付いていないようだが、教室では何度もそういう話が出てくるようになってしまった。こうなることは俺と田中は既に予想できていた。田中は棚町に問題について端的に言った。
「私と岡崎くんが付き合ってるって噂が、ね?」
「……あ」
ここ数日、毎日のように俺が田中を連れ出している様子を見せていればそうなるだろう。おまけに俺が誘い出すときは田中は嫌がらずに応じるようにもしていた。そんな誤解が生まれることは目に見えていた、のだが、発案者は全く想定していなかったようだ。
「おい棚町。さてはお前、こうなる事考えてなかったな」
「……はい」
棚町は思いきり俺から目を逸らしながら気まずそうに答えた。両手の指を交差させながら縮こまって反省している姿が、少しだけかわいく思えた。そんな棚町を責めるような空気にはならず、俺も田中も元々そこまで気にするつもりもない。
「私はあまり気にしないし、薫も気にしなくて大丈夫だよ?」
「まあ、俺も別に問題はないからな」
「えっ!?」
さっきまで顔を背けていた棚町が急にガバッとこちらを向いた。
「うぉっ、どうした?」
「薫?」
「ねぇ、それって……恵子となら良い、ってこと……? 何で……?」
なぜか棚町は慌てだし、俺に思い切り顔を近づけてきた。俺の真正面に来た彼女の瞳は、ちょっとだけ潤んでいる。そこまで困惑するほどの事では無いと思うのだが、棚町としてはどうもそうではないらしい。
「俺の評判なんて只でさえ悪いんだろ? 増えたところで対して変わらねえだろ」
「そういうことじゃ……はぁ、そーよ。あんたの評判はこれ以上下がらないでしょうねー」
「ひどい言われようだな……」
近すぎた距離を離した途端、棚町はいつもの調子に戻った。こいつは一体何を気にしていたのだろうか。残念ながら今聞いても答えてくれそうにない。
「それで田中、例の奴の事はどうするんだ?これ以上続けても期待は出来なさそうだが……」
「……うん、二人ともありがとう。もう続けなくても大丈夫」
「わかった」
「ごめんね岡崎くん、損な役をやらせちゃって」
「大したことはしてないから、気にするな」
「ううん、ありがとう」
「あ、ああ」
大したことはしていないのだが、面と向かって感謝されると少し照れてしまう。
「……あたしが考えた作戦なのに、なーんか蚊帳の外みたいになってるし」
それを横で見ていた棚町がボソッと呟いていた。
「薫もありがとね、色々動いてくれて」
「いいってことよ! わたしにしては今回は穏便に済ませた方よね!」
「先週辞書を投げた奴にしては大人しかった方だな」
「ちょっと!あれはちょっとやりすぎたなーって反省してるんだから蒸し返さないでよ!」
「いやいや、あの時は核弾頭が垣間見えてたぞ」
「……今ここであんたを春原と同じようにぶっとばせばいいのかしら?」
「勘弁してください」
「……ほんと、仲良いなぁ」
その後作戦は取り止めたが、例の男子は田中に対して行動を起こすことは無かった。田中の方も一先ずは関係を諦める事にしたらしい。俺と田中の噂については、数日の間は続いていたが次第に風化していった。実際付き合ってないわけだからこれ以上の噂も立ちようが無いのだ。
ただ少し気になったのは、何故か棚町が少し不機嫌になっている事だ。本人に理由を聞いても『わたしにもわかんない』と言われてしまった。そこはきっと時間が解決してくれるだろうと、この時は呑気に捕らえていた。