放課後、いつものように俺は春原の部屋で漫画を読みながらだらけていた。時間を浪費することが目的だから、俺も春原も特別何か新しい事をするなんてイベントは基本的に起こらない。しかし、そんな怠惰な日々にも時々変化が起こる。今日はどうもそういう日らしい。
「なあ岡崎ー」
「どうした?」
「お嬢様ってさ、どんな感じだと思う?」
「……どうした?」
ベッドで寝転んでいた春原が、突然変なことを言い出した。またテレビや漫画か何かの影響を受けたのだろうか、と俺は若干呆れながら聞いていた。
「前にさ、一年の転校生が来たって噂あったじゃん。その子がどうもお嬢様らしいんだよ」
「あぁ……、お前の十八番の妄言じゃなかったのか」
「妄言じゃねえよ……、あと僕の十八番はサッカーだからな」
根も葉も無いただの思い付きなのかと思っていたが、どうやらうちの学校の話らしい。一年の転校生でお嬢様と聞いて、俺の記憶に新しい娘の顔が思い浮かぶ。恐らく中多のことで間違い無いだろう。
「でさ、そのお嬢様について岡崎なんか知らないか?」
「……いや、知らないな」
「だよねー、お前そういう噂に全然食いつかないし」
実は前に会っていると知られたら間違いなくめんどくさい事になるのが目に見えている。根掘り葉掘り聞かれたくないのでシラを切っておいた。やや言葉に詰まってしまったのだが、幸い気づいていないようだ。
「それで、そのお嬢様がどうしたんだ?」
「いやー、お嬢様ってさ……つまりお金持ちってことでしょ?」
「まあ、そうなんだろうな」
「そんでもし可愛い娘だったりしたらさ……ぜひお近づきになりたいなーって、ぐへへ」
「ヨダレと醜い欲が口から出てるぞ汚ねえな」
下心全開の様子にかなり引いてしまう。こいつを中多と会わせるのは非常によくない気がする。校内で犯罪が起きてしまうのは流石に避けるべきだろう、とこたつから体を起こした。
「ちなみにだが、お前のお嬢様のイメージってどんな感じなんだ?」
「へ? うーん……根っから庶民の僕には想像もつかないんだよねー」
「俺も漫画とかぐらいでしかイメージが無いな」
「漫画かー、それでもいいから教えてくれよ」
「ああ、わかった」
中多の特徴とは正反対のお嬢様がこの前読んだ漫画に出てきていた。そのお嬢様の特徴を教えておくことにしよう。
「こないだ読んだやつに出てきたお嬢様キャラは、金髪で高飛車って感じだったな」
「高飛車ねぇ……まぁ、僕にかかれば手なずけるのも楽勝だね!」
「その自信はどこから来るんだよ……」
「しかも金髪って僕とお揃いじゃん! ペアルック……いや、ペアヘッドだね!」
「ネーミングがダセェ……」
あと髪の事を言うならヘアーだと思うが、どちらにせよダサい。お前は俺とペアヘッドだ、と言われて喜ぶお嬢様等居ないだろう。というかお嬢様に限らず誰もいないと思う。更に中多から遠ざけるため、俺は更に違う情報を追加する。
「後は高身長でスレンダー、と言うのもあった気がするな」
「ヒェーッ! 最高じゃん!! なあ岡崎!!! 明日から探してみようぜ!!!!」
「うるせぇ……俺は遠慮しとくからな」
「えー? 僕に先を越されても知らないよぉ?」
もう既に付き合えているかの様な自信を持ち始めて、したり顔を見せてくる春原に手に持っている漫画の角をぶつけたくなるが、目的を忘れてはいけないのでここは敢えて調子に乗らせておく。
「いいから、今出した特徴を忘れるなよ」
「あったりまえじゃん! 待っていてくれよ、金髪高飛車高身長スレンダーお嬢様転校生!」
「ああ、頑張れよ」
そんな特徴てんこ盛りのお嬢様がいたら普通一発でわかるはずなのだが、春原は気づかない。こうして中多に迫る危機は免れたのであった。こいつがお嬢様を見つける日は永久に来ないだろう。一仕事終えたように精神的な疲労を感じつつ、俺はこたつから出て立ち上がる。
「んじゃ、今日はそろそろ帰るな」
「あれ? いつもより早いじゃん。なんかあんの?」
「美也に『今日は絶対早めに帰って来い!』って言われてるんだよ……、理由はわからん」
「へぇー、それじゃ僕は明日に向けてイメージトレーニングでもしてようかな……ぐへへ」
「とりあえずその笑い方はやめとけ、念願のお嬢様に会えなくなるぞ」
ぶつぶつと計画を練り始めた春原をさておき、俺は部屋を出た。外が暗くなりきる前に帰るのは久しぶりだ。まだ人もちらほらといる中を少し早歩きで進む。
早く帰ってこい、なんて何時ぶりに言われただろうか。高校に入ってからまともに学校に通わなくなり、夜遅くまで宛てもなくふらつくようになった。美也は気を使っているのか、それとも諦められているのかもしれない。もちろん親父は何も言ってこないし、そもそも俺が碌に学校へ行っていないことにも興味を示さない。
正直そのまま誰とも関わらなくなるつもりでいた。そんな俺の予想とは裏腹に、美也は家で俺を待ってくれていた。そのおかげで今も俺には居場所がかろうじてあるんじゃないかと思うことができた。たまには言うこと聞いておこう、心の中で少し言い訳じみた事を言っている間に、もう玄関の前に到着していた。
「ただいま」
「あ、お兄ちゃんおかえりー」
「ああ……ん?」
美也が外行きモードになっているのにすぐ気がついた。玄関で下を見ると見かけない靴がある。客室に迎えられると、何となく予想していた彼女が先に座って待っていたのである。
「お、おじゃましてます……」
「ああ、そういう……」
「しっ!」
「?」
俺が納得したところで美也にこれ以上は言うなと止められた。中多は何のことかわからずに首を傾げた。
「んで、早く帰る理由ってのは?」
「これから紗江ちゃんとの会議にお兄ちゃんも参加してもらいたんだ!」
「会議?」
「まま、とりあえずお兄ちゃんも座って座ってー」
背中を押されながら自分の定位置に移動する。律儀にお茶とお菓子まで用意してあるテーブルを見た後、美也はパンッと手を叩いて、一気にテンションを上げてきた。
「それじゃあ改めまして……紗江ちゃんの人見知りをどうにかしよう会議ー!」
「い、いぇーい……」
「……」
突然何か始まった。美也のハイテンションは見慣れているのだが、目の前の中多はこういったノリに慣れていないようで、おどおどしながら肩の位置まで右手を上げるだけだった。ついでに俺は全くノらなかった。
「コラー! 二人ともテンション低ーい!」
「お前は何で本人差し置いて一番高いんだよ……、つーか何だよその会議」
「タイトルの通り紗江ちゃんのための会議だよ!」
「はい……美也ちゃんが私のために開いてくれたんです」
「これ、俺必要なのか?」
「勿論! あとお兄ちゃんが紗江ちゃんとどんな風に話してるのかも気になるし!」
「それはただお前が気になってるだけじゃ……」
「細かいことは気にしなーい!」
この時点で察してしまった。俺はきっと美也の勢いに巻き込まれただけである。適当に過ごそうと思っていたのだが、美也は突然真剣な顔になった。
「まあ、冗談っぽく始めちゃったけど、紗江ちゃんにとっては深刻な悩みなんだよね?」
「うん……。先輩も知ってる通りですけど、人見知りがひどくて……どうにか治したいんです」
「でもでも紗江ちゃん、クラスの女の子達とはちょっと打ち解けてきてると思うよ!」
「うんっ! ……男の人とは、まだ怖くて話せないけど」
「あー……クラスの男達みーんな紗江ちゃんの事を狙ってるからねー」
「そ、そうなの……?」
「そうだよ!本当に気を付けた方がいいよ!」
「う、うん……?」
もしもクラス中の男子が春原のように狙ってきていたら、想像するだけで恐ろしい事だろう。中多の悩みは思いの他切実だったようだ。
「紗江ちゃん可愛いから、余計に皆の目を引いちゃうんだよねー」
「かっ、可愛いなんてそんなことないよ……。それに何故か、みんなと目線が合わないのもなんだか怖くて……」
「男子はみーんなここに目がいってるからしょうがないよ! みんな見すぎるからバレバレなんだよねー。というか私もつい見ちゃうし」
「えぇっ! そそ、そうなの?」
美也が思いきり中多の胸を指差し、それに気づいた中多が胸を押さえる。女子二人がこんなデリケートな話をしている場合、男の俺は一体どうしているのが正解なのだろうか。ここは大人しくお茶をすすってやり過ごそう。
「とにかく紗江ちゃんは可愛いの!お兄ちゃんもそう思うでしょ!?」
「ってそれ俺に振るのかよ!?」
妹から突如水を向けられてしまった。
「……先輩も、そう思うんですか?」
中多はなぜか強く興味を持ってきてしまう。
「……まあ、可愛い……ほうなんじゃないか?」
「は、え、えと……あ、ありがとう……ございます」
言うのが恥ずかしいために言い方が辿々しくなってしまった。あと頼むからそっちまで照れるのはやめてほしい。
「おほんっ!それで男が苦手っていうのも治したいねって話もしてるんだよねー」
「男が苦手ってのは、何か理由があるのか?」
「いえ……何かされたわけじゃないんですけど、なんだかちょっと怖くて」
「他のクラスからわざわざ紗江ちゃんを見に来る男もいるよねー」
「そんなになのか!?」
もしかすると本人の知らない間にファンクラブとかできてたりするのだろうか。
あっても別に知りたくないけど。
とここで美也が一つ疑問を浮かべる。
「あれ?そういえばお兄ちゃん男だよね」
「いや、女の時もあるぞ」
「まーた変な事言い出した……」
二人で話すときはちょいちょいこういうボケを入れたりしている。
しかし、このノリを知らないもう一人が困惑し始めてしまう。
「えっ!?女の時って!?」
「って紗江ちゃん信じちゃうの!?」
「どういうことなんですか!?」
お嬢様はどこまでも純粋だった。
恐る恐る聞いてくる様子がおかしくて、もう少しからかってみたくなった。
「ああ、たまに取れるんだ」
「ええっ!?それじゃあ先輩は時々性別が入れ替わる、ってことですか?」
「……とりあえず」
「そ、そうだったんですか……」
「あとたまに分裂することもあるぞ」
「ええっ!?ということは……先輩が二人になることもあるんですか!?」
「まあ、とりあえず」
「……先輩!私に何か手伝えることがあったら言ってください!」
「え?あ、あぁ」
子犬に遭遇したときも思ったが、この娘は人を疑うことを知らないのだろうか。
それだけ普通の暮らしとは違う環境にいたのだろう、と改めて感心してしまった。
俺が何も言わずにいると、美也がゆっくりと身を乗りだして大きく息を吸い込んで叫んだ。
「そんなわけないでしょーーー!!」
今日一番の大声が居間に響き渡った。
「それで、何の話だったっけか?」
「……。えっと、紗江ちゃんはお兄ちゃんと話すのは大丈夫みたいだねって!」
「うん、最初に声をかけてくれた時の先輩の目は怖くなかったから……」
「お兄ちゃん何かとやる気無いもんねー、目に活力が宿ってないってやつだよ」
「そこまで言うか……まあ確かに無気力と言えば無気力だな」
何だか貶されている気がするが、悲しいことに否定できない。
「無気力?あの、先輩って……」
「何だ?」
「部活とかはしていないんですか?」
「あ、それは……」
一瞬、時が止まったように感じた。
学生としては当然の疑問で、中多に悪気は全く無い。
しかし、俺にとっては一番聞かれたくなかった質問だった。
思い出したくない過去がフラッシュバックして息詰まりつつも、なんとかして口を動かした。
「……中学まではバスケ部だった。けど、飽きて辞めちまってそれきりだ」
「うん、そう……だね」
「そ、そうですか」
ここで俺の事情を話すことも無いだろう。
あまり触れてほしくない部分は伏せつつバスケ部だったことだけを話しておいた。
しかし、美也は当時の事を思い出してしまったのか暗い顔になってしまう。
「……」
「美也ちゃん?」
ここは早く話題を切り替えるべきだろう。
俺よりも美也の方が心配だ。
「それより中多、何かやりたいことはあるのか?」
「え?やりたいことですか?」
「ああ、人見知りをどうにかしたいってのには何か理由があるのかと思ってさ」
「そ、そうそう!紗江ちゃんこそ部活とかはしないの?」
少し無理矢理だが話を切り替えた。それに美也も察して乗ってくれた。
「えっと、部活はあまり考えていないです。けど、最近凄く勧誘されていて……」
「休み時間ごとに勧誘されてるよねー紗江ちゃん」
「断ろうと思ってるんだけど……勢いに押されちゃって断り切れなくて」
そう言って少し落ち込んでしまう。
人気がある、というのも良いことばかりでは無いようだ。
「お兄ちゃんがついててあげたら?」
「人避けになりそうではあるけどな……学年が違うから難しいだろ」
「そうだよねー、美也でも抑えきれないからどうしよっか?」
「とにかく人見知り克服に合わせて勧誘を断る練習も必要だな」
「そ、そうですね……頑張ります」
話せば話すほど課題が増えているような気がするが、とりあえず話を戻す。
「今の感じからすると、別に部活はやりたい訳じゃないんだな」
「はい、学校以外で一つやりたいことがあるんです」
「学校以外でか?」
人見知りを克服してでもやりたいことがある、という事に俺は感心していた。
これはどんな事でも応援してあげよう、という気持ちで聞くことにした。
「私……ウエイトレスさんになってみたいんですっ!」
「無理だな」
「うぅ……そんな……」
「コラお兄ちゃん!!」
「悪い、つい即答してしまった」
応援しようと思っていたのだが、あまりに無理だと思って口に出てしまった。
「そうだな、やろうと思った理由を聞いてもいいか?」
「はい!えっと、少し待ってください」
中多は携帯を取りだし、一枚の画像を見せてくる。
「この制服が可愛くて……私も着て、やってみたいなって思ったんです」
「おぉー可愛いー!紗江ちゃん似合いそー!」
制服に憧れたという何とも可愛らしい理由だった。
俺もどんな制服か気になり見てみると、どうも見覚えのある服だった。
「これ、学校から少し歩いたところにあるファミレスか?」
「そ、そうです!」
「それならバイトに俺の知り合いがいるぞ」
「ほ、本当ですか!?」
中多が身を乗り出してくる。
「あ、あぁ……棚町っていうんだが、あいつ今ファミレスでバイトしてるから色々聞けるかも……」
「聞きたいです!先輩、会わせてもらえませんか!?」
「お、おぉ。わかった、明日にでも聞いてみるよ」
「ありがとうございます!」
いつもらしからぬ勢いに押されてしまった。
中多には積極さが足りないと思っていたのだが、いざ勢いを出されたらたじろいでしまった。
次のやることが決まった辺りで、中多の門限の時間が来たらしい。
近くに迎えが来ているから見送りは玄関まででいいとのことだ。
「すみません先輩、突然おじゃましちゃいまして……」
「いーのいーの!お兄ちゃんならいつでも貸し出しOKだからね!」
「兄をレンタル品扱いするなよ……」
「ふふっ……それじゃあ美也ちゃん、先輩、今日はありがとうございました」
「はーい!また来てねー」
「気を付けてな」
小走りで帰っていく中多を見送った。
「じゃあにぃに!明日は紗江ちゃんのことよろしくね!」
「いつの間にか俺がやる話になってんだよな……」
「いやぁー、そりゃあ紗江ちゃんのためならみゃーも頑張るけどさー?」
中多が去っていった方向を見ながら、美也はポツリと言う。
「もしかしたら紗江ちゃん、にぃにに手伝って欲しいんじゃないかな?って」
「なんだそりゃ?」
だとしたら、買い被りすぎだと思うけどな。
「あとこれはみゃーのお願いなんだけどね」
「何だよ?」
「頑張ってる紗江ちゃん見てるとさ、なんか元気になりそうじゃない?」
「……確かに」
健気に頑張る姿は、見ていると俺も何かしてあげようかという気持ちになる。
「にぃににもさ、紗江ちゃんみたいに何かやりたい事が見つかったらいいなー……って」
「!……それは」
「うん……それでさ、できたら前みたいに……ね」
美也は俺がバスケをできなくなって無気力になった所を間近で見ていた。
そんな俺に気を使って、これまで口にすることはしていなかった。
今日の中多の熱意を見て思うところがあったのだろう。
顔を背けていて表情はわからないが、少し震えた声から美也の思いが流れ込んできた。
「……にゃーー!寒い!家入ろ!」
「あ、あぁ」
この後に話の続きをすることは無かった。
だが俺の頭には、今の美也の言葉が残り続けていた。