あれから数日、空は黒みを帯びた曇りが続いていた。今日も分厚い雲が空も日差しも覆い隠している。
この間、俺は中多とほとんど会話をしなくなった。ただの曇り空よりも外が淀んで見えるのは、気のせいだろうか。もう昼休みだというのに蛍光灯の光が眩しく感じて、寝付きも悪くなっていた。
「ねぇ、あんたの……。中多さん来てるわよ」
「……あぁ」
俺の浮かない様子を見て、棚町は冗談を言うのを止める。
「何か言いたそうにしてるわね……何かしら?」
「今度バイトの面接受けるんだとさ」
「そうなんだ!」
「そんで、お前に色々聞きに来たんだろ」
「そういうことなら応えてあげますか!」
棚町は立ち上がり、中多のいる方へ向かおうとする。俺が言ったことを律儀にこなそうとしているのだろうか。そう思うと余計にモヤモヤしてしまう。
「って、あんたは?」
「俺はいい、聞いてやっておいてくれ」
「……? そう、わかったわ」
俺に背を向ける棚町を見る事もなく、俺は頬杖をついて黒板の方をボーッと眺める。ほんの数秒そうしていると、棚町とは別の足音が近づいてきた。
「うぃーっす……」
「あぁ」
「……何か元気無いじゃん」
「お前がそれを言うのか……」
目に特大のクマを浮かべて足取りも覚束ない奴に元気の心配をされてしまった。
「何かあったの。もしかしてフラれたとか?」
「お前と一緒にするな」
「はは……僕を愛してくれる人って、この世にいるのかなぁ」
「お前そんなにフラれてたのかよ」
かつて校舎を全力で駆け回るほどの熱意を持っていた春原の面影がどこにも無くなっていた。燃え尽きた、という意味なら俺も同じなのかもしれない。俺と春原は同じ様な体勢で机に突っ伏した。背中に目線を感じるが、それに答える気力は残っていなかった。
放課後、同じタイミングで起きた春原から誘いが来る。
「岡崎ーどっか遊びに行こうぜー」
「ああ、行くか」
「なんか素直に乗ってくるのちょっと怖いんですけど」
「今はそういう気分なんだよ」
今はとにかく他の事をして気分をまぎらわせたい気分だった。
「いつもこのくらいスッと乗ってくれると嬉しいんだけどねぇー」
「閏年ぐらいの頻度でならあるかもな」
「それもう卒業まで無いじゃんかよ!」
「ほら、行こうぜ」
「へいへい」
空っぽの鞄を持ち、俺たちは教室を出る。昇降口前の廊下辺りを通る頃に、中多は隅で俺を待っていた。
「あっ……」
「……あぁ」
廊下の端から、中多が俺の様子を伺っていた。
「面接、がんばれよ。……じゃ」
「せ、せんぱ……」
一言だけ声をかけて、足を止めずに離れる。春原も俺に続いて通りすぎる。
「何今の娘? 知り合い?」
「妹の友達だよ」
「へー……、何か言いたそうにしてたけど?」
「気のせいだろ」
「……ふーん。ま、僕には関係無いや」
いつもなら首を突っ込んでくる春原だが、特に触れてくることは無かった。フラれすぎてその気が起きなかったのか、それとも俺の顔を見てだろうか。こんな状態が数日続いていた。その間、曇り空はずっと晴れ間を見せなかった。
そんなある日の放課後、また適当に時間を潰しに行こうかと立ち上がったところを誰かに後ろから肩を掴んで止められた。クラスの中でこんな行動に出てくる相手は、一人しか心当たりがない。
「あんた、放課後店に来なさい」
俺の行く手を塞ぎながら高圧的に命令してきた。
「……行かな」
「絶っ対!来なさい!」
「……わかったよ」
少し目を逸らしながらでも、棚町が激昂しているのがわかった。俺が断ることを意地でも認めなかっただろう。
「え……何すか、この空気」
「あんたはすっこんでて」
「へーい……」
話の間クラスの空気がざわついていたが、今ここで喧嘩が起きるわけじゃないとわかると元通りになっていく。どんどん俺の味方がいなくなっていく気分だ。俺の心は、更にも増して重くなっていくばかりだった。
約束通り店に着くと、眉間にシワを思いきり寄せた棚町に席を案内される。
「わたしからの質問に答えないとここから出さないから」
「……出さないのはメニューだけにしてくれ」
今日は別に客として来たつもりもない。
「何であの娘を突き放す様な事してんのよ! ……とっても悲しんでるわよ」
「面接受けるの、止めるとか言ってたりするのか?」
「ううん、『先輩に戻ってきてもらえるように、絶対に受かります!』ってさ」
「……なんで」
「何ではこっちの台詞! あんなにあの娘の事助けてたのに、急にどうしちゃったのよ。 ちゃんと納得できる理由を聞かせて。そんでもって……」
中多と棚町は、会ってからまだ日が浅い。それなのにここまで怒ってやれる棚町は、本当に優しいやつなのだろう。けど今の俺に、応える余裕はどこにも無かった。
「……お前には、関係ないだろ」
「っ……!」
俺の態度に限界だと悟った棚町は、メニューをテーブルに叩きつけて去っていった。こちらの様子を気にする他の客の目線がとても鬱陶しくて居心地が悪い。今は、何も頼む気分でも無いし、喉を通る気もしない。俺はメニューに触れずに店を出た。その後は寄り道する気も起きず、辺りが暗くなり始めた頃には帰宅した。
「……ただいま」
「……」
玄関で待ち構えていた美也が、無言で客間を指差す。大事な話がある、というサインだ。何の話か……はほぼ確定だろう。美也と対面に座ると、俺の目をジッと見て話を始めた。
「ねぇにぃに」
「なんだ?」
「紗江ちゃんがね、バイトの面接受かったんだって」
「そうか、よかったな」
「……」
頑張ったんだな、という言葉は心の中で留める。美也は今、そういう言葉を求められているわけではないだろう。
「最近、紗江ちゃんのこと避けてるよね?」
「……気のせいだろ」
「そんなわけないじゃん!」
机を両手で叩き、身を乗り出してくる。
「あれだけ紗江ちゃんの事応援してたのに!」
「……ただの気まぐれだ」
「気まぐれでもいいけどさ! ……ちゃんと最後まで支えてあげてよ!」
「最後……か」
最後、俺と中多の関係の最後とは何だろうか。それはきっと、今よりも悪い形で離れてしまう事だと思った。だからそうなる前に、俺が中多から離れてしまえばいい。その方が傷は浅く済むはずだ。
「最後になってからじゃ、遅いんだ」
「何言ってるのかわかんないよ!」
「わからなくていい……そもそも俺はあいつと、出会うべきじゃなかったんだ」
「何それ、それじゃわかんないよ……」
美也がわからないのも当然だろう。ほとんど俺が勝手に決めてしまったようなものだから。
「紗江ちゃんの事もだけどさ、にぃにの事もだよ」
「俺の事?」
「言ったじゃん……にぃにのやりたい事も、見つかったらいいな……って」
「ああ、言ってたな」
態度では惚けてしまったが、忘れていた訳じゃない。ただ既に諦めることを決めてしまっていたのだ。
「……悪いな、俺はもう……」
ピンポーン、と俺の言葉を遮るように、家のインターホンが鳴った。
「……出てくる」
「あぁ」
美也は話はまだ終わってないからね、という目線を俺に送ってから玄関に行く。数秒ほど話し声が聞こえた後、美也が戻ってきた。
「……にぃにに会いたいって人が来たよ」
「俺に?」
「何かビシッとしたおじさん。にぃにの知り合いみたいだけど……」
「!」
その特徴で思い当たるのは、一人しかいなかった。すぐに立ち上がり玄関に向かう。玄関先に立っていたのは、中多の運転手の繁野さんだった。
「岡崎さん! 夜分に失礼いたします」
「それは、別にいいっすけど……」
表情や言動から、以前会った時の落ち着きが無いように見える。きっと何か非常事態になっているのだろうか。
「こちらにお嬢様はいらしておりませんでしょうか?」
「中多が……? どうかしたんですか?」
「それが……」
「お嬢様が、家出なされてしまったんです」
「……は?」
繁野さんの言葉に、俺は全身の血の気が引いてしまった。空はより一層、暗さを増してしまっていた。
当初の予定より大分シリアス路線になりました。
次辺りが佳境になるかと思います。