翌日になり、俺はまた十時ごろに登校していた。驚くことに、この時間に起きることが習慣になりつつある。だが登校時間には間に合っていないため、全く威張れることではない。
この事を何故か知った美也が昨夜に『明日は久しぶりに、一緒に登校したい気分だなー、ちらっ』と言っていたが、残念ながら俺のやる気は今一つ足りないようだ。美也と一緒に登校なんて高校に入ってから一度もしていない事を思い出した。もしも気が向いたら、一日くらいなら頑張ってみてもいいのかもしれない。
なんて考えている間に校門へと到着していた。よく見ると、その近くに森島先輩が立っていた。
「おはよう、遅刻はほどほどにしなきゃダメだよ?」
「うす、そこは絶対じゃないんすね」
「私もたまにギリギリだったりするから、人の事を言えないのよねー」
「ああ、そういうことっすか」
「響ちゃんに何度助けられたか覚えてないもの……」
この人はもしかすると塚原先輩がいなかったら俺と同レベルなのではないだろうか?先輩に対してかなり失礼な事を考えていた。森島先輩に対しては、何故か気を使って話しても仕方ないような気がしている。
その後はすぐに授業が始まるためそこで別れた。しかし別れ際に『放課後ちょっと付き合ってもらうから!』と言い残して去っていった。俺の都合が無視されたまま放課後の予定が決まった。春原は昼以降に来ていたが、誰とも話す余裕もなく机に突っ伏していた。そして放課後真っ直ぐ帰っていった。
「フラれてたことをいじる隙も無かったわね……」
「てか最早何しに来たんだよあいつ……」
あまりにも余裕が無いように見えたため、いじる気にはならなかった。春原はきっと彼女ができる前に果ててしまうだろうな、と放っておく事にした。まあ、そうでなくても放っておくのだが。
放課後になり帰り支度をしていたところ、森島先輩に突然腕を捕まれて連行されてしまった。戸惑う俺をよそにズイズイと引きずられて数分、目的地にたどり着いていた。
「というわけで、図書室に着きました!」
「どういうわけだ」
あまりの唐突さに、考えるよりも先に口から出てしまった。あまりにも説明不足すぎて不満を抑えきれなかったのである。
「むっ、先輩にタメ口とは不良っぽいね」
「まあ、不良ってことになってますけどね」
「そうかな?あんまりそう見えないけど」
森島先輩は俺の評判や噂とかはあまり知らないようだ。しかし本人は聞いたところで多分気に留めないだろうと言うのを諦める。
「今日は図書室で新しい犬の本を読みたいの!」
それは図書室の使い方として合っているのだろうか。図書室っていうのは参考書を読んだり、小説を読んだり、授業に出ない代わりに本を読み漁ったり、記事を切り抜いたりするところだ。
(って後の二つは違うだろ)
明らかに起こられそうな行動が混ざっていた。自分でもやらないことを何故思い付いたのかはよく分からない。森島先輩に押しきられ、仕方なく犬の写真本を探すことになった。参考書、雑誌、肌色多めの本……最後のは不埒な男子が仕込んだものだろう。そして……意外なことにお目当ての本もすぐに見つかったのだった。
「本当に犬の本もあるんだな……」
森島先輩が求めていたような犬の本コーナーが隅に設けられていた。
(というかこんなコーナーがあるなら探す必要ないんじゃ……)
あまり深く考えても仕方ない。目的の本は見つかったので戻ることにした。
「すぅ……すぅ……」
森島先輩の所に行くと、机に突っ伏して寝ていた。夕日が差し込む図書館の机に眠る先輩の寝顔は、なんだか様になっていた。
(置いとくのも気が引けるし……適当な本でも読んで時間潰すか)
持ってきた犬の本はあまり興味が無かったので適当な本を見繕ってくる。先輩の前に座り、読み始める。
(終わってしまった何も無い世界にいた謎の少女と意思の宿ったロボット、か)
文面だけだと設定も、世界観も曖昧な作品だった。しかし、何故かその情景が浮かんでくる。今の俺には全然関係の無さそうな話なのに、どうしてなのだろうか。そんな謎めいた話をすっかり読み込んでしまっていた。
「ん……んぅ?」
しばらく本を読んでいたら、森島先輩が目を覚ましたようだ。
「君、私が起きるまで待っていてくれたの?」
「まあ、これ読むついでにですけど」
何気なく選んで読み始めた本にかなり集中していた。
「ふふっ、ありがとう。君って優しいんだね」
「っ……」
夕陽に照らされ、微睡みによって妙な色気を感じる彼女の笑みを直視してしまい鼓動が早くなった。すぐに目を逸らしたが、多分照れ隠しにもなっていなかっただろう。その後は日が暮れるまで犬スイッチの入った森島先輩の犬話を聞かされ続けることになった。春原の部屋に潜り込むよりかはマシな時間だったかも、とは本人には言わない。
あの日の一件があったからだろうか。森島先輩に誘われる頻度が急速に増えていた。加えてその誘いの内容は思い付きのため、かなり変な事が多い。
「鬼ごっこしない?」
「走りたくないんで嫌です」
「女子水泳部の活動を覗きに行きましょう!」
「前科持ちになりたくないんで嫌です」
「一緒に馬跳びしましょう!」
「疲れるんで嫌です」
こんなやりとりが数日続いたのだが、先輩はまだめげずに俺を誘ってきていた。そろそろ森島先輩が男子を振った数を越える位断ったんじゃないかと思えてきたところで、流石に痺れを切らしたのか先輩は俺に不満をぶつけ始めた。
「ねぇ君……、流石にここまで何回も断られると悲しいよ?」
「なら誘わなきゃいいでしょ……あと内容がキツいっす」
「どうしてよー? 他の男の子達は喜んでついてきてくれるのにー!」
「その男達とやってくれよ……」
明らかにおかしな誘いを断らない男達が逆に心配になってしまう。とにかく俺は変な遊びをする気分にはなれないと突っぱねると、頬を膨らませながら俺に宣言する。
「もう! 次は遊びに付き合って貰うんだから覚悟しなさい!」
そういって早足で去っていってしまった。遊びの内容が悉くやりたくないものばかりなので断るしかない。今度は何を仕込んでくるのだろうか、と更に不安が募るだけだった。
森島先輩と知り合ってから数日後、購買で買った惣菜パンを教室で食べていると、焼きそばパンを食べている春原が横から聞いてきた。
「何か最近お前が森島先輩とよく遊んでるって噂になってるんだけど」
「あぁ、それは……」
「それ私も聞いた。しかも森島先輩の方から良く誘われてるそうじゃない」
前に座っていた棚町も口を挟んできた。
「あにぃ!? お前そんな羨ましいことになってたのかよ!? かーっ!!」
確かにそう聞くと他の男子から羨ましがらそうな状態だ。しかし俺としてはどう対応したらよいか迷っている、というのが正直なところだ。
「誘われてはいるが、全部断ってるぞ?」
「お前ね……そろそろ学校の男子全員から呪われるよ?」
「そりゃ大袈裟だろ……」
「案外大袈裟でも無いわよ?あんたも森島先輩の人気は知ってるでしょ?」
「ああ。昨日も告られてたって言ってたな」
今朝いきなり愚痴を聞かされたから覚えている。
「最近あんたが森島先輩のお気に入りだって聞いた生徒が何人か授業をフケようとしたらしいわ」
「それはそいつらのせいだろ……」
「まあね、ほんと男子って思い立ったら聞かないバカが多いわ……」
「一応僕らも男なんすけどね……」
はぁと呆れる棚町に聞こえないように春原がそっと呟いた。
「とにかく、近いうちあんたにとばっちりが来るかもしれないから気を付けなさいよ」
「マジか……めんどくせえな」
「森島先輩と付き合えてるんだからそれくらいしょうがないだろー」
怪訝そうに煽るような顔で手をしっしっと動かしながらあしらってきた。何かムカついたので机の下で足を踏んづけておいた。
「いってぇ! あにすんだおごぁぁっ!」
棚町が追撃を入れていた。
「あたしも今の顔はムカついた」
「あんたらバイオハザードすぎるわ!」
バイオレンスと言いたかったのだろうか。ともかく面倒なことが起こらなければいいが、いう俺の不安は拭えなかった。
昼飯も食べ終わり、そろそろ昼休みが終わろうとしていた頃、窓の外に見える校庭近くで、いつもより歩く力が強い森島先輩の姿があった。
(……何か、怒ってる?)
パッと目を向けた俺にすら、機嫌が悪いということが伝わった。そして午後にもまだ授業はあるにも関わらず、校舎からどんどん離れていく。なんだか、気になってしまった。
「わりい、俺午後サボるわ」
「え?ちょっとあんた……」
早歩きで教室を出る。
「あいつどうしちゃったのよ?」
「さあ、トイレじゃない?」
「……やっぱあんたはモテそうに無いわね」
「なんで今の答えだけでそうなるんだよ!? 理不尽すぎるだろ!?」
自分でもどうして追いかけるという選択をしたのかわからない。ただ森島先輩の様子が気になった。会ってまだ間もない人の事をここまで気にかけるなんて初めてだ。気がつくと少し息が切れている。意識しないうちに、運動部を辞めて以来のキツめの駆け足になっていたようだ。中学の頃に比べて著しく体力が落ちてるのを感じる。それでも足を止めることなく校内を探し回った。
(確かこの辺りにいってたと思ったが……いた)
校舎から少し離れたところにベンチがある。そこに森島先輩は座って俯いていた。そっと近づくと、足音に気づいたのか俺に気づいた。表情からして気持ちはまだ収まりきっていないようだ。
「あ、君……」
「どもっす」
「もしかして、追いかけてきてくれたの?」
「あ、いや」
言い淀んでいると、先輩は笑いながら言った。
「グッド! ちょっとキュンときちゃったかも!」
その時の先輩の笑顔は、いつもよりも眩しく見えた気がした。近くの石段に腰掛けて、何があったかを聞くことにする。森島先輩が最近不良の俺と仲良くしていることが広まり、先程の昼休みに先輩が先生に『彼とはあまり関わらない方が良い』と言われた。先生は恐らく「森島先輩が悪い影響を受けてほしくない」という気持ちで言ったのだろう。
しかし先輩はそれを聞いて怒った。『岡崎君は優しい子だ』『私の人付き合いに口を出さないで欲しい』という様な事を校内で叫び回った。要するに、「俺と会うのを邪魔するな」と校内で言い回ったらしい。
「という事があったの! 本当にひどかったのよ!」
「はいはい……」
この説明で三回目になるため、生返事になってしまう。
「ちょっと君! 君の事を悪くいってたのよ!? 君は腹が立たないの!?」
「俺が不良な事は自覚してるんで」
「それじゃ納得いかないの! 君も怒らなきゃ!」
「怒らなきゃってなんすか……」
俺の評判については分かりきっている事なのだが、何故か先輩の方が怒っている。説明を繰り返す度に怒りが再燃するため、次の休み時間まではこんな調子かもしれない。ふとここで気づいた事がある。森島先輩は校内で俺のフォローをして回った、ということはほとんどの生徒がそれを聞いたことになる。
(マジか……これじゃ教室に戻ったら注目の的だな……)
今日はこのまま帰ることに決めた。今の話が広まった校内には絶対に戻りたくない。
「……だから私、もう今日はこのまま授業サボっちゃう! 君も付き合ってくれる?」
「まあ、サボるのはいいっすけど」
「けど?」
俺はむしろサボろうと思っていたし、先輩がサボったとしても別に気にしない。けれど今回の騒動のきっかけを思い返してみると、それはむしろ悪手なのではないだろうか。
「俺と授業サボっちゃったら、逆効果じゃないっすか?」
「……あっ!」
この後先輩は急いで校舎に戻っていった。俺は森島先輩が走っていくのを悠々と見送り、校舎に戻らず学校を出た。鞄はどうせ何も入ってないから明日でいいだろう。
その後、俺はそのまま学校を出て春原の部屋でだらだらしていた。すると唐突に部屋のドアが開く。
「うおっ! 誰かいるっ!?」
「おう、鍵開いてたぞ」
「って岡崎かよ……来るなら一言言ってからにしてくれよ」
学校にいた春原と会うことができなかったため、部屋には無断で来ていたのだった。鍵が閉まっていたら仕方ないと諦めていたところだったが、こいつの不用心さに助けられた。
「悪いな、散らかっていて汚いけどくつろいでいけよ」
「あんたの部屋じゃないだろ! あとそれ家主に対してめちゃくちゃ失礼だからな!」
全く……とぼやきながら着替えてベッドの上で寝転んでくつろぎ始める。しばらく無音の時間が過ぎた後、春原が話しかけてきた。
「ところで岡崎、昼休みに森島先輩が何かお前の事言って回ってたみたいなんだけど」
「う……」
こいつの耳にも入っていたようだ。つまりクラスのやつも知っていると……明日から学校に行きづらくなってしまった。
「ははーん、午後に抜け出したのは会いに行くためだったんだね」
「いや……会いはしたけどその事については後で知った」
「ふーん、まあ細かいことはいいけどさ」
「なんだよ」
「……森島先輩にどんな手を使って仲良くなったのか教えてくれない?」
「お前……」
そこから色々聞き出そうとしてきて居心地が悪かったのですぐに部屋を出た。『ドアは閉めていきましょうね!?』と聞こえてきたが、無視して寮を出た。
家に着くと、なんだか賑やかな話し声が聞こえてきた。いつもは美也一人だから静かなはずなのだが、今日は空気が違うようだ。
(美也の友達でも来てるのか?)
幸い話し声は美也の部屋から聞こえてくる。なら忍び足で俺の部屋に籠ることとしよう、と思ったのだが、リビングに行くと冷蔵庫の中身を見ていた美也がいた。
「あれ!? に……お兄ちゃん!?」
「あ、あぁ。ただいま」
こっそり部屋に戻ろうかと思ったのだが、タイミング悪く鉢合わせてしまった。
「どうしたのこんな時間に帰ってくるなんて!」
「まあ、特に理由とかは無いぞ」
「いや、絶対森島先輩の件で居づらくなったんでしょ」
「……知ってるなら言わないでくれ」
噂は一年の間にも広まっていたようだ。あの人は一体どれだけ叫び回ってしまったのだろうか。森島先輩の悪い影響力にうんざりしていると、リビングから知らない二人が出てきた。
「あれ、美也ちゃん? そ、その人は……?」
「美也ちゃんのお兄さん?」
「あ、紗江ちゃん、逢ちゃん」
美也の友達がこちらの様子を見に来たようだ。美也が叫んで誰かと話し始めたのだから、気にもなるだろう。ボーッと二人を見る俺に、美也が咳払いをして紹介を始めた。
「こちら紗江ちゃん! 最近うちの学校に転校してきたの!」
「あ、えっと……中多 紗江です……」
「で、こちらが逢ちゃん!水泳部の期待の星!」
「七咲 逢です。あなたが今日学校で噂になってた岡崎先輩ですか」
「その話は止めてくれ……」
少しおどおどした子とクールな印象の子だ。この三人がどのように知り合ったかはわからないが、仲が良さそうなのは伝わった。
「んじゃ、俺は適当に外出てるから」
「へ?今帰ってきたばかりじゃん」
「いつもなら家にいない時間だからな、いても邪魔しちゃいそうだ」
「そんなこと無いと思うけどなー。あ、じゃあちょっと買い物お願いしてもいい?」
「いいぞ、この紙に書いてあるのか」
テーブルの上にある紙を手に取る。箇条書きに書かれている文字を見ると、内容はほとんどお菓子ばかりだった。
「……これ三人で食いたいだけだろ」
「にししー、ばれましたか」
「いいけどさ。いってくる」
「おねがいねー!」
その後買い物を済ませてまっすぐ帰宅した。美也と友達も含めて四人で何気ない会話を楽しんだ。中多は俺の事を怖がっていたようだが、七咲は何故かそうでもないらしく普通に話せる仲になっていた。家で楽しく会話をしたのなんて中学生以来かもしれない。親父と喧嘩したあの日から、俺は家にいることも嫌になっていた。それが美也たちと話していた今は、気にせず家で話していた。
昼間の件もそうだ。以前の俺なら森島先輩の様子など気にも止めていなかっただろう。ほんの少しずつだけど、俺自身も変わっているのかもしれない。それが不思議と悪い気分では無かった。