街灯がポツポツと照らす夜道を、俺達二人は並んで歩いていた。
「一緒に帰るのって初めてですね」
「いつも俺がさっさと学校を出ちまうからな……」
「でも、遅くまで寄り道ばかりしてるんですよね。美也ちゃんが嘆いてましたよ?」
「そうなのか、もう諦められてるかと思ってたんだけどな」
「たまには早く帰ってあげた方がいいですよ」
「たまにはそうしてみるか」
別に家にいたくないという訳ではない、ただ何もしない暇な時間を避けたいだけだ。たまには早く帰った方が意外と退屈な時間は減らせるのかもしれない。そんな事を考えていると、七咲が俺を見ながらポツリと言った。
「……どうせ遅くなるなら、私も連れていってください」
「へ?」
予想外な提案が飛び出てきたために気の抜けた返事をしてしまった。
「勿論、私のやることが色々と終わってからですけど」
「そりゃそうだな……というかてっきり注意されて終わりかと思ってたんだが」
「私にもそういう気分の時はあるんですよ」
そういえば七咲は案外真面目じゃない一面があるんだったと思い返す。最初の印象からはわからないが、ここまでの付き合いになるとそれがよくわかる。
「けど今は頑張らないと……追試で選抜前に練習ができないのは避けたいですから」
「まあ、そうだよな」
「先輩はどうなんですか?試験、危なそうですけど……」
「俺か? そうだな……」
今日の勉強量だけを客観的に見るならば、焼け石に水というレベルだろう。とはいえせっかく勉強を見てもらった相手に自信が無いと言うのも気が引ける。
「はっきり言えるのは、今日はこれまでで一番勉強に時間を使ったってことだな」
「追試頑張りましょうね、先輩」
「ちょっとぐらい信じてくれてもいいんじゃないか?」
「信じるための根拠が足りないんですよ」
俺の気遣いはにこやかな笑顔でバッサリと切り捨てられてしまった。あまりにもその通りすぎてぐうの音もでなかった。そんな気の抜けた会話を続けていくうちに、目的地に着いた。
「ここで分かれ道、ですね」
「そうみたいだな」
気づけば七咲の家のすぐ近くまで来ていた。俺の家はもう少し歩いた先にある。ここからは一人で歩くことになる、と思うと少しだけ肌寒さを感じた。別れると思っていたのだが、七咲は立ち止まり俺に目線を合わせてきた。この雰囲気、前に三人で出掛けていたときにも感じたことがある。
「あの、先輩」
「どうした?」
「一つ、とても気になっている事があるんです」
「気になること?」
「はい、先輩のことです」
俺に向けられる、少しだけ緊張が籠った目。それにつられてか、肌寒さとは違う背筋にゾクッと凍る冷たさを感じていた。ここが本当に分かれ道になってしまうような、嫌な予感。七咲はゆっくりと口を開いた。
「スポーツ推薦で入学してたって、本当ですか?」
「っ!」
スポーツ推薦、なんて七咲が知っているはずがないと思っていた。全身から血の気が引くのを感じて、頭が真っ白になってしまった。締め付けられた喉から絞り出すように、恐る恐る尋ね返す。
「どこでそれを?」
「先輩が帰った後、塚原先輩から聞いたんです」
それは、七咲と塚原先輩が合流して俺が急に帰った後の事だった。
「邪魔したな、俺は帰るから」
「え?は、はい……」
「……」
「先輩、どうしたんだろう……?」
「……」
「ねえ、彼……部活が嫌い、と言っていたの?」
「はい、前にそう言ってました」
「そう……。変ね」
「何がですか?」
「二年の岡崎くんって確か……」
「スポーツ推薦で入学したって聞いていたんだけど」
「……え?」
一年先輩である塚原先輩は、推薦入学者の事を耳にしていたらしい。あの時から既に聞いてはいたが今まで直接聞けずにいた、という事になる。
「スポーツ推薦って、中学までの部活動で活躍していた生徒がされるものですよね」
「……」
「けど……先輩は部活動が嫌いって言ってました」
「それは……」
ずっと部活動が嫌いなんて言っているやつが、スポーツ推薦なんてされるはずがない。これじゃあほとんどバレていたようなものだ。
「最近、思っていたんです」
「な、何をだ?」
「私、先輩のことあまり知らなかったんだなって」
それはそのはずだ。知られないようにしていたのだから。
「気づいてますか?部活動の話をした時……先輩、いつも悲しそうな顔をしてるんですよ?」
「っ……」
思えば今日の会話、七咲は「部活」という言葉を避けていたようにも思えた。普通に話しているつもりでも伝わってしまう程に、俺の表情に出てしてしまっていたのだろうか。
「どうしても気になって、勉強も中々進まなくて……ですから」
キッと顔を上げて、少し睨んでいるようにも見える真剣な目で続ける。
「聞かせてください……嘘は無しで」
いつのまにか七咲は目と鼻の先まで近づいていて、俺の両腕を掴んでいた。聞くまでは離さない、と目が訴えている。ここまで言われては仕方ない。腹を括り、一つ息をついてから話し始める。
「中学ではさ、部活に入ってた」
「やっぱり、元々部活動をしてたんですね」
「ああ、バスケ部だったんだ」
これから話す内容を思い出す程、喉に何かがつっかえて話しづらいような気分になる。けど、七咲は真剣に聞いてくれている。その姿勢に答えるため、どうにか話を続ける。
「けど、輝日東高校に推薦が決まった後……出来なくなっちまったんだ」
「どうして、ですか?」
「親父と喧嘩してさ、右肩を怪我したんだ」
「肩……」
「病院で見てもらったけど……ここまでしか上がらなくなっちまった」
右腕が肩の高さまでしか上げられない、と腕を動かして見せる。それを見て七咲は理解したようだ。こんな状態ではバスケなんてまともにできるはずがない。
「バスケができなくなって、やりたいことを見失った。高校では帰宅部になって、それからずっと遅刻やサボりの繰り返しだ」
数分間無言が続く間、周囲からも音が消えていたような気がした。とうとう、話してしまった。まだ隠しておこうと思っていた俺の抱えている悩みも、全て打ち明けてしまった。七咲は俺から少し目線を下に逸らして、悲しそうに眉をしかめる。そんな様子に俺は何も言えずにいると突如その様子が急変した。
「……っ!」
「どうした?」
突然何かに気づいてハッと目を見開いた。そして右手を口にあてて俺から半歩後ずさる。
「私……知らなかったんです……」
「七咲?」
「先輩に……何度もすごく嫌なこと言って……!」
「待て七咲! 落ち着け!」
「っ! ごめんなさいっ!」
「七咲っ!」
俺が止める間も無く家に駆け込んでしまった。思いきり鍵を閉める音がして、それから出てくることは無かった。家の前に立ち尽くしながら、どうしてあんな様子になったのかを考えた。彼女は、自分がこれまで冗談混じりで言ってきたことを気にしてしまったのだろう。そんなの、全部本当のことだ。今さら全然気にしちゃいないのに。
どんな理由であれ、自分がだらしないなんて事はよくわかっていた。人の部活動に他人事なのも、遠ざけていたのだから当然だ。七咲が負い目を感じる必要なんて、これっぽっちも無いはずなんだ。次々と溢れそうな思いも、家の門の前からでは何も伝わらない。家に入る直前に見えたあの七咲の横顔を思い出す。今の俺が行っても、却って七咲を苦しめてしまいそうだ。そう思い、後ろ髪を引かれながらもその場を離れた。
それから数日間、七咲は学校を休んでいた。最初に出会った校舎裏をうろついているが、勿論姿は無い。
「あ」
「あら」
辺りを見回しながらこちらに来た塚原先輩と目が合った。恐らく、七咲が来ていないか様子を見て回っていたのだろう。七咲が俺の過去話を聞いた結果、学校を休んでいるという事を塚原先輩に話した。
「そう、あなたに負い目を感じちゃった事が原因だったのね」
「……はい」
先輩はちゃんと俺の話を最後まで聞いてくれた。しかし、聞き終えた時の表情は険しいものだった。
「厳しいことを言うけど、このまま休みが続いた場合……選抜メンバーになるのは難しい。それに追試の可能性も上がってしまえば、更に絶望的かもしれないわ」
「……そう、っすよね」
これが水泳部のキャプテンとしての、今の評価ということだろう。例え事情があったとしてもメンバーに選ばれるかどうかは別の話だ。中学までは俺もそういう世界にいたからよくわかっている。わかっているけど、納得はいかなかった。文句を言おうかと思ったところで、先輩の目はうってかわって優しい目になっていた。
「でもね……貴方の話をしている時の七咲、凄く楽しそうにしてたの」
「楽しそう……?」
「水泳部に入った時は……何というか、クールな娘って感じだったわ」
「……俺も、最初に会ったときそんな感じだった……っす」
「ひたむきでいい娘なのだけど、根を詰めすぎてないかちょっと心配だったわ。けれど、貴方といるときの方が一番良い顔をしてたわ」
「!」
そう言いながら浮かべた微笑みから、本心で七咲の事を気にかけていたのだと伝わってくる。文句を言いたい気持ちはすっかり消えて無くなっていた。
「俺は、今のあいつの方が良い……と思います」
「ええ、私もそう思うわ」
部活動が中途半端になっているという事ではなく、楽しく笑っている今の七咲が良いのだ。そんな一面が見えたからこそ、俺は今の様に良い関係でいられたのだから。
「私が行っても、より追い詰めちゃうだけかもしれないから……貴方に任せるわ」
「……はい!」
よろしくね、と言って先輩は去っていった。
帰宅した後、どうしたら七咲の調子が戻るか考えていた。七咲が休み始めてからというものの、放課後に寄り道をしようという気にならなかった。なので今は美也も普通に起きている時間だ。俺が部屋で考え込んでいると、美也が部屋に入ってきた。
「にぃに」
「どうした?」
少し暗い声で話しかけてきた事から、悩みごとを抱えているのが伝わる。恐らく、七咲の件だろう。
「最近逢ちゃんが学校お休みしていて……にぃにも知ってる?」
「ああ、知ってるよ」
「何度か連絡してみたんだけど、大丈夫としか言ってくれないんだ」
「……そうか」
「逢ちゃんと、何かあったの?」
「ああ……俺の事で、な」
友人である美也にも、伝えておいたほうがいいだろう。 俺が七咲に過去の話をしたことを説明した。
「そっか……にぃにの部活の事、聞いちゃったんだね」
「ああ」
「でもさ、お互い嫌いになったってわけじゃないんだよね?」
「だと思う……少なくとも俺は気にしちゃいないしな」
七咲は俺に罪悪感を感じたために俺から離れてしまった。俺が気にしていないと行っても、七咲が気にしてしまっている事が問題なのだ。何か違う形で気持ちを伝えられる方法は無いものだろうか。
「ねぇにぃに、お願いがあるんだ」
「何だ?」
「休んでる間、みゃーと紗江ちゃんで取ってた授業のノートがここにあります」
そう言いながら、学校鞄から数冊のノートを取り出して見せる。
「これをにぃにに届けてほしいんだ」
「美也はいかないのか?」
「にぃにの方がいいんじゃないかな、って思うから」
そう告げる美也は、本気でそうだと信じているようだった。そこまで自信を持って言われては俺も断る理由が無い。
「わかった、明日の放課後に届けてくる」
「うん、逢ちゃんによろしくね」
バタン、と美也は部屋の扉を閉めていった。ノートの表紙には逢ちゃん試験攻略ノート!と大きく書かれている。
(ん? 試験……そうか!)
一つ、効果があるかもしれない方法を思いついた。しかしこの方法は、これまでほぼ不可能と思っていた事を実現させるしかない。仮に俺が上手くいったとしても、それが七咲の気持ちを治せるという確証もない。それでも、今思いつく方法はこの位しか無かった。俺の中にほんの少しだけ、バスケ部で燃えていたあの時のような光を感じた。当時に比べたら本当に小さいけど、あれほど重かった腰を上げたいと思えた瞬間だった。
明日から、忙しくなるだろうと思いながらも、気だるさは全然感じていなかった。
大事な日の直前に真実を知って落ち込んでしまう渚ルートと
トラウマがフラッシュバックして引きこもってしまうことみルートを思い出すような展開になりました。
七咲はピュアな娘だからこういうの引きずっちゃいそうだな、というイメージから生まれたややオリ展開です。