第5話です。
桜井の協力によって遅刻を回避するようになってから三日目。日差しに起こされるのにも少しずつ慣れてきた。今日は初めて起こされる前に起きる事が出来た。朝遅刻しない時間に起きるようになったためか、俺の生活リズムが少しずつ変わっていた。夜になるにつれて眠気が強くなっていき、深夜に町をうろつく気分にならなくなった。そのため放課後はまっすぐ帰ってすぐに寝るという流れが板につこうとしていた。
最初は美也にまっすぐ帰ってきた事を信じられず、帰ってくるなりモップを構えて恐る恐る玄関にきた時はかなり驚いた。『だってこんな時間に入ってくる人に心当たりが無かったんだもん……』とかなり狼狽えぶりだった。
今思えば玄関に入ってただいまと言わなかった俺も悪かったのかもしれない。深夜じゃないのだから美也を起こさないように音を立てずに家へ入る必要もないはずだ。少しずつ普通の生活に戻していければいいだろう。そう考えていると、家に誰かが入ってきた音がした。桜井が来たのだろうと体を起こすと話し声が聞こえてきた。
「……桜井さん! 昨日は間に合いました?」
「うん! 一緒に走ったからギリギリセーフだったけど……」
「それでもあのお兄ちゃんが遅刻しなかっただけで感謝感激ですよ!」
改めて美也が如何に俺がちゃんと登校することを諦めていたかがわかる。少しずつ、少しずつ戻していければいいだろう。
「それじゃあお先に行ってきますねー!」
「うん、行ってらっしゃい!」
(と、そろそろ部屋に来るな)
徐々に部屋に近づいていく足音を聞きながら、俺は部屋の扉の前に立った。カチャ、そろ~、と桜井が忍び足で扉を開けてきた所で、俺と目が合った。
「よう」
「うひゃぁっ!?」
桜井が俺に気遣って音を立てないように入ってきたところに、普通に挨拶して驚かせてみた。すると思いの外驚いてしまったみたいでドデッ、と尻餅をつかせてしまった。
「だ、大丈夫か?」
「いたたー……あれ!? もう起きてる!?」
「ああ、今さっきな」
「おぉー! それはすごいね!」
ほんの悪戯心で驚かしたのだが、そんな俺に怒るでなく起きていたことに感心している。純粋な反応すぎてちょっと罪悪感が沸いてしまった。起きあがろうとする桜井に手を貸して、立ち上がるのを手伝う。
「桜井も今日はギリギリじゃなかったんだな」
「うん! 起きるためのコツを覚えたの!」
「コツ?」
「朝気がついたらとにかく布団をえいやって投げる!」
コツと言う割に思ったよりも力技だった。
「岡崎君もこのままいけば更に早く起きられるかもね!」
「かもしれないな」
「……でも、寝顔が見れないのはちょっと残念かも?」
「何か言ったか?」
「ううんっ、何でもない! じゃあ行こっか!」
「……俺が着替えてからな」
「ああっ! ごめんまたやっちゃった!」
このまま俺の起きる時間が早くなっていけば、普通の生活になる日もそう遠くない気がしてきた。朝のことがちょっとだけ嫌いじゃ無くなってきたかもしれない。
その日の授業も寝て過ごしたのだが、前よりも起きている時間が増えている。とはいえたったの数分だが、俺にとっては大きな変化だった。その数分の授業内容がさっぱりわからないことはどうしようもないと諦めている。
昼休み、俺は桜井と共に茶道部の部室に来ていた。放課後に来ない代わり、昼休みは遊びにいくという約束をしていたためだ。またのんびりと過ごすだけかと思っていたが、夕月先輩の出した話題によって空気は切り替わった。
「そろそろ茶道部も例の準備を始めないとな」
「何かあるんすか?」
「創設祭」
「……ってなんだ?」
「えっ?」
「……それはひょっとしてギャグで言ってるのか?」
飛羽先輩が一単語で簡潔に教えてくれたのだが、俺にはピンと来ない単語だった。周囲の反応を見る限り、知らない俺の方がおかしいらしい。
「輝日東高校の年に一度のイベントだぞ?」
「概ね文化祭」
「ああ、そういうやつか」
輝日東高校の文化祭の名称が創設祭なのだと初めて知った。そもそも祭りという単語に浮かれる性格でも無かったから、聞いたところで乗り気にはならない。
「岡崎君、去年は出てなかったんだっけ?」
「出てないな、というかそもそも知らなかったからな」
「重症」
恐らく当時の俺には全く興味を向けなかったのだろう。一度は聞いたかもしれないが記憶からさっぱり抜け落ちていた。
「今年も茶道部で出し物をするんだよ」
「今回は私が頑張るんだ!」
「何をするんだ?」
「んーと……いろいろ!」
三人同じタイミングで肩を落とした。このまま当日を迎えるのが少し不安になってしまった。
「そういえば梨穂子、あれはもう出したのか?」
「あれって何ですか?」
「創設祭の活動申請書」
「あーっ! 忘れてた!」
ハッとした桜井はこたつから勢いよく立ち上がった。
「そろそろ期限が近いはずだから、今のうちに出してきた方が良いんじゃないか?」
「はーい!行ってきまーす!」
バタバタと飛び出して行く桜井を先輩二人はこたつから出ずに見送った。
「二人は行かないんすか?」
「あー、まあ行ってもいいんだが……」
頬を掻きながら少し言うか迷った後、目を細めながら話し始めた。
「今回は梨穂っちに主体でやってもらうつもりなんだよ」
「次期部長の役目」
「桜井が部長……か」
ふと部長として奮起している姿を想像してみる。しかし普段のおっとりした性格からか、どうも上手くいく様子が浮かばなかった。
「お前も今思っただろうが……今の桜井に任せるのはやや不安がある」
「……まあ、確かに」
直接本人には言いづらいが、全員が同じように感じていることだった。
「今はまだ手助けができるが、次で私たちも卒業してしまうからね」
「あぁ……そうか」
「卒業したら茶道部は梨穂子一人になる。だからここは頑張ってもらいたいんだよ」
「愛のムチ」
敢えて桜井に経験させておくことで来年に同じことができるようになる。先輩後輩間でよくある引き継ぎというやつだ。
「ついでに言ってしまえば、私たちは別に茶道部にそこまで拘りがあるわけじゃないんだ」
「え? じゃあなんで……」
「後輩への気配り」
「部長が上手く務まらなくて嫌だった、で終わってほしくないんだよ」
あえて桜井に茶道部の作業をやらせているのは、先輩なりの考えがあってのことだった。初めて見た先輩らしい一面に俺は二人への印象を変えざるを得なかった。
「どうした? ボーッとして」
「意外っす、てっきりただ桜井をイジって遊んでただけかと……」
「オイ、流石に怒るぞ?」
「訴訟案件」
二人から眉をしかめながらこたつの中から足をゲシゲシと蹴られてしまった。割と痛かった。
「そこで岡崎、近頃梨穂っちに朝のお世話をされている君に相談があるんだ」
「言い方に悪意がありすぎるだろ! って、相談?」
「まあ何を言いたいかは何となくわかると思うが……」
「まあ、そうっすね……」
俺はこれまでに桜井に助けられた場面があったことを思い出していた。中学で俺が塞ぎ込んでいた時に諦めずに話しかけてくれていたこと。高校生になった今は朝に起こしてもらっていること。本当に気を使わせてしまっていた。何らかの形でお返しはしないといけないと思っていた。これはきっと、良い機会なのかもしれない。多少無茶な要求だったとしても、ここは大人しく受けようと真剣に向き合っていこう。
「もし君が良ければ茶道部に……」
「それは遠慮します」
つい反射で断っていた。流石にそれとこれとは話が別あ。俺の即斬りによって気まずい沈黙が流れる。
「……今の流れで断るか普通?」
「……常識皆無」
二人でコソコソ話のようにしているが、俺に丸聞こえの声量で文句を言っていた。一度場が仕切り直しになり、夕月先輩は軽く咳払いをしてから話を再会する。
「部員になるかどうかはともかくとして……創設祭の準備を手伝ってくれないだろうか?」
「準備ってそんなにやることが?」
「量というか、男手が欲しいという感じだな」
「梨穂っちじゃパワー不足」
「ああ、そういう……」
桜井が重労働をこなす所を想像してみたが、かなり不安になってしまう。しかし、そういう話なら協力することは吝かではない。少しくらい借りを返しておきたい。
「そういう条件だったらどうだ?」
「手伝うぐらいなら、いいっすよ」
「本当かい?それは助かるよ」
「アメ確保」
もう少しオブラートに包んで言ってほしい。
「別に俺はあいつを甘やかせないっすよ」
「いや、寧ろ甘やかさないように上手くやって欲しいんだ」
「アメはアメでもハッカ味」
「それじゃ多分ごほうびにもならないだろ……」
ハッカ味がごほうびになる人は少数派だろう。
「そういうわけで、我々の代わりに梨穂子を支えてやってくれ」
「よろしく」
まるで親が頭を下げているかのような真剣な雰囲気。二人とも桜井梨穂子という大事な後輩の事を本気で想っている目だった。
「まあ、できることはやりますよ」
「そこは男らしく『俺に任せとけ!』ぐらい言ってほしいなあ」
「やり直し」
「めんどくせぇ……」
何とも締まりの悪いやりとりだった。けれど、先輩達は俺が思っていたよりも今後のことを考えていると知れた。
「じゃあ早速だが、梨穂っちは申請書で困っているはずだから助けにいってやってくれ」
「早速すぎる……いいっすけど」
やれやれと腰を上げつつも、部室から出て桜井のところへ向かう俺の足取りは軽かった。朝起こしてもらっている借りを返せるから、とこの時は思っていた。けれど、もしかすると心の奥底では桜井と一緒にいる選択をしていたのかもしれない。どちらにせよ、少し浮き足だちながら校舎を歩くのだった。
茶道部と岡崎の組み合わせはボケツッコミの熱量が丁度良くてイメージしやすい!