森島先輩に俺のバスケの事を伝えた次の日。もう時刻は十時半になるというのに、俺は部屋のベッドにいた。起きられないのはいつもの事だが、昨日の事でモヤモヤして眠れなかった事も重なっている。
(今更色々考えたって仕方無いのにな……)
このまま寝ていても気分は晴れそうにない。重い身体を動かしてどうにか家を出た。今日は青空が少し見える程度には天気がよくなっていた。それでもいつもより暗く感じてしまう。校門を通り、自分の下駄箱を開けると一通の手紙が入っていた。開けてみると、塚原先輩からだった。
『はるかの件で話があります。昼休みに屋上で』
塚原先輩が動いてくるのは予想がついていた。話をすることになる準備は一応していたつもりだ。今行われている授業が終わればそのまま昼休みになる。授業に出る気にならない俺は、昼休みになるまで校内を適当にふらつく事にする。
(って何でここに来てんだよ)
気づくと中庭に来てしまっていた。昨日使ったバスケットボールはゴールの横に置いてあった。きっと森島先輩が置いて行ってしまったものだ。ボールを元の位置に戻すことにも気が回らなかったのだろうか。
バスケを断るにしても、もっとマシな言い方ややり方があったかもしれない。打てやしないシュートをやってみせる前に言いさえすれば、森島先輩も気負わずに済んでいた。今もこんな気持ちを引きずる事もなかったのかもしれない。
今更後悔したところで何も変わらない。一度切れた縁は、もう戻ることは無い。それは、親父との件でよく知っている。現に親父と再び家族に戻れる日なんて想像がつかない。だから、この中ももう終わってしまった。もう話しかけて来ることも無くなるだろう。
「……いつかはこうなるって、分かってたんだけどな」
寂しい、と感じているのだとようやく気が付いた。もう会わなくなることに対してなのか。こんな形で離れてしまったからなのか。答えが出る前に昼休みのチャイムがなってしまった。昼休みになって学食に向かう生徒達と逆方向にゆっくりと歩いていく。
屋上につくと、ポニーテールを乾いた風に靡かせる塚原先輩が先に立っていた。森島先輩のためにここまで動くあたり、相当気にかけていた事がわかる。俺が来た事に気づくと、彼女はゆっくりと俺のほうに近づいてきた。
「来てくれたのね」
「はい……えっと?」
「はるかはここには呼んでないわ」
「そうっすか」
周囲を見渡した俺の様子から、塚原先輩に意図を読まれてしまった。彼女もきっと俺とは会いづらいと感じているのだろう。突然会わされるという事が無かったために少し安堵した。
「はるかから事情は聞いたわ。その事で貴方と少し話をしたかったの」
「……うす」
「まずはるかがあんな行動に出た理由は、私が貴方がバスケ部だって教えてしまったからなの。水泳部の後輩から聞いて、つい話してしまった」
水泳部の後輩……こないだ家に来た美也の友達が水泳部だった事を思い出す。四人で話していた時に以前やっていた、程度の話をした覚えがある。
「はるかにそれを伝えたらすぐに貴方とやりたいって言い出しちゃって。……貴方が辞める事になった理由も知っていたから私は止めようとしたんだけど。あの娘は最後まで聞かずに行ってしまったわ」
「そういうことだったんすね」
「だから責任ははるかを止められなかった私にもあるわ、ごめんなさい」
「いや、そんなことは……」
塚原先輩が頭を下げるのを止める。塚原
「誘われた時に俺が先に言えば済む事だったんで、悪いのは俺のほうっす」
「でも、怪我の事はできれば言いたくなかった事でしょう?」
「まあ、それはそうっすけど……」
しかし結果的には話して、気を使わせる結果になってしまった。俺の嫌な所に踏み込まれて、カッとなってしまった。腹いせのように森島先輩に当たるように見せつけて、嫌な気持ちを背負わせてしまった。
「それで……貴方は今、はるかの事をどう思ってるの?」
「……どうって?」
「はるかは、貴方に嫌われちゃってるかもって思ってる」
「それは……」
「……貴方は、はるかの事が嫌い? 正直に言ってもらってもいいわ。嫌われても仕方ないと思う事を、あの娘はしてしまったのだから」
塚原先輩は、いつも大人びた雰囲気で話す。でも今は、真剣な目、いつもより張った声で問いかけてきた。俺の答えは、どうだろうか。最近よく突飛な遊びに誘われても、毎回気が乗らなくていつも断っていた。けどそれが本当に嫌だったら、先輩を突き離そうとしていたはずだ。昨日の事だって、別に先輩に対して嫌になったわけじゃない。全部、俺の問題なのだから。出会ってからの事を少し思い返していると、ふと塚原先輩が話し始める。
「答えを聞く前に言うのはちょっとズルいかもしれないけど……はるかの方はね、貴方に嫌われたくないって言ってたわ」
「えっ?」
「貴方に嫌なことを思い出させちゃって、私はダメな先輩だな……って。もっと貴方の事を知らなきゃって、珍しく凄く反省してた」
俺の中で、さっきの答えと森島先輩に言うべき事が決まった。でも、その前にどうしても気になってしまう。
「何で、そんなに気にかけてくるんすかね。俺はあの人の誘いを断りまくってて、俺の方こそ嫌われても仕方ないと思うんすけど……」
初めて会ってから数日しか経っていない。いつも誘いを無下にして、愛想も良くないのは自覚している。そんな俺が、そこまで思われる理由がわからないのだ。
「そうね……これははるかの気持ちの問題だから深くは言えないけど。最初に会ったときは他の男子とはちょっと違ってる子、位だったみたい」
俺は他の生徒より不真面目だという自覚はある。大抵の奴はその時点で離れていくが、先輩は違っていた。
「でも、それ以降は少しずつ貴方の事を知りたいって思うようになっていったの」
「俺の事を知る?」
「貴方がなぜいつも遅刻してるのか、何で誘っても断られちゃうのか、とか」
「二つめは俺じゃなくても断ると思うんすけど」
「それについては私も同感。なんだけど、これまで男子達を誘った時は二つ返事で受けてくれていたみたい」
「……そうっすか」
この学校の男達の尊厳が一人の女生徒に破壊されていた。全体的にこの学校の男達はちょっと節操が無さすぎると思う。
「話を戻すけど、やっぱりはるかのことは、嫌い?」
どこか憂いを帯びたような瞳を向ける塚原先輩に、俺はこれ以上気持ちを隠すべきじゃ無いと思った。友達思いの先輩に対してここまで言わせておいて、俺が逃げるのはおかしいだろう。自分の気持ちをどうにか整理して、少しずつ声に出していく。
「嫌いじゃ、無いっす。だから、またこれまで通りに話すのは問題無い……と思うんで」
少し上手く言葉がまとめられていなかったが、これが今の正直な気持ちだ。塚原先輩がそう、と満足そうな笑みを浮かべたところで、思わぬ方向から思わぬ声が聞こえてきた。
「……ほ、ほんとに?」
「え?」
聞こえてきたのは屋上の入り口だった。振り向いて目を向けると、そこには森島先輩がおそるおそるドアの影から出てきた。彼女は実は息を潜めてこっそりと俺たちの会話を聞いていたのである。俺の本音を聞かれたと知って、かなり恥ずかしくなってきた。正直もう立ち去りたい気分だ。
「あら、来ていたの。聞くのが怖いって私に頼んで来たから来ないかと思ってたのに」
「うん、どうしても気になっちゃって。それで君、今言ったこと、本当?」
「ええ、嫌ってる訳じゃないっすよ。寧ろ謝るのは俺の方で……」
「……良かったぁぁ~!」
俺が言い切る前に胸を撫で下ろしてその場に座り込んでしまった。そんな森島先輩に俺は手を貸そうと近づく。
「そんなにっすか」
「そんなにだよ!あの後帰っても全然寝付けなかったんだから!」
「それは……すんません」
かなり気を揉んでいたのだろうか。だとしたらかなり申し訳無い気持ちになっていた。
「その結果、はるかとの電話に一晩中付き合わされて眠れなかったわ」
「すみませんでした」
申し訳無いと思うより先に、塚原先輩に向かって頭を下げていた。
「だから君!私と響ちゃんへの態度が違いすぎるでしょ!」
「やっぱり貴方は理解があって助かるわ」
「いえいえ」
「もーっ!」
こうして、先輩達とはまた会って話せるようになっていた。一度は諦めようと思っていた事だった。でも今は、この関係が戻ったことを嬉しく思っていた。
翌日、十時頃に目が覚めた。昨日は身体が重かったが、今日は起き上がれそうだ。
家から出て少し歩くと、一気に眠気が覚めてしまった。この時間帯にいるはずの無い人物がいたためだ。
「あっ!やっと来た!」
「先輩……?こんな時間にどうしたんすか?」
森島先輩が通学路に立っていたのだ。すでに授業は始まっている時間だ。前に聞いた話通りなら、いつも朝は塚原先輩と登校しているはず。だからこれまで遅刻せずに済んでいたと言っていた。森島先輩は胸を張って言った。
「一度、君と一緒に登校してみようかなと思ったの!」
「……はぁ?」
「君はいつもこの時間に登校してるのね!こんなに他の生徒がいない通学路、新鮮でグッドね!」
「そうっすね」
「自由な感じがして良いけど、学生なんだから朝はちゃんと起きないとダメだよ?」
「先輩も学生っすよね」
「それで、私がここにいる理由なんだけど……」
思考が追いつかないまま、先輩は自分のペースで話を続ける。
「……私ね、もっと知らなきゃって思ったんだ」
「えっ?」
少し真剣なトーンで話し始めた。
「私、人の気持ちとかあまり考えずに動いちゃう。君もよく知ってるよね?」
「まあ、そうっすね」
「それで、君の事を考えてみたんだ」
「はあ」
「君が不良なのに優しい所とか、他の男の子とは何か違うなって思ったの」
それは、単なる好奇心だろうか。それとも別の何かなのか?
「それで、なんで毎朝遅刻してるのかな?って気になったんだ」
「……それを知るために、一緒に登校しようと?」
「ピンポーン!正解だよ!」
先輩らしい、単純な理由だった。でも、俺にはわからない点があった。
「なんで、そこまで」
人は好奇心だけで人のために動けるものだろうか。一緒に遅刻してまで、俺の事を知って先輩に得があるんだろうか。少なくとも、俺にはその行動力は理解できない。そして今の自分には無いものだった。先輩は少し考えた後に少し笑みを浮かべた。
「それはね……」
俺に歩み寄って顔を近づけて囁く。
「……君の事が放っておけなくなっちゃったから、かな」
「!?」
驚いて一歩下がってしまった。
「ふふっ、慌ててる。可愛いところが見られて嬉しい!」
そう言って先輩は左手を軽く口に当てて笑う。先輩が五十人以上に告白されてきた理由を垣間見た気分だ。少しだけ、俺もそれを味わってしまったのだから。
「……それで、俺と一緒に遅刻して何かわかったんすか?」
「学校についてから響ちゃんと会うのが怖い!」
「絶対怒られるでしょそれは……、なんで言わずにやったんすか」
「だって言ったら絶対止められちゃうじゃない!」
わかってるのにやってしまったなら怒られて当然だと思う。塚原先輩がため息をついている様子が目に浮かんできた。慌てている様子からして、肝心な俺の事を知るという動機を忘れている気がする。
「怒られる事を怖がってるようじゃ、先輩は不良にはなれないっすね」
「別に不良になりたいわけじゃないの!君の気持ちを知りたいだけなのよ!」
忘れている訳ではなかったようだ。
「まあ、そこはかとなく応援しときますよ」
「そこは全力で応援してよ!というか君の事なんだから君も頑張るの!」
何を頑張れと言うのだろうか。
こうして話すといつも通りのちょっと抜けている先輩だ。しかし先程の小悪魔の様な笑みをしていた先輩の顔が何故か忘れられない。
ともかく、無くなると思っていたこの関係は再び繋がれた。誰かと繋がっていることの良さを、失いかけることで知ることができた。今は、森島先輩の頑張りに少し付き合ってみるか。先輩との距離が前より少し近いような気がするが、気のせいだと思う。
もちろん、森島先輩は塚原先輩にこってり絞られたらしい。
「もう二度と遅刻はしません……」
「よろしい」
「だから君!明日から遅刻せずに私たちと登校するよ!」
「無理っす」
本当に反省しているかは微妙なところだった。