「にぃにー! 朝だよー!」
「……さみぃ」
突如として俺の眠りを妨げた大声と共に布団を盛大に剥がされた。思考が追い付かずに目を開けて大声がした方を見る。
「ほらほら!今起きればみゃーと一緒に登校できちゃうよ!」
「おぅ……」
寒さで身体と頭がようやく覚め始めてきた。美也が俺を起こしに部屋に突撃してきたのをようやく理解した。
「まだボーッとしてるねー、パン焼いておいたからほら早く食べて来て!」
「あぁ……」
森島先輩が俺と一緒に遅刻してから数日が経った。あれ以降は俺を待ち構える事はしてこなかった。流石に反省したのだろう。しかし、そんな事があったせいか俺の登校時間は少しずつ早くなっていった。朝になると何となく気になって起きるようになってしまった。もしかすると登校時間に間に合うようになるのでは無いだろうか。そう思っていた矢先に先程の襲撃があった、というわけだ。
美也に言われるがままにキッチンに置いてあるパンを食べ始める。ちなみにパンは普通の食パンだった。いつもなら俺に構わず先に言っていたのだが、心境の変化だろうか?そういえば前に一緒に登校したいとは言っていたのを思い出した。これまで気を使わせていた、ということなのかもしれない。
「ってにぃにまだ食べてる!早めに起こしたけどそこまで時間無いの!」
「そうか……なら俺はここまでだ。美也、後は頼んだぞ」
「学校に行くだけでしょ! トースト一枚にやられないでよ!」
「ああ……情けない兄貴でごめんな、美也」
「情けなさすぎるよ! もう後一口なんだから早く食べちゃって!」
話しているうちに頭も回り始めてきた。トーストを食べ終え、美也に急かされながら支度を済ませた。
「それじゃ!しゅっぱーつ!」
「あぁ」
美也はかなり上機嫌に歩き始めた。俺も合わせる形で進む。
「今日はなんで起こしに来たんだ?いつもは先に行ってるだろ」
「にっしっしー、最近にぃにが少しずつ早く学校に着いてる事は聞いているのだよー」
「また筒抜けなのな……」
俺の遅刻やサボりはいつも翌日か、少なくともその週のうちに美也に伝わっている。しかもその上、最近早くなっていることまで把握されているのはどういうことなのだろうか。
「前から思ってたんだがその情報誰から聞いてるんだ?」
「え?高橋先生からだよ」
「高橋?美也の担任か?」
「……にぃにの担任の先生って言ってたよ?」
「そうか。俺の担任って、高橋って名前なのか……」
「うそでしょ……もう二学期も終わっちゃうのに担任を知らないっておかしいよね!?」
そういえば始業式の日にサボったり、毎朝遅刻しているから朝礼とかにも出ていない。その結果、担任と一度も会話を交わす事なく冬を迎えていたのだ。
というか、俺みたいな問題児はサボったら注意しに来るものではないだろうか?諦められているのか、先生が面倒臭がりなのか。わからないけど来られても無視しようと思っていたので、俺にはどうでもよかった。
「あ、そういえば」
「どうした?」
ふとなにかを思い出すそぶりを見せる。相変わらず身振り手振りが大きい妹だな、なんて思っていた。
「この間森島先輩……だったっけ。と一緒に登校したって噂を聞いたんだけど」
「あの学校ほんと噂流れるの早すぎるだろ……」
前から思ってたが森島先輩となにかあるとすぐに広まるのどうにかならないのだろうか。
「その先輩とよく会ってるみたいだけどいつも何してるの?」
「ん?そうだな……俺を見つけては何度も遊びに誘ってくる」
「ふんふん」
「そんで、俺が大抵断ってる」
「ふんふ……ん?」
「んで、こないだ一緒に遅刻して怒られてた」
「えっと、つまりどういう関係なの?」
「……なんだろうな」
「いや、みゃーが聞いてるんだけど……」
改めて言葉にしてみたがこの関係は一体なんと言えばよいのだろうか。
「関係はわからんが、あの時は不良少年の気持ちになりたかったらしいぞ」
「ふーん……みゃーにはよくわかんないや」
そっぽを向きながら明らかに流す感じの返事をされた。
「興味無いなら聞くなよ……これじゃ話し損だぞ」
「興味無い訳じゃないんだけど……みゃーあの人ちょっと苦手かも」
「そうなのか?」
誰とでも仲良くできる性格をしている美也が苦手な相手とは珍しい。
「話したことも無いんだろ?」
「そうなんだけどー、たまにじっとみゃーを見つめて来てるような気がして……」
身を少し震わせて眉をしかめている。森島先輩に対して警戒心が発動しているということだろうか。
「前に可愛いもの好きって言ってたけど、それで美也を狙ってるとかじゃないか?」
「えー、何か嫌だよそれー」
「といっても考えられるのは可愛いから、ぐらいしか思い当たらないんだよな……」
前に犬の写真見たさに本を探しにいったり、見かけた女子も可愛いかどうかを判断していた。考えるほどこの説が有力になってしまった。
「可愛いから……」
美也がなにか呟いていたが聞き取れなかった。その後美也は何か不服そうな表情を向けてくる。
「にぃに、たまーにそういうとこあるよね」
「何がだ?」
「なんでもないよーだ」
そっぽを向かれた。何か変なことを言っただろうか。少しだけ話が途切れて、ふと周囲に目を向ける。本来の登校時間に出ているため同じ制服に囲まれるのは普通の事だ。しかし、遅刻常習犯の俺にとっては少しむず痒い。
(これも、変化と言えるのだろうか)
この違和感にもどかしさを感じている。遅刻していたらこんな感覚にはならなかっただろう。美也は俺の様子を少し眺めてから話し始める。
「さっきの話だけど、森島先輩と仲良くなることは別に反対じゃないよ。けどさ」
「けど?」
「あの金髪の人って大丈夫なの?窓ガラス割ったりしてるんじゃないの?」
美也の中の不良のイメージが結構古い。
「んな事しないから大丈夫だろ、あいつヘタレだし」
「そ、それはそれで大丈夫なの?」
俺に害は無いから大丈夫だろう、多分。
「まあその人は置いとくね」
「ああ、なんなら燃えるゴミにでも捨てといてくれ」
「ちょっと真面目な話するからそういうの一旦無しね」
「あ、あぁ……」
真面目な表情で俺のボケを一蹴されてしまった。このやりきれない気持ちも一旦捨てておかないといけなくなってしまった。
「にぃにってあんまり愛想良くないから、学校楽しんでるか心配だったんだー」
「悪かったな」
「でも、今のにぃにはちょっと楽しそうに見える!」
「そうなのか?」
確かに、何も変化が無かった少し前までは味気ない毎日が続いていた。それがここ最近は、退屈していなかったと思う。
「だから、みゃーはちょっと安心した!よかったねにぃに!」
美也には相当な苦労をかけているはずだ。こんな頼りない兄をここまで心配してくれていたとは、本当にできた妹だ。そんな妹のまっすぐな眼差しを向けられて、少し照れ臭くなった。
「今外だけど、その呼び方でいいのか?」
「もー、すぐそうやって茶化すんだからー!」
「……ありがとな」
「うんっ」
頭をわしゃわしゃと撫でてやる。こんなことをしたのはいつ以来だっただろうか。忘れかけていた兄妹の時間を過ごしているところに、やや場違いな声が響いた。
「あっ!いた!」
「ん?」
「はっ!」
ふと美也の方を見た時には、美也は姿を消していた。ほんの一瞬で撫でていた俺の手元からいなくなっていた。あの先輩の事はちょっと苦手と言っていたが、それどころじゃない反応速度だった。
「ありゃー残念、逃げられちゃった」
「先輩、あいつに何したんですか?」
「えー、まだ何もしてないわよ? あの子可愛いなーと思って良く観察する位で……」
「まだ、って言いませんでした?」
美也の警戒はどうやら間違って無かったようだ。残念がる先輩に俺が呆れていた所で、少し後に塚原先輩が追いついてきた。
「もう、急に走り出さないで……あら、岡崎君がいたのね」
「あっ、そういえば君がこの時間にいるなんて珍しいわね!」
「今朝は美也に起こされて、それで」
「グッド! 一緒に登校出来るの楽しみにしてたから良かったわ!」
グッドという割には今まで俺に気づいてなかったような気がする。美也を追っている時、俺の事は視界に入っていなさそうだった。
「……ねぇところで君。今の子とは、どういう関係なのかな?」
少し怪訝そうな表情で聞いてくる。この様子からすると、美也が兄妹だという事を知らないのだろう。俺は少しからかってみたくなった。いつも振り回されているのだから、少しくらいは良いだろう。
「美也の事ですか?」
「また呼び捨て……。起こしてもらったってどういう事かな?」
「今日は一緒に登校する、……って俺の部屋に突撃してきまして」
「部屋に突撃!?」
「まあ一緒に住んでて今更変な気遣いもいらないっすけどね」
「一緒に住んで……え、どういうこと?」
森島先輩の歩みが遅くなり、ついに立ち止まってしまった。そしてだんだん表情が暗くなっていく。
「ね、ねえ。それってもしかして、か、かの……」
「……え?」
森島先輩の予想と異なるリアクションに戸惑ってしまう。ショックを受けているように見えるのだが、美也が俺と親密な関係だと嫌だったのだろうか?そうこうしている内にネタばらしをすれタイミングを逃してしまった。どうしたものかと悩んでいると、後ろから少し呆れた声で塚原先輩が割り入ってきた。
「岡崎君、そろそろ良いんじゃない?」
「ひ、響ちゃん?」
「あの子、確か岡崎君の妹の美也ちゃんよね?」
「そうっす。やっぱり塚原先輩は知ってたんすね」
「まあね、はるかの反応が見たくて私もつい黙ってたんだけど」
「えっ!?」
塚原先輩は美也の事を知っていたらしい。水泳部の後輩が美也の友達と言っていたから、恐らくそこから聞いていたのだろう。
「……そっか、妹か……よかった」
心底安心したような表情で胸を撫で下ろす。
「もう! 先輩にいじわるするなんて、そんな子に育てた覚えはありません!」
「いや、育てられて無いっすけど……」
頬を膨らませて、少し涙目になりながらこちらを指差して怒ってきた。正直あそこまで動揺させてしまったのは計算外だった。先輩の表情を見ていると申し訳なさが込み上げてくる。
「本当にびっくりしたんだから! もう今日は先に行っちゃうんだから!」
そういって早歩きで先に行ってしまった。追い付けるスピードではあるのだが、追うのが憚られた。
「行っちゃったわね」
「ええ、というか塚原先輩はやっぱ美也の事知ってたんすね」
「ええ、水泳部の後輩から聞いていたから」
やはり美也の友達経由で知っていたようだ。途中までは俺の悪ふざけを見逃してくれていたのである。
「はるかをからかいたくなる気持ちはわかるけど……」
「そこはわかっちゃうんですか」
「まあね。でも今みたいな冗談はちょっと避けた方がいいみたいね」
「……みたいっすね」
「そうだ、岡崎君」
少し歩いてから塚原先輩が切り出してきた。
「何です?」
「またはるかと話すようになってくれて、ありがとう」
「ああ、いや、そんな大したことじゃ」
塚原先輩の助力が無ければ、森島先輩との関係はあの日に終わっていた気がする。友達のためにあそこまで行動できるのは優しさなのだろうと思った。
「私とはるかって、夜に長電話することが多いの」
「前に言ってましたね」
「その日の学校での出来事だったり、また告白されたって話がほとんどなのよ」
「先輩らしいっすね」
「そう。でもね……最近は貴方の話をする事が多くなったの」
俺の知らないところで、あの人は俺の話をよくしている。そう聞いてしまうと何だかこそばゆい。
「はるかは、貴方の事が一番気になっている。それで、これまで以上に君の事を知りたがってるの。これをどう捉えるかは貴方に任せるわ」
「はぁ……」
何だか意味深なような、それとも単純に言葉通りなのか。
「貴方は、はるかの事を知りたいと思う?」
「それは……」
森島先輩と会ってからの事を思い返してみる。
最初の頃は、かなり戸惑った。出会って早々間違いでフラれた後、マイペースに話しかけてきた。人付き合いが億劫になっていた俺にとっては、正直避けようとまでしていた気がする。
それが今はどうだろうか。ここまで俺に対して純粋に興味を持ってくれていると知って。右肩の事を知った後でも同じように接してくれて。俺自身も、この関係が無くなるのが嫌だと感じていた。本当はこんな誰かとのつながりを求めていたのかもしれない。美也に聞かれた「森島先輩との関係」は何なのか。今の関係は友達、なのだろうか。俺はどういう関係でいたいのか、まだ答えが出そうに無い。
「ごめんなさい、ちょっと気になっただけだから。すぐに答えなくてもいいわ」
「いえ、何かすんません」
「構わないわ……もう何となくわかっちゃったから」
最後になんと言っていたかは聞こえなかった、というより聞いていなかった。
そこから学校に着くまで、それとなく話しは続けていた。でも、問いの答えは出てくることは無かった。
「おはよー」
「もう昼だけどな」
昼休みに春原が登校してきた。いつのまにか春原の登校時間が逆戻りしていた。
「張り切って朝に登校してきてたあのやる気はどうしたんだよ」
「だってさー、ここまで頑張っても彼女ゼロじゃやる気も無くなるっての」
「あんた頑張っても一度も朝礼間に合わないのね……」
確かに朝礼までにこいつが来ていたことは一度も無い。といっても俺も今日初めて朝礼に出たため担任の高なんとかに二度見されていた。
「岡崎は今日朝に来たわよ」
「なにぃ!?……お前さては岡崎の偽物じゃないだろうな!?」
「それはあたしも朝に聞いたわ……」
二人とも揃って失礼だった。あと思考回路が似通いすぎている。
「いいよなぁーっ!森島先輩と上手くいってる奴は人生楽しんでてさーっ!」
「いや、関係無いからな」
「どーだかねぇ。先輩に朝起こしてもらってたりするんじゃないんですかー?」
「うぜぇ……」
「否定はしないのね?」
「あー……いや、起こしてもらったわけじゃ無いぞ」
「ふーん?なーんか怪しいわね」
直接起こしてもらってはいないが、あながち影響は受けたかもしれないから否定しきれない。森島先輩と関わることで、少しずつ変化しているのだと実感した。
「そういえば最近春原が陰で味玉の人って呼ばれてるらしいわよ」
「あれほんとにやったのかよ……」
唆したのは俺だけど、さすがにやる前に気づくだろうと思っていた。あいつは俺の想定を越える味玉馬鹿だったらしい。