美也の朝突撃があった日から数日間、俺は遅刻無しという好成績を納めていた。朝に起きる、もとい起こされる生活が続いたからか、目覚めてから布団を出るまでが少しずつ早くなっているらしい。
それにしても毎朝布団を無理矢理剥がすのはちょっと止めてほしい。冬にその手段はいささか心臓に悪い。その事を美也に言ってみたところ、『嫌なら自分で起きてみなよー、にっしっしー』という望み薄な返答だった。美也と会話する時間も多くなったため、話す話題も広がっていた。
「今日の放課後は友達と遊びに行く約束してるんだー」
「こないだうちに来てた二人か?」
「そー!だから今日は帰り遅くなるね!」
「わかった。また適当にふらついてくるかな」
「にぃにがみゃーたちを何処かに連れてってくれてもいいんだよー?」
「あー……前向きに検討させていただきます」
「それする気無いときの返事じゃん!」
本当に暇潰し程度なところしか行かないので連れていくほどじゃないのだ。あと春原の部屋はもっと連れていくほどじゃない。
「あ、前の方に紗江ちゃん発見!ということで先いくねー!」
「ああ」
そういって駆け足で追いかけていった。というかあの友達、黒い高級そうな車から降りていたような気がする。あまり詮索するのは止めておいたほうが良さそうだ。
(一人で歩くと校門まで長く感じるな……)
美也と登校するようになり、その途中に先輩達と会うのが普通になってきていた。誰かと話していると、時間が過ぎるのが早い。少し前まではただ退屈な時間だったのに、こうも変わるんだなと感じていた。
(変わるのも、悪くないのかもしれないな)
少しだけ、踏み出せたような気がしていた。ほんの少しの達成感を感じていると、前方から俺に向けて聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「はいストップ!」
「おぉ」
校門を通りすぎたところで、門の裏に身を潜めていた森島先輩に呼び止められる。距離が近い。あと数センチで鼻がくっついてしまう位に近い。
「よし、止まってくれたね!」
「心臓まで止まるところだったんですが」
「わぉ、それは大変だったね!」
俺の感想をさらりと流されてしまった。
「今日は塚原先輩と一緒じゃ無いんすね」
「響ちゃんは水泳部の朝練があるからって先に行ってたの」
「……一人でよく遅刻しませんでしたね」
「それは君には言われたくない!」
確かに少し前まではそうだったのだが、誰の影響か俺も少しずつ変化している。
「最近は遅刻してないんで」
「それって、もしかして私の影響?」
「……どうっすかね」
「どちらにしても、君と登校できるのは嬉しいからグッドなんだけどね!」
「っ!」
この人はたまに人をドキッとさせるような事をさらっと言う。大勢に告白されてしまう原因の一部はこれなのでは無いかと改めて感じていた。
「それで、なんで校門にいたんですか」
「そうそれ! 突然だけどクリスマスって予定あるのかな?」
「え? ああ、もうそんな季節だったか……」
クリスマスが近くなっているという事をすっかり忘れていた。これまでクリスマスらしいことをしてこなかったために、頭からすっぽりと抜け落ちていた。美也は友達と出かけてくる、と言っていた気がする。俺には特に予定も無いので寝て過ごすつもりだった。
「特に無いっすけど」
「そっか! それなら……」
少し何かを決意したような素振りの後、先輩は真っ直ぐこちらを見ながら言った。
「私とデートしましょう!」
周囲を歩いていた生徒達が何人かこちらを振り返った気がするが、俺も森島先輩も意に介さない。少しの空白が空いて、ようやく俺の思考が追い付いた。
「それは……」
「だめ、かな?」
寂しそうな上目使いで目を潤ませながらこちらを見てくる。その様子から冗談でないということが伝わってきた。それと同時に、断れない気持ちに駆られていた。何より俺自身も、行っても良いと思っていた。
「いいっすよ」
「本当に!? やっぱり無しとかはダメだからね!?」
心から喜んでいる、ように見えた。
「それじゃあ場所や時間はまた後で伝えるから! オーキードーキー?」
「は、はぁ」
「もー、そこは合わせて欲しかったんだけどなー?」
「……前向きに検討しておきます」
「何か変な言い方だけど、まあいいや!」
先輩にはこの言い方は伝わらなかったようだ。そして用事は済んだのか先輩は校舎に早足で歩き始めてしまった。
(クリスマスに二人で、か)
こんな風に誘われてしまったら、どうしても強く意識してしまう。もしも二人で出掛けて、恋人のような関係になれたら。男として嬉しさもある反面、どこか気持ちが晴れていない。
ここ最近の出来事を振り返ってみた。森島先輩の遊びに付き合って、美也と登校するようになって。これらの変化は決して嫌じゃない。むしろ少し心地よく感じていた。しかし、自分の心に引っ掛かっていたものに気づいた。
(どうも周囲に流されてばかりだな)
何か変わってほしいと思っていた。でもそれは、他力本願というものだ。あの夢で聞いた「変わらずにはいられない」という言葉を、ただ飲み込んだだけ。俺自身は、どうしたいのか。それからしばらくの間、その問いの答えを探し続けることになった。
二学期の終業式の朝。時間通りに登校すると下駄箱に手紙が入っていた。裏に森島先輩の名前が書いてある。
「明日は○○駅前に十三時集合ね! 来なかったら家に突撃します!」
行けなかった場合は家に突撃されるらしい。それは俺も、ついでに美也も困る。元よりキャンセルする気持ちは無い。俺の気持ちはある程度決まっているのかもしれないと感じていた。終業式が終わり、出席していなかった春原の部屋に潜り込んでいた。
「今日はずっと寝てたのか?」
「うん……僕に彼女なんてできっこ無かったんだ、あは、あははは……」
「ヘタレてやがる……遅すぎたんだ……」
春原の彼女作る作戦は全て失敗に終わっていたようだった。そのせいか学校に行く気力すらも残っていなかったみたいだ。
「という訳で岡崎……クリスマスは男二人で楽しく過ごそうな……」
春原は親指を立てながらすがるような声をあげる。
「俺その日は森島先輩と出掛けるから無理だぞ」
「ホァーーーーーーー!!!!」
と叫んだ後にベッドに倒れたまま動かなくなってしまった。それから数分経っても春原は起きる様子も無かった。暇潰し相手がいないのではここにいても仕方ない。部屋からそっと退出して大人しく家に帰る事にした。
「だからドア……閉めてください……」
風が強くて、よく聞こえなかった。
春原の部屋から早々に退散したため、帰ると美也はまだ起きていた。明日友達と出掛ける準備をしているところだった。
「明日は森島先輩と出掛けるんだよね!」
「なんか嬉しそうだな」
「いやー、去年のクリスマスは家でずっとテレビ観てただけだったあのにぃにが……」
「……そういえばそうだったな」
去年の今頃は無気力の真っ只中だった。外に出ればクリスマスに浮かれる人が多い。かといって家でやりたいことも無いからずっとテレビをボーッと眺めていた。美也曰く、端からみたら相当危ない人になっていたらしい。
「確かに去年は本当に何もしなかったな」
「そうだよー、みゃーが出掛ける前と後で全く同じ体勢だったからびっくりしたよ」
「……心配かけたな」
「ほんとだよー。まあ今は笑えるけどさ」
あの後美也が拗ねたので翌日スイーツを買って機嫌をとったのだった。俺が出掛けることに話が戻る。
「それで、どこに行くかは決まってるの?」
「待ち合わせの場所と時間は分かるんだが、その後がわからん」
「随分マイペースな人だね……」
下駄箱に入っていた手紙にはそれしか情報が無かった。その後少し先輩を探してみたが会うことは出来なかった。明日は一体どうなることやら。少しだけ気持ちが落ち着かない自分がいることに気づいた。
「まあそれぞれ楽しんじゃおー!ってことで!」
「そうだな」
「それじゃ、みゃーは明日の準備するから部屋に行くねー」
「ああ、俺も出掛ける準備しないとな……」
各自自分の部屋で出掛ける準備を始める前に美也が立ち止まった。
「あ、そうだにぃに」
「どうした?」
「えっと……お父さん、夕方に少しだけ家に顔を出すって」
「……そうか」
「……うん」
美也は少しの間俺の様子を伺った後、部屋に行った。気にかけた上で念のため伝えておいてくれたのだろう。親父と会う気は無い。少なくとも、今の俺じゃ会ったところで何も変えられない。自分の身の回りすら、自分の意思で変えられていないのだから。
「……今は、明日のことだけ考えるか」
自分の気持ちを確かめながら、俺はどうしたいのか。いつのまにか無気力な自分を変えたいと思うようになっていた。