????年?月?日 ある駆逐艦の回想
山雲は~1937年の大陸での戦いがある中で~生まれたの~。
次の年の1月には~海軍に配属されたわ~
2月には~横須賀鎮守府所属第四十一駆逐隊が編成されて~夏雲と~コンビを組んだのよ~
3月に朝雲姉が横須賀に到着して一緒に訓練したわ~
そして1939年に~潜水本部の対潜水艦の~テストをするとかで~駆逐艦が必要だから~
山雲が~木更津に移動して~潜水本部のテストをすることになったの~
朝雲姉と離れるのは~寂しかったけど~命令だから~従ったのね~
木更津に待ってたのは~潜水本部長松永中将と~第一潜水戦隊が~待ってたの~
臨時編成の~演習艦隊が編制されて~山雲が旗艦になったの~
新型水中聴音機が~よく聞こえるの~山雲で指揮を執ってた松永中将が~
呟いた一言が忘れられないわ~『対潜水艦戦の訓練は厳しいな。航空機も警戒せねばならないし海上輸送は基地航空隊の援護も必要だな。」その時は~飛行機の危険性が分からなかったけど~
開戦後は身に染みて理解することになったわ~ 輸送任務に従事する時も、航空機と潜水艦を警戒しなくちゃいけないって意味が分かったわ~
演習では~潜水艦を10隻中6隻撃沈判定と2隻撃破判定で~
山雲たちは~ 海風ちゃんが撃沈判定と輸送艦が2隻撃沈判定で~ 潮ちゃんと満潮姉さんが撃破判定だったの~
1940年の10月くらいまで~ 潜水本部の試験艦をやったの~ 最後の演習に横浜海軍航空隊と館山海軍航空隊の九七式大艇が大活躍で~第一潜水戦隊と第二潜水戦隊の潜水艦を一瞬で撃破判定に持っていったの~
でも~松永中将が~ 『敵潜水艦のみならば護衛機なしの哨戒機で撃破はできるが、敵制空権内尚且つ敵戦闘機があるならば鈍足の哨戒機は一瞬で墜とされる。」と言ってたわ~ 見学に来ていた山本大将がそれに同意していたのも衝撃だったわ~
山雲は~ 開戦直後に~ 機雷を喰らっちゃて~ しばらく修理してたわ~ 山雲が~戦線離脱していた間に~ ソロモン方面の状況が悪化して~ 夏雲が修理で戻ってきたのね~ 交代で山雲は~輸送任務をすることになったけど~ 1943年の春に~ 山本大将が戦死した時に~ 松永中将が指揮継承上先任だったから~
指揮継承して連合艦隊司令長官代行を務める事になったの~そして最初にしたのがい号作戦を打ち切って~
柱島に停泊していた陸奥さんから~幌筵へ移動したの~ 山雲たちは~ 第一艦隊のみんなで 幌筵へ5日遅れで到着したの~
到着したばっかりの山雲たちに~言ったのはアッツ島及びキスカ島から陸戦部隊の撤退任務だったの。
松永大将の見解ではアッツ島に侵攻されるらしいわ~ アムチトカ島に飛行場が完成したからおそらく侵攻されるかららしいわ~
松永大将率いる第一艦隊と第五艦隊が陽動作戦を実施して一水戦別動隊と五水戦がキスカ島、アッツ島からの撤退を行うの~
松永大将は~ 長門さんに将旗を掲げアリューシャン方面に向かっていったわ~
山雲は~朝雲姉と~ 再編成された五水戦でアッツ島から撤退作戦を実施したわ~
アッツ島から帰還した第五艦隊の江本参謀は現地の状況を松永大将に報告していて
北東方面の最前線は幌筵になったわ~。撤退作戦終了後。連合艦隊司令長官に古賀峯一大将が着任したわ~
松永大将は~長門さんから柱島に帰っていったわ~
山雲は~五水戦が解隊される10月には~輸送任務に戻っていたわ~
松永大将と~また会ったのは~翌年の3月だったわ~ 当時パラオにあった連合艦隊司令部にパラオから撤退しようとしていた~古賀大将に直談判しにわざわざ空路でパラオに来ていたわ~
でも~古賀大将は聞き入れず一部の残った参謀を残して二式大艇でダバオに向かっていったわ~...それが古賀大将の最期の姿だったわね~ また先任の松永大将が連合艦隊司令長官代行をして~そのまま連合艦隊司令長官になったわね~ 山雲は~パラオにいた武蔵さんを護衛してスラバヤに移動したわ~
捷号作戦は思い出すのも辛いわね~ 山雲は主隊と共にスリガオ海峡を北上してレイテ湾向かうことになったわ~ スリガオ海峡は~凄かったわ~
北上さんと大井さんが~前にでて魚雷を一斉射したわ~片弦20門だから40門ね~ 第一斉射では少なくとも8隻の駆逐艦は轟沈したわね~ 北上さんと大井さんが反転して第二斉射して次に陸奥さんを中心に左に扶桑さん、右に山城さんの警戒陣に移ったわ~ 最初の雷撃だけで~合計22隻くらいは沈んだかな~
でも油断しちゃって右側を航行していた満潮姉さんが被雷しちゃったの~ 司令駆逐艦の山雲は~ 満潮姉さんの被害を確認したけど...助からなかったの。
明け方にセブ基地からきた扶桑飛行長率いる雷撃隊が重巡戦隊を撃破して通りやすくなったわ~
陸奥さんの砲撃で戦艦が弾薬庫に誘爆したのか轟沈したのは驚いたわ~
でも山雲たちも被害がなかったわけじゃないの~ 最初に第二斉射を終えたばかりの大井さんが雷撃で轟沈ちゃったの~ 無気力な北上さんもその時は珍しく感情を露わにしていたわ~。
そして満潮姉さん、陽炎さん、嵐さん、三水戦旗艦の名取さん。
最後に海峡突破寸前に扶桑さんが被雷したわ~ その時は何もなかったけど無理しちゃってレイテ湾攻撃中に扶桑さんが爆撃で沈んじゃったの。あの時の山城さんは見てられないわ~
海戦後は~山雲は~多号作戦に従事することになったの~。その時が朝雲姉と永遠の別れだったわ...
翌年の~3月に本土にまで機雷が投下されて~掃海することになったの~門司に設置された第七艦隊の指揮下に入って機雷掃海部隊の旗艦をしたわ~
そして最後の出撃の時、主隊は~関門海峡を通過して佐世保に向かったわ~...それが松永大将の最後の姿だったわ~
山雲は~台湾に向かって輸送をしてるのが最期だったわ~ 朝潮型で最後だったわ~
山雲が~再び生まれたのは~大阪警備府だったわ~深海棲艦と戦うためにね~
朝雲姉とも再開できたわ~ 嬉しかったわ~
でも~警備府の
ある時~ 作戦失敗して警備府に戻ったら~
でもある時~
そこに朝雲姉と満潮姉さんが乗り込んできたの~ 満潮姉さんが
朝雲姉がブチ切れて
気づいたら警備府最先任の能代さんが付き添ってくれてたわ~
満潮姉さんが警備府解散の時に朝雲姉の手紙をくれたの~ 満潮姉さんは呉へ、山雲と~能代さんは舞鶴鎮守府へ異動になったわ~
山雲は無意識に提督というものに嫌悪を持っていたみたいで~ 能代さんがよく怖い顔してるよって言ってくれたの~ 舞鶴の
山雲は~舞鶴でのんびり過ごしていたら~
1人は知ってる人~ 塩谷大佐は~
見たことある人は~誰か分からなかったの~ 案内している内に居心地がよくなってきたの~
応接室で~
どおりで~見たことある人だったのね~ 山雲は~朝雲姉と同じくらい好き~
話し合いが終わった後~山雲は
山雲に~ 能代さんがついてくれるの~
主隊MB
連合艦隊直轄部隊の軍隊区分上の名称
戦艦部隊BB
第一艦隊の軍隊区分上の名称
第一遊撃部隊1YB
第二艦隊の軍隊区分上の名称
機動部隊本隊KdMB
第三艦隊の軍隊区分上の名称なお第一機動艦隊はKdB
先遣部隊ED
第六艦隊の軍隊区分上の名称
第二遊撃部隊2YB
第五艦隊の軍隊区分上の名称