サイレンススズカ、翠玉に疾う   作:橋本みちか

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先頭の景色は譲らない

レース場に、風はふたつ吹いていた。

 

ひとつは、轟音を伴いながら力強く吹き抜ける青色の風。

ひとつは、規則的であるも鋭く、点と点を紡ぐようにして、お手本のように吹き去って往く桃色の風。

 

それらはときに絡み合い、ときに岐れ、まるで踊るようにコースを駆け抜けていった。ミホノブルボンとツインターボ。差すだとか追い込むだとかいう以前の問題ともいえるその理不尽なスピードは、観客の誰もがこのレースの勝者はこのどちらかだと思うに十分たるエビデンスだった。

 

 

それを。

 

 

その2つの風を取り込むかのような鮮やかな加速と共に、ただ一点のみを貫かんとする風が、沸き起こる歓声を背に、今までの総てを過去にすべく突き抜けていった。その風は、芝によく似た翠玉の色をしていた。

 

 

 

《サイレンススズカだああああ!サイレンススズカ行ったあああ!最終直線先頭はサイレンススズカ!オグリキャップもタマモクロスもナリタブライアンも誰あれも追いつけない!異次元の速さ!あまりにも理不尽な速さという壁が高く高く聳えておりますサイレンススズカ!このまま行ってしまうのか!2400という距離でもサイレンススズカは止まらないのか!!》

 

 

先頭をひた走るサイレンススズカ。あの位置から抜け出したのも初めて感じた「勝利への執着」の賜物だろう。しかし抜け出すのが早かった気がしないでもない。最終コーナーの遥か手前で掛かってしまったのだから、此処から先はスタミナとの勝負になるだろう。―こんなにまで差が付いたのならいずれにしても、今からゴールまでの敵は自分自身ということだ。…彼の国での就労ビザを取る準備って、どのくらいかかるのだろうか。

 

 

数瞬の後、その歓声はより大きくなったのに気づくことなく、先の事に耽っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっと捕まえた私の風。これで私は、走れる。

 

そう思ったときには、私は私の風に乗って、これまでのどのレースでも出したことのないスピードで先頭に出ていた。

これまで不本意ながら後退していたせいで脚は貯まっている。だからなのか、この加速は、私の経験には無い、瞬間的にトップスピードへ引き上げてくれるものだった。

 

脚が自ずと前に伸びていく。私の身体が、ぐいぐいと前に引っ張られていく。頭の先から脚の先まで、前に進むことしか考えられない。速さという際限のないものの、次の扉が開かれようとしている。

 

 

 

 

私はその扉を、思いっきり開け放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―そう、やっと見えた。

 

 

 

 

スピードの向こう側にある、何処迄も静かで綺麗な、私が見たかったもの!

 

 

 

 

 

 

 

 

もう止まらない。私を誰も止めることはできない。ただ速く!もっと速く!この速さで、私はどこまでも往ける。

 

よく見える。私の前に誰もいない世界がとても良く見える。

 

よく聴こえる。スタンドの歓声、芝を踏みしめる私の脚音、遙か後ろで響く他のウマ娘の脚音。とてもよく聴こえる。

 

疲れも殆ど感じない。脚も走り始めのように軽い。限界という壁を突き破り、また新たな壁を突き破る。これを繰り返してウマ娘は成長していくものだけど、今日このときに限っては、私はその壁を何枚も何枚も粉々にしているだろう。

 

―これは勝てる。ゴールゲートはまだ遙か先だけど、この速さなら誰もついてこれない。そう思ったとき、私の耳が違和感を訴えてきた。

 

 

 

 

脚音だ。

 

 

 

 

ひとつだけ、他とは明らかに違う、私と近い距離で聴こえる脚音がある。そしてそれは、聴くごとに明らかに近づいている。

 

 

 

 

 

 

 

ずん。

 

ず ん 。

 

ず ん 。

 

ず ん 。

 

ず ん !

 

ず ん ! !

 

ず ん ! ! !

 

 

 

 

 

 

大喝采とどよめきに包まれながら迫ってくる脚音。踏み締める脚音の迫力からしておそらく差しか追込。ナリタブライアン?オグリキャップ?タマモクロスかもしれない。―わからないけれど、私は走るしかない。逃げるしかない。

 

よりペースを上げる。スピードの向こう側にある新しい扉を、さらに何枚も何枚も開いていく。その世界には、そこには私ひとりしか存在しないはず。そこに脚を踏み入れてくるウマ娘なんているわけがない。

なのに、脚音は少しずつ迫ってくる。背に感じる気迫がぐんぐん近づいてくる。まだ私の脚は垂れてないし使えるのに、ひとりで激しく揺れていた。

 

 

 

 

 

 

《スペシャルウィーク!スペシャルウィークが他のウマ娘を押しのけて二番手に躍り出ました!なんというパワー!

空撮カメラからでもターフに残された蹄跡を確認することができます!その後ろからオグリキャップとタマモクロスが猛追していますがおそらく届かないでしょう!

スペシャルウィーク!まだまだ伸びていきますスペシャルウィーク!これはサイレンススズカも射程内か!先頭目指して一直線に加速していきます!まさに流星!シューティングスターであります!》

 

 

横のトレーナーに肩を揺さぶられ、すでに妄想で行き着いていた彼の国から強引に引き戻される。多少早かったとはいえ完璧なスパート。自分の担当ウマ娘の勝利を信じて疑わなかったが―、そこにはにわかには信じがたい光景が広がっていた。

 

スペシャルウィークが、スズカを2バ身差で追っている。あまつさえその差は縮まりつつさえある。

 

当然会場は大盛り上がりだ。大歓声がスペシャルウィークの背中を押す。スズカとはまた違う、おそらくオグリキャップなどと同じ「強い」疾走りで、スズカに届くとも届かんとしている。―多分スズカは後ろに気配は感じども、それが誰かは知る由もないだろう。あの速さでは後ろなど振り向くことは不可能だ。

 

モニタに移されたスペシャルウィークの表情は鬼気迫るものでありながら、どこかさっぱりとしていた。疲労というものを微塵も感じさせない。精神が、根性が肉体を超越している。

 

多分今日のスペシャルウィークは止まらない。しかし今日のスズカもまた誰にも止めることができない。3番手争いのオグリキャップとタマモクロスがもはや4バ身以上後ろ。

勝者はこの二人に絞られた。止まらない者同士の、差すか逃げるかの一騎打ち。残り400メートルですべては決する。

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