サイレンススズカ、翠玉に疾う   作:橋本みちか

18 / 47
次の扉へ

このレース最大の難所、高低差2メートル、距離100メートルの上り坂を登り切ったあたりで、スズカは息を入れ直した。―いや、入れ直さざるを得なかったというべきだろう。2バ身後ろからのプレッシャーがなければ、そのまま勢いに任せて一息に走り切れてもおかしくなかった。

 

《残り400を切りました!先頭は依然サイレンススズカ、2バ身後ろにスペシャルウィーク!勝負はこの二人に絞られました!後方オグリキャップもタマモクロスも捉えることができません!少しずつですが確実に!会場の大歓声を一身に受けて坂を駆け上がります!》

 

最終直線に入って、さすがにスズカも意思との闘いをせざるを得なくなっている。あとは自分の《負けたくない》想いが続く限り意地で走るしかない。

最終直線前の上り坂がスズカの弱点だ。スタミナにも不安はあるし、前に進む速さはあってもそこに力強さはない。

比べてオグリキャップやスペシャルウィークのような力で加速するウマ娘にとって上り坂は逆に強みだ。登り切った後最終直線までにスペシャルウィークはその差をみるみる縮め、さすがにスタミナを使ったスズカににじり寄らんとしている。

 

 

《差は縮まる!縮まっているう!もう半バ身!サイレンススズカが射程に捉えられているぞ!いまだかつてこんなことがあったでしょうか!さすがにこれ以上は譲れないサイレンススズカ!力を振り絞ってさらに加速を試みますがスペシャルウィークも離れません!これは戦いだ!走るということにその総てを懸けた戦いでしょう!お互いに譲らない!サイレンススズカ半バ身リード!》

 

スぺちゃんと一緒に走りたいんです。

 

そう言っていたスズカを思い出す。約束は、この時を以て成ったのだ。あとはそう、逃げ切るだけ。

 

観客席からでもわかる、研ぎ澄まされた殺気ともいうべき、絶対に差してやるという気迫。それが歓声と喝采に押されてより増幅され、束になってスズカに今にも襲い掛かろうとしている。

 

それでもスズカは視線を逸らさない。決して後ろは見ない。背中の迷いは振り切れない。きっとおそらく初めて感じているであろう後方からのプレッシャーに動揺しているはずだ。ただ漠然と走ってきたスズカとは決定的に違う、いかなる困難や障害も越えてきた勝利への渇望からくる執念。

それでも栄光はもう手の届くところまできている。あと十数秒我慢すればスズカの勝ちだ。意地で走り切れば必ずそこに栄光はある。

 

頼む、堪えてくれ―!

 

祈るような気持ちでレースを見守る。この経験もまた、はじめてだった。

 

 

 

その祈りは、最初で最後の《勝たせてやりたい》というささやかな祈りは。

 

 

 

さらに大きく膨れ上がった会場の喝采にかき消されてしまった。

 

《残り200!残り200を切った!並んだ、並んだ!ついにスペシャルウィークとサイレンススズカ横一線!なんということだ!今私たちは何を見せられているのでしょうか!二人隣同士、肩も触れ合わんという距離!速すぎる!競バ界の新たなる領域が開かれようとしています!そうこうしている間に残り100を通過!勝つのはサイレンススズカか、スペシャルウィークか!勝利の女神はどちらに微笑む―否、女神の微笑みを奪い去るのはどっちだ!》

 

もうゴールは目と鼻の先。あとは何度も言うが意地との戦い。折れたい自分を折らない戦い。ここまできたら最後まで折れなかった奴が勝つ。あと5秒か6秒か。折れなかった奴が勝つだろう。

 

以前横並びの二人だが、スズカは抜かせないしスペシャルウィークは抜けない。このままゴールにもつれ込むと誰もがそう思い始めたとき、

 

 

 

 

スペシャルウィークが

 

 

 

 

少しだけ沈んだ。瞬きするかしないか程の時間だったが、その一瞬で半バ身の差がつく。

歓声が息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 

スペシャルウィークにとってこれ以上の出来事はないだろう。

サイレンススズカと競い走りゴールを目指し、ずっとずっとずっとずっと想っていた夢が叶ったのだ。背中を押す声は限りなく熱い。

断固としたゆるぎない覚悟を決して駆け抜けながら憧れのサイレンススズカと共に綴る記憶。けれど、今の自分を追い越さなければ勝ちまでは見えない。

あとはただひたすらに、勝ちたい。

 

勝ちたい。

 

サイレンススズカに勝ちたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

スペシャルウィークが折れた。スズカの勝ちだ。

 

 

 

 

あとはゴール板を駆け抜けるだけだ。

 

 

 

そのコンマ1秒に、スペシャルウィークの瞳がギラリと輝く。

 

 

ぎゅん、と。

 

 

 

 

ヴィットールで見せたあの地面を抉る加速を。

 

 

 

 

まさに全身全霊を懸けた僅か数歩駆け疾うて、

 

 

 

 

スズカを交わした。

 

 

 

 

《ああーーーっ!スペシャルウィーク!スペシャルウィークが煌めいた!ほんの一瞬、爆発的な加速でサイレンススズカを交わして先頭へ出ました!残り50メートル1バ身!まさしく死闘!サイレンススズカ追えるか!》

 

ついに憧れの存在のまさにその前に立ったスペシャルウィーク。夢はきっと叶うと、あの日サイレンススズカに感じた何かも、いつの日か流した涙もすべて信じてきてよかった。

 

 

 

 

 

 

春も夏も秋も冬も雨も風も雪も光も闇も超え、

ついには憧れも超えて、

あとはただ走れ、

願い焦がれた勝利へ。

 

 

 

 

 

結局スズカは届かず、ゴール板を最初に駆け抜けたのはスペシャルウィーク。2分19秒8という前代未聞のタイムでコースレコードを樹立し、あのシンボリルドルフでも成しえなかったクラシック級での出走、そして優勝。このレースは後年にわたって語り継がれる死闘となっただろう。

 

確定。

 

東京、芝2400 良 晴

 

Ⅰ 10

     1

Ⅱ  7

     61/2

Ⅲ  1 

     1/2

Ⅳ  5

     3

Ⅴ  9

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。