スズカとスペシャルウィークの戦いを賞賛する歓声に迎えられ他のウマ娘たちが次々とゴールになだれ込んでくる。一番先を走っていた二人の時間は止まったままだ。
勝ったスペシャルウィークは、立ち上がるのも難しいのか仰向け大の字で大きく息をしている。
敗けたスズカは、息は既に整いつつあるものの、茫然と見続けながら立ち尽くしている。
「へ、へへ、えへへ…。」
結構な時間が過ぎてようやく現実感を帯びてきたのか、未だ肩で息をしながらもスペシャルウィークがよろよろと拳を天に向けて突き出した。その勝利を宣言した空は憎らしいほどに青く、故郷や天国のおかあちゃんにも繋がっているかな、なんて想った。
より大きくなる歓声にようやくスズカが解凍され、スペシャルウィークのもとに歩み寄っていく。スペシャルウィークの眼前に広がる青空にスズカの顔が重なった。
「―立てる?スペちゃん。」
スペシャルウィークは身を起こそうとしたがどうにもうまくいかない。よく見ると両足が笑っている。まだしばらく動けそうにないが、ウイニングライブの準備がこれから始まるので、コース上に居ては邪魔になるかもしれない。
「ほら、遠慮しないで―。」
スペシャルウィークはスズカの肩を借りてどうにかこうにか立ち上がり、ふたりしてゆっくりとコースを後にした。それが観客にどう見えたのかはわからないが、ふたりを見送る拍手は、それはそれは大きかった。
◇◆◇◆◇
スズカの控室の前。この扉を開けるかどうか、結構な時間逡巡していた。
スズカは敗けた。単純な事実だけでいえばそれだけにすぎないが、その影響を受ける者たちは非常に多く、またそれはスズカ自身も含まれている。
正式に説明を受けたわけではないので実際のところどうなるのかはわからないが、まずスズカの海外留学の話は白紙に戻る。
これはつまりせっかく学園として発展するチャンスをふいにしたということであり、同時に、彼の国とのパイプを繋げず、今後発生したかもしれないすべてのチャンスを失ってしまったことにもなる。
さらに、《そうなることを承知で》サイレンススズカというウマ娘をこのレースに出走させる判断をした秋川理事長も引責辞任することになる。ほとんど理事長一人で作り上げてきた学園であるだけに、後任が決まるまでは学園もどうなるかわからない。
スズカはただ走っただけだ。そこに良いも悪いも無い。それに夢を見た大人たちが、こうしてたった一本のレースでその人生を、その学園を、まだ見ぬウマ娘たちの未来を大きく変えてしまった。
それでもスズカは背負ってしまうだろう。―私が敗けたから、と。私がわがままを言わなければこんなことにはならなかったときっと思う。だがそれはあくまでもきっかけに過ぎない。それを伝えなければならないだろうか。スズカにはこれからも気持ちよく走り続けてほしい。大人の事情などからは遠ざけておきたいが―。
なおも扉の前で逡巡を重ねていると、ふいにそれが開いた。
「あ―。」
中のスズカは、勝負服のままだった。―泣き散らかしたのか、目もとが腫れている。
「顔を、洗いに行きたいんですけど。」
洗面台に向かう彼女を見送り、控室のソファに座り込んだ。
実際に、スペシャルウィークは速かった。距離が距離なだけありスズカが相当へたっていたとはいえ、これまでのすべてのウマ娘で唯一それに追い付き、あまつさえ交わし切るとは。スペシャルウィークにとって最初で最後となるかもしれない、憧れの存在と競い合える機会だったからかもしれないが、速さ以上に心の強さの違いをまざまざと見せつけられた50メートルだった。スズカはへたりながらも、その限界の扉を何回も破りながらゴールを目指した。それはおそらくスペシャルウィークも同じだったはず。あんな、タマモクロスやオグリキャップですら着いてこれない速度でのスパートなどできるわけもない。
精神が肉体の限界を越えた、そういう領域にある者同士での戦いだったが、スペシャルウィークのほうがほんの少しだけ開いた扉が多かったようだ。
もう一度走ったら今度は間違いなくスズカが先着する。そう言えるほど、今回に限っては精神的なものが戦況を大きく左右したレースとなった。
「―お待たせしました。」
スズカが戻ってきた。水にぬれたせいか、目元の腫れはすっかり治っている。
「ウイニングライブまで時間がありませんが―。トレーナーさん。」
スズカはその頭を深々と下げ、謝罪の言葉を口にした。
「私のわがままで、いろんな方を巻き込んで出していただいたレースなのに、一着をとらないといけないレースなのに、私は…。」
過ぎたことを悔やんでも仕方がない。大切なのは、これからどうするかだろう。後ろを向いていても何も始まらない。前を向くんだ、サイレンススズカ。
「敗けた立場で言えたものではありませんけれど、今でも私はスペちゃんより速く走れるんだと信じて疑いません。しかし現実として敗けているのは、気持ちの強さなんだと思います。勝ちたいっていう気持ち。負けたくないっていう気持ち。その執念。ずっと漠然と走り続けてきた私にはそれが足りなかった。走りはそのときの気の持ちようで変わる。それは私がよくわかっていることなのに。」
ようやくそこに、ウマ娘としてのもうひとつの本能に目覚めつつあるらしい。速すぎるがゆえに彼女から欠落していった《勝利への執着》という本能。
「―来年。シニア2年目となる年ですが、私はもう負けません。ですから、トレーナーさん。私を、来年も―。」
言いかけたところで、場内放送でスズカをウイニングライブに呼ぶ声が聞こえてきた。
「―じゃあ、行ってきますね。」
少しだけ微笑んで、スズカは駆けだした。ここは直線の廊下なので、言葉はよく響く。
「スズカ!」
すでに遠くまで行ってしまったスズカに声をかける。
「来年もよろしくな。」
それを聞いた背中は、こころなしか嬉しそうに尻尾を靡かせながら、ライブ会場へ消えていった。