サイレンススズカ、翠玉に疾う   作:橋本みちか

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大日本ダービー編
新しいチャンス


「―というわけで、私は理事長を退任し、海外で見聞を深めることにした!もちろん、有望なウマ娘と出会うようなことがあれば本学園へ引き入れることも考えている!生徒諸君はもちろん、トレーナー諸君も、より一層励んでくれ!」

 

新しい年、新しい朝。しばしの休みを経て再び学園に戻ってきたが、その初日から全体朝礼が開催された。内容は秋川理事長退任のご挨拶。2400の群集を前にしてもまったくたじろがず、口調も至っていつも通りだが、さすがに最後だからかやや力が入っているようだ。もちろん、退任につながった一連の流れについては伏せてある。

 

「それで、私が空けた椅子を、この者に頼むことにした!私の良き理解者であった者だ。きっと学園をよい未来へ導いてくれると期待している!」

 

理事長が演台を譲る。事前に発表されていた樫本という女性がそれに一礼して登壇した。

 

「え、えー…。」

 

2400の生徒を前にしてさすがに委縮しているようだ。ぶるぶるっと身体を震わせて気合を入れ直し、樫本さんは話を始めた。

 

「樫本と申します。海外に赴任しておりましたが、あ、秋川理事長から後任―、あくまで代理ですが。理事長職を拝命しました。尊敬する秋川理事長の理念を引き継いで、よりよい学園を目指していきたいと思います。よろしくお願いします。」

 

拍手6割、どよめき2割、沈黙が1割といったところか。みたところそれなりに若いようだ。キャリアの階段を3段飛ばしとかで登らないとこうはならない。

特に年少のウマ娘たちが不安な顔でどよめいている。一方でシンボリルドルフらは、まるで知った顔を見るような表情をしていた。

 

「 傾 聴 ! 樫本君には何度も私の夢を聞かせてきた!彼女もそれをよくわかっている!今のこの学風を維持するためには彼女の力が必要だと考えてのことだ!―もしなにか言いたいことがある者が居るなら、出発まで2時間ある。それまでに私のところへ来なさい。」

 

理事長が凄むと、誰も二の句を告げなくなってしまった。どうもシンボリルドルフだけは前日噛み付いたらしいという噂が立っているがその真偽は誰にもわからない。退場する理事長と樫本さんの後をシンボリルドルフが追っていった。

どうやらこれで緊急の全体朝礼は終わりらしい。ぐぐぐ、と伸びをして、脳の血管に酸素を通してやった。

直後。

 

ぴんぽんぱんぽーん。

 

お呼び出しを申し上げます。サイレンススズカとその担当トレーナー、至急理事長室へ来るように。繰り返します。サイレンススズカとその―…。

 

新年早々呼び出しである。まだその担当ウマ娘とも新年のあいさつを交わしていない。

首をかしげながら講堂を出て、すれ違う人に新年のあいさつをしながら、理事長室へ向かった。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

こん、こん、こん。

 

「―入ってくれ。」

 

理事長室の扉を開く。ぎいい…、と音を立てて広がっていく部屋の景色。シンボリルドルフ、秋川―元理事長、それと樫本代理。そしてその隣にはスズカも座っていた。

 

「私が最後でしたか。申し訳無い。」

 

気にすることはない―、とシンボリルドルフが皆の分の紅茶を分ける。その所作は非常に美しく、指の先まで張り詰めていた。ひと口飲んだそれはまた相当に苦く、吹き出しそうになるのを必死にこらえて嚥下した。

 

「ははは、苦かっただろう。私はいつも、気持ちを切り替えるときはこの紅茶を飲むようにしているんだ。」

 

シンボリルドルフがけたけたと笑うが、そういうことはご自身だけにしておいてくれ。

 

「―さて。」

 

くそ苦い紅茶を飲んで気持ちが切り替わったシンボリルドルフ。なるほど確かに眼の色が違う。

 

「単刀直入に言おう。君たちにイギリスから出走のオファーが届いた。」

 

ぴくり。とスズカの耳が反応した。ついこの間、海外で勝負するチャンスをふいにしたばかりなのだから、そりゃあこの手の話には敏感になる。

 

「 僥 倖 ! 捨てる神あらば拾う神もあり!我々はまたしてもチャンスを手にしたのだ!」

 

すらすらと扇子に僥倖の文字を書きひけらかし散らかす元理事長。この姿も今日でしばらく見られなくなると思うと若干の寂しさがこみあげてくる。

 

「あとは樫本君!説明を頼む!」

 

わっはっはっはっは!と高笑いしながら元理事長は部屋を出ていった。シンボリルドルフがまるで眩しいものを見るかのように眼を細める。

 

「最後まであの人はあの人のままでしたね。」

 

「ええ、本当に。」

 

どうも樫本とシンボリルドルフは何か通ずるものがあるようだ。

 

「オファーが届いたというレースは?」

 

スズカはもう待ちきれない様子だった。これまで殆ど見えなかった闘志が、その瞳の中で燃えている。

 

「キングアルカディア6世&クイーンダイヤモンドステークス。イギリスどころかヨーロッパでも、凱旋門杯と並んで最も格式の高いとされているレースです。そのレースに、日本から1枠どうかと。更に、もし枠を取るのならば、サイレンススズカかスペシャルウィークのどちらかを出走させよとのことでした。」

 

なるほどそういうことか。周りに沈黙が下りる。この間のレースを見て、あの二人に異次元の可能性を感じたからオファーを出したのだろう。そしてあの時勝利したのはスペシャルウィーク。ひとつの枠を争うなら、実績のある彼女が圧倒的に有利だ。

 

「当然、スペシャルウィーク達にもその話はしてあるのですよね?」

 

もちろん、と樫本代理は頷く。

 

「このお話はJ-CUPの翌々日には来ていました。すでにスペシャルウィークさんとそのトレーナーさんには元理事長から話をもちかけ、出走の意思を確認しています。」

 

だったらそれでいいじゃないか、とはならなかったのだろうか。そのままスペシャルウィークに走らせるわけにはいかなかったのか。

 

「―あのレースを拝見しましたが、私は、最後の鍔迫り合いは精神的なものが大きく影響していたと考えます。勝ったのはスペシャルウィークさんなので優劣はもちろん付きますが、ただ走る、ということだけ見ると、その能力や適性はサイレンススズカさんの方が遥かに上であると私は思っています。」

 

まるでスズカの総てを見てきたかのような言い方をする。―おそらく、と樫本代理は言葉を続ける。

 

「あのときサイレンススズカさんに最も足りなかったものは、闘志だったのではないでしょうか。」

 

胸を撃ち抜かれたような気分だった。自分自身でさえそれに気づくのに1年半を要したというのに、この人はたったいち度のレースで、そんなにまでスズカのことを理解できるのか。この人は一体何者なんだろうか。

 

「ふふ、これでも私は、海外へ渡るまではそこのシンボリルドルフのサブトレーナーでしたから。ある程度の目は持っているつもりですよ。」

 

樫本代理がそのない胸を逸らす。そうか。シンボリルドルフは相手がトレーナーだろうが敬語は使わないタチだ。そのシンボリルドルフが先ほど「あの人はあのままでしたね。」のような敬語を使う相手。樫本理事長代理。そのような関係があったのか。なるほど確かに、シンボリルドルフが七つの冠を頂戴する一助をしていたのなら、このポジションもうなずける。

 

「ちなみに、メインのトレーナーはどなただったのですか?」

 

代理とシンボリルドルフは、無言で、先ほど元理事長が出ていった扉に視線を送る。―ははーん、なるほどな?そういうこと?そりゃこういう人事にもなるわ。納得したわ。これは誰も逆らえん。

 

「そういう話をしにきたのではありません。」

 

それはそうだが。

 

「彼のレースはJ-CUPと同じ芝2400。サイレンススズカさんには多少厳しい条件となるでしょう。しかしそれでも私はサイレンススズカさんの能力を買っています。スペシャルウィークさんもすんなり自分が出走枠を獲ってしまっては納得しないと思われます。―そこで。」

 

5月の大日本ダービー。芝2400。このレースの結果を以て決定するという話だった。もちろん、この大日本ダービーも希望すれば走れるというわけではない。ファン投票と実績が均等に評価され、選ばれし18の優駿のみが走れるレース。その格式はこの間のJ-CUPや有馬記念に勝るとも劣らない。仮にどちらか片方しか出走できなかったときはもう片方を、どちらも出走しない場合はスペシャルウィークを出走させるそうだ。

 

「ということですので、サイレンススズカさんがイギリスで走るには大日本ダービーでスペシャルウィークさんより上位になる必要があります。サイレンススズカさんの主戦場から見て中距離はちょっと無理しなければ走れない距離。無理に出走して経歴に傷をつけてしまうかもしれません。それでも―。」

 

走ります。―とスズカは樫本代理の言葉をさえぎって断言した。

 

「私は走ります。今度こそ勝ちます。あのときの忘れ物は、私が拾いに往きます。」

 

異次元の逃亡者、世界へ。

 

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