サイレンススズカ、翠玉に疾う   作:橋本みちか

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ふたりで。

ど、れ、み、ふぁ、そ、ら、し、ど、ブーッ

259。

ど、し、ら、そ、ふぁ、み、れ、ど、ブーッ

260。

ど、れ、み、ふぁ、そ、ら、し、ど、ブーッ

261。

ど、し、ら、そ、ふぁ、み、れ、ど、ブーッ

 

雨の日の体育館。シャトルランの規則正しいメロディと足音が雨音と丁度よい重奏を奏でている。

スペシャルウィークと枠を争うことになってから、スズカはスタミナとメンタルの強化に躍起になっていた。

 

「ちょっと。」

 

スズカのシャトルランを遠くから眺めていると、樫本代理から袖を引かれる。スズカに聞こえないよう耳元で囁かれた。

 

「あれからスペシャルウィークさんとサイレンススズカさんの経過を観察しているのですが、いくらなんでも追い込みすぎではありませんか?」

 

午前中は倒れるまでシャトルラン。

昼食を摂り夕方までプールでひたすら泳ぐ。

そして夕食の後はグラウンドに出て1メートルでも長くトップスピードを維持する訓練。

 

やはりスズカも心があるので、途中何度も止めたくなったらしいが、あの時抜かれたことを思い出すと自然と身体は動き出すとのことだ。

それをもう休みなしで二週間も続けている。誰の目に見てもスズカは明らかに疲弊していた。

 

「サイレンススズカさんご自身の意志とはいえ負荷のかけすぎです。過度なトレーニングをさせないのもトレーナーの仕事ですよね。あのままではサイレンススズカさんは間違いなく壊れます。身体だけじゃない、心も壊れる可能性だってある。あなたも担当トレーナーなら限度を見極めてください!」

 

スズカが目的意識をもって走り出すことなど今までになかったのでやりたいようにやらせていたが、さすがにそろそろ見逃せないところまできているらしい。

正直確かに、倒れて薄らぐ意識の中でも前に進もうとする鬼気迫る様子は、スズカのなにかを変えてしまいそうなところまである。それを止めるべく、ある日の早朝、スズカがやってくるよりも早く、グラウンドにつながる門の前に立っていた。

 

 

 

 

「あ、トレーナーさん、おはようございます。」

やはりやってきた担当ウマ娘の顔はやつれていて、しかしその双眸だけは、勝利への渇望をめらめら燃やしている。

 

「おはよう、スズカ。」

 

今日は早いんですね。いい天気ですもんね―、などといういつもと変わらない雑談をこなしながらスズカは走る準備に入っていた。

 

「スズカ、今日の練習はやめだ。」

 

え?―靴ひもを結んでいた手を止め、スズカがこちらを見る。

 

「お前、ろくに休まず走っては泳いでを繰り返していただろ?そんなんじゃ伸びるもんも伸びやしねえよ。きっちり休んで、万全な状態でやらないとトレーニングは意味を持たねえ。お前が目的をもって走りに取り組むなんて今までなかったからある程度任せていたがその辺にしておけ。」

 

でも、とスズカが反論を口にする。

 

「でも、トレーナーさん。私はより強くなりたいんです。どんな距離でも折れない心の強さが欲しい。そのためには、自分の限界を前にして決して折れない練習が必要なんです。倒れそうになってももう1歩。それができたらもう1歩向うへ。―じゃなければ私はスぺちゃんに勝てない。」

 

練習しないことに耐えることも強さだ。身体を休めることも、次へつなげるための立派なトレーニング。なにも今日明日でスペシャルウィークを超えるスタミナをつけろというわけではないし、今の自分にあった内容で少しずつ鍛えていければいい。

 

「よくないんです。私、あのときはじめて、背中に迫る気配を怖いと感じたんです。その怖さがまだ振り払えない。どんなに、どんなに速く走っても、どこまでもどこまでもついてくるんです。私はいつも、その怖さに呑まれてしまう。だから、それを振り払えるような速さと強さが欲しいんです。追い込んで追い込んで追い込んで、その先にある世界が知りたいんです。」

 

では、ひとつ教えて差し上げます―。

 

樫本代理がいつの間にか姿を現していた。さすがに寝ていたのだろう、仕事のときではない、年相応のラフな格好だが。

 

「早朝から痴話喧嘩なんて勘弁してください。まだ門限外の時間ですよ―。」

 

若干ボサついた長い髪をかき上げながら樫本代理は空を見上げる。―いい天気ですね、と独り言のようにつぶやいた。

 

「さて、サイレンススズカさん。」

 

キッと鋭い目線―よく見る樫本代理の顔に戻り、スズカを見据える。

 

「まず門限の後に外に出ることが校則違反なのはご存じですね?あなたは今、門限外の時間に、担当トレーナーの指示を無視して、無許可でグラウンドを走ろうとしています。」

 

うう…。とスズカは耳を折り、後ろに隠れる。

 

「秋川さんも黙認していたようですし、私もとやかく言うつもりはありませんが―、あなたの健康状態があまりにもよくない。学園としてこれ以上の勝手なトレーニングは止めなければなりません。」

 

そんな、でも―、とスズカが二の句を継ごうとするが樫本代理は許さない。

 

「そのあたりの話はさっき聞いていました。サイレンススズカさん。逃げを打っているウマ娘にとって、特にレース後半に後方からのプレッシャーを感じることなど常です。前まではあなたの速さに着いてこれるウマ娘がいなかったからそうでもなかったかもしれませんが、今回スペシャルウィークさんにはじめてそれを感じたようですが―、それを振り払い、見て見ぬようではずっとそのプレッシャーには勝てません。」

 

「確かにサイレンススズカさんの脚は希代のものですがそれでも絶対ではない。後ろから追ってくる存在はその距離にかかわらずいつだっているものです。だからあなたは、後ろからプレッシャーをかけられているという事実に怯え動揺するのではなく、それを真正面から受け止める心の広さが必要です。そこから初めて、真正面から受けて逃げ切り、それらを捩じ伏せる強さにつながるのです。」

 

「風林火山という古語をご存じですか?《疾きこと風の如し、徐かなること林の如し、侵し掠めること火の如し、動かざること山の如し。》サイレンススズカさんは風のように速く走り、林のように落ち着いた心を持っていましたが、烈火のごとき闘志を持ったことによってそのバランスは大きく崩れてしまった。今のあなたに必要なのは、レース中の出来事や過去のトラウマにも動じない山のような広く大らかな精神です。」

 

「それを得るためには日々の健康は不可欠。あなたが一人で突っ走ってもいけない。トレーナーさんが一人で燃えてもいけない。せっかく二人いるんですから。1足す1の答えは2どころでは収まらない。10にも20にでもしてやれる。それはあなたたち次第ですが。―しゃべりすぎてしまいましたね。そろそろ日が昇ります。私はもう少し寝ますので、これで…。」

 

軽く会釈して樫本代理は戻っていった。

 

 

 

 

 

 

スズカと目を合わせる。さっきまでの燃え盛る闘志はどこへか引っ込んでしまったようだ。

 

「俺たちもあと少しだけ寝るか。今日は一日休みだ。走ることとトレーニング以外好きにしててくれ。」

 

「そうですね。」

 

 

 

 

 

寝て起きて、まる一日。スズカは何をするでもなく、ずっとトレーナー室に居た。

 

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