トレーナー1年生になったばかりの私には、とうぜん誰も「担当してください」なんて言ってくるウマ娘なんて居るはずもなかった。かといって、誰もトレーナーのいないウマ娘に私を売り込むほど自信があるわけでもなかった。
私と時を同じくしてこの学園に入ってきたウマ娘たち。将来有望なウマ娘を見つけようと、グラウンドではトレーナーたちが押し合いへし合いしている。
誰かのサブトレーナーとかになって勉強したほうがいいのかも、とは思いながら、そのあても無いので、私も一応ストップウォッチを持ってグラウンドのヘリに貼り付いた。
注目の模擬レースは1600と2000で行われるようだ。各3走、片方しか走らないウマ娘もいれば、両方の距離を走るウマ娘もいる。いくら何十倍もの倍率を潜り抜けてきたエリートウマ娘といえど、この最初の最初から実戦レベルの脚を使えるウマ娘なんてふつう現れるわけがないが、見える人にはそこに光が見えるらしい。
結論から言うと、私にもその光るウマ娘とやらは見えた。しかしながら悔しいのは、ほぼ間違いなくそこにいる全員がそれに気づいた―、見せつけられたことか。
サイレンススズカとタイキシャトル。
このふたりについては完全に規格外で、今すぐにでもG1で勝負できるような脚をもっていた。まずスタートから違う。わずか数秒でほかのウマ娘たちの戦意を喪失させるには充分すぎるセーフティリードを作り、その差はゴールまで開く一方だった。
サイレンススズカは圧倒的な逃げ足と、1500過ぎてもなお伸びる末脚。タイキシャトルはそれよりやや後ろにつけながらもキレと爆発力のあるスパート、そしてほかのウマ娘―サイレンススズカと比較してもなおズバ抜けている勝負勘を持っている。
もともとマイルが得意だと言っていただけあって、1600ではサイレンススズカにハナまで迫る。2000ではさすがに及ばないが、それはさほど問題ではない。
さらに、ほかのウマ娘たちは走りきるのもいっぱいいっぱいで、中には芝に倒れこんだまま起き上がれない者もいるというのに、サイレンススズカだけは、まるでランニングでもしてきたかのような毅然とした佇まいで、疲労などみじんも感じさせなかった。
模擬レースの後すぐに、そのふたりの元にはトレーナーの群れができていたが、私はそれを遠巻きに見ているだけだった。
その日の夜、夕食も終えたけれどどうにも寝る気持ちになれず、夜風に当たりに学園裏門に出ると、もう使用時間は過ぎたはずのグラウンドを誰かが走っていた。
とん、とん、とん、とグラウンドまでの階段を下りていく。門限を過ぎてなおグラウンドを走る不届きなウマ娘はすぐに周回してきた。
「―っ!」
私と目が合ったウマ娘はひどく驚き、そのエメラルド色の瞳を丸くしてたまげた。まさに今日ぶっちぎりの速さを見せたサイレンススズカだった。
さすがに門限外にこの場にいることがまずいのはわかっているらしく踵を返して逃げ出そうとしたところをつい捕まえてしまった。
「待って!」
背を向けたまま彼女は止まる。
「少し話さない?」
どちらからともなく、グラウンドのコースに沿って歩き出した。
しゃく、しゃく、しゃく。
ふたり芝を踏みしめる音が大きく感じる。こうして隣を歩いてみれば、走ることに特化した脚をもっているウマ娘だって人間と大差ない。いったいこの細い脚のどこにあんな力があるのだろうか。
「トレーナー、決まったの?」
サイレンススズカは無言で首を振る。首を振るが―、それ程重要なこととしては考えていないようだ。
「あれだけ人気だったら、ひとりくらい合いそうな人とかいたんじゃないの?」
胸に手を当てたまま押し黙るサイレンススズカ。何か言うか言うまいかのはざまにあったようだが、くっと私のほうを見た。
「私は、ただより速くなりたいんです。その為に、速さとは何か、どうすればより速くなれるか、それだけを学ぶためにここに来たつもりです。私は小さいころから暇さえあれば走っていました。ただ走るのが好きでした。風をつかまえて、私も風になるのが楽しくて楽しくてしかたがなかったんです。」
この娘、寡黙でおしとやかだと勝手に思っていたけど、芯は通ったものを持っている。なるほどこれは手を焼きそうだ。
「スピードはあとからついてきました。結果もあとからついてきました。でもそれらにこだわりはあんまり無いんです。私はただ、誰よりも速く駆け、誰も至れない速さの領域に踏み込みたいだけ。」
「クラシック三冠とか、いろんな人が私にお誘いをかけてくれました。でも、私がこの話をすると、みなさんどこかへ行ってしまって。」
それでも私のやることは変わりませんけど。と彼女は笑って見せた。確かに、聞いた限りでは彼女のこのスピードは今までの生活によるものだろう。好きで走れるウマ娘はやはり他とは違う。
走らないといられないというのはすべてのウマ娘にあるものだけれど、それは生命維持のために義務的にそうしているだけで、自分からその環境にみを置けるなんてそうは無い。やはり彼女の走りに関する才能と基礎は飛びぬけている。
「私は、私のやり方で行きたいんです。誰に指図されるわけでもなく、私がここまで至ったやりかたで、どこまで速くなれるか。それを測るために、より上のステージを望んだまでです。」
うーん、尖ってんなあ。誰の指図も受けないなんてトレーナーは要らないって言ってるようなものだし。
そうそう好きにやらせてくれるトレーナーなんていないし。
けれど、連日トレーナーに囲まれるようなことになるとさすがに彼女も困りかねない。
ひとつ、私にいい考えが浮かんでしまった。
「ねえ。」
「なんですか?」
このままトレーナーが決まらないままだと、また明日も今日みたいなことになることは避けられない。そしてきっとそれはサイレンススズカがそのトレーナーを決めるまでずっと続くだろう。
それに、レース出走の手続きを執れるのは結局のところトレーナーしかいない。さしものサイレンススズカも勝手にはレースに出られないのだ。
「私もこの春トレーナーになったばっかりだし、その指導には期待できないと思う。だから基本的にはあなたの好きにしていい。あなたも、私というトレーナーがいれば、よほどじゃない限り好きに走れるし、レースの手続きにも困らない。」
少なくとも前向きの理由じゃあないけど、サイレンススズカが一番のびのびと走るには多分こうするほかない。それが私だっていうところが若干心配だけど。
だから、私と来ない?
こうして、ジュニア最強ウマ娘とトレーナー1年生のタッグが生まれたのだった。